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zoom RSS 箕輪初心:生方★『山名宗全の祖父:山名時義→父:時熙』&足利義満の陰謀

<<   作成日時 : 2015/11/13 11:27   >>

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★『応仁の乱』で有名な山名宗全の祖先は200年も群馬県高崎の
山名にいた。清和源氏系新田義重系山名義範は従五位下伊賀守にな
ったが、以降の山名氏は冴えなかった。南北時代に山名時氏が山名
(現高崎)から山陰・山陽に移住し、領地を拡大した。今日は、山
名時氏の3男:山名氏清&6男:時義系→時熙(ときひろ)扱う。
山名時熙の3男:山名持豊(宗全)に受け継ぐまでの過程をまと
めてみた。

画像

 (★山名時熙)



箕輪初心:生方★2015高崎『山名義範』に関わる疑問点&
久保田順一先生・山本隆志先生の研究
http://53922401.at.webry.info/201510/article_21.html

箕輪初心●群馬:高崎「山名義範館」=子孫は山名宗全
http://53922401.at.webry.info/201102/article_31.html

箕輪初心★「上野国:山名義範〜応仁の乱:山名宗全」
http://53922401.at.webry.info/201309/article_26.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_26.html

箕輪初心●兵庫『出石:有子山城』=山名一族の古城
http://53922401.at.webry.info/201304/article_20.html

箕輪初心:生方▲20151107久保田順一先生講演会
『上杉憲顕と南北朝の動乱』
http://53922401.at.webry.info/201511/article_8.html

箕輪初心:生方★20151017山本隆志先生講演会『山名義範の子孫:山名時氏』
http://53922401.at.webry.info/201511/article_9.html


★平成27年(2015)10月17日、群馬県榛東村出身の筑波大学名誉
教授:山本隆志先生の『山名宗全と山名八幡宮』というテーマの講演
会が高崎の山名八幡宮であった。帰りに『山名宗全』:山本隆志著
3500円を購入した。
南北朝の動乱では源氏系新田庶流の山名義範の子孫である山名時氏は
本家の南朝側:新田義貞側につかず、北朝側:足利尊氏についた。
足利幕府でも政府高官となった。室町幕府の四職の家柄で侍所頭人で
あった。足利義政の継承問題から発生した応仁の乱では、山名宗全
は西軍の総大将であった。ついには11カ国の守護をつとめて、
「六分一衆」(全国66カ国の6分の1を支配)などと呼ばれること
になるのだが、老いた山名時氏には息子や孫たちの世代の増長・慢
心が不安だったのかもしれない。


〜〜〜山名家系図〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
画像

 (鳥取県
【0】 山名政氏

  山名政氏子どもは山名時氏、山名兼義  


【1】山名時氏の子ども
・南北時代
山名時氏が新田義貞→足利高氏→弟:足利直義→直義養子:足利直冬
→足利尊氏と主人を変えながら、山名(現高崎)から山陰・山陽に移
住し、領地を拡大した。
1)長男:師義(師氏)・・・
・興国2年/暦応4年(1341)
  出雲の佐々木道誉系塩冶高貞を追討した。
・正平2年/貞和3年(1347) 楠木正行との戦闘に参加
赤坂城・千早城攻撃。
・観応の擾乱・・・足利尊氏ら北朝方に属した。
   父:足利直義ら南朝方に寝返った後も北朝に留まった。
・正平7年/文和元年(1352) 男山(岩清水)八幡の戦い
  足利尊氏の嫡男:義詮と共に南朝の男山を攻めている。
 しかし、若狭の知行問題でを佐々木道誉と不和・・
 南朝に帰順した。
 足利直義の養子:足利直冬を奉じて北朝方の赤松則祐と争い、中国
  地方における勢力拡大に務めた。
・貞和2年/正平18年(1363) 父:山名時氏が北朝に帰順した。
  丹後・伯耆の守護職を引き継いだ。
・応安4年/建徳2年(1371) 父:山名時氏父が死去。
  家督を継いだ。
・天授2年(1376) 山名師義死去。享年49。
  末弟:時義が後を継いだ。
 ※山名一族内紛の一因となっていった。
 また、伯耆に打吹山城を築き、山名時氏の統治時代の居城:田内城
 から移転した。
    @義幸→治部少輔→摂津守
      A氏之(伯耆守護家)→熙(ひろ)之→教之
      B満幸
2)次男:義理・・・・・・
  ・天授4年/永和4年(1378) 紀伊の橋本正督の討伐を成した。
      @義清→教清
3)3男:氏冬(因幡守護家)・・・・・・
・観応の擾乱・・・足利直義方に属した父:山名時氏に従い、
 播磨・美作などの守護:北朝方の赤松氏(子孫:吉井の奥平氏→長
 篠城主・・)と争い、山名氏の中国地方一帯における勢力拡大に務
 めた。
・貞治8年/正平18年(1363) 山名一族は北朝に帰順し山名氏冬は
  因幡の守護を任じられる。
・正平25年/応安3年(1370)1月5日死亡。
      @氏家→貴熙・・・・2人の山名宗全養女

4)4男:氏清・・・・・・★山名時氏の一番有能な人物かなあ?      
・応安4年/建徳2年(1371) 父:山名時氏父が死去。
  長兄・師年後に死去、氏清の弟時義が後を継いで山名氏の惣領
  となった。
  山名氏清は丹波を相続した。、
・天授2年(1376) 山名師義死去。享年49。
  末弟:時義が後を継いだ。
 ※山名一族内紛の一因となっていった。
・天授3年/永和3年(1377) 侍所頭人に任じられた。
・天授4年/永和4年(1378) 橋本正督討伐を成し遂げた。
  和泉守護にも任命された。
※しかし、惣領になれなかったことに不満を持ち、山名時義と常に
  対立した。
    @時清
    A女
    B女(山名宗全の母)
   ※別系図・・・義幸、氏之、義、満幸、
      娘(山名時熙室=山名宗全の母)
5男:義継・・・・・・
6男:時義(丹波守護家)・・・・・・
      @時熙→満時
           持熙
           女(休耕院宗興の妻)
           持豊=宗全
           女
           ひろ高
7男:時治・・・・・・
8男:氏頼・・・・・・
9男:氏重・・・・・・
10男:高義・・・・・
  @熙高(因幡守護家)→熙幸
(★系図は山本隆志著・鳥取市歴史博物館より編集)
山名時氏は南朝方の主力として戦った新田一族だったが、本家の
新田義貞には従わず足利尊氏に従った。その功により侍所頭人という
管領に継ぐ重職を務める四職家の一つとなった。


【2】 山名時義(山名宗全祖父)
・正平元年/貞和2年(1346) 山名時義が生まれた。
・文和3年/正平9年(1354)
12月 山名時氏・山名時義は斯波高経や桃井直常らと京都を
 占領したが、撤退した。
 その後は山陰において、播磨の赤松則祐とも戦った。

・正平17年/貞治元年(1362)
山名清氏は斯波氏や佐々木道誉らとの政争で失脚した。
 南朝に属して阿波へ渡った。
 3月 細川頼之は将軍:足利義詮から山名清氏討伐を命じられた。
 7月 讃岐へ移った山名清氏勢に対し、細川頼之は宇多津
  (香川県綾歌郡宇多津町)の兵を率いて白峰城で山名清氏を
   破った。山名清氏は戦死した。

・正平18年/貞治2年(1363) 父:山名時氏に従って九州の足利直冬
 や南朝と結んで室町幕府に反抗していた。
 幕府の大内氏や山名氏に対する帰順工作が行われた。
 父:山名時氏が幕府の誘いを受け山名時氏は領国の安堵を
 条件に足利直冬から離反した。
 8月 山名時氏の息子:山名氏冬と山名時義が上洛した。
  父の名代として2代将軍足利義詮に謁見し、美作守護
   に任じられた。
@山名時氏は伯耆・丹波守護。
A長男:山名師義は丹後守護。
B3男:山名氏冬は因幡守護。
C5男:山名時義は美作守護。(後に次男の義理に交代)
山名一族はは5ヶ国の守護となった。
 また、山名時氏は引付頭人にも任じられ幕政に参加した。

・正平21年/貞治5年(1366)山名時義は美作守護を次兄:義理に
  交替させられた。

・正平22年/貞治6年(1367)
  細川頼之がの直前、執事(管領)に就任した。
▲足利義詮の死亡。


応安4年(1371) 2月28日 山名時氏が死去。
・長兄:山名師義が惣領となった。
 6男:山名時義は伯耆守護を受け継いだ。
 4男:山名氏清は丹波国守護を継承し、和泉国の守護にもなった。

・文中元年/応安5年(1372)
   但馬に此隅山城を築城した。

・天授元年/永和元年(1375)
6男:山名時義は侍所頭人、小侍所別当に任じられた。

天授2年(1376) 山名師義死去。享年49。
 長兄:師義の弟:6男:山名時義が山名氏当主となった。
  伯耆守護に合わせて但馬守護職も継承した。


山名時義の相続には師義の子:山名満幸や4男:氏清が不満を持っ
た。山名師義の長男の義幸が早死にした。義幸の後を継いだ満幸は、
「自分こそ嫡系である。」と思い、叔父:時義に家督を奪われたこと
に不満を持っていたのだ。
〜〜〜〜後の山名氏における内紛の原因となった。

 
山名師義の死後、山名時氏の子ども(兄弟)の中で、勢力を持ったの
が、4男:山名氏清であった。

・天授5年/康暦元年(1379) 康暦の政変
細川頼之が紀伊の南朝征討に失敗した。
 足利義満は山名氏清らに軍勢を与えて討伐を行わせた。
 足利義満はさらに細川頼之と斯波や土岐頼康に対して兵を与えた。
 諸将は細川頼之の罷免を求めて京都へ兵を進め、斯波派に転じた
 京極高秀らも参加して将軍邸を包囲した。
 結果・・・細川頼之は足利義満から退去命令を受けて領国の四国へ
 落ちて行った。後任の管領には斯波義将が就任した。
 幕府人事も斯波派に改められた。
 斯波派は細川頼之の討伐を望んだが、足利義満が抑えた。

 山名時義は今川了俊に代わって備後守護に任じられた。

山名一族ははこの時点で全国66ヶ国の内11ヶ国も領有した。
 「六分の一殿」の通称を付けられる程の勢力を誇った。
 諸大名の中で最も勢力のある家だった。
逆に「六分の一殿」と羨望される一族にまでになったのだった。

・元中元年/至徳元年(1384) 侍所頭人に再任された。

・元中3年?./至徳3年(1386)
10月 将軍:足利義満は天橋立に遊ぶと称して、山名満幸が守護を
 している丹後を訪れた。
 それは、山名家に内紛を起こさせるのが目的だったのだ。


▲元中6年/康応元年(1389)6月 山名時義が死去。享年43。
 長男:山名時熙が跡を継いだ。
  山名時熙が但馬守護。
  山名師義の子(甥)氏之が伯耆守護。
  山名氏清は山名満幸と結託し、山名時煕と従兄弟:氏之の
  讒言をしたのだった。

 

【4】山名時熙
・康応元年/元中6年(1389) 山名時義(山名宗全祖父)が死去。
 山名時義の子:山名時熙が継いだ。
 山名時義死後、山名一族の家中分裂した。
山名時熙 VS 山名氏清・山名満幸

・明徳元年/元中7年(1390) 明徳の乱 
3代将軍:足利義満は、山名氏の強大化を懸念していた。
 かねてから山名氏の勢力を抑えようと考えていた

▲▲将軍:足利義満のi陰謀:第1段階
「亡き時義は生前、将軍をなえがしろにする態度が多かった。
 そして子の時熙と弟:氏之にも不遜な態度が目にあまる。」
 と、山名氏清に山名時煕らの討伐を命じた。 
 
3月 3代将軍足利義満から命じられた山名氏清と甥(娘婿)山名満幸
 (氏之弟)は山名時熙、山名氏之の討伐に下った。
・明徳元年/元中7年(1390)山名時熙は伯父:山名氏清、従兄:
 山名満幸(氏之弟)らに攻められのだ。
 山名時煕は但馬で挙兵した。
 山名満幸は但馬の山名時煕を攻撃した。
 山名氏清も伯耆の山名氏之を攻めた。
 追い詰められた山名時煕と山名氏之は備後に逃れた。
 結局、阿波の細川頼之に攻められて降伏した。
 山名時煕と山名氏之は備後に蟄居させられた。
こうして山名家の内紛は山名氏清と山名満幸とが勝利した。
 山名氏清は恩賞として山名時熙の領国:但馬を手に入れた。
山名氏清は丹波:和泉に加えて但馬・山城守護となった。
山名満幸は丹後、出雲に加えて伯耆と隠岐の守護職となった。




▲▲将軍:足利義満の陰謀:第2段階
3月12日 将軍:足利義満は管領:斯波義将を解任した。
  足利義満は土岐氏や富樫氏、山名氏など有力な守護に内紛を
  けしかけ、勢力を削ごうとするやり方に反発して辞任したの
  である。
  斯波義将は領国:越前に帰ってしまった。
4月3日 康暦の政変で失脚した細川頼之を阿波より入京させた。
4月8日 細川頼之の子:頼元が管領に任じた。

▲▲将軍:足利義満の陰謀:第3段階
・明徳2年/元中8年(1391)足利義満は山名時熙・氏之を赦免した。
 「山名時熙を攻めた責任を山名満幸に問う。」
 と言い出した。
11月8日 足利義満は
「山名満幸が出雲の仙洞領を横領して、再三返還するように言って
 いるのに、言うことを聞かない。」
 という理由で、突然山名満幸の出雲守護を解任し、丹後に追放した。
 ★足利義満はまたもや挑発したのである。いきなり守護職を解任す
 るというのは、口実であった。

 再び、足利義満の挑発により、山名氏清は山名満幸に反乱へ誘
 われた。
 追い詰められた山名満幸は、山名氏清とともに反乱を決意し、
 挙兵の準備にかかった。
 山名氏清は大義名分を得るため、南朝に降り、足利義満討滅の
 錦旗を得た。
 そして、山名一族の紀伊守護:山名義理・伯耆守護:山名氏家ら
 一族に決起を呼びかけた。
 「この度、公方(足利義満)が山名時煕を許したというのは、
 山名一族が内紛を起こし、山名一族を滅亡するように仕向けて
 いるのだ。陰謀だ。」
 最初渋って積極的でなかった山名義理も遂には同意した。
 次兄:義理、甥の氏家 (兄氏冬の子)らと共に挙兵した。
 山名宗全の祖父:時義も父:時煕の敵となったのだ。
 つまり、山名時煕らを除く山名一族を挙げて、12月27日に京都に
攻め上ることを申し合わせた。

 
 12月25日 将軍:足利義満は軍評定で
 「我が足利家の運と山名家の運とを天の照覧に任すべし。」
 と言い、山名氏清、山名満幸ら山名一族とは妥協しない意思
 を表明した。
 足利義満の直属の「奉公衆=馬廻り衆」3千騎(山名時煕を含む)
 諸大名の軍約7千・・・幕府軍は大内義弘や赤松義則、京極高詮
 などの有力守護大名で編成された。
 幕府軍総勢1万
VS
山名時煕らを除く山名一族総勢約5千
「六分の一殿」山名氏清は京都に攻め入った。
  合戦は京都で行われた。
  
午前6時頃 先鋒の山名義数・小林上野介の700騎が大内義弘
の守る二条大宮を攻めた。
山名氏清山名満幸軍は道を間違えて内野に到着するのが遅れてしま
った。そのため、山名義数も小林上野介も戦死してしまった。
山名満幸軍も壊滅し、山名満幸は丹後に落ちのびた。
山名氏清は山名時煕の50騎は次々討ち取ったが、山名氏清軍は幕府軍
の反攻にあった。幕府軍に包囲され討ち取られてしまった。
 ▲山名氏清・満幸らが戦死した
※足利義満に赦免された。山名時熙は足利義満の馬廻勢に加わって
  戦った。
結果・・・足利義満の策略陰謀通り、山名一族の勢力は大きく衰退
した。

●山名氏清の子
長女:山名時熙の室・・・山名時熙は山名氏清の娘婿なのだ。
            山名宗全の母なのだ。
長男:宮田時清
次男:河口満氏
3男:山名氏利
4男:鹿野教孝
5男:氏明
6男:久氏、
7男:宮田時家
次女:山名満幸の室・・・


・元中9年/明徳3年(1392)
4月 明徳の乱の論功行賞
  山名氏清、満幸らの領国が諸大名に分け与えられた。
@山名時煕の但馬守護
A山名時煕の従兄弟:山名氏之の伯耆
B山名時煕の従兄弟の山名氏家の因幡
 山名一族は3国だけだった。
山名時煕は山名氏清の但馬を復権した。

大内義弘は紀伊と和泉を獲得し、山名氏に代わる大守護大名となった。
京極高詮は出雲と隠岐の守護職を得た。


・元中9年/明徳3年(1392)明徳の和約=南北朝合一
  南朝勢力が全国的に衰微したため、足利義満は大内義弘を仲介に
 南朝方と交渉を進め、持明院統と大覚寺統が合一させた。
 和平案を後亀山が保持していた三種の神器を北朝の後小松天皇に
 接収させて南朝が解消される形での南北朝合一を実現した。
 58年にわたる朝廷の分裂を終結させた。

・応永元年(1394) 足利義満は将軍職を嫡男:足利義持に譲って隠居
 した。しかし、足利義満は政治上の実権は握り続けた

▲▲将軍:足利義満の陰謀:第4段階
・応永6年(1399) 応永の乱
大内義弘が堺で蜂起した。
 丹波の宮田(山名氏清の息子)・近江京極・美濃土岐が
  同調した。
  山名時熙は足利義満軍に属し、撃退した。
  戦後、山名時熙は備後守護となった。
 
山名氏は山名時熙が勢力を取り戻した。
 ・山名時熙は伯耆・但馬・丹波の守護
 ・山名氏之は和泉・山城の守護
 ・従兄の山名氏利(氏清の子)が石見守護。
 ・山名時熙猶子で従弟の山名熙高(叔父高義の子)が因幡守護。
 合系・・・7ヶ国の領有を果たした。
 
・応永6年(1399)
 山名時熙は相伴衆として幕政にも参加した。

応永11年(1404)山名持豊が生まれた。

・応永14年(1407)山名時熙はおうばん沙汰頭人を担当した。
 4代将軍:足利義持に臣従する儀式の長官なのだ。
 ★足利幕府を支える有力大名になったことを意味する。

▲応永15年(1408) 5月6日 足利義満死去した。
 享年51(満49歳)

・応永21年(1414)山名時熙は侍所頭人を務めた。

・応永23年(1416) 上杉禅秀の乱
京都から出奔しようとした足利義嗣と共に上杉禅秀への内通疑惑を
 もたれた。

・応永34年(1427) 赤松満祐出奔事件
山名時熙は討伐軍に加わる。

・永享4年(1432) 山名時熙は侍所頭人を務めた。
 畠山満家と共に宿老と なる。

●永享5年(1433) 山名時熙は家督を山名持豊(宗全)に譲った。
 ★山名氏の家督は時熙の家系が受け継いでいった。

 しかし、日明貿易に関する横領疑惑で失脚した。

 ※山名時熙は3代:足利義満・4代:足利義持・5代足利義量・
 6代足利義教時代まで仕えたのだった。

▲永享7年(1435) 7月4日 山名時熙は京都で死亡。享年69。
  法名は大明寺殿巨川常熙大居士。
墓・・但馬黒川(兵庫県朝来市)の大明寺
   兵庫県豊岡市の円通寺・・父:山名時義と並ぶ墓


★参考文献
・「新田一族の盛衰」久保田順一著(あかぎ出版)
・「新田義貞」山本隆志著(ミネルヴァ日本評伝選)
・「山名宗全」:山本隆志著
・山本隆志先生の講演会『山名宗全と山名八幡宮』
・「足利尊氏と直義」:峰岸純夫著
・「上杉憲顕」:久保田順一著

★3人とも群馬出身なのだ。

★参考サイト
 ウキペディア等

〜〜〜足利初代〜8代:足利尊氏〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心◆【足利初代〜8代足利尊氏】&栃木:足利氏館3回目
http://53922401.at.webry.info/201312/article_6.html

箕輪初心★足利8代目:足利尊氏=室町幕府を開幕
http://53922401.at.webry.info/201312/article_7.html
★峰岸純夫先生の本をまとめた。

箕輪初心★埼玉【足利基氏館】&『足利基氏&上杉4代:憲顕』
http://53922401.at.webry.info/201405/article_24.html

箕輪初心◆埼玉入間『入間川御陣=徳林寺』&足利基氏の生涯
http://53922401.at.webry.info/201407/article_8.html

+++新田義貞  VS 足利尊氏+++++++++++++
箕輪初心●新田義貞@「誕生〜楠木攻め」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_40.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞2「新田〜鎌倉進軍」  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_41.html

箕輪初心●新田義貞B「2度の鎌倉攻撃」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_42.html

箕輪初心★新田義貞「生品神社挙兵〜鎌倉進軍コース」
http://53922401.at.webry.info/201303/article_18.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞4「足利尊氏との対立」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_43.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞5「福井:金ヶ崎城」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201104/article_21.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞6「福井:そま山城」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201104/article_30.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞7「福井:新田義貞の最後」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_44.html

◆◆ 箕輪初心★新田一族「千利休」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_27.html

箕輪初心★新田岩松の歴史&男爵:新田俊純
http://53922401.at.webry.info/201311/article_9.html

箕輪初心★新田義貞の弟:脇屋義助&子孫の動向
http://53922401.at.webry.info/201303/article_22.html


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
箕輪初心▲静岡小川町『箱根竹ノ下の戦い』
(足利尊氏VS新田義貞)
http://53922401.at.webry.info/201412/article_3.html

箕輪初心▲畠山国清@【伊豆修善寺城】南北朝時代の築城
http://53922401.at.webry.info/201503/article_4.html

箕輪初心★畠山国清A【伊豆金山城=大仁城説】
http://53922401.at.webry.info/201503/article_5.html

箕輪初心▲畠山国清B【伊豆:国清寺】→畠山義深の生涯
http://53922401.at.webry.info/201503/article_6.html
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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箕輪初心:生方★『山名宗全の祖父:山名時義→父:時熙』&足利義満の陰謀 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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