城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心●箕輪城115【赤備え】&北条三鱗会の井伊直政手作り甲冑@」

<<   作成日時 : 2013/11/28 07:31   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

井伊直政は、箕輪城に8年いた最後の城主である。
★平成25年(2013)年10月28日の箕輪城祭りで、私は初めて、
鎧を身につけて参加した。そこで、鉢形城の北条三鱗会の会長
:北原さんに出合った。私は北原さんに「手作り甲冑」作成を依
頼をした。11月24日に、井伊直政の甲冑をモデルにすること
にし、無理を言って、朱色(赤ではない)にしていただいた。
部品が完成したら、紐通しがあるのだ。兜は、井伊の裏紋を
彫金して作ろうかな?そして、ホラ貝のマースピースを購入
するのだ。とにかく、井伊直政モデルのグラスファイバー製?
の手作り甲冑が完成したら、甲冑を装着して、時々、箕輪城
ボランティアをするのだ。北原さんには感謝申しあげます。
画像







〜〜〜〜箕輪初心:【井伊直政シリーズ】〜〜〜〜〜〜〜

箕輪初心★箕輪城103川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201310/article_8.html

◆◆ 箕輪初心●箕輪城「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201010/article_40.html

http://53922401.at.webry.info/201011/article_25.html

◆◆ 箕輪初心●井の国千年物語前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の箕輪城時代の家臣団 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_15.html

◆◆ 箕輪初心●静岡:井伊直政の井伊谷城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_5.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の造った町:高崎&彦根 ◆◆
高崎高校 VS 近江高校
http://53922401.at.webry.info/201203/article_28.html

◆◆ 箕輪初心●中村達夫氏の「井伊軍志」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_14.html

◆◆ 箕輪初心●小和田哲夫氏の「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_13.html




【0】箕輪城祭りの甲冑
@甲冑姿
画像

A】鉢形城の北条三鱗会:北原氏&その仲間
・北原氏の作成の「子熊の毛皮の鎧」
画像

画像

画像

画像

画像


B北原氏作の部品で甲冑を作った方
・箕輪城祭り実行委員:関口氏
画像

・高橋氏
画像




【0】鉢形城の北条三鱗会:北原氏&甲冑工房
鉢形城の北条三鱗会の会長:北原氏は元は高崎出身で私の家から
も近かった。
画像

画像

画像




【0】鉢形城の北条三鱗会の活躍
北原氏のお嬢様は空砲を撃つ担当をしている。
鉢形城のお祭りや箕輪城祭りで活躍されている。
甲冑工房で作られた鎧や具足を使っている。
画像

画像

画像

画像

画像

画像





【1】武田の赤備え:飯富・山県・浅利・小幡
赤備えは、具足、旗差物などの武具を朱塗りにした部隊編成のこと
である。最初に赤備えを率いた武将は甲斐武田信玄家臣の飯富虎昌
とされる。飯富虎昌は武将の次男を中心に朱色騎馬部隊として編成
した。しかし、永禄8年(1565)、武田義信事件に飯富虎昌は連座し
切腹した。飯富虎昌の赤備え部隊は弟(甥):山県昌景が引継いだ。
『甲陽軍鑑』によれば武田家中では山県昌景・小幡信貞・浅利信種
が赤備えとして編成していて、総勢1000騎だった。
元亀3年(1572) 武田信玄が武田信豊に朱色で統一することを認めた。




【2】井伊の赤備え:井伊直政〜幕末
画像

 (★彦根城祭りより引用)
・天正10年(1582) 井伊万千代は22歳で元服し、井伊直政と名乗
った。徳川家康の養女で松平康親の娘:花(唐梅院)と結婚した。
井伊直政は旗本先手役に任ぜられた。徳川家康の伊賀越えに従い、
無事に堺から三河国に帰還した。武田氏滅亡→本能寺の変・・
による武田遺領争奪戦=天正壬午の乱・・・井伊直政は北条氏との
講和交渉を徳川方の使者として担当して政治的手腕を発揮した。
徳川家康は武田氏旧領である甲斐国・信濃国の一部を支配下に置い
た。武田家の旧臣達を多数与力に付属した。徳川家康の命により、
井伊直政は武田の赤備え:山県昌景隊の旧臣達を付けられた。井伊
直政は自分の部隊を赤備えとして編成した。山県昌景の朱色の軍装
(小幡赤武者隊?)を復活させて「井伊の赤備え」と呼ばれる精鋭
部隊の大将となった。また、井伊谷4万石に加増された。兵部少輔
を名乗った。
・天正12年(1584) 小牧・長久手の戦い
羽柴秀吉陣営 VS 織田信雄・徳川家康陣営
「井伊の赤備え」は小牧・長久手の戦いで先鋒を務めて奮戦した。
井伊直政は赤備えを纏って兜には鬼の角のような前立物の出で立ちで
、長槍で敵を蹴散らしていく姿は「井伊の赤鬼」と諸大名から恐れら
れるようになっていった。
※以後幕末まで、井伊家の軍装は足軽まで赤備えを基本とした。
画像

 (Hpより引用・・★これを作ろう。)
・天正13年(1585) 真田攻撃の撤退のため、上田に派遣された。
・天正14年(1586)徳川家康が豊臣秀吉に臣従した。
 豊臣秀吉は井伊直政を従五位下に叙位させ、豊臣姓を与えた。
・天正16年(1588) 聚楽第行幸時に、侍従に任官させた。
・天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐
  井伊直政は夜襲をかけて小田原城内にまで攻め込んだ。
  武将としてその名を天下に轟かせた。・・・
  北条氏に代わって徳川家康が関東に入封。
  豊臣秀吉は井伊直政を上野国の箕輪城(高崎市)に入封させた。
  徳川氏家臣団の中で最高の12万石で封ぜられたのである。

