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真田丸131【第47話「反撃」】&「常高院の和議交渉&真田丸取り壊しの過程

①大阪城の天守閣に打ち込まれた砲弾により、侍女たちは数名 命を失った。茶々は幸村の反対を押し切り、家康との和睦に傾く。 ②和睦交渉には幸村は本多正信や織田有楽斎の籠絡を受けぬよう、 初を交渉役として立てることを提案する。③家康の側室:阿茶局は 寛大な態度であるが、真田丸砦の取り壊し、外堀を埋めることを 提案する。きりは大きな不…
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箕輪初心:生方▲真田丸130【カルバリン砲は三浦按針が?】

私はカルバイン砲を①インドのマドラス&②マレーシアのマラッ カ、③スリランカの首都:コロンボかゴール近くで見ている。 イギリス人:三浦按針(ウィリアム・アダムス)が平戸でオラン ダ商館→イギリス商館と在籍し、徳川家康の大砲購入に関わった。 でないと、オランダ製・イギリス製の大砲は入らない。しかし、 平戸では確かな文書は見てい…
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箕輪初心:生方▲真田丸129【46話「砲弾」】&「賤ヶ岳7本槍の動向」

①真田丸に手こずる徳川家康は、カルバイン砲が届くまで夜に3方 から大声を張り上げ、豊臣方に圧力をかける。家康は真田信伊に幸 村を寝返らせようとするが、失敗する。②徳川方の密偵:織田有楽斎 に和睦を進めるよう指示する。秀頼は、和睦すべきと考え始める。 ③ 幸村は、茶々に秀頼を説得するよう依頼する。茶々は秀頼に命じ、 和睦しないこ…
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箕輪初心:生方▲名胡桃城発掘の三宅敦気先生講演会「名胡桃城」

名胡桃事件時は中山城は北条の城だったので、「加沢記」は嘘だ。 ・平成28年(2016)11月20日、三宅敦気先生講演会「名胡桃城」が あった。特徴は①名胡桃城の看板書いてあった「加沢記」の記述を 抜いたことにある。つまり、みなかみ教育委員会として江戸時代に 書かれた第二次史料「加沢記」を除去したことになる。②明徳寺城 を真田の…
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箕輪初心:生方▲真田丸128【第45話「完封」】&スパイ密告者は誰?

いよいよ、大坂冬の陣が始まる。幸村の本領発揮なるか! ①真田幸村は、手薄な砦が襲われていることから、内通者が いると感じた。幸村は、織田有楽斎が密偵である?と考え、 食事で情報を流して確認する。 ②徳川家康は、上杉景勝に 「真田丸を落とせ」と命じる。③幸村は真田丸で迎え撃つ準備 を急いだ。息子:大助は旗を振って前田勢を挑発した…
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箕輪初心:生方▲箕輪城229【黒田基樹説を加えた「北条氏邦の鉢形領支配→箕輪城主への過程」

北条氏邦が鉢形領支配→箕輪城主になるまでの過程を今まで 「群馬県史:浅倉直美文責」や「北条五代:相川司」著など をベースに書いた年表に『鉢形城と戦国武将』:黒田基樹著を 加味して、新しく年表を書き足した。●印は黒田基樹先生の 部分である。石塚三夫館長先生、いい本を紹介してくださって ありがとうございます。 ●…
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箕輪初心:生方▲真田丸127【第43話「軍議」】&『毛利勝永・長宗我部盛親』

真田幸村は、軍議で「京へ打って出て、家康の首をとるべき」と 提案する。しかし、①茶々や大蔵卿局、秀頼の側近・大野治長ら は「籠城すべき」と考えていた。②毛利勝永は、幸村の提案を支 持。③明石全登は籠城説から積極出撃説に意見を変えた。④後 藤又兵衛は、「死に場所を求めにやってきた。大阪城以外に、・・」 と反対するが、幸村が「我ら…
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箕輪初心:生方▲箕輪城№226【鉢形城歴史博物館館長:石塚先生の「箕輪城関連の話】

平成28年(2016)11月17日、高崎市委嘱「箕郷歴史文化調査 研究会」の事務局2人と3人で、鉢形城歴史博物館館長:石塚三 夫館長先生の話を聞きに、出かけた。鉢形城も見学もした。 (★鉢形城の石垣)  ★箕輪城の本丸の東虎口付近~本丸堀上・北の土塁    二の丸の大堀切よりの場所に同じような石積みが   ある。完全に北…
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箕輪初心:生方▲真田丸127『豊臣秀頼の譜代の大物武将20』

豊臣秀頼には豊臣家譜代の家臣がいた。豊臣軍の譜代の中心人物 は「大野治長、大野治房、大野治胤、木村重成、木村宗明、渡辺 糺、竹田永翁、郡宗保、山口弘定、細川頼範、山名堯政、赤座直規、 槇島重利、真木島(槇島)昭光、生駒正純、毛利重能、内藤長秋、 織田昌澄、、赤星親武、薄田兼相などであった。 ●▲■大坂城にいた武…
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箕輪初心:生方▲真田丸125『豊臣秀頼の家臣①親衛隊:7手組の武将』

豊臣秀頼には豊臣家譜代の家臣がいた。豊臣秀頼の七手組= 親衛隊には速水守久、青木一重、伊東長実、堀田盛高、中島氏種、 真野頼包、野々村吉安 、+杉善右衛門がいた。しかし、この中 でも、微妙な動きがあったようだ。「大坂の陣」ではリーダーの 速水守久が渉外に当たった。中島氏種、真野頼包、野々村吉安は リーダーに従ったようであるが、…
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箕輪初心:生方▲真田丸123「九度山脱出」史実&【第41回「入城」のあらすじ】 

真田幸村は再び世に出る決心をした。徳川の監視の目も厳しくなっ ていた。徳川家康の命は、九度山にも行き渡っている。真田幸村は 徳川監視の目をかいくぐるため、九度山の村人を呼んで酒宴を開いた。 真田信村はじめ家族たちも九度山からの脱出に成功した。真田信村 一家と家臣は、14年ぶりに山を降りたのであった。真田幸村は いよいよ大坂城に…
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箕輪初心:生方▲真田丸121▲映画『真田十勇士』「嘘も突き通せば真実になる」

昨年、番組制作の「株式会社 PASSION」の「岡田」さんと岩櫃城 探検隊で出会った。岡田さんは岩櫃城探検隊あざみの会の富澤朗氏 に「真田忍者」のことを聞いていた。映画「真田十勇士」にも関わ りがあるとのことだった。岡田さんを乗せて、原町の本屋に行った。 ①戦国時代、武田信玄の素波頭領→真田忍群総帥:出浦盛清(昌相) &雁が沢…
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箕輪初心:生方▲遠江『浜松城』:徳川家康が17年住んだ居城&歴史

元亀元年(1570)今川氏真を掛川に攻めて遠江を得た徳川家康が 曳馬城入城し、「浜松城」と改名した。浜松城を増改築し、駿府城 に移るまでの17年間を過ごした。徳川家康の関東移封後、豊臣 家臣:堀尾氏は入った。関ヶ原後、江戸時代265年間に浜松藩 は22人藩主が変わっている。歴代城主の多くが江戸幕府の重 役に出世したことから「出…
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箕輪初心:生方▲遠江『曳馬城=引馬城(浜松城の前身)』&歴史

戦国時代、曳馬の町を見下ろす丘の上に引間城が築かれた。 歴代の城主には、今川氏→尾張の斯波方の大河内氏・巨海氏、 →駿河の今川方の飯尾氏→徳川家康と繋がる。浜松には、今 川方で、頭陀寺城城主:松下加兵衛がいた。豊臣秀吉が少年 時代:木下藤吉郎時代に3年間、松下加兵衛に仕えた。、豊臣 秀吉は松下加兵衛に連れられて引間城を訪れてい…
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箕輪初心:生方▲遠江【高天神城】後編「本丸→三の丸」&『歴史:今川→徳川→武田→徳川の城』

 ・永正年間(1504~1520)今川氏親の重臣:福島正成が城将とし て高天神城に入城した。今川氏没落後、高天神城主:小笠原長忠 は徳川家康に属していた。元亀2年(1571)武田信玄は2万越える 大軍で高天神城を包囲したが、撤退した。天正2年(1574)武田信 玄の跡を相続した武田勝頼は2万余の軍勢を率いて再び高天神城 を包囲…
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箕輪初心:生方▲遠江『掛川城』:復元木造天守閣が凄すぎる城

