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zoom RSS 箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路万葉句碑』D根小屋城2回目

<<   作成日時 : 2015/10/29 06:46   >>

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山上の碑〜たまたま高崎自然歩道=石碑之路を通り、寺尾下城:山名
城に行った。山之上の碑入り口からは100m〜200m程度の間隔で
万葉歌碑が多数建てらられている。根小屋城は@「狼煙台として築か
れたのに始まる。」A根小屋城は主郭を中心として、放射状に横堀や
腰曲輪を配置してある。
画像




〜〜〜山名シリーズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心:生方▲高崎『20151015山名八幡宮の礼?例?大祭
http://53922401.at.webry.info/201510/article_18.html

箕輪初心:生方★2015高崎『山名義範』に関わる疑問点&
久保田順一先生・山本隆志先生の研究
http://53922401.at.webry.info/201510/article_21.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路の万葉歌碑』@山名駅〜山名
八幡宮〜山上の碑』
http://53922401.at.webry.info/201510/article_22.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路のエロ万葉歌碑』A山上の碑
〜山名城大手口まで4句碑』
http://53922401.at.webry.info/201510/article_23.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路万葉歌碑』B山名城2回目
http://53922401.at.webry.info/201510/article_24.html

箕輪初心:生方▲2015高崎【山名万葉句碑】C山名城4番〜10番
&根小屋城の句碑
http://53922401.at.webry.info/201510/article_25.html


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心:生方▲2015高崎『万葉集東歌:エロい伊香保9首』
http://53922401.at.webry.info/201509/article_9.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『万葉集上野国エロ東歌』
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newsedit.do

箕輪初心☆【群馬における韓国&韓国語2−@古墳文化】
http://53922401.at.webry.info/201209/article_8.html

箕輪初心☆群馬における韓国&韓国語2−A『多胡碑&上毛3山』
http://53922401.at.webry.info/201209/article_9.html

箕輪初心■山上碑・多胡碑・金井沢碑+山上多重塔
http://53922401.at.webry.info/201310/article_4.html

箕輪初心●群馬の城「山名城&山上の碑」(高崎編)
http://53922401.at.webry.info/201012/article_21.html

箕輪初心●群馬:高崎「根小屋城」=水堀のある山城
http://53922401.at.webry.info/201102/article_28.html




●山名八幡宮
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★久保田順一先生20141129『河内源氏の上野国
:八幡荘』後編
http://53922401.at.webry.info/201412/article_12.html

箕輪初心★久保田順一先生20141129『河内源氏&上野国
:八幡荘』前編

http://53922401.at.webry.info/201412/article_11.html

●【1】新田義重の関係〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★高崎:新田義重&茶臼山城
http://53922401.at.webry.info/201309/article_27.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_27.html

●【2】里見氏関係:里見義俊〜
★箕輪初心 新田一族・里見一族で検索してください。
  40シリーズ程あります。

●山名氏関係:山名義範〜
箕輪初心●群馬:高崎「山名義範館」=子孫は山名宗全
http://53922401.at.webry.info/201102/article_31.html

箕輪初心★「上野国:山名義範〜応仁の乱:山名宗全」
http://53922401.at.webry.info/201309/article_26.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_26.html

箕輪初心●兵庫『出石:有子山城』=山名一族の古城
http://53922401.at.webry.info/201304/article_20.html


 
○「光臺寺」=山名義範館・・・と書いてあるが、
 堀の内であろう。

○堀の内

○玄頂寺=木部北城

●山名古墳群


 
●山上の碑入り口
●山名町石碑之路のガイドマップ

●第1番 
「吾が恋は 現在(まさか)もかなし 草枕 
 多胡の入野の 奥もかなしも 」
 (巻14-3403) 
※大意・・・私の恋は今も悲しい。草枕をしながら、
  多胡の入野の奥にいても・・・
※解釈・・私の恋しく思う心は現在も切ない。多胡の入野
 の奥ならぬ、行く末=これから先も先も胸がつまる思いです。
★私見・・・私の恋は今でも切ない。草の枕で彼女と2人、多胡の入野
 の奥のように果てしなく、奧=行く末も?これから先もずうっと愛
 し続けたい。・・・あんたも好きねえ。加藤茶流の解釈。
  まさか=現在の意味である。
★私見・・・私の恋は今も草を枕にして愛し合っている。多胡の入野の
  奥のように、ここからもずっとすっと愛したい。
  ・・・やっぱり、これしかないか。



●寺
★箕輪初心「100観音廻りは遠くて大変なので、1箇所で
 回ったことにする
  観音廻りが江戸時代に造られた。
 
●山上古墳・・・681年以前
  黒目刀自の墓?
 
