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zoom RSS 箕輪初心●群馬藤岡編「芦田城」&依田一族の歴史

<<   作成日時 : 2011/07/09 09:00   >>

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★芦田城=藤岡城は現在の藤岡第一小学校である。
上毛新聞に「群馬の城シリーズ」が掲載され、興味を持った。
「慶長5年(1600)に依田康貞は小栗三助と囲碁を打っていた。
どうしても依田康貞に勝てない小栗三助が腹立ち紛れに
「兄のお古を貰って満足している男の気が知れぬ。」と雑言を
はいた。依田康貞は死んだ兄:依田康国の妻を正妻に迎えて
いたのである。怒った依田康貞は抜刀して三助を刺し殺してし
まった。この事件で、依田松平家は改易、藤岡城も廃城となった。

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小栗三助は小栗上野介の先祖の親戚である。
  5代目の倉渕の東善寺の中興の祖「小栗政信」の兄弟
  あるいは叔父であると思われる?

依田康貞は佐久:岩尾城で死んだ依田信蕃の子孫である。

■訪問記・・・平成23年(2011)3月25日?
藤岡歴史館・七輿山古墳・白石古墳の見学後に訪問。
藤岡第一小学校に行った。校庭に入るのをためらった。
・北に高さ5〜6mの土塁が70〜80m?が残っていた。
 公園整備されていて、土塁が見事である。
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・堀は幅20m、深さ5m有ったが、埋められたという。
 @土塁・・校門から見える
  芦田城=藤岡城の北の土塁
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 A土塁の西端に大きな銅像と石碑がある。
   城跡を寄贈された方の顕彰碑であった。
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 B土塁の上
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C城址緑地の看板・・城址公園の利用にあたっての注意事項
  城跡の歴史や縄張り図は見当たらなかった。
 ★松平姓の信濃:依田氏が藤岡3万石の城主であった時期は、
  10年程であるが、説明がないのは残念である。


■佐久:依田氏=芦田氏の歴史
■(1)信濃:依田城 
  〒386-0412 長野県上田市御嶽堂・・・丸子城の東500m?
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  (★丸子城からの眺め・・左が依田城)

平安時代・・
  説@・・源満快の曾孫:源為公が南信濃(箕輪町)信濃源氏の祖。
   依田氏の祖は源為公6男「依田六郎為実」が東信濃の小県郡に
   依田城を築城。(伊那→依田に入ってきた説)
説A・・・文治2年(1185)源頼朝が全国に守護・地頭職を置いた際、
   源為公6男「六郎為真」が依田庄地頭として入封した説
  説B・・・佐久郡大井庄の地頭岩村田:大井氏(小笠原氏支流)
       の分流説。
説C天暦年間(947〜957) 滋野恒信の次男:滋野敦重が依田庄を
      もらって、依田氏を称した説。
 説D・・・依田源氏を称し、依田滋野氏にかわって依田庄を治めた説
    祖先の滋野貞主が清和天皇と縁戚を理由に系図を捏造し源氏姓を
    称したのではないかという説もある。
         (★ウキペディアを参考に作成)
※説Cの「滋野氏→依田氏」であるという説が有力説。


 鎌倉時代・・・滋野系芦田氏により築城(伝)。
 治承4年(1180)12月24日 
   依田為実の子:依田次郎実信は源義仲の傘下。
  ※初代:依田為実の母が源義賢(義仲の父)の娘だった。
つまり、従兄弟同士だったのだ。

  ※木曽義仲の挙兵説
   @依田城での挙兵説。
  A木曽谷での挙兵説
   依田次郎は木曽義仲を依田城に迎えて旅のねぎらいやら
   接待でごったがえしたという。(★『吾妻鏡』)
   依田城には樋口兼光・今井兼平・海野幸広・根井行親・矢田義清
   が駆けつけたという。越後:城長茂が10000の軍勢で信濃へ
   進軍しているという報を受け、木曽義仲は依田城を発進した。
   依田氏は源義仲軍として上京。
@上田→長野→鬼無里→大町→松本→糸魚川→富山
A上田→保福寺峠→松本→大町・・・
 @だと思う。鬼無里の義仲伝説があるので・・・。
 
   ●倶利伽羅峠の戦い・・・源義仲の勝ち。
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   最終的には、源頼朝に追われることになった。
   →依田庄を失って一族は各地に拡散。
   依田氏は飯沼を領するだけの小領主となり、飯沼氏と称姓。

■(2)信濃:芦田城★詳細はずっと先?      
鎌倉時代・・・滋野系芦田氏により築城(伝)。

南北朝初期・・・飛騨国の依田義胤が依田庄を奪回(伝)
        ※足利尊氏の側についていた。
室町時代初期
 応安6年(1373)依田左近太夫入道元信は室町幕府評定衆。

