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zoom RSS 箕輪初心★井伊家の歴史=井の国千年物語前編

<<   作成日時 : 2012/12/03 07:03   >>

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★「龍潭寺前住職:武藤全裕氏の書いた本『遠江井伊氏
物語』を読まずして、井伊直政を語るべからず。先ず、
『井の国千年物語』を読んでから、『遠江井伊氏物語』を
読むべし。これを読まずして、ブログを書くのは、恥をか
くことになるべし。」と箕輪城語り部の会&箕輪井伊氏
研究会の岡田氏から、アドバイスを受けた。早速、図書
館で『井の国千年物語』を借りて読んだ。

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@『井の国千年物語』
この本をベースに、井伊氏の歴史をまとめることにした。
この本は、箕輪城語り部の会会長:岡田氏が、寄贈を受け
て図書館に保存した本である。龍潭寺前住職:武藤全裕
氏も共同執筆している。

A『遠江井伊氏物語』
井伊氏の菩提寺:龍潭寺は静岡県浜松市北区引佐町井伊谷
にある。前住職:武藤全裕住職が井伊氏が彦根に拠点を移す
までの歴史を「遠江井伊氏物語」にまとめた。
地域の新聞にも「井伊氏の出身地が奥浜名湖の地にあること
を多くの人に知ってもらいたい」と話した。武藤住職が15
年近く前から書き留めてきた井伊氏にまつわる歴史を紹介し
た本である。
しかし、3000円だったので、買うのを迷って買わなかった。
帰宅途中「ここしかない本だった。買うべきだった。」
と後悔した本である。龍譚寺の9代目住職:祖山和尚が江
戸時代に書いた「井伊家伝記」や引佐町史、地元研究会の資
料などを参考に現地調査の結果も交えたバイブル本になった
ことは確かなようだ。西原さんは井伊谷の中村氏から送られ、
持っているとのこと。・・見せていただきたいな。

後日、箕輪城語り部の会会長:岡田豊治氏が貸して下さった。
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凄くいい井伊氏の歴史だった。
ありがとうございました。







★『井の国千年物語』をベースにした井伊家の歴史
◆◆第一章 井伊氏の起こり
@井の国・・・井伊氏は藤原北家の後裔で国司に。
※系譜上では藤原良門の息子である藤原利世の子孫。
※三国姓(継体天皇の後裔)ともされ明確ではない。
A元祖:供保の誕生
・寛弘7年(1010)井伊氏祖:井伊備中守共保の誕生
  
 「遠い昔、一条院の御代、正月元旦・・御手洗井戸より
  出生。・・生まれたばかりの子を八幡宮の神主が
助けた。・・玉の子のような・・」
・長和6年・寛仁元年(1017)
  「遠江国司:藤原供資の養子
となって、井伊備中守共保と名乗る。」
※「龍譚寺はかつて八幡山地蔵寺と呼ばれた、」

・寛治(1093) 井伊共保没84歳、墓は自浄院。
・保元元年(1156)保元の乱。
源頼朝に従う遠江の武士に、井の八郎あり。


B井伊氏の名乗り
井伊氏、赤佐(奥山)貫名(袋井)の三家に分かれる。

C井伊氏の家紋
「井」・・幕の紋
「橘」・・井戸の近くにあった橘

D・・・井の八郎
「保元の乱で活躍する源氏の武士
  横地・勝間田・井の八郎がいる。」
「赤佐井伊家・貫名(ぬきな)井伊家に別れた。」

E渋川の「金王丸伝説」
 「源氏武士:渋谷金王丸が平氏74人を戦死させた。」

F鎌倉自害の「井伊介」
・建久3年(1192)源頼朝が征夷大将軍となる。
        鎌倉幕府成立。
・寛元3年(1245) 鎌倉鶴岡八幡宮の弓初めの儀式で、
「弓手三番に井伊介あり。」
1番駿河三郎 2番工藤八郎 3番井伊介だった。

・8代:井伊弥直の時、
  田中家、井平家、谷津家、石岡家に分かれる。

・弘安5年(1282) 貫名政直の曾孫:日蓮上人を遷化。

・正和元年(1312) 奥山氏初代:奥山朝清没。
・10代:井伊行直の時、上野家が分かれた。
・11代・井伊景直の時、岡家が分かれた。




第二章「南北朝時代と井伊氏」
南北朝時代、井伊谷の豪族であった井伊道政は遠江介である
井伊介として南朝の宗良親王やその皇子尹良親王を保護した
が、 北朝方の高師泰・仁木義長らに攻められて井伊谷城は
落城した。 駿河守護今川氏と対立していたが、やがて今川
氏が遠江の守護職を得るとその支配下に置かれた。
南北朝時代
・建武元年(1334)〜 後醍醐天皇による建武新政が始まる。
後醍醐天皇:南朝 VS 足利尊氏:北朝
・延元元年(1336) 三岳城構築。
・延元2年(1337)三方原・井伊谷で戦い
   井伊氏 VS 今川軍。
宗良親王が井伊奥の山に入る。
井之介が奥の山に立て籠もる。

  ※宗良親王が井伊城で出生説。
※宗良親王が8月に伊勢から来た説
(★井の国説)
@宗良親王、井伊城に立て籠もる
「井伊道政とともに宗良親王が籠城した。」

A宗良親王、遠江白羽に漂着。
「延元元年(1338)正月 宗良親王の妻:駿河姫死亡。
南朝軍が吉野に集結したが、
延元3年(1338)?再び白羽に戻った。」
B北朝軍が井伊城に迫る
・延元3年(1338) 足利尊氏が征夷大将軍となる。
   足利幕府成立。
 ・延元4年(1339)足利軍が鴨江城、千頭峯城、
谷津・上野砦を落城。
「田沢城のゆうけいが命をたった。」

