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zoom RSS 箕輪初心●群馬:中之条【横尾八幡城】

<<   作成日時 : 2012/02/12 06:25   >>

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昨日・今日と腹痛で、何か気力がない。でも、出かけるか?
「横尾八幡城祉は、中之条盆地の東端、名久田川&赤坂川の合
流点にあり、北は赤坂川・東は名久田川に面した深い崖になっ
ている。この段丘上にある八幡山の山頂部に約40mの方形の
平地を、高さ4mの土居(土塁)で囲む一郭式の砦になってい
る。南側に腰郭が残っており、井戸等もある。」
(★看板より)
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○中之条町栃瀬・・・

■訪問記@・・平成19年(2007)2月4日
○中之条の市街地から国道145号線を沼田方面に行く。吾妻
神社=和利宮・桃瀬の水牢から500m程、沼田方面に向かうと
「横尾」の交差点がある。ここを左折しても行けるが、更に300m
行くと、コンビニがある。ここを大道峠方面に県道231号に向かう。
左手、名久田川沿いに見える飛び出た丘?山が横尾八幡城で
ある。最初のT字路を左折する。
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○看板
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○赤坂川沿いに右折し、急な坂道を登る。
○左に大きくカーブしながら、300m程で、左に入る道が見える。
○T字路の所に車を停めた。
○未舗装20m程で八幡山の山頂=横尾八幡城の主郭に出る。
 でも、篠藪で止めた。・・・
★だから、写真がない。
▼帰りは、舗装されている道を西に下った。
○国道145号線沿いに「横尾」の交差点に出た。

■訪問記A・・・平成24年(2007)2月5日
○中之条の市街地から国道145号線を沼田方面に行く。吾妻
神社=和利宮・桃瀬の水牢から500m程、沼田方面に向かうと
「横尾」の交差点がある。更に300m行くと、コンビニがある。
ここを大道峠方面に県道231号に向かう。名久田川沿いに見
える飛び出た丘?山は横尾八幡城である。最初のT字路を左折
する。50m程で放火用水の隣に看板が見える。
○看板
○赤坂川沿いに右折し、急な坂道を登る。
○雪道なので、歩いて行くことにした。
○300m程で、左に入る道が見える。
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 (★山崎一氏の縄張り図・・・北西から入っている。)
○未舗装20m程で左に入る藪道がある。
○その先が八幡山の山頂=横尾八幡城の主郭でる。
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 (★写真の左の道・その先は墓地の道・右は未舗装の道)
○墓地を通り、大手道を探した。
  ここは、外郭に当たる。
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○墓から30m下に看板があった。大手道が下に見えた。
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○3郭・・・? 看板には表示されていない。
○大手道
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○2郭・・・? 看板には表示されていない。
○帯郭・・・・・★明確に残っている。
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○門跡を登る。・・・枡形の虎口?
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▲山頂=横尾八幡城・・・主郭に出た。
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 40mの方形とあったが、20m×30m程の小郭であった。
 土塁が周囲を取り巻いている。高さ1m〜2m程でしっかり
 築かれている。★素晴らしい。土塁を入れれば40mかな。
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 小規模ながら虎口も3つ認められる。

○東の一段下に帯曲輪・・・藪だが、はっきり分かる。
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○北西部の一番高い土塁を越えた。
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○帯郭郭に下った。
○もう一段下にも帯郭=武者走り?があった。
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▼帰りも雪道を歩いて下った。
○3郭の下から眺めた。
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 ◆◆ 横尾八幡城の歴史 ◆◆ 中之条町指定史跡
・大永年間(1521〜1528)尻高三河守が築城。(★吾妻記)
塩原源太左衞門が城代。

・天正8年(1580 )真田昌幸の配下:富沢豊前守が配置。

・天正10年(1582) 武田氏の滅亡。
北条氏邦(氏康2男)の北毛進出
真田昌幸と対立。

・天正12年(1584)真田昌幸は上田城を築城。
→嫡子:真田信之が利根・吾妻2郡を支配。
真田信之は横尾八幡城に番衆制をしいた。

・天正16年(1588)番衆・・・63名を2つに分け、交代制を敷いた。
番頭・・・富沢豊前守・狩野志摩介・狩野右馬助・折田軍兵衛
などの名がある。(★八幡山番帳)

・天正17年(1589)
10月、北条氏邦の家臣・沼田城の猪俣邦憲が
名胡桃城(沼田市旧月夜野町)を奪取。
  
  12月、北条氏邦は箕輪城から出陣した。
更に、北上して、三方向から岩櫃城を攻撃した。
 @大戸口・・・多米周防守(★箕輪城城代)
  内藤大和守・小幡上総介(国峰城)
  ・上田上野介(武蔵松山城→榛名松山城)など
  5000騎余りが手古丸城(東吾妻町)に進駐した。
真田側・・真田信伊・池田重安・浦野幸景600騎
 
   A中山口・・・・中山・尻高
      ・猪俣邦憲家臣:高力左近等500騎
真田側・・祢津幸直・祢津主膳兄弟・植栗元信・川原
・湯本など500騎

  富永助重など300騎は赤谷川→大道峠→蟻川→
   横尾八幡城を攻撃した。
    富沢豊前守・渡辺左近・金子美濃守・尻高玄次郎が
    横尾八幡城にに立て篭もって戦った。
    岩櫃城から鎌原幸重・湯本・川原の吾妻勢300騎が
    背後から攻撃し、富永勢300騎を撃退した。
    ★横尾八幡城はとても規模が小さいが、下の名久田川
    からの比高は100m程はあり、急峻なので要害に頼
    ることはできたのかもしれない。


  B白井口・・・北条氏邦本隊1500騎など
    白井城(渋川市旧子持村)攻撃→岩井堂城(旧小野上村)
    と侵攻してきた。
    真田側・・・小城(古城)に蟻川入道・桑原大蔵
          ・割田掃部介・割田孫三郎・高山右近
      激戦になり、岩櫃城から一場茂右衞門・唐沢玄蕃
      などが応援に駆けつけた。 

★吾妻に侵攻した北条氏邦勢は撤退した。
 それは、豊臣秀吉の22万が小田原城を攻撃する知らせが
 入ったからである。 
(★現地案内板・上毛古戦記P247〜249加沢記より要約)

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箕輪初心●群馬【名胡桃城A】=北条氏滅亡のきっかけの城
 名胡桃城は、沼田城からは5km程の距離で、利根川沿いの上流を 見れば、谷川岳の手前に見える。沼田城を守る猪俣邦憲からすれば、 名胡桃城は「目の上のたんこぶ」である。ついつい攻略したくなっ てしまったのでだろう。北条氏邦の沼田城代:猪俣邦憲は、中山城 主:安芸守の2男:中山九郎兵衛に、「貴殿は中山城主であって当 然だ。北条につけば、名胡桃城&小川城は貴殿のものになる。」と 言葉巧みにそそのかした。中山九郎兵衛は姉婿の名胡桃城代:鈴木 主水(重則)に「伊那郡(もう一つの豊臣秀吉... ...続きを見る
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2012/02/22 07:00

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