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zoom RSS 箕輪初心:生方▲真田丸24【高崎→18号→上信越道の真田ゆかりの城】

<<   作成日時 : 2016/01/27 08:30   >>

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真田氏の関係する城は群馬の沼田〜吾妻〜長野:真田の郷&上田
&松代だけではない。東山道〜北国街道にも真田ゆかりの城が多い。
今日は、【高崎→18号→安中バイパス→松井田】&【松井田IC→上
信越道の佐久・小諸・東御・千曲・長野・中野】付近の「真田丸」と真田
氏ゆかりの代表的な城:43城を紹介してゆこうと思う。真田はあまり
好きではないけど、妙高スキーのついでに、まとめてみた。関わった
城は約300城〜400城はあるばろうな?
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 (★砥石城祭り)




◆訪問日・・・平成28年(2016)1月23日
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【1】 【真田ゆかりの地:高崎〜国道18号〜松井田】

●高崎市箕郷町
0)箕輪城・・・★真田氏と箕輪城は因縁が深い。
 ・永禄10年(1570)3月8日〜10月真田幸隆は箕輪城代であ
  った。金丸虎義・・・曽根昌世など。
   大井・伴野は箕輪城城番から高崎根小屋城の城代へ
・天正18年(1590)真田昌幸&信幸&信繁は北条氏:箕輪城の
開城に行った。豊臣秀吉から、箕輪城の戦後処理の指示を
仰いだ。
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箕輪初心:生方▲箕輪城183真田丸1【真田幸綱・昌幸・幸繁
と箕輪城との関わり】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_3.html
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●旧高崎
箕輪城〜和田の地(高崎)〜鎌倉古道上道〜八幡〜板鼻〜
 安中〜松枝(松井田)〜入山峠(碓氷峠)への道である。
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箕輪初心●高崎の城一覧「154城」復刻版
http://53922401.at.webry.info/201410/article_16.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201410/article_16.html
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1)和田城→高崎城
・天文年間 和田業繁は長野業正の娘を娶った。
・永禄年間 和田業繁は跡部勝資の子息:和田信業を養子にした。
・天正10年(1532) 武田氏滅亡。
北条氏→織田氏(滝川一益)・・・
 神流川の戦い・・・滝川一益の敗戦。
 真田昌幸&信幸?&幸繁、和田信業、倉賀野景秀、木部高成は
 松井田城:津田小平治政秀(妻は滝川一益の娘)により、
 入山峠から下諏訪に行った。
和田信業は北条氏直家臣になった。
・天正18年(1590) 7月5日 北条氏滅亡。
 和田信業、倉賀野景秀、木部高成は北条氏直に従って、高野山
に行った。
和田城は・・・廃城状態
8月 、箕輪城に井伊直政が入城し、和田の地は井伊の支配。
・慶応元年(1598) 井伊直政が高崎城を築城した。



●安中市
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箕輪初心●群馬:旧安中の城【山崎26城<井上35城】
http://53922401.at.webry.info/201211/article_11.html
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2)板鼻城
・永正年間  上杉顕定の館があった。
       依田徳昌軒が屋敷を構えた。
・享禄年間?板鼻城も築かれた。
依田氏も長野業正の親戚となった。
・永禄年間    武田信玄の支配下
・天正12年(1582) 武田支配→滝川支配→北条支配

3)安中城
・永禄2年(1559)  安中忠成が築城?(伝)
・永禄6年(1563) 安中忠成が武田晴信に臣従。
・永禄9年(1566) 築城説あり。
   甘利経済厚生大臣の先祖:甘利昌忠の娘(妹説あり)と
   安中忠成(安中景繁)結婚(2号さん)した。
   利さん、大丈夫かな?

