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zoom RSS 箕輪初心●群馬【太田金山城跡ガイダンス施設】&『太田金山城』2回目

<<   作成日時 : 2013/11/10 05:48   >>

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★群馬県の100名城は『太田金山城』&『箕輪城』である。
金山城は群馬には珍しく石垣・石敷を多く使っている城な
のである。今回は、友達の中ちゃんのリハビリで連れて
きた。「太田金山城跡ガイダンス施設」と金山城散策を
案内を地元の太田スキー&ハイキング仲間の長島氏にお
願いした。馬場なども見学した。
 
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箕輪初心●群馬『太田金山城』1回目=石垣の見事な100名城
http://53922401.at.webry.info/201311/article_8.html

箕輪初心★井伊直政家臣:宇津木
http://53922401.at.webry.info/201301/article_16.html

箕輪初心●旧太田の城31城一覧
http://53922401.at.webry.info/201304/article_1.html

箕輪初心●群馬:寺尾の城《新田義重をめぐる旅》
http://53922401.at.webry.info/201102/article_29.html



        
【2】訪問記A・・平成22年(2010)5月9日 
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@「太田金山城跡ガイダンス施設」
  長島氏と2009年にできたガイダンス施設で待ち合わせ
  をした。中に入った。無料である。
○構造模型2つが分かりやすかった。 
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○15分のビデオを観ながら学習した。
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○さらに、1〜4の説明書きを読んだ。
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A金山城の7つの井戸のうちの一つ「坂戸の井戸?」
 を見た。・・・ガイダンス施設前
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B上の駐車場に行った。・・・30台は停められる。
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C石碑から登った。
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D西矢倉台西の堀切には石畳が敷いてあった。
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E矢倉台東の堀切に出た。「7,5m?」と書いてあった。
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○さらに登る


F岩を削った堀切があった。
  石の木橋?のようなものが造られている。
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G堀切の向こうに門?がある。
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  下は4段積みの見事な石垣がある。
  下の通路を来る敵を弓・鉄砲で撃つための施設である。


H通路に沿って、堀立小屋が2つあった。

I物見台が復元されているが当時とは全く違うであろう。
  もっと高いはず。
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J馬場を通り、馬場曲輪に出た。復元の小屋があった。
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K三の丸下で、しかも大手虎口を区切る大堀切が、
   月の池の延長に見えた。
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L月の池
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M大手虎口にでる。
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  石垣の凄さと合理的な守備固めの仕組みが手に取るよう
  に分かる。
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N南上段の郭には、井戸・かまど跡が復元されている。
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O日の池は籠城用の水確保の施設である。
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P二の丸に行った。
○ジオラマがとってもいい。
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○百名城
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○太田市内の見晴らしが最高だった。
  天神山古墳が見えた。

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Q実城(本丸)
   藤棚があり、満開だった。
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○さらに、新田神社に上がった。
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  ★ここが、本来の持仏殿だったかもしれない。
  明治2年(1869) 新田俊純&由良系新田氏の共同で
  建てたらしい。


R神社裏を下ると、武者走りがあった。
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  ★でも、腰郭かもしれないと思った。

S馬を休ませる静かな場所もあった。
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  ★馬場かもしれない。



21三の丸下の石垣の野面積みが見事だった。
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「大きい面を奥にしている。」とか書いてあった。
 ★北条流の築城法のようである。

22分岐・・北城に向かう道もあった。
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23少し下ったが戻って、藪こぎをした。
サンダル履きなのに無理矢理行った俺が馬鹿だった。


24大堀切の上に出てしまい、近道にならなかった。


▼三の丸通路に戻り、大手虎口に行った。
 〜〜〜2人と合流した。


●大島屋敷・・・新田義重系の大島一族の長屋門
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●昼食・・・岩崎屋やきそば
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●太田天神山古墳


●小泉城



●▲■ 太田金山城の歴史 ■▲●
・鎌倉時代    源義家3男の義国→新田氏→岩松氏
・鎌倉時代末期・・新田義貞が砦として整備したといわれるが、
         発掘調査や古文書での裏づけはない。
・室町時代    新田一族:岩松家純は関東管領上杉顕貞派
であった。
・寛正2年(1461) 古河公方:足利成氏に与していた同族の岩松
         持国をだまし討ちにし、岩松氏本流にした。

・文明元年(1469) 岩松家純は重臣:横瀬国繁に命じ、世良田
   長楽寺の僧:松陰軒西堂の縄張りで築城させた。
   岩松氏は内紛が勃発した。
  ★詳しくは、峰岸純夫先生の「岩松新田氏」参考に書いた
   箕輪初心の「岩松氏の歴史」を参考されたい。・・・
   あれ、ブログにはまだ載せてなかった。御免ね。

・明応4年(1495) 明応の乱
    横瀬国繁・成繁父子は実権を奪った

・享禄元年(1528) 享禄の乱
   岩松昌純は横瀬氏打倒を計画したが事前に漏れ、
横瀬泰繁・横瀬成繁(=由良成繁)によって殺害された。
   金山城は名実ともに横瀬氏の支配下に入った 

・文明元年(1469) 岩松家純によって築城?

