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zoom RSS 箕輪初心★高崎「鎌倉時代の信仰の広がり」

<<   作成日時 : 2013/10/05 09:24   >>

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平安時代中期以降、武士の台頭と貴族の後退の中で、世の中が乱れ
た。政治の腐敗、戦乱、天災、飢饉、疫病など、生活への不安が増
大し、平安末期には「末法思想」が深まった。鎌倉時代には山岳信
仰、密教信仰のほか、新仏教も出て来て、各層に信仰が広がった。

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 (★榛名神社)

【1】榛名神社
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・用明天皇元年(586) 社殿が造営された(伝)。
・延長5年(927) 『延喜式神名帳』
  全国の主要な神社のラングつけの記録の中に、
  榛名神社が「上野十二社」の3位?6位?に位置づけられた。
平安時代には、古くから厚い信仰を集めていた。
建久3年(1190)12月「上野国留守所下文」・・・
「目代左衞門尉藤原」
「惣検校石上」
「散位石上」・・・
らが、榛名寺領への健児(こんでい)・検非違使(けびいし)
 の入部を止める。」
 (★榛名神社文書)
*近藤義雄先生・・・藤原某の所領で・・・
  現地に、bQの石上&bRの石上が来た。
しかし、2年後の鎌倉幕府の成立に伴い、石上は無用の長物に
なった。(★近藤義雄先生)
★★★久保田先生の新説
@八幡庄・・・・・新田一族の私領=荘園
    (新田義重→新田義兼・里見義俊・山名義範・豊岡??)
A長野郷・・摂関家:藤原氏の荘園で上野国最大の公領
 高崎の浜川・烏川の左岸〜倉渕〜榛名神社〜榛名山南部
〜箕郷町〜・・・
 ※「惣検校石上」・「散位石上」・・石上=長野氏はが現地で年貢を
     徴収する役人だった。     
 国衙・・・・・・天皇家の所領。 
※久保田先生・・榛名神社の神領は長野郷内の
   可能性がある。院政期の上野国の有力な郷であっただろう。
・鎌倉時代・・・★源氏・新田氏などに庇護されたのであろう
・南北朝時代・・・上杉家の下に属し、別当が派遣された。
・観応年間(1350~1352)観応の擾乱・・・南北朝時代の室町幕府
 の内訌。足利政権だけでなく、南朝と北朝、それを支持する武家や、
 公家と武家どうしの争いになった。
 足利尊氏 VS 弟:足利直義+新田義興
新田義興側の榛名山座主:快尊&忠尊が更迭された。
  →鶴ヶ岡八幡宮の「頼院」が榛名山座主になった。
(★今川範国施行状:鎌倉市立図書館所蔵文書)

・室町時代・・・・榛名神社寺領「室田・三ノ蔵・権田」
 (★頼院大僧正絵伝)
・永正10年(1513) 長野憲業立願状写(★榛名神社文書)
大戸要害令落舎、憲業属本意候者、百疋之下地お、・・・
・・(後略)・・・末代可奉寄進候
奉懸 巌殿院
  ※久保田先生・・・(現東吾妻の)大戸城を攻め落とし、
  憲業の本意に属しそうらえば、百疋=1000文の土地=お金
  をあげます。・・・末代まで寄進奉りべくそうろう、
  巌殿院・・・榛名神社も神仏習合である。
・戦国時代・・・武田信玄も戦勝祈願をした。
        でも、衰退した。
・江戸時代・・・天海僧正により復興された。
・慶長19年(1614) 「上野国天台宗榛名山巌殿寺法度之事」
上野寛永寺の支配下におかれ、別当が派遣された。
榛名神社信仰は「榛名講」として広がった。
   社家町が賑わった。
塩原太助も出世したのち、寄付をした。
   神楽も行われた。
・現在・・・パワースポットとして有名である。
◆◆ 箕輪初心◆榛名神社 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_9.html

◆◆ 榛名神社詳細:パワースポット ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201011/article_26.html

◆◆ 箕輪初心●群馬『榛名山城考察』&榛名神社の氷柱4m
http://53922401.at.webry.info/201302/article_13.html




【2】国分寺
箕輪初心■群馬:『上野国分寺跡』=60mの七重の塔
http://53922401.at.webry.info/201102/article_32.html
http://53922401.at.webry.info/201306/article_2.html
・天平13年(741)、聖武天皇は全国68の国々に国分僧寺=金光明寺
 と国分尼寺=法華寺を造ることを命じた。
 上野国と呼国分僧寺の広さは東西約220m×南北約235mである。
・天平勝宝元年(749)旧碓氷郡や旧勢多郡の豪族の協力により主な
 建物が完成したようである。(★『続日本紀』
長元3年(1030)には築垣や門は壊れてしまった。
  (★『上野国交替実録帳』)
・南北朝時代1380年頃には、伽藍が滅びてしまったようである。
http://53922401.at.webry.info/201102/article_32.html




【2】唐松廃寺
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・平安時代・・・創建。
鎌倉時代・・・※久保田先生・・・榛名神社への
箕郷〜善地〜唐松〜榛名神社〜が
この当時の道だった。

・現在・・・・・救世真教の聖地。榛名山鐘撞山など。
(★箕郷町誌)
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【3】慈眼寺(じげんじ)・・・高崎市下滝町。
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・平安時代・・開基。聖武天皇の時代という(伝)・・・1250年前    
    慈眼寺は東大寺を造営した良弁(ろうべん)が創建した。
(★漫画:高崎の歴史)
・鎌倉時代・・・     
・室町時代・・・足利尊氏が庇護。
真言宗:高野山の末寺となった。?
     「関東の高野山」と呼ばれた。
・戦国時代・・・慈眼寺城
江原一族は赤坂荘:和田城の和田業繁の同心であった。
 本来の家が慈眼寺の北200mの場所である。
★江原一族は武田信玄の家臣:和田信業(跡部資勝の養子)
の家臣になったが、おそらくは、長篠の戦い後、帰農した
のであろう。
・江戸時代・・・滝川用水を造った江原源左衛門の墓がある。
   御朱印30石のの古刹であった。 
・現在・・・慈眼寺「しだれ桜」が有名である。
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【4】天竜護国寺・・・高崎市上並榎町
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・貞観8年(864) 最澄の弟子:慈覚大師の創建(伝)
延長6年(928) 小野道風の算額(伝)・・・醍醐天皇の下賜。
「新比叡山」と呼ばれた。

平安時代・・天台宗の拠点・・・火事で焼失。
鎌倉時代・・・再建
・室町時代・・・
・戦国時代・・・城の一部となった。


【5】九品寺・・・高崎市倉賀野町
・鎌倉時代・・・・創建?
・南北朝時代・・・善光寺三尊の様式の仏像が残っている。



【6】時宗の寺
@光台寺・・・高崎市山名
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・鎌倉時代・・・創建。山名義範の屋敷と隣接


A来迎寺・・・・高崎市浜川町
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・鎌倉時代・・・創建。
・戦国時代・・・長野氏の墓35基
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B聞明寺・・・・安中市板鼻
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 (★福祉センター=板鼻藩陣屋から)
・鎌倉時代・・・創建。
・室町時代・・・
・戦国時代・・・裏山が板鼻城の砦
・江戸時代・・・裏山が板鼻藩:里見家の陣屋



【7】10の八幡宮・・・源氏系新田氏の流れ
@八幡八幡宮


A山名八幡宮
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B我峰八幡宮

C下豊岡八幡宮

D新保八幡宮

E萩原八幡宮

F八幡原八幡宮

G倉賀野八幡宮

H岩押八幡宮

I矢中八幡宮


【8】長谷寺・・・板東16番札所
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・朱鳥元年(686)創建(伝)。
     金峯山修験本宗開祖:役行者の創建(伝)という説もある
     勅願により徳道によって創建された(伝)という説もある。
最澄や空海が訪れた(伝)。
平安末期・・・・行基が十一面観音を刻んだ。(伝)。県重文
鎌倉時代・・・鎌倉将軍家:源氏・新田氏・上杉氏などは信仰した。
★観音信仰を鎌倉幕府は意図的に進め、板東33番
札所に定めた。
鎌倉上道〜板鼻宿〜長谷寺〜箕輪〜古柳沢寺〜
水沢寺:板東16番・・・あるいは、渋川・・越後への
の交通の要所だった。
・室町時代・・・修験道の寺になった。武士の情報基地だった。
・永禄9年(1566) 武田信玄が箕輪城を攻撃の前に、
        長谷寺の砦で戦いがあり、延焼した。
・天正8年(1580) 世無道によって再興された。


【9】吉井の寺
@多比良普賢寺

A長根恩行寺

B岩崎光蔵院

C延命院

D穴岡弥勒寺

E長根常行院

F馬庭随雲寺

G神保仁そう寺
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などが創建された。



★明日は長野氏かな?

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