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zoom RSS 箕輪初心★旧高崎の偉人伝:近代編

<<   作成日時 : 2013/11/02 12:59   >>

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旧高崎地区は「中曽根康弘」など大物政治家が多い。
吉永哲朗著「高崎偉人伝」の近代には、@宮部襄、A矢島八郎、
@内村鑑三、C原口鶴子、D茂木惣兵衛、E深井英五、
F桃中軒雲右衞門、G井上保三郎、H田村英太郎、I村上成之、
J羽鳥千尋、K村上鬼城、L橘外男、M吉野秀男、N八木保太郎、
O花柳徳兵衛、P蠟山政道、Q萩原恭平、R松本亨、S橋本一明、
21原口統三、22,金鶴泳、23、池田夏苗が掲載されている。
+αで個人的には、24山田昌吉、25尾崎行雄、26井上房一郎、
27山田かまち、・・・スポーツでは、石原直樹でまとめた。

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 (★井上保三郎の建築)
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箕輪初心★「高崎の文化人19+α」江戸時代編
http://53922401.at.webry.info/201310/article_19.html


箕輪初心◆高崎の国際交流2000年の歴史
http://53922401.at.webry.info/201310/article_24.html




〜〜〜政治家〜〜〜〜〜〜〜〜
【1】中曽根康弘:元内閣総理大臣。
・大正7年(1918) 5月27日 高崎市末広町に生まれた。
     材木商「古久松」:中曽根松五郎の次男。
・昭和10年(1935) 旧制高崎中学(現高崎高等学校)4年修了。
・昭和13年(1938) 静岡高等学校(現静岡大学)文科丙類卒業。
・昭和16年(1941) 東京帝国大学法学部政治学科
・昭和20年(1945) 海軍主計少佐。内務省に復帰。
・昭和21年(1946) 内務省を依願退職。
・昭和22年(1947) 第23回衆議院議員総選挙で初当選。
・昭和28年(1953) ハーバード大学の夏期セミナーに留学。
・昭和29年(1954) 正力松太郎と原子力政策を推進。
・昭和34年(1959) 科学技術庁長官。原子力委員会の委員長に就任。
・昭和42年(1967) 運輸大臣に就任。拓殖大学総長に就任。
・昭和45年(1970) 防衛庁長官。
・昭和47年(1972) 通商産業大臣兼科学技術庁長官。
・昭和49年(1974) 三木内閣で幹事長に就任。
・昭和52年(1977) 福田赳夫内閣改造内閣の総務会長。
・昭和55年(1980) 鈴木内閣の行政管理庁長官。
・昭和57年(1982) 第71代内閣総理大臣。
         国鉄、電電公社、専売公社の民営化。
・昭和58年(1983) 第2次中曽根内閣
・昭和61年(1986) 第3次中曽根内閣
・平成元年(1989) リクルート事件→自民党離党。
・平成3年(1991) 自民党に復党。
・平成9年(1997) 大勲位:菊花大綬章を授賞。
・平成15年(2003) 小泉純一郎首相から定年制導入→政界から引退。
知人が後援会長である。


【2】中曽根弘文:参議院議員、元文部大臣。
   中曽根康弘先生の長男。
1回だけ、話したことがある。


【3】最上英子:日本初の女性代議士。


【4】丸茂重貞:元参議院議員・元環境庁長官。
 ★先祖は高崎五万石騒動で活躍。


【5】最上進:元参議院議員。最上英子の養子。


【6】上野公成:元参議院議員・元内閣官房副長官。


【7】下村博文:衆議院議員。東京11区選出
 ★出身は旧倉渕村


【8】小渕恵三:元内閣総理大臣
 ★中之条町出身。

【9】小渕優子:衆議院議員・文部科学大臣政務官。
   群馬5区選出。
   ★平成25年(2013)10月28日 箕輪城祭りにきていらっ
    しゃった。


【10】矢島八郎:初代高崎市長


【11】井上保三郎


【12】沼賀健二:高崎市長
お嬢様に結婚式に参列した。


【13】松浦幸雄:高崎市長




〜〜〜「高崎人物伝」:吉永哲朗著〜〜〜〜〜
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【0】高崎英学校・・
・明治3年(1870)・高崎英学校
高崎城跡に隣接する柳川町の西側は高崎藩の上級武士の屋敷町だった
場所である。高崎英学校は鞘町に建設された。大河内輝声の命で50
人の藩士が選ばれた。
@宮部襄(のぼる):自由民権家
A内村鑑三:キリスト教思想家
B深井英伍:国際金融専門家→第13代日銀総裁。
※尾崎行雄:立憲政友会・・・等。


