城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心★★群馬の偉人:高山彦九郎A現代版「旅日記」

<<   作成日時 : 2011/06/21 07:35   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

★高山彦九郎の「旅日記」の写真集を掲載したい。
Aは、●江戸&1)〜3)までである。
今日もMARU 梅の出荷で忙しいので、写真は夕方掲載する予定である。
★高山彦九郎は、江戸時代末期の尊皇論者第一号である。
13歳の時、「太平記」を読んで、先祖は新田義貞の家臣:岩松氏の
家老としてとして鎌倉に攻め入った。後醍醐天皇を敬った新田義貞
&先祖:高山一族に心酔し、尊皇論者になった。
長州:吉田松陰や新田官軍:岩松満次郎へも影響を与えた人物である。
画像


■高山彦九郎の年譜
延享4年(1747)  上野国新田郡細谷村(現在太田市細谷町)
          5月8日生まれ。父:高山彦八正教&母:繁
寛延元年(1748)  祖父:蓮沼伝左衛門貞正が菩提寺教王寺に梵鐘を寄進。
寛延2年(1749)  祖父:蓮沼家を隠居分家→高山姓に改姓。
      先祖・・・戦国時代、藤岡の高山氏
→高山村の高山氏→岩松家の家老「高山因幡守」
宝暦9年(1759) 13歳・・・「太平記」を熟読。
    「建武の中興」で南朝の忠臣が遂げざる志→尊王の志。
宝暦12年(1762 )
●江戸旅行   書籍を購入。
 (江戸城)
画像
                
(浅草寺)
画像

明和元年(1764)
●京都旅行・・・
  3月15日 家→京の三条大橋に臥して帝城(皇居)を拝む。
 (京都御所)                            
 (鞍馬寺)
画像

(清水寺)
画像
  
明和2年(1765)  7月17日 母:しげ没(40才)。
明和3年(1766)  4月22日 蓮沼伝左衛門貞正が没(72才)。

明和4年(1767)
  ●山陽道旅行    
    備後の神辺:「菅茶山」(儒学者・漢詩人・福山藩大目付格)
    ★福山城へは2km手前で諦めた。
    →閑谷学校(岡山藩が庶民教育の郷校)
    ★は備前焼の屋根の方が興味あるので、行かなかった。
    (姫路城)
画像
                           
    (岡山城)
画像

明和6年(1769)  7月20日 父:高山正教が没(53才)。
        ・・・筒井家に暗殺?
明和7年(1770)24歳・・江戸で細井平洲(儒学者:嚶鳴館主
     :米沢藩校興譲館総裁:尾張藩明倫堂学館総裁)に入門。
安永2年(1773)
1) 「赤城行」・・・「大島氏の系譜調査」    
  11月14日〜11月19日
   細谷―三夜沢:赤城神社参詣―白井宿―伊香保温泉―前橋―伊勢崎―細谷

@新田義重の末孫:伊賀蔵人義継が
     1)越後       (里見)義俊─義成─義直・・・・・・・・・・・・・・・・・・義胤
                                └(鳥川)時成
                                    └大嶋氏
 A新田義継→次男:大島時継→○→○→○→曾孫:大島讃岐守義政
   大島讃岐守義政は鎌倉討幕の時の副将軍として活躍。
   室町幕府で武者所に所属。
 B下野国新田庄大嶋郷に住んで大嶋氏を称したのに始まる説。
  ●安房国里見家の家臣
  ●12代:大嶋彦十郎清継から備中守護細川氏に仕えて青佐山城代。
  ●関ヶ原の合戦で敗軍の将となり、浅口郡道越村に帰農。
  ●16代大嶋猪兵衛は寛文10年頃に大嶋一族と共に道越村に移住。
     近郷を開墾→代々大庄屋。
 ★上野:(現:太田市大島の一族)
  ・・・子孫の当主は、個人的にスキー・登山仲間
 
安永3年(1774)
2) 「甲午春旅」旧跡めぐり」 1月4日〜3月7日
   細谷→江戸→(東海道)→鎌倉・・・江ノ島・・藤沢:遊行寺・・・
   伊勢内宮外宮→伊賀→京都→奈良→高野山→大阪→(播磨道)
→摂津→出雲→京都 
  ★途中から、新田義貞の鎌倉攻撃の逆ルートである。
 @鎌倉八幡宮
画像

 ★岩松家家老:先祖の攻撃場所・・・コブクロ口
画像
   
 A江ノ島・・・新田義貞の攻撃の拠点。
 ★新田義貞が渡った場所
画像

 B遊行寺(神奈川県藤沢市)
画像

 ★でも、遊行寺で、「新田義貞が寄った資料はない。」
  と言っていた。
  俺を嘗めているのか、金儲け主義の寺になったかは解らない。
  私は、第一次鎌倉攻めで、大館が死んだので、第2次攻撃の
  打ち合わせ場所はここしかないと思う。
        
(伊勢神社)・・・★行ってないのである。通り過ぎただけである。  
 (伊賀上野:松尾芭蕉生家)・・・★行ってないかも?
画像
      
(奈良:東大寺)
画像
         
(高野山:金剛峯寺)
画像


安永4年(1775)
3) 「乙末春旅」・・・人情・風俗を記録。
        隠士・隠徳の士を訪問 2月10日〜4月9日 
  ●京都出発→近江→(若狭道)・中江藤樹の生地
   (近江国高島郡小川村=滋賀県高島市安曇川町上小川69)
  ●若狭:金ヶ崎城・・・(北陸道)・・
   越前:福井「新田義貞戦没地」・
   ・福井丸岡:称念寺「新田義貞墓」弔。

  (若狭:金ヶ崎城:新田の戦い)      
   福井:新田義貞戦没地              
   福井丸岡:称念寺
  ●越前:福井・・・(北陸道)・・●石川・・・●越中・・・
  ●越後:春日山城・・・(北国街道)・・・
  ●信濃:善光寺・・・海野宿・・・中山道碓氷峠・・・
  ●上野:横川の関所・富岡:一ノ宮を参詣・細谷に4月9日

4)「忍山湯旅」・・・湯治  7月29日〜8月13日
  7月29日 叔父萬郷君・七郎と3人で、
       桐生梅田の忍山温泉へ湯治。
       4日後、従兄弟蓮沼政徳と合流
  8月10日  ▲鳴神山(日記では、雷神岳と表記)登山

安永5年(1776)
5)「古河のわたり」 
3月 熊沢蕃山の墓参り・・下総古河鮭延寺(猿島郡総和町)
 「熊沢蕃山」(儒学者・讃岐高松藩士・昌平黌員長・一ツ橋家儒員)墓詣。
 
6)「江戸旅行日記」 3月15日〜4月11日  
     10代将軍:家治の日光社参を記録。
  古河熊沢蕃山の墓に詣で→日光街道(奥州街道)
  ・日光・・・日光御成街道・・・・江戸へ
  3月21日 江戸で、芝新橋の脇坂淡路守邸の股野才助玉川
    (ぎょくせん:儒学者)を訪問し、「留められて学談」。
  4月5日「菅野氏(綸斎)に至る、
       加納遠江守殿内小泉十兵衛と云ふ人に逢ふ」。
  4月  「播州□□國枝順太夫、石原眞吾、股野嘉膳方へ
       翰を認め明日渡す」。
  4月11日 江戸・・(中山道)・・台村・・細矢

 7)「斎中記」  7月5日〜7月11日
  郷里の川(みたらひ川)で沐浴斎戒→大山阿夫利神社参詣
  ※父:高山正教は明和6年(1769)大山参拝の途中謀殺? 
   父の日記。
 

8)「小田原行」 9月16日〜9月22日
   江戸→小田原の「柳井左京」の墓詣で・
   ・書いてないけれど、」新田義貞の首→江戸
  (小田原城)                              
  (鎌倉の名月院)

安永6年(1777)
9)「丁酉春旅」 3月27日〜5月4日 
 ※祖叔父:石井政重(=相馬)・祖父弟蓮沼貞政弟)を追い甲州身延山へ行く旅。
  細谷―江戸―(甲州街道)・・・身延山―駿河:駿府―江戸―細谷
 3月27日   細谷・・・江戸・・・
 4月初旬    身延山久遠寺

  (身延山の山門9                         
(久遠寺本殿)
  4月8日  鎌倉
  4月17/18 鎌倉:長谷寺などの散策
  4月19日   吉原
  4月20日  駿府

  (吉原)                             
  (駿河城)
  4月24日   金沢(=神奈川県金沢文庫)?
  5月4日    細谷

10)「丁酉春旅補遺1」 鎌倉      江尻→興津→蒲原
  4月8日  4月17日・18日・・・鎌倉:長谷寺
  (鶴岡八幡宮)                           
(板東一番:杉本寺)
  ?月?日 江尻→興津→蒲原

11)「丁酉春旅補遺2」 4月10日〜24日 
※東海道:吉原宿〜三島宿までの日記
  4月19日〜  吉原宿
  4月23日    鎌倉
  4月24日    三島 


12)「武江旅行記」 9月27日〜10月24日 
  (※9/29・10/2・4・5・6・8〜15・19・22・23日を欠如)
  細谷・・武州台村(埼玉県妻沼町)の祠堂:
   彦九郎の祖父:高山伝左衛門貞正の神霊に参詣→江戸へ
  9月27日 @細井平洲(昌平坂学問所塾頭)と会談。
       「忠烈つな女」について会談。
        A会輔堂:菅野綸斎・柴野栗山と会談。

13)「赤城従行残□」 10月26日〜29日  
    細谷の自宅で  
    ※赤城山の登山準備と自宅での生活の日記

14)「赤城従行」    10月30日〜11月3日  
   ※赤城登山記録
  11月1日 叔父:剣持長蔵正業と赤城神社へ参詣・赤城登山へ

   (赤城:黒檜山の途中からの眺望)            
   (赤城:地蔵岳からの眺望)
安永7年(1778 )●高山彦九郎の長女:「せい」が生まれる。
15)「戊申季賽記事」  3月18日〜6月14日
   江戸→細谷→下野:大岩山・行道山・蓬莱山
→武州台村沖野:剣持氏の墓・・・
   ・太田:金山・・・尾島・・長手浅間神社・・
・太田:八幡神社など細谷周辺を訪問・・・細谷。
安永8年(1779) 4月、江戸に滞在。
16)「小股行」 7月7日の一日だけの日記  
叔父:板橋政八と同行。
   ※細谷・・下野国足利郡小股(小俣)鶏足寺に参詣。
    →石尊山:石尊神社登山。→細谷。

安永9年(1780) ●高山彦九郎の次女:「さと」が生まれる。
17)「富士山紀行」 6月10日〜7月22日  
  ※細谷→八王子→富士吉田→富士登山→平塚→江ノ島→江戸→細谷
 6月10日 細谷を出発・・・(甲州街道)・・八王子・・(富士道)
 ・・・甲州。富士山に一人で富士登山(父の命令)。
  (富士山の空撮)                          
  (登山証明書)
 6月22日 富士山登山の帰途、神奈川宿で梁又七(=次正)に
     出会う。彦九郎の腹痛を看病、以後、盟友。
      →簗次正は前野良沢を紹介。
     江戸・・・細井平洲に再会。

18)「江戸旅中日記」11月12日〜25日 
   ※祖叔父:石井相馬の100日法会のため。 
    ※細谷→江戸→細谷
    菅野宅宿泊・・・細井平洲の「鹿鳴館」に出入り。
    長久保赤水と交遊。

天明元年(1781)
 19)「江戸旅中日記」 4月27日〜閏5月14日
   細谷・・江戸。多くの儒学者と交友。(細井・菅野など多数)

天明2年(1782)
20)「天明江戸日記」2月30日〜3月27日(3/4・3/6〜11欠) 
※細谷→江戸→細谷
  ※祖父を神祭する祠堂の模型を探し求め散策

21)「沢入□□記」    4月6日〜9日
   ※細谷→勢多郡:沢入→寝釈迦などの石仏を見物・・細谷
  (例幣使街道)                           
  (袈裟丸山)
22)「子安神社道」   6月15日〜16日
   ※細谷―勢多郡荒砥村:産泰神社(現前橋市)
      ―三夜沢赤城神社―伊勢崎―細谷 
  (赤城三夜沢神社)                        
  (伊勢崎陣屋)
  ●長男」義助」が生まれる。 

23)「武州旗羅廻」  7月22日
    ※細谷―台村(父菩提寺)―熊谷西別府:原井鐘堂
     ―深谷:虎薬師堂―細谷

24)「上京旅中日記」 10月16日〜11月16日
   ※細谷・・一人で(中山道)・・武州:台村(父菩提寺)・・京上。
   途中、博徒「弥惣次」と出会い、看護。木曽谷の景勝・史跡を訪問。
  (妻籠宿)                              
  (馬籠宿)

25)「天明京都日記」 天明2年11月18日〜天明3年4月3日  
   ※約5ヶ月間京に滞在。公家・盟友と交流。
   ・記事は皇居への伺候・学校建設運動
   ・祖父への神号下付請願・公卿及び盟友との交遊
   ※京都→大阪→播磨:龍野→高砂→大阪→京都・・・・。

天明3年(1783)  ●京滞在  →正月禁裏で節会を拝観。

26)「天明京日記」   4月3日後半〜7日 
  ※謹慎して帰京の途までの諸祭具準備や知友との送別などを記録
  ●天明京都日記→祖父の神号を吉田神道家から拝領。

27)「天明下向日記」 4月7日〜5月3日  ※京都から
  ※京都・・祖父の神号を奉じて・・(中山道)・・
  →武州台村:親族全員集合までの記録

28)「高山正之道中日記」  9月3日〜15日  
  ※祖父の神号を屋敷に祀るための許状認可のためも旅
  江戸→・・村井古巌(呉服書籍商・国学者)・・(東海道)・
  ・尾張:熱田神宮・尾張:明倫堂:「細井平洲」を訪問・・・・
  ・・伊勢神宮・・・祖父の神号を屋敷に祀るための許状認可
  のため、京都へ〜〜〜〜。
   10月22日 再び入京。

29)「再京日記」 10月22日〜11月21日  
   ※京都→大阪→奈良→京都
   祖母:「りん」の寿号を吉田家より宣下。 
   多くの公家・諸氏と交流。

天明4年(1784) ●天明の大飢饉=諸国飢饉、農民流亡のため農村荒廃。
天明5年(1785)
30)「小俣新社参詣記」 7月2日・3日
  ※細谷→太田→太田:大山阿夫利神社(=石尊神社)→細谷

31)「北上旅中日記」・・・7月13日〜7月18日  
  ※細谷―大間々―利根郡原村(=老神)―大間々―細谷
   細谷→大間々→利根郡大原村(現沼田市大原:
金子重右衛門照泰(沼田藩土岐家の御絵図師)を訪問。
  ・天明の大飢饉絵図に感動。途中、天明3年の飢饉の惨状を記録。
  (沼田城)                             
(群馬:鎌原)
●三女の「りよ」生まれる。
※林子平「三国通覧図説」刊行。※前野良拓「和蘭訳筌」。  
奥羽飢饉。

天明6年(1786) ●祖母「りん」が死去。(88才) 
・・・3年間にわたる服喪開始。

天明7年(1787)
32)「墓前日記」 6月1日〜6月29日   
※祖母「りん」の服喪11ヶ月目を記録。
   高山彦九郎は墓前に草屋を建て、
   自分の態度や子妾・親族の墓参の状況・世人の往訪を記録。
  ※5月 江戸・大阪などで打ちこわし→松平定信が寛政の改革を開始。
    ・・・きびしい倹約令。
  ※12月  本居宣長「玉くしげ」。

天明8年(1788) ●祖母「りん」の服喪。
  ※3月 大槻玄沢「蘭学階梯」刊行。
  ※6月 田沼意次が没
寛政元年(1789) ●6月12日 喪屋で、服喪終了。
33) 「寛政旅日記@」 10月3日〜11月22日  
※兄:高山専蔵の訴えで、入牢生活・
   10月3日 江戸で入牢
   ???? 出獄・・・
   ・前野良沢(中津藩蘭学者・蘭方医)
   ・梁次正(中津藩士江戸詰・軍学者)と交遊。
   ・これ以降、細谷村へは帰ることなく、旅を続ける。

34)「寛政旅日記A」  11月30日〜12月30日 
    ※兄:高山専蔵との不和→財政的基礎喪失
          →高山彦九郎の生活苦の日記。
    ※前野良沢邸宿泊・・・毎日のように友・学者と交遊。
  8月 尊号宣下の「御内慮」幕府に伝えられる(尊号廷議一件)。

寛政2年(1790) 5月 寛政異学の禁
・・・幕府は聖堂において朱子学のほか異学を講究することを禁止。
35)「寛政江戸日記B」  5月1日〜6月7日
  江戸に滞在。・・房総・奥羽・蝦夷地の旅行の計画&
      江戸の木更津河岸から出発するまでの記事。
    ※大槻玄沢・・
    ※前野良沢・
    ※桂川甫周・
    ※佐藤源六・
    ※長久保赤水・・・
   海外事情の種々の情報を入手し、諸友に見送られて出船。

寛政3年(1791) 3月28日 緑毛亀を持参・・→仙洞御所を訪問
4月   林子平「海国兵談」刊行。
36)「北行紀行」 6月7日〜11月30日
  「江戸―木更津―水戸―米沢―宇鉄―仙台―日光―前橋―中山道―京」
 ●江戸滞在中に房総・奥羽・蝦夷地を単身訪ねる決心。
 ●房総:木更津から津軽三厩を目指し長い旅に出発。
 ●水戸  藤田幽谷・・・
      立原翠軒・・・
      木村 顕・・・

 【水戸光圀】                                 (水戸講道館)
 ●米沢  のぞき太雅(米沢藩町奉行・中老・奉行)会談。
・・・上杉鷹山から差し入れ。
 (米沢)                               
(米沢城)
 ●津軽・・・アイヌの反乱。※蝦夷地に渡ることを断念。
 ●南部領
 ●仙台  林子平と対談。天明の飢饉の惨状を記録。
 ●帰途・・細谷に寄らず、京都に急行・・
・光格天皇新皇の居還幸の儀式を見るため。
  ・この旅以降、細谷には戻らず、最後の長い旅に出発へ。

37)寛政江戸日記C  寛政2年12月1日〜寛政3年7月18日  
彦九郎最後の旅。
  ※京都・・伏見・・・京都
  ※京都・・鞍馬・・・京都
  ※京都・・比叡山・京都
  ※京都・・伏見・・・京都 
 ■光格天皇に、「高山彦九郎」の名が轟く。・・・会見。    
 5月22日 「八木春堂が詩を持ってきた。」
 5月26日  富小路貞直卿に面会
 6月11日  芝山家で逗留。
 6月13日  平松家・綾小路家へ
 7月2日   大村彦太郎と会見
 7月17日  西洞院信庸卿より・・
   ・緑気亀摺り物500枚を使って尊皇運動を推進依頼
 7月18日  →公家に会見。伏原宣篠(のぶえだ)・冷泉為泰
        ・岩倉具選(とののぶ)など大者6人
 7月19日京都発・・(山陽道)・・下関・・門司・・筑後久留米
  ・・筑前福岡・・・肥前長崎・・筑後・・・肥後熊本(推定)
  (※京都〜熊本間の約5ヶ月の日記は見つかっていない。)

寛政4年(1792)
37)「筑紫日記@」1月1日〜7月5日
(ただし、6月5日末から10日前半欠)
   ※熊本→人吉→高鍋→水俣→鹿児島→宮崎→高鍋
  1月1日 熊本 藪弧山(儒学者・熊本藩時習館教授)宅で元旦。
      ・高本紫めい(儒学者・熊本藩医・熊本藩校時習館教授)
      ・富田大鳳(熊本再春館師範・儒医)と交遊。
  2月6日 堅志田・・・釈迦院・・・岩下・・・
  2月9〜23日 熊本・・・
  2月24日 熊本出発・・・宇土・・ 松橋・・小川・・宮地
  【熊本城】
  2月28日    八代・・・3日間
 閏2月2日     坂本・・・ ~の瀬 小川 
  2月5/6日 人吉・・(米良街道)・湯前・・小川・・
        ・九州山脈を横断・・・日向深山の米良・・・
  【人吉城】                                   (五木村)
  2月12〜15日 日向:高鍋・・美々津・・坪谷・・名木・
           ・尾崎・・・大河内・・・
  2月21・22日  市房山登山・・再び九州横断・・(人吉街道)
  2月24・25日  人吉・・佐敷・・(薩摩街道を南下)・・水俣
  2月29日〜3月2日 野間の関・・・
  3月3日・4日    水俣  
  3月5〜10日   米ノ津
  3月11〜19日  出水 
  3月20日     阿久根・・高城・・向日・・市来・・伊集院・・   
  (薩摩焼代14世沈寿官先生・・・写真許可)
  3月25日〜5月2日  鹿児島・25代藩主:島津重豪
       ・藩士・朝鮮人子孫・琉球人と交友の日々50日余。 
  5月3日     谷山・・喜入・・・山川
  5月6日     開聞岳
  (開門岳)                             
  (知覧の○○直子ちゃん)
  5月7日・8日  坊ノ津・・・川辺・・
  5月10〜24日 鹿児島     
  5月25日    鹿児島出発・・加治木・・宮内・・国分・・台明寺
  5月30日〜6月2日 霧島山頂・・・財部・・
   (韓国岳)                               
   (韓国岳山頂)
  6月4日〜    都城(記録なし)
  6月10日    飫肥・・・鵜戸・・・折生迫・・・
  (飫肥)                   
  (宇土)                
  (宮崎)
  6月13〜22日  宮崎
  6月23〜25日  佐土原・・・都於郡・・・
  6月27日     法華岳・・・高岡
  6月29〜30日  宮崎(記録なし)・・・・・
  7月1日      佐土原
  7月2〜4日    高鍋(記録なし)

39)「筑紫日記A」7月12日〜8月26日 
  ※延岡→竹田→熊本→相良・・高鍋・・美々津・・富高・・延岡(推定)。
   延岡・・・(西へ)・・・・・・豊後:竹田。
   肥前・薩摩・大隅・日向という行程からすれば、
   豊後・豊前方面の遊歴に移るべきだが?
   3回目の九州山脈横断を敢行・・熊本に帰って滞留。
  (奇跡探勝? 彦九郎の課題?)
  (※八方岳登山の記録以後が欠如)
  4回目の九州山脈横断・・・豊後遊歴。
  7月12〜13日  延岡・・佐土原・・・
  7月15〜16日  高鍋・・小峯・・船尾・・
  7月16・17日  三田井(高千穂峡)・・高千穂の神蹟を探訪
  7月18日     下野・・五カ所・・名子園・・井手ノ上
           (祖母山登山口)・・~原・・・
  (高千穂峡)                             
  (100名山:祖母山山頂)
  7月23〜24日   豊前:竹田・・
   (大分県竹田市:岡城)                    
    (大分県:由布岳)
  7月25日〜   坂梨・・・大津・・・
  8月1日〜20日 熊本・・・
  8月21日    山鹿・・・相良・・・・
  8月26日〜10月半ば  豊後:日田  
     豊後(大分)日田の「広瀬淡窓」父の広瀬桃秋を訪問。
  10月19・20日  豊前:竹田・・・
  ?
  11月15日   佐伯・・臼杵・・???・・佐賀関・・
           ・?????・・・府内(大分市)・・・
  12月?日     小浦
  12月28日    中津・・???・・豊前中津に滞留80日?
 ※5月  江戸幕府、「海国兵談」を絶版。林子平が蟄居。

寛政5年(1793)  
1月   豊前中津に滞留80日?
 3月   ?????
 4月   豊後(大分)日田の「広瀬淡窓」父の広瀬桃秋を訪問。
    5回目の九州山脈横断を敢行・・・日田に再来  
九州総監:日田代官に不審を招き、逐電。
    ・これ以降、彦九郎は身の危急を感じたのか。
  (※肥後北部からこの日記までの8ヶ月の日記は不明。)

39)「筑紫日記B」 5月3日〜6月27日 
   「久留米―大宰府―志賀島―博多―久留米」 
        ※50日余の彦九郎最後の日記
 5月3〜6日  久留米に滞在・・新庄・・久留米・・原田・・。
 5月8〜21日  →大宰府
 5月22日   山口・・長尾・・飯塚・・小竹・・(直方)・
         ・木屋瀬・・・二村・・・
 5月29日〜6月3日  山鹿・・・
 6月4日      芦屋・・・鐘崎・・福間
 6月9日      志賀島・・・
 6月10・11日  筑前:博多・・・針燿?・・・
 6月13日     筑後:松崎
 6月14日     松崎で薩摩藩:赤崎開門(薩摩藩校造士館教授・昌平黌経学)に会談。
 6月15日     清水・・・新庄・・・松崎・・・
 6月19日     久留米:森嘉膳(儒学者・儒医)宅に逗留。
 6月27日     久留米:森嘉膳(儒学者・儒医)宅で自刃。
 6月28日     高山彦九郎、朝8時過ぎ没。

寛政6年(1794)
4月21日  叔父:剣持と長男儀介・
         ・久留米の遍照院で彦九郎の法要。
寛政7年(1795 )
寛政8年(1796)
11月18日 唐崎士愛(播磨国龍野藩士)が彦九郎の遺志を継ぎ
同志を糾合。→竹原庚申堂で切腹。
寛政8年(1797 )
享和2年(1812) 備前国島原の儒医:西道俊 
寺町遍照院の彦九郎墓前で割腹自殺。


◆太田市・高山彦九郎記念館
○所在地 〒373-0842 群馬県太田市細谷町1324−7
○電 話   0276−32−5632
○開館時間 午前9時30分〜午後5時
○休館日  月曜日(月曜が祝日の場合はその翌日)、年末年始
○観覧料  100円   4つの博物館セット券300円  
○交通案内 電車・・・東武伊勢崎線細谷駅下車徒歩10分



★参考資料・・高山彦九郎博物館で、戴いた資料。購入した資料
     博物館HP
     「高山彦九郎」正田喜久(みやま文庫) 

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心★★群馬の偉人:高山彦九郎A現代版「旅日記」 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる