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zoom RSS 箕輪初心★江原源左衛門&滝川用水

<<   作成日時 : 2013/10/11 05:29   >>

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江原源左衛門は慶長10年(1604)関東郡代:伊奈忠次に進言し、慶長12年(1607)〜慶長15年(1610) に天狗岩用水から滝
川用水への延長を実現させた。滝川村から玉村にかけて35km
の滝川用水のおかげで、1800ha総石高は11200石になったとい
われている。当時の領民は私財を投げ打って偉業をたり遂げた
した江原源左衛門の功績をたたえ、慈眼寺に生きている時に立
てる逆修塔を建てた。
江原源左衛門の父は武田信玄の家臣:
和田信業(跡部資勝の養子)の家臣になったが、おそらくは、
長篠の戦いで父は戦死しただろう。酒井家次の父:酒井忠次の
家臣に殺された?・・・。後に、嫡男:酒井家次が高崎藩2代
目藩主で高崎に来るなんて思いもよらなかっただろう。でも、
上滝村・下滝村は玉村の伊奈忠次の領分であった。もし、
滝村が酒井家次の領分だったら、こんな大事業をやったの
だろうか?
 
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箕輪初心◆群馬:高崎の稲作と用水路C「江戸時代」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_7.html

箕輪初心◎【長篠の戦い】前編:武田VS松平+織田の動き
http://53922401.at.webry.info/201211/article_25.html

箕輪初心●愛知【長篠城】=奥平信昌の先祖は群馬出身
http://53922401.at.webry.info/201211/article_24.html

箕輪初心◎長篠の戦い後編:設楽原の激闘&上野国関係者
http://53922401.at.webry.info/201211/article_27.html


【1】滝川用水
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天狗岩用水→滝川用水→利根川・井野川のど真ん中へ
■訪問記・・・
 @吉岡町利根川板東大堰取水口・・・現在の天狗岩用水取水口
 A吉岡川と合流・・・・
 B吉岡町・・・江戸時代の取水口・・・?・利根川に沿って南下。

 C午王頭川横断
 ○前橋:勝山
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○前橋:総社勝山城付近の分流・・・勝山小学校方面へ
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画像

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 D前橋市総社植野堰・・・
 ●五千石堀と分流・・・戦国時代の勝山城付近の水田へ・・・       
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 E総社城の西木戸の堀

  ○明治時代の群馬初の水力発電
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〜〜★ここあたりから江原の工事か?〜〜〜
 F愛宕神社&高崎6中の間
 G宝塔山古墳西隣+上越線
   →五千石堀と分流宝塔山古墳近くで再び合流する。
 H前橋市総社町
 I前橋市大友町の葬儀場前
 J前橋市石倉町西(本当は大友町線路西)
 K新前橋駅の西
  ●小河原堰の分水・・・中尾・小八木・井野
 L前橋市古市町
 M前橋市箱田町
 N前橋市川曲町

 O高崎市京目町
 O高崎市島野町
 P高崎ICの東500m・・・
 Q高崎市宿横手町・・・利根川放水路
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 R高崎市上滝町・・・・井野川&利根川の間の地域
 ○江原源左衛門宅の近く
 S高崎市下滝町・・・・・
 ○関越自動車道に沿って・・・・
 ○玉村町の利根川西地区の全域の田んぼへ




【2】◆◆ 江原源左衛門の生涯 ◆◆   

・戦国時代・・江原一族は赤坂荘:和田城の和田業繁の同心であった。
    江原一族は滝村(高崎市上滝町・下滝町)を支配した。
    慈眼寺を城砦とした。
   本来の家が慈眼寺の北200mの場所である。


・永禄3年(1560) 江原源左衛門は慈眼寺の北200mに館
         (高南中学校東)で生まれた。
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・永禄6年(1563) 和田業繁が武田信玄に配下になった。
        :和田業繁の家臣となり、江原一族も同調?
  ※和田業繁(長野業政の娘婿→武田信玄家臣)
※和田信業(武田家臣:跡部資勝の子)の家臣になった。
・天正8年(1580) 長篠の戦い
         和田信業が戦死。
  ★江原一族は武田信玄の家臣:和田信業(跡部資勝の養子)
   の家臣になったが、おそらくは、父も戦死しただろう。
   酒井家次の父の家臣に殺された、・・・。
   後に、酒井家次は高崎藩2代目藩主で高崎に来るなんて思い
   もよらなかっただろう。
 

 ★江原源左衛門は長篠の戦い後、戦にはいかなくなった
    のであろう。


・天正10年(1582) 3月に織田家家臣:滝川一益の支配
         →6月に北条氏3男:北条氏邦の支配
       
  ※江原源左衛門は22歳の時、農業を営む地侍になった。
    北条氏邦の誘いを断って、帰農したのかもしれない。


・慶長7年(1602)〜慶長9年(1604) 総社藩主:秋元永朝により
    開削された越中堀に協力した。
  「代官堀の工事に際しても、難工事に直面しているときに、
  山伏が仕事を手伝った。」と言われる(伝)。
  後にこの山伏は天狗ではないか?と言い伝えられるようになり、
  天狗岩用水と呼ばれるようになった。

  滝村の田んぼには、水は少なかった。
 

・慶長10年(1605) 関東代官(玉村):伊奈忠次が玉村引水計画
  を立てるが失敗。    
 ★井野川下流の東一帯は台地であるため、開墾しても水が引けず
  困っていた。
 
・慶長11年(1606)
江原源左衛門は植野堰からの越中堀から滝村に用水を引くことを
  考えついた。
 そこで、玉村にいる関東郡代:伊奈忠次に協力を求めたようである。
共同利益のための為政者側からの利益も多かったが、
 為政者のために働く庶民の味方:江原源左衛門はやっぱり偉人
 なのだろうか?

 
・慶長12年(1607)48歳 江原源左衛門は総社藩:秋本長朝に
    用水計画を陳情した。
   →江原源左衛門は総社藩:秋本長朝に「用水開発人」に
    任命された。→用水工事開始。

・慶長15年(1610)  玉村在住の関東郡代:伊那忠次により
   開削された代官堀の完成。
  江原源左衛門は関東郡代:伊奈備前守忠次に協力し、資材をなげ
   うって用水を完成させた。
     ・・・72ヶ村1836町歩の水田に水が行き渡った。

ご褒美として、江原源左衛門に3町3反=3,27haが与えられた。
  (★漫画:高崎の歴史)
 
  →江原源左衛門は滝村の名主になった。

・寛永14年(1637) 村人は慈眼寺に生きている時に立てる逆修塔を建て
てくれた。
  滝川用水を造った江原源左衛門の墓がある。
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・江戸時代・・・    御朱印30石のの古刹であった。 
    現在・・・慈眼寺「しだれ桜」が有名である。
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・正保4(1647) 死去。


・明治27年(1952) 天狗岩用水で一般供給の水力発電所が
            群馬県で最初、日本で5番目に作られた。

・現在  水力発電開発のモデルになっている。
     (総社町総社城の西木戸)
  (★群馬町誌・高崎市史などより編集)

 





★明日は、高崎藩5代目:安藤家かな?長野堰かも?

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