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zoom RSS 箕輪初心:生方「日本のいちばん長い日」のあらすじ後編

<<   作成日時 : 2015/08/14 04:55   >>

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7月26日、連合国は日本にポツダム宣言受諾を要求。降伏か、
本土決戦か。連日連夜、閣議が開かれるが、議論は紛糾。結論が
出ないまま、8月6日広島、8月9日に長崎には原爆が投下され、
事態は一弾と悪化した。「一億玉砕論」が沸騰する中、阿南惟幾
陸軍大臣、天皇陛下、鈴木貫太郎総理は決断を苦悩する。8月
15日早朝、畑中健二少佐ら青年将校たちは終戦に反対するク
ーデターを起こした。宮内省・放送局を占拠。・・歴史の舞台裏
が分かる凄い作品である。
画像


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心:生方『日本のいちばん長い日』のあらすじ前編
http://53922401.at.webry.info/201508/article_13.html

箕輪初心:生方「群馬空襲&U子のいる中島飛行機小泉製作所」
http://53922401.at.webry.info/201508/article_12.html

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心▽太平洋戦争史@【日中戦争〜真珠湾攻撃〜東南アジア侵攻】
http://53922401.at.webry.info/201201/article_5.html

箕輪初心◆太平洋戦争史A【東南アジア・オセアニアへの破竹の侵攻】
http://53922401.at.webry.info/201201/article_6.html

箕輪初心◆太平洋戦争史B【日本の侵略最高潮→連合軍の反撃】
http://53922401.at.webry.info/201201/article_7.html

箕輪初心剔セ平洋戦争史C【マリアナ諸島→レイテ→硫黄島→沖縄→
本土→原爆】
http://53922401.at.webry.info/201201/article_8.html

★★ 箕輪初心◆広島の原爆投下 
http://53922401.at.webry.info/201105/article_23.html



◆出演者
@昭和天皇・・・・・・・・本木雅弘

・鈴木貫太郎首相:内閣総理大臣)・・・山崎努
・慶応4年(1868) 生まれ。
・明治10年(1877) 父の群馬県庁への就職に伴い前橋市に転居。
・明治11年(1878)第一番小学校厩橋学校(現前橋市立桃井小学校)卒。
・明治16年(1883) 旧制前橋中学(現前橋高等学校)卒。
攻玉社で学ぶ。
・明治17年(1884) 海軍兵学校入校。
・明治20年(1887) 14期海軍兵学校卒
★鈴木総理は日本の終戦ために偉大な働きをした人物である。
★千葉県野田市に家がある。・・・関宿城近くの家に行ったけれど。
・阿南惟幾:陸軍大臣・・・役所広司
・米内:海軍大臣
・木戸幸一:内務大臣
・東郷:外務大臣
・・・・など閣僚
・東條英機:陸軍大将
・畑中健二:陸軍少佐・・・・・松坂桃李
・迫水久常書記官・・・・・堤真一
・保木令子:ラジオ局放送員
・ニュース:戸田恵梨香
・佐々木武雄:陸軍横浜警備隊長・・・:松山ケンイチ

●大日本帝国の終焉・・・▲アメリカ側の原爆投下までの過程
本作品はノンフィクションなので歴史的な背景を知っておくと
作品に没頭できる。

【3】転の章・・・ポツダム宣言と鈴木内閣&天皇の動向
●7月26日 ドイツのポツダムで英・米・ソ首脳会談〜〜〜〜
 ポツダム宣言発表
(★ポツダムの会議場所サンスーシの写真が見つからない。)

★内容・・・日本軍の壊滅や軍国主義の排除などを要求しており、
 戦争に降伏しない場合には速やかに壊滅させる
 という、恐ろしい内容であった。
それは決してハッタリでも脅しでもはなかった。
結果として&史実として、8月6日の広島、8月9日に長崎の
原爆投下があった。
お仲間であったドイツやイタリアなど・・降伏していた。

●陸軍省官邸の弓道場
 阿南は弓を射ていた。
 「楠木正成公・・・

 
●首相官邸
鈴木総理は
「聖断」の決定を考えていた。

●閣僚会議


●御前会議
天皇は、
「この際従来の観念にとらわれることなく、速かに具体的研究を遂げ、
 和平実現に努力せんことを希望する。」
と勅語を与えた。


●閣僚会議
 →日本は 降伏勧告ポツダム宣言に対して、
鈴木総理もは、
「天皇の意志を受けてついに終戦工作に乗り出すべきだ。」
木戸は、
「賛成だ。」
松村謙三も
「総理の真意は判った。しっかりやってくれ。」

????は
「総理はけしからぬ事を言った。」
と憤慨したた。
 
木戸は近衛に
「海軍大臣が和平を言い出すかと思っていたが一向やらぬ。」
と言った。

阿南は
「日本は陸軍600万人がいる。黙殺すべし。」



結果・・・和平派3 VS 黙殺派3のままだった。 
鈴木総理は結論がでないので、
「無視・黙殺」の方向性に決定した。

●首相官邸での月例会議
「松代への大本営の移転は・・・。」


●陸軍省官舎
畑中ら青年将校が
「阿南閣下、閣下は陸軍600万人の頂点にいます。」
阿南は
「私は天皇直属だ。」
と答えた。
そして、武器倉庫・・・
 古い武器ばかり・・・
窓の外では、竹槍訓練・・・



●7月28日 
 鈴木首相は
 「政府としては重大な価値あるものとは認めず黙殺し、断固
  戦争を完遂に邁進する。」
 とコメントした。
★鈴木首相は施政方針演説で意味深長な発言をした。

07月28日 アメリカ海軍が呉軍港爆撃空襲
 (呉軍港・・・戦艦:大和の寄港地)
   
◆7月28日 高崎→前橋→伊勢崎→中島飛行機小泉製作所
  太田市製作所も空襲。
 
07月30日 日本はソ連に条件付和平の斡旋を依頼。


▲8月2日、第20航空軍司令部が「野戦命令第13号」を発令した。

◆8月05日 高崎空襲。
  大泉町の中島飛行機小泉製作所を空襲

 →群馬県太田市も空襲。

◆8月6日 高崎空襲

▲8月6日 原子爆弾による攻撃を行うことが決定した。
  第1目標は「広島市中心部と工業地域」(照準点は相生橋付近)、
  第2目標は「小倉造兵廠ならびに同市中心部」(予備)
  第3目標は「長崎市中心部」(予備)

●8月6日、B29が飛び立った。
   広島市にウラニウム型原子爆弾リトルボーイが投下された。

08月06日 アメリカ軍が広島に歴史上初の原子爆弾を投下。
★★ 箕輪初心◆広島の原爆投下 
http://53922401.at.webry.info/201105/article_23.html

●08月08日 ソ連が日ソ中立条約を破棄→日本に宣戦布告。
満州国と朝鮮半島に侵攻。(ソ連対日参戦)


▲8月9日 アメリカは2回目の原子爆弾による攻撃を行うことを
  決定した。
  第1目標は「小倉造兵廠および市街地」
  第2目標は「長崎市街地」(照準点は中島川下流域の常盤橋から
     賑橋付近)
    
●B29が飛び立った。
  第1目標の小倉市上空が八幡空襲は視界不良であったため、
  第2目標の長崎市にプルトニウム型原子爆弾ファットマンを投下
  した。

●陸軍省館官舎
08:28
 阿南は
 「本土決戦をする。」
 と決めた。

●08月09日 アメリカ軍が長崎に原爆投下。
       御前会議でポツダム宣言の受諾を決定。

08月09日 ソ連対日参戦
  ソ連も参戦した。ソ連軍が満州国に侵攻した。
  和平工作の失敗が明白となった。
   ★ちょっと虫が良すぎない?
   ・・結果、北方領土を渡さないし・・

08月09日 大湊湾(大湊町)で海戦(大湊空襲)。
      事実上最後の海戦となる。

阿南惟幾陸軍大臣、天皇陛下、鈴木貫太郎総理は決断を
苦悩する。閣僚全員が苦悩する。
 





〜〜〜〜ここからが後編である。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
●海軍省仮校庁舎
米内海軍大臣は  
「阿南に本土決戦をおねがいする。」
と結論を出した。

11:20 最高戦争指導会議→閣議の御前会議
鈴木首相が言った。
「8月6日に広島、9日には長崎に原子爆弾が投下されて壊滅的な
 被害を受けた。同じ9日にはソ連軍が対日参戦し、和平工作の
 失敗が明白となった。戦争継続は不可能です。この先はポツダ
 ム宣言を受諾して降伏するか、あくまでも本土決戦を期して戦
 争を遂行するかについて御意見をお聞かせいただきたい。」
 
 議論は紛糾した。
・・・・・・・
・・・・・・・
阿南は
「日本は負けていません。・・・。」


●8月9日深夜 
 鈴木首相は昭和天皇の聖断を仰いだ。
  最高戦争指導会議が開催されたが、ポツダム宣言受諾に関し、意見
 はまっぷたつに割れていた。
 東郷茂徳外相と米内光政海相は、
「国体護持を唯一の条件として受諾すべきだ。」
阿南惟幾陸相、梅津美次郎参謀総長、豊田副武軍令部総長は、
「国体護持のほか、
 1)本土の保障占領をせざること、
 2)在外日本軍は降伏、武装解除なしで撤退という形をとらしめること、
 3)戦争犯罪人については日本がこれを処罰すること。」
 の3点を付随するべし。」
と説いて譲らなかった。
 
その後の閣議においても3VS3の平行線が続いた。

鈴木首相は
「議をつくすことすでに数時間に及びます。
 しかし、議決できない。しかも事態はもはや一刻の猶予もできない・
 誠に異例でおそれ多きことながら、聖断を拝して本会議の結論と
 いたしたい存ずる。暫時、待たれよ。」
皆は固唾を呑んだ。・・・

鈴木首相は天皇に拝謁した。
「御聖断を仰ぎたいのですが・・。」
天皇は承知した。  

天皇は、聖断を下した。
東郷外相の意見に賛成です。・・
 大東亜戦は予定と実際に大きな相違があります。
本土決戦といっても、防備の準備が遅れています。
このままでは日本民族も日本も滅びてしまいます。
 国民を思い、軍隊を思い、戦死者や遺族をしのべば断腸の思い
 です。・・忍びがたきを忍び、万世のため平和の道を開きたい。」

こんな旨を仰せられた。
画像

こんな内容だったと思うのだが,、よく思い出せない。

●天皇の「聖断」により終戦決定。
  日本が連合国にポツダム宣言受諾を打電通告。
 
●鈴木内閣は
 ポツダム宣言を受諾するにあたり、「万世一系」の天皇を中心とする
 国家統治体制である「国体」を維持するため、
 「天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラザルコトノ
 了解ノ下ニ受諾」
 すると付言して、連合国側に申し入れた。
 ★津田左右吉の理論である。
 
08月12日朝 連合国の回答電文が到着。
米国バーンズ国務長官から回答が到着した。
一、降伏ノ時ヨリ、天皇及日本国ノ国家統治ノ権限ハ、降伏条項ノ実施
  ノ為、其ノ必要ト認ムス措置ヲ執ル連合軍最高司令 官ノ制限ノ下
  ニ置カルルモノトス。
二、天皇ハ日本国政府及日本帝国大本営ニ対シ、「ポツダム」宣言ノ
  諸条項ヲ実施スル為、必要ナル降伏条項署名ノ権限 ヲ与ヘ、且
  之ヲ保証スルコトヲ要請セラレ、又天皇ハ一切ノ日本国陸海空軍
 官憲及何レノ地域ニ在ルヲ問ハズ、右官憲ノ指揮下ニ在ル一切ノ軍
 隊ニ対シ、戦闘行為ヲ終止シ、武器ヲ引渡シ、及降伏条項実施ノ為
 最高司令官ノ要求スルコトアル ベキ命令ヲ発スルコトヲ命ズベキ
 モノトス。
三、日本国政府ハ降伏後直ニ俘虜及被抑留者ヲ、連合国船舶ニ速カ
 ニ乗船セシメ得ベキ安全ナル地域ニ移送スベキモノト ス。
四、日本国政府ノ確定的形態ハ「ポツダム」宣言ニ遵ヒ、日本国国
 民ノ自由ニ表明スル意志ニ依リ決定セラルベキモノトス。
五、連合国軍隊ハ「ポツダム」宣言ニ掲ゲラレタル諸目的ガ完遂セ
 ラルル迄日本国内ニ留マルベシ。
              (★「細川日記」八月十二日)


●連合国側は、
 「天皇の権限は、連合国最高司令官の制限の下に置かれ、日本の究
 極的な政治形態は、日本国民が自由に表明した意思に従い決定され
 る。」
 と回答した。

 
●陸軍省官舎
問題となったのは、Subject to であった。
辞書を引きながら、
「天皇の権限は連合軍最高司令官の制限の下に置かるるもの」
と書かれている。
「臣従ということではないか。」
「これでは、唯一の条件、国体護持すら守られないことになるでは
ないか。」
と大騒ぎになった。 

8月13日
●09:00閣僚会議最高戦争指導会議
 阿南陸相は
「国体護持が守られない。この文面を訂正するよう、
 アメリカに申し込むべきだ。」
 頑強に再照会=訂正を主張した。
東郷外相は
「 再照会に絶対に反対です。・・。」
鈴木首相と米内海相が支持した。
どちらも譲らず、意見が割れた。



●軍部の「一億玉砕論」が沸騰する。


●東條英機は天皇に会いに行った。
サザエを例にとって、本土決戦をお願いした。
しかし、天皇は、
「 ナポレオンのようなてつは踏みたくない。」
と答えた。
 東條は恐れ多く、・・・退散した。




●8月14日
  朝、アメリカ軍の飛行機が連合国側の回答をビラにして撒布していた。
 との報が入った。
 ビラを侍従から受け取った木戸は、
「このままでは軍がクーデタを起こす。」
 と天皇に拝謁した。
すでに再照会をしている時間的余裕はなかった。

●陸軍省官舎
畑中少佐ら青年将校がクーデターを起こすことを
阿南に告げた。将校達はあくまで阿南を大将として
天皇の考えに反対するつもりでいた。
阿南は
「私が戻るまで、軽挙妄動を慎むように。」
と命令した。
 

●御前会議
天皇は御前会議を自ら開催した。
天皇が臨席した。

鈴木首相はこれまでの閣議の経過を申し上げた。
陸軍大臣:阿南惟幾は、聖断が下されるまで本土決戦
を主張した。
阿南は陸軍に電話した。
阿南にクーデターの大将になることを求める一部の陸軍
 青年将校らに対してもう一度、
 「私が戻るまで、動いてはならない。」
 を命じた。
そして、書記官長:迫水久常を呼び、
 内容を逐一、陸軍に報告するようお願いした。


●「改めて、重ねて御聖断を仰ぎたい。」
を奉答した。
 阿南、梅津、豊田の3人は
「国体護持の点に疑念あります。」
と申し上げた。
鈴木首相が
「意見を申し上げるものはこれだけでございます。」
と言った。
天皇は、頷きながら・・・言葉を発せられた。
2度目の聖断である。
外に意見がなければ、わたしの意見を述べる。皆の者は、私の意見に
賛成して欲しい。
 反対側の意見はそれぞれよく聞いたが私の考えはこの前に申したこと
に変りはない。私は世界の現状と国内の事情とを十分検討した結果、
これ以上戦争を継続することは無理だと考える。
・・・略というよりメモ仕切れなかったので、某Hpより・・・・・ 
  我国民全体の信念と覚悟の問題であると思うから、先方の申入れ
 を受諾してよいと考える、どうか皆もそう考えて貰ひたい。
 陸海軍の将兵にとって武装の解除、保障占領といふ様なことは誠
 に堪へ難いことで私には良くわかる。しかし、自分はどうなるうと
 も万民の命を助けたい。この上戦争を続けては我だ国が全く焦土と
 なり万民にこれ以上の苦悩を嘗めさせることは私としては実に忍び
 難い。・・・祖宗の霊にお応へが出来ない。・・・日本が全くなく
 なるという結果にくらべて、少しでも種子が残りさへすれば、復興
 という光明も考えられる。
 私は・・・・耐え難きを耐え、忍び難きを忍び一致協力、将来の
 回復に立ち直りたいと思ふ。今日まで戦場にありて陣没し或は殉職
 して倒れたる者、又其遺族を思う時は悲嘆に堪へぬ次第である。
 また・・戦傷を負ひ戦災を蒙り家業を失ひたる者の生活に至りては
 私の深く心配するところである。
 この際、私としてなすべきことがあれば何でもいとわない。国民に
 呼びかけることが良ければ、私はいつでも「マイク」の前にも立つ。
 一般国民には今まで何も知らせずに居ったのであるから、突然、
 この決定を聞く場合、動揺も甚しいであろう。陸海軍将兵には更に
 動揺も大きいであらう。この気持をなだめることは相当困難なこと
 であろうが、どうか私の心持ちをよく理解して陸海軍大臣は共に努
 力し、良く治まる様にして貰いたい。必要があれば自分が親しく説
 き諭してもかまはない。この際、詔書を出す必要もあるうから政府は
 早速其起案をして貰いたい。以上が私の考えである。」


●阿南陸相は鈴木総理に謝罪した。
阿南が
「今までのご無礼、お許しください。」
といい、葉巻を総理にあげた。
鈴木総理は
「気にしなくてもいい。」
と阿南の両肩に手をやった。
「では、失礼します。」

鈴木首相が
「暇乞いをしに来たのだろう。」
と寂しく独り言を言った。

●陸軍省官舎
畑中少佐らのクーデターが計画が始まった。


●宮内省
21:00 録音が始まった。
天皇は玉音放送の原稿を呼んだ。


【4】結の章・・・・クーデターの結末&阿南の自刃・天皇の
真夜中24:00

●陸軍省官舎
00:08 畑中少佐ら青年将校がクーデターを開始された。
※宮城事件・・・敗戦日の前日、陸軍&近衛師団の一部が
日本の降伏に反対して阻止しようと起こしたクーデター事件である。

01:00畑中少佐ら青年将校は味方を募った。 

01:03
●阿南邸
阿南は遺書を書いた。
「一死以て大罪を謝し奉る」との遺書を残した。
運転手の将校と飲み始めた。

●阿南の妻
息子の死を知らせようと疎開先から東京へ向かった・

●陸軍省官舎
01:10@畑中はクーデターを渋る森?閣下をピストルで射殺した。
 陸軍省を掌握した

●陸軍省近衛師団
01:37A近衛師団のクーデター賛同者を配下に置いた。

●宮内省
01:37B別働隊が近衛兵の服装に着替え宮内省に潜入した。
   宮内省を占領した。
   玉音放送のレコードを奪おうとした奔走する。
   
●放送局
02:00 畑中ら青年将校は放送局も占拠した。
  保木令子:ラジオ局放送員が電源を切った。
   
●宮内省
青年将校は電話線を切る。

●阿南宅
井田中佐は阿南に協力要請に行く。
しかし、阿南は割腹自殺前。
井田は
「自分もおともさせてください。閣下の後を追います。」
阿南は井田の頬を3発はたいた。
「お前は生きろ。死ぬのは俺一人だ。」
井田は泣いた。
3人はまた飲み直した。
阿南はうれしそうだった。

●首相官邸


●放送局
畑中は
「大本営発表・・・陸軍・海軍は全員・・・。」
★分かんなかった・

畑中少佐ら青年将校が
●宮内省前
 田中静壹陸軍大将
「これは偽の放送である。」
と軍部を止めた。

05:30
●阿南邸
阿南は
「一人にしてくれ。」
と頼んだ。
縁側で割腹した。でも、簡単には死ねない・
「介錯いたしましょうか?」
「いや、無用だ。」
と断った。
そして、首に小刀を当てた。

やがて、妻が到着した。
「お知らせしたいことが・・・息子??が死にました。
貴方のいう通り、どんどん。。という言葉を言って鼓舞した
そうです。仲間に好かれていたそうです。」

●宮城
 天皇は苦悩していた。

●田中静壹陸軍大将がクーデターを鎮圧した。
  クーデターは失敗に帰した。
08:00 畑中少佐&??はピストル自殺した。


●首相官邸
09:00鈴木総理が
「総辞職の時だね。これからは老人のでる幕ではない。」

●放送局
 正午に間に合わせようと必死だった。

 

08月15日正午 ★日本国民へ玉音放送(終戦の詔)。
玉音放送
「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ
收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
(私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置
をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良な臣民=
国民に申し伝える。)
 
終戦?・・・一部、終戦ではなかった。
支那派遣軍と南方軍これに抗議し戦闘続行。

●8月17日鈴木貫太郎内閣総辞職。
★天皇も・・・・・。コメントは控えることにする。
鈴木総理は日本の終戦ために偉大な働きをした人物であった。
 阿南も天皇、そして日本の行く末を考えた立派な人物であった。
 鈴木貫太郎内閣も天皇、日本の戦争終結の大任を果たした
内閣であった。
しかし、鈴木内閣は聖断を仰ぐに至った責任を取るとして、内閣
総辞職したのだった。
鈴木総理は、やっと仕事を終えたと思ったであろう。
 後は連合国の出方を待つばかり・・・。

※日本では、戦争終結は8月15日、
 しかし、9月2日とする考えもあるようだ。




★明日は未定・・・

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