室町時代中期・・依田備前守光徳が滋野系海野系芦田氏を攻撃。
        →芦田氏を名乗る。岩村田:大井氏と対峙。
 永享7年(1435) 芦田氏は芦田城を改修工事。
 永享8年(1436)芦田氏は大井氏を支援した信濃守護職:小笠原政康の攻撃
        芦田氏が降伏。→岩村田:大井氏の支配下。
文明9年(1477) 依田孝玄が継母に殺害された(伝)。
 文明16年(1484) 村上政清の攻撃→大井惣領家が滅亡。
         芦田氏は村上氏の支配下。
         小県郡依田の依田又三郎光徳は芦田氏と改称。
         芦田城を再建整備。
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 天文9年(1490) 甲斐:武田信虎は佐久侵攻。
 天文10年(1541) 武田信虎は諏訪頼重・村上義清とともに佐久に侵攻
         海野一族を上野へ追いやる。
★海野一族・・・海野棟綱・真田幸隆は親戚先の羽根尾城:
羽根尾幸全(ゆきまさ)・海野輝政兄弟の世話になる。
         関東管領:上杉憲政が佐久・小県に出陣。
          上杉憲政勢は芦田郷を荒らしただけで帰陣。
         →芦田氏は諏訪頼重の支配下。
 天文11年(1542) 諏訪氏が武田晴信の諏訪侵攻で降伏。
 天文12年(1543) 武田勢が小県に侵攻。
         芦田備前守信守は長窪城に籠る大井貞隆を支援。
         芦田信守は同族の相木昌朝とともに武田氏に内応。
     甲斐武田氏に従属。→武田氏の支配下:信濃先方衆。      
 天文18年(1549)芦田信守は芦田城から春日城に移転。
   「三月卯巳、芦田四朗左衛門春日ノ城再興」【高白斎記】

■(3)信濃:春日城★詳細はずっと先?
 戦国時代・・・依田光徳より5代目:依田信守の代。
 天文18年(1549) 芦田信守は芦田城から春日城に移転。 
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     武田氏の配下として川中島や東海地方に戦功をあげた。
      
■(4)駿河:田中城
 芦田信蕃は駿河国:田中城の城代。
    静岡県藤枝市田中1丁目・・・円形の縄張り
★高天神城・掛川城に行ってから、諏訪原城に行った
ので通り過ぎちゃった。残念。

 天正10年(1582)
  3月    武田氏滅亡。
      依田信蕃は北条氏の傘下。
      芦田信蕃は駿河国:田中城(静岡市)明渡して、
     →依田信蕃は徳川家康に仕官。
 依田信蕃は徳川家康の佐久統一の命を受けた。
  6月2日 本能寺の変・・・信濃の織田信長勢力が崩壊
      →旧武田領の争奪戦・・徳川・北条・上杉

■(5)信濃:小諸城      
      徳川家康の傘下で佐久地方で活躍。
      北条方であった真田昌幸を徳川家康方のつけた功績で、
      佐久・諏訪の二郡を与えられて、小諸城代。
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信濃佐久:岩尾城
天正11年(1583)佐久;岩尾城攻めの際に依田信蕃(のぶしげ)
            討ち死。
 ・天文12年(1543) 甲斐の武田晴信は
       長窪城の大井貞隆を攻撃
       岩尾城の大井行頼を攻撃・・・攻略されて逃亡。
       武田信玄の家臣→岩尾城に復帰。
 ・天文14年(1545)岩尾城代には真田幸隆が就任。
    幸隆の子:真田昌輝・真田昌幸は岩尾城で生まれた(伝)。
 ・天文20年(1551)武田晴信が岩尾城の鍬立てを挙行(『高白斎記』)
 ・天正6年(1578)武田勝頼が城の修復を指示
         岩尾城は佐久地方の難攻不落の堅城になった。
     大井行頼の嫡子:大井行吉は武田氏に従軍
      岩尾城は岩村田:中沢清季が城代。
 ・天正10年(1582) 武田氏が滅亡。
     大井行吉は北条氏家臣 
     徳川家康の家臣:依田信蕃が佐久に侵攻。
     大井行吉は岩尾城に籠城。
 ・天正11年(1583年)
2月21日 徳川家康家臣:柴田七九郎康忠&依田信蕃軍が
          総攻撃→大井行吉方は防戦。
     2月23日 依田信蕃が三の丸付近まで攻め込んだ時
          鉄砲で狙撃され、依田信蕃&弟:信幸と共に討死。   
     3月7日 大井行吉は柴田康忠の勧めに従い、開城
         →大井行吉は上州保渡田(高崎市保渡田町)に移住。
     ※岩尾城は築城より106年の後、廃城。
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■(5)信濃:小諸城
徳川家康は依田信蕃の死を惜しみ、・・・
   依田信蕃の嫡子:康国14歳に松平姓と「康」の字を与えた。
   依田康国(1570〜1590)は小諸城主。
・天正13年(1585)依田康国は第一次上田合戦で初陣。
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上野:石倉城
  ・天正18年(1590) 小田原の役
   依田康国は上州石倉城(前橋の県庁の利根川の反対)で討死。
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  (★当時は利根川は此所を流れていない。群馬県庁=厩橋城)   

■(6)上野:藤岡城=芦田城
 ★依田氏の出身地である佐久芦田にちなむものと思われる。
 ・天正18年(1590)後北条氏の滅亡後、依田康国は戦死。
   →依田康国実弟:新九郎は徳川家康の関東入府に随行。
    依田康国実弟:康貞が家督を継いだ。
   →依田康貞 武州榛沢郡と上州緑野郡・・藤岡3万石を拝領。
    1年ほどの月日を費やして、藤岡城を築城(伝)。
 ・慶長5年(1600)大坂で依田康貞は小栗三助と囲碁でけんか。
  依田康貞に勝てない小栗三助が
 「兄:依田康国の妻を正妻に迎えている。」とばかにした。
  怒った依田康貞は抜刀して小栗三助を刺し殺してしまった。
 →高野山に出奔。
 ※藤岡藩は改易、藤岡城は廃城。依田松平家は断絶。
結城秀康(徳川家康の次男)にお預け。・・・
  →母方の加藤姓を使って、加藤康寛と改名した説
 依田姓で通した説。
   越前国木本5000石を与えられたという説。
死亡説・・・1623年死去説 1653年死去説
●最後の城主:依田康国の実弟の名前についての説。
  「藤岡市史」・・・・「依田康貞」
  「多野郡誌」・・・・「康寛、幸正、康勝」
「ウキペディア」・・「康真」
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■もう一つの上野国の依田一族
【1】上野:後閑城★詳細はそのうち?
  (群馬県安中市後閑)
 嘉吉元年(1441) 信濃国の依田城=御嶽城主
     :依田内匠頭忠政が後閑城を築城開始。
※依田城=御嶽城=宗龍寺城=宗龍寺館=御岳堂城
  =御岳堂館=御嶽堂館 〒386-0412 長野県上田市御嶽堂
 ・文安4年(1447)後閑城完成(伝)。 
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【2】上野:鷹巣城(群馬県安中市板鼻)
・天文8年(1538) 箕輪城主:長野業政が、後閑城主:依田光慶を
  鷹巣城主にした。
 ★依田光慶は長野業政の8女を娶って、長野業政の娘婿になった。
  G鷹ノ巣城{安中市板鼻}・・・依田(あしだ)新八郎(光慶)
★私見「依田氏はこの時、まだ後閑城かも知れない?」(後閑城看板)
  武田信玄の上州攻略に備えて城主としたことになっているが、
  武田晴信は上野への侵攻は20年後なので、変?

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弘治2年(1556)? 丹生城主:新田景純は後閑城に在城
永禄3年(1560) 長尾景虎(上杉謙信)の第一回関東出陣
 長野業政の子:業盛や依田光慶や高田氏・安中氏らは長尾従軍。
 新田信純(=真純)と小幡信貞(=信実)らは武田信玄家臣へ。
  
高崎市の旧群馬町引間の依田一族
★旧群馬町(北原遺跡/「喜の蔵」隣の引間砦を長野業政に
  任されたのかもしれない?
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 現在、この地区には依田(よだ)姓が残っているが、不明?
★土屋文明は旧群馬町引間の依田家の娘にラブレターを書いた。
(★土屋文明の祖先は武田信玄家臣:土屋昌続系)


★★★依田一族は、不明な点が多い。
★参考文献・資料
藤岡市史・安中市史・城の本など多数

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箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政132『二俣城』松井→依田→大久保
平成29年(2017)11月3日、浜松市の天竜を散策した。 祐太郎君の車でまず「二俣城」に行った。二俣城は、 井伊家被官:松井宗信が築いたと言われている。松井 家は松井宗能→松井貞宗→長男:松井信薫→次男宗信 →松井宗恒と続く家系で、子孫は「松居」を名乗り、井伊 直政に仕えた。「二俣城」は 武田信玄・勝頼親子と徳川 家康が激しい攻防戦を繰り広げた城として有名である。 また、徳川家康の嫡男である松平信康が切腹をした城 としても知られている。 天竜川と二俣川に挟まれた要害なの... ...続きを見る
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2017/12/15 07:07

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おじゃまします。
>説C天暦年間(947〜957) 滋野恒信の次男:滋野敦重が>依田庄をもらって、依田氏を称した説。
実は、滋野嫡流の系図は存在しないんですよ。全部消失しているんです。この説は滋野氏子孫のもので想像力の産物だと思います。
あと、滋野氏子孫が呼ぶ「依田源氏」って呼称は、存在しないんです。信濃源氏、甲斐源氏、大和源氏、多田源氏、河内源氏など前に地名を書くか、清和源氏、宇多源氏など天皇の名前を書くか、どちらかが普通なんです。長野県では依田源氏という呼び方は皆無なんです。
通りすがりのもの
2011/07/27 22:44
ありがとうございます。
貴重な解説なので、うれしく思います。いつか、真田三代の歴史を書いたときに参考にさせて戴きます。
通りすがりのものさんへ
2011/08/03 08:57

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