城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心★群馬【新島襄】=2013年NHK大河ドラマ「八重の桜」夫

<<   作成日時 : 2011/10/29 06:23   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 15 / コメント 0

★上毛カルタでは、「平和の使徒新島襄」として登場している。
★2013年のNHKドラマ「八重の桜」では、山本八重の夫で登
場する。新島襄の実家は群馬県安中市安中にあるが、江戸で生ま
れた。米国で苦学。帰国後は京都に同志社を創立。キリスト教主
義の教育に従事した。山本八重より襄の方がメジャーなのに不思
議である。というよりは、NHKドラマは女性をターゲットにし
た受けねらいの女性の生き方や&メジャーな人物の影で実質的な
切り盛りをした人物が最近のテーマになるようである。
★妻は偉大なりか?
画像

■新島襄の旧宅(安中市安中1-7-30)・・・入館無料
画像

画像

画像

画像

■安中教会
画像

画像

新島学園:安中市
新島襄先祖の墓・・・安中市郷原の自性寺
同志社大学・・・★行っていない。

新島襄の年表
・天保14年(1843) 安中藩の江戸屋敷で生まれた。
          幼名は「七五三太(しめた)。
・安政3年(1856) 板倉勝明の命令で蘭学を学んだ。
・安政4年(1857) 板倉勝明が死亡。
         蘭学の師:田島順輔が長崎へ移住。
・安政5年(1858) 川田甕江は江戸の安中藩中屋敷で漢学を教授。
 ※川田甕江は備中松山藩板倉家(安中藩板倉家本家)所属。
  川田甕江塾が安中藩邸に開設・・新島襄は川田塾に入塾。
  新島襄は幕府軍艦操縦所にも行った。
  漢学:川田甕江塾+蘭学:田辺真次郎塾の友人ができる。
  習字・漢字・武道・外国語を習得。
・万延元年(1860) 板倉勝殷の護衛役で、安中に来た。
(★遣米使節団・・小栗上野介など77人)

・文久2年(1862)9月。・・・説が2つ・・・
@川田甕江は備中松山藩:板倉勝静に180tの大きい洋式木造帆船
 (スクーナー)の快風丸を購入するように進言→実現。
  アメリカ→快風丸が横浜で引き渡し→玉島
  新島襄(2年間、幕府軍艦操縦所)は川田甕江の推薦で快風丸
  に乗り組みことになった。
 11月12日・新島襄は川田甕江から餞別を贈られ、江戸を出帆。 
  川田甕江は新島襄の将来に期待していたのであろう。
(★安中市や新島学園の講演会など)
・元治元年(1864)  ベルリン号にボーイとして乗船=脱国
画像

      函館→上海→アメリカに
      船長から「Joseph(ヨセフ)」を縮めた「Joe(ジョー)」と
      呼ばれていたことなどから「襄」としたそうである。
・慶応元年(1865) ワイルド・ロウバァー号でボストン入港。
画像

フィリップス・アカデミーに編入学。
・慶応2年(1866) アンドーバー神学校で修行→洗礼。
・明治3年(1870) アーマスト大学を卒業
  祖父は死亡。
・明治4年(1871) 弟が死亡。
森有礼からパスポートをもらった。
画像

・明治5年(1872) 「岩倉使節団」の通訳
           3月15日〜翌年1月
・明治6年(1873) 1月帰国
         アンドーバー神学校に復学。
・明治7年(1974) アンドーバー神学校に卒業。
    大学設立講演で、5000$をゲット。
新島襄は大学設立に奔走中に横浜から西京丸に乗船。
  偶然に旧師:川田甕江に会った。川田の漢詩一編。
 「鵬移九万翼垂天 
  海路再逢定宿縁 
  記否当年初立志 
  依吾独上快風船」
   西京艦遇 新島君   川田剛 甕江

(★ウキペディア参考)

11月26日 横浜
         安中に帰郷。・・・八重を同伴。
     11月29日両親と再会。

・明治8年(1875) 旧会津藩:山本覚馬から学校用地を550$で譲渡。
京都に同志社英学校を創立。(校長)
・明治9年(1876) 山本覚馬の妹:「八重」と結婚。
 親族を安中から京都に迎えた。
・明治11年(1878) 安中:便覧社で、キリスト教を布教・30人洗礼。
          湯浅治郎・徳富蘇峰・柏木義円らを排出
画像

(★湯浅治郎宅)
      八重を同伴。
・明治13年(1880) 「自責の杖」事件
・明治20年(1887) 父が死亡。・・・八重を同伴。
・明治22年(1889) 11月28日 前橋で激痛。
 12月 神奈川県大磯の百足屋で療養。
・明治23年(1890) 1月23日 神奈川県大磯で死亡。

※大正8年(1919)   安中教会・・・新島学園の教会堂
画像

画像

(★安中市教委パンフ・安中ふるさと学習館企画展資料)
画像


2013年のNHK大河ドラマは「八重の桜」
東日本大震災を受け、NHKでは復興を支援する内容にすべきとの
意見があがり、「八重の桜」 と決まったそうである。
画像

  (★会津若松城)
●「八重の桜」の あらすじ〜〜〜〜〜。
@福島県会津出身の八重(主演:綾瀬はるか)は会津藩の砲術師範
 :山本権八の子として生まれた。
 裁縫よりも鉄砲に興味を示す活発な少女時代を過ごす。
A兄:山本覚馬を師と仰ぎ、会津戦争では、断髪し男装して大砲台の
 指揮を執り戦った。そして、若松城籠城戦でスペンサー銃を持って
 奮戦した。「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれている。
Bしかし、会津藩が敗れてしまう。そして、夫と離婚する。
C八重は「鉄砲を鍛錬すること」→「知識を深めること」に生きがいを
 見い出す。
D兄:山本覚馬の所に出入りしていた新島襄と知り合った。
 同志社大学の創設者:新島襄と再婚する。
 八重は男女平等を強く望み、自分らしく生きる。
 世間から「天下の悪妻」と言われることもあった。
 例えば、西洋のレディファーストは女性が先であるが、
 妻は夫の後ろについて影のようにいるのがよいとされる時代
 なので、自分勝手な女性と思われるのは当然であった。
 夫:新島襄はアメリカで西洋文化に触れていたことから自由な
 生き方の八重を理解し、「ハンサムウーマン」と称していた。
※八重は最低、2回は安中に来ている。」(★淡路先生)
E晩年に八重は日清戦争、日露戦争で、自ら志願して篤志看護婦
(=戦傷病兵の看護する女性)として参加した。「日本のナイチ
 ンゲール」として後に評価された。
  (★NHK大河ドラマを参考に編集)
画像