【1】宮部襄:群馬の自由民権運動拠点:「有信社」の設立
・弘化4年(1847) 高崎藩江戸家老の子として生まれた。
・安井息軒に儒学を師事。
・下仁田戦争に従軍
・明治3年(1870)・高崎英学校
三重県→熊本県
・明治10年(1877) 群馬県警保課長→学務課長
・明治12年(1879) 高崎に長坂八郎らと「有信社」を設立。
有信社は上州の自由民権運動の中心になった。
・明治13年(1880) 群馬県師範学校長。
五万石騒動の解決に奔走。
・明治14年(1881) 群馬県師範学校長を辞任。
   自由党幹事。・・・中央幹部として活躍した。
自由新聞の主幹、自由党決死隊。
・明治17年(1884)「群馬事件」には関与しなかった。
    自由党員が官憲のスパイを殺害する事件
    →宮部は殺人教唆容疑で逮捕・起訴。
・明治22年(1889) 懲役12年の判決→北海道の監獄で服役。
・明治27年(1894) 出獄 ※約12年の牢獄生活
・〜〜〜  高崎から総選挙に出馬。
1回目・・落選。
2回目・・落選。
3回目・・当選。→衆院議員。
4回目・・落選。政界から引退。
・〜〜〜 晩年は東京の日暮里で余生を送った。
・大正12年(1923) 宮部襄が逝去。76歳。


【2】矢島八郎:近代化を推進した初代高崎市長
・嘉永3年(1850) 高崎新町伝馬問屋年寄:矢島八郎右衛門家に生
 まれた。
※江戸幕府は諸街道を整備し各宿場に伝馬を整備させた。
 @「伝馬」は、使者や物資を馬で運ぶ交通制度である。
 A「問屋場」は、幕府や大名の輸送用の人馬の継ぎ立て=供給、
 農民の助郷などの業務を行う役所である。
 高崎には新町・本町・田町と伝馬宿があり、名主が伝馬役
 を務めた。
 B問屋年寄は、名主のことである。
・文久2年(1862)〜1866年までの5年間
  「新町御伝馬事件」という大きな一揆が起きた。
  @1783年の浅間山の大噴火→被害→
   伝馬宿への負担や負架金が増加。
  A「百足屋の火事」・・高崎宿の大半を焼失。新町は全滅。
 新町では、新町の復興のため、人馬の継ぎ立て=供給、農民の助郷
 などの業務再興のため、角力(相撲)旅芝居、、見世物などの興行
 と旅籠に飯盛女を置くことの解禁などを高崎藩に願い出た。
 高崎藩は許可しなかった。
 新町の町民は禁じられている「箱訴」=目安箱への直訴に出た。
・文久4年(1864) 水戸天狗党を追討するため、幕府若年寄:田沼
 玄蕃(田沼意次の子)らが高崎に宿泊した。高崎藩は300両を
 伝馬宿に負担させようとした。
 しかし、新町は拒否した。
 高崎藩は新町の重役5人を入牢させ、5人を「手錠腰縄つき」の
 刑とした。
 本町の援助により事件は解決した。
・慶応2年(1866) 満13歳 矢島八郎の父親:八郎右衛門が
  「新町御伝馬事件」に連座し、事件未解決のまま死去した。
   矢島八郎は嘆き悲しんで断食を行った。御伝馬事件のもたらした
  辛苦は、八郎の青春の思想形成に大きな影響を及ぼした。
・明治6年(1873) 中牛馬会社を設立。
  高崎―東京間に郵便馬車を走らせた。・・運輸業に励んだ。  
・明治11年(1878) 群馬・片岡両郡兼郡書記。
政治家としても活動を開始した。
・明治17年(1884) 群馬県県議会議員に当選。
     駅伝取締法実施により群馬県県総取締となった。
 ○高崎―上野間の鉄道開通にあったて、
停車場の敷地を寄付し、高崎駅を設けた。
駅前通りの開発にも尽力した。
   新地名を「矢島町」とする案が浮上したが、矢島八郎が
   辞退したため、顕彰して「八島町」となった。
・明治18年(1888) 碓氷峠に馬車鉄道を敷設するため、横川・軽井
沢間の汽車連絡の便を図った。
・明治19年(1889)高崎の町会議員に当選・・・初代高崎町長。
高崎米穀取引所頭取、
・明治20年(1890) 上野鉄道会社取締役
・明治22年(1892)衆議院議員に当選

・明治39年(1906) 高崎市是(しぜ)
第一期・・・@水道敷設 A教育設備の完成 B.市役所庁舎・伝染
  病院改築 C道路改修 D商工業の発達 E財源の強固化 
  B公園の完成・・・七懸案であった。
  市外の資金を導入・・長期償還とした。

 第二期は、A下水道の完成 A市の区域拡張 B市区改正 
  C商工学校設立 D道路・溝渠(こうきょ)改修制度の
  五懸案を示した。

 矢島八郎は、「終始一誠意」という書を多く残している。
 生涯を高崎の発展のために私利を離れて公共のために寄与しようと
 努める、節操高潔な人であったことをよく示している。
(★高崎偉人伝:吉永哲朗著など)


【3】内村鑑三:「日本近海魚類目録599種」&キリスト教
・札幌農学校水産学専攻
  →農商務省嘱託「日本近海魚類目録599種」
・上毛かるた「心の灯台 内村鑑三 」
・新島襄と同じ「アーマスト大学」
・徳富蘇峰の新聞社に勤務。 
箕輪初心★新島襄周辺:内村鑑三の生涯&高崎の内村鑑三の碑
http://53922401.at.webry.info/201302/article_23.html


【4】原口鶴子:ソーンダイク&クレペリン理論の心理学者
・富岡一宮出身。「新井ツル」
・群馬県女「女紅場」=高崎女子高等学校の一期生54人の一人。
内村鑑三の長女:内村のぶ・日本最初の女性医学者:戸田くに
もいた。
・日本女子大学英文科入学
  ・・高崎藩士:松本亦太郎:エール大学に師事。
・コロンビア大学に入学
ソーンダイクに師事。
【心的作業及び疲労の研究】=クレペリン検査の基礎研究
・宗教学者:原口武次郎と結婚。
・29歳で死亡。


【5】茂木惣兵衛:横浜に出て出世した高崎の貿易商
箕輪初心■富岡製糸場6−D「上毛カルタ&群馬の養蚕の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201209/article_28.html
・文政10年(1827)初代茂木惣兵衛は上州高崎で生まれた。
  高崎の質商大黒屋:茂木惣七の長男の長男として生まれた。
幼名は惣次郎といった。
・天保8年(1837)10歳で新田郡太田の太物商・今井仙七の店に奉公。
・天保10年(1839) 12歳 今井仙七家に奉公。
   後に支配人になり惣兵衛と改称した。
・嘉永5年(1852) 26歳
    桐生の絹物商・新井長兵衛家に養嗣子として入った。 
・嘉永7年(1854) 新井家を出て高崎に帰り、茂木姓に戻った。
  初代茂木惣兵衛は生糸売込商として、上州糸を集めて財を
   蓄積した。
・安政6年(1859) 横浜開港  
横浜で貿易商として進出していた埼玉県出身の石川屋
  庄三郎の石川屋に勤めた。
  横浜商人:石川屋平右衛門の養子となった。
  石川屋を相続した。
・文久元年(1861)野沢庄三郎の逝去
  →野沢屋の暖簾を継承。
石川屋を野沢屋と改称。
  そして、野沢屋惣兵衛と名乗り独立した  
  地道な努力によって幕末の混乱期を乗り切った。
 初代茂木惣兵衛は横浜関内の弁天通り4丁目に店を建設。
  →有力生糸商人として成長。
 
・明治2年(1869) 横浜為替銀行を設立。頭取となった。
・明治7年(1874) 第二国立銀行や横浜取引所の副頭取となった。
  生糸生産振興を目的として横浜につくられた。
   発起人・・・茂木惣兵衛・勢多郡新里村出身:吉田幸兵衛
   などの生糸貿易商の名が多くいた。
   横浜に本店を置き、支店は高崎と横須賀の2か所に設けられた。
   生糸生産県である群馬。
   商業と交通の拠点であった高崎を重要視した。
   副頭取:茂木惣兵衛の故郷である。
・明治8年(1875)第二国立銀行高崎支店は高崎市九蔵町に設立された。
群馬県下で初めてつくられた銀行であった。
第二国立銀行高崎支店の設立は、群馬県の製糸産業界への資金供与
  が主な目的である。
  融資・荷為替などの取引で、品物を早い段階で一部収入に変えるこ
  とができるようになった。買付業者にとっても銀行の信用資金で
  実際の資金以上の買付が可能になった。
  結果・・・生糸産業の発展に大いに寄与した。
・明治9年(1876) 高崎支店は取扱生糸量が生糸売込商人中第一位と
   なった。
   生糸輸出を中心に幅広い活躍をし、横浜商人の逸物といわれる
   豪商になった。
横浜商人の代表に・・・・「西の伊藤忠兵衛、東の茂木惣兵衛」
  と称された。ハマの経済界で幅広く活躍。

