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zoom RSS 箕輪初心★木曾義仲Cゆかりの地:埼玉→信濃→上野→信濃→北陸へ

<<   作成日時 : 2014/06/16 20:35   >>

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★木曽義仲の人生の「華」は26〜30歳の間である。絶頂
期には旭将軍となり、半年の間に栄華と没落を経験した
人物である。天下とりの期間は明智光秀の3日より長い。
★木曾義仲は個人的には「悲運の武将」としか思えない。
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******木曾義仲の関係********************************
箕輪初心●木曽義仲(1154〜1184)=征夷大将軍に
なった人物。
http://53922401.at.webry.info/201107/article_29.html

箕輪初心★木曾義仲:上野国多胡庄2ヶ月
    →信濃依田城で蜂起
http://53922401.at.webry.info/201310/article_3.html

箕輪初心●埼玉嵐山町【大蔵館】&源義賢の生涯
http://53922401.at.webry.info/201406/article_15.html


箕輪初心★新田義重&茶臼山城
http://53922401.at.webry.info/201309/article_27.html

箕輪初心★2代目:里見義成
http://53922401.at.webry.info/201309/article_30.html


*******埼玉の城************************************
箕輪初心●埼玉【第53回寄居北條まつり後編:攻防戦】&
『鉢形城の歴史詳細』
http://53922401.at.webry.info/201405/article_15.html

箕輪初心○埼玉【第53回寄居北條まつり前編@準備〜パレード】
http://53922401.at.webry.info/201405/article_14.html

箕輪初心●埼玉:鉢形城4回目:外曲輪〜三の曲輪〜
二の曲輪〜本曲輪
http://53922401.at.webry.info/201311/article_30.html

箕輪初心●埼玉『鉢形城』&北条氏邦の箕輪城の大改修
http://53922401.at.webry.info/201305/article_16.html

箕輪初心●『鉢形城の歴史詳細』&47回寄居北條まつり2008
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201305/article_15.html

箕輪初心◆埼玉『第52回寄居北條まつり2013鉢形城』
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201305/article_14.html

箕輪初心●箕輪城115【赤備え】&北条三鱗会の井伊直政
手作り甲冑@」
http://53922401.at.webry.info/201311/article_29.html

箕輪初心○埼玉寄居町【花園城】=鉢形城の支城
http://53922401.at.webry.info/201405/article_17.html

箕輪初心●埼玉長瀞町【天神山城】=鉢形城の支城
http://53922401.at.webry.info/201405/article_16.html

箕輪初心●埼玉美里町【猪俣4城】&猪俣邦憲=北条氏滅亡へ?
http://53922401.at.webry.info/201405/article_18.html

箕輪初心▲埼玉本庄市【金鑽神社〜▲御嶽山城断念】
http://53922401.at.webry.info/201405/article_19.html

箕輪初心●埼玉本庄市【雉ヶ岡城】=上杉顕定の城→北条氏の城
http://53922401.at.webry.info/201405/article_32.html

箕輪初心★『塙保己一』と【「群書類従」の箕輪城】
http://53922401.at.webry.info/201405/article_33.html

箕輪初心○埼玉本庄市【本庄城】=本庄氏在城34年
http://53922401.at.webry.info/201406/article_1.html

箕輪初心▲埼玉寄居町【金尾山城】&【金尾弥兵衛居館】
=鉢形城支城
http://53922401.at.webry.info/201406/article_2.html

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箕輪初心○埼玉深谷市【深谷城】&『深谷上杉氏の歴史』
http://53922401.at.webry.info/201406/article_4.html

箕輪初心★埼玉深谷市【庁鼻和城】&4代上杉憲顕の子:
庁鼻和上杉憲英〜
http://53922401.at.webry.info/201405/article_25.html

箕輪初心●埼玉深谷市【人見氏館】=猪俣人見氏→庁鼻和上杉氏
http://53922401.at.webry.info/201406/article_5.html

箕輪初心●埼玉深谷市【東方城】=深谷城の支城
http://53922401.at.webry.info/201406/article_6.html

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箕輪初心●埼玉小川町【高見城=四津山城】=鎌倉上道に築城
http://53922401.at.webry.info/201406/article_7.html