日本100名城42番なので、お城巡りファンとして行かざるを えない。掛川城は、山内一豊の築城当時の天守を正保城絵図に 基づいて、木造で復元されている。大手門も復元されている。 江戸時代の遺構として、二の丸御殿と太鼓櫓が残る。二の丸御 殿は、城主の住居と藩庁として使用されてたもので、全国に4 しかない現存御殿だそうである。 …
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箕輪初心:生方▲遠江【高天神城】前編:縄張りが複雑怪奇な凄い山城

・永正年間(1504~1520)今川氏親の重臣:福島正成が城将とし て高天神城に入城した。今川氏没落後、高天神城主:小笠原長忠 は徳川家康に属していた。元亀2年(1571)武田信玄は2万越える 大軍で高天神城を包囲したが、撤退した。天正2年(1574)武田信 玄の跡を相続した武田勝頼は2万余の軍勢を率いて再び高天神城 を包囲し…
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箕輪初心:生方▲遠江【金谷城?→諏訪原城→牧野城】武田・徳川の遺構が残る城

・永禄12年(1569) 武田信玄が金谷台地に諏訪原など五砦を構えた のが最初とされる。諏訪原城は武田信玄が徳川領遠江攻略の城とし て築城した城である。武田の守護神:諏訪大明神を城内の一角に祀 ったことから、諏訪原城と呼ばれたそうである。武田信玄と徳川家 康の激しい攻防が繰り広げられた。天正3年(1575) 諏訪原城は落 城し…
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箕輪初心:生方▲駿河【丸子城】:北条早雲の最初の城→武田信玄の城

 伊勢新九郎(北条早雲)は今川義元の跡目相続問題に遭遇した。 龍王丸の生母の北川殿は伊勢新九郎の妹と言われている。龍王 丸は新九郎の甥にあたる。伊勢新九郎は駿河に下向して今川氏 の食客になった。扇谷上杉政憲が派遣した太田道灌とも面談し、 外部勢力の干渉を巧みにかわし、内訌を仲裁して危機を救った。 駿河国主の座を小野範満に任せ、…
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箕輪初心:生方▲「真田丸」117【禰津一族&徳川家康・真田昌幸・真田信幸】

・天正11年(1583) 祢津松鴎軒政直は徳川家康に臣従した。 「禰津」から「根津」に姓を変えた。甲州黒沢と駿州厚原に 350石を与えられた。徳川家康の鷹匠となった。祢津松鴎軒 政直一旦出家していたが、根津元直3男の根津信直の嫡男? :2男禰津信政の後見人となった。9月28日付 、徳川家康 から知行宛行状により、根津信政の系…
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箕輪初心●静岡【駿府城】①徳川家康3回在城~徳川家康の死

徳川家康は駿府で3回過ごした。大変重要な場所である。 史実として分かっている。人質時代12年→築城時代1年 →大御所時代11年・・・24年間もいたらしい。 ★NHK大河ドラマ『江~』で徳川家康は大往生を遂げた。 ★NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』で徳川家康に九州で対抗。 ★NHK大河ドラマ『真田丸』で駿河城に真田昌伊がいた。 …
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箕輪初心:生方▲伊豆の魅力「見る・潜る・食べる・入る・泊まる」&My伊豆ブログ一覧

伊豆の歴史も面白い。伊豆半島のでき方→源頼朝&北条氏→戦国武将 :後北条氏&伊豆の土豪・明治以降の水産業の発展~過疎化~リゾート 化・・など、伊豆半島は豊かな自然に恵まれ、伊豆半島を取り囲むように ポイントが点在している。独特の地形や風土から、伊豆特有の食材や食 文化も生まれた。また、温泉も多く、安い民宿も多くある。伊豆に50回…
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箕輪初心:生方▲『南伊豆町:伊浜・子浦・妻良・中木・石廊崎』

松崎・石地・石部・雲見を通り越すと、南伊豆町になる。西海岸は 伊浜・子浦・妻良・中木・石廊崎となる。そして、雲見泊の次の 泊まりは南伊豆町小稲3回・弓ヶ浜3回となってしまう。結局、全 て神子元のハンマーヘッド見物ダイビングになってしまうのだ。 次回は西伊豆で潜っていない宇久須・堂ヶ島・妻良に生きたいな ~~~~~…
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箕輪初心:生方▲西伊豆29【雲見:上の山城&高橋一族の歴史】

松崎町雲見で、ダイビングや温泉、富士山の景観を堪能しているが、 北条家家臣:高橋丹後守の①居館・②雲見上山城~③雲見烏帽子 山砦には、行っていない。 雲見:上の山城の遠望のみである。。 三浦(さんぽ)の岩地、石部、雲見は土地の伝承によれば、 平安時代から岩地、石部など藤原氏の末裔が住み着いたとされ る。平治の乱で敗れた源義朝の…
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箕輪初心:生方▲西伊豆26『堂ヶ島』&伊豆ブログ一覧

西伊豆町「宇久須」→「黄金崎&ダイビング」→「安良里の城& 水産業&グルメ:よこ田」→「田子の城&水産業&ダイビング」 →「浮島のダイビング」とみてきた。今日は「堂ヶ島」→「仁科」 である。「堂ヶ島」は「伊豆の松島」と呼ばれる景勝地である。 青い海と白い凝灰岩の断崖と緑の松と青い空・・・このコント ラストが見所である。特に「西…
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箕輪初心:生方▲真田丸116【第2次上田合戦&明け渡し:諏訪・依田・大井・伴野】

・慶長5年(1600) 真田昌幸・信繁の上田城明け渡しには、徳川方の 諏訪頼水・依田信守・大井政成・伴野貞吉らがいた。12月13日、 真田昌幸・信繁は高野山に向かった。・・・・・ 8月、徳川家康率いる東軍は、下野国小山において 石田三成ら西軍の挙兵を知って、軍を西に返した。この時、徳 川家康の本隊や豊臣恩顧大名などの先発隊は東…
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箕輪初心:生方▲2016年【超高速!参勤交代・リターンズ】のあらすじ詳細

平成26年(2014)の【超高速参勤交代】の続編【超高速参勤交代 リターンズ】が平成28年(2016)年9月10日に公開された。 湯長谷藩の参勤交代は、まだ終わっていなかった。今度は故郷を 目指し、江戸を出発した一行だったが、その道中、湯長谷で一揆 が起きたとの知らせが入った。2日以内に一揆を収めなければ、 藩の取り潰しは免れ…
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箕輪初心●西伊豆21:土肥「丸山城」=天正17年富永助盛=猪俣邦憲は?

富永氏関係の遺構は、北に「高谷城」、山麓に富永氏館&清雲寺、 少し南に土肥金山がある。さらに南に「丸山城」があるのだ。 「丸山城」は①出丸、②本城、③詰め城からなる。築城年代は 定かではないが、 富永氏の高谷城の支城として築かれ、天正 17年(1589)には八木沢港が築かれ、水軍基地として利用された。    土肥の101、…
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箕輪初心●西伊豆⑳【土肥高谷城】後北条№3の富永一族の本拠地

北条水軍の大将:富永氏の城は土肥にある。大きく3ヶ所である。 ①高谷城=富永氏の本拠、②富永氏館跡、③八木沢丸山城である。 高谷城は、はじめは小さな海賊城に過ぎなかったが、城主の富永 氏が北条水軍の大将になると最大の水軍基地となった。土肥金山 の資金力をバックに、高谷城を整備拡張したのかもしれない。海 岸の頬杖の刻を出丸とし、…
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箕輪初心:生方▲伊豆西⑬【大瀬崎散策】と『鈴木繁伴館』

大瀬崎ダイビングには15回来ている。大瀬崎(琵琶島)駿河湾 に約1km突き出した半島で、国の天然記念物のビャクシン樹林が ある。 ビャクシン日本最北端の自然群生地である。 大瀬崎神社 や神池や鈴木繁伴館がある。海越しに日本一の富士山をのぞむ景 観は古くから名勝の地と知られている。大瀬崎の宿泊は7~8回 になろうか?  (…
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