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zoom RSS 箕輪初心■群馬:「富岡製糸&関係遺跡」

<<   作成日時 : 2010/10/05 19:27   >>

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◆富岡製糸場と絹産業遺跡群◆
★世界遺産暫定候補に載って久しくなる。なぜ、世界遺産にしようとしているのかは私にはよく分からない。@日本で最初の官営の製糸工場である。A群馬がかつて養蚕県だったから?・・・など、理由は考えられる。
でも、長野の岡谷と群馬の富岡が協力して世界遺産を狙う方が確実かもしれない。

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  ※富岡製糸の東繭倉庫の写真より
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  ※富岡製糸作成のパンフレットより
1)旧官営富岡製糸場(富岡)@2006年9月?日  A2010年6月19日
※入場料・・・大人500円。ボランティアガイドが説明。所要時間1時間30分。
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 @ 「東繭倉庫・・・基礎石の上に日本人の焼いた木骨レンガ+漆喰。
         2階に貯蔵30万トン×2。1年中作業。」
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 A「操糸場・・・現在は、中島飛行機からプリンス→日産の工場の機械が入っている。
    岡田英の写真や3分間の碓氷社(群馬県:安中市のビデオあり。)
    ※蒸気機械5馬力は愛知県明治村にある。
       ※織機は長野県岡谷博物館にある。
       →・・・2010/6月現在、変換交渉が成立していない。
★2010/09/04の岡谷情報「フランス式織機は岡谷博物館を600万円複製予定。」と聞いた。
    煮沸は蒸気機械の余熱を利用。屋根は高温を逃がす工夫
    明かりの関係で、8時間労働。
       ・・・300人の女性を集めるのは大変だった。
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B「ブリューナ館」・・・給料は岩倉具視より上で、メイド2人付き。地下はワイン倉庫。」
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C「片倉医療所・・・病院施設。優遇。」
D「フランス女性の4人部屋アパート・・・格子のデザインが見事」
●富岡製糸の歴史
 ・明治5年(1872) 官営の製糸工場
 ・明治26年(1893) 三井家への払い下げ
 ・明治35年(1902) 原合名会社(横浜の豪商原富太郎が三井から譲渡)

 ・昭和14年(1939)片倉製糸紡績(現片倉工業)
 ・昭和62年(1987) 操業停止

 ※富岡になった理由は、
    @原料生産地。・・・江戸中期より、上州は養蚕が盛んであった。
 A製糸にに必要な大量の水の確保・・・鏑川
 B燃料用の石炭・・・高崎に亜炭層。確保が容易。
  明治政府は、横浜商館の生糸検査技師のフランス人「ポール・ブリューナ」を雇用
製糸工場の建設・機械類の購入・外国人技術者の雇用を一任。
製糸工場の建設・設計はフランス人「エドモンド・A・バスチャン」による
         「木骨レンガ造」・建物が木工3重?
工場の働き手・・工女は、400人。良家の子女もいた。8時間労働。
旧松代藩の横田英「富岡日記」・・能力給。一等工女になった喜びも書かれている。

2)高山社(藤岡)発祥の地・・・・2011年3月12日
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3)旧甘楽社小幡組倉庫・・・・4回
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4)荒船風穴
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5)旧上野鉄道関連施設  碓氷峠鉄道施設・眼鏡橋(松井田)・・1989年〜2007年9月18日
「碓氷鉄道文化村からSL(10月・11月)に乗って行くと、丸山発電所に行ける。
そこから先は線路伝いをハイキングすると、眼鏡橋に行ける。
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6)赤岩地区養蚕農家群(吾妻の六合村)・・・2007年9月17日
*関家(養蚕農家)の写真  ※高野長英の隠れ家:湯本家・赤岩の町並み・水車
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7)富沢家住宅(中之条)・・・・・1988年ころ
※養蚕を営む農家の全国の40%が群馬県(2009年)
 ※赤城型農家     ※榛名型農家

8)栃窪風穴

9)薄根(沼田)の大桑「これでいいのだろうか?外にも価値があるものが?
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★箕輪初心私見「個人的に大事だと思う遺産」
@碓氷社(群馬県安中市原市・カインズホームの駐車場隅) 江戸時代からの座繰り(ざぐり)で高品質の生糸を生産。
  地域密着型の組合製糸である。
  碓氷社(安中)は萩原遼太郎創設者。明治末輸出日本1
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A新町屑糸工場(暫定世界遺産)・・・最初は世界遺産に入らず。
明治6年(1873)   ウィーン万博に行った佐々木長淳が政府に箴言。
            同じく、大工の山添喜三郎が技術を習得。 
明治10年(1877) 官営工場・・
      明治政府は、屑糸を絹糸として加工する技術を新設すべきと判断。
   基本構想から完成まで、日本人によるものである。
明治20年(1887) 三井家への払い下げ    →鐘淵紡績
現在      クラシエフーズ    建物が現存。

B旧安田銀行担保倉庫(前橋市)・・・・近藤義義雄先生が推薦。

C水沼製糸所(現桐生市黒保根村) ・・・・日本初の民営工場
・明治7年(1874) 日本で最初の民営の器械製糸場が星野長太郎によって設立。
          速水堅曹から技術指導。
・明治8年(1875) 横浜からイギリスのロンドンとフランスのリヨンに
           300斥を輸出。
・明治9年(1876) 星野の弟:新井領一郎が渡米。直輸出の使命で、63年間。
         ニューヨークで大成功。    
  ・明治12年(1879) パリ万博で金賞を受賞。

D前橋製糸(住吉町一丁目・国道17号沿い・・・記念碑がある。)  ・明治4年(1871) 日本で最初の藩営の器械製糸場。
       旧前橋藩士速水堅曹、深沢雄象らによって設立。

E交水社・・前橋市内最大の製糸工場。
       士族授産の資金として高須泉平らによって設立。

■上毛カルタと養蚕
1)「繭と生糸は日本一」
  ・ 明治以降、繭の生産量は全国2位(長野県1位)で、
  ・昭和29年以降は全国1位の生産量である。
 生糸の生産量も全国1位である。
  全国の繭生産量の45%、生糸生産量の50%が群馬県産である(平成18年)。

2)「県都前橋生糸の町」
  ・安政6年(1857) 横浜港が開港されると、輸出の商品として生糸をもって一番乗り          
したのが、前橋の生糸商人でた。
前橋藩は、藩をあげて蚕糸に力を注ぎ、我が国初の製糸の機械化に取り組んだ。
旧前橋藩士速水堅曹、深沢雄象らによって設立され、下村善太郎(後に初代前橋市長)  
から仲介役として吾妻郡嬬恋村出身の中居屋重兵衛が外国商人と取引をした。

3)「桐生は日本の機どころ」
  ・慶長5年(1600)関ヶ原の役 小山の徳川軍に旗絹を献上したことがきっかけ(伝)
で、桐生の織物が有名になった
・元文期(1736〜) 江戸在住の京西陣の大工により西陣織の技法が伝えられ、
江戸からの注文が飛躍的に増加した。
→桐生の絹織物は「西の西陣、東の桐生」といわれるようになった。
※桐生新町では年に一回市が開かれ、繭や生糸と織物との取引された。
勢多郡・大間々の養蚕地帯を持っていたことも織物産業が栄える大要因であった。

3)「 銘仙織り出す伊勢崎市」
   ※元々絣を始めたのは、インド→タイ→インドネシア→日本の琉球と伝来。
  木綿は伊予、久留米、備後。 
    絹は琉球、結城、大島。麻は越後、小千谷、能登。
    養蚕の盛んな伊勢崎は絹の絣が織られた。
     特に、伊勢崎では伊勢崎絣(かすり)と呼ばれ、有名になった。
    伊勢崎絣は経糸が多く緻密なので、「目専」「目千」とも言われ、
     「銘仙」の語源になった?
そして、余った生糸やくず糸を使った普段着用の着物を織るようになった。
  銘仙には、絣の技法が用いられた。
 ・文政の頃(1818〜) 伊勢崎銘仙が始まる。
    銘仙は絹織の太い練り糸で織られた織物=太織(ふとり)である。
太織は江戸での人気商品となり、商品として需要が急速に高まった。
  伊勢崎、秩父、足利、結城、八王子等でも絣の着物は盛んに生産された。
  ・明治   「素朴な模様」から「絣模様」へと発展。
  ・昭和30年頃まで  伊勢崎銘仙が業界をリード。
  ・現在   斬新な伊勢崎絣へと変化・発展中。

4)「日本で最初の富岡製糸」 

5)「関東と信越つなぐ高崎市」
 ※幕末から明治中頃まで群馬県方面からの輸送は、利根川水運が使われていた。
生糸や絹は中山道沿いの利根川の支流烏川が倉賀野河岸から川船に載せられ、
江戸(東京)や横浜港に運ばれた。
・明治5年(1872)   我が国最初の鉄道として、「新橋〜横浜間」が開通。  
       (群馬出身の生糸商人茂木惣兵衛などが活躍。)
・明治17年(1884)  最初の私鉄「上野〜高崎間」(現在の高崎線)が開通。
   (日本鉄道:高崎線は、生糸輸送を目的とする路線であった。
 前橋まで開通した鉄道は長さ108km、工費約350万円。(百数十億円)
・明治20年頃〜 現在の両毛線、上信電鉄、八高線、信越線と全国に先駆けて整備
  内陸にも鉄道が敷設され、生糸の輸送体系が変化してきた。
→新シルクロードとして繭と生糸・絹織物を運び続け、群馬県の近代化を支えた。
・明治41年(1908)  絹の道「高崎〜横浜」に平行する横浜鉄道の開通は
    生糸輸送網の変化には対応できなかった。

7)「縁起だるまの少林山」  
    高崎市にある黄檗宗少林山は、1月6日の星祭りには、張り子の「だるま」
     を売る店・参詣人でにぎわう。
 正月のダルマ市は前橋市や藤岡市など県内各地で開かれる。
    群馬県は、だるまは全国の90%を生産している。
 養蚕農家は養蚕倍増や豊蚕祈願などと書いてある目を入れてない目無しダルマを    
      買って神棚などに奉った。願いが叶ったとき、年の暮れに右目を入れて奉納した。
    今では、一月の道祖神祭りで燃やすようになった。
 ダルマは起き上がりこぼしである。蚕の齢眠の「起き」と上蔟の「上がる」
    にちなんで豊蚕を願ったものと言われている。

8)「歴史に名高い新田義貞」
   ・和銅7年(714年)上州から「あしぎぬ(上絹ではなく太絹のこと。)上納」
   (続日本紀)
   ・群馬県における養蚕の起源は、奈良時代であろうと言われている。
 鎌倉時代      絹は上州の特産品  
       多野郡吉井町周辺の帰化人の伝えた日野絹
       桐生大間々地方を産地とする仁田山絹。
元弘3年(1333)  新田義貞が新田郡生品神社で旗揚げしたときの軍旗に
         仁田山絹を使用(伝)。
慶長5年(1600)  徳川家康もが関ヶ原の戦で、仁田山絹の軍旗を押し立てた(伝)。
 ★箕輪初心私見「栃木の小山評定のころ、注文か?徳川は新田の子孫の関係からか?」

9)「老農:船津伝次平」
  ・天保4年(1833) (現前橋市)富士見村原野郷の農家・寺子屋の生。
  ・青年時代から農事に励む。
 ・赤城山に松3万本植林。
・安政5年(1858) 富士見村の名主。
・明治6年(1873) 「太陽暦耕作宇一覧」の発刊
     (前年に太陰暦から太陽暦に変換)
・明治10年(1877) 東京駒場農学校(現東京大学農学部)教師
 ・明治18年(1885) 内務省ご用掛・勧農事務取扱
   ・農商務省農事試験場技師として沖縄県以外の全国行脚。
    改良指導・農業講演会・・・木魚でチョボクレ節で講義。
   ・農業研究・・・・静岡県の石垣イチゴなどの発案者。
  「桑苗簾伏方法 船津伝次平口授刊 熊谷県蔵 」
  ※船津伝次平翁は養蚕に関わる札といえる。
  飢えと貧困に苦しむ農民のために努力  
 ・明治31年(1905) 郷里の富士見村で死亡。   

★箕輪初心私見「個人的にお勧め養蚕関係のスポット」
@高崎市旧群馬町の「日本絹の里博物館」
○「塚越家の民具展示場」・・・高崎市旧群馬町保渡田の個人所有。      
  ・おそらく、日本1の養蚕器具の残る私設博物館ではないだろうか?
A高崎染料博物館
C臨江閣本館・茶室(県重文)(前橋大手町3丁目15)
  ・明治17年に生糸商らが資金を出して前橋の迎賓館として本館と茶室が建設。
   県・市の迎賓館として
・明治43年に共進会の貴賓館として 、別館が建設。
D前橋市立図書館
    ・・・蚕糸関連の資料が4,500点も所蔵
E蚕糸記念館(前橋市敷島)
F大間々町歴史民俗館(コノドント館)  
  ・安政6年(1857)横浜などで外国との貿易を開始。
日本からの輸出品の大部分を生糸が占めていた。
 大間々からは藤屋藤三郎・不入屋伊兵衛・吉村屋幸兵衛の3人の生糸商人が進出。
   吉村屋は明治9年には日本からの生糸輸出量の15%を扱うまで成長。(HPから)

■長野県の製糸工場の関連施設等
1)岡谷市・・・明治初年の最盛期輸出の2割を生産
@中央印刷株式会社・片倉組の本社の家屋。明治43年の建築。国の登録文家財。
A旧林家住宅・・・・・・・・・絹で財をなした林国蔵。
2)諏訪市・・・片倉館(諏訪市)・片倉2代目の発案・出資、昭和3年、森山松之助設計。
  千人風呂の温泉施設。
        ※「女工哀史」・「ああ野麦峠」など、イメージは暗いが、ここは明るい。
3)上田市
@信州大学繊維学部
 C上田蚕種株式会社


■埼玉県の製糸工場の関連施設等
1)片倉シルク館(埼玉県熊谷市)


■東京都の製糸工場の関連施設等
1)絹の道資料館(八王子市鑓水989-2 電話0426(76)4064   
      平成2年3月開館
※鑓水商人屋敷風の建物
     幕末から明治にか鑓水商人の栄枯盛衰が展示。


■神奈川県の横浜生糸商人の繁栄と没落
 ・安政6年(1859) 横浜港開港・・・3ヶ月の突貫工事。
外国人居留地(中華街方面)・居留地商店街(関内=掘り割りで攘夷派対策)
  ・日本人居住地(桜木町)
・明治初期  一攫千金の生糸商人の町に変貌。



■上州の生糸業者
●中居屋重兵衞
   (嬬恋村三原から万座温泉方面に100m登った場所。蕎麦屋)
・文政3年(1820) 黒岩撰之助(くろいわ せんのすけ)が生まれた。
 ・天保11年(1840) 和泉屋善兵衛の元で火薬の研究。川本・シーボルトに師事。
・安政2年(1855) 火薬の専門書「砲薬新書」を出版。

・安政6年(1859) 横浜港開港・外国商人との高品質の上州生糸の貿易を半ば独占。
       莫大な利益を上げ、横浜本町四丁目に銅御殿を建設。
       銅御殿は間口30間(55m)も住宅兼店舗。
幕末期に、横浜の黎明期の生糸貿易取引量は全輸出生糸の過半独占。
 全国各地の商人が生糸を持ち込み、外国商人が生糸買付けに訪れた(伝)。
・文久2年(1862) 横浜発展の礎を築いた人物であり、5年で消息不明?
  水戸藩と仲良しだったせいか、井伊直弼謀殺説もあるが、真相は不明。
・文久2年(1862) 「横浜開港見聞誌」・中居屋の店の様子について掲載。
 金網を張った中庭に小鳥を放ち、座敷の廻りにはガラス張りの大きな水槽を
    置き、金魚を泳がせていた。
※ 中居屋重兵衛住居跡・・・横浜みなとみらい線「日本大通り駅」下車、
               徒歩約10分本町2丁目。記念碑。
●下村善太郎(初代前橋市長)
  ・・前橋の生糸商。質の良くないのし糸取引で蓄財。
横浜開港後は中居屋重兵衛たちの手を通して生糸を売り、莫大な利益を上げた。
※下村善太郎の墓(市史跡)   前橋市紅雲町二丁目8-15 龍海院
市役所前に大きな銅像あり。

●茂木惣兵衛=大黒屋(高崎市出身)。
  ・文政10(1827)年初代茂木惣兵衛は上州高崎に生まれ。
・安政6年(1859) 横浜開港  横浜の野沢屋で働く。
・文久元年(1861) 店主野沢庄三郎の逝去→野沢屋の暖簾を継承。
・安政6年(1859) 横浜港開港  初代茂木惣兵衛は生糸売込商に転身。
           地縁・血縁で上州糸を集めて財を蓄積。
       初代茂木惣兵衛は横浜関内の弁天通り4丁目に店を建設。
          有力生糸商人として成長。
 横浜商人の代表に。「西の伊藤忠兵衛、東の茂木惣兵衛」と称された。
 ハマの経済界で幅広く活躍・・茂木銀行(後の七十四銀行)も設立。
 ハマ政界でも活躍。横浜の鉄道や港湾施設などインフラ整備に大きな成果。    
    ハマ慈善事業でも活躍。・・
  ・明治27年8月28日「時事新報」・逝去の際も、彼の遺志により
  簡略な葬儀を行い、横浜近辺の貧民5,000人に対し施米50銭が配布。
 茂木惣兵衛は2代目、3代目と継承。
     積極的に経営の多角化を推進。総合商社化した合名会社。
・大正9年(1920)経済恐慌。→会社閉鎖 →デパート「野沢屋」として継承。    
  ・現在  野沢屋の建物は「横浜松坂屋」(現在横浜市認定歴史的建造物)。
                   
●吉田幸兵衛(群馬県桐生市大間々町出身)  
  ・天保7年(1836) 大間々町に生まれ。
・安政元年(1854)から地域の糸繭商。
・横浜開港(1859) 生糸が高値で売れる横浜へ出荷。
・万延元年(1860) 福島県方面まで生糸集荷。
              →外国商館に大量に売り込み。(売込商)7
・文久2年(1862) 生糸売込商「吉村屋幸兵衛店」を横浜弁天通4丁目に開店。
        川越藩の生糸専売権利を獲得。
        前橋藩の生糸専売権利を獲得。
           郷里上州の生糸商人たちが吉村屋に生糸を出荷。                 
     →吉村屋は横浜有数の売込商に成長。
 ・明治9年(1876)  日本からの生糸輸出量の15%を扱う大商人に成長。
・明治12年(1879) 渋沢商会の乗っ取り?→生糸集荷流通経路断絶?
            →吉村屋を突然閉店。
        ※墓は横浜の総持寺。
  
●中里忠兵衛(児玉郡出身) 群馬県の鬼石で呉服商→開港後に横浜に進出。
●左右田(そうだ)金作・・・開港後に横浜に進出。銀行設立。
              →鬼石の「不動堂」に梵鐘を寄付。

2)武州の生糸業者
●原善三郎(現埼玉県神川町渡瀬)出身。
 ※横浜本町3丁目に「亀屋」を開店。屈指の豪商に発展。
ハマ政界でも活躍。・・横浜の鉄道や港湾施設などインフラ整備に大きな成果。
          (横浜初代市長→貴族院議員へ。
●原富太郎(善三郎の孫と結婚)・・海外進出。富岡製糸工場譲渡。→三渓園。

3)信州の生糸商人
 林国蔵
小野光景(みつかげ・長野県辰野町出身)
  教育に貢献・・・横浜市立横浜商業高校(通称Y校)の創建者?
4)甲州の生糸商人
●若尾幾造
  横浜銀行のルーツ第二国立銀行と第七十四国立銀行で、生糸貿易のために設立。
@第二国立銀行は原善三郎、茂木惣兵衛、吉田幸兵衛らが設立。
A第七十四銀行は、薮塚出身の伏島近蔵が初代頭取。
第七十四銀行が破綻(はたん)後、赤堀出身の斎藤虎五郎が再建。

●2010/10/01・・・世界遺産候補からはずされた地区
 @群馬県:中之条・・・栃窪風穴
 A群馬県:沼田・・・・・薄根の7大桑 
 B群馬県:?   

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