板倉勝明の「安政の遠足」
http://53922401.at.webry.info/201106/article_4.html

安中藩は約300人の藩士がいた。
  安中に約200人・江戸に100人いた。新島襄は江戸生まれである。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(15件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
箕輪初心★松尾芭蕉D『東海道寄り道』&【野ざらし紀行@】
★「八百屋お七」の大火で、芭蕉庵を失った松尾芭蕉は 貞享元年(1684年)8月、門人:千里(ちり)を伴い、 伊勢神宮詣で→伊賀上野:前年亡くなった母の墓参り を目的に→大和→吉野→京都→美濃→木曽などを半年 間の旅に出た。翌年4月江戸に戻った。この紀行文は出 発時に詠んだ「野ざらしを 心に風の しむ身かな」 の句から『野ざらし紀行』と呼ばれている。  ...続きを見る
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー...
2012/07/19 05:54
箕輪初心●群馬【安中城】
◆安中城は安中一族 →廃城→井伊2第→水野2代→堀田1代→ 板倉2代→内藤1代→板倉6代と続いた。 安中城は現安中小学校・安中文化センター付近で ある。現在確認できる遺構はほとんどない。でも、 案内板が各所に立ててある。また、陣屋が復元され、 当時を偲ぶことができる。 安中城(安中文化会館駐車場)   ...続きを見る
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー...
2012/11/16 07:33
箕輪初心★群馬【新島襄A】=山本八重の夫
★上毛カルタでは、「平和の使徒新島襄」として登場している。 群馬県人は、新島襄を群馬県人だと思っている。新島襄の実家が 群馬県安中市安中にあるからである。しかし、県外の人は群馬県人 だなんて思ってはいないのではないだろうか?新島襄は米国で苦学 し、帰国後、京都に同志社を創立し、キリスト教主義の教育に従事 した。新島八重を連れて群馬に来たのは4回あるという。NHK大河 ドラマでに新島襄がどの程度、出てくるのか楽しみである。 ...続きを見る
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー...
2013/01/01 06:43
箕輪初心★新島八重の周辺@「徳冨蘆花」
★徳富蘆花は、同志社大学に2回学んでいる。つまり、新島襄の弟 子である。山本覚馬の次女:山本久栄と熱烈な恋愛をする。 新島襄の妻:新島八重=山本八重から見れば、山本久栄は姪に 当たる。二人の恋を父:山本覚馬や新島襄や新島八重は反対し た。ここで、徳富蘆花は同志社大学を中退した。『黒い目と茶 色の目』は、山本久栄をモデルにしたいる。この徳富蘆花は 伊香保が大好きで、『千明仁泉亭』を常宿にして、10回訪れて いる。伊香保で徳富蘆花の出世作「不如帰(ほととぎす)」が書 かれたのだ... ...続きを見る
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー...
2013/02/06 07:13
箕輪初心★新島八重の周辺A『新島襄&徳富蘇峰』
★胃から血、血尿で病院通い。胃痛を紛らわしながら・・。 ★明治8年(1875)32歳の新島襄は同志社英学校(現同志社大学) を創立した。生徒8人の中に徳富蘇峰がいた。翌年に、新島襄& 山本八重は日本初の教会結婚式をした。徳富蘇峰は、新島八重 とはしっくりいかなかった。しかし、同志社大学設立を協力する 頃は、新島八重とは、違和感はなくなっていったらしい。明治 23年(1890)1月23日、新島襄は、妻:新島八重、かつて徳冨蘆 花と大恋愛した山本久栄(八重の姪)&愛弟子:徳富蘇峰... ...続きを見る
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー...
2013/02/07 06:19
箕輪初心★新島八重の周辺B「湯浅治郎&八重の醤油」
★平成25年(2013)2月2日、自性寺焼の青木禮子先生に 「・・八重さんの醤油を買いに行きたいのですが、・・。」 と言ったら「有田屋さんの醤油はおいしいよ。」と言いな がら、安中市の「有田屋」を教えてくれた。目的は、 @2月2日の産経新聞で紹介された【八重さんの醤油】購入、 A徳富蘇峰&徳冨蘆花の姉:初子を妻にした湯浅治郎。 B新島譲&新島八重の情報収集である。 ...続きを見る
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー...
2013/02/08 06:40
箕輪初心★爽やかな秘話『新島八重子回想録』の紹介
★本日は、新島八重の素晴らしい本を紹介しようと思う。 ==『2013年大河ドラマ「八重の桜』放映記念』=== 大河ドラマ放映を機に、昭和3年84歳の八重が同志社新聞 記者に語った『秘話』をまとめた「新島八重子回想録」を復 刊。「新島との出会い」「結婚」「新島の幼少期のエピソード」 など、等身大の新島襄を溢れるばかりの夫婦愛で回想した 一冊。新島八重子著、同志社社史資料センター編。750円。 ★新島八重が話したことを永沢氏がまとめた本で、「八重 の桜」に出てこない秘話があるか... ...続きを見る
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー...
2013/02/10 06:42
箕輪初心★『住谷天来』=群馬の四大キリスト教伝道者・住谷悦治の叔父
住谷天来・住谷悦治の名前を知ったのは25年程前である。 近藤義雄先生の「群馬町国府」の散策の時、住谷輝彦氏に会っ たことによる。近藤義雄先生は「住谷天来先生・住谷悦治先生 ・住谷磐根先生」について教えて下さった。 @共愛学園創設関係者で、キリスト教牧師:住谷天来先生 A同志社大学学長:住谷悦治先生 B画家で埼玉県の某市の名誉市民:住谷磐根先生・・など。 住谷天来。そして、住谷悦治&住谷磐根兄弟か。凄いな。 最近は、群馬文学全集第20話、内村鑑三、群馬のキリスト 教、『住谷... ...続きを見る
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー...
2013/02/20 06:41
箕輪初心★新島襄周辺『柏木義円』=群馬四大キリスト教伝道者
★柏木義円はキリスト教思想家である。新島襄の信頼が厚かった。 同志社大学には紋付き袴で通学し、卒業するときは新島襄から 「紋付き袴を新調してあげる。」と言われたが、断ったという エピソードが残っている。 ...続きを見る
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー...
2013/02/22 07:30
箕輪初心★新島襄周辺『内村鑑三の生涯『&「高崎の内村鑑三の碑」
★「平和の使徒 新島襄」&「心の灯台 内村鑑三」など と誰が上毛かるたの語句を決めたのであろうか? きっと偉い人なんだろうけれど、意味が分かんない。 2人も江戸=東京生まれキリスト教偉人である。 「余は本のため、日本は世界のため、世界は基督のための、 基督は神のための也。」 ...続きを見る
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー...
2013/02/23 21:21
箕輪初心★京都B『新島襄先生の家』&『新島八重さんの墓』
★平成25年(2013)3月28日に新島襄先生の家&新島襄先生 &新島八重子さん&山本覚馬さんの墓参りに詣でた。 私にとって、今回の京都のハイライトである。同志社大学にも 行きたかったが、時間がなくなった。 ...続きを見る
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー...
2013/04/13 07:21
箕輪初心★『日新館&保科正之&新島八重のパネル展』
「什の掟」 一、年長者(年上の人)の言ふことに背いてはなりませぬ 一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ 一、嘘言を言ふことはなりませぬ 一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ 一、弱い者をいぢめてはなりませぬ 一、戸外で物を食べてはなりませぬ 一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ   「ならぬことはならぬ」ものです。 ...続きを見る
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー...
2013/04/25 05:58
新島襄父の故郷:安中&新島八重の故郷:会津若松
新島八重は群馬県安中市を4回訪れている。1882年・1888年 ・1910年・1921年である。新島襄は会津若松教会を建てた。 ★会津若松市&安中市・・・新島八重の仲介で、姉妹都市関係 を結べばいいのになどと思っている。新しい日新館には、安中 市の新島襄宅&安中の秋間の梅祭りのパンフレットが置かれて あた。安中の陶芸師匠に煎餅を買っていったら、「これは磯部 煎餅だな。磯部の95%位は安中磯部産だよ。」と教えて下さ った。ビックリした。こんな所でも、会津と安中が結び着いて い... ...続きを見る
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー...
2013/04/26 07:01
箕輪初心◆群馬「第39回:安政遠足(とおあし)侍マラソン2013」
★安中藩祐筆:新島襄を可愛がった安中藩主:板倉勝明(かつあきら) 公。安政2年(1855)板倉勝明公は安中在住藩士の鍛錬のために中山 道:安中城〜碓氷峠熊野権現様までの約7里を競争をさせ、着順を記 録させた。万延元年(1860)には、新島襄が17歳の時、大老井伊直弼 公が暗殺され、板倉勝明公も亡くなった。その年、板倉勝明公の弟: 板倉勝殷(かつまさ)公の護衛役で、新島襄は安中に来た。参勤交代 は4月江戸発〜、3・4ヶ月、安中に滞在したらしい。もしかしたら、新 島襄も走ったかも... ...続きを見る
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー...
2013/05/13 07:01
箕輪初心★『新島襄&新島八重の上州』企画展in群馬
★NHKの大河ドラマ「八重の桜」の波に乗って、群馬県内では、 安中市を中心に「新島襄&新島八重の上州」に関する展示&説 明会が多くなってきた。結構、バス旅行の県外の客も多くなった。 @安中の新島襄の家、A安中の郡代官所、B有田屋=湯浅 治郎宅、C安中ふるさと館・・常設展・富原文庫:会津城下の 屏風絵「八重7歳頃」、D土屋文明記念文学館の企画展: 「新島襄と八重の上州」などが分かりやすいだろう。 ...続きを見る
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー...
2013/05/21 05:35

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心★群馬【新島襄】=2013年NHK大河ドラマ「八重の桜」夫 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる