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zoom RSS 箕輪初心☆群馬における韓国&韓国語2−A『多胡碑&上毛3山』

<<   作成日時 : 2012/09/09 09:04   >>

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8月6日、箕輪城語り部の会会長:岡田氏が「高崎高校
の同級生の豊泉清氏が『赤城山・榛名山なども韓
国語である。と、上毛新聞に書いていたよ。』
と教えて下さった。

そこで、群馬県における韓国&韓国語を調べた。
「韓国の言葉が群馬にある。」と述べている方々がいた。
日本民俗経済学会理事長:菅野英機氏、群馬県立女子
大学:熊倉靖氏、群馬県議員:須藤和臣氏、高崎の医
師:豊泉清氏などである。

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 (★多胡碑)


◆◆ 箕輪初心☆群馬の韓国&韓国語@『古墳文化』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201209/article_8.html

◆◆ 箕輪初心☆群馬『多胡碑シンポジウム』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201103/article_8.html



【6】過渡期の群馬&韓国
※新羅からの渡来人が多胡郡に配属された理由。
663年、白村江の戦い・・・敗戦
百済が唐と新羅の連合軍に敗北し,百済の再建のために
大和朝廷=ヤマト政変が2万人とも言われる大軍を派遣したにも
かかわらず敗北した。その原因は
@大和軍に馬がおらず、機動力に欠けていたこと
A大和軍の船が木造船で、火矢で炎上してしまったこと

東国から『防人』を動員し、九州の防備&太宰府守護の
ため、海岸の石塁・大野城&水城&きい城などを国家
的なプロジェクトで建設した。
しかし、新羅&唐軍は攻めてこなかった。


そこで,朝廷は新羅人から技術を学ぶことを考えた。
既に百済系渡来人の人々が多く暮らす地域で
あった場所に、新しく来た新羅帰化人を配置したと
思われる。

@馬の生産技術の導入。
多胡郡に近い地域に馬と馬を飼育する技術を持つ渡来人を
住まわせ牧を作った。朝廷に献上する馬を育てる牧は
「御牧」(みまき)と呼ばれている。
上野国の御牧 
・@利刈牧 ・A沼尾牧 ・B拝志牧・ C久野牧 ・D市代牧
・E大塩牧 ・F塩山牧 ・G有馬島牧・・・記録に残る。
現在でも地名として残存している。
@「南牧村」
Aみなかみの「下牧」
B高崎市箕郷町・・群馬の松&治尾の牧
★松井田町人見・・・東山道であると思われたが
 安中市教育委員会は牧に変化したのでは?
 と、言っていた。

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新羅からの帰化人は馬の生産技術の他に
A踏鞴(たたら)製鉄の技術
  踏鞴製鉄の遺構も見られる。
B麻や養蚕の技術
  多胡郡域からは糸作りの道具である紡錘車が
 全国的に見ても多く出土している。
 多胡郡で織物をしていた多くの遺物が出ている。
C焼き物の優れた技術
 藤岡・甘楽町の瓦などの焼き物も多く出土している。
D古墳の土木技術 
 豪族が多く移住していたことがわかる。


【7】金上无・・・新羅からの渡来人である。
  埼玉県の「和同開珎」に関わったのだ。


【8】奈良時代の朝鮮語
律令制度を整え、全国に国府を置いた。
国家思想の根本を成す古事記・日本書紀を編纂した。
@古事記・・・百済系の渡来人
A日本書紀・・新羅系の渡来人
が編集した。
基本的には、韓国の歴史や故事にをベースに書いたの
であろう。



【9】多胡碑に見られる韓国&韓国語
★平成23年2月6日の多胡碑シンポジウムにて
【1】『東国における渡来人の位相と多胡郡の建郡』 
土生田純之(はぶた よしゆき)氏・・・
 大阪出身。専修大学教授。
 @はじめに・・・シンポジウムの意図。パネラー紹介。
 A東国における渡来人の位相・・・古墳の種類
 B西毛におけるその後の倭人・・・高崎剣崎西遺跡
 C欽明〜推古朝期における西毛の威信財・・・古墳出土品は朝鮮・中国製。
 D考古学からみた多胡碑建碑の問題・・
  ・甘良(かむら)=加羅=加那 
  ・多胡は多くの渡来人の意味。
  ・新羅人は「吉井」姓

治比真人三宅麻呂は、「多胡碑」に名が刻まれている。
「多胡碑」のある吉井町には羊太夫の伝説がある。
羊太夫は馬で秩父の銅を運び、羊太夫の女房ら7人が
「七輿山」で自害し、輿に乗せ、葬ったと伝えられている。
「群馬」には「羊」と「馬」がある。
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七輿山古墳の隣にはピラミッド型の伊勢塚古墳がある。
 (★菅野英機:日本民俗経済学会理事長)
●多胡碑にある壺の字=国立中央博物館所蔵の青銅製壺の字
  ★残念ながら、入場券だけ
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@羊さん=韓国姓
 ・・・・知人はいない。

A多胡さん=韓国姓
 ・・・元同僚・知人が4人程いる。
甘楽・富岡・高崎榛名にいる。


B唐沢さん=韓国姓の変形か?
「唐沢は帰化人の苗字ではないだろうか?」
可那・加羅=唐
特に吾妻の真田幸隆・昌幸・信行&幸村の
 家臣になった末裔の方、済みません。
 勝手な思い込みですので、悪しからず。

Kara・・・可愛い韓国の女性軍団は
  関係ないのだ。


C吉井さん・・・新羅語
  4〜5人知人がいる。

D多胡さん・・・多い渡来人の意味。
  4人いる。吉井・富岡・甘楽・榛名だ。


E甘楽(かんら)=韓国語の加羅=韓(から)
★「高崎千年物語」若狭著
★多胡碑シンポジウムでの土生田純之(はぶた よしゆき)氏
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 (★多胡館跡)
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F辛科神社=韓国語の「韓級神社=カラシナ」
多胡郡の設立時期に,「辛科神社」も「帰化人の氏神様を祭る
ために作られた」と神社宮司:神保さんが言っていた。 
辛科神社(からしな)・・・韓級神社で、韓国名である。
小字名も韓級である。

中世は、神保一族の城砦だった。
画像

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G神流・・・韓国語の「可那」に由来。
  神流町の旧中里の恐竜ショー・・関係ないが。
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【8】 上毛三山などの地名と韓国語
@赤城山&赤城神社=韓国語の「赤城山」?
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●赤城の詠んだ万葉集の句
「上毛野 久路保(くろほ)の峯ろの 久受葉(くずは)がた 
 愛(かな)しけ児(こ)らに いや離(ざか)り 来も 」
 (★榛名山と万葉集・・樋口秀次郎著)
※万葉集は7C後半から8C後半に編まれた日本に現存する最古の
和歌集である。「防人の歌」「東歌」(あずまうた)など、民衆
の歌が載っている。素朴で率直な歌風に特徴がある。
賀茂真淵は「ますらをぶり」と言った。
全文が漢字で書かれているが、歌は日本語の語順で書かれてい
る。万葉仮名とを用いた。つまり、漢字の意味とは関係なく、
漢字の音訓だけを借用して日本語を表記しようとした。その
意味では、万葉仮名は、漢字を用いながらも、日本人による
日本人のための最初の文字であった。
  (★ウキペディアより編集)

かつて赤城山は、黒保山、または、黒保根山と呼ばれ
ていた。時代は不明だが、赤城山という呼称が定着した。
赤城山(=黒檜山)の赤城伝説
昔、日光男体山がヘビに、赤城山がムカデに化身して戦った。
ヘビが負けそうになったので、弓の名人黒麿(くろま)に助っ
人を頼んだ。ムカデは黒麿の弓に射られて血を流しながら山へ
帰ったところ、山が血で赤く染まったという伝説から「赤き山」
と命名された。、「赤」は山が赤く見えることから「赤い色」の
意味で、「城」は「土地」を表す。
韓国清州市の国立清州博物館に韓国の赤城山碑の
レプリカに、「549年、新羅が高句麗を攻める際の第一
砦を赤城山に置く。」ことが、記されていたそうである。
つまり、新羅が北進の最初の砦として赤城山城(韓国)
を作ったということになる。

赤城山も蝦夷(東北地方)を攻める際の第一砦となった
地域である。国府は群馬県高崎市旧群馬町にあった。
坂上田村麻呂の東征のコースであった。
東の山が赤城山で、北が伊香保(榛名山)である。
赤城神社は「から社」=「韓社」を意味する。
赤城南面の韓国出身者の守護神と推測できる。
古墳からも韓国製の青銅器が多く出土している。

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赤城山の噴火
カルデラ内の最新の火山活動地形(小沼・血の池火口)は、
約2万4000年前に形成されたと推定されている。
「吾妻鏡」の中に建長三年四月十九日(1251年5月11日)
「赤木嶽焼」とある。この記述を根拠に気象庁は活火山に
指定しているが、噴火に相当する堆積物は見つかっていない。
榛名山が6世紀に起した噴火で降らせた、榛名伊香保降下軽
石が表面を覆っていることから、山火事を意味すると考えら
れている。
三夜沢赤城神社の「赤城神社伝来記」の中に、「建長三年頃、
当於呂嶽(荒山)、春より焼け始め、四月十九日焼出、、石
砂をふらす事夥しけれ共、当所は無難なり、今赤石平
(小麦沢)是なり」とある。
峰岸純夫先生は、
「赤城の大穴で小規模な水蒸気爆発が建長3年にあった
可能性を示している。」と述べた。
室町時代・・「赤城山」という地名
江戸時代・・・入会地
明治時代・・・宮内庁管轄の御料地
1950年代頃・・・「大字赤城山○○番地」
※すべて「あかぎさん」と読む。
地名の呼び方は「やま」と「さん」が混在している。
上毛かるた『裾野は長し赤城山(あかぎやま)』とある
群馬県民の間では「あかぎやま」と呼ばれている。


A榛名山=韓国語の「ハルラ山」?
★熊倉靖:群馬県立女子大学:群馬学副センター長の研究
の発表が新説らしい。
「榛名山の名の由来が、韓国済州島のハルラ山からきている。」
火山の噴火という視点から、韓国語説を主張した。
韓国人は「ハルラさん、かんなさん、はんなさん」と発音する。
私の村の多くの者は「はんなさん」と発音している。
世界遺産の済州島の漢拏山が日本の榛名山のもとに
なっているのかのしれない。私だって、登る前から、ふざけ
て、「韓国のはんな山に登ってくらあ。」と同僚や村の友にも
言って、出発したのだ。
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 (★榛名富士)
かつては伊香保山と呼ばれていた。
万葉集の防人の歌25とも29句とも〜〜
全て「伊香保」で表記されている。悲しすぎる。
「伊香保路に 〜〜〜
 (★榛名山と万葉集・・樋口秀次郎著)
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画像

「伊香保」は一説には、「厳保」=厳めしい高い場所の
意味であった。(★箕輪城語り部の会会長:岡田豊治氏)

当時、古代の朝鮮半島からの渡来人の人々にとって、
伊香保は聖なる山になり得たかもしれない。
しかし、いつしか榛名山という呼び方になった。
群馬(くるま)に渡来し、AD650年頃の榛名山の
噴火を見た時、「聖なる山=ハンナ山がお怒りだ。」
たぶんと思ったのであろう。

その後の古墳は高崎市下小鳥町の烏子稲荷神社の稲荷
山古墳が榛名山爆発後の古墳である。
韓国からの渡来した方々が復興させてのであろう。
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済州島の「ハルラ山=漢拏山」は標高1,950m。
韓国で一番高い山である。
人気は雪岳山(ソラク山)1708mに次いで3位の山である。



B妙義山&「波己曾社」=韓国語の「はこそ」?
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妙義神社の小社「波己曾(はこそ)」がある。
 妙義は古代朝鮮王朝の名前じゃないらしい。
 妙義は明魏からきているという。
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妙義山の主峰:白雲山の中腹に妙義神社がある。
567年の創建と伝えられ、波己曽神社の名称が何度か
見えている。『日本三代実録』にも「波己曽神」としている。
祭神は日本武尊・豊受大神・菅原道真・権大納言長親。
権大納言長親=花山院長親(1350年頃〜1429年)は南北朝期〜
室町時代前期の歌人である。祖父:尹大納言師賢は後醍醐天皇
の側近で、父:妙光院内大臣家賢である。3代にわたって後醍
醐天皇の南朝に奉仕し、内大臣に至った。出家の法名は「明魏」
「耕雲」である。室町幕府将軍足利義満や義持の信任をも得、
和歌活動を共にした。著作に歌論書『耕雲口伝』がある。
長親と妙義山や妙義神社との関連についての言及は全くないの
に、花山院長親が「権大納言長親」として祀られているのだ。
長親の法名:「明魏」は「メイギ」と読まれるが、「ミョウギ」
とも読める。明魏が妙義の由来となった(伝)。
     (★ウキペディア)
「公卿であった花山院藤原長親卿は、明徳五年(1394)妙義神社
の宮司となって、再起を期した。〜〜〜自ら「明魏」と号し、
後の妙義の名の起こりとなった。〜〜〜南朝方の募兵をしたが、
志を果たせないまま、永享元年(1429)妙義で没した。
(★『松井田町誌』より)
足利尊氏の戒名は「等持院殿仁山妙義大居士長寿寺殿」である。
  何故、足利尊氏でなく藤原長親なのか?
京都の等持院は足利尊氏の創建だから、疑問が残るのだ。





C浅間=阿蘇・・・韓国語?
浅間山の詠んだ万葉集の句
「上毛野 安蘇(あそ)の真麻群(まそむら) かき抱(むだ)き
 寝れど飽かぬを 何どか吾がせむ  」
「上毛野 安蘇(あそ)山葛野(つづら)を 
   広み延(は)ひにしものを  何か絶えせむ  」
安蘇=アソ・・・アサは南方語と韓国語?で火山の意を表す
言葉らしい。あさまは壷の脇・底に座るの意味。
浅間山は壷を伏せた円錐形だ。
画像

安蘇=アソ・・・アサは南方語と韓国語?で火山の意を表す
言葉らしい。「マ」はアイヌ語で川のこと。川をもった火山
という意味になる。「あさま」は火山を示す古語とされる。
富士山の神を浅間神社(せんげん)の浅間も阿蘇山の「あそ」
も同じ意味の言葉であると言われてる。浅間山も古くから信
仰の対象となっている。 (★ウキペディア)
しかし、浅間山=安蘇山は、榛名相馬山=阿蘇山ではないか
という疑問が残る。榛名相馬山=安蘇山であるという、
万葉集研究の解説にあった。
 (★箕輪城語り部の会:岡田氏)

また、韓国の百済の都「扶余」には、扶蘇山城はあり、
発音上、似ていると思われる。

画像

 (★写真左上が扶蘇山城である。
  城廻り後、舟に乗って眺めたのだ。)




D草津=倭語か?
くさづ=連なる峰の前
群馬では「草津」は「くさづ」と濁る。
滋賀では「草津」は「くさつ」と詠む。
韓国語ではないだろうな?
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E貫前神社・・・韓国式?
  下がっていくと、本殿があるのは韓国式という説がある
画像


F群馬=韓国語の可能性がある。
 韓国にも発音があるらしい。
 意味は巨大な集落である。
車持ノ君・・・
 久留馬・・・旧榛名町高浜〜旧箕郷町車郷村
 旧箕郷町善地駒寄に「群馬の松」がある。
 そして、「治尾の牧」もあるのだ。
画像

本居宣長の曾孫。紀州藩本居家の四世当主。
画像
 



★奈良東大寺に大仏を建立し、全国に国分寺・国分尼寺
を置いた。また、東山道路も本格的に整備した。


◆◆ 参考文献や参考Hp ◆◆
@上州風2004年・・韓国と群馬の内容

A「最も古い外来語」「上州人の先祖」
群馬県高崎市上中居の医師:豊泉清氏著

B須藤和臣氏(群馬県議会議員)
http://www.kaz-map.jp/report2012/report4.php

C「朝鮮半島と日本のつながり」に関するレポート
http://mayonokuni.web.fc2.com/kankoku.pdf
mayonokuni.web.fc2.com/kankoku.pdf


5)多胡郡設立1300年と渡来人
http://www.pwpa-j.net/opinion/newparadigm08_sugano.html
1300 Years since Establishment of Tago-gun and Ancient Immigrants

6)菅野英機(日本民俗経済学会理事長)
Hideki Sugano

7)高崎千年物語・・若狭徹著

8)ウキペディア

9)榛名山と万葉集・・樋口秀次郎著
など


★明日は、千葉県西川名のダイビングかな?
 次は中国のパンダ・峨眉山・楽山・九寨溝・黃龍・
 都江堰(とこうえん)などの旅行を7回シリーズで
 まとめようと思っている。

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絹・生糸・製糸の起源は中国四川省から始まった。 今回は、群馬県における養蚕・絹の起源は古墳時代から だと考えられる。シルクカントリー:群馬の『上毛カル タ』には、9つの関連札があるのだ。 ...続きを見る
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日本人のルーツは韓国
聖徳太子
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