・明治14年(1881) 第七十四銀行の頭取になった。
 ハマ政界でも活躍。横浜の鉄道や港湾施設など。    
・明治17年(1884) 年間預金総額107万円を有し、圧倒的な規模を
誇った。
★茂木惣兵衛は蓄えられた資産を常に公共のために投じていた。
 ハマ慈善事業でも活躍。・・
・明治19年(1886) 熱海の梅園開設。
    温泉療養施設「きゅう汽館」&遊歩道設立に出資。
    後、皇室財産、国有財産。1960年に熱海市に譲渡。
・明治27年(1894) 初代惣兵衛が没した。
  茂木惣兵衛」は、惣兵衛家の家督を継ぐものが名乗りました。
  ・明治27年8月28日「時事新報」・逝去の際も、彼の遺志に
  より簡略な葬儀を行った。
  横浜近辺の貧民5,000人に対し施米50銭が配布。

・明治29年(1896) 茂木銀行を横浜に設立した。
高崎の九蔵町に支店を出店。
 やがて第七十四国立銀行を吸収合併し、七十四銀行となった。
  後に、株式会社第二銀行と合併して横浜興信銀行(現横浜銀行)
 となり、高崎支店も1920年より横浜興信銀行高崎支店として
  スタートした。
          
●茂木惣兵衛は2代目、3代目と継承。
   積極的に経営の多角化を推進。
   茂木商会は合名会社として総合商社化していった。
  初代惣兵衛の没後、野沢屋は茂木財閥として拡張した。
  
・大正9年(1920)経済恐慌。
 ※大正の第一次世界大戦後の不況に巻き込まれ崩壊した。
   →会社閉鎖
   →デパート「野沢屋」として継承。 
  
※野沢屋を絹物輸出商の亀井信次郎と茂木家の縁者であった名古屋の
 瀧定助(正太郎)により、野沢屋呉服店が独立した。後に野沢屋百
 貨店となった。
★私は5年横浜にいたので、もちろん、買い物をした。
・平成18年(2008)10月 閉店。
・現在  野沢屋の建物は「横浜松坂屋」
      (現在横浜市認定歴史的建造物)。


【6】深井英五:世界恐慌を乗りきった日銀副総裁→総裁
※歴代日銀総裁で最も経済理論に精通し、金融恐慌時は副総裁として
井上準之助をサポートした」。ぎりぎりのところで日本経済を救った
立役者として知られている。・第13代日本銀行総裁・貴族院議員。
・明治4年(1871) 高崎藩士:深井景忠の5男として高崎市に生まれる。
  父の深井景忠は高崎藩の要職についていたが、深井家は明治維新
  ともに没落していた。
母「ゆひ子」の祖父は菅谷帰雲、外祖父は市川寛斎、叔父は市川
 米庵である。★超頭脳集団家系であった。
・小学生時代・・高崎藩家老→小学校の校長:高崎藩家老:堤辰二の
  勧めにより、英語を勉強することにした。
新体詩や西洋思想・・・
・明治16年(1883) 12歳 私塾「猶興学館」入塾。
  山下善之に英語を学んだ。
・明治17年(1884) 西群馬教会の牧師:星野光多から英語を学んだ。
・明治18年(1885)12月6日 西群馬協会で星野光多の洗礼を受け
て、キリスト教に入信した。
  経済的に恵まれず師範学校進学を断念。
・明治19年(1886) 新島襄がブラウン夫人から託された奨学金の受
   給者に選ばれ、同志社英学校普通科に入学。
  毎月1度、新島襄から手渡しで奨学金を受け取った。
  新島襄と直接話し、新島襄から大きな影響を受けていた。
  新島襄は多忙だったが、手渡しにすることで、深井英五に接する
  時間を自ら作っていたという。★期待していたんだろうね。
・明治23年(1890) 1月23日に新島襄が死亡。
  深井英五は奨学金の件で新島八重の元を訪れた。
  新島八重に、奨学金の継続について尋ねた。
  新島八重は「奨学金のことは襄から聞いています。」
  と言った。
  新島襄の死後も深井英五に学費の援助を続けた。
  ※同志社在学中は抜群の成績であった。
   特に語学力は群を抜いていたという。
同志社には、安部磯雄・徳冨蘆花・山室軍平らがいた。

・明治24年(1891)同志社大学を卒業。
  徳富蘇峰が主宰する国民新聞社に入社。
徳冨蘆花の兄・・・
  ★新島襄や湯浅治郎の援助で設立された。
内村鑑三のここに勤めていた。 
 『The Far East』(英文版『国民之友』)の編集を任された。
・明治27年(1894)7月〜から明治28年(1895)3月
日清戦争中に、一時、大本営嘱托を務めた。
・・・日清戦争の取材。
トルストイを訪問。
・明治27年(1896)〜翌年
   徳富蘇峰の欧米巡航に随行して列強の現状を視察した。
・明治32年(1900) 年7月 外報部長
  同誌が廃刊。国民新聞社を退社。
  徳富蘇峰の推薦で大蔵大臣:松方正義の秘書官になった。
 3ヵ月後・・・・松方正義の大蔵大臣辞任により失職。

・明治34年(1901) 松方正義の推薦により日本銀行に入行する。
・明治37年(1904) 〜明治40年(1907)
海外出張の増加。
日露戦争の外債調達のため、 副総裁高橋是清の海外出張に
同行した。外債募集額は戦費15億円の大半を占めた。
・昭和3年(1928) 日本銀行副総裁に昇格。
・昭和6年(1931) 金輸出再禁止政策が採られ、管理通貨制度に移行
   したことにより国内でインフレが進行していった。
  厳しい経済状勢の中、円滑な金融政策の実行に努めた。
群馬銀行がつぶれないように画策した。
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・昭和10年(1935) 第13代総裁に就任。
・昭和11年(1936) 二・二六事件
    後見人:高橋是清が殺害されてしまった。
金融界の動揺を抑えた。
・昭和12年(1937) 軍事費増大による赤字国債の増発
時代の流れに・・・辞職。
     貴族院議員
     枢密顧問官
・昭和20年(1945) 8月15日の枢密院の会議に病躯を押して出席
日本の敗戦を見届けた。
・2ヵ月後に逝去した。


【7】桃中軒雲右衞門:寄席演芸を芸能にした浪曲師
・明治6年(1873)〜大正6年(1916)
・明治6年(1873)群馬県高崎市新田町出身。
  父:吉川繁吉・・・地方回りの祭文語りをしていた。
  母:ツル・・・・・三味線弾きであった。
   二男として生まれた。本名は岡本峰吉。
・最初は吉川小繁を名乗り、ヒラキや流しなどをしていた。
・2代目吉川繁吉を襲名し、寄席への進出した。
・横浜→京都→九州で修行を積んだ。
・関東節+関西節や、九州浪花節を合体させた。
・明治36年(1903) 「義士伝」を完成。
   弟子の宮崎滔天=桃中軒牛右衛門、福本日南、政治結社:
  玄洋社の後援で完成。
・明治40年(1907) 大阪中座や東京本郷座で大入りをとった。
※桃中軒雲右衛門の息の詰まった豪快な語り口は、寄席芸であった
 浪曲の劇場への進出した。浪曲そのものが芸術となっていった。
・大正2年(1913)〜 肺結核になった。
・大正5年(1916) 死亡。44歳。



【8】井上保三郎:高崎の近代化と白衣観音41,8m
井上保三郎は高崎を代表するシンボル:白衣観音は昭和11年(1935)に
巨額な私費を投じて建立し、高崎市に寄贈した。結構、批判的な意見
があったらしい。生涯を高崎を中心とする群馬地域の近代的発展に固
執し、大きな成果を上げた人物である。
・明治元年(1868)年 高崎市新町に生まれた。
   父は御伝馬事件の主犯格として入牢させられた井上平次郎。
★矢島八郎の父と同じく・・・主犯格。
・高崎第一小学校高等科の第1期卒業生14人のうちの一人。
・家の手伝いに励んだ。夜は通町の高崎漢字学院に通った。
・明治17年(1884) 高崎線が開通
流通業者・・東京の魚河岸に行って仕入れた海産物を長野方面
  に売って大きな利益をえた。
・明治21年(1888) 両毛鉄道桐生―足利間工事を請け負った。
  以降、近代社会の基盤である鉄道敷設事業、建設業を行う産業
  資本家へと目を向けた。
山形煙草専売局の建設工事で地位を確立した。

・明治33年(1900) 高崎市制が施行。初代市長に矢島八郎が就任。
  井上保三郎も初代市議会議員に選ばれた。
・明治39年(1906) 矢島市長が「市是」を発表した。
   実現に向けて全力で取り組んた。
・明治43年(1910) 剣崎浄水場、南尋常小学校、高崎公園の完成、
・大正6年(1917) 高崎公会堂の建設。

 兵営・・・高崎歩兵第15連隊、東京第二陸軍造兵廠岩鼻製造所、
  宇都宮第14師団などの軍関連工事を手掛けた。
 ※高崎は伝統的な商業都市から近代工業都市へという構想。

 高崎水力電気(株)や高崎瓦斯(株)に関係し、高崎板紙(株)、
 上毛製粉(株)、龍栄社製糸場を頂点とする30以上の会社を設立、
 経営に携わることで、高崎の工業化を推し進めた。

・昭和4年(1929) 昭和恐慌.
井上工業(株)改名。
・昭和10年(1935) 白衣大観音像の建立開始。
   丸2年の歳月と莫大な私財を投じた。開眼法要を迎えた。
・昭和13年(1938) 竜見町の観水荘で死亡。満69歳。



【9】田村英太郎:はりつけ茂左右衛門を世に問うた歴史研究家


【10】村上成之:高崎中学校の国語教師&土屋文明の師


【11】羽鳥千尋:森鴎外の紹介で陸軍軍医学校に入学。


【12】村上鬼城:鳥取若桜藩江戸屋敷→高崎で俳人
箕輪初心◆◆群馬の偉人:『村上鬼城』◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_7.html


【13】橘外男:直木賞作家


【●】大手拓次:安中磯部出身の象徴派の詩人
箕輪初心★群馬「大手拓次」=磯部に生まれた幻想詩人
http://53922401.at.webry.info/201111/article_2.html


【14】吉野秀男:書家・良ェ研究家・歌人


【15】八木保太郎:シナリオライター『山びこ学校』


【16】花柳徳兵衛:日本舞踊学校の創設者


【17】ろう山政道:行政学の大学教授→衆議院議員


【18】萩原恭平:アメリカ英語の教科書編集者


【19】松本亨:NHKの「ラジオ英語」


【20】橋本一明:フランス文学者


【21】原口統三:ソウル→高崎が第2の故郷


【22】,金鶴泳:韓国人の作家


【23】池田夏苗:京都薩摩藩邸→高崎中学校の文人校長


【24】山田昌吉:高崎の近代化に生涯を捧げた銀行家
(1876〜1944)
・明治9年(1876) 高崎藩士:山田永五郎
   ・・・雑貨荒物を商い、新規事業を興した。
・明治20年(1887) 11歳。高崎九蔵町の第74国立銀行高崎支店に給仕
  として入行した。
・大正5年(1916) 高崎信用組合理事
・大正9年(1920) 茂木銀行支店長。(★茂木惣兵衛の銀行)
経済恐慌で茂木合名会社の倒産→取り付け騒ぎ。
  高崎支店も危機・・・整理のために横浜興信銀行が設立された。
  山田昌吉は高崎市内の預金者に対して、小口は即時払い、大口は
  十年年賦とする措置を講ずるなどの手腕を発揮した。
・大正11年(1922) (株) 上州銀行副頭取。上毛貯蓄銀行の監査役
・大正12年(1923) 横浜興信銀行監査役。

   上州絹糸紡績取締役、信永運輸(株)相談役、関東互欺(株)
   監査役、前橋冷蔵(株)社長、高崎魚市場社長、
  庶民金融を営む高崎信用組合の設立に尽力。
  高崎図書館の創設など〜〜〜〜。
  上信電鉄を再建・・・上信電気鉄道(株)社長に就任。
  「電化」沿線の富岡―下仁田をはじめ甘楽郡の産業、文化の振興
  に貢献した。
  高崎商工会議所会頭を23年間務めた。



【23】尾崎行雄:立憲政友会
○尾崎家の先祖・・・今川義元の家来で、武田信玄に攻め立てられて
 没落した。天正18年(1590)、後北条氏が滅亡。現相模原市緑区牧野
 伏馬田城の城跡一帯は現在尾崎ヶ原といわれている。
○父:尾崎行正の生家は漢方医であった。尾崎行正(彦四郎)は、
戊辰戦争の際、官軍土佐藩迅衝隊総督:板垣退助に馳参じ、隊長:美正
貫一郎の率いる断金隊(旧武田家臣の子孫の部隊)に加わって会津戦争
を戦い抜いた。貫一郎の討死後は、断金隊の二代目隊長に任ぜられた。
○尾崎行雄は11歳まで又野村(現相模原市緑区牧野)で過ごした・
 明治元年(1868) 東京番町の国学者・平田篤胤の子・鉄胤の平田塾
 で学んだ。明治4年(1871)、高崎に引越し、高崎英学校にて英語を学
んだ。
明治5年(1872)、度会県山田(現・三重県宇治山田)に移り住ん
だ。宮崎文庫英学校に入学した。父は熊本転任が予定されていたため、
東京の慶應義塾に入学した。


【26】井上房一郎:ブルーノタウトの後援者・音楽センター
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・明治31年(1898) 井上工業社長:井上保三郎の長男として生まれる。
・高崎南小学校
・明治44年(1911) 旧制高崎中学校
・川合玉堂の塾に入ったが、やめちゃった。
・早稲田大学・・・
帰郷してはレコードコンサートを開催
    山本鼎・北原白秋・片上伸らの自由画運動等の
     文化活動に没頭。
・大学を中退。
  
・大正8年(1909)中学の同窓生:蝋山政道・住谷啓三郎と高崎新人会を
結成。
      吉野作造・大山郁夫を招いて講演会を開催した。
・大正12年(1923) フランスのパリに留学。
セザンヌに憧れる。
・昭和5年(1930)帰国。井上工業に入社。取締役。
・昭和9年(1934) タウトに会い、高崎の工芸品のデザインを委嘱した。
・昭和11年(1936) 家督を相続。
・昭和13年(1938) 父:保三郎が死去。井上工業社長に就任。   
      群馬県翼賛会壮年団理事長
・昭和20年81945)高崎市民オーケストラ(現群馬交響楽団)を設立。
指揮者に房一郎の仲人:有島生馬の甥:山本直忠を招いた。

・昭和25年(1950)群馬自由美術研究所
講師:山口薫(旧箕郷)、鶴岡政男、豊田一男、松本忠義(旧箕郷)
小林良曹(安中)・・・

・昭和29年(1954)音楽センターの建築。設計はレイモンド
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「ここに泉あり」はクランクイン
 ・・・小林桂樹(旧榛名町出身)もいた。
  ・哲学堂の建設

ほかに、群馬輸出工芸協会理事長・高崎紙工取締役・高崎毛織社長
・高崎生コンクリート会長などの要職を歴任。
高崎市文化賞・博物館功労賞・日本文化デザイン賞・文化功労賞
・国井喜太郎産業工芸賞・群馬県文化功績者特別表彰・高崎市功労者賞
など数々の表彰がある。
★群馬県立近代美術館には胸像まで設置されている。
★「山田かまち」を自宅に呼んだ。
・平成元年、山田かまち展を開催した。
・平成5年(1993)死亡。


【27】山田かまち:17歳で死んだ天才画家
・父:山田秀一、母:山田千鶴子・・・
・幼少より絵画の才能を発揮する。
・賀野小学校3年生・・・東京芸術大学出身の竹内俊雄
  (後新島学園高校の美術科非常勤講師)がクラスの担任に
  なった。
  冬休みの宿題で動物の絵(約30枚)を1時間あまりで書き上
  げた。
  井上房一郎に見せた。房一郎は「山田かまち」を自宅に呼んだ。
・倉賀野中学3年生の頃からビートルズなどのロックに傾倒。
  同級生(後にミュージシャンとして活躍するボーゥイ:)
  氷室京介とバンドを組んだこともあった。
  氷室は「音楽もおれより才能があった。」
  と語ったという。
・1年を浪人・・・前橋市の英数学館に通った。
・1977年、群馬県立高崎高等学校に入学。
    友人数人と、学園祭で映画を作成し出演する。
    エレキギターは17歳の誕生日にプレゼントとして
    贈られた。
 8月、自宅でエレキギターを練習している最中に死亡。
   死因は感電事故。
★「山田かまち水彩デッサン美術館」に作品が残された。
2回、行ったことがある。



