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zoom RSS 箕輪初心●愛知【岡崎城】=「徳川家康が生まれた城」

<<   作成日時 : 2012/12/07 06:39   >>

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「徳川家康が生まれた城」として有名な岡崎城。でも、岡崎
城を築いたのは、松平=徳川氏ではない。三河国:仁木氏
守護代:西郷稠頼(つぐより)&嫡子:頼嗣(よりつぐ)が北方
の守りとして龍燈山城(りゅうとうざん)を築城したことによる
そうである。その龍燈山城を松平清康(=徳川家康祖父)が
西郷信貞(松平昌安)から奪い取り、拡張工事したものが
岡崎城であるとあった。・長7年(1602) 徳川氏譜代の重臣:
本多康重が上野国白井城(群馬県渋川市)より、5万石で
入城した。12年も群馬にいて、岡崎にうつったのか?
ふ〜ん。そして、本多氏の拡張工事で城郭規模が日本第
4位なのか。立派だった。でも、私にとっては、岡崎城の感
動は、今日、宿泊したい吉良温泉一覧表をネットで出して
くださったことだ。とてもありがたかった。

(★パンフレット他より編集)
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■訪問日・・・平成24年(2012)10月23日
○東海道を散策に国道1号線を西に向かった。
○本丸の手前の駐車場に車を停めた。
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@東曲輪の城壁&下の曲輪
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A本丸堀
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B本丸虎口・・・二の丸から
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○本丸・・松尾芭蕉句碑
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○本丸・・神社
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○馬の像
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○南の下の橋
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○搦め手口
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○本丸天守閣
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○天守閣へ
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○天守閣入城
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スタッフの親切・・・泊まる予定の吉良温泉の一覧
表をインターネットで出してくださったことだ。とても
ありがたかった。おいらはスマホ世代でないので、
携帯で予約するしかないのだ。もちろん、愛知県人
の優しさを垣間見た瞬間であった。


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○上へ
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●岡崎城の縄張り図
※菅生川と矢作川の合流地点にある龍頭山という丘陵を利用
して造られている。龍頭山の山頂に本丸が置かれた平山城
として築かれていた。
@本丸の北方に持仏堂曲輪、その北方下に二の丸、
 その北方に北曲輪、
A二の丸の東側には三ノ丸と東曲輪、その東に備前曲輪と
 大手門があった。浄瑠璃曲輪、
B本丸と二の丸の西方下に坂谷曲輪、その西に白山曲輪と
 搦手口に当たる稗田門があった稗田曲輪、
C本丸の南は、菅生川沿いに菅生曲輪があった。
D本丸から北側へ6重、西側へ4重の外堀を廻らせていた。

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○天守閣からの展望
網があるので、残念。
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○天守閣残像
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C二の丸
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○徳川家康の像
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○博物館・・・閉館時間になってしまった。
記念撮影
箕輪城で鎧を着て、ガイドしたら、格好いい
だろうな。私も鎧が欲しくなった。

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本だけ、OKが出た。
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○二の丸井戸
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吉良温泉にTEL・・・満員で、15軒もかけた。
12000円の宮嶋館に決定。


D大手門
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E東隅櫓&城壁
望楼式二重櫓と呼ばれる木造2階建を再建。
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○パンフレットの宣伝
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◆◆ 岡崎城の歴史 ◆◆
・享徳元年(1452)?康生元年(1455)
   三河国守護:仁木氏の守護代:西郷弾正左衛門稠頼
   (つぐより)が龍頭山の砦として築城。
→ 代々西郷氏の居城であった。
 
 ※『松平氏』は加茂郡松平(現豊田市)から急速に
   勢力を拡大。→本拠は安祥城(現安城市)。
・大永4年(1524) 松平清康(=徳川家康祖父)が攻略。
   松平家の居城となった。
・享禄4年(1531) 松平清康は城郭を整備。
   松平氏が岡崎城を本拠とした。
  【守山崩れ】・・・松平清康が家臣の謀反により落命。

・天文11年 (1542) 城内で竹千代(=徳川家康)が生まれる。
茅葺の櫓門や屋根・・
  堀を掘ったその土をかきあげた土塁がめぐっている
城で、天守閣はもちろんない。
・天文18年(1549) 松平広忠(=徳川家康父)が家臣の謀反に
  よって殺害。・・非業の死を遂げた。
 ※岡崎城と三河は大混乱になった。
 結局、岡崎城と三河は駿河の今川氏のものとなった。
    岡崎城は今川家の支城として城代が置かれた。

・永禄3年(1560) 桶狭間の戦い
今川義元 VS 織田信長
前哨戦・・・松平元康は今川義元の配下として、
大高城から出陣。
  今川義元が敗死。
   松平元康(=徳川家康へ改姓)は岡崎城を取り戻
   し、今川家から独立する。
徳川家康は増築を約10年の歳月を費やした。

・元亀元年(1570) 徳川家康は本拠を浜松城に移した。
   岡崎城は子:松平信康が入った。
   しかし、松平信康は謀反の疑いをかけられて自刃。
   以後、重臣の石川数正、本多重次らが城代を務めた。

・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻撃   
   徳川家康が関東に移封。
   豊臣家臣:田中吉政が入城。
   田中吉政は徳川家康に対する抑えの拠点として、
   岡崎城を拡張。
   ※現在の岡崎城の原型。
   ・・強固な石垣や城壁など近世城郭に整備。
   ・・城下町の整備。
   ・・東海道を岡崎城下町に変更。
   ※「岡崎の二十七曲がり」を整備。
   
・慶長5年(1600) 関ヶ原の戦い

・慶長7年(1602) 徳川氏譜代の重臣:本多康重が上野国
   白井城(群馬県渋川市)より、5万石で入城。
   以降、徳川政権下では徳川家康誕生の城として
   重要視され、譜代大名が歴代の城主を務めている。

・元和3年(1617) 本多康紀の時、三重の天守閣が完成。
※本丸に複合連結式望楼型三重三階の天守
 ※本多康重〜3代忠利の改修工事によって平城と
    なっている。


・明治2年(1869) 本多忠直が城主。
・明治6年(1873) 廃城令によって廃城処分。撤去。
天守以下の建物及び土地を払い下げられた。

  本丸と周辺の持仏堂曲輪、隠居曲輪、風呂谷等の
  曲輪と石垣、堀などの遺構を残すのみである。
  
・昭和34年(1959) 天守が再建。

・平成18年(2006) 4月6日 日本100名城45番

・平成19年(2007) 発掘調査によって石垣を発掘。
  日本国内で4番目の規模の城であることが判明。


・平成22年(2010)3月 東隅櫓&城壁を再建。
望楼式二重櫓と呼ばれる木造2階建。
 ・・・総工費は約1億円。
(★博物館発刊の本・日本の100人徳川家康
  などより編集)



★明日は西尾城&吉良温泉かな?

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