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zoom RSS 箕輪初心:生方▲館林【茂林寺3回目】&タヌキの話

<<   作成日時 : 2015/11/26 08:57   >>

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上毛かるたの『分福茶釜の茂林寺』。茂林寺は「分福茶釜」の
舞台となった寺である。応仁2年(1469)、青柳城主:赤井正光
(照光)は8万坪を寄進し堂宇を建立し、青龍山茂林寺と号し
た。寛永19年(1642)、3代将軍:徳川家光は23石4斗余の朱
印を下賜した。
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〜〜〜館林・明和・板倉〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心◆群馬:【館林城】&茂林寺&田中正造の墓
http://53922401.at.webry.info/201311/article_12.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201311/article_12.html

箕輪初心:生方▲群馬県明和町【シクラメン】&『水害の歴史』
http://53922401.at.webry.info/201511/article_21.html

箕輪初心:生方▲群馬県板倉町【うおとし】のナマズ料理&
『ナマズの話』
http://53922401.at.webry.info/201511/article_22.html

箕輪初心:生方▲群馬板倉町【雷電神社】&『雷と空っ風 義理人情
かかあ天下』の話
http://53922401.at.webry.info/201511/article_23.html

箕輪初心:生方▲『館林城2回目』5代将軍:徳川綱吉のいた城
http://53922401.at.webry.info/201511/article_24.html


●館林城
孝ちゃんが
「ここまで来たんなら、御朱印、貰いに行くべー。」
と言った。
4人中3人が御朱印帳を持っているのである。

●駐車場・・・4時になってしまった。

●参道の土産屋・・信楽焼のタヌキばっか、置いてある。

●マンホールがタヌキ
身体が茶釜になっている分福茶釜タヌキが描かれている。
 しかし、マンホールの趣味はない。マンホールばっか、ブログに
 掲載している人も数名見かけるが・・・

●山門
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そして門を通り抜けると〜〜〜〜
左にタヌキの行列・・・
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右にタヌキの行列・・・
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ずら〜っと立ち並ぶ巨大タヌキたちがお出迎えしてくれる。
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★毛氈曳けば、貴族かヤクザ様のお通りだーいってとこか?
タヌキ・・・信楽焼の焼き物は目立つ。
22体の狸像がある。

季節によって着せ替えが行われている。
★この前来た時は、赤い服だった?
 金太郎のような・・・?
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●鐘楼

●一番大きな狸・・・★大迫力
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睾丸部は1m・・・★立派立派。
 「 たん たん 狸の金玉は 風に 吹かれて
   ぶーらぶら・・・・」
 と餓鬼の頃を思い出した。


●可愛いタヌキと川柳
「八畳を 隠し狸の 座も夏野」
★ 「八畳」・・・『狸の金玉は八畳敷き』
「タヌキの金玉は広げると、八畳もの大きさになる。」
 という。金玉は睾丸である。
 股間に見えるのは隠嚢である。
 つまり、金玉と隠嚢→中身と入れ物の関係
 →お金と財布の関係ということになる。


●本堂・・・礼拝だけ
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 まーちゃんは
 「4時、過ぎたぜ。・・早く御朱印を貰おう。」
 
※宝物館に展示されている茶釜
 分福茶釜は一般参拝者も見学可能である。拝観は有料。
※「狸コレクション」と・・・日本各地の狸にまつわるグッズや
 狸の剥製が多くが展示されている。
 808狸コレクションがあるらしい。
今回は見られなくて残念だ。


●槇
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●庫裡
 時間ぎりぎり・・御朱印を書いてくださった。
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 ★ありがとうございました。

●境内の至る所に信楽焼の狸が配置されている。
可愛い狸もいるが・・・暗くなりつつあった。
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▼下山
 



◆◆ 茂林寺と狸の話 ◆◆
●古代
日本のタヌキは森羅万象を司るものとして神格化されていた。

●古墳時代
 仏教伝来により、神の使いであるキツネやヘビなど以外の動物は
 神格性を失い、妖怪とみなされた。

 ★古代中国の「九尾の狐」の伝説(ナルト疾風伝はこのパクリ)
 などの伝承の影響がある
が、ヘビ:白いアオダイショウなどは
 神の化身であるとされた。
 タヌキの場合は化けもの=妖怪になっていった。


●奈良時代
・推古天皇? 『日本書紀』
 「春二月陸奥有狢。化人以歌」
 意味・・『春2月、陸奥国に狢あり。人となりて歌をうたう。』
「貉(うじな)」は人を化かしたのではなく、人に化けた。
  中国では古くから現在でもタヌキのことを貉と表記
  している。
(★『日本書紀』の推古天皇:ウィキペディア)


●平安時代
・弘仁年間(810〜824)頃 「日本霊異記」
 @キツネに化かされる話がある。
 「美濃の男は狐を妻とした。狐は子を生んだ。しかし、狐が犬に
 吠えられて正体を明かす。・・・子どもは「岐都禰」と名づけら
 れた。また、その子の姓を「狐直」とつけた。この子は大変な
 力持ちで、足の速さも鳥の飛ぶようであった。」
 ※狐が人、女性に変化するというのは、中国から移入された。
A狸はタヌキなのかネコなのか、はっきりしていないが、
 膳広国(かしわでのひろくに)は生前に数多の罪を犯した父に
 冥土(めいど)=黄泉の国へ会いに行く話である。飢えた父は、
 動物に姿を変えて、現世に現れた。7月7日に大蛇、5月5日に
 狗犬(あかいぬ:子犬)、正月一日には狸(ネコ?タヌキ)とな
 り、膳広国の家を訪ねた。
 ※唐の仏教説話集「冥報記」に影響を受けていると言われている
 そうである。中国には神仙思想や五行思想など神秘的な世界があ
 る。
 ★宮崎駿の「もののけ姫」の話などもこのパクリであろう。


●鎌倉時代
・建保元年(1213)〜承久3年(1221)頃 『宇治拾遺物語』
夜、タヌキが普賢菩薩に化けて出たが、猟師が、弓を掴んで菩薩の
 胸めがけて矢を放った。と、山を揺るがす大きな叫び声が上がり、
 辺りは真っ暗になって、菩薩の姿が消えた。
 僧は泣いて男を責めたが、男は落ち着いて答えた。
「庵主様のように徳の高い方だけでなく、私のような罪人にまで仏
 が姿を現されるのはおかしいと思い、試したのです。本当の仏な
 らば、矢が当たるはずはありません。矢に当たって消えたからには、
 仏ではありません。」
 翌朝。庵の前から山の方に続く血の跡を追った男は、谷底に矢で
 胸を射られた大きなタヌキが死んでいるのを見つけた。

 
キツネとタヌキは何かに化ける、人を化かす、人に憑くなどの能力
 を持つものとして見なされた。

 『宇治拾遺物語』には仏教説話・世俗説話のほか、民間伝承として
 「わらしべ長者」や「雀の恩返し」や「こぶとりじいさん」などの
 説話が収められている。


●室町時代
応永33年(1426) 大林正通禅師が茂林寺を開山した。
  大林正通に従って、伊香保から館林に来た守鶴がいた。
  (★寺伝)
 ★守鶴は群馬県吾妻郡岩島の青竜寺にいたという伝説もある。



▲茂林寺のお伽話@「ぶんぶく茶釜」
『貧しい男が罠にかかったタヌキを見つけた。男は不憫に想い、
 タヌキを逃がしてやった。
 その夜のこと、タヌキは男の家に現れた。タヌキは
「助けてもらったお礼に茶釜に化けますので、自分を売って
 お金に換えてください。」
 と申し出た。
 次の日、男は和尚さんに茶釜を売った。和尚さんは寺に持ち帰って
 茶釜を水で満たし火に懸けた。タヌキは熱さに耐え切れず、半分元
 の姿に戻ってしまった。タヌキはそのままの姿で元の男の家に逃げ
 帰った。
 次にタヌキは、
 「綱渡りをする茶釜で見世物小屋を開いてはどうでしょう。」
 と、提案した。
  成功して男はお金持ちになり、タヌキも寂しい思いをしなくて
 済むようになったとさ。
 やがてタヌキは病気を患い、茶釜の姿のまま死んでしまった。
古道具屋は茶釜をお寺に運んで供養してもらった。
※茶釜は茂林寺に今も伝えられているという。』

