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zoom RSS 箕輪初心★栃木【祇園城=小山城】&小山一族の栄枯盛衰の歴史

<<   作成日時 : 2013/12/10 05:53   >>

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平成6年(1994) 「小山氏城跡」として、@小山城跡=「祇園城跡」
・A鷲城跡の追加として、祇園城跡の南久保曲輪の土塁の一部、
鷲城跡の本丸の一部の追加指定+B中久喜城跡を追加指定して、
国指定史跡に改めた。小山氏の本城である祇園城は、思川に臨む比
高20mほどの河岸段丘上にある。城址は城山公園となっている。
かなり、保存状態がかなりよい。
小山一族の歴史を紐解くと栄古
盛衰=浮き沈みの大きさにビックリする城である。

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 (★パンフレットより)



訪問日@・・・平成20年(2008)6月29日
小山で、@祇園城 A長福城 B枇杷島古墳 C鷲城 
D中久喜城を見学後、日光街道へ・・・
下野の古墳や国分寺・国分尼寺を見学。
・・・日光街道:奥の細道コース:室の八幡と
壬生の壬生城へ・・・の一日コースである。

●「七五三詣で」と表示の出ている神社を通り越した。
★ここが本来の「小山評定」の場所だったらしい。
 小山市役所に行った。何か、特別な行事があるらしい。
  
@小山市役所の駐車場の一角に、関ヶ原の戦前に徳川家康が
 豊臣恩顧の武将(福島正則・山内一豊など)とも会議に加わらせた
「小山評定跡」の石碑が建つ。
 市役所手前の広場が小山御殿広場として整備されている。
  御館跡なんだろうなと思った。

○市役所の4階?で祇園城のパンフレットをいただいた。
●思川ぞいを歩いた。
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 小山駅の西に行くと祇園城址がある。
▼車で移動した。
  思川の橋の手前を右折した。
 祇園城址の北東側の宅地の中を進んだ。
 ★とはいうものの、本来は城域のなかである。

●一番北側の駐車場に車を止めた。
 小山氏の墓所がある天翁院も城内の一部で空堀が巡らされている。


●北側の土塁は高さ5〜6mmもあった。
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  公園内には土塁と空堀が良好に残っていると思った。
  郭を隔てる空堀の規模は大きい。
 南に下った。
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●東側にも土塁・空堀が見事に残っている。
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●3の曲輪に相当する?場所に来た。
 ★本当は塚田曲輪であった。
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  空堀・土塁は高さもあって大きい。


●2の曲輪も土塁がしっかりしている。
 ★本当は上段曲輪あった。
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●1の曲輪(本丸=主郭)と2の曲輪の間の曲輪
本当は中曲輪であった。
 思川に面した小さな曲輪は「馬出し」ではないか?
 もしかして、「祇園橋」が架かっている2の曲輪が本当は、
 1の曲輪かもしれない。とこの時点ではおもった。
 この橋は1の曲輪の入り口なら、空堀の深さ・大きさからして、
 申し分ない。
 主郭虎口とすれば、前の小さな曲輪は馬出・武者だまりかも
 しれない?なんて、訳のわからない想像をした。
 でも、川側に馬出しって変である。



●祗園橋付近は非常に高さのある深い土塁であった。
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  堀切に架かる朱塗りの橋がとても良い感じである。
 祗園城は土橋の遺構は少ない?ので曲輪と曲輪の間は
 ★曳き橋で連結されていたのかもしれないと思った。


●1の曲輪
本当は本丸&2の曲輪であった。
●管理用の小屋などがある。
 トイレにいった。
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●思川の橋の近くの国道沿いにある城山公園の入口近くが
 1の曲輪(本丸=主郭)であった。
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●帰りに、展望のよい所の椅子に座って、祇園城の南の長福城、
鷲城が思川沿いに続いているの確認した。



訪問日A・・・平成25年(2013)11月7日 かみつけの里
●小山御殿・・市役所前・・・車中より


@大手口・・・石垣は偽物
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○案内板
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A二の丸
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・展望台・・・思川・長福城・鷲城が望める。
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・西の土塁
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・案内板
・中
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・東の土塁
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B本丸
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●供養塔?忠霊塔?
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・本丸の土塁
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●祇園橋&下は空堀・・・
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C中曲輪
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●中曲輪&上段曲輪の間の空堀
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D上段曲輪
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●空堀