【28】岡田刀水士(とみじ):詩人。萩原朔太郎の高弟。
1902年11月6日〜1970年9月30日
群馬県前橋市生まれ。
群馬師範(現群馬大学教育学部)を卒業・・・教員となった。
自由主義教育の実践に高い評価を得る
文芸誌「青猫」を中心に活躍した。
1947年、詩集「桃李の路」を出版。
    幻想的な作風に高い評価を得た
1970年、死去。


【29】豊田一男:画家



【30】小林信平=穣洲=漢学者・書家・教育者「懇信社」
・文政9年(1826)現高崎市新町生まれた。
書家で、隷書、草書に名品を残した。
明治15年(1882)「日本全国書画家一覧」
  卷菱潭・市河万庵と共に名が記載されている。
浄泉寺に新町小学校の前身となった「懇信社」を開設した。
多くの子弟の教育に情熱を注いだ。
新町小学校が開設されるまで、「懇信社」が続いた。
・明治39年(1906) 門弟知己が高徳を頌えた壽蔵碑
 「小林穣洲先生寿蔵之碑」を生前に建てた。



〜〜〜スポーツ選手〜〜〜〜
【1】石原 直樹:サッカーJリーグのサンフレッチェ広島のFW
・1984年8月14日生まれ
・群馬県高崎市乗附小学校・・・足が速かった。
・高崎西FC時代・・・青木拓矢ともプレー。
・高崎市立片岡中学校。
・高崎経済大学附属高等学校。
2003年、湘南ベルマーレに入団。Jリーグ初得点を決めている。
2006年、湘南監督が菅野将晃。公式戦初勝利は石原の2ゴール
2007年、背番号を11に変更。チームのエース。12ゴール。
2008年、J2で3位 となる18ゴールを記録。
2009年、大宮アルディージャに完全移籍・・・7ゴール。
2010年、チーム得点王 。AFCアジアカップ2011予備登録メンバー。
2011年、怪我でスーパーサブとして起用された。
2012年、サンフレッチェ広島に完全移籍。広島のJ1初優勝に貢献。
2013年、7月  大宮戦でハットトリックを達成。
ちょっと入れ込んでみた。知っている子だから
 (★Hpより編集)


【2】中町 公祐:Jリーグ:横浜F・マリノス
・1985年 埼玉県与野市(現さいたま)出身→前橋市
・群馬県立高崎高等学校
2004年〜2007年 湘南ベルマーレ
2008年〜2009年 慶応義塾大学
2010年〜2011年 アビスパ福岡
2012年〜    横浜F・マリノス


【3】清水将海:東京農大二校→元プロ野球中日ドラゴンズ捕手


【4】吉川元浩:東京農大二校→元プロ野球読売ジャイアンツ選手


【5】富岡久貴:高崎工→元プロ野球横浜べイスターズ選手


【6】不破弘樹:沼田→東京農大二→100m元日本記録保持者


【7】川浦博明:高崎北校→元バレー日本代表



【8】栃天晃正嵩:大相撲東十両4枚目:春日野部屋
1967年2月19日 〜本名は島方守(しまかた まもる)。
高崎市旧箕郷町?
現役当時の体格は181cm、146kg。
得意手は右四つ、寄り、上手投げ。
自己最高位は東十両4枚目(1993年9月場所)。



〜〜〜〜芸能人〜〜〜〜〜
【1】BOOWY
1)氷室京介:歌手、元BOOWY
2)布袋寅泰:歌手、ギタリスト、元BOOWY
3)松井常松:ベーシスト、元BOOWY


【2】松本賢一:東京農大二校→ベーシスト:ロードオブメジャー


【3】BUCK-TICK
1)樋口豊(BUCK-TICK)
2)ヤガミトール(BUCK-TICK)




〜〜〜〜その他〜〜〜〜〜
【1】清水崇:中央高校→映画監督

【2】三浦弘行:中央高校→将棋の棋士




★参考サイト
・ウキペディア
・高崎市出身有名人の「Hp」


★明日は旧吉井かな?

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2013/12/23 21:42

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まみですσ(´ω`*)初めまして!箕輪初心さんのブログ大好きです(b≧∀)グッド♪今日はついに見てるだけじゃ足らずコメントしちゃいました(o^−^o)実は最近、箕輪初心さん自身にも興味がるんですけども…゚.+:。(〃ω〃)゚.+:。 キャァ♪もしよかったら、お友達になってほしいですσ(´ω`*)メールもらえたら嬉しいな(о´▽`о)それじゃ待ってますです(*^-^)
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2013/11/03 10:33

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