〜〜〜〜という恩返しの話である。
※室町時代には「お伽話」が広まった。
 ★本来はキツネ・鶴などの恩返しをテーマにした説話である。


▲茂林寺の説話@「茂林寺の釜」伝説
元亀元年(1570) 7世:月舟正初の代に茂林寺で千人法会が催
 された際、大勢の来客を賄う湯釜が必要となった。すると、
 守鶴は一夜のうちにどこからか一つの茶釜を持ってきて、茶
 堂に備えた。この茶釜は不思議なことにいくら湯を汲んでも
 尽きることがなかった。
 守鶴は茶釜を福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と名付けた。
 この茶釜の湯で喉を潤す者は開運出世・寿命長久等、八つの功徳
 に授かると言われたという。
  その後、10世:天南正青の代に、守鶴は熟睡していて手足
 に毛が生え、尾が付いた狢(狸の説もある)の正体を現わして
 しまった。
  これ以上、寺にはいられないと悟った守鶴は、名残りを惜し
 み、人々に源平屋島の合戦と釈迦の説法の2場面を再現して見せた。
 人々が感涙にむせぶ中、守鶴は狢の姿となり、飛び去ってしまった。
※時は天正15年(1587)2月28日。
守鶴が寺にやってきてから161年の月日が経っていた。
(★茂林寺の伝説Hpより)
http://www7.plala.or.jp/morin/chagama.html 

この説話をもとにして、昔話の『分福茶釜』が創作された(伝)。


●戦国時代
タヌキの焼き物が茶道の道具として、焼成されていた。



●江戸時代初期
・白黒の絵本が制作されるようになった。
タヌキは昔話や民話でもそうであるように、人間をだます者、
人間を化かす者として描かれる。キツネ・タヌキ・ムジナを人間
 や地蔵や物に化けて人間を困らせるものとして描かれた。
 タヌキやキツネは化けるのが上手だとか・・人を騙すとか、
タヌキの「死んだふり」・・・猟銃の弾が当たってもいないのに
 死んだふりをして人間をはぐらかすことがある。
「狐七化け、狸八化け」といって、タヌキの方がキツネより
 が化け方が上手であるといわれた。
 
 しかし、次第にタヌキのイメージが甚だしく茶化されて伝えられるように
なった。
茶釜から顔や手足を出した狸の姿や傘を持って綱渡りをする姿が
デフォルメされた。
結果・・『かちかち山』『文福茶釜』など、タヌキはお馬鹿な動物として見
なされることが多くなった。


・寛政年間(1661〜1672)子ども向けの草双紙の赤本が印刷される
 ようになった。
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 (★無料画像)


●江戸時代中期
・元禄年間(1688〜1704)赤本が大量に木版印刷されるように
 なった。仮名草子は絵が主体となっていた読み物であった。
 草双紙の中の赤本が子供向けが主であった。
『桃太郎』・『さるかに合戦』・『舌切り雀』・『花咲か爺』などの
昔話や絵解き=余白に解説する1枚の絵であった。
赤本の作者は菱川師宣・近藤清春・鳥居清満・西村重長・奥村政信
などの浮世絵師であった。彼らは、本文も書いた。
菱川師宣画の赤本には、『兎の手柄』・『ばけきつね』・『亀万歳』・
『仙人づくし』などある。
次第に成人向けの絵本・合本・増えた。
仮名草子・草双紙の挿絵やから、後の浮世絵が生まれたのである。
艶本(エロ画像)や歌舞伎役者・力士のブロマイド風の絵も増えた。

 一方で、徳川吉宗は、徳川幕府を頂点とする武家社会の権力秩序
構造を安定維持するため、藩学や寺子屋の教育内容も儒教的な
道徳を取り入れるよう命令した。
 (★『六論衍義大意』)
目上の者に害をなす悪者は徹底的に罰せられなければならないと
 いう勧善懲悪の話が好まれるようになっていった。
五大昔話『さるかに』『花咲爺』『かちかち山』『舌切雀』『桃太郎』
 は質素倹約、勧善懲悪の物語である。
「桃太郎」は柊と鰯をお供にしているのが、今とちょっと違う。
「かちかち山」は、老婆を残虐に殺したタヌキを老爺に代わって
 ウサギが成敗する民話である。
ウサギは賢い知恵者、人間の味方として描かれた。
ウサギに懲らしめられる殺されるタヌキがおやげねえ=気の
毒すぎるのである。これも勧善懲悪主義の「あばれんぼう将軍」
結果である。「慶安の御触書」も百姓は2食で、米食っちゃだめ、
お茶飲んじゃダメとか、・・・酷い仕打ちである。えた・非人も急
激に増えた。(★身分制度書いちゃいけないのかな?)


A松浦静山の随筆『甲子夜話』の『化け狸』
※松浦静山は第9代藩主であった。
・文政4年(1821)11月の甲子の夜に執筆を開始した。
茂林寺には狸が化けたとされる茶釜が伝わっている。
 茂林寺にある茶釜は、応永年間(1394~1428) 住職であった守鶴
 が愛用した茶釜である。
 不思議な釜で、一度水を入れると、一昼夜汲み続けても水がな
 くならないという釜である。
 守鶴は僧侶の集まりがあるときはこの釜で茶を振舞っていた。
 ある時に、守鶴が昼寝をしている様子を別の僧が覗くと、なんと
 守鶴の股から狸の尾が生えていた。
 守鶴の正体は狸、それも数千年を生きた狸であり、インドで釈迦
 の説法を受け、中国を渡って日本へ来たのであった。
 不思議な茶釜も狸の術によるものであったのだ。
 正体を知られた守鶴は寺を去ることを決意した。
 最後の別れの日、守鶴は幻術によって源平合戦の屋島の戦いや釈迦
 の入滅を人々に見せたという。
(★松浦静山著『甲子夜話』)
===松浦静山の故郷=================
箕輪初心■長崎:平戸=異国情緒が残る街&グルメ
http://53922401.at.webry.info/201112/article_11.html

箕輪初心●長崎【平戸城】=昭和37年に完成した復興天守閣
http://53922401.at.webry.info/201112/article_10.html
★松浦史料博物館には戯作や黄表紙など卑俗な絵入り小説も
 多くあった。地球儀もあった。

●江戸時代末期
・浮世絵師で有名なのが歌川豊国・歌川国貞である。
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 (★東京国立博物館)

@歌川国芳・・・★東京でいつ見たのであろうか?
・「狸の川狩り」
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金玉袋を使って魚を捕まえる様子が描かれている。
・「狸の鴨狩り」
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・「狸の鯰狩り」
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・「狸の夕立」
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  金玉袋を広げて雨宿りをしている様子が描かれている。
女タヌキに金玉を貸してあげて、男タヌキは雨に濡れている。
  格好いい。哀愁がにじみ出ている。
★なんて便利な金玉袋なのだろう!
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 (赤本・・・無料画像より)
タヌキの浮世絵は可愛いいタヌキ&巨大なタヌキの金玉袋が
 デフォルメされ、江戸の人々に愛された。



A月岡芳年・・・歌川国芳の兄弟弟子
『新形三十六怪撰』の中の「茂林寺の文福茶釜」
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 (★無料画像より)
 上野国、茂林寺の和尚が古道具屋で古い茶釜を買った。茶釜は
頭や尻尾を出し狸のような姿で動き回って寺の小僧や和尚を驚かせ
た。このような奇怪な茶釜を買ったことを悔やんだ和尚は、茶釜を
鋳掛(いかけ)屋に売った。
 夜、寝ている鋳掛屋を頭、尻尾、足、狸の毛皮をつけた茶釜が起
こし、自分を丁重に扱うなら幸運をもたらしてあげようと約束した。
茶釜の提案で茶釜を見せ物にして国中を回ることになり、大評判
になった曲芸は大いに喜ばれ、鋳掛屋は金持ちになった。
 そこで鋳掛屋は見せ物をやめ、茶釜を休ませるため大金をつけて
元の寺に奉納し、茶釜は茂林寺で宝として飾られた。


・明治・大正時代
巌谷小波が茂林寺の寺伝をもとに、お伽噺=話「分福茶釜」として
出版され、茶釜から顔や手足を出して綱渡りする狸の姿が、広く世に
知られる事になった。
茂林寺の「ぶんぶく茶釜」巌谷小波作
ブンブクブンブク音がする
夜なかに何だか音がする
屑やもむくむく起きだして
のぞいて見たらおどろいた

   見れば狸にちがいない
   さては化けたなこいつめと
   うとうとしたらこれ待った
   わたしやわるさはいたしません

かわりにいろんな芸をして
お目にかけますこの通り
たたく尾太鼓腹つづみ
屑やもかんしんするばかり

   今もなだかい茂林寺の
   文福茶釜のおはなしは
   だれも知らないものはない
   だれも知らないものはない


●大正時代
・大正13年(1924) 野口雨情が千葉県木更津市を訪れた際、證誠寺
に伝わる「狸囃子伝説」を基に作詞を行い、児童雑誌「金の星」
に発表。翌年、中山晋平が曲を付けて児童雑誌「金の星」発表
 した。
『證誠寺狸囃子』野口雨情作詞・中山晋平作曲
證 證 證城寺
證城寺の庭は
ツ ツ 月夜だ
みんな 出て 來い來い來い
おいらの 友達ァ
ぽんぽこ ぽんの ぽん

負けるな 負けるな
和尚さんに 負けるな
來い 來い 來い
來い 來い 來い
みんな出て 來い來い來い

證 證 證城寺
證城寺の萩は
ツ ツ 月夜に 花盛り
己等は浮かれて
ぽんぽこ ぽんの ぽん (のすっぽんぽん)



●昭和時代
・昭和22年(1947) 『上毛かるた』が発行された。
『分福茶釜の茂林寺』・・・
群馬県の子どもは、読み札はよく知っているが、茂林寺がどこに
あるかは知らずにいる子どもも多いことだろう。
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・昭和35年(1965) 信楽焼の狸が人気を博し始めた。
信楽焼【狸庵】初代:藤原銕造氏が信楽焼の狸の基礎を作った。
京都清水焼の窯元で11歳からロクロをひいていた初代【狸庵】
藤原銕造氏は、ある月夜の晩、ポンポコポンと腹鼓に興じる狸を見た。
「不思議な大狸小狸が月光に照らされて、ポンポコと腹鼓を打ってい
たという夢のような狸だった。
親方から『何人に一人しか聞けぬ狸の腹鼓だ』と教えられ、それ以来
自分で小狸を飼い、観察した。その姿に魅せられた藤原銕造は、なんと
かその姿をやきもので再現しようとタヌキを作り始めた。 京都清水で
の修行を終えて、信楽に住みついてから工夫を重ねた。
・昭和35年(1935) 本格的に縁起物としての狸を作り出した。
大きな等身大のタヌキを次々と作った。
昭和26年(1951)年昭和天皇が全国巡幸をされた時、旗を持った狸が沿道
で歓迎をしたところ、天皇が
『をさなどき あつめしからになつかしも 信楽の狸をみれば』
と詠われ、一躍全国に広まった。
50年の歴史しかない。
(★信楽焼【狸庵】)
我が家の庭の石の上に置いてある。信楽の狸は、可愛いい。
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箕輪初心■滋賀bQ【信楽焼&湖東三山】
http://53922401.at.webry.info/201012/article_34.html



