テーマ:群馬の城

箕輪初心:生方▲『長尾景虎(上杉謙信)&近衛前嗣&彦部信勝』

彦部晴直は上杉謙信を将軍::足利義輝に謁見する取次をした。彦部信勝 は近衛前嗣の護衛として長尾景虎(上杉謙信)が山内上杉氏の後継者 になるのを見届けた。彦部信勝は上杉憲寛の子:榎下上杉憲当の名跡 を継いだという。 箕輪初心:生方▲群馬『彦部家の歴史:飛鳥時代~戦国時代』 http://53922401.at.w…
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箕輪初心:生方▲城№873「彦部家住宅」国重要文化財

平成28年(2016)11月23日 箕輪城郭馬出完成式典を見てから、栁 澤先生と彦部家での山本隆志先生などの「講演会」に出かけた。 彦部家は桐生市広沢町の手臼山の麓にある。室町時代に彦部氏は 足利将軍家に仕えた。戦国時代に桐生市広沢に下向し、金山城主: 由良成繁に仕えた。永禄4年(1561)、広沢の地に屋敷を構えた(伝)。 由…
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箕輪初心:生方▲清水豊先生・新編高崎市史を加味した『和田城年表改訂版2016』②和田信業

天正3年(1573)長篠の戦いで和田業繁が戦死すると、和田業繁の 養子になっていた跡部勝資の長男:和田信業が跡を継いだ。天正 18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻撃は始まると、和田信業は小田 原城に籠城した。北条氏が滅亡すると、北条氏直に従って、高野 山に行った。和田業勝は会津の保科氏に仕えたという。和田内匠 は井伊直政の家老…
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箕輪初心:生方▲清水豊先生・新編高崎市史を加味した『和田城年表改訂版2016』①和田業繁まで

上州和田氏は桓武平氏三浦氏系和田氏とされている。平安時代、 和田城があった地は「赤坂庄」と呼ばれていた。鎌倉時代、『和 田記』では、1230年頃、和田義国が和田(現高崎市箕郷町和田 山)から赤坂村(現高崎市赤坂町)に移住すると、この地を和 田と改めたと書かれている。 和田氏は義国→正信→正高→信高 →高重→重信→義信と続く。和…
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箕輪初心:生方▲群馬:安中【茶臼山城】&ちょっと飽間→秋間の歴史

富岡武蔵氏の案内で余湖さん・野口さん・たかしさん・櫻井さん と一緒に登った。安中秋間【茶臼山城】は安中市西上秋間の茶臼 山山頂にある。何でこんな所に城を造ったの?という訳の分から ない城である。戦国時代初期には秋間は飽間(あきま)氏の本拠 地であった。山崎一氏は「群馬県古城塁祉の研究」で、飽間氏の 本城は東上秋間にある内出城(…
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箕輪初心:生方▲2016前橋の城一覧復刻版66分の22(含富士見・大胡・宮城・粕川)

★山崎一氏の「群馬古城塁祉の研究」には、旧前橋地区に 38の城郭があったが、実際は40城のようだ。旧大胡町 の城9城、旧粕川村の城5城、旧富士見村の城9城、旧宮 城村の城3城=合計66城のようだ。しかし、私は22城 しか行っていないが、・・・・。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ …
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箕輪初心:生方▲前橋:富士見【岡城支城:漆窪(うるくぼ)城】

前橋富士見支所で「富士見村誌」の城をコピーした。城の縄張り 図は山崎一先生の「群馬県の古城累祉の研究」をベースにしてあ った。山崎一氏・富士見村誌を全て信じる気にはならない。群馬 県史などから【漆窪城】は大胡氏配下→由良氏配下→厩橋長野氏 配下→(大胡長野氏)→上杉謙信配下→長尾憲景の支配→真田昌 幸の支配→北条氏邦支配に影響…
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箕輪初心▲前橋:富士見支所→【田島城】→珊瑚寺&赤城山の思い出

前橋富士見・・旧富士見村と言えば、赤城山&赤城神社、赤城大沼 &赤城小沼&覚満淵、・・人物では船津伝次平、猪谷千春かな? ・・・でも、今回の目的は「長野業正養子:里見義樹=石井信房 の岡城の調査で旧富士見村に行った。富士見支所で「富士見村誌」 の城をコピーしていただいた。結果は山崎一先生の「群馬県の古城 累祉の研究」をベースに…
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箕輪初心:生方▲前橋:荻窪3城①元屋敷、②西荻窪城、③荻窪城、

父が群馬県立心臓血管センター(前橋市亀泉町甲3-12)に 2回、入院した。ついでに、前橋市荻窪町の城巡りをした。 3城あった。元屋敷・西荻窪城・荻窪城である。荻窪城は当 時の土塁や竪堀の跡がみられ、城の復原図も掲示してある。 荻窪城の西の堀跡が現在、公園として整備されている。湿 生植物エリアや釣り池もある。大きな城だった。 …
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箕輪初心:生方▲前橋【亀泉城】&心臓血管センター付近のランチ

父が群馬県立心臓血管センター(前橋市亀泉町甲3-12)に 2回、入院した。ついでにランチも数ヶ所で食べたり、城巡りに も行った。亀泉町には亀泉城 (現如意寺も一部) がある。 ▲亀泉城・・・・・・・亀泉町本郷 (如意寺) ≪アクセス≫ 心臓血管センターから前橋市内に向かう。バイパスの陸橋を越え、 100m程…
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箕輪初心:生方▲群馬【大胡城3回目】&大胡城の歴史

大胡城は当時は本丸、二の曲輪、近戸曲輪、三の曲輪、 四の曲輪、西曲輪等あったが、今は土塁、石垣が残るの みである。でも、迫力のある大きな城には間違いない。 ★山崎一氏の調べでは、旧大胡町の城は6城らしいが、 戦国時代の大胡城の支城には、旧前橋市の中に上泉 城・荻窪城・西荻窪城・元屋敷・亀里城などがあるようだ。  …
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箕輪初心:生方▲前橋【片貝城】上杉謙信の№3北条高広の城 (現龍澤寺)

築城年代は不明であるが、厩橋城の支城として構えられた可能 性が高い。上杉家臣:越後柏崎出身の北条高広が拠った城である。 天正10年(1580)、織田信長配下の滝川一益が関東仕置として 上野に下向し北条高弘の居城である厩橋城の借用を申し出て厩 橋城に入城した。北条高広は滝川一益に臣従し、息子を証人と して差し出し、片貝城に退去し…
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箕輪初心:生方▲真田丸105【2016年8月3日「沼田まつり」前編】稲役:吉田羊登場

平成28年(2016)8月3日、マーちゃんが「吉田羊が沼田に来る って、群馬FMで言っていたぜ。行ってみる?」・「俺、草刈り機 の試運転があるから、・・・」と断った。私は吉田羊は40過ぎ の姉さん位にしか思っていない。稲(小松姫)はしっかり者の イメージであったが、「真田丸」では吉田羊が「性格のきつい役 柄」&「嫉妬深い女役」…
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箕輪初心:生方▲箕輪城197●『武田氏の箕輪領支配』②浅利信種

浅利信種は永禄11年(1568)1月~永禄12年(1569)10月の三増 峠の戦いで討ち死にするまでの約1年10ヶ月箕輪城代であった。 箕輪城の在番衆は祢津逍遙?軒や岩尾大井高政であった。 『地域文化233「みのわの歴史」』栗原修著・『戦国期上杉 ・武田氏の上野支配』栗原修著2010年5月初版400部:を ベースにまとめた。史…
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箕輪初心:生方▲箕輪城196●『武田氏の箕輪領支配』①春日弾正忠+(真田幸綱+甘利昌忠+金丸虎義)

『地域文化233「みのわの歴史」』栗原修著・『戦国期上杉 ・武田氏の上野支配』栗原修著2010年5月初版400部: 岩田書院18000円には、武田氏の領国支配についての詳細が 掲載されている。特に、箕輪城の武田時代16年の発給文書 が詳しい。①春日弾正忠+(真田幸綱+甘利昌忠+金丸虎義) の時代の歴史史料をまとめてみた。 …
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箕輪初心:生方▲真田幸綱(幸隆)・信綱・昌幸の吾妻支配②「永禄10年~天正10年」

・永禄10年 (1567)55歳     昌幸に次男:信繁(幸村)生まれた。 3月  真田幸隆と信綱は計略により上野白井城:長尾憲重を攻略     した。長尾憲重を箱田城代(後白井城代)にした。 3月6日 武田信玄の感状 3月8日 真田幸隆が箕輪城代になった。 箕輪城は前線基地にした。というより、上野国の半分を…
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箕輪初心:生方▲【武田信玄の上野侵攻】②永禄4年~永禄9年:箕輪城攻略

※永禄4年(1561)9月 第4次川中島合戦を契機に武田信玄の 信濃侵攻は一段落し、11月からは西上州(上野国)の出兵を 本格化した。武田信玄と上杉輝虎の戦いは川中島から関東に 舞台を変えていったのである。この段階での、武田信玄に臣従 していた上野国武将は長尾景虎の「関東幕注文」に名前のな い武将・・・①鎌原幸重、②小幡重貞(…
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箕輪初心:生方▲201610624~0628世界かんがい遺産候補:長野堰展準備完了

※平成28年(2015)6月24日~28日まで高崎シティギャラリ ーで、中嶋宏氏の主唱する【長野堰を語り継ぐ会】の長野堰 の絵図展が開催される。平安時代、すでに高崎台地に水田が あった。長野堰に相当する用水路があったはずである。天文 20年(1551)頃~ 箕輪城主:長野業正は祭戸用水・十二堰= 早瀬川・長野堰、本郷堰&長純…
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箕輪初心:生方▲箕輪城188【鷹留城】築城3説と落城3説

高崎市旧榛名町の鷹留城は箕輪城の最大の支城である。 【1】鷹留城築城説は①明応年間(1492~1500)に長野業尚 によって築城された(長年寺文書・通説)、②長野業正の兄: 長野業氏が鷹留長野氏の祖で鷹留城主とする説(ウィキペデ ィア説)、③文明(1469~1487 )・長享(1487~1489)・ 延徳 (1489~1492…
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箕輪初心:生方▲箕輪城187【雉郷城】&武田信玄の長野業正の親戚衆への攻撃・調略

『里見一族』里見義成著では永禄年間(1558~)初期に里見城主:里見 河内守によって築かれたともいわれているが、無理がある。根拠は、 ①長野憲業の娘は里見義尭に嫁ぎ、生まれた里見義樹は長野業正の 養子になっている。(黒田基樹氏・里見繁美氏説)、従って、永享 ~天文初期には箕輪近辺に戻ってきている。★桐生仁田山城・大間 々要害か…
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箕輪初心:生方▲20160320清水豊先生講演会【和田城の再検討】

清水豊先生は「和田城→高崎城」の発掘調査に関わってきた 考古学の専門家である。現在、かみつけの里博物館の次長で ある。平成28年(2016)3月20日、清水豊先生が講演会【和 田城の再検討】というテーマで【1】歴史学から見た和田城、 【2】考古学から見た和田城・・・の2面から分かった事実と 考察について講演してくださった。講演…
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箕輪初心:生方▲真田丸28【榛名:鷹留城】真田昌幸の侵攻

高崎市旧榛名町の鷹留城は箕輪城の最大の支城である。真田幸 綱(幸隆)&真田昌幸が自称:甘利明前経済再生大臣が先祖: 甘利昌忠のサポートにより、大戸氏(→浦野氏)ら吾妻衆と 永禄6年(1563)~9年(1566)にかけて数回にわたり、北から 岩櫃→大戸→倉渕→榛名に侵攻した。この間、長野三河守ら 80人を討ち取ったり、長野氏菩提…
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箕輪初心:生方▲真田丸27【倉渕鑰掛(かぎかけ)城】:真田昌幸の狼煙台?

高崎市倉渕町の5城の内、大明神山砦と天狗山砦は真田氏築城と 言われている。倉渕町岩氷の鑰掛城(かぎかけじょう)も真田氏 の城の可能性がある。甘利明前経済再生大臣が自称の先祖:甘利 昌忠のサポートにより倉渕→榛名→箕輪の侵攻が進められた。 永禄10年(1567)頃から、岩櫃城→武田の狼煙集積地根小屋城 (現高崎市根小屋)への中継…
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箕輪初心:生方▲真田丸26【松井田愛宕山城】:真田幸繁の初陣説

・天文17年(1548) 甘利虎泰が上田原の戦いで戦死。 ・永禄3(1560)~ 甘利昌忠は真田幸綱(幸隆)のサポート。 ・永禄9年(1566)9月29日~10年(1567)3月7日昌忠箕輪城代 ・天正3年(1575) 甘利昌忠&信康、長篠で戦死(通説) ・天正10年(1582)3月11日 甘利一族2人、戦死。 ・平成28年…
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箕輪初心:生方▲真田丸25【坂本城2回目&虚空蔵山烽火台】:武田信玄の築城?

・天文13年(1544)頃?真田幸綱(幸隆)は武田晴信の家臣になった。 真田幸綱(幸隆)・山本勘助らの佐久での調略などで快進撃・・ ・天文16年(1547)武田晴信が小田井原の戦い(現佐久市)の勝利後、 志賀城&笠原清繁は討ち死に。勢いで入山峠から東山道を下り、 上野国松枝(松井田)に進入した。そして、坂本宿を見渡せる場所 に…
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箕輪初心:生方▲真田丸24【高崎→18号→上信越道の真田ゆかりの城】

真田氏の関係する城は群馬の沼田~吾妻~長野:真田の郷&上田 &松代だけではない。東山道~北国街道にも真田ゆかりの城が多い。 今日は、【高崎→18号→安中バイパス→松井田】&【松井田IC→上 信越道の佐久・小諸・東御・千曲・長野・中野】付近の「真田丸」と真田 氏ゆかりの代表的な城:43城を紹介してゆこうと思う。真田はあまり 好き…
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箕輪初心:生方▲真田丸21沼田城:初詣【真田氏と沼田城】

・平成28年(2016)の初詣は沼田の正覚寺・沼田城&みなかみの 名胡桃城だった。沼田城は真田丸の影響で、県の補助で整備がな されていた。6回目の訪問であろうか?今回は【真田信之&小松 姫の像】があった。沼田市では「2016年は真田丸イヤー! と沼田市はお正月から盛り上がっていきます!」Hpにあった。  (★真田丸にちなん…
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箕輪初心:生方▲真田丸20【関越自動車道付近の城】&スキー№2新潟:神立スキー場 

関越自動車道に沿って、真田幸綱(幸隆)・昌幸・信幸に関わる 城をいくつか取り上げてみた。この一週間は雪に悩まされてい るが、それ以前、雪不足で、神立スキー場は大混雑であった。  ◆訪問日・・・平成28年(2016)1月17日 【1】【真田ゆかりの地:三国街道にそって】 高崎~箕輪~渋川~高山~名胡桃~新治~猿ヶ…
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箕輪初心:生方▲真田丸19『2016大河ドラマ用整備後の名胡桃城景観』

・甘利経済再生大臣、賄賂疑惑でピンチ!!先祖:甘利昌忠は真田 幸隆&真田昌幸(当時、武藤喜兵衛)の上野侵攻と関わった。 名胡桃城は平成27年(2015)6月1日~12月31日まで、HNK大 河ドラマ『真田丸』に向けて名胡桃城址の整備工事が行われた。 12月29日に一般公開を再開した。しかし、甘利昌忠は名胡桃城 に関わりはないが…
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箕輪初心:生方▲真田丸18【名胡桃事件への過程→秀吉の小田原攻撃】

★私には名胡桃事件の真相は分からない。通説は名胡桃城 の侵攻は天正7年(1589)家忠日記が根拠で10月下旬か11月 ということになっている。それ以前かもしれないし、なかったのかも しれない。★北条氏は猪俣邦憲を行動を非難した動きはないよう であるのも不思議なところである。秀吉の氏直への通達がある 以前に、富永一族:猪俣邦憲の…
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