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zoom RSS 箕輪初心★木曾義仲:上野国多胡庄2ヶ月→信濃依田城で蜂起

<<   作成日時 : 2013/10/03 07:04   >>

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久保田順一先生の説では、治承4年(1180)の源頼朝の蜂起前後
には上野国には、4つの勢力があったというのである。
@藤原秀郷流の子孫系勢力・・中心は 藤原秀郷流足利俊綱
A新田義重の八幡庄軍団・・新田義重?新田義兼
B木曾義仲の多胡軍・・・・・
C源頼朝の勢力・・・・・・・藤原義因&摂関家の武士「長野氏など」

10月13日 木曾義仲は亡父:源義賢の根拠地:上野国多胡庄に入り、
12月24日、木曾義仲は信濃へ引き上げる。たった2ヶ月ではあるが
多胡庄にいたのだ。

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 (★久保田先生の作図・・・許可済み)
 ★久保田先生、ありがとうございます。

箕輪初心●木曽義仲(1154〜1184)=征夷大将軍になった人物。
http://53922401.at.webry.info/201107/article_29.html

箕輪初心★新田義重&茶臼山城
http://53922401.at.webry.info/201309/article_27.html

箕輪初心★2代目:里見義成
http://53922401.at.webry.info/201309/article_30.html

富岡武蔵:依田城・・・・★元陶芸の同僚です。
 ★細かいです。
http://tomioka.at.webry.info/201308/article_22.html
http://tomioka.at.webry.info/201308/article_23.html


【1】源頼朝の蜂起
・治承4年(1180) 
 5月    後白河上皇の皇子以仁王(もちひとおう)と源頼政が
       「平氏打倒」をスローガンに挙兵。
 6月    宇治川の合戦 源頼政の戦死。
       文覚上人は頼朝に義朝のドクロを見せた。(伝)
 8月17日 三島大社の例祭
     源頼朝が伊豆:蛭が小島(静岡県韮山町)で挙兵。
     →北条時政らの援助を得て、伊豆の目代(もくだい)
      山木兼隆(政子の最初の結婚予定相手)を討った。
 8月19日 土肥(神奈川県湯河原町)
       北条時政ほか300騎。
 8月21日 平氏3000騎。「三浦義明一族が来る前に戦おう。」
 8月22日 石橋山の戦い(神奈川県小田原市) 
       大庭景親(かげちか)に敗北。
北条時政の長男:宗時は戦死。
→しとどの岩屋(神奈川県湯河原町岩)の隠れた。
  平氏一門:梶原景時が見逃した。(伝)
       →土肥(神奈川県湯河原町岩)から船に乗って、
       安房(千葉県)木更津へ逃亡。
  安西景益の家に落ち着いた。



【2】木曾義仲の蜂起
木曾義仲の父は源頼朝の兄:源義平に殺されている。
  木曾義仲と源頼朝は決して仲がいいわけではない。


9月7日 信濃で木曾義仲が挙兵。
      長男:木曽義高を源頼朝に人質に出した。
        ★なんと律儀な・・・
     木曽→糸魚川→(北陸道)→・・

10月13日 木曾義仲は亡父:源義賢の根拠地:上野国多胡庄に
       入りした。
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 ★木曾義仲にとって兵を集めなければならなかった。そのため
 多胡館を根拠地としていた父:義賢の人脈を頼って行ったので
 あろう。木曾義仲自身も多胡庄を根拠地としようとしたのかもし
 れない。


@藤原秀郷流の子孫系勢力・・中心は 藤原秀郷流足利俊綱・忠綱
→平家に付き、上野国府を攻撃。・・・失敗。

A新田義重の八幡庄軍団・・新田義重?新田義兼
→源頼朝に呼応せず、自立の道を歩もうとした。
9月30日 上野の新田義重(里見義俊の父)は源頼朝に呼応せず、     
    寺尾城(高崎市寺尾茶臼山城・・城山団地奥)の籠城。
   (理由@・・・足利俊綱が上野国府を焼き討ち。)
   (理由A・・・木曾義仲は上野:多胡庄に進出。
       かつて、木曾義仲の父:源義賢の所領だった。)
   (理由B・・・先祖源義国の3男で、俺は嫡流である。
           頼朝先祖:源為義は6男。)
     
   新田義重長男:里見義成「源頼朝の側近として活躍」
   源頼朝は、武蔵の江戸重長(江戸城)
           河越重頼(川越城)
           畠山重忠(菅谷城)     