・天文5年(1536)下克上で家臣横瀬氏横領
           →由良氏に改姓(横瀬)
(★由良氏の墓は太田市金竜寺か高崎市箕郷町の金龍寺か?)   

・天文15年(1546) 河越夜戦の敗北
・天文21年(1552) 平井城落城
上杉憲政の越後落去・・・
   一時期北条氏の傘下に入った。
・弘治3年(1557) 武田氏の上州攻略の開始
・永禄3年(1560) 長尾景虎(=上杉謙信)の第一次関東出兵
    上杉氏に多くが従った。

・永禄8年(1565) 横瀬成繁は「由良」と改姓した。
由良成繁は上野に侵攻した武田信玄、北条氏政らと戦った。

・永禄9年(1566) 上杉氏から離反し後北条氏に奔った。

・永禄11年(1568) 武田信玄による駿河侵攻.
甲相駿三国同盟が崩れた。
  由良成繁は小田原城の北条氏康・氏政父子と越後春日山城の
  上杉謙信の間を取り持ち、相越和睦に尽力した。

・永禄12年(1569) 由良成繁の3男:顕長が、足利長尾氏の養子
  に入った。両崖山城、館林城の城主となった。
・天正元年(1573) 由良成繁は桐生城内の内紛につけ込んで、
  下野唐沢山城の佐野氏から桐生城に養子入りした佐野重綱
  を唐沢山城に追い払った。
唐沢山城を攻略した。
  両毛に勢力を広げたのだった。

・天正2年(1574) 5回、上杉謙信の攻撃した。
  武田勢は持ちこたえた。

・天正6年(1578) 由良成繁は隠居して桐生城に移った。
  由良国繁が家督を継いだ。

・天正9年(1582) 上杉謙信の死→御館の乱

・天正10年(1582) 3月・・武田氏の滅亡。
   厩橋城に入った織田氏武将の滝川一益の支配化に入った。
   6月2日 本能寺の変
     滝川一益は厩橋城を放棄。
  
  北条氏政は「戦勝祝いと以後の軍法配立の相談をしたい。」
  と由良国繁・長尾顕長兄弟の小田原同行を求めた。
  小田原城に到着。
  →難癖をつけて幽閉、同行の一同を金山城に返した。

・天正11年(1583) 金山合戦。
  北条氏照軍は金山城攻略戦を開始。 江田城・反町城から・・
金山城に残った横瀬勘九郎&家臣は由良国繁・顕長の変換を
  要求した。
 →北条氏政は弟:北条氏照&氏邦ほか3500騎で金山城、館林城
  を包囲した。
  太田城下の金龍寺、足利の長林寺住職らの仲介で和議が成立。
  由良国繁は金山城を退去し桐生城に隠居した。
     
・天正12年(1584)1月1日
  唐沢山城:佐野宗綱が由良国繁&長尾顕長領を襲った。
  須花坂合戦・・・由良国繁が戦死した。
  戦勝報告・・重臣:久米伊賀守、横瀬勘九郎を小田原城に。

  由良国繁は金山城を北条氏に明け渡した。
  @金山北城=北郭に宇津木氏久
   A金山西城=西郭に高山遠江守定重
(★由良氏の家老・・・高山彦九郎先祖)
  B金山根郭=八王子砦?下に大井豊前守
(★佐久:大井→武田家臣:高崎根小屋城→北条家臣)
    ★宇津木氏久達が在番した。
  北条氏照(★北条氏康次男)は金山城には北条氏の家臣
  :清水太郎左衛門正次を派遣するため、
  10月中に城普請を終了させるよう宇津木氏久に命じる。
   (★宇津木家文書)
  C金山城本城に清水太郎左衛門正次
  (★長野業政家臣で和田山の清水内匠守の嫡男
    →玉村に在住→・・・であろう。

 ※豊臣秀吉が「関東・奥羽惣無事令」を宣言。

・天正17年(1589)
 北条氏直は宇津木氏久に小田原から金山城跡までの
 伝馬手形を与える。『伝馬1匹の乗り継ぎの許可』
 「北条氏直→倉賀野城主:併和伯耆守康忠
 (★もしかしたら、箕輪城代かも)→宇津木氏久へ」
 (★宇津木家文書・・地域文化:中島直樹著)

・天正18年(1590) 豊臣氏の北条攻撃。
  前田利家らが金山城へは攻撃を加えた。→金山城を放棄
  し、廃城になった。
  由良国繁・顕長は小田原城に籠城。
宇津木氏久は金山城にいて小田原城に籠城しなかった。
  北条氏滅亡。
 →徳川家康は関八州を賜った。
  徳川家筆頭:井伊直政は上野:箕輪城 12 万石を拝領した。
  ※由良氏は、国繁の母・妙印尼が秀吉本営に嫡孫貞繁、次男
   矢場繁勝、四男渡瀬繁詮を差し出した。
   豊臣家に二心なきことを説得し、改易を免れた。
   由良国繁は常陸牛久5000石に任じられた
渡瀬繁詮は遠江横須賀城35000石に任じられた。


★明日は?

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