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zoom RSS 箕輪初心◆太平洋戦争史B【日本の侵略最高潮→連合軍の反撃】

<<   作成日時 : 2012/01/07 07:33   >>

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●●●日本&アメリカの戦力状況
日本の空母・・1942年は6隻→1943年は 7隻・航空機3200    
米国の空母・・1942年は3隻→1943年は18隻・航空機3537  
▲▲▲日本海軍VS日本陸軍の対立
昭和17年(1942)2月〜
日本のオーストラリア侵攻の賛否・・
海軍は米・豪の離反提案 VS 陸軍は人数不足で否定
→フィジー・サモアの占領計画で合意。
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  (★フィジーの海・・・日本軍の飛行機エンジン?)
【5】日本の侵略最高潮→連合軍の反撃開始
04月18日 ルーズベルト米大統領命令・・・
 空母ホーネットからのドーリットル隊の発艦
米軍B-25爆撃機によるドーリットルの空襲・
  ・ドーリットル(後のシェル石油副社長)
  日本本土が初空襲。(東京・名古屋・神戸など)
 ★東京が初空襲を受けたのだ。★暗雲立ちこめた。
  

●●モリモリ・・ビルマ独立義勇軍の設立
昭和16年(1941)01月20日・・鈴木敬司大佐を長とする
  秘密工作員南機関を設立。
日本に味方するインド人部隊を創設。
海から、マラッカ→スミランリチュリーロック→ラングーンヘ
陸から、タイ→ミャンマーのラングーンヘ
(★スミラン・リチュリーロックダイブ)
昭和17年(1942)になると・・
03月08日 日本軍第15軍がビルマ(現ミャンマー)の
       ラングーン(現ヤンゴン)占領。
@ルートA ラングーン→ブローム→ミンギャン→ホマリン
AルートB ラングーン→ペグ→トングー→マンダレー・・
★途中に日本軍の造った橋が未だに使われていた。
マンダレー近くにある。

05月01日 日本軍第18師団がビルマ中部のマンダレーを占領。
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  (★マンダレーの写真が見つからない。)
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  (★少数民族のお嬢さん・・日本人みたい。)
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  (★首長族はライオンに襲われ、首をかまれないように
    鉄の輪をしている。今は観光用である。
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  (★右足で漕いで、魚を獲る。)

★★私はマンダレー近くの日本人の寺&墓に詣でた。
   ・・・写真が見つからない。
  
05月04日 日本軍がイギリス領ビルマのアキャプ占領
     →ビルマ制圧を完了。・・・南方作戦を完遂。
ビルマの中国軍も撤退開始。
目的・・ビルマから中国への物資援助ルートの遮断
05月08日 ビルマの完全制圧・・・★多数の犠牲を出して。
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(★ペグーの寝釈迦前で万歳を三唱した日本兵)
(★ラングーンで官邸前で歓声をあげた日本兵)
後に、ビルマ独立義勇軍の中から日本軍抗日運動に変わって
いった。中心人物はアウンサン(スー・チーさんのパパ)
であった。・・・スー・チーさんは今どこに?
 


05月03日 日本軍海軍陸戦隊志摩清英少将がソロモン諸島
      ツラギを占領。
  ★今年はダイビングに行きたい。
  MO作戦開始・・南海支隊井上成美中将5000
5月8日 祥鳳が沈没。・翔鶴・瑞鶴・・・

05月05日 日本軍:第4師団がアメリカ領フィリピンの
      コレヒドール島を占領。
      ウェーンライト司令官が無条件降伏。
      
05月05日 珊瑚礁海海戦(〜8日)
05月08日 祥鳳が沈没。
損失データ
米空母レキシントンが炎上
日本軍
★祥鳳・・・・・・全長257.5m 幅26m 搭載機84機
空母「祥鳳」中破1・航空機38
アメリカ軍
★レキシントン・・全長270.8m 幅39.7m 搭載機90機
 空母「レキシントン」1・空母大破1・航空機66
日本側は勝ったと大喜び・・・? 
アメリカ側はポートモレスビー攻略を停止させたと満足。

05月10日 日本軍がミンダナオ島を占領。

05月29日 日本軍の特殊潜航艇がマダガスカル島のディエゴス
      ワレスのイギリス軍基地を攻撃。
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    (★ワオキツネザル)
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(★マダガスカル・・・インドリ)

05月31日 日本軍の特殊潜航艇がオーストラリアのシドニーの
      イギリス軍艦艇を攻撃。
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(★オーストラリアのケアンズ)

★★?★★日本軍の侵略絶頂期・・凄い領域まで占領。

06月05日〜ミッドウェー海戦
日本軍・・昭和17年(1942)(海軍記念日)、南雲忠一海軍
中将率いる第一航空戦隊(赤城・加賀)&第二航空戦隊
(飛龍・蒼龍)を中心とする第一航空艦隊:南雲機動艦隊)
が広島湾柱島から出撃した。・・・空母4隻を喪失。

★山本五十六は、アメリカの日本ジャブ的な攻撃に
  「ミッドウェー占領。」を唱えていたが、陸軍に受け
  入れなかった。
※日本軍の暗号はつつぬけだった。
★失敗の原因は、
  山本五十六・宇垣の考え「敵空母の壊滅」
 &現場の司令官南雲「ミッドウェー・アリューシャン」
  :南雲中将との間で意図が違っていた。
  南雲中将は空母がいないと思い、海中用魚雷から
陸上攻撃用爆弾に切り替えた、しかし、アメリカ軍の
3空母がいたのであった。南雲中将の独断で全てが
悪い方に展開した。しかし、基本的な敗因は、
@情報・暗号解読の不足
A攻撃の目的の曖昧さ
Bアメリカ軍のへの軽視
C南雲中将の判断ミス
D装着ミス・・・など
 日本軍・・空母4隻&重巡洋艦2&軽巡洋艦1
      駆逐艦12&260機&10万人の兵力
★99式
  
   VS
米軍・・・空母3隻&重巡洋艦7&軽巡洋艦1
      &駆逐艦14&121機&3900の残留兵力


 結果・・蒼龍・加賀・赤城が沈没。航空機260機全壊。
  飛龍のみが生き残り、米鑑「ヨークタウン」を撃沈。
  ・・でも、ぼろ負けになった。
 ★日本の官僚体質・・・いつまでの年寄りが偉い体質の
弊害かもしれない。
 日本軍の敗戦=アメリカ軍の勝利。

●日本の総艦艇の変化
日本軍・・・・・・408隻
アメリカ軍・・・1130隻

→新聞発表・・
 「ミッドウェー・アリューシャンで猛攻」
 「空母2隻撃沈」と報道された。
 大本営は嘘の発表を始めたのだ。

※連合軍の反撃開始・・・・・・ソロモン諸島の奪回へ
●日本軍の輸送手段断絶計画・・ガダルカナル飛行場建設。

06月07日 日本軍海軍陸戦隊ががアメリカ領アリュー
      シャン列島キスカ島に上陸→占領
06月08日 日本軍陸軍北海支隊がアメリカ領アリュー
       シャン列島アッツ島占領

06月?日 日本軍はニュ−ギニア本土5箇所に上陸・占領。
06月16日 日本軍がニューギニア島ポートモレスビーの
       連合軍基地を空襲。

06月20日 日本軍伊26潜がバンクーバーのカナダ軍基地を砲撃。
06月21日 日本軍伊25潜がオレゴン州アストリアの
       アメリカ軍基地を砲撃。

07月??日  日本軍、フィリピン全土占領。

07月06日 日本軍:海軍飛行場設営隊がガタルカナル島に上陸。

07月18日 日本軍:第17軍がポートモレスビー陸路攻略命令

07月18日 日本軍はフィジーを攻略。

07月20日 日本軍はブナ(ポートモレスビー北東200km)
上陸11000人
      日本軍は、アロタウに戦車3台と1000人で上陸・  

07月21日 日本軍はサモア島を攻略。

07月29日 日本軍・南海支隊は東部ニューギニアのココダを占領。
      →ポートモレスビーに進軍。

08月?? 日 ※イギリス領インドで反英暴動。

◆◇◆パプアニーギニア戦線◆◇◆ 
父のいとこ(本家)の春男
  高崎15連隊から東部38部隊遠藤部隊の陸軍伍長と
  してニュー−ギニア配属
昭和17年(1942)
02月28日 山本五十六司令長官の命令で、ラバウルから
       7000人・輸送船8隻・護衛駆逐艦8隻が出撃した。       
03月03日 アメリカ軍の空襲・・ダンビール海峡で、
       3000人溺死。輸送船8隻・護衛駆逐艦4隻を失った。
04ラバウルの山本五十六太平洋司令長官は
先にパラオに退却。(1万人いるのに退却)


06月??日 日本軍はニューギニア本土5ヶ所に上陸・占領
@マダン
Aグンヒ(半島ノの付け根)
B半島・・・サラモア・ラエ・ヒンシュファーヘン・(トーフィ)
Cブナ
Dアロタウ・ラヒ
画像

07月20日 日本軍はブナ(ポートモレスビー北東200km)
上陸11000人
     日本軍は、アロタウに戦車3台と1000人で上陸・・・        
     オーストラリア軍は高射砲のみ。→日本軍優勢
画像

08月 オーストラリア軍は飛行機使用。
戦車雨季で戦車使用不可。
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    (★アロタウでの日本の戦車が使えなかった。)
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    (★オーストラリア軍の反撃)
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    (★オーストラリア軍の飛行機)
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    (★日本人の戦没慰霊碑)
    
    オーストラリア軍はアメリカ海軍の物資援助を
供給網を確立。
     オーストラリア陸軍+ブーム族 VS 日本軍   
→日本敗戦
    アメリカ空軍はポートモレスビーからブナ包囲作戦
8月29日 日本陸軍はオーエンスタンレー山脈2000〜
3000m級の山越えの退却
    
     ・・・大八車に積んだ高射砲を運んで退却。
     *日本軍のラバウル航空軍の応援なし(食料も)
09月16日 日本軍南海支隊がポートモレスビー北東約50km
           のイオリバイワ占領。
09月  オーストラリア軍は、アメリカ軍の援助(武器弾薬+食料)
 で奥地に侵攻。
     
       →日本軍は壊滅。
09月26日 →南海支隊がブナ(ポートモレスビー北東200km)
          に向けて撤退開始。
10月   オーストラリア軍は村の復興に尽力
11月   オーストラリア軍はアメリカの空軍の武器弾薬
       +食料の降下・・・奥地に侵攻。
     サラモア・ラエからサラワケット山4500の麓・・
     オーエンスタンレー山脈2000〜
3000m級の山越えのマダンに向かった。
   ★アメリカ軍&オーストラリア軍のカエル飛び攻撃
    =海岸沿いの日本軍ノ基地を攻撃する作戦
     アメリカ軍にグンヒ(半島ノの付け根)
     を占領され、引き返す羽目になった。
A群馬県史編集の歴史学者「近藤義雄」先生は第15連隊所属。
 「ヴィルヘルム山脈3000mの山越えで多くの仲間が餓え
・病気・怪我で死んでいくのをを見てきた。蛇がいると捕まえて
食った。・・ベルトの革も食った。・・・」
と、2005年9月に、職場に来た折に話して下さった。
(私見・・結局、マダン方面の中心地に逃げられず、山脈を
更に北上した可能性が大である。)
          
1943年
01月02日  連合軍(オーストラリア+アメリカ)ブナ攻略。
      →日本軍多数捕虜。 →奥地に残る日本軍の退却・・・
04月03日 連合艦隊司令官:山本五十六は、ラバウルから
パラオに移動・・・陣頭指揮。
04月07日 フロリダ沖海戦・・・い号作戦(〜16日)
      山本五十六の航空部隊作戦は大失敗した。
04月18日 ●連合艦隊司令官:山本五十六が戦死。
08月    連合軍ポートモレスビーから海軍ラエに進攻
      マダンでも、日本軍敗退
(→日本陸軍が基地に帰る前に大隊ラバウル隊撤退?)
12月    ニューーギニア日本軍壊滅・・・
1944年
11月13日 
 A父のいとこ(本家:有司兄)の春男さんのPNGで戦死。
  場所不明。
  推測「奥地で日本軍撤退後11ヶ月過ごしたか、飢えか
     病気マラリアで動けなくなって?  
  「遺骨は宇都宮の人が届けてくれた。」と本家の人が言ってた。
 B青年海外協力隊でボルネオのミリに行っていた吉田氏の祖父は
  「ニューギニアで鉄砲の玉が足に貫通したが、ニューギニア
   から日本へ帰ってこられた。」
★結局、ニューギニア戦線で帰国できたのは
 14万人中、1万人であった。



【6】連合軍の本格的反攻=日本軍の玉砕の太平洋
08月07日 アメリカ第1海兵師団軍がソロモン諸島の
    ガダルカナル島に上陸・・・※米軍の反攻開始。
    ツラギ島・ガブツ島・タナンボゴ島にも上陸

08月09日 第1次ソロモン海戦
08月18日 日本軍一木支隊がガタルカナル島タイボ岬に上陸。
08月21日    一木支隊はガタルカナル島の飛行場奪回攻撃。
         失敗し全滅。

08月24日〜 第2次ソロモン海戦
08月31日 日本軍川口支隊主力部隊がガタルカナル島に上陸。
09月12日〜  川口支隊がガタルカナル島の米軍に総攻撃

09月16日 日本軍南海支隊がポートモレスビー北東約50km
           のイオリバイワ占領
09月26日      →南海支隊がブナに向けて撤退開始

09月09日 日本軍伊25潜より発進した艦載機が
        アメリカ本土のオレゴン州を空襲。
09月15日 日本軍伊19潜が米空母ワスプを撃沈。
09月29日 日本軍伊25潜より発進した艦載機が
      アメリカ本土のオレゴン州を再度空襲。

10月 英・米が中国における治外法権撤廃を声明
       →不平等条約を廃止。

    英・米・中・ソが重慶で、対日作戦会議

10月09日 日本軍第2師団主力部隊がガタルカナル島に上陸。
10月11日 サボ島沖海戦
10月12日 サボ島沖夜戦
10月13日 戦艦「金剛」「榛名」でガタルカナル島ルンガ飛行場を
       砲撃。
10月13日 ヘンダーソン基地艦砲射撃
アメリカ軍の稼動空母が0隻になる。
しかし、アメリカは空母の増産体制を真珠湾攻撃時点jから
 始めていたのでは、ないだろうか? 日本軍の真珠湾攻撃での
 空母と航空機の重要性を実感したからであろう。
 従って、翌年の昭和43年には空母が18隻になる。


10月24日〜日本軍第2師団がガタルカナル島の
        アメリカ軍に総攻撃
10月26日 南太平洋海戦(〜27)
11月12日 第3次ソロモン海戦(〜14)
11月15日 日本軍第38師団がガタルカナル島に上陸
11月30日 ルンガ沖海夜戦
12月08日 日本軍東部ニューギニアのバサブア守備隊が全滅。


昭和43年(1943)
アメリカ・・・ニミッツとハルゼー
◆◆ 『戦勝に架ける橋』
1943年のタイとビルマの国境付近にある捕虜収容所を舞台に、
日本軍の捕虜となったイギリス軍兵士らと強制的に泰緬鉄道
建設に動員しようとする日本人斉藤大佐との対立と交流を通じ
極限状態における人間の尊厳と名誉&戦争の惨さをテーマに
した戦争映画。 舞台となった鉄橋が架かる川の旧名称は
メークロン川であったが、この映画によって「クワイ川」が
名となった。クウェー川鉄橋は現在でも観光名所となった。
『クワイ河マーチ』(ボギー大佐)も有名である。

01月〜3月 カサブランカで英米首脳会談。

01月02日 日本軍東部ニューギニアのブナ守備隊&
            ギルワ守備隊が全滅。

01月29日〜レンネル島沖海戦

02月01日 日本軍がオーストラリアのポートダーウィン爆撃。
02月10日 第一次アキャブ作戦開始(三一号作戦)。
  (〜3月下旬)
ガダルカナルへ出撃するため、米海軍プレジデント・アダムス号は
      現ニューカレドニアから出航。
      ニューカレドニア太平洋戦線でのアメリカ軍の拠点だった。

画像

02月02日 日本軍はガタルカナル島から撤退開始。(ケ号作戦)
      イサベル島沖海戦(〜7日)
02月08日 日本軍がガダルカナル島から撤退完了。

03月02日 ビスマルク海海戦(〜3)
        朝鮮半島に徴兵制が敷かれる。
03月27日 アッツ島沖海戦
04月01日 南樺太を内地に編入。

04月03日 連合艦隊司令官:山本五十六は、ラバウルから
パラオに移動・・・陣頭指揮。
]
04月07日 フロリダ沖海戦・・・い号作戦(〜16日)
      山本五十六の航空部隊作戦は大失敗した。

04月18日 ●連合艦隊司令官:山本五十六が戦死。
ラバウルから一式陸攻撃:山本機+護衛零戦6機
  6機しか護衛機を出せなかった。
ガダルカナル島ヘンダーソン基地から
ミッチェル攻撃隊P−48が17機・・・
間のブーゲンビル島で鉢合わせ・・
山本機は撃墜され、山中に墜落・・
      →死後元帥に昇進。
04月21日 古賀峯一大将が連合艦隊司令長官に就任。

05月・・・ 学徒戦時動員体制の発表(学徒出陣)。

05月12日 アメリカ軍がアッツ島に上陸
05月29日 日本軍のアリューシャン列島アッツ島守備隊が玉砕。
日本軍全滅=「玉砕」の言葉を使用。
山崎保代大佐以下約2500人が戦死。


06月05日 山本五十六の国葬

07月05日〜 クラ湾海戦。
07月12日 コロンバンカラ島沖海戦。
07月29日 アリューシャン列島のキスカ島守備隊が撤退に成功。

08月01日 日本占領下のバー・モウを首班としてビルマ独立宣言
      米・英に宣戦布告
08月02日〜 カナダ・ケベックで英・米首脳会談。
08月06日 ベラ湾の夜戦

08月15日 連合軍は中部ソロモンのベララベラ島に上陸
08月17日 第1次ベララベラ海戦
09月??? ※イタリアが連合国に降伏。

09月17日 連合軍、ラエを占領。
09月30日 御前会議で絶対国防圏構想を決定。
09月04日 連合軍がニューギニアのラエ・サラモアに上陸       
      ※上野動物園でライオンなどの猛獣が薬殺。

09月06日 日本軍はサラモア・ラエから撤退。
★きっと、近藤義雄先生はここにいたはずである。
09月10日 鳥取地震。1083名?が死亡。
09月22日 連合軍は東部ニューギニアのフィンシハーヘン
       に上陸・・・・ダイビングのトフィ近く。


09月23日 25歳未満の女子を勤労挺身隊として動員
09月30日 御前会議・・・絶対国防圏を策定

10月06日 第2次ベララベラ海戦
10月14日 日本占領下のフィリピン独立宣言を許可。
10月21日 インド独立指導者チャンドラ・ボースが
        シンガポールで自由インド仮政府樹立。
10月21日 東京の明治神宮外苑で出陣学徒壮行式開催
       ※学徒出陣の開始
10月24日 スバス・チャンドラ・ボースがシンガポールで
       自由インド仮政府の成立を宣言。
10月26日 自由インド政府は英・米に宣戦布告。

11月01日 連合軍がブーゲンビル島のタロキナに上陸。
11月02日 ブーゲンビル島沖海戦(〜13日)
       東京で大東亜会議開催→大東亜共同宣言を発表。

11月21日 アメリカ軍がマキン島、タラワ島に上陸。
       アメリカはサイパンからマーシャルの前線基地をこの
       島にした日本を恐れた。
       アメリカ軍は空母4隻を含む200隻で攻撃
       日本は60機の陸攻隊デ応戦・・・壊滅。
       陸上戦ネ突入
       アメリカ軍18000 VS 日本軍?
11月24日〜日本軍のマキン島守備隊が玉砕。
       日本戦死者約4300人   アメリカ戦死者990人
       
              セントジョージ岬沖海戦。
11月25日 日本軍のタラワ島守備隊が玉砕。
       日本戦死者約550人   アメリカ戦死者???人


11月22日〜26日 エジプトで英・米中首脳会談(カイロ会談)。
11月28日〜12月1日イランで英米ソ首脳会談(テヘラン会談)。

12月5日  マーシャル諸島沖航空戦
12月10日 文部省が学童の縁故疎開促進を発表
12月15日 連合軍はニューブリテン島マーカス岬に上陸。



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箕輪初心◆2013年のお盆=盆踊り&KDDI&ツーリング
★8月13日は迎え盆、でも、フィリピンのセブ島でジンベエザメ を見ていた。14日はマクタン島→成田空港→高速バスで高崎へ 、夜は盆踊り。15日は終戦記念日。村の盆踊りの櫓解体作業 を手伝った。午後はマーちゃんとツーリングで50CCゴリラで草 津までの160kmを走った。16日、午前は送り盆、午後はNTT光 からKDDIのau光の変更作業、17日は箕輪城、焼き物、biglobe のプロバイダーによる接続作業と続いた。 ...続きを見る
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2013/08/18 08:18

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