箕輪初心○埼玉小川町【中城=猿尾(ましお)氏館】
http://53922401.at.webry.info/201406/article_8.html

箕輪初心●埼玉小川町【青山城=割谷城】
http://53922401.at.webry.info/201406/article_9.html

箕輪初心●埼玉小川町【腰越城】=山田氏の城
http://53922401.at.webry.info/201406/article_10.html

箕輪初心●埼玉嵐山町『杉山城』=関東管領の城→北条氏の城
http://53922401.at.webry.info/201406/article_11.html

箕輪初心●埼玉嵐山町『菅谷城1回目』=畠山重忠の館跡
http://53922401.at.webry.info/201406/article_12.html

箕輪初心●埼玉ときがわ町『小倉城』=遠山光景の石垣の城
http://53922401.at.webry.info/201406/article_13.html

箕輪初心●埼玉嵐山町【菅谷城2回目】&畠山氏→北条氏
http://53922401.at.webry.info/201406/article_14.html

箕輪初心●埼玉嵐山町【大蔵館】&源義賢の生涯
http://53922401.at.webry.info/201406/article_15.html

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箕輪初心◆埼玉県の歴史
http://53922401.at.webry.info/201405/article_22.html


*******関東管領:上杉家関係***************************
箕輪初心★山内上杉16代@「初代〜7代」=足利尊氏の母方系
http://53922401.at.webry.info/201405/article_23.html

箕輪初心★上杉家A『8代:憲実〜9代:憲忠〜10代:房顕』
http://53922401.at.webry.info/201405/article_26.html

*********上杉顕定の関係****************************
箕輪初心★太田道灌の生涯:長尾景春のライバル
http://53922401.at.webry.info/201312/article_1.html

箕輪初心★長尾景春:関東下克上で従兄弟:太田道灌と交戦
http://53922401.at.webry.info/201311/article_31.html

箕輪初心★【連歌師:飯尾宗祇】&関東管領:上杉&長尾
http://53922401.at.webry.info/201404/article_24.html

箕輪初心★『宗長の生涯』:世捨て人の彷徨
http://53922401.at.webry.info/201404/article_25.html

箕輪初心★本間家の歴史;佐渡本間一族→酒田本間家
 日本一の地主へ
http://53922401.at.webry.info/201307/article_20.html
★長尾為景の協力者:佐渡本間家が上杉顕定を倒した。

箕輪初心◆2013群県博:新潟県「上杉氏」関興寺・瀧澤寺・
雲洞庵・坂戸城・管領塚
http://53922401.at.webry.info/201310/article_21.html
★上杉顕定の管領塚=戦死した場所

***********上杉憲房の関係**************************
箕輪初心●群馬「平井城」=関東管領:上杉憲政の城
http://53922401.at.webry.info/201107/article_7.html

箕輪初心●群馬【平井城前編】:8代上杉憲実〜16代上杉謙信
http://53922401.at.webry.info/201405/article_30.html
http://53922401.at.webry.info/201405/article_29.html

箕輪初心●群馬【平井城後編】関東管領:【15代:上杉憲政 】
http://53922401.at.webry.info/201405/article_31.html

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★★ 木曾義仲の人物伝紀行 ★★
・仁平2年(1152) 源氏の棟梁(六条判官)源為義の次男:
        源義賢が築いた。

■大蔵館・・・大蔵源氏の棟梁:源義賢の居館跡である。
 大蔵館は都幾川を挟んで、菅谷館対岸にある。
 大蔵神社の境内と周辺一帯の土塁と空堀に囲まれた方形
 の居館であった。
 東西約200m×南北約220m。
 大蔵神社入口の南側と西側には高さ約3mほどの土塁が
 残っている。


【1】木曾義仲の誕生と悲劇
・久寿元年(1154) 木曾義仲(駒王丸)は武蔵国大蔵(埼玉県嵐山町)
  で誕生?
   父は源義賢
   母は小枝御前説の場合・・?。
  誕生説2つある。
@武蔵国の大蔵館説
  埼玉県嵐山町・・・父:源義賢の館がある。
    木曾義仲の生誕の地として有力説らしい?
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   ■鎌形八幡神社・・・
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「木曽義仲産湯の清水」碑
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A上野国の多胡館説
    群馬県多胡にも源義賢の生誕地説がある。
    秩父重隆の娘婿の源義賢の子ならば、
    群馬県生まれの可能性がある。
   武蔵国の最大勢力:秩父重隆の娘を娶った。   
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・久寿2年(1155) 「大蔵の戦い」・・・
■大蔵館
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 関東で実力・人望もあつかった源義賢。
  「大蔵の戦い」・・・
  源義賢の兄:義朝は危機を感じ、源義賢の館
  :大蔵館を急襲した。

