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zoom RSS 箕輪初心★平治の乱『源義朝&鎌田政清の最後』=長田忠致の裏切り

<<   作成日時 : 2015/01/23 07:31   >>

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鎌田 政清(かまた まさきよ)は藤原秀郷流首藤氏の一族で、相模国の
鎌田権守通清の子である。鎌田政清の母が源義朝の乳母だったことから、
乳兄弟として育った。源義朝から最も信頼され、源義朝の第1の郎党で
あった。しかし、平治の乱で、源義朝&鎌田政清は平清盛に敗れ、2人
は鎌田政清の妻の父:長田忠致の裏切りにあって、運命をともにした。
画像

 (★鎌田政清が幼少の頃に源義朝と共に育った寿福寺)


〜〜〜河内源氏〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
●【0】河内源氏@源頼信→A源頼義→B源義家→C源義国→
D新田義重
箕輪初心★久保田順一先生20141129『河内源氏&
上野国:八幡荘』
http://53922401.at.webry.info/201412/article_11.html


箕輪初心★源義朝(源頼朝の父)の生涯
http://53922401.at.webry.info/201501/article_22.html


〜〜〜源頼朝&伊豆シリーズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★源頼朝@伊豆「伊東→蛭ヶ小島へ」
http://53922401.at.webry.info/201412/article_19.html

箕輪初心▼伊東ダイビング2回
http://53922401.at.webry.info/201307/article_29.html

箕輪初心★源頼朝A伊東祐親の娘:八重姫の悲話&
『伊東祐親の生涯』
http://53922401.at.webry.info/201412/article_20.html

箕輪初心★源頼朝B【蛭ヶ小島3年北条政子との結婚】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_24.html

箕輪初心★源頼朝C「治承4年(1180)8月17日の挙兵
〜19日石橋山の合戦前」
http://53922401.at.webry.info/201412/article_25.html

神奈川▲源頼朝D【治承4年(1180)8月19日〜22日土肥館】&
土肥実平の生涯
http://53922401.at.webry.info/201412/article_26.html

箕輪初心▲源頼朝E【治承4年(1180)8月23日石橋山の戦い
&佐那田神社】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_27.html

箕輪初心▲源頼朝F治承4年(1180) 8月24日逃亡〜梶原景時
〜土肥城〜箱根神社
http://53922401.at.webry.info/201412/article_28.html

箕輪初心▲源頼朝G治承4年(1180)8月27日【荒井城】&
【詠い坂】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_29.html


箕輪初心▲源頼朝H【治承4年(1180)8月28日:岩からの源氏
再興の舟出】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_30.html

箕輪初心▲源頼朝10:埼玉【阿保氏館跡】&「阿保氏の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201501/article_6.html




◆◆ 源義朝&鎌田政清の生涯:平治の乱 ◆◆
※藤原北家秀郷流首藤通清が号を鎌田権守とし、鎌田の始祖
  となった。 
•保安4年(1123) 鎌田政清(まさきよ)が京都?で生まれた。
父:首藤通清(すどうみちきよ)
源義朝と同じ頃生まれた。
  源義朝は母の乳が出なかったので、鎌田政清の母に育てら
  れた。
 ★以後、鎌田政清と源義朝の2人は乳母兄弟として運命を共に
  していくのだ。

・少年時代 鎌倉の扇が谷で過ごした。
源氏の居城:鎌倉扇が谷(現寿福寺)で成長した。
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・青年時代・・25歳?頃まで・・
•鎌田政清は武蔵、相模(神奈川)に勢力を拡大した。
※首藤一族本家・・相模


・久安3年(1147) 源義朝は長男:源義平に東国を任せて都へ戻った
  源義朝は正室の熱田大宮司の娘:由良御前との間に嫡男(3男)
  頼朝をもうけた。
  母の実家の白河院近臣:藤原忠清の後ろ楯を得て、鳥羽院や藤原
  忠通に接近した。

・仁平3年(1153)
源義朝は従五位下下野守に任じられた。
  河内源氏の受領就任は源義親以来50年ぶりであった。

  父・源為義検非違使・・摂関家を背景
    VS
子・源義朝・鳥羽院
  寺社勢力の鎮圧や院領支配のためには東国武士団を率いる
  源義朝の武力を必要としていた

・久寿2年(1155) 大蔵合戦
  源義朝&嫡男:源義平は鎌倉から北に勢力を伸ばした。
  
  源為義の次男:源義賢は上野国:多胡郡から畠山重忠の娘を妻
  にした。武蔵大蔵に館を持ち勢力を南に伸ばしていた。
 
  ・・・権益がぶつかった・
  源義朝は父:源為義の意向を受けて東国に下向した。
  次男:源義賢+畠山重忠・・・

 【大蔵合戦】
  弟:源義賢を長男:源義平に討たせた。
  対抗勢力を排除して坂東における地位を固めた。

  父:源為義と子:義朝の対立は深まった。
 

・保元元年(1156)7月 保元の乱
崇徳上皇方・・・父:源為義、3男:源頼賢・8男:為朝

後白河天皇方・・長男:源義朝*平清盛・信西・藤原忠通
  東国武士団を率いて参陣し後白河方の中信となって戦った。
鎌田は源義朝に従って従軍した。
  源為朝に対戦したが、撤退した。
 
 結果・・後白河天皇方が勝利
 7月30日 父:源為義&源頼賢らが源義朝に処刑された。
 
  源義朝は恩賞として左馬頭に任じられた。



・平治元年(1159)12月9日(11月19日)平治の乱

源氏 VS 平氏
藤原信頼の戦力・・・
 源義朝・源重成・源光基・源季実、源光保らであった。
 義朝配下は、長男:義平・次男:朝長・3男:頼朝、叔父:源義隆、
 信濃源氏:平賀義信などの一族、鎌田政清・後藤実基・近江源氏:
 佐々木秀義などの郎等であった。源義朝の関東の家臣:三浦義澄
 (源義平の義理の父)・上総広常(義朝を養育した)・源氏譜代:
 山内首藤俊通・片桐景重・大庭景親などが参戦した。
 今回の隠密裏のクーデターであり、源義朝の個人的な関係による
 少ない兵力である。

12月9日深夜、藤原信頼と武将らの軍勢が院御所三条殿を襲撃した。
  藤原信頼らは後白河上皇・上西門院(後白河の同母姉)の身柄を
 確保し、三条殿に火をかけて逃げる者に矢を射掛けた。
 信西一門はすでに逃亡していた。

12月10日 信西の子息(俊憲・貞憲・成憲・脩憲)が逮捕された。
  信西は山城国田原に逃れたが、源光保の追撃を振り切れず、
 自害した。

12月14日 藤原信頼は内裏に二条天皇・後白河上皇を確保して政権
 を掌握した。
 臨時除目で源義朝は播磨守、源頼朝は右兵衛権佐となった。

平清盛は熊野詣での途中で、話を聞いた。
 「何、信頼と義朝が謀反じゃと、・・・・。」


12月17日 信西の首が大路に梟首された。 
 同日、平清盛が帰京した。
  内大臣:藤原公教を中心に二条天皇六波羅行幸の計画された。

12月25日 平清盛は藤原信頼に臣下の礼を取った。
 夜、後白河上皇の内裏脱出した。
  二条天皇の六波羅への行幸が実行された。

 平清盛は源義朝を討つ宣旨を貰うことに成功した。



 ※源頼政は美福門院の家人であり、藤原信頼・源義朝に従属する
 立場ではなかった。・・・しかし、後に治承4年(1180)5月には、
 以仁王と源氏再興を決起した。・・・

12月26日 六波羅合戦 
 平氏軍は六波羅近辺へと移った。
 微少兵力の源義朝は決死の覚悟で六波羅に迫った。
 しかし、六条河原(下京区の鴨川)で敗退した。
 源義朝は平氏軍と源頼政軍の攻撃を受けた。
 山内首藤俊通・片桐景重らが必死の防戦をする間に戦場から脱出
 した。

 藤原信頼は仁和寺に出頭した。

12月27日 藤原信頼が処刑された。

結果・・・平清盛の勝利
次男:源朝長・叔父:義隆を失った。

 源義朝は東国への脱出を図った。
 源義朝の一行は8人であった。
 (漫画:源頼朝:集英社)
落人狩りでにあった。・・・途中で源頼朝とはぐれた。
 
 源頼朝は美濃で村人に助けられた。

12月28日 美濃の不破の関・・・ここを越えれば・・
 源義朝は鎧を捨てた。・・・
 源義朝は子供だちと生き別れ・・・
 源義朝は敗走の旅で、憔悴した。
 源義朝の側近:鎌田政家も心労のためにすっかりやつれていた。