C三岳城落城
興国元年(1340)1月、三岳城落城。
「北朝軍の攻撃で、・・宗長親王は大平城へ・・」 
8月、大平城落城。
 「井伊道政に助けられ、信濃30年・越後・吉野へ・・」
・正平9年(1354) 井伊道政が没。
・正平13年(1358) 井伊弾正直秀が武蔵多摩川矢口の渡で自刃。
・応安4年(1371) 今川貞世に従って 奥山・井伊が九州の
         合戦に参戦。

D奥山方広寺の建立
「井伊氏一族奥山朝藤が方広寺の建立」
・元中元年(1384) 奥山六郎次郎朝藤が方広寺開創。
・元中2年(1385)宗良親王が逝去:72歳。

E井伊氏受難
・永亨10年(1438) 井伊弥太郎成直は鎌倉管領足利持氏を
        攻める幕軍に従い、戦死。
・文明17年(1485) 18代:井伊忠直が没。
・延徳年中(1491)19代:井伊直氏が文叔瑞郁を自浄院に招く。




◆◆第三章「戦国時代の幕開け」
@今川家と斯波家の対立
・明応3年(1494) 駿河守護今川氏親・伊勢新九郎と遠州侵攻
       を始める。
・永正2年(1505) 20代:井伊直平が曳馬城主となる。
井伊家は斯波家に見方した。
・永正10年(1505) 遠江守護:斯波義達が再び井伊谷に入り。
今川 VS 斯波・井伊・大河内連合軍
         今川家臣:朝比奈泰似が三岳城を攻撃。
井伊家は今川の支配下になった。

A龍譚寺の建立
・天文元年(1532) 井伊直平は黙宗瑞淵を迎え、龍泰寺を建立。
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・天文11年(1542) 21代:井伊直宗が三州田原合戦で戦死。
22代:井伊直盛が継いだ。
         龍泰寺→龍譚寺
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B井伊直満・直義が討たれる
・天文13年(1544) 井伊直平の子:直満・直義が今川氏に誅殺。
        井伊直満の子:亀之丞は今村藤七郎に
         助けられ、信州伊那松源寺へ逃れる。
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C信濃の亀の丞
領主:松岡貞俊が12年間、庇護した



D亀之丞帰国
・弘治元年(1555) 亀之丞、井伊谷へ帰った。
        井伊直親と名乗る。
井伊直盛の養子となる。
         
E桶狭間の合戦 今川義元 VS 織田信長
・永禄3年(1560) 桶狭間の合戦で井伊直盛が戦死。
井伊直盛の法名から龍泰寺を龍潭寺と改名。
同族の奥山朝利の娘を妻にした。
         23代:井伊直親が継いだ。

F井伊虎松誕生&父:井伊直親の死
・永禄4年(1561) 2月9日井伊直政(幼名虎松)だ生まれる。
・永禄5年(1562) 井伊直親が今川氏真により呼び出され、
         遠州掛川にて朝比奈泰朝に誅殺。
供18人も抹殺。
理由・・井伊直親が松平元康(徳川家康)と仲良し

G井伊直平の毒殺
・永禄6年(1563) 20代:井伊直平が飯尾備前守に毒殺された。
家臣の大石が川名の渓雲寺に埋葬。

H曳間城攻め
・永禄7年(1564) 新野左馬助・中野信濃守直由が
          曳馬城(現浜松城)攻めで討死。
新野左馬助は2歳の虎松を命に代えて守った。
     新野左馬助の妹は井伊直盛の妻である。

I女性地頭:次郎法師登場
・永禄8年(1565) 井伊直盛の娘:次郎法師祐圓尼が
        女性地頭になる。井伊家の男は
        5歳の虎松だけだった。
※虎松の母は、浜松の松下家に再婚していた。
・永禄11年(1568) 中野信濃守直由が井伊谷を支配。
家老:小野但馬、井伊領を横領。
井伊谷三人衆、井伊領を治める。
         小野但馬を追放。

J徳川家康の遠州進出
・永禄11年(1568) 12月15日、徳川家康が三河→奥山
    →遠州侵攻。
道案内は「井伊谷三人衆」だった。
近藤康用(やすもち)・鈴木重時・菅沼忠久だ。
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多くの小野但馬は徳川家康配下になった。
    しかし、虎松は鳳来寺へ逃れた。
8歳〜14歳まで鳳来寺で過ごした。
    虎松の実母:井伊直親内室は松下源太郎と再婚。


K堀川城の合戦
・永禄12年(1569) 徳川家康が気賀の堀川城・掛川城を攻略。
         →今川氏滅亡。
L三方が原の合戦
武田信玄の遠州への侵攻
・元亀3年(1572) 10月 仏坂の戦い
山県昌景 VS 井平軍
    12月、三方原合戦。
徳川家康は大敗。
家康の脱糞伝説・・・
・天正元年(1573)武田信玄の野田城攻撃
菅沼忠久の敗戦
※武田信玄が死亡。

M虎松、徳川家に出仕
・天正3年(1575) 養母の直虎=次郎法師に育てられて
   いた直親遺児の井伊直政は、養母・実母などが
   相談して、今川氏を滅ぼした徳川家康を頼ることに
   した。
徳川家康の三方が原での鷹狩りの時、次郎法師に 
付き添われて謁見した。
徳川家康は、虎松の父:直親が家康に味方しようと
して今川に殺されたので、不憫に思い、家来にした。
徳川家康は虎松の300石を与えた。





★第四章は「井伊直政の活躍」となる。

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