住谷天来・住谷悦治の名前を知ったのは25年程前である。 近藤義雄先生の「群馬町国府」の散策の時、住谷輝彦氏に会っ たことによる。近藤義雄先生は「住谷天来先生・住谷悦治先生 ・住谷磐根先生」について教えて下さった。 @共愛学園創設関係者で、キリスト教牧師:住谷天来先生 A同志社大学学長:住谷悦治先生 B画家で埼玉県の某市の名誉市民:住谷磐根先生・・など。 住谷天来。そして、住谷悦治&住谷磐根兄弟か。凄いな。 最近は、群馬文学全集第20話、内村鑑三、群馬のキリスト 教、『住谷天来と住谷悦治』みやま文庫などを読んだ。 【0】住谷一族の系譜 ・宝徳2年(1450) 伊賀国の角谷藤治郎へ越後→信濃→上野国 ・戦国時代 8代目:角谷が住谷治郎右衞門と改姓。 ・元禄期 住谷天来の先祖が分家 ・天保2年(1830) 住谷弥一郎永明・・・俳人 ・幕末 長男:住谷孝三郎博信・・・俳人 三男・住谷明信・・・・・・俳人 ・明治時代 住谷明信の長男:久太郎が 住谷天来に影響を 及ぼした。 (★住谷悦治長男:住谷一彦氏の記述) 【2】住谷家系・・住谷天来・住谷悦治&住谷磐根関係 住谷弥次平 +・・・・・・・長男:友太 妻:せい + ・・・・・・・・・・・長男:亮一 妻:軟 次男:悦治・・・・一彦&馨 三男:三郎・・・・輝彦・春也・正樹・眞弓 四男:磐根 五男:鉄身 六男:申一 七男:完爾 ★次男:天来・・・・・穆・・・・・・・・萬里&千里&九里 ※住谷天来・住谷悦治・住谷磐根の生家は 高崎市東国分町508−1である。 現当主は住谷輝彦氏である。 (★住谷輝彦氏作成) 【3】住谷天来 (★「住谷天来と住谷悦治」の本の写真より) ●明治2年(1869).2.16 =3月28日〜 昭和19年(1944).1月27日 ・明治2年(1869) 農業・蚕種業を営む弥平次とセイの次男と して生まれた。名前は弥作であった。 ・明治9年(1876) 国府小学校入学。 ・明治18年(1885)漢学塾:幽谷義塾で漢字を学んだ。 儒学にも興味を持っていた。 塾幹になった。 ・明治19年(1886)前橋英学校(校主加藤勇次郎、設立者高津仲次郎) で英語を学んだ。 ・明治20年(1887) ・上毛青年会を結成・・・廃娼運動開始。 ★湯浅治郎の影響を受けたのでは?。 ◆◆箕輪初心★新島八重周辺「湯浅治郎&八重さんの醤油」 ◆◆ http://53922401.at.webry.info/201302/article_8.html ・明治21年(1888) 前橋英学校が閉校。 前橋英学校の女教師、不破きよ・村山ゆき・笹尾縫らの呼び かけで始まった女学校設立の動きは、深沢利重・高津仲次郎 ・湯浅治郎・不破唯次郎・住谷天来ら教会有志の協力で、 前橋英和女学校(=共愛学園)設立。 新島襄の助力、地元之諸教会の支え、アメリカン・ボード 宣教師の協力もあり、その基礎が固まった。 ★新島襄に興味を持ち、影響を受けた。 ◆◆ 箕輪初心★『新島襄1』 ◆◆ http://53922401.at.webry.info/201110/article_27.html ◆◆ 箕輪初心★『新島襄2』 ◆◆ http://53922401.at.webry.info/201301/article_1.htm ◆ 不破唯次郎・・・初代:共愛学園園長 ◆ ・熊本県出身で、熊本バンドの一人。 徳富蘇峰・海老名弾正・金森通倫などと同志社の 1期生・・・新島襄&新島八重の影響を受けた。 ◆◆ 箕輪初心★『伊香保を愛した徳冨蘆花』 ◆◆ http://53922401.at.webry.info/201302/article_6.html ◆◆ 箕輪初心★『新島襄&徳富蘇峰』 ◆◆ http://53922401.at.webry.info/201302/article_7.html ・明治22年(1889) 前橋教会でキリスト教に入信。 前橋組合キリスト教会で洗礼を受けた。 ・明治23年(1890) 上京・・東京へ。 東京専門学校(現早稲田大学)に入学。1ヶ月で退学 慶応義塾別科に編入学。 ★兄:友太の支援によった。 ・明治24年(1891)慶応義塾を卒業。 帰郷して、上野新聞記者・・ 共愛学園教師・・国語・漢字・英語を教えた。 ・明治29年(1896) 上京 ・牛乳販売業「愛光社練乳所」創業→教師 ・明治30年(1897) 服部みつと結婚。 数寄屋橋教会にて ・明治32年(1890) 麻布中学で国語・漢字・英語を教えた。 ・明治33年(1900)カーライルの「英雄崇拝論」を翻訳。 数多くのキリスト関係の訳本を出版している。 ★内村鑑三らと親交を結んだ。 市村鑑三の影響を受けた。 ・明治36年(1903) 「19世紀の予言者」の刊行。 ・明治37年(1904) 日露戦争に対する「非戦論」に共鳴。 ★内村鑑三の影響は大きかった。 ・明治38年(1905)「聖書之研究」・・・墨子の「非戦論」 ★戦争からは利益を生まないなど。・・・ 墨子とキリスト教の類似性を考察して非戦論を述べた。 黒岩涙香の万朝報を、内村鑑三・幸徳秋水・境枯川らと 一緒に辞めた。 ※大病のために帰郷。・・・旧群馬町引間在住・ ・明治40年(1907) 雑誌「警世」の記者。主筆となった。 ・明治42年(1909)「詩聖ダンテの教訓」刊行。 ・明治44年(1911) 住谷天来と改名(旧名弥朔)。 前橋教会の牧師 「孔子及孔子教」刊行。 ・明治45年(1912) 伊勢崎教会の牧師 ・大正元年(1913) 井深梶之介に「ダンテの罪悪・・・」を提出。 ・大正7年(1918) 甘楽教会(現富岡市)の牧師。 『上毛教界月報』に寄稿 ・大正12年(1923) 月刊『神の国』刊行。 ・昭和2年(1927)『聖化』を刊行。 ・昭和5年(1993)『聖化』・・・「内村先生を偲ぶ」 ・昭和9年(1997) 病気で牧師を辞任。 高崎の赤坂町→昭和町に移住。 収入の道がなくなった。・・でも、戦争を反対した。 ・昭和14年(2004)『聖化』・・「廢刊之辤(はいかんのじ)」 「請ふ問ふ 何故の廢刊なりや 答えて曰く ・・・事情があります。 然らば問ふ 其事情とは何か? (★群馬文学全集20巻:土屋文明記念文学館) 平和主義のため軍国主義的時代背景のもとで度々発禁と なった。 ・昭和19年(2009)高崎昭和町の仮住まいで死亡。76歳。 ★柏木義円と並ぶ群馬のキリスト教平和主義者である。 ◆参考文献・・・ 『住谷天来と住谷悦治』みやま文庫 『上毛人物めぐり』正木四郎著 +Hpより。 ★住谷天来の非戦論は凄かった。聖書の重要部分を用いて非戦論 を展開しているのだ。 |
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箕輪初心★新島八重周辺C『住谷悦治』&『住谷磐根』
住谷天来は若い頃に新島襄にあっていて、新島襄の同志社一 期生の弟子で前橋教会:不破唯次郎から洗礼を受けた。 住谷悦治は同志社大学で新島八重との関わりがあった。 新島八重は昭和7年(1932)死去なので、12年近くは 話をすることがあったであろう。 住谷天来・住谷悦治&住谷磐根兄弟・・・★凄い一族である。 最近は、群馬文学全集第20話、内村鑑三、群馬のキリスト 教、『住谷天来と住谷悦治』みやま文庫などを読んだ。 ...続きを見る |
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー... 2013/02/21 06:35 |
箕輪初心★新島襄周辺『柏木義円』=群馬四大キリスト教伝道者
★柏木義円はキリスト教思想家である。新島襄の信頼が厚かった。 同志社大学には紋付き袴で通学し、卒業するときは新島襄から 「紋付き袴を新調してあげる。」と言われたが、断ったという エピソードが残っている。 ...続きを見る |
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー... 2013/02/22 07:30 |
箕輪初心★新島襄周辺『内村鑑三の生涯『&「高崎の内村鑑三の碑」
★「平和の使徒 新島襄」&「心の灯台 内村鑑三」など と誰が上毛かるたの語句を決めたのであろうか? きっと偉い人なんだろうけれど、意味が分かんない。 2人も江戸=東京生まれキリスト教偉人である。 「余は本のため、日本は世界のため、世界は基督のための、 基督は神のための也。」 ...続きを見る |
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー... 2013/02/23 21:21 |
箕輪初心★『新島襄&新島八重の上州』企画展in群馬
★NHKの大河ドラマ「八重の桜」の波に乗って、群馬県内では、 安中市を中心に「新島襄&新島八重の上州」に関する展示&説 明会が多くなってきた。結構、バス旅行の県外の客も多くなった。 @安中の新島襄の家、A安中の郡代官所、B有田屋=湯浅 治郎宅、C安中ふるさと館・・常設展・富原文庫:会津城下の 屏風絵「八重7歳頃」、D土屋文明記念文学館の企画展: 「新島襄と八重の上州」などが分かりやすいだろう。 ...続きを見る |
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー... 2013/05/21 05:35 |
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