12月29日 源義朝は尾張国野間荘司:長田忠致邸にやっとたどり
 着いた。(愛知県知多郡美浜町)
鎌田政家の妻「清」の父は長田忠致であった。
 長田忠致は源義朝の家人の一人であった。
 長田忠致は源義朝の一行を歓待した。

 一時の安堵の場であった。

12月31日 源義朝と鎌田政家は野間で平穏な生活が始まったか
 に思われた。平冶元年の暮れも追しつまった日のことであった。

 長田邸は父:長田忠致、兄:景致らの酒宴が始まっていた。
 「清」は夫の鎌田政家の声を聞くのは久しぶりであった。


平治2年(1160)
1月1日 正月・・・
鎌田政家の妻:「清」は兄:長田景致が気にかかっていた。
「兄が災いしなければよいが・・。」
 と、清は危惧した。


1月3日 
長田景致は
 「義朝討つべし。・・・
「源義朝を討って、首を平清盛に差し出し、帰属を申し出る。
  さすれば、平清盛は許してくれるだろし、・・・う〜ん、
  恩賞が与えられ、長田家は末長く安泰であろう。
 ・・・」
 と主張した。

1月4日 
 源義朝一行は野間を旅立つ予定になっていた。
  
 長田一族が集まり、酒宴を開いた。
 源義朝が疲労のため・・・・酔っ払った。
 源義朝と鎌田政清は湯に入った。

 突然、湯殿の方角から聞えた怒りの声・・・
 「何をするのだ。・・・・」
 
 清が見た光景は・・
 背を向けて立ちはだかる兄の長田景致と郎党達の姿・・・
 隣では源義朝が横たわっていた。
 そして、腹部に刀が刺さった夫:鎌田政清の無残な姿・・・
 清は
「政清様・・・。」
 と叫びながら、政清に近寄った。正清は
 「清・・・」
 と、最後の力を振り絞った。
(★勝手な創作・・・源頼朝の漫画より)

源義朝&鎌田政清は長田忠致の郎党に湯殿で殺害されたのだ。
  (★『平治物語』)
 
 
1月9日  
  長田父子は平家の恩賞を受けるために源義朝&鎌田政清の首を
  都に持参した。
  源義朝と鎌田政清の首は京都で首を切られた。  
  源義朝と鎌田政清の首は京都で獄門に晒された。

  長田忠致は壱岐守に、長田景致は左衛門尉に任じられた。
  しかし、それを不服として尾張国も賜りたいと繰り返し願った。
  平家は
  「自分の主人と自分の婿を討った大罪人として、罪科に処する。」
  と脅された。
  長田父子はしかたなく尾張国に戻った。

1月18日
  長男:源義平は難波経房の郎等・橘俊綱に捕らえられた。
  
1月21日 長男:源義平は六条河原で処刑された。

2月9日 源頼朝も平頼盛の郎等:平宗清(弥平宗清)に捕まった。
  源頼朝は京の六波羅へ送られた。処罰は死刑が当然視され
  ていた。
  平清盛の継母:池禅尼の嘆願で助命された。
  池禅尼は待賢門院(後白河上皇:上西門院の母)近臣家
  出身だった。
  上西門院と近臣・熱田大宮司家が繋がりがあった。
  そして、源頼朝は上西門院の蔵人をつとめていた。
  平清盛は助けた。・・・★失敗のはじまりだった。


・・・・※大庭景親も当然打ち首のはずだった。
   しかし、平清盛が助けた。・・・恩義を感じた。



●源義朝妻 
  正室:藤原季範娘(由良御前)
  側室:常盤御前、三浦義明の娘、波多野義通の妹
   遠江国池田宿遊女、青墓長者大炊 

●源義朝の子ども
長男:義平・・・・三浦義明娘説が有力。源義賢を討った。
次男:朝長・・・・波多野氏の妹*娘?豪族と婚姻関係を結んだ。
3男:頼朝・・・・母:藤原季範の娘=由良御前★身分が高い。
4男:義門
5男:希義
6男:範頼・・・・母:池田宿(=磐田市)の遊女?
7男:阿野全成
8男:義円
9男:義経・・・・母:常盤御前
長女:坊門姫
次女:女子?



・治承4年(1180) 源頼朝の挙兵
  大庭景親は源頼朝の追討軍の大将になった。


・文治元年(1185)
9月3日 鎌田政清の首は源義朝の遺児:源頼朝によって、
 源義朝の遺骨と共に鎌倉の勝長寿院に葬られた。


※戦国時代・・行田の鎌田の鎌田五郎左衛門が屋敷を築いた。
 成田分限帳には鎌田修理の名前がある。


・建久5年(1194)
10月25日 鎌田政清の娘が勝長寿院で父・政清と義朝の追善供養
 を行った。
 鎌田政清に男子がなかったので、源頼朝は鎌田政清の娘に尾張国
 篠木庄、丹国名部庄の地頭職を与えた
  (★『吾妻鏡』)

 ※鎌田政清夫妻の墓
 ※源義朝の墓
 =愛知県美浜町の野間大坊の境内に葬られた。


・文治5年(1189) 鎌田鎌田政清の子:鎌田新藤次俊長は
  伊豆の鎌田城を築いた(伝)。
  鎌田俊長は平家の来襲に備えるために鎌田城を築いたという。
2〜3月頃には紹介予定である。



●源義朝妻 
  正室:藤原季範娘(由良御前)
  側室:常盤御前、三浦義明の娘、波多野義通の妹
   遠江国池田宿遊女、青墓長者大炊 

●源義朝の子ども
長男:義平・・・・三浦義明娘説が有力。源義賢を討った。
次男:朝長・・・・波多野氏の妹*娘?豪族と婚姻関係を結んだ。
3男:頼朝・・・・母:藤原季範の娘=由良御前★身分が高い。
4男:義門
5男:希義
6男:範頼・・・・母:池田宿(=磐田市)の遊女?
7男:阿野全成
8男:義円
9男:義経・・・・母:常盤御前
長女:坊門姫
次女:女子?




◆参考文献・資料
・「武士の誕生」:関幸彦著
・『河内源氏』元木泰雄著
・『保元・平治の乱を読みなおす』元木泰雄著
・新田義重:久保田順一著
・源頼朝:学研
・源頼朝:集英社
・新日本古典文学体系『保元物語・平治物語』 


◆参考サイト
・ウィキペディア等


●【1】新田義重の関係〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★高崎:新田義重&茶臼山城
http://53922401.at.webry.info/201309/article_27.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_27.html

●【2】里見氏関係:里見義俊〜


●【3】山名氏関係:山名義範〜
箕輪初心●群馬:高崎「山名義範館」=子孫は山名宗全
http://53922401.at.webry.info/201102/article_31.html

箕輪初心★「上野国:山名義範〜応仁の乱:山名宗全」
http://53922401.at.webry.info/201309/article_26.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_26.html

箕輪初心●兵庫『出石:有子山城』=山名一族の古城
http://53922401.at.webry.info/201304/article_20.html


〜〜〜深谷川本の城祉〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心■埼玉川本【畠山重忠公史跡公園】
:畠山重忠公生誕の地
http://53922401.at.webry.info/201407/article_16.html

****木曾義仲公&斉藤実盛公&畠山重忠公関係************
箕輪初心★埼玉熊谷市【斎藤実盛館】=実盛と義仲の因縁
http://53922401.at.webry.info/201406/article_18.html

箕輪初心★【木曾義仲B】ゆかりの地:埼玉&群馬&長野
  &富山&石川
http://53922401.at.webry.info/201406/article_16.html

箕輪初心★木曾義仲ゆかりの地:埼玉→信濃→上野→
信濃→北陸へ
http://53922401.at.webry.info/201406/article_17.html

箕輪初心●埼玉嵐山町【大蔵館】&源義賢の生涯
http://53922401.at.webry.info/201406/article_15.html

箕輪初心●埼玉嵐山町『菅谷城1回目』=畠山重忠の館跡
http://53922401.at.webry.info/201406/article_12.html

箕輪初心●埼玉嵐山町【菅谷城2回目】&畠山氏→北条氏
http://53922401.at.webry.info/201406/article_14.html

〜〜〜熊谷の城祉〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★熊谷:熊谷次郎直実&熊谷寺
http://53922401.at.webry.info/201408/article_25.html

箕輪初心▲熊谷:【中条氏館】:常光寺&中条家長&子孫
http://53922401.at.webry.info/201409/article_1.html






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