●山上の碑・・・681年   


●第2番 
「日の暮(ぐ)れに 碓氷(うすひ)の山を 越ゆる日は 
   夫(せ)なのが袖(そで)も さやに振らしつ」 

 (巻14-3402)
※大意・・・日の暮れに碓氷の山を越える日に、私の夫が
 袖をしっかりと振ってくれている。
※解釈・・・袖もはっきり見える程、ひどく振って、(碓氷)峠
 に入っていった。防人に旅立ったあの方の最後のお姿だった。
★私見・・・ここは国府付近〜東山道八幡・板鼻付近。今日は
 夫が防人に奈良→九州博多の防塁、あるいは大野城&水城を
 造りに出かける日。夕暮れには碓氷の入山峠を越えなければ
 ならない。夫は2度と戻って来られないかもしれない。戻って
 来るとしたら、3年の任期後。どうか無事に帰ってきてくださ
 いね。貴方様。・・・私は夫がしっかりと袖を振っているのを
 涙ながらに見ています。私も腕を振りましたってとこか? 
しかし、当時のさよならの袖の振り方は今と違うらしい。
 手を横ではなく、縦に大きく袖を振るらしい。



●第3番 
「明日香川(あすかがは) 塞(と)くと知りせば あまた夜(よ)も 
 率寝(ゐね)て来(こ)ましを 堰くと知りせば」 
(巻14-3545) 
※大意・・・明日香川が渡れなくなると知っていたら、数多く幾夜も
 泊まってくるのだった。渡れなくなると知っていたら・・・。
※意味・・・2人の仲が引き裂かれる定めだと分かっていたら、
 幾夜も幾夜も共寝をしたものを。あ〜あ。
★私見・・・明日香川で塞がれて、愛しい彼女の元に渡れない=
 行けない=通えない(妻問婚=妻訪婚であるので、彼女の母に
 許可されなかったのだ。)ということが分かっていた=定めなら、
数多く幾夜も幾夜もHしまくって来るのだった。あ〜あ、いい
 女だったのに・・残念。といったところか?
 万葉集東歌はストレートでいいよね。


●第4番 
「遠しとふ 故奈(こな)の白嶺(しらね)に 逢(あ)ほ時(しだ)も 
  逢はのへ時(しだ)も 汝(な)にこそ寄(よ)され」 
 (巻14-3478) 

※大意・・・遠くにあるという故奈の白嶺で会うときも逢わない
 ときも、貴女だけに心が引き寄せられている。
※解釈・・・2人で会っている時はもちろん、会っていない時も
 私の心はおまえのから離れないのだよ。
★私見・・・遠くにある故奈(伊豆の古奈かなあ?)の嶺に
 雪が白く降りつもっているだろう。白い嶺の先にいる貴方。
 逢っている時も逢えずにいる時も、私は貴方のことだけで、
 心はいつも引き寄せられていて、頭がいっぱいなのだ。
 早く逢いたいなあ。そして早く、Hしたいよ?・・ここまで
 言っていないか?


山名城
・大きな堀切・多くの堀切がある。
 長大な横堀が見える。
・4の郭→空堀→3の郭→2の郭→空堀
・山名城主郭・・・・整備されている。看板があった。
・大堀切→5の郭→空堀→6の郭→空堀→7の郭→空堀→8の郭


◆◆ 山名城の歴史 ◆◆
・鎌倉時代・・新田義重の子:山名義範は山名の地を領す
    山名義範が山名城を築城? (社伝)
   ★ちょっと怪しい。
  以後8代。
 源氏の祈願所:山名八幡宮を創建。
  山名政氏・時氏は新田義貞・足利尊氏の鎌倉幕府の倒幕に参加。

・南北朝時代・・・南朝方の尹良親王の関東での城として整備された。
 寺尾上城・寺尾中城・寺尾下城(山名城)と呼ばれている。
山名時氏は戦功により、山名→伯耆国の国守になった。

・室町時代・・・山名時氏は足利尊氏の侍所別当。
  「三管四職」
   西国を中心に十一ヵ国の守護職を任じられるなど勢力
   を拡大。
   山名時凞?・・・
山名持豊

・戦国時代・・木部範虎の木部城の詰め城として整備。
   木部範虎は、箕輪城主:長野業政の娘婿。長野業政の同心。

・永禄6年(1563) 木部範虎は、武田信玄の配下。

・永禄9年(1566) 箕輪城主:長野業盛を攻撃。

・永禄11年(1568)山名城・根小屋城は境目の城として北条氏に対峙。

・天正10年(1582)3月11日 天目山で武田勝頼が自刃。
   武田氏の滅亡。
  木部範虎は同日討ち死に。

・天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻撃。
  北国軍:前田利家+上杉景勝(家臣:真田昌幸)の大軍の侵攻。
   松井田城(大導寺政繁)→安中城(安中氏)
   →箕輪城(はが・保科正直)
◆木部城+山名城→倉賀野城(はが康忠)が降伏。
 →西牧城(多米)     
◆木部高成は小田原城に籠城。
 ●山名城は廃城。
7月 北条氏直に従い、木部高成・和田信業・倉賀野景秀は
   高野山に行った。



●水戸黄門と山賊


●「我を待つと 君が濡れけむ あしひきの 
  山の雫に ならましものを」
  
  (巻2-108 ) 

★私見・・・私を待ってると貴方が涙で濡れてしまった。山に降った
 雨の雫より多いのだ。なんて愛おしいのだろうか。


●第5番 
「ささの葉は み山もさやに 乱(さや)げども 
  我れは妹思ふ 別れ来(き)ぬれば」  

 (巻2-133) 
※大意・・・笹の葉は山の中を風に吹かれてざわめいているが、
 私はあの娘?妻?のことだけを思っている。妻を置いて別れ
 てきたので。
※解釈・・・お前のことで頭がいっぱいだ。哀しい別れだった。
 峠の笹の葉が鳴り続けていても、私の耳には何も聞こえない。
★私見・・・小竹=笹の葉が深山で風に吹かれてざわめいているが、
 私はさっき別れてきたばかりの妻を思うばかりで、山のざわめき
 など、ちっとも気にならない。

●鹿島神宮と防人
第2番に同じ 
「日の暮(ぐ)れに 碓氷(うすひ)の山を 越ゆる日は 
   夫(せ)なのが袖(そで)も さやに振らしつ」 

 (巻14-3402)

●第6番 
「紫草(むらさき)の 根(ね)延(は)ふ横野(よこの)の 
   春野(はるの)には 君を懸(か)けつつ 鶯(うぐひす)鳴くも」 

 (巻10-1825) 
★私見・・・紫草が根(紫根)を延ばす頃、横野の春の野原まで来ると、
 貴女を思っている私と同じように鶯が雌を求めて鳴いているのだ。
★私見・・・紫草の根が生え延びる=根を長く伸ばす春の横野には
 あの娘を気に懸けさせる=恋するかのように鴬さえも鳴き続けている
 のだ。・・・『ホーホケキョ。早く逢いたいな。気が急いてしかたない。
 早く恋して愛して・・・Hしたい。子孫を残したい。
※紫根の色素成分は「シコニン」である。
@白鳳時代=推古天皇の時代
中国では、紫色の服を皇帝以外の者が身につけてはならない禁色とされ
 ていた。政治権力や文化を象徴する色として扱われていた。
 紫根染め技法は、に小野妹子が裴世清を伴って帰国したときのものが
 最初とされる。紫色の染料として用いられた。

 紫根染めは、紫根から抽出した色素で布を染め、色の定着と発色
 に椿の灰を用いる。染めと媒染の工程を何度も繰り返すと鮮やか
 な紫色に染まる。紫色は、冠位十二階では最上位の位を表す色で
 あり、高貴な色として地位の高い天皇家が着用した。

A律令時代
・万葉集に詠われた。
 あかねさす 紫野行き 標野(しめ)行き 
    野守は見ずや君が袖振る
 (★額田王 巻1-20)
 紫草の にほへる 妹を憎くあらば 人
  妻ゆゑに 我恋ひめやも
 (★大海人皇子 巻1-21)
 歌は、額田王が天智天皇のご料地(近江蒲生野)での薬狩りの折り、
 かつての恋人:大海人皇子(天武天皇)にあてて詠んだものである。
 大海人皇子が返した歌にも紫草(むらさき)が詠まれている。
 紫草が愛の相聞モチーフ・・・問答歌になっている。

B平安時代
※藤原氏は紫色であった。紫根(しこん)で染めた。
 『延喜式』には、武蔵国からも紫根を朝廷に運ばせたとある。
・魔よけ・・・・祈祷師が悪霊退散に用いた。
 ・縁起物・・・・
 ・病気退散・・・お殿様が病気の時に頭に巻き、病気退散を祈る
・文学作品・・・紫草の扱いは格別であった。
   源氏物語に登場する最上の女性達には「紫」が名付けられた。
   源氏物語作者は『紫式部』であった。

C鎌倉時代

D室町時代

E戦国時代 
  豊臣秀吉が紫色の服に異常な関心を寄せていた。

F江戸時代
 徳川家康〜15代将軍にも紫色が引き継がれた。
 水戸黄門は黄色・・・bQの色だった。
 「江戸紫」として一大文化となっていった。
 ・消炎、解毒、解熱、皮膚疾患の薬に用いられた。
 華岡清州が「紫雲膏」を考案した。

G現在・・・痔には『ボラギノール』などの市販薬となっている。
  口内炎の薬にも使われている。
環境省レッドデーターブックによれば、絶滅危惧種TB:

●第7番 
「妹(いも)をこそ あひ見に来(こ)しが 眉引(まよびき)の 
   横山辺(へ)ろの 鹿猪(しし)なす思(おも)へる 」

 (巻14-3531)
※大意・・・あの娘に逢いたくて来たのに、それを家の人は私のことを
眉引き=怪訝な顔で横山辺りの鹿のように思っているとは。
※解釈・・・あの娘に逢いたくて来たのに、横山あたりの鹿か猪のように
 家の者は私のことを追い払おうとする。
★あの娘に逢いたくてやって来たのに、それをあの娘の母(妻問婚)は
 私のことを眉引き=怪訝な顔で「しっ、しっ・・」ていう態度で
 ・・・まるで横山辺りの鹿や猪のような嫌われ者の思って、追い払お
 うそうといる。なんて悲しいのだ。  


●第8番 
「利根川の 川瀬(かはせ)も知らず ただ渡(わた)り 
  波にあふのす 逢へる君かも」 

  (巻14-3413)
※大意・・・利根川の浅瀬がどこにあるかも分からずにずまっすぐ
  渡って波にぶつかっていったら、憧れの貴方に偶然逢ってしま
 った。
※解釈・・・利根川をじゃんじゃん渡って、波にさらわれそうになって、
 私のところにいらしてくれたのね。あなた。
★上の看板の解釈は「私が荒波を越えてひたむきに逢いに来たら、
 わが君=貴方に逢えました。」である。変かも?
★意味・・利根川の浅瀬がどこなのか分かっていないのに、闇雲に
 渡って直ぐに波を受けてしまった。そうしたら、向こうの川岸に
 好きな貴方とばったり遭ってしまった。
★意味・・利根川の浅瀬がどこなのか分かっていないのに、闇雲に
 渡って波を受けてしまった。予期せず、貴方とばったり遭ってし
 まった。私は貴方を以前から好きだったので、ビックリしてしまっ
 て声も出なかったよ。あ〜あ、声をかけておけば良かった。
 ・・・何と初々しい歌であろうか。違うだろうな。
※本で調べると
※意味・・・利根川の浅瀬がどこなのか分かっていないのに、闇雲に
 渡って波を受けてしまうかもしれない。でも、自分の気持ちを正直
 に『恋してます。』と伝えれば、利根川の川の流れのように渡れる
 か渡れないか分かんない。
 けれど、もしかすれば、彼女にOKしてくれて、逢ってもらえるかも
 しれない。〜〜〜ええい、告白しちまえ。
 言ったもん勝ちさ。失敗してもともと。当たって砕けろ。
 ・・・っていうもの考えられる。




●第9番 
「わが家(いは)ろに 行(ゆ)かも人もが 草枕 
    旅は苦しと 告(つ)げ遣(や)らまくも」 

  (巻20-4406)
※大意・・・我が家に行く人がいてくれるものか。
 旅での草枕・・旅は苦しいものだと伝えたいのだ。
※解釈・・・俺の家に行く人なんかいるもんか。
 防人の旅は辛いものだと伝えてやりたいのだ。
★我が家に行く人がいてくれるものか。
 旅での草枕・・旅は苦しいものだと伝えたいのだ。
 誰か伝えてくれる人がいるといいのだが。・・・
  

▲坂上の小さな山へ・・・ 

●第10番 
「伊香保ろの 八尺(やさか)の堰塞(ゐで)に 立つ虹(のじ)の 
  顕(あらは)ろまでも さ寝(ね)をさ寝(ね)てば」
 
  (巻14-3414)
※大意・・・榛名山の八坂の堰塞に虹がでてくるまで、一緒に
 共寝をしたいものだ。
※解釈・・・にくい貴方と一緒なら、たとえ浮名がたとうとも
 いやというほど寝てみたい。
★榛名山の堰に立つ虹のまで・・・
※東歌は性欲や愛の歌が非常に多い。これも結局、『さ寝をさ寝てば』
もっともっと一緒に2人で寝てをしていたいよ。と言う意味である。
 (★群馬県史通史編2のP124)
★意味・・・榛名山の八坂のゐで?に立つ虹は現れるまで、
 2人で一緒に寝てみたいものだなあ。・・・って感じかなあ。 
※『ゐで?』が分からないので、本を見た。
『ゐで?』=水田のことだった。
★意味・・・榛名山の八坂の水田へ水を引くための堰に立つ虹は
 出てくるまで=明るくなって=家族(母親)に見られる頃まで、
 一度でいいから心置きなくもっともっと2人で一緒に寝てみたい
 ものだなあ。でも、もう、朝かよ。もっともっとHしたいのに・・
 帰らなくちゃ。君を愛しているよ。・・・って感じかなあ。 


 
●根小屋城址との分岐
※近代〜現在の有名人の歌碑が建っている。

○大沢雅休作

○大手拓次作


○新田義貞作


○武田信玄の財宝


○村上鬼城作

○大手拓次作



高崎:根小屋城
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 (★群馬古城塁祉の研究上巻:山崎一著)

○1回目搦め手コース・・・地元の高橋さんに聞いた道
 ■訪問日・・・平成23年(2011)1月4日
○車で高崎駅→茶臼山城方面に向かう。
   茶臼山を右に見ながら、直進する。約2km程、右に
   セブンイレブンがある。
  30m先の沢に架かる橋の出前を右折する。
  200m程の所で橋を渡る。
 小さな砂防ダムが見える。ここに駐車する。
  登山口=登城口に達する。
  沢ぞいの道からすぐに左の登山道に入る。
  楢の葉の滑る道を登る。
  ★たぶん、このコースは紹介されていない。

○2回目大手道〜山名城から1.2kmコース20分もある。
  ■訪問日・・・平成27年(2015)10月15日
 
○空堀
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○登り

●説明版

○大手口〜左回り=南の堀巡り
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・藪こぎ
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○本郭&二の郭の間の堀
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○左に二の郭土塁
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○正面に井戸跡・・・・★貯め水用かもしれない。
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○右に水堀跡=本郭北堀
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○竪堀・・・搦め手口
かつてここを登って来た。
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○袖郭から三の郭・二の郭堀を見る。
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○西側の堀
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○三の郭土塁
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○三の郭入り口
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○三の郭のやぶこぎ

○二の郭
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○本郭と二の郭の空堀に戻った。
 本郭との比高は7〜8m。
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★急で登るのに大変だ。凄いぞ。


○西の本郭堀の坂虎口
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○本丸・・・・30m?×50m?位 ★大きい。
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○石碑・・・昭和天皇句碑

○櫓台跡
一部高い所は、櫓台であろう。遠くにみかぼの山々が見えた。
   上野各地→根小屋→叶山(旧中里村)→
   ・・・甲州・・武田信玄
   ってコースなのであろう。


・新島譲の歌碑
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○大手枡形虎口・・・枡形がはっきり分かる。
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○本郭北堀

○北の腰郭・・・土塁もある。
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○大手道を下った。

○堀〜大きな竪堀が見えた。
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○大手口看板
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・田島武夫句碑

○分岐看板

○本丸南堀・・・一番最初に入った場所


▼下山



◆◆ 根小屋城の歴史 ◆◆
・永禄9年(1566)9月29日 武田信玄は箕輪城を攻撃。
  長野業盛(=氏業)が自刃・・・箕輪城を支配下。  
  武田信玄は倉賀野城南西方向2.5qの所に根小屋城を築城計画。

・永禄11年(1568) 武田氏が築城。  
  武田信玄が「山名、鷹ノ巣の間に新城を築き、信州の士、
   望月甚八郎、伴野助十郎、仁科加賀守信盛らを入れて守らせた。」
  (山名町:山名城&寺尾町:茶臼山城の間の根小屋町:根小屋) 

望月甚八郎・・・佐久の旧望月城主
伴野助十郎・・・佐久の旧前山城・伴野館・稲荷山城の城主 
大井貞清?・・・佐久の旧内山城→長久保城主?〜〜〜
仁科加賀守信盛・大町の仁科=信玄の子:高遠城主

→城代は、伴野氏&大井氏となった。
@目的は、北条氏康、上杉謙信に対する境目の城・牽制の役目。
A上州の狼煙集約地根小屋→飛行機墜落の御巣鷹山隣の叶山→
  甲府




★明日は万葉句碑&金井沢の碑かな?

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