  源義賢は兄:源義朝の嫡男の悪源太義平に殺害
  された。

■源義賢の墓・・大蔵館から東の新藤氏屋敷内の小さな
  祠の中にある五輪塔(伝)。

 ※鎌倉上道は大蔵館の東100mには鎌倉街道が南北に
 通っていた。
 
 源義賢の死→源義朝・義平父子の勢力が拡大。
   東国関東の武士団は源義朝に従うようになった。


【2】木曾義仲の逃亡生活時代〜幼年時代
  父:源義賢が父の兄:源義朝の
   嫡男の悪源太義平と源頼朝に殺害された。 
※実際に源義賢を討ち取ってしまったのは、斎藤実盛
   らしい。しかし、斎藤実盛のかつての主人は源義賢
   で主人であった。
   斉藤実盛は2歳になる源義賢遺児:駒王丸(木曾義仲)
を連れ、畠山重能の館に逃げ込んだ。
木曾義仲は畠山重能・斉藤実盛らに匿われた。
   

■畠山重能の館:菅谷城
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■斉藤実盛の館:妻沼館
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  娘:小枝と駒王丸は斎藤実盛の助けられて信濃国に
  逃れた。
 

 ★そして、おそらくは依田館(上田市丸子町)に行った。

斎藤実盛は源義賢の遺児:駒王丸を菅谷城城主:畠山重能
 から預かった。

滋野党:根井行親と滋野党棟梁:海野幸親に
 よって、更に信濃の山深い木曽に逃れた。
 信濃国府の権守:中原兼遠の許へ送られた。
駒王丸(後の旭将軍・木曾義仲)の乳母の妻
 である信濃国の中原兼遠に送り届けたのであった。
 
 中原兼遠は事情を知って、駒王丸を引き取った。
 中原兼遠は自分の子供たちとともに育てることにした。
 ★中原の子ども達は弟が増えたとしか思っていなかった
のかもしれない。
  【まんが木曾義仲】・・・
 「乳母だから、子ども同然だ。」と言った・


・平治元年(1159) 平治の乱
平氏と源氏が武家の頂点を目指して戦った。
 平清盛が「源氏打倒」の計画を錬っておこした。
 源氏はあっけなく敗北した。
 
 結果・・・駒王丸(木曾義仲)の父を討った悪源太義平
   も、暗殺を指示した源義朝も戦死した。
  源氏の中に駒王丸を追う者はいなくなった。

  

【3】木曽義仲の木曽時代 
   駒王丸(木曾義仲)は木曾宮ノ越宮原(日義村)
   信濃に逃れた。
   木曾谷山下(木曽福島町上田の豪族:中原兼遠の
   庇護下に育ち→成人した。
   
   中原兼遠は平氏の目を気にしながらも、駒王丸の源氏の
    血を頼りに着々と信濃での勢力を広めた。

■上松の木曽館
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・永万2年(1166)  駒王丸は平氏に気づかれないように京都
  の石清水八幡宮で元服した。
  「木曽義仲」と名乗ったのである。
■石清水八幡宮・・・



【4】源頼朝の蜂起&木曾義仲の「蜂起」
・治承4年(1180) 
 5月    後白河上皇の皇子以仁王(もちひとおう)と源頼政が
       「平氏打倒」をスローガンに挙兵。
 
 6月    宇治川の合戦 
       結果・・・源頼政の戦死。
       文覚上人は頼朝に義朝のドクロを見せた。(伝)
   ★写真がみつからない。  
 
 8月17日 三島大社の例祭
     源頼朝が伊豆:蛭が小島(静岡県韮山町)で挙兵。
     →北条時政らの援助を得て、伊豆の目代(もくだい)
      山木兼隆(政子の最初の結婚予定相手)を討った。
 
 8月19日 土肥(神奈川県湯河原町)
       北条時政ほか300騎。
 
 8月21日 平氏3000騎。
       「三浦義明一族が来る前に戦おう。」
 
 8月22日 石橋山の戦い(神奈川県小田原市) 
       大庭景親(かげちか)に敗北。
       北条時政の長男:宗時は戦死。
  
  →しとどの岩屋(神奈川県湯河原町)の隠れた。
     平氏一門:梶原景時が見逃した。(伝)
  →土肥(神奈川県湯河原町岩)から船に乗って、
    安房(千葉県)木更津へ逃亡。
   ★岩ダイビングは7回程・・・」
 
    安西景益の家に落ち着いた。


・治承4年(1180)   9月7日 1000騎
   【まんが木曾義仲】・・・木曾で挙兵。
   市原の戦い。
   木曾義仲 VS  笠原頼直

    初戦に勝利すると、木曾義仲の評判が上がって、
    味方が増えていった。
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●●久保田順一先生の説では、治承4年(1180)の源頼朝
 の蜂起前後には上野国には、4つの勢力があったと
 いうのである。
@藤原秀郷流の子孫系勢力・・中心は 藤原秀郷流足利俊綱
A新田義重の八幡庄軍団・・新田義重?新田義兼
B木曾義仲の多胡軍・・・・・
C源頼朝の勢力・・・・・・・藤原義因&摂関家の武士
 「長野氏など」


●木曾義仲の蜂起
木曾義仲の父は源頼朝の兄:源義平に殺され
   ている。
  木曾義仲と源頼朝は決して仲がいいわけではない。


9月7日 信濃で木曾義仲が挙兵。
      長男:木曽義高を源頼朝に人質に出した。
        ★なんと律儀な・・・。
     木曽→糸魚川→(北陸道)→・・

10月13日 木曾義仲は亡父:源義賢の根拠地:上野国
  多胡庄に入った。
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【吾妻鏡・・・治承4年(1180)10月13日】
 木曽義仲は亡父義賢の旧蹟を尋ね信濃国を南下し
 上野国に入った。
 足利俊綱(藤姓足利氏)の所領だが彼を恐れる必要は
 ないと民に命じた。
 
【吾妻鏡・・・治承4年(1180)12月24日】
木曽義仲は上野国を退去し信濃国に戻った。
多胡荘は亡父義賢の所領だったので留まる意思はあった
が既に頼朝の勢力範囲なので退去した。

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箕輪初心●木曽義仲(1154〜1184)=征夷大将軍になった人物。
http://53922401.at.webry.info/201107/article_29.html

箕輪初心★新田義重&茶臼山城
http://53922401.at.webry.info/201309/article_27.html

箕輪初心★2代目:里見義成
http://53922401.at.webry.info/201309/article_30.html

富岡武蔵:依田城・・・★元陶芸の同僚です。
 ★細かいです。
http://tomioka.at.webry.info/201308/article_22.html
http://tomioka.at.webry.info/201308/article_23.html
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10月13日 木曾義仲は亡父:源義賢の根拠地:上野国
     多胡庄に入りした。
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箕輪初心★木曾義仲:上野国多胡庄2ヶ月→信濃依田城で蜂起
http://53922401.at.webry.info/201310/article_3.html
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■多胡館
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 ★木曾義仲にとって兵を集めなければならなかった。そのため
 多胡館を根拠地としていた父:義賢の人脈を頼って行ったので
 あろう。木曾義仲自身も多胡庄を根拠地としようとしたのかもし
 れない。

@藤原秀郷流の子孫系勢力・・中心は 藤原秀郷流足利俊綱・忠綱
→平家に付き、上野国府を攻撃。・・・失敗。

A新田義重の八幡庄軍団・・新田義重?新田義兼
→源頼朝に呼応せず、自立の道を歩もうとした。
9月30日 上野の新田義重(里見義俊の父)は源頼朝に呼応せず、     
  寺尾城(高崎市寺尾茶臼山城・・城山団地奥)の籠城。
  (理由@・・・足利俊綱が上野国府を焼き討ち。)
  (理由A・・・木曾義仲は上野:多胡庄に進出。
    かつて、木曾義仲の父:源義賢の所領だった。)
  (理由B・・・先祖源義国の3男で、俺は嫡流である。
         頼朝先祖:源為義は6男。)
     