4)榎下城・・・・★安中忠成の築城
  ★真田幸隆は吾妻侵攻に際して、甘利昌忠と約10年
  ほとんど一緒に行動しているので、安中氏とも関係が
  深い。永禄10年〜安中氏は甘利氏の所属になった。

5)柳瀬城・・・・★安中忠成の築城

6)八幡陣城
・永禄年間 武田信玄が松井田城&安中城の
分断のために着陣。

7)磯部城 
  永禄年間 武田信玄が松井田城&安中城の
分断のために拡張工事した城
 
8)松井田城
・永正〜天文年間? 築城
・天正3年(1575)長篠の戦い・・・安中忠政・忠成が戦死。
 安中氏一族一家&家来全滅→廃城。            
・天正10年(1582)

3月 武田氏滅亡後、滝川一益家臣:津田小平次政秀
  (一益の娘婿・織田一族)が松井田城に入った。

  6月2日 織田氏滅亡後、
 6月19日  神流川の戦い 
     滝川VS 北条氏邦
       滝川一益の敗戦・・・
   ★真田昌幸&幸繁も寄った。 
 9月 北条氏康の重臣:大導寺政繁は松井田城に入城。     
・天正18年(1590)豊臣氏北条攻め
真田昌幸・真田信幸・真田幸繁が愛宕山城に入った。
真田一族 VS 大導寺政繁
霧積川付近で対戦した。
真田は簡単に打ち破った。
   大導寺政繁の兵力1500(★毛利家文書)

  北国軍の前田氏・上杉氏に35000人に迫られ落城。
真田昌幸が松井田城に入場。・・
真田昌幸・真田信幸・真田幸繁は大導寺政繁の案内で
箕輪城を行った。無血開城・・・
垪和伯耆守康忠&保科正直から受け取った。
★4説有るが・・・
真田昌幸が豊臣秀吉に手紙を書いた。
豊臣秀吉から返事が来た。
「・・・箕輪城の戦後処理をせよ。・・・。」



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◆◆ 箕輪初心★安中忠政&安中忠成 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_10.html
★安中忠政=安中重繁
★安中忠成=安中景繁
箕輪初心●安中忠政=重繁=春綱&安中忠成=景繁=広盛
http://53922401.at.webry.info/201211/article_10.html

箕輪初心●群馬:旧安中の城【山崎26城<井上35城】
http://53922401.at.webry.info/201211/article_11.html

箕輪初心●安中一族の城【原市城→榎下城→松井田城→安中城】
http://53922401.at.webry.info/201211/article_13.html

箕輪初心●群馬【安中城】=安中一族→井伊一族・・・板倉一族
http://53922401.at.webry.info/201211/article_12.html

箕輪初心●群馬【松井田城】=安中忠政→大導寺政繁の城
http://53922401.at.webry.info/201112/article_2.html

箕輪初心:生方▲箕輪城170【黒田基樹説を加味した長野氏の系譜】
http://53922401.at.webry.info/201510/article_2.html

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◆戦国時代
・享禄年間
 *箕輪城長野業政は沼田城:沼田顕泰の女:松尾姫を
  安中忠政(重繁)に媒酌。
(★2013年頃、真田丸の時代考証:黒田基樹先生も
  この説を強調している:中世の西上州:安中)
 *長野業政の女を安中忠政の子:忠成の女婿に。
  (★安中市誌)
 
※近藤義雄先生は、娘婿に安中忠政はいない説であるが、
 長野業政の系図16のうち、安中忠政に嫁いた女もいる。
★私見・・・絶対、地理的戦略上の都合で関係がある。
・弘治年間頃    武田信玄が西上野に侵攻。
 ★真田幸綱(幸隆)も参戦。

・永禄2年(1559)  安中忠成が安中城を築城?(伝) 
          安中城の忠成は松井田城に移り、警護。
          安中越前守忠政は長野業政の娘婿で
          信玄の野望を側面から脅かす目的で
          安中城を築城。

・永禄6年(1563)  箕輪城の前線基地だが、
   息子安中忠成は武田の支配下。(ここで、説が分かれる。)
   甘利信景(昌忠)、原隼人、小幡信定等の武田軍に攻撃
      →安中左近忠成は善戦空しく降伏開城。
   武田信玄は安中左近を戦振りと降伏の潔さから
    武田家臣団に加え、城代として安中城に留城。

・永禄7年(1564)安中城主:安中忠成は武田氏に降伏。
    父忠政は松井田城に籠って防戦したが力尽きて開城。
    父忠政は自刃または切腹を申し渡されたが、
    嫡子忠成は所領を安堵され安中城主。

・永禄8年(1565)  武田氏の箕輪城攻略に35000人

・永禄9年(1566)  安中城はすぐ降参→武田氏の支配下。
     (安中城及び松井田城の落城は永禄9年説も有る。)
    
 ・安中左近忠成は武田家の重臣:甘利信景の妹と
      結婚し、重用された説もある。
     
★安中忠成→安中景繁と改名?
 ※安中教育委員会での見解は
  安中忠成=景繁=広盛は同一人物である。
   (★黒田基樹)

・天正3年(1575) 5月21日(6月29日) 長篠の戦い
三河国長篠城(現愛知県新城市長篠)をめぐり、織田信長
・徳川家康連合軍3万8000 VS 武田勝頼軍1万5000との
間で勃発した戦い。
甘利昌忠が戦死。・・・安中氏は甘利隊。
安中景繁(忠成)の安中一族壊滅。
 甘利晴吉(昌忠)の娘婿
 ★安中城は後に井伊直政長男:井伊直孝入城。
安中景繁(忠成)の家老:松本重友
 松本丹後守吉久が戦死した(伝)。 
 ★上野国安中の天王山城(ふるさと学習館の裏山)
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真田信綱・昌輝兄弟も討ち死。
※父:真田初代の真田幸綱=幸隆の長男・次男。
 3男は武藤喜兵衛=真田昌幸である。
★墓は長野県上田市の信綱寺
真田幸隆第一家老:鎌原重澄も戦死。
  ★上野国吾妻郡嬬恋村の鎌原城
真田幸隆第二家老:根津元直も戦死。
  ★信濃国祢津下城・上城
真田幸隆重臣:富澤□□も戦死。
  ★上野国東吾妻町岩下城
武藤喜兵衛(真田昌幸)は武田勝頼のそばにいて
 死ななかった。後、真田家を継ぐことになり、真田昌幸と
なった。
 
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箕輪初心◎長篠の戦い後編:設楽原の激闘&上野国関係者
http://53922401.at.webry.info/201211/article_27.html



【2】 【上信越自動車道の城】
●松井田ICから高速に乗った。
愛宕山城と坂本城&虚空蔵山狼煙台が曲がりカーブの先に
見える。

9) 愛宕山城
 ・天文年間・弘治年間、真田幸綱は入った。
 ・天正18年(1590) 真田昌幸&幸綱が入城した。
★近日、掲載予定。

10)坂本城&虚空蔵山狼煙台
★近日、掲載予定。



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・天文16年(1547)・閏7月から8月 小田井原の戦い
(長野県佐久市)
武田晴信(=信玄)の佐久の志賀城攻撃開始。 
志賀城主:笠原清繁の関東管領:上杉憲政への援軍要請
関東管領:上杉憲政は志賀城救援の軍勢を派遣。
※長野業政は参加せず。
東山道の入山峠(軽井沢プリンススキー場)を越えて
信濃へ入った。
 

甲斐守護武田晴信 VS 関東管領上杉憲政
武田晴信は板垣信方を迎撃に派遣。
両軍は小田井原にて合戦に及んだ。
小田井原(長野県東御市)で武田軍に迎撃され敗走。
武田軍の圧倒的勝利。
志賀城は落城。
武田信玄は佐久郡の制圧を完了する。
武田信玄は、勢いに乗って碓氷峠を越えて、上野に乱入。
東山道の坂本に拠点を築いて、上野勢と対峙した。
★おそらく、武田晴信が築いた臨時の砦=陣城が、坂本城
では、ないかと思われる。武田信玄は碓氷城=愛宕山城
も築城したのではないだろうか。碓氷城は中仙道沿いに
ある。でも、1605年の建設である。

★碓氷川を挟んで南が坂本城で、北は愛宕山城である。
関東管領:上杉憲政軍はおそらく、松枝城=松井田城
で待機したのであろう。

★松枝城から坂本城を攻めようとすると、虚空蔵山が
あり、その先に碓氷川の深い渓谷がある。川を越えても
急峻な細尾根がある。つまり、城山=坂本城の北が切り
立った崖斜面になっていている
松井田城から直接の攻城は結構、無理がある。

・天文16年(1547) 
※武田信玄が碓氷峠を越えて、
 愛宕山城に駐留させていた浅利・小宮山らが、、松井田
 (松枝)衆と競り合い、松井田衆は32人討ち取られ
 たとある。(★『甲陽軍鑑』)

 松井田城はこのときすでに存在し、松井田を本拠と
 する数百人からなる武士団があった
 と考えられる。
 (★ウキペディア)
 
もちろん、松井田城主は安中忠政である。
★碓氷峠はこの時代は使用している可能性が少ない。
もちろん、東山道は1本ではないだろうが、
仮に東山道だとしても、中仙道以前の道であり、
馬が通るには困難な道ように思える。特に、
覗きや馬の背は・・・。

武田晴信は坂本城・愛宕山城から撤兵し、中信の村上
義清を叩くことにした。せっかく取った佐久が村上義
清に狙われたからである。

・天文17年(1548)2月 上田原の戦い
武田晴信 VS 村上義清

★武田信玄の坂本城の在城期間は約6ヶ月と考えられる。
僅か半年の存在なので、甲陽軍艦や高白斎記に残らな
かったのであろう?
「天文十八年(西暦1549年/皇紀2209年)三尾寺合戦、
翌十九年(西暦1550年/皇紀2210年)の松井田城防衛戦、
弘治三年(西暦1557年/皇紀2217年)の瓶尻合戦等。
また、北條氏に対しては長尾景虎の平井城攻略に参加。
(★不明)

・天文18年(1549)「三尾寺合戦」「三寺尾合戦」
安中忠政など VS 武田信玄
安中忠政を大将とする上州九頭の諸将が武田勢と戦った
 というが、その場所も詳細も不明である。
(★甲陽軍艦)

・天文19年(1550)3月 武田信玄が松井田城を攻撃。
    (★『上野志』






●長野県=================
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●佐久市
11)平尾城:佐久パラダの城・・・関越のSA右の山。
天文年間・・・真田幸隆も攻撃参加。

12)志賀城&笠原城・・・東の5つ目の山
・天文16年(1548)
 ※武田の志賀城(笠原新三郎)攻め。
     真田幸隆が謀略により活躍。
3000人のさらし首を見せて、脅した。
 ★風林火山では、山本勘助が晒し、笠原清繁の妻を
小山田信茂が買った。・・・武田隊の後には奴隷商人の
隊がいた。

13)内山城
・天文15年(1547)
 ※武田の佐久内山城(大井貞清)攻め。
  真田幸隆は大井貞清の命乞いをした。
   真田幸隆が大井貞清を助けた。
(★後、大井貞清・伴野助十郎は箕輪城城番→高崎根小屋城城代)

14)小田井城
天文年間・・・真田幸隆も攻撃参加


碓氷峠(笛吹峠)の戦い
★実際は小田井での合戦。
 上杉憲政 VS 武田晴信
天文年間・・・真田幸隆も攻撃参加


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*天文10年(1541) 5月 海野平合戦
 勢力拡大をもくろむ村上義清は甲斐の武田信虎と
   諏訪頼重と同盟。
武田信虎・諏訪頼重・村上義清らの攻撃。

甲斐の武田信虎(信玄父)+奥信濃の村上義清
VS
 中信濃の諏訪頼重と海野平滋野諸族(海野・望月・禰津・矢沢)
→滋野諸族の敗退。
 
@禰津氏は武田信虎に降伏。・・・
  禰津(地元では:ねつ)元直は禰津政直の妹を武田信玄
  の妾として差し出した。
  娘:禰津姫が信玄の妾2号説もある。
  後に、武田信玄家臣
A望月氏は諏訪氏に降伏。
B海野氏(海野棟綱・真田幸綱)は、村上義清らに挟み撃ち
   にされ、敗北。
 ※海野幸義(棟綱の子)の墓・・・上田市蒼久保
C海野棟綱、真田幸綱父子?は上野国吾妻郡羽尾に逃亡。
 真田信綱は5歳だった。
 →上野の吾妻:羽根尾に逃亡。信濃海野氏は没落。
 海野棟綱(幸隆の父説・幸隆妻の父説・幸隆の養父説)
 ・真田幸隆は村上義清・武田信虎に追われ羽根尾城へ  
       (「真田三代」)
 羽尾幸全の娘を娶った。実質次男:清鏡?を産んだ。
●真田幸隆(幸綱)&海野棟綱は羽尾幸全の妻の父:長野業正
 を頼って、箕輪城に行った。長野業正の紹介で、平井城の
関東管領:上杉憲政に応援を頼みに行った。上杉憲政は
長野業正を大将として、海野の領土・真田の領土の奪還を
指示した。
 真田幸隆(幸綱)&海野棟綱も同行した?
長野業正は佐久で諏訪頼重と和睦して、支配下の国衆を解放
した。しかし、帰ってしまった。真田が武田につく遠因となった。
(★真田丸の時代考証:黒田基樹氏)

  
*村上義清は海野平を支配下。
D矢沢氏(幸隆弟頼綱)は村上義清の家臣へ・・
   侍大将で100人の家来がいた。(後、砥石城の間者)

・武田晴信が父:信虎が追放
      →武田氏と村上氏の同盟関係は終焉。
・村上義清は信虎追放事件に乗じて佐久方面への侵攻を
  目論んだ。
・武田の信濃の佐久侵攻
・村上義清は信濃東部へ進出した甲斐の武田信玄と敵対。


真田幸隆は3年間、箕輪城に客人として逗留した。

*天文13年(1544)真田幸隆は武田に臣従。
(天文12年説あり)
   海野棟綱の消息が途絶える。

*天文15年(1547)
 ※武田の佐久内山城(大井貞清)攻め。
   真田幸隆が大井貞清を助命。
(★後、大井貞清は箕輪城城番→高崎根小屋城城代)

*天文16年(1548)
 ※武田の志賀城(笠原新三郎)攻め。
     真田幸隆が謀略により活躍

(★NHK大河ドラマ『風林火山』では山本勘助が活躍)

※上田原の戦い
武田晴信 VS 村上義清
   真田幸隆は謀略で活躍。
   →武田晴信は村上義清に敗戦。
   家老・板垣信方、甘利虎泰・初鹿野伝右衛門、才間河内ら
   が戦死した。
   武田晴信も負傷。・・・温泉療養

*天文18年(1549)4月 真田幸隆は同族の望月一族、海野一族を
   武田家臣に推挙した。

*天文19年(1550)戸石崩れ。
  真田幸隆は謀略で村上義清の将:清野・須原を味方にする。
  →村上義清に反撃され、横田高松ら千兵余が死亡。

*天文20年(1551)
5月 真田幸隆は村上義清の有力武将:高梨政頼を切り離した。
   砥石城隣の矢沢城:矢沢頼綱(幸隆弟)が村上義清の侍大
   将でいたので、真田幸隆が内通し、内側から開城させた。
   1日で戸石城を攻略。
         
   1000貫の領地を賜り、小県を回復した。

*天文22年(1553)
 8月 3男:真田昌幸(→武藤昌幸→真田二代目)を武田晴信
   に人質として送り、350貫の領地を獲得。

*弘治2 年(1556)
  8月 真田幸隆は雨飾城(尼飾城)を攻め落とし、
     城代となった。
(★現地看板では春日弾正支配下。)


〜〜〜後略〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



●小諸市
15)小諸城
・天文23年(1554) 築城。馬場信房・山本勘助縄張り説
  小諸城主は武田家親族衆:武田信豊説
  (真田丸時代考証:黒田基樹は確実な記録はない。)
・永禄年間 甘利昌忠が城代。
・天正年間 御一門衆:下曾根浄喜が城代を務めていた。
・天正10年(1582) 3月 武田氏滅亡。
  下曾根浄喜は小諸城に逃れてきた武田信豊を打ち取り首を
  織田信長に進上したが、下曾根浄喜も誅殺されたという。
  上野国と信濃佐久郡・小県郡は織田信長の命で家臣の滝川
  一益が領した。城代は道家正栄が務めた。
 6月2日 本能寺の変により織田信長が死亡。
 6月19日 神流川の戦い
  滝川一益は後北条氏とので敗退した。
  滝川一益は箕輪城(高崎市箕郷町)で、内藤昌月・
  真田昌幸らと宴会(別れの宴会)した。
真田昌幸&真田信幸?&真田信繁、和田信業・倉賀野景秀・
木部高成らと一緒に箕輪城から旅立った。

  後、松井田城に行き、入山峠(碓氷峠?という説が全てだが)
  を越えた。

6月21日 小諸城へ入城した。
   佐久郡春日山城・芦田城の国衆:依田信蕃(よだのぶしげ)
  が小諸城に来た。滝川一益と面会した。小諸城を返した?
捨てた?・・小諸城主は徳川家康家臣:依田信蕃(望月の
春日城主・芦田城主)となった。
  その後、滝川一益は木曽郡の木曽義昌とも交渉した。

真田昌幸は信州佐久郡に真田信幸、禰津元直、矢沢頼綱の兵を
 率いさせて滝川一益の撤退軍を援護させた。
 滝川一益は真田昌幸の厚意に感謝したという説もある。
6月21日 沼田城攻撃を矢沢頼綱にさせ、奪還させたので
 微妙であるが・・・。


6月27日 小諸城を退去して小諸→下諏訪に行った。
真田昌幸&真田信幸&真田信繁は下諏訪で分かれたらしい。
  (★中之条町誌:唐沢定一先生・「真田、昌幸」:芝辻俊六著)
  和田信業・倉賀野景秀・木部高成らと一緒に木曽まで行った。
ここで、上野の旧武田家臣と別れた。
  滝川一益は木曽を通過して尾張:蟹江城→伊勢:長島城に
  帰還した。これにより、清洲会議に遅刻した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

●東御市
16)滋野・・・海野城(白鳥城)
真田幸綱(幸隆)の先祖の地・・・



17)禰津下城
★東部湯の丸SAの北東の富士山のような城
・ 天文10年(1541) 海野平の戦い
  滋野系海野・禰津・望月&真田幸隆は武田信虎・村上義清
  ・諏訪頼重の小県侵攻に破れた。
  禰津政直は真田幸隆らとともに上野国吾妻郡に逃亡した。
  禰津元直は諏訪頼重を通じて知行を安堵された。
佐久の大井・望月も諏訪頼重の支配下になった。
海野棟綱・真田幸隆は上杉憲政を頼り、長野業正を
大将として佐久に侵攻した。
長野業正は諏訪頼重と同盟を結び、支配から解放された。
・天文11年(1542) 12月15日
禰津元直の娘が武田晴信に嫁ぎ、禰津御寮人と呼ばれた。
  (★『高白斎記』
諏訪頼重の娘:諏訪御料人が、一度、禰津氏の養女となって輿入れ
 した説もある。諏訪御料人=禰津御寮人は武田勝頼を生んだ。

・天文14年(1545) 真田幸隆の推薦で武田臣下となった。
  家督を嫡男:禰津政直に家督を譲った。
  諏訪攻め、戸石城攻略で功をたて、旧領を回復した。
武田晴信(信玄)の家臣となったこの年、。
禰津元直の娘が武田晴信に嫁いだ説・・有力説

・永禄3年(1560)真田幸隆に従い、吾妻に侵攻した。
・永禄4年(1561)禰津元直は岩櫃城攻略に加わった。
・永禄9年(1566)箕輪城攻撃に参加した。
永禄10年(1566) 3月8日〜10月
  真田幸隆とともに箕輪城代を勤めた。
  小鼻(高崎市小塙町)を与えられた。
禰津政直も箕輪城の在番を務めた。
・天正3年(1575) 長篠の戦い
禰津元直&孫:禰津信忠・根津月直が討死した。
 信濃の本領を弟:根津信忠の子:信光に譲って隠居した。

・天正10年(1582)
3月11日 武田氏滅亡。
 禰津政直は信濃の飯山城で守備した。
 菊姫の嫁ぎ先である上杉景勝へ援軍要請を行っていた。
 根津本家の根津信光=根津昌綱は真田昌幸と仲が悪かった。
 徳川家康に臣従していた。

8月 天正壬午の乱
  真田家が徳川家の配下に加わると、根津信光は北条氏直に
 寝返った。
  真田昌幸は禰津下城に攻めた。根津信光は降伏した。
以後は真田の家臣的な立場になった。

・天正11年(1583) 根津政直は徳川家康に臣従した。
  また、徳川家家臣になると禰津から根津に名字を変えた。

・天正13年(1583) 真田昌幸が上田城築城 
★徳川家康を利用
・・・詳細は後日」

・天正15年(1585) 第一次上田城の戦い
  根津信光は真田昌幸に臣従した。
※囲碁のエピソード
 上田城の戦いの際、攻め寄せる徳川勢をよそに、真田昌幸は
根津信光=根津昌綱と囲碁を打っていた(伝)
。※諸説あり。
以後は真田家臣として重用された。

・天正18年(1590) 徳川家康の関東移封。
  上野国の豊岡(高崎市豊岡町)に5000石の所領を得た。
 @信濃禰津は根津政直の家督は弟の子:根津信光が継いだ。
 A上野豊岡は根津政直の甥:根津信政が継いた。

【1】根津元直の子ども
根津勝直、根津政直、根津信忠
@長男:根津勝直
A次男:根津政直:根津松鴎軒:禰津一無斎政直
  禰津城主。真田氏と同じ一族である。
 武田氏滅亡後、真田昌幸の旗本となった。
※駿河城の徳川家康の手に鷹が留まっている。
根津政直=根津松鴎軒である。
平安時代からの鷹匠bPの家系で徳川家康の
鷹匠であった。
 子ども:根津月直
 ・天正3年(1575)嫡子:根津月直が長篠の戦いで討死。

B3男:根津信忠=根津美濃守信直
  妻は真田幸隆の娘。真田昌幸の義兄弟にあたる。
 真田家親族として早くから真田家に仕えている。
・永禄年間、岩櫃城合戦に参加。
 『真田三代記』では、真田信幸の重臣:禰津甚兵衛として
 登場しているではないかと思われる。
 子ども・・・真田信光で根津政直の本領を継いだ。

【2】根津信政の子ども・・・正妻は真田幸隆の妹
上野の豊岡を継いた根津政直の甥:根津信政。
@長男:根津七左衛門・・・根津伊予守
A次男:根津志摩守主水・・・岩櫃城志摩小屋
  岩櫃城祉平沢の志摩小屋の地名は、禰津志摩守の屋敷跡と
   伝わっている。
(★あざみの会会長:富沢朗氏)
  根津志摩守の室は真田信之の乳母:お局である。
つまり、真田信幸の乳兄弟である。
志摩守主水は、大阪の役で討ち死に。
B3男:根津甚平・・・上野豊岡を継いだ。




●上田市
画像

右に矢沢城(殿城)・天白城・真田本城・松尾古城が見える。
正面に、お蚕山の伊勢山城(虚空蔵山砦)の岩が見える。

18)矢沢城(殿城)城
 真田幸綱(幸隆)の弟:矢沢頼綱&・・
 真田丸んの矢沢三十郎綱幸父子の城
★後日、紹介。

19)天白城
誰の城か不明・・・岩を切り抜いた空堀は5m?
★後日、紹介。

20)真田本城



21)松尾古城
★後日、紹介。

22)お蚕山の伊勢山城(虚空蔵山砦)の岩が見える。


23)見張りの砦



●上田IC右に
24)米山城&戸石城&枡形城が1km先の右に見える
★後日、紹介。

25)上田城・・・★見えない。
・天文年間? 築城年代は不明。真田氏の外城として築城された?
・天文10年(1541)年)5月 海野平の戦い
村上義清が戸石城(砥石城)が小県郡・佐久郡方面の拠点として
 大改築した。
・天文19年(1550)8月 武田晴信の砥石城攻め
   再び村上義清に敗退する(砥石崩れ)。
   武田信玄が砥石城を含む真田幸綱(→幸隆)の旧本所:真田の郷
  の地を与えた。
・天文22年(1553) 武田晴信は砥石城の改修を命じ、真田幸綱は小山田
  虎満とともに城普請を行った。
・天正11年(1583)真田昌幸は巧みに徳川家康を利用して上田城を
造った。
真田昌幸は真田本城・真田氏館で寝泊まりしていた。
真田幸隆(☚幸綱)は詰め城:戸石城で生涯を閉じた。

・天正13年(1585)第一次上田合戦
   徳川家康 VS 真田昌幸
徳川勢は甲府から新府城を通過して上田城へ向かった。
 真田幸綱は上杉景勝家臣:海津城の須田満親と連携して徳川勢と戦った。

・慶長5年(1600) 関ヶ原の戦い:第2次上田合戦
  中山道を西へ進む東軍の徳川秀忠率いる軍勢に対して西軍に属した
  真田昌幸は上田城で迎撃し、秀忠は東軍に属していた真田信幸
 (信之)に砥石城攻めを命じた。対戦相手は真田幸繁であった。

  9月5日 戸石城を明け渡させた。
うまく、負けたふりをさせる真田昌幸の作戦だった。

26)出浦・・・★見えない。

27)室賀城・・★見えない。



●千曲
 トンネルを越えると村上義清のエリアに入る。

28)出浦城:上平城・・・★よく見える。
 千曲市坂城町市街地から千曲川を渡った西側に聳える円錐形の標高
 793mの岩井堂山が城址である。

29)荒砥城・・・★よく見える。
★後日、紹介。


30)葛山城・・・★高速の正面に竪堀が見える。
画像

 村上義清の本城・・・
最終的に上杉謙信の家臣になった。息子は謙信の養子に
 なり、糸魚川の根知城主となった。
★後日、紹介。

●葛山城の真下にトンネルがある。

●信濃平
右に妻女山・・・上杉謙信だあ?
左手前に森将軍塚古墳の先に屋代城・・・

31)屋代城
★後日、紹介。

32)左奥に茶臼山陣城・・・武田信玄じゃあ。
★後日、紹介。

●長野市方面・・・トンネル・・松代
画像



33)海津城→松代城
・海津城
 武田家臣:春日弾正
・天正10年(1582)
 織田家臣:森長可
 上杉家臣:須田満親・・・真田信繁が人質
・1622  真田信之が移封。松代城・・・
・明治まで


34)尼飾城
 東条氏・・・真田幸綱が初めて武田信玄に入城させてもらった
★後日、紹介。

35)大室城
★後日、紹介。

37)井上城・・・井上源氏
★後日、紹介。

38)長沼城


●中野市
画像

39)箱山城・・・真田丸:高梨内記の城

40)高梨氏館&鴨ヶ岳城
    真田と敵対している。
★後日、紹介。


●豊田IC

41)替佐城・・・武田信玄の最北端の城
★後日、紹介。

42)壁田城・・・替佐城に対抗するための上杉謙信の城
★後日、紹介。




●新潟県==================

43)野尻湖城・・・★宇佐見定満が築城。




【3】妙高杉の原スキー
05:30家
06:00 高崎
箕輪初心号・・・・箕輪初心・中ちゃん・磯部さん
09:30 3600円
〜〜〜10人

11本 
 
★三田原4kmレース・・7分11秒で優勝

 
  
12:00 昼食 カツカレー1100円

13:00 8本
 

16:30 KKR 温泉

18:00 夕食

10:30 就寝




【4】1月24日赤倉リゾートスキー


09:15 道の駅:あらい



11:00 赤倉リゾートスキー 2300円
長島氏・生田氏・堀越氏に合流

13:00 終了

18:40 家


★明日は、群馬:坂本城かな?

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