・昭和の終わり頃
日本漫画昔話『分福茶釜』ナレーション:常田富士男
『日本昔話』・・・『分福茶釜』のモデルとされている。
「ぼうや よい子だ ねんねしな〜〜〜〜。」
と歌が始まる。
「むか〜し、昔のことじゃった。 ある日のこと・・・」
和尚さんが古い茶釜を買ってきた。
お湯を沸かそうと火にかけたところ、茶釜が
「熱い。」
と悲鳴をあげた。
気味悪がった和尚さんは、古道具屋にただで譲った。

古道具屋は家に持って帰った。
古道具屋は茶釜がタヌキが化けたものだと知った。タヌキは
「元に戻れなくなってしまった。」
というので、古道具屋はタヌキの言われたままに見せ物小屋を
作ってやり、分福茶釜と銘打って見せ物をしてたくさんのお金
を稼いだ。
★よく見たもんだ。絵本も読んだもんだ。



●平成時代
『平成狸合戦ぽんぽこ』スタジオジブリ制作の劇場アニメ作品
・平成6年(1994)7月16日公開
原作・監督・脚本・・・高畑勲。
出演者・・・野々村真・石田ゆり子など
「開発が進む多摩ニュータウンを舞台に、狸が化学(ばけがく)を
 駆使して人間に対し抵抗を試みる様子を描いた作品である。


●現在
★信楽の狸が、縁起物なので店先に飾られている。
茂林寺にも八相縁喜のイラストが描かれている。
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信楽狸の八相縁喜・・・縁起の良い信楽焼きの狸
@笠・・ 思はざる悪事災難さけるため、用心常に身を守れ。
   ★用意周到、安心安全・用心深くしよう。
A目・・ 何事も前後左右に気を配り、正しく見ろ。
   ★正しく考え、判断し、実行しよう。
B顔・・ 世は広く互いに愛想よく暮し、真を以って務め。
  ★常に笑顔で愛想よく暮らし、真を尽くそう。
C徳利・・ 恵まれし飲食のみにこと足利て、徳はひそかにわれにつけん。
  ★飲食には困らない生活の上に、徳が持てるように努力しよう。
D通・・ 世渡りは信用が第一で、活動常に四通八達。
  ★信用を積み重ね、徳を積もう。商売繁盛。金は天下の回り物。
E腹・・ 物事は常に落ちつきさりながら、決断力の大胆をもて。
  ★太っ腹。金は出すべき所で出そう。大胆に生きよう。
F金袋・・ 金銭の宝は自由自在なる運用をなせ。
  ★大きく金運に恵まれますように。大きいことはいいことだ。
玉袋が大きいのは縁起担いでいる。袋が大きいというのは、
  金が自由になるという意味が含まれている。金を有効に使う
  べきなのである。
G尾・・・何事も終りは大きくしっかりせと
  ★身を立つるこそ真の幸福。


館林「分福茶釜の釜玉うどん」
 昔話「分福茶釜」にちなんだ館林うどんのメニューである。
 加盟店が趣向を凝らした釜玉うどんを提供している。
 入れ物=椀も狸で面白いらしい。





★明日は東京かな?

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Re:青柳城主:赤井正光、(照光)は8万坪を寄進し堂宇を建立し、青龍山(せいりゅうさん)茂林寺と号した。

かたや前橋では、青柳山談義堂院龍蔵寺(せいりゅうさんだんぎどういんりゅうぞうじ)。赤井氏から青柳を名のる者が出たとする説がある。その舘林から前橋へ来た青柳氏が青柳山(せいりゅうさん)と青龍山(せいりゅうさん)で字が違うが読みの同じ寺を建てたとしたら、なにか因果を感じるのは私だけであろうか? ひとりごとです 棟治
棟治
2016/05/27 21:48

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