  新田義重長男:里見義成「源頼朝の側近として活躍」
 
B木曾義仲の多胡軍・・・・・
 多胡家包・富岡の瀬下四郎、藤岡の高山党、玉村の那波太郎弘澄
 伊勢崎の佐位七郎広助、境の木角六郎、榛東の桃井五郎、
(★平家物語)

C源頼朝の勢力・・・・・・・国衙・在庁系武士団
  藤原義因&摂関家の武士「長野氏など」
上野知行国主:藤原光能が後ろ楯になっていた。
・藤原光能は後白河法皇の側近に「平家追討」の院宣を書き、文覚に
渡した。藤原光能はの娘は以仁王の妾(僧真性の母)で、大江広元
の実父であった。また、藤原光能の妾は安達盛長の甥:安達遠元の
娘である。

やがて、上野国の4つの勢力は、源平の2つにに集約されていった。

源頼朝には、武蔵の@江戸重長(江戸城)
          A河越重頼(川越城)
          B畠山重忠(菅谷城)  
が味方した。



12月24日 木曾義仲は信濃へ引き上げた。
 ★たった2ヶ月ではあるが多胡庄にいたのだ。
 多胡庄から信濃へ戻ってきたのである。
理由〜〜〜
@源頼朝の力が上野国まで及んできた。(★『吾妻鏡』)
A父:源義賢の縁で多胡庄で武士を集められた。(★『平家物語』)
B越後平氏:城氏が信濃へ進攻してくるという噂・情報があった
 とする説もある。
 ※思ったより集まらなかったとする説(★久保田順一先生)

★木曾義仲は上野国多胡郡の武将、信濃の木曽周辺の軍勢を
 率い、平氏に味方する豪族を討ちつつ、新たな本拠地:
 依田城(長野県丸子町)に移った。

  
(★久保田先生の作図・・・許可済み)
 ★久保田先生、ありがとうございます。


※治承4年(1180)12月24日〜 

●東信濃の要衝にある 依田城(上田市丸子)

(★丸子城よりの依田城・宗龍寺・宝蔵寺方面遠望)     
依田次郎は木曽義仲を依田城に迎えて旅のねぎらいやら
 接待でごったがえしたという。(★『吾妻鏡』)

※依田為実の子:依田次郎実信は木曾義仲と従兄弟同士
 だったのだ。つまり、初代:依田為実の母が源義賢
 (義仲の父)の娘だった。
※根井行親・・・佐久を支配。信濃武士を組織し、
  子:楯六郎親忠と共に最後まで従軍した。
※樋口兼遠・・・育ての親・・木曾義仲の擁立者。
※海野幸広・・・小県の海野郷の大豪族。
        望月・禰津・真田先祖


A信濃国上田の丸子の依田館で挙兵
■依田館

*********************************************  
富岡武蔵:依田城・・・・★元陶芸の同僚です。
 ★細かいです。
http://tomioka.at.webry.info/201308/article_22.html
http://tomioka.at.webry.info/201308/article_23.html
*********************************************


・寿永1年(1182) 大凶作と飢饉(ききん)


5月 越後の平氏一族:城助職は信濃に進攻するため、
   兵を招集。

6月 越後:城長茂が1万の軍勢で信濃へ進軍して
   いるという報を受けた。
  依田城には樋口兼光・今井兼平・海野幸広・根井行親
  ・矢田義清が集まった。
   
 木曾義仲は依田氏菩提寺:宝蔵寺は義仲が戦勝祈願を行った。
 木曾義仲が馬で登った道が「義仲馬大門」と呼ばれている。
 手植えの桜が「義仲桜」として伝わっている。
  (★現地解説板)
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 木曽義仲は依田城を発した。
  
 木曾義仲は城氏軍を迎え撃つため、小県の大豪族:海野幸広の
  根拠地:海野郷白鳥の河原に兵を集めた。

 海野氏の氏神:白鳥神社は白鳥河原の正面、海野宿の東入口に
 位置する。
 ★海野城は台風で流され、今は一部しかない。
 
6月13・14日 横田河原合戦・・・川中島と同じ場所
   木曾義仲が城氏軍を破る。

■横田城・・・現善光寺の東隣。
  ★長野のは100城以上行っているので
   探すの困難である。善光寺は既にあった。
   東50mである。





・寿永2年(1183)  平家軍北国下向
 木曾義仲の出兵した。

●コースに4説あるようである。
@上田→長野→鬼無里→大町→松本→糸魚川→富山
☆木曽義仲伝説@・・・・鬼無里伝説
 木曽義仲は北陸進出の際に道案内をした村人に自分
 の守護仏を預けた。
 木曽義仲公没後、村人は供養のため御堂を建立し
 「大聖智慧文殊菩薩」を安置したのだと云われている(伝)。