E塚田曲輪
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・案内板
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・土塁
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●水堀・・・最大の深さ11m
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F仮称:北曲輪
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●空堀


G馬出し
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■小山市役所の資料「小山の城」・・・メモ 
@祗園城(ぎおんじょう)(=小山城)
A鷲城(わしじょう)
B中久喜城(なかぐきじょう)
C長福城(ちょうふくじょう)
D枇杷島?曲輪(くるわ)
E御城(みじょう)
F卒島城(そしまじょう)
G小谷城(こやじょう)
H網戸城(あじとじょう)
I塚田館(つかだやかた)
J石塚館(いしづかやかた)




◆◆ 祇園城の歴史&小山氏の栄枯盛衰 ◆◆
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・久安4年(1148) 藤原秀郷の子:小山政光が祇園城を築城(伝)。
  小山氏は武蔵国に本領を有し、藤原秀郷の後裔と称した太田氏
  の出自で、政光がはじめて下野国小山に移住して小山氏を名乗
  ったという。

・治承4年(1180) 源頼朝の平家打倒の挙兵
小山一族は源頼朝に味方→

小山政光の妻:寒川尼は源頼朝の乳母だった。


・寿永2年(1183) 野木宮合戦
小山政光嫡男:小山朝政は平家側の志田義広を破った。

・文治3年(1187)小山政光の妻:寒川尼は寒川郡網戸郷の
  地頭になった。

・鎌倉時代  鎌倉幕府の有力御家人となった。
  小山政光・妻:寒川尼・嫡男:朝政・
次男:長沼宗政・末弟:結城初代:朝光は、
ずう〜〜と、源頼朝びいきだった。
※下野国守護を務めた小山氏の居城は鷲城であった。
  小山城・中久喜城は支城だった。

・元弘3年(1333) 鎌倉幕府の北条氏打倒のため、小山貞朝は
   新田義貞に呼応して出陣→武蔵鶴見で討死。

・建武2年(1335)中先代の乱
小山秀朝も武蔵府中で討死。
※小山氏の本拠地は鷲城か?

・建武3年(1336) 小山泰朝は足利尊氏に従い北朝方となった。
   新田義貞を破った。
   小山泰朝が小山城を居城とした。
   以来、小山氏代々の本城となった。   

・康暦2年(1380)〜永徳2年(1383) 小山義政の乱
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 (★パンフレットより)
11代小山義政の拠点は「祇園城」=小山城と考えられている。
  文献資料に鷲城、岩壺城、新々城、祇園城、宿城が記されて
いる。
は宇都宮氏と争い
        →鎌倉公方に3度の反乱
   
・永徳2年(1382) 鎌倉公方の大軍に討伐され・小山義政は自害。

・至徳3年(1386) 小山義政の嫡子:若犬丸が祇園城で挙兵。

・応永4年(1397) 嫡子若犬丸は会津で自害。
→小山氏の嫡流は滅亡。
     →小山一族の結城泰朝が小山氏を継承。


・永享11年(1339)祇園城が那須氏に落とされた。

・永享12年(1440)結城合戦
結城軍が那須氏のいる祇園城を攻撃。
那須氏が撃退。

・永禄3年(1560)長尾景虎(=上杉謙信)が祇園城を攻撃。

・天正4年(1576) 小山秀綱が北条氏に降伏して開城。
   北条氏の手によって改修された。
   北関東攻略の拠点となった。

・天正10年(1576)織田信長と北条氏の取り決めで、
   小山氏に返還・・・。

・天正19年(1590) 豊臣秀吉の小田原城攻め 
小山氏は後北条氏に味方し、結城氏に攻撃され、
    再び滅亡。

・慶長12年(1602) 本多正純が相模国玉縄より入封。
         本多正純が城主。

・元和5年(1619) 本多正純は宇都宮城に移封。
         居城を移城 →祇園城は廃城。

・元和8年(1622) 小山御殿が造営?

・天和2年(1682) 宇都宮藩は小山御殿を解体。
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★明日は鷲城かな?

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