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zoom RSS 箕輪初心:生方▲真田丸25【坂本城2回目&虚空蔵山烽火台】:武田信玄の築城?

<<   作成日時 : 2016/01/28 12:49   >>

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・天文13年(1544)頃?真田幸綱(幸隆)は武田晴信の家臣になった。
真田幸綱(幸隆)・山本勘助らの佐久での調略などで快進撃・・
・天文16年(1547)武田晴信が小田井原の戦い(現佐久市)の勝利後、
志賀城&笠原清繁は討ち死に。勢いで入山峠から東山道を下り、
上野国松枝(松井田)に進入した。そして、坂本宿を見渡せる場所
に坂本城を、隣に虚空蔵山烽火台・愛宕山城を築城したと思われる。
坂本城は、現在は碓氷湖の南にある。上野国ではじめて造った城で、
真田幸隆も同行した。★富岡武蔵氏の案内で余湖さん・野口さん・
たかしさん・櫻井さんと坂本城=城の峯城に登った。2回目である。
ありがとうございました。
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・碓氷湖の正面が坂本城


◆訪問日・・平成23年(2011)11月26日
・武蔵の五遁さん(菅原さん)・三浦さんと合流
@松井田城2回目→・安中ふるさと学習館
・おぎの屋で釜飯購入900円
・富岡武蔵さんと合流
・碓氷湖で昼食・・「釜飯&焼きまんじゅう」
A635坂本城・・富岡武蔵さんの案内
B636愛宕山城

◆◆ 武蔵の五遁さん「上野:坂本城」 ◆◆
http://tutinosiro.blog83.fc2.com/blog-entry-1395.html

◆◆ 箕輪初心●群馬:旧松井田の城8城一覧 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201210/article_3.html

箕輪初心●群馬松井田:坂本城&愛宕山城=武田信玄の築城か?
http://53922401.at.webry.info/201210/article_4.html

◆◆ 武蔵の五遁さん「上野:坂本城」 ◆◆
http://tutinosiro.blog83.fc2.com/blog-entry-1395.html






◆訪問日2・・・平成27年(2015)12月26日
富岡武蔵氏の案内で余湖さん・野口さん・たかしさん・櫻井さん
と坂本城=城の峯城に登った。2回目である。

【1】 坂本城

 (★山崎一氏の縄張り図)

●高野辰之の碑
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 ★「秋の夕日に 照る山 紅葉・・・」
  と、妙義の列車の中で作詞した。
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●坂本城全景

@碓氷湖の湖畔

A坂本ダムの堤防上の遊歩道に沿って進んでいく。
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B赤い橋

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B富岡武蔵氏が決めた登山口
登り口はない。


○道はなく、急斜面が続く。

★縄張り図では、搦め手だ。
★富岡武蔵氏は同級だが、元気。
キリマンジャロ山5995mを登っているが、
愛煙家の私より元気だ。
富岡武蔵氏はまるっきり武田の歩兵隊だ。
どんどん進む。

 
○標高差220m程・・・
★ちょっとした登山だ。
急峻な細尾根に谷が食い込んでいる。
★北側からの攻城は困難だ。

○30分後、尾根筋に着いた。
@郭
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A空堀・・・大堀切り
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山崎一氏は「一城別郭である。」と述べている。
★結構、工事したのが分かる。

○二郭手前の堀・・・★浅い。
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○小さな郭?
B二の郭・・30m×20m
 ・・北側に低い土塁。
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C西虎口
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D本郭・・・60m×15m
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★200〜300人は籠れるかな。
・北側に土塁。
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※南に4段の腰郭
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E腰郭1
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F腰郭2


G腰郭3

H腰郭4

I水の手

二の丸下&南郭の二つの尾根筋に囲まれた谷には
湧き水が少しあった。水の手であると思われる。
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K南郭
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L追手虎口・・食い違い虎口
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Mさらに上の郭
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【2】 虚空蔵山烽火台

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@小屋・・・コル部分
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A烽火台
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B頂上削平地
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○先には遺構ははなかった。


★富岡武蔵さん・余湖さん・野口さん・桜井さんのおかげで坂本城&
虚空蔵山烽火台
を探検できました。ありがとうございました。




◆◆ 武田信玄の築城か? ◆◆
@坂本城は日本城郭体系にも坂本城に関する資料は存在しない。
A山崎一氏は、「坂本城は何の記録もない。」と、群馬県古城塁祉
の研究下巻で書いている。
B宮坂武男氏の「境目の山城と館:上野編P168」が詳しい。
★個人的には陣城の可能性が高い?
東山道は約1000年の歴史があるので、1本とは限らない。

・天文10年(1541) 海野平の戦い
武田信虎+村上義清+諏訪頼重
VS
海野棟綱・真田幸隆・祢津元直・望月??など
 
  海野棟綱・真田幸隆・祢津元直は海野一族の上野国の
  羽尾城:羽尾幸全を頼った。
真田幸隆は羽尾幸全の娘を3番目の妻:側室として
娶った。・・・
★羽尾幸全の妻の義父:長野業正の箕輪城に行き、長野
業正におそらく連れられて、上杉憲政のいる平井城を
訪ねた。
海野棟綱&真田幸綱は海野の地・真田の郷の奪還を要請した。

長野業正を大将とした軍が結成され、佐久に侵攻した。
海野棟綱と真田幸綱(幸隆)も同行した。
武田晴信は甲斐に帰っていたため、佐久は国衆:大井一族
や笠原清繁・祢津政直(元直の子ども)は諏訪頼重の支配
下にあった。

黒田基樹説では、長野業正は諏訪頼重と同盟を結び、佐久の
国衆を独立させた。しかし、長野業正は海野平に行かず、引
き返した。真田幸隆が武田晴信の家臣になる遠因であった。
と、している。

●真田幸隆は箕輪城に3年いた。

武田晴信は父:武田信虎を駿河に追いやり、家督を継承すると
  信濃侵攻を開始し、諏訪郡・北佐久郡を攻略の準備に取りかか
  った。

・天文11年(1542) 諏訪攻撃
6月、武田晴信は諏訪氏庶流:高遠頼継と諏訪領への侵攻した。
  諏訪頼重を甲府へ連行して自害に追い込み、諏訪領を制圧し
  た。ついでに、諏訪頼重の娘も側室にした。
@小説では、新田次郎:湖衣姫・・など
A祢津元直の娘→諏訪頼重養女説

 9月 高遠頼継が武田晴信に対して挙兵した。
    武田晴信は高遠頼継を撃破して諏訪領を掌握した。
上原城・桑原城に城将を置いた。

・天文12年(1543) 長窪城(現長和町)を攻撃。
諏訪から新東山道・・・和田峠を越えて・・・
  長窪城主:大井貞隆を攻めて自害に追い込んだ。

●天文12年(1543)か天文13年(1544)
 真田幸綱(幸隆)は武田晴信に臣従した。


・天文13年(1544) 武田晴信は今川義元と和睦した。
@武田晴信は現千曲市&佐久市の侵攻を考えていたので、
南から甲斐に入られるのが不安だった。
A今川義元は駿東郡(富士市:富士川〜沼津〜三島黄瀬川)
  を北条氏康の支配下にあったので取り戻したいという思惑
あった。

・天文14年(1545)
4月 武田晴信は高遠城に侵攻して高遠頼継を滅ぼした。
6月 福与城主:藤沢頼親を追放した。

7月 第2次河東一乱
   ※河東・・・静岡県駿東郡(富士川〜黄瀬川)
今川義元  VS 北条氏康 
7月下旬、今川義元は富士川を越え、善得寺に布陣。
     北条氏康も駿東郡に急行して応戦した。
B北条氏康は危機的状況になった。
 前門の虎・・今川・武田が駿河から・・
 後門のライオン・・山内上杉がせっかく盗った河越城に
 挟み撃ち状態になってしまった。

9月初旬 今川軍+武田軍が合流。
  北条軍は、吉原城を放棄し三島に退却。
  今川軍は北条幻庵・葛山氏元の長久保城(駿東郡長泉町)
  を包囲した。
  河越城を包囲された。
  北条氏康は窮地に陥った。

10月下旬 武田晴信が北条・今川の仲介役として、
   停戦が成立させた。
 武田晴信が仲裁したことで両家に大きな「貸し」を作った。

11月初旬、北条氏は長久保城を今川氏に明け渡した。
  (★『高白斎記』)。
  B北条氏康は西方に安堵を得た河越城の救援に向かった
 

・天文15年(1546)
4月 河越夜戦
上杉憲政+上杉定正+古河公方 VS 北条氏康
  河越城を包囲していた関東管領:上杉憲政が北条氏康に惨敗
上野の平井城に逃げ帰った。
  上野国を中心とする上杉憲政の勢力はいまだ健在であった。

5月 武田晴信は再び佐久郡に侵攻。
  大井貞清が立て籠もる内山城を包囲した。
  武田軍は総攻めをしかけて城を落とし、大井貞清は捕えられた。
真田幸隆の口利きで大井貞清は助命された。
  長窪城(現長和町)の大井貞隆&内山城の大井貞清の大井一族
  が壊滅状態になったことで佐久郡の大半が武田氏に制圧された。
  
  しかし、志賀城の笠原清繁は抵抗を続けていた。
  志賀城は上野国との国境に近く、入山峠(バス事故と軽井沢プ
  リンススキー場の間)・碓氷峠(笛吹峠の表示の本もある。
  また、碓氷峠は当時あったか不明)・内山峠・余地峠などを
  通じて関東管領上杉憲政からの支援が期待できる。
  また、笠原清繁は上杉氏家臣の高田憲頼(旧妙義町高田城&
  菅谷城)と縁戚関係にあった。
  上杉氏からの援軍として高田憲頼父子が志賀城に派遣されていた。

・天文16年(1547)・閏7月から8月 小田井原の戦い
(長野県佐久市)
閏7月、武田晴信は大井三河守貞清を先手として甲府を出陣した。
7月24日 武田晴信は志賀城の包囲を開始した。
7月25日 金堀衆が城の水の手を断った。
     志賀城は窮地に陥った。

 関東管領:上杉憲政は志賀城救援の軍勢の派遣を決めた。

 上杉憲政は重臣:長野業正の諫言を無視して、倉賀野党16騎
 を先陣に金井秀景を大将とする西上野衆の大軍を派遣した。
(★『関八州古戦録』→大河ドラマ「風林火山」)
長野業正
 「北条氏康のほか、武田晴信まで敵にすることはできない。」
と、出陣しなかった。
 (★大河ドラマ「風林火山」)
※エピソード
 金井秀景の先陣はくじ引きで決まった。

関東管領軍は東山道の入山峠(バス事故現場と軽井沢プリンスス
キー場山頂の間)を越えて信濃へ入った。
★一般的に碓氷峠とあるが、当時の碓氷峠は軽井沢に入る碓氷バ
イパスの道ではない。
碓氷峠の戦いや笛吹峠の戦いという言い方で書いてある本もある

武田晴信は志賀城を包囲中であったが、重臣:板垣信方、甘利虎泰
(ピンチの甘利経済復興大臣先祖)に別動隊を編成させて迎撃に向
かわせた。

8月6日 小田井原で合戦
 甲斐守護武田晴信 VS  関東管領上杉憲政

板垣、甘利率いる武田軍は関東管領軍を一方的に撃破して敵将
 14、5人、兵3000を討ち取る大勝利を収めた。

武田軍は討ち取った敵兵3000の首級を志賀城の目前に並べて晒
して威嚇した。
担当者は山本勘助だった。
(★大河ドラマ「風林火山」)

志賀城では救援の望みが全く立たれた城兵の士気は大きく衰えた。

8月10日、武田軍は総攻めをしかけた。
 外曲輪、二の曲輪が焼き落とした。

8月11日、武田軍は本曲輪を攻めた。
  城主笠原清繁と高田憲頼は討ち取られ落城した。

武田晴信の敵兵への処置は厳しかった。
捕虜となった城兵は奴隷労働者とされ、女子供は売り払われた。
戦国時代の合戦では捕虜は報酬として将兵に分け与えられた。
金銭で親族に身請けさせることが行われたが、捕虜の値段は非常
に高額で身請けができず、ほとんどが人買いに売買されたという。
武田信玄の部隊の後続には、奴隷商人が付いてきていたという。

※エピソード
 笠原清繁の夫人は小山田信有に与えられ妾とされた。
悲運に涙に暮れた笠原清繁夫人の哀話が残されている。
(★『甲斐国志』)
 小山田信有(小山田信茂の父:岩殿城主)がお金で買った。
(★大河ドラマ「風林火山」)

志賀城を落とした武田氏は佐久郡の制圧を完了した。
また、大井貞清の没落は傘下にあった上野国現南牧村の
市河氏(砥沢城など16城ほど支配)の武田氏への服属
につながり、後年の余地峠・田口峠→南牧村→下仁田
内山峠→西牧→旧妙義町(高田氏)
 からの武田晴信の上野進出の布石になった。


◆武田信玄の上野侵攻===================
・長享元年(1487) 安中忠親が松井田西城を築城した。
  松井田西城:松井田城の北西端:現補陀寺〜金剛寺

武田信玄は、勢いに乗って碓氷峠を越えて、上野に乱入。
東山道の坂本に拠点を築いて、上野勢と対峙した。
★おそらく、武田晴信が築いた臨時の砦=陣城が、坂本城
では、ないかと思われる。武田信玄は碓氷城=愛宕山城
も築城したのではないだろうか。碓氷城は江戸時代の中仙
道沿いにある。東山道は1本でないので、・・・不明。
碓氷川を挟んで南が坂本城で、北は愛宕山城である。
関東管領:上杉憲政軍はおそらく、松枝城=松井田城
で待機したのであろう。

★松枝城から坂本城を攻めようとすると、虚空蔵山が
あり、その先に碓氷川の深い渓谷がある。川を越えても
急峻な細尾根がある。つまり、城山=坂本城の北が切り
立った崖斜面になっていている
松井田城から直接の攻城は結構、無理がある。

・天文16年(1547) 
※武田信玄が碓氷峠を越えて、
愛宕山城に駐留させていた浅利・小宮山らが、、松井田
 (松枝)衆と競り合い、松井田衆は32人討ち取られた。
(★『甲陽軍鑑』)

 松井田城はこのときすでに存在し、松井田を本拠と
 する数百人からなる武士団があったと考えられる。
 (★ウキペディアでは)
 
もちろん、松井田城主は安中忠政である。
 一般的に松井田城と皆さんが書いているが・・・
松枝城=松井田西城:現松井田補陀寺〜金剛寺である。

※黒田基樹著では、関東享禄の乱
・享禄2年(1529)〜享禄4年(1531)
古河公方第4代:足利晴氏+第2代公方:足利政氏
上杉憲寛+長野業正・父:長野方業?+高田憲顕(高田城)
  VS
古河公方第3代:足利高基
上杉憲政+安中宮内少輔?+小幡顕高?(上野国峰城/甘楽町)
藤田業繁+用土業国+成田親泰
里見義豊(安房国)+上杉朝興(武蔵国)

※黒田説・・長野憲業→養子:長野方業→実子:長野業正説
※飯森説・・長野憲業→長野方業=長野業正説
箕輪長野方業?が敗れた。
上杉憲寛方のは許された。
@長野方業の後継者とみられる長野業正の娘を小幡憲重に嫁がせた。
A箕輪長野方業の養女:沼田顕泰の娘を安中重繁(★=安中忠政)
 (長野業正の母が沼田顕泰のもう一人の娘)
B安中重繁の娘を高田繁頼に嫁がせた。

★18号の碓氷峠はこの時代は使用している可能性が少ない。
もちろん、東山道は1本ではないだろうが、
仮に東山道だとしても、中仙道以前の道であり、
馬が通るには困難な道ように思える。特に、
覗きや馬の背は・・・。従って、入山峠〜坂本に

武田晴信は坂本城・愛宕山城から撤兵し、中信の村上
義清を叩くことにした。せっかく取った佐久が村上義
清に狙われたからである。

★武田信玄の坂本城の在城期間は約6ヶ月と考えられる。
僅か半年の存在なので、甲陽軍艦や高白斎記に残らな
かったのであろう?
小県郡に勢力圏を持つ北信濃:村上義清との抗争に突入した。

・天文17年(1548)2月 上田原の戦い
武田晴信 VS 村上義清
重臣の板垣信方、甘利虎泰が戦死した。
大敗を喫した。

・天文18年(1549)「三尾寺合戦」
安中忠政など VS 武田信玄
安中忠政を大将とする上州九頭の諸将が武田勢と戦った
 というが、その場所も詳細も不明である。
(★甲陽軍艦)

・天文19年(1550)3月 武田信玄が松井田城を攻撃。
松井田西城である。・・・
    (★『上野志』

・弘治3年(1557) 瓶尻の合戦。
松井田の人見・・磯部温泉の西隣
長野業正 VS 武田信玄

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