  (★鬼無里) 

A上田→保福寺峠→松本→大町・・・
 だと思う。鬼無里の義仲伝説がある。
 2011年

B上田丸子の依田城→麻積→大町→糸魚川説
 (★2012年6月15日『方丈記』:徳間書店)

C上田丸子の依田城→(北国道)→新潟県関山→越後
 国府に入った説。
 木曾義仲は、北陸を固めるために、四天王を各地に
 派遣したこどは確かである。





**************************
@今井兼平は新潟県糸魚川市「今井城
      ・福井県丹生郡清水町「今井城」
A樋口兼光は福井県鯖江市「樋口城」&「松山城」
B根井小弥太は福井県今庄町「燧が城」
***************************

@信濃の横田河原(長野市篠ノ井)の戦い
木曾義仲・依田氏 VS  城氏

■信濃の鬼無里に残る伝説・伝承地




A越中(富山県)の般若野の戦い   
  燧(火打)城落城→般若野の戦い。

5月 倶利伽羅峠の戦い・・越中と加賀の県境
@木曾義仲は上野国多胡(高崎吉井)で家臣を集めた。
あまり集まらなかった。


B越中(富山県)の倶利伽羅峠の戦い
■倶利伽羅峠

※奥の細道・・・越中(富山県)・加賀(石川県)の
 倶利伽羅峠の戦い。木曽義仲が活躍した古戦場。

・寿永2年(1183) 篠原の戦い(石川県山代温泉)
  恩人:斎藤実盛(平家)が討ち死に。


■篠原の斎藤実盛の首洗い池
  山代温泉「齋藤実盛の首洗い場」
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(★齋藤実盛の首洗い池の木曾義仲)


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■太田(ただ)神社:斎藤別当実盛の兜
A奥の細道で、多太神社(石川県小松市)で篠原の戦いで
  討ち取られた義仲の恩人斎藤実盛(平家)の兜を拝し
 「義仲の 寝覚の山か 月悲し」 芭蕉
  ★太田(ただ)神社・斎藤別当実盛の兜・・・・
 平家物語(巻第七)や源平盛衰記の篠原の戦い
  (篠原合戦)斎藤実盛を偲ぶ。
 でも木曽義仲ファンなのだ。
 源義仲に敗れた武将に思いをはせる芭蕉・・・
 「しほらしき 名や小松吹 萩すゝき」 芭蕉
  「むざんやな 甲の下の きりぎりす」  芭蕉

C奥の細道・・・福井から敦賀への途中で、越前今庄
 の城跡の燧山を望んで・・・通り過ぎちゃった。
 「木曾殿は信濃より、巴・山吹とて、二人の便女を具
 せられたり。山吹はいたはりあい、都にとどまりぬ。
 中にも巴は色白く髪長く、容顔まことに優れたり。」 
 (★平家物語)
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【5】木曽義仲の入京
・寿永2年(1183)
  7月  法住寺殿の戦い  



【6】木曽義仲の征夷大将軍:朝日(旭)将軍
・元歴元年(1184)  天皇の詔をうけた。



【7】木曽義仲の最期
・元歴元年(1184) 宇治川の戦い

■宇治川
 

●近江(滋賀県大津市)粟津が原の義仲寺の埋葬
  {義仲の墓と俳人芭蕉の墓がある。}
  「木曾殿と背中あわせの寒さかな」 又玄  
 ※木曾義仲と松尾芭蕉

■義仲寺(滋賀県大津市) 
★滋賀県大津町の義仲寺、・・・通り過ぎちゃった。
 松尾芭蕉が生涯で一番好きだという義仲と一緒に
 永い眠りについた。
 「むざんやな 甲の下の きりぎりす」 松尾芭蕉


★参考図書・資料
・木曾義仲:学研漫画
・木曾義仲:
・群馬県史
・久保田順一先生作成の資料
など多数。

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