(★中井均先生・・・箕輪城シンポジウムにて
   前日、箕輪城に同行させていただいた。)

画像

 10万石以上は、井伊直政、本多忠勝、榊原康政の3人であった。
・慶長3年(1598) 徳川家康の命?で箕輪城を廃し、和田城(高崎市)
 を改築して高崎城を築城した。箕輪城下に住んでいた家臣団・民衆
 を高崎に移住させた。
・慶長5年(1600)関ヶ原の戦い 
 『関ヶ原合戦屏風』に井伊の赤備えが描かれている。
 ★群馬:玉村出身の井伊家家老:宇津木泰繁
  が活躍した。


・慶長20年(1615) 大坂の陣
徳川家康が煌びやかな井伊直孝(直政長男)の赤備え隊を嘆いた。
 使い古された具足を身に付けている者達を発見し、
 「あの者らは甲州からの家臣団であろう。あれこそが本来の赤備
 えである。」
 と言ったという。
 ★群馬:元小幡信貞の家老:熊井土の子孫:岡本半助は
  この戦いで活躍し、井伊直政の軍艦&家老と昇進した。


・嘉永6年(1853年)6月3日 ペリーの浦賀来航
 アメリカの黒船艦隊来航に備えた警備に井伊の赤備えが出陣した。
 「ペリー浦賀来航図」に、赤い陣羽織や旗差物が描かれている。


・安政5年(1858)〜安政6年(1859) 安政の大獄
  15代彦根藩主で江戸幕府の大老:井伊直弼らが尊皇
  攘夷論者を捕らえた。
・安政7年(1860) 桜田門外の変・・・
  水戸藩藩士が井伊直弼を殺害した。
井伊直弼も「井伊の赤鬼」と呼ばれた。
 ※滋賀県彦根市のマスコットキャラクター「ひこにゃん」の兜は
 「井伊の赤備え」をモデルとしている。

 ★井伊直弼&長野主膳一派を一掃したのは、
  宇津木家から養子入りした家老の岡本半助
  であった。

画像

 (★井伊達夫氏著:赤備えより複写)



・慶応2年(1866) 第二次長州征伐
井伊直憲率いる彦根藩が芸州口の先鋒を務めた。長州藩のミニエー
 銃に対し、彦根藩は赤備えに火縄銃という兵装で挑んだ。赤備えが格
 好の的となった。彦根藩兵は鎧を脱ぎ棄てて逃走したという。

・慶応4年(1868)鳥羽・伏見の戦い
彦根藩は幕府軍の先鋒として出陣し、大敗した。
 官軍につき、井伊隊全員が赤備えの兜や鎧を脱ぎ捨てたという。



【3】小幡の赤備え:小幡信貞
 箕輪城主:長野業政の長女が妻であった。
 武田信玄から妾を薦められたが、貰わなかったので
 「小幡重貞→小幡信貞→小幡信実」となった。

画像

 三方が原の戦い・・・徳川家康を追い詰めた。
 長篠の戦い
 ・・・小幡一党の赤備えも有名である。



【4】真田の赤備え:真田幸村
画像

 (★上田城)
★武田の赤備えが強すぎたため、「赤備え隊=最強部隊」というイメ
 ージが諸大名に浸透したと言われている。
 真田信繁(幸村)も赤備えを採用した。
・慶長20年(1615) 大坂夏の陣
真田信繁(幸村)が編成した。赤備えで編成した真田隊は天王寺
口の戦いで徳川家康の本陣を攻撃した。本陣突き崩しを成し遂げた。
 井伊直政もたじたじだった。

『大坂夏の陣図屏風』・・・真田の活躍が描かれた。



【4】北条の赤備え:北条綱高
後北条氏に白・黒・赤・青・黄の五色の色備えがあった。

@赤備え・・・・・北条綱高
  ・永正3年(1506年) 伊豆国雲見上ノ山城:高橋高種
   として誕生した。母は伊勢宗瑞(北条早雲)の娘?
   北条水軍のbQ・・・であった。
   高橋種政は伊勢宗瑞(=北条早雲) ・多目元忠
   に養育され、伊豆国韮山で育った。
   北条氏綱の養子となった。玉縄城主。

赤備え・・・山中才四郎&子孫。

A白備え・・・・・笠原康勝。
   北条水軍  
   下田城主→小机城主。


B黒備え・・・・・(多米)元忠
  ★群馬:西牧城で戦死。
  ★多米平長定は
   神奈川県の青木城・権現山城の城主。
   箕輪城代
天正18年(1590) 山中城で戦死。

C青備え・・・・・富永直勝
 ★土肥の水軍・・高谷城・江戸城代・・・bRの禄高
 ★来年、富永一族&高谷城を紹介予定。


D黄備え・・・・・北条綱成
  ★今川家臣:福島氏からの養子。
    足柄山城で武田信玄に対峙。
  ★★来年、足柄山城を紹介予定。
    

E朱色の甲冑・・・松田康郷・松田康長
  相模の土豪・・・
 ※臼井城の攻防戦でを着て活躍した。上杉謙信に
 「岩舟山に赤鬼の住むと沙汰しけるは、一定彼がことなるべし」
 と感嘆されている。
 ※松田康長は天正18年(1590)山中城で戦死。




★参考文献
『赤備え』井伊達夫著(宮帯出版社、2007年)
『井伊軍志』井伊達夫著(彦根藩史料研究普及会、1988年6月)
『井伊軍志』井伊達夫著(新装版)(宮帯出版社、2007年6月)
画像


★関連サイト
ウキペディア



★明日は

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心●箕輪城115【赤備え】&北条三鱗会の井伊直政手作り甲冑@」 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる