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zoom RSS 箕輪初心●愛媛「宇和島城」=天守閣が残る100名城

<<   作成日時 : 2011/01/18 07:29   >>

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箕輪初心●「宇和島城」
ききしにまさる名城である。とにかく藤堂流の石垣が見事である。
天守閣に入れなかったのと博物館に行けなかったのが、
残念である。
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■訪問記・・・平成23年(2011)1月7日(金)
○内子の町並み→大洲城を見て、宇和島城に向かった。
○高速を降り、下道を走る。
A城590吉田御殿=吉田の陣屋・・・写真だけ撮った。 

B城591宇和島(百名城)・・
○桑折氏武家長屋門前駐車場・・・4時20分だった。
○桑折(こおり)氏武家長屋門(市指定)・・城山の北登山口。
  現在は間口15mだが、本来は35mのだったらしい。
  長屋門を撮る。
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  ★桑折西山城(福島県伊達市)に登城したことがあるが、
 宇和島の家老が「桑折」と聞いて、なるほどと思った。
  伊達政宗の親父さんの時代から家老なのかと思った。
スタッフの方が「5時までには降りて来て下さい。」と言った。
「天守閣は何時までですか?」と聞くと、
「4時半までです。」と答えた。天守閣に入れるか、微妙だった。
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○山登り開始。・・・★石段が古めかしく情緒がある。
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○井戸丸跡・・・宇和島城の井戸
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「この井戸は、現在の城山に残る三つの井戸のうち、最も重要視せられたものである。
ここを井戸丸といい、井戸丸御門、井戸丸矢倉などがあって、有事の時のため、
厳重に管理せられていたと推量せられる。井戸の直径2.4メートル、周囲8.5メートル、
深さ約11メートルである。ここは城山の北側の谷の中腹、三の丸からの登り道に当たり、
数少ない城山の遺構の一つである。」
    (宇和島市教育委員会説明板より)
○本丸北石垣下の大手三の門・・・左に本丸帯曲輪の書物櫓跡がある。
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 ★本丸からの鉄砲や弓での迎撃がしやすい縄張りである。
 ★「藤堂高虎の縄張りは実質20以上ある。江戸城も縄張りした。」と
  図解日本の城に書いてあった。藤堂高虎は凄いのだ。
○三の丸・・・
  三の丸の月見櫓は河後森城の天守を移築したものであった(云)
  と、後でわかった。 
○大手三の門から右折して本丸石垣下の坂を登った。
○大手二の門・・・
○二の丸・・・振り返って、下に三の門への石段に目をやった。
 ・上には本丸石垣越しに天守を見えた。 
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  ・御算用櫓跡がある。 
○石段・・・
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○一の門跡(櫛形門)
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○本丸・・・
 ・御大所(御台所)後・・・
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・鉄砲矢倉跡
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 ・弓櫓跡・・・写真ポイントだと思った。
   下の帯曲輪の書物櫓跡と三の門が完全に射程距離である。
   ★本丸に攻め込むのは大変だと思った。
・天守閣・・★石垣よりも壁が内側にあるので石落としはできるない。
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スタッフが戸を閉めていた。・・・★あ〜あ、だめか。
 なぜだか、諦めている自分があった。
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 ・天守閣の周りを一回り・・★ちょっと不思議である。
        最終防衛の拠点ではないのかもしれない。
と、同時に、「2分間だけでも、中に入れてくれ。」と言わなかった。
頼んでみればよかった後悔したが、後の祭りだった。
せっかく、群馬から無理して来ているのに。
  天守は3層3階。きっと、3階からの見晴らしは最高なのであろう。
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▼二の丸・二の門・三の門を下り、藤兵衛丸へ向かった。
○藤兵衛丸・・・「山里倉庫」。
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 ・明治の法学界を代表する穂積陳重・穂積八束兄弟の生家の長屋門が
  移築されてあった。
  ★大学生の時、読んだのを思い出したが、名前だけしか浮かばない。
    本は1冊もっている。
○雷門跡の石垣・・残っている。
○藤兵衛丸の周囲の石塁
藤兵衛丸の石垣にそって石段を下りていくと長門丸である。
○長門丸分岐・・・
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  左・・「代右衛門丸」へ行けるはずだが、危険・通行止めとある。
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○長門丸・・・・児童公園になっていて結構広い。
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  スタッフが「この道は緊急避難用に造られた道です。昔はありません。」
  と、教えてくれた。
○出口から右緩やかに回り込む車道を降りた。
 長門丸の石垣が見えた。写真を撮った。
 小便をこの森の中ですればよかったと後悔した。
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○桑折家長屋門・・・再び、説明書きを読んだ。
★只今、5時。次は「河後森城に行くぞ。関西は群馬より日没が遅い。」

■宇和島城の歴史
・天文15年(1546) 高串道免城主:家藤監物が板島丸串城に入城
 (板島丸串城の最初の記録だそうである。)
・天正3年(1575) 西園寺宣久の居城
・天正13年(1585) 伊予国が小早川隆景の所領となり、持田右京が城代。
・天正15年(1587) 宇和郡は戸田勝隆の所領となり、戸田与左衛門が城代。
・文禄4年(1595) 藤堂高虎が宇和郡7万石に移封。
・慶長元年(1596) 宇和島城築城開始・・・
        城堀・・・城の外郭は不等辺5角形
        石垣・・・藤堂の独自性。
        天守閣や大小の櫓。
・慶長6年(1601) 宇和島城の完成。
・慶長13年(1608) 藤堂高虎が今治に転封。→富田信高が入城。
・慶長18年(1613) 富田しが改易→約1年間幕府の直轄地。
        藤堂高虎が預かりで、藤堂良勝が城代。
・慶長19年(1614)仙台藩主伊達政宗の長子:秀宗が宇和郡10万石に移封。
・元和元年(1615) 宇和島城と改名。
・それ以後、代々伊達氏の居城。
・寛文4年(1664) 2代宗利が天守閣などの大修理開始。
・寛文11年(1674) 工事完成。
・現在・・・天守閣は国重要文化財、城跡は国史跡指定。百名城。

★参考文献・・現地説明書・日本の名城・日本の城・日本百名城など多数。

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【ネットができる宿|宇和島城を見に行こう(2)】ホテルクレメント宇和島
宇和島城を見に行くのに便利。 ...続きを見る
ぱふぅ家のサイバー小物
2011/01/20 21:41

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