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zoom RSS 箕輪初心:生方★【樋口一葉】:五千円札の女流作家

<<   作成日時 : 2015/04/19 06:20   >>

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★平成27年(2015)4月12日、山梨県甲州市の甘草屋敷で「樋口
一葉」の写真や年表を見た。慈雲寺の寺子屋で両親:樋口大吉
(則義)と古屋あやめ(多喜)がで出会い、安政4年(1857)に江戸
へ駆け落ちして、明治5年(1872)樋口一葉が生まれたということ
を知った。慈雲寺で、樋口一葉の記念碑、幸田露伴らにより建立
された「一葉女史碑」を見た。今回は、五千円札の肖像として馴
染み深い明治の女流作家:樋口一葉を調べてみた。樋口一葉の
25年の生涯は波乱に満ちたものだった。★「樋口一葉」:塩田良
平著・吉川弘文館をベースにまとめた。
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・裏・・・すかし
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〜〜〜2050412の山梨の旅〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心:生方▲20150412武田躑躅ヶ崎(現武田神社)前編
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newsedit.do

箕輪初心:生方▲【武田の騎馬行列】&箕輪城161「箕輪城関係の武将」
http://53922401.at.webry.info/201504/article_14.html

箕輪初心:生方▲甲府【武田の騎馬行列写真集】&「小竹のほうとう」
http://53922401.at.webry.info/201504/article_15.html

箕輪初心▲山梨甲州市:甘草屋敷の「雛飾り」写真集&武田信玄公の像
http://53922401.at.webry.info/201504/article_17.html



箕輪初心:生方:山梨【慈雲寺のイトザクラ】&「塩山桃源郷の桃の花」
http://53922401.at.webry.info/201504/article_18.html





【1】甲州市の甘草屋敷の写真や年表等の資料
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【2】甲州市の「慈雲寺」
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@樋口一葉の記念碑
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A幸田露伴らにより建立された「一葉女史碑」
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B「真下晩菘先生生誕之地」
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【3】祖父:樋口八左衛門
 武田家の浪人であったらしい。
 学問を好み、漢詩、俳諧や和歌&狂歌などに親しんだ。
 江戸の御家人真下晩菘(専之丞)から江戸の情報を知り、横浜開港
 に際しては生糸輸出の事業に着手した。
 ※樋口一葉は『にごりえ』で、祖父:八左衛門の教養や反骨精神を
 主人公:お力の祖父に重ねて描いている。
 祖父は阿部正弘に水利権のことで直訴した。
 御触書や御沙汰書を模写したという。
・明治4年樋口一葉が生まれる前年に死去した。
 

【4】父:樋口則義
 農業より学問を好んだ。
慈雲寺の寺子屋で、白厳和尚に学んだ。
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 両親:樋口大吉(則義)と古屋あやめ(多喜)が出会った。
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・安政4年(1857)  樋口大吉&古屋あやめの結婚を許されなかった。
古屋あやめは先祖が降矢三郎を祖とする由緒ある家柄であった。
  古屋の父は結婚を許さなかった。
 2人は江戸へ駆け落ちした。
 本当はあやめが妊娠8ヶ月になっていたのだ。
 翌日、樋口則義は蕃書調所勤番であった真下晩菘を頼った。
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 蕃書調所の使用人となった。
・安政5年(1858) 大坂勤番になった。
・安政6年(1859) 後に大目付になった菊池氏の家臣になった。
★樋口八十之進→樋口義規に名前を変えた。
★あやめ→多喜に名前を変えた。
下谷の菊池家長屋に住んだ。

・慶応3年(1867) 南町奉行組下同心になった。
真下晩菘(専之丞)の斡旋があり、樋口為之助(則義)は
  浅井竹蔵から同心株を買い、幕府直参となった。
★樋口則義には、真下のようになりたかったのであろう。  

・明治元年(1868) 外国人居留地下役として士族の身分を得て
  東京府庁に勤めた。

・明治5年(1872)樋口夏子(一葉)が生まれた

・明治9年(1876) 免職。
本郷6丁目5番地に移り住んだ。

・明治10年(1877) 警視庁の雇となった。

・明治13年(1880) 勤めのかたわら闇金融、土地家屋の売買に力を
注いだ。職権で入手した情報をもとに不動産の売買・斡旋などを
 副業に生計を立てていたという。


【4】樋口一葉の生涯
・明治5年(1872)3月25日(???)、樋口則義の次女として誕生
  した。
   樋口「奈津」(なつ)東京府第2大区1小区幸橋御門内
  (現千代田区)にあった東京府庁構内の長屋で生まれた。
  父:樋口則義は下級役人になり、一家を支えていた。
 

・明治10年(1877)5歳
本郷小学校に入学。
私学:吉川小学校に入学
    読書に親しんだ。
    滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」や侠客ものが好きだった。 
※樋口一葉はそれなりに安定した生活をしていた。

父が下谷御徒町3丁目33番地に引っ越した。
・明治14年(1879)9歳 私立青海(せいかい)学校(下谷区上野元
   黒門町)に入学。
 小学校にあたる学校を優秀な成績で進級した。

・明治16年 (1883)11歳 私立青海学校小学高等科第四級を主席
  で修了後退学した。
母・・・「女子に学問など必要ない。」という考えであった。
  それで、中途で退学したのだ。
 
  父・・・娘:一葉の才能を高く買っていた。
  知人:和田重雄のもとで和歌を習わせた。

西黒門町22番地に引っ越した。
・明治18年(1885)13歳 
 真下晩菘の孫:渋谷三郎と許婚の関係になった。
 

・明治19年 (1886) 14歳?15歳
 小石川安藤坂にあった中嶋歌子の歌塾「萩の舎(はぎのや)」
 へ弟子入りした。
 和歌・書道(千蔭流)・古典を学んだ。
樋口一葉はたちまち才能を発揮し、数多い門下の中でも一目置かれる
  存在となった。
 ★樋口一葉は和歌においても有名である。
「秋萩の 枝もたゆげに 咲花を あらぬ心に 手折りつるかな」

 
〜〜〜貧乏時代に突入した。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・明治20年 (1887) 15歳 長兄:樋口泉太郎が死去した。
次兄は陶芸家になるために家を出た。
  父は事業に失敗し、借金を作った。

 
・明治22年 (1889)17歳 父:樋口則義が病死した。
 安定した暮らしはやがて終焉を迎え、一葉の人生に苦難の時代が
 訪れた。そして、樋口家を継承した。
 婚約も、破棄された。樋口家が一気に困窮のどん底に落ちた。
 樋口一葉のには、母と妹と借金だけが残ったのだった。

・明治23年 (1890) 18歳
 9月末 東京都本郷区菊坂町70番地に家を借りた。
  母多喜と妹:くにを住まわせた。
  樋口一葉はは中嶋歌子の家に住み込みながら、母や妹とともに
  針仕事・洗張・蝉表などの内職をして生活した。

・明治24年 (1891)19歳
  6年間、「萩の舎」で学んだ。
 「伊勢」「源氏」「枕草子」等を熟読した。

  東京朝日新聞記者兼専属作家の半井桃水(なからいとうすい)
  について、初めて小説の手ほどきを受けた。
 ※ペンネーム「補口一葉」が使われ始めた。
樋口一葉一家は針仕事や着物の洗い張りをしてなんとか暮らしを
 立てたが、収入は微々たるもので生活は極めて苦しかった。
※川田順も極貧生活のことを書いている。

・明治25年 (1892)
樋口一葉は歌塾の先輩であった田辺花圃という女性が小説を執筆
 て原稿料を得たことを知った。
 樋口一葉も小説の執筆を志し、新聞記者にして小説家の半井桃水
 に弟子入りした。
 ★樋口一葉が本格的に小説を書くきっかけとなった。
 樋口一葉の小説は、困窮の中からスタートした。
 「一葉」のペンネーム。。波に翻弄されながら漂う一枚の葉を
 イメージしたものと言われている。

 @半井桃水の主宰した雑誌『武蔵野』に小説「闇桜」が掲載された。
 ★補口一葉の第一作目が発表されたの半井桃水が主宰する同人誌
 であった。半井桃水は作品と生活の両面で一葉をサポートし続けた。
 やがて,樋口一葉は半井桃水に恋心を抱くようになった。しかし、
 歌塾内におけるいざこざなどが原因となり、半井桃水とは絶縁した。

  しかし、暮らし向きが楽にならなかたった。
 樋口一葉は執筆のかたわら、小さな商売を始めた。
 しかし、商売もうまく軌道に乗らなかった。

 A萩の舎の先輩であった田辺花圃(三宅雪嶺夫人)の仲介で、
   雑誌『都の花』に「うもれ木」が連載された。
  樋口一葉は「うもれ木」文壇に高く評価されることとなった。
 ★半井桃水との別れが作品に迫力を与えたとすれば、
  皮肉なことであった。
  これが樋口一葉の出世作となった。

●執筆開始〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

・明治26年 (1893)22歳。
 樋口一葉は筆が進まなかった。
 2月、「万感ここに生じて散乱の心ことに静めがたし・・・」
   (2月27日の一葉日記)状態が続いた。

 『文學界』第3号に「雪の日」が掲載された。
 『文學界』で、星野天知や平田禿木(とくぼく)、・・・
  後に馬場孤蝶や戸川秋骨、上田敏、島崎藤村、川上眉山
 を知った。

7月15日 転居先を探し始めた。

7月20日 浅草吉原の知人のつてで下谷竜泉寺町に移った。
 下谷龍泉寺町368番地へ移住した。・・吉原遊郭の近く
 であった。。

 樋口一葉は開店資金を得るため、家財道具を売り払い、荒物、
 駄菓子の雑貨屋を開いた。荒物雑貨、おもちゃ、菓子などを
  売る小店であった。
 樋口一葉は神田に仕入れに行き、妹が店番をした。
しかし、樋口一葉の商売は繁盛しなかった。

10月 平田禿木(とくぼく)が「文学界」の原稿依頼に来た。

12月  文学界に「琴の音」を発表した。

   
・明治27年 (1894) 23歳
 4月 樋口一葉は久佐賀義孝に援助を求める手紙を出した。
  ★文筆一つに徹する決心をしたのであろう。
 
 約9ヶ月〜で龍泉寺町の店を閉じた。
  東京都本郷区丸山福山町4番地へ転居した。

  天啓顕真術会:久佐賀義孝の家に出かけた。
 久佐賀義孝は占い師・相場師・・・?であった。

 女相場師になる話や妾になるの話が出たらしい。


・5月1日 本郷丸山福山町4番地(現西片1−17−17)に
 転居した。
銘酒屋(私娼宿)=と呼ばれる怪しい新商売の活発な新開地で
 あった。
 樋口一葉は余念なく執筆活動に励んだ。
 まず、「暗夜」を「文学界」に発表した。 
 時には、私娼宿につとめる遊女の手紙を代筆をしたりした。
「萩の舎」の代稽古にも出かけて行った。
「源氏物語」の講義が大学の講義より面白かった
と言われている。

 夏から、戸川秋骨が文学界同人で編集者として樋口一葉と
 付き合った。

12月 「おおつごもり」「文学界」に発表した。
★作風が庶民的になっていった。

「はなごもり」を「文学界」に発表した。


明治28年 (1895) 24歳
 1月から約一年間にわたり龍泉寺町時代の生活体験から取材した
 この間に「にごりえ」「十三夜」「わかれ道」
 などを発表した。
 
 
・明治29年(1896) 25歳
 そして、「たけくらべ」を『文學界』に連載した。
  樋口一葉の小説が輝きを増していった。

1月〜 斉藤緑雨と手紙のやりとりをし始めた。
   斉藤緑雨は高い批評を樋口一葉に寄せるようになった。
   樋口家を訪問しては一葉と江戸文学や当時の文壇について
   語り明かした。
   以来、樋口一葉が没するまで交流が続いた。
 
馬場孤蝶や戸川秋骨なども樋口一葉をたづねてきた。

4月 森鴎外、幸田露伴、斉藤緑雨の「三人冗語」が諸作品を激賞
 した。 
  樋口一葉の『たけくらべ』に対する批評(第4号)は、絶賛した。
 樋口一葉の名前は文壇に名が高まった。
(★ウィキペディア:斉藤緑雨)
 
「うつせみ」「行く雲」などの作品を次々と発表した。

5月 川上眉山が馬場孤蝶・平田禿木に連れられて
訪問した。
文学サロン風の家になっていった。

 ところが、樋口一葉の活躍はここで終わってしまった。
病にかかっていたのである。

11月23日 樋口一葉は肺結核のため、25歳という若さでこの世
 を去った。
  森鴎外から馬で葬儀に華を添えるとの申し出あったが、
  妹は断わったという。

 ★「たけくらべ」をはじめとする傑作の数々はわずか2年程の
 期間に執筆された。困窮の2年間・・・庶民の貧しさや女主人、
 女性であることをテーマにとった作品である。
 困窮の中に生き、若くして亡くなった樋口一葉。
 結果・・・与謝野晶子や平塚雷鳥などの女流作家にも
 大きな影響を与えることになった。
 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・大正5年(1916) 樋口一葉の妹:邦子が先祖の墓参に訪れた。
案内をした廣瀬正平が、廣瀬彌七に
  「樋口一葉の碑を慈雲寺に建立し、後世まで遺したい。」
 と考えた。

・大正11年(1922)10月15日
樋口一葉の27回忌が行われ、樋口一葉の妹:邦子が樋口家の縁戚
  で生糸貿易商:廣瀬彌七とともに文学碑の建造を計画した。
  
  廣瀬彌七や地元有志の出資により東山梨郡大藤村中萩原(甲州市
  塩山)の慈雲寺境内に建てられた。
  10月15日 、除幕式が行われた。
(★ウィキペディアより編集)


◆参考図書
 「樋口一葉」:塩田良平著・吉川弘文館
★「樋口一葉」:塩田良平著・吉川弘文館をベースに
まとめたので、多少時代の流れに間違いがあるかも
しれません。悪しからず・・・。
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「たけくらべ」:樋口一葉・ほるぷ出版 
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「樋口一葉全集」・講談社





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