箕輪初心:生方▲山梨『武田勝頼の最後』復刻版

武田氏の居館は、2代:武田信光から16代:武田信虎まで約300年 間にわたって石和の地にあった。※永正16年(1519)15代:武田 信虎が石和から盆地中央に近い相川扇状地への居館躑躅ヶ崎に都を移 した。信虎、晴信(信玄)、勝頼3代の60年余りにわたって府中とし て機能した。天正10年(2020)1月諏訪四郎武田勝頼は新府城を築城 した。武田勝頼が甲斐・信濃・上野・飛騨の中心地で交通の要所であ った。「新府」とした。織田信長の来襲に備えて新築した城であった。 その意味では頭のいい武将だった。  しかし、武田勝頼は甲斐の領民に重税を課さなければならなかった。 1月 武田勝頼:妹の夫:木曽義昌が税と賦役に不満を持ち、織田氏  の調略に応じて実弟上松義豊を人質に出し、武田勝頼から離反し離  反し、織田信長に臣従した。 2月2日、武田勝頼は木曽義昌の人質として送られていた70歳の母、  側室、13歳の嫡男:千太郎、17歳の長女:岩姫が新府城で処刑さ  れた。 箕輪初心:生方▲真田丸16【真田の選択&武田勝頼の最後の真偽】 https://53922401.at.webry.info/201601/article_19.html  真田昌幸は裏で真田一族の領土:上田~吾妻への執着心があったの で、北条に臣従しようとしたのである。 ①石原家文書では、『真田昌幸が8歳の娘の「帯解きの儀」を八王子  城の垪和(はが)伯耆守康忠にお願いしている』 ②家…

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箕輪初心:生方▲武田信玄・真田氏の信濃侵攻ブログ一覧

天文10年(1541)武田晴信は海野平の戦い後、父を追放し 信濃侵攻を開始した。信濃は穀倉地帯であった。おおむね ①諏訪→②佐久→③府中→④南信濃:上伊那・下伊那→ ⑤上田付近→⑥埴科・川中島→⑦白馬・上水内→北信濃 と・・・信濃に侵攻した。  (要害山城・・・武田信玄が生まれた場所)  (躑躅ヶ崎砦・・・武田信玄は育った場所) ・天文6年(1537) 海ノ口城攻め:武田晴信の初陣*単独で勝利? ・天文10年(1541)海野平の戦い・・  真田一族上野国へ逃亡。羽根尾幸全→長野業正→上杉憲政を頼る  武田晴信は父信虎を追放。家督を継ぐ。 ・天文11年(1542) 武田晴信は高遠頼継と諏訪頼重の桑原城を攻撃。   武田晴信は講和→諏訪頼重を自害させ、諏訪頼重の娘を側室に 諏訪郡を平定。板垣信方が諏訪郡代、上原城に入城。 ・天文12年(1543) 大井貞隆の長窪城を攻略。   望月城を攻撃。真田幸綱の調略? 望月昌頼は小諸城に逃亡。     武田晴信の配下に芦田信守・相木昌朝・望月源三郎。 ・天文14年(1545) 高遠城:高遠頼継を滅ぼした。  福与城主:藤沢頼親を追放した。  ▲第2次河東一乱   今川義元  VS 北条氏康    今川軍+武田軍が合流。武田晴信が北条・今川の仲介 ・天文15年(1546) 4月 河越夜戦  上杉憲政+上杉定正+古河公方 VS 北条氏康  関東管領:上杉憲政が北条氏…

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