B木曾義仲の多胡軍・・・・・
 多胡家包・富岡の瀬下四郎、藤岡の高山党、玉村の那波太郎弘澄
 伊勢崎の佐位七郎広助、境の木角六郎、榛東の桃井五郎、

(★平家物語)

C源頼朝の勢力・・・・・・・国衙・在庁系武士団
  藤原義因&摂関家の武士「長野氏など」
上野知行国主:藤原光能が後ろ楯になっていた。
・藤原光能は後白河法皇の側近に「平家追討」の院宣を書き、文覚に
渡した。藤原光能はの娘は以仁王の妾(僧真性の母)で、大江広元
の実父であった。また、藤原光能の妾は安達盛長の甥:安達遠元の
娘である。

やがて、上野国の4つの勢力は、源平の2つにに集約されていった。

12月24日 木曾義仲は信濃へ引き上げた。
2ヶ月で多胡庄から信濃へ戻ってきたのである。
※源頼朝の力が上野国まで及んできた。(★『吾妻鏡』)
※亡父:源義賢の縁で多胡庄で武士集められた。(★『平家物語』)
※越後平氏:城氏が信濃へ進攻してくるという噂・情報があった
 とする説もある。
※思ったより集まらなかったとする説(★久保田順一先生)
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※治承4年(1180)12月24日〜 
  東信濃の要衝にある 依田城(上田市丸子)を拠点とした。
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 (★丸子城よりの依田氏の依田城・宗龍寺・宝蔵寺方面)     
  依田次郎は木曽義仲を依田城に迎えて旅のねぎらいやら
   接待でごったがえしたという。(★『吾妻鏡』)

※依田為実の子:依田次郎実信は木曾義仲と従兄弟同士だったのだ。
  ※初代:依田為実の母が源義賢(義仲の父)の娘だった。
※根井行親・・・佐久を支配。信濃武士を組織し、子:楯六郎親忠
   と共に最後まで従軍した。
※樋口兼遠・・・育ての親・・木曾義仲の擁立者。
※海野幸広・・・小県の海野郷の大豪族。望月・禰津・真田先祖


・寿永1年(1182) 大凶作と飢饉(ききん)


5月 越後の平氏一族:城助職は信濃に進攻するため、兵を招集。

6月 越後:城長茂が10000の軍勢で信濃へ進軍しているという報
   を受けた。
   依田城には樋口兼光・今井兼平・海野幸広・根井行親・矢田義清
が集まった。
   木曾義仲は依田氏菩提寺:宝蔵寺は義仲が戦勝祈願を行った。
   木曾義仲が馬で登った道が「義仲馬大門」と呼ばれている。
   手植えの桜が「義仲桜」として伝わっている。(★現地解説板)

   木曽義仲は依田城を発した。
  
   木曾義仲は城氏軍を迎え撃つため、小県の大豪族:海野幸広の
   根拠地:海野郷白鳥の河原に兵を集めた。
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   海野氏の氏神:白鳥神社は白鳥河原の正面、海野宿の東入口に
   位置する。
   ★海野城は台風で流され、今は一部しかない。
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 6月13・14日 横田河原合戦・・・川中島と同じ場所
   木曾義仲が城氏軍を破る。

・寿永2年(1183)  平家軍北国下向


【3】木曾義仲の出兵
@上田→長野→鬼無里→大町→松本→糸魚川→富山
☆木曽義仲伝説@・・・・鬼無里伝説
 木曽義仲は北陸進出の際に道案内をした村人に自分
 の守護仏を預けた。
 木曽義仲公没後、村人は供養のため御堂を建立し
 「大聖智慧文殊菩薩」を安置したのだと云われている(伝)。

  (★鬼無里) 

A上田→保福寺峠→松本→大町・・・
 @だと思う。鬼無里の義仲伝説があるので・・・。2011年

B上田→上田丸子の依田城→麻積→大町→糸魚川→
 (★2012年6月15日『方丈記』:徳間書店)

  燧(火打)城落城。
  般若野の戦い。

5月 倶利伽羅峠の戦い・・越中と加賀の県境
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★明日は、長野氏かな?

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2015/05/19 08:36

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
 腰は大切にして下さいね。
 私も、明日と明後日で尾瀬に行く予定です。尾瀬はいいですね。
ゴリさん
2013/10/04 05:55
腰は、あまり良くないです。背骨の一部が飛び出ています。もう無理は止めなくちゃと思っています。
10月の2週目、3週目の土日の尾瀬の紅葉はいいと思いますよ。
ゴリさんへ
2013/10/04 07:24

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