箕輪初心●群馬の城:旧甘楽町①「織田信雄の小幡城&城下町」

箕輪初心●群馬の城:「旧甘楽町の城①」
織田信雄は、『江』の従兄弟である。2011年の4月のNHKの大河ドラマでは、
織田信雄・徳川家康の「佐治一成の水軍の引き込み作戦」に、対抗した豊臣秀
吉は、『江』を、織田信長の姉=『江』の叔母の子=従兄弟である佐治一成に
嫁がせようとしているのだ。結果的に、織田信雄は豊臣政権下で尾張100万石
から三河への転封を拒否して、改易となった。江戸時代の元和元年(1615)、 
織田信長2男:織田信雄が小幡に入封してきた。徳川家康に、織田信長の正
統後継者として、大和松山3万石と上野小幡2万石を寄与されたからである。

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山崎一氏の「群馬の古城塁祉の研究4巻」では、
旧甘楽12・旧富岡26・妙義4が掲載されている。
旧甘楽町は12城あるが、現在4城に行っている。
★個人的には、①国峰城 ②小幡城 ③麻場城が好きである。


1)小幡城 ○  
■訪問記・・・小幡城へは7回ある。
★小幡は城下町の風情が今なお残っている。藩邸・庭園の整備も進んでいる。
 ①1978年5月・・・・・・・安中出身の友達:萩さんと秋畑の「自然薯そば&鯉のぼり」+
               小幡の見物に来た。当時は、鯉のぼりは№2だった。
 ②1979年5月・・・・・・・スキー師匠と稲含山ハイキングと秋畑鯉のぼり+小幡城 
 ③1980年4月8日・・・小幡出身の同僚が桜見物に案内してくれた。
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 ④2000年頃・・・・・・・・甘楽の瓦職人=ハイキング・スキー仲間の家を訪問。 
 ⑤2006年6月・・・・・・・甘楽の城めぐりで、散策した。
 ⑥2007年11月・・・・・・樂山園の復元状況を見にきた。   
  *武家屋敷・城公園・雄川堰などの整備が進行中 整備進行中だ。
  *小幡武家屋敷「鹿児島の知覧のような武家屋敷がある。」
    枡形になっていて、中が見えない。
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     ○藩邸修復工事中
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     ○松井家の住宅
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 ⑦2008年4月13日・・小幡城祭りが目的だった。
  *武家屋敷・城公園・雄川堰などの整備完了。
   小幡の城下町・・・(商家→大手門→武家屋敷→小幡城へ)
  ★小幡城祭り(毎年第2日曜日に開催)
    商家
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    大手門&礎石
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     ○武家屋敷通り・・・高橋家など
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     ○藩邸&樂山園の復元
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■小幡城の歴史
・元和元年(1615) 織田信長の2男:信雄が入封。
 ※織田信雄は豊臣政権下で尾張100万石→三河への転封を拒否で改易。
 ※徳川家康は信長の正統後継者として大和松山3万石と上野小幡2万石を寄与。
・元和2年(1616) 信雄の子・信良が陣屋に入り織田家の小幡の支配が開始。 
             織田氏ははじめは、福島(現甘楽町)に在住。
・寛永19年(1642)  3代信昌は小幡に陣屋を築き、移住。
             藩邸は旧小幡氏重臣熊井戸対馬守正満の屋敷を利用?
・明和3年(1766)  8代藩主の信邦のとき、藩政のことで内紛が勃発。
             小幡藩主名代や山県大弐などが多数処罰(明和事件)。
             8代152年間統治→出羽国高畠に転封。
・明和4年(1768)  徳川親藩の若年寄職にある松平忠恒が入封。
・嘉永3年 (1850)3代忠恵は「城主格」となり、「小幡陣屋」は「小幡城」と改称。
  茅葺き平屋建て243坪(231畳、板戸59本、障子127本、襖30本)。
  4代約100年存続。
・明治維新       4代・忠恕が版籍奉還→小幡知事に就任。  
                 {群馬県教育委員会の記述を参考に再編集}

⑧崇福寺・・・織田7代の供養塔?
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⑨宝積寺・・・織田7代の墓
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2)天引城 甘楽町天引 城山

3)上野城 甘楽町上野 蔵屋敷 

4)長畑の砦(下城)   甘楽町小幡 長畝

5)八幡山の砦(上の城) 甘楽町小幡 八幡山

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