箕輪初心:生方▲草津100-80「尾崎喜八S4」と「旅と滞在/温泉」

 尾崎喜八はフランス文学・ドイツ文学の訳詩集、訳文集が多
数ある。 また、山岳と自然を主題とした詩や散文・随筆を多数
書いた。そして、クラシック音楽への造詣も深かった。尾崎喜八
は、文学以外はまるっきり、私の趣味である「ハイキングと短歌」
・「旅と温泉」・「クラッシック音楽鑑賞」と同じだった。本は3冊
読んでみた。美しい文章だった。
草津温泉観光協会のHpには、「昭和4 尾崎喜八 詩人 詩集
「旅と滞在」・「昭和4年(1929)詩人の尾崎喜八、高村光太郎、
竹久夢二が入湯。」とあった。「旅と滞在」尾崎喜八著には「私
は高村さんと二度小さな旅をした。たしか昭和四年とその翌年
とだった。最初の年には上越国境法師の湯と赤谷川ぞいの温泉
へ、次の年には同じ法師から長駆榛名山の北の麓の中之条を経
て、吾妻川の渓谷沿いにとおく草津の温泉まで。二人とも丈夫
な足を持っていたので全行程の大半を歩いた。」とある。
尾崎喜八の記憶が間違っていなければ、昭和5年(1930)に来た
ことになる。
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  (★高村光太郎の家)





◆尾崎喜八************************

・明治25年(1892)東京府東京市京橋区(現東京都中央区京橋)
  の回漕問屋の長男として生まれた。

 生まれてまもなく母親が離縁した。
 厄年の子故、里親に預けられる。

・明治29年(1894) 4歳の時、実家にもどされた。
   里親をしきりに恋しがる。

 築地小学校に入学した。  
 小学校を首席で通す。
  読書と自然に親しみを覚える。
京華商業学校を卒業した。
 その後は独学を続ける。

・明治44年(1911) 19歳の時「文章世界」と「スバル」で
高村光太郎の名を知る。反逆精神に魅せられた。
 高村光太郎のアトリエを訪問した。
 その頃ロマンロ-ランの「トルストイ伝」・「ジャンクリストフ」
  に狂喜する。

 尾崎喜八が高村光太郎の知遇を得た。
尾崎喜八は詩を書いては、高村光太郎に見せた。
 「いいですね。もっとお書きなさい」
  と励ました。

 高村光太郎はその後の尾崎喜八の芸術活動において公私にわたって
 大きな影響を与えた。
 高村光太郎は「白樺」の同人や「白樺」傍系の詩人、歌人、画家と
 紹介した。

・大正4年(1915) 23歳の時、秘密にしていた恋愛が発覚した。
  父親から結婚も文学も断念するよう強制された。
 尾崎喜八は受け入れず、勘当・廃嫡の身となった。

 「白樺」派の長与善郎の家に寄宿することになった。
 武者小路実篤・志賀直哉らを知り、白樺派の理想主義の影響下
  に詩作を始めた。

・大正5年(1916)
「白樺」に連載していたロマン・ロ-ランの音楽評論集「近代音楽家評伝」
を処女出版した
また、ベルリオーズの翻訳を『白樺』に連載した。

・大正7年(1918) 第一次世界大戦が終結した
フランス人からフランス語を学ぶ。
天文学に興味を持つようになった。

・大正8年(1919) 27歳の時、恋人がスペイン風邪で急死する。
  会社を退職して、荒涼とした日々をおくるようになった。
  「白樺」に戯曲風の作品「或る女の死」を書く。

  その後、母校京華商業の紹介で、韓国の京城の朝鮮銀行に
  勤務する。

・大正9年(1920) 勤務先の行風に馴染むことが出来ずに、
病気を理由に退社した。

 帰国後は本郷に居を移した。
 高村光太郎との交流が頻繁になった。
 高村光太郎の推薦でベルリオ-ズの「自伝と書簡」を出版した。
  本格的に詩作活動にはいる。

・大正10年(1921) 大正詩壇に詩人の総合的団体の雑誌「詩聖」
に参加し、毎号詩を発表する。
  雑誌「詩聖」を通じて大藤治郎、野口米次郎、田中冬二、
  中野秀人、高田博厚らと交わる。
東大の片山敏彦も知り合った。

 水野葉舟の近くの戸越公園付近に転居した。

・大正11年(1922) 処女詩集「空と樹木」を高村光太郎と千家元麿に
献じた。以後、自然と人間をテーマに詩や随筆を書いた。

 ロマン・ロ-ランにも贈る。
  ロ-ランから返書を受け取る。

・大正12年(1923) 関東大震災
実家に駆けつけ、父母を助け家財を運んだ。
  父親と和解する。

・大正13年(1924) 尾崎喜八は交際していた水野葉舟の長女:実子
  と結婚した。
  上高井戸に移住して、畑を耕し花を栽培したり、鶏を飼育して、
  文学に打ち込んだ。
  
 高村光太郎を通じて草野心平を知った。
 「高層雲の下」を刊行した。

・大正14年(1925) 片山敏彦のヘッセの詩業を知り、ドイツ語の
  独習を始める。
  短期間で簡単な詩は理解できるようになる。
 尾崎喜八は法政大学予科独逸語専任教授となった片山敏彦、高村
  光太郎、高橋元吉、高田博厚らと雑誌『大街道』を創刊した。
『東方』を自費刊行する。

・大正15年・昭和元年(1926) ロ-ランの友情の使節として、
シャルル・ヴイルドラック夫妻の訪問を受ける。
デュアメル、マルテイネ等のフランスの文人との交際の輪が広がる。

同人雑誌では『生命の河』『銅鑼』『歴程』などに関係した。

・昭和2年(1927)父親が死去した。

・昭和3年(1928) 京橋の実家に転居し家督相続をした。
  下高井戸時代の交友関係に代わって、アナ-キストや無頼派的
  詩人の交流が盛んになる。
  自然への傾倒が一層深くなり、自然地理学や気象学の勉強を始める。

 詩作の上で一つの壁にぶつかり、茅野蕭々訳「リルケ詩集」により
 新しい美に大きな影響を受ける。

・昭和6年(1931) 荻窪に移り、自然観察、植物昆虫の標本に熱中する。
山は高原の旅が多くなる。

・昭和8年(1933) 詩集「旅と滞在」

・昭和10年(1935) 散文集「山の絵本」によって独自の文学的
ジャンルを切り開き、多くの読者を獲得するにいたる。
(アマゾンで購入:91円+257円)

・昭和14年(1939) ドイツ語を独習して10余年・・・・
  ヘルマン ヘッセの「ワンデンルグ」の翻訳を出版した。
  以来、詩・随筆の訳業として、文通のあったロマン・ロラン、
  ヘルマン・ヘッセを始め、ライナー・マリア・リルケ、
  モーリス・メーテルリンク 、シャルル・ヴィルドラック、
  ジョルジュ・デュアメル など外国作家の翻訳をした。

第二次世界大戦が勃発した。
・昭和15年(1940) 詩集『行人の歌』( 竜星閣 )を刊行した。

・昭和20年(1945) 5月東京青山の自宅が空襲に会い、全焼した。
  千葉、東京の親類、知人宅を転々とする。
  その間、母親が死去した。
終戦までの間訳詩、詩集、散文集を刊行した。

  戦前から太平洋戦争の直後まで、東京郊外に文化的半農生活を
  営んでいた。

  純粋な自然に囲まれた土地へのあこがれが募った。

  9月 長野県諏訪郡富士見村にある元伯爵渡辺昭の別荘の
  一部を借りて、焼け残った大事な本とわずかな家財道具を
  もって妻子と移り住んだ。

  昼は農業に従事した。
  夜は村の青年と文学や自然を語ったり、句会を開いたりした。
初めての土地で農村の人々との交流により孤独の生活を慰
  められた。
  富士見に溶け込んだ。
  作家や詩人とは違って、未来の希望を持った若人達から得る
  ことも多かった。
  長野県の自然と郷土と山々への愛着はさらに深まり、長野県下
  の小中学校を中心として多くの校歌を作詞した。
  
  尾崎喜八は7年間、富士見の寒村に逼塞の日々を送った。
  しかし、7年間は尾崎喜八の精神的、肉体的、経済的にも最も
  苦しい 時代であった。
『花咲ける孤独』・『麦刈りの月』・『高原歴月』・『美しき視野』・
  「碧い遠方」などの詩、散文の頂点を示す仕事を準備している。

・昭和27年(1952) 尾崎喜八は東京世田谷区上野毛に転居した。
   「わが庭の寓話」デユアメルを訳した。

・昭和28年(1953) 尾崎喜八は串田孫一郎を中心とする「アルプ」
  の創刊に参加した。アルプの書名は尾崎喜八の命名であった。
 「尾崎喜八詩集」 (新潮文庫〈第527〉1953年)

・昭和29年(1953)
 「一登山家の思ひ出 ジャヴェル、 尾崎 喜八」(角川文庫1954年)
「雲と草原」 (角川文庫1953年)を刊行した。

・昭和30年(1955) 『花咲ける孤独』を刊行した。
7年間の富士見生活の清貧の中から自己を凝視し自己に誠実に、
   自然の摂理を深く観照した。

  
・昭和33年(1958) 「尾崎詩文集」を刊行した。

・昭和34年(1959) 尾崎喜八詩文集〈第4〉「山の絵本」 (1959年)
   を刊行した。
 随想集『山の絵本』(★アマゾン1円+257円で購入)
  ★ 「山の絵本」は尾崎喜八の名前を有名にした。
  地理学書を読むような精緻な情景の描写をしている。
  自然への深い愛と尊敬が溢れている。
「山と音楽
 一概に山と音楽といっても、人によって山に対する気持ちも、心構
 えも、態度も違うであろう。…(略)…
 私の友人に或管弦楽団の楽主がいるが、スキーが好きで…スキーの
 滑降の爽快さを…べートーフェンの「エロイカ」のスケルツォを聴い
 ているようだ。…(略)…しかし、別の人間がその同じスケルツォに、
 魂の悲劇的な汾湧奔騰の姿を見ることも有り得るであろう。
  ドビッシーの管弦楽「ノクチェルヌ」で「雲」を聞きながら、ほれ
 ぼれとした洋画家の友達があった。…
  」 
★本当に尾崎喜八はユニークである。



・昭和34年(1959)
「尾崎喜八詩文集〈第1〉空と樹木 」(1959年)を刊行した。

●尾崎喜八詩文集「旅と滞在」を刊行した。
  (★アマゾンで購入、248円+257円送料)

●尾崎喜八「 高村さんとの旅 」『旅と滞在』
 「高村光太郎と旅」というのが私への課題だが、やはり此処では
表題といっしょに、扱う内容も変えさせて貰うことにしたい。
なるほど彫刻、詩、翻訳の仕事以外にもなお色々な事に興味を感じ
指を染めて、その往く処おおむね佳ならざるは無かった高村さんで
はあったにせよ、さしあたり問題として取り上げるものの中に、
「旅行」まで加えるほどのことはないように私には思われる。彼自
身の書いたものや年譜などからも察せられるとおり、高村さんはい
わゆる旅行家というものからは遠かった。「旅ヘのいざない アン
ヴィタシオン・オー・ヴォァイャージュ」の歌にほのぼのとした憧
れの耳は傾けても、「煙霞の癖」があったなどと言われたら、死ん
だ当人が却って厭な顔をするだろう。
全身の隅々まで他国の空の日の光や雨や花の香にひかれるもの
が備わっていて、およそ旅無しの生涯など考える事もできなかった
ような人達ならば、ほかにまだ幾らもいる。
それに、これこそ大事なことだが、高村さんにはその最も活動的
であるべき時代に、病身で眼の放せない妻智恵子さんというものがあ
った。また人手のないそのアトリエには、絶えず灌水を必要とする苗
木のような粘土の首や胸像が、遅々と来る完成の日を夢みながらいつ
でも二つか三つは立っていた。その上、彼には、むしろ彼のような芸
術家であったればこそ、そう常に物質的余裕がある訳でもなかった……。

     *
 日帰りのハイキング程度のものは別として、私は高村さんと二度
小さな旅をした。たしか昭和四年とその翌年とだった。最初の年に
は上越国境法師の湯と赤谷川ぞいの温泉へ、次の年には同じ法師か
ら長駆榛名山の北の麓の中之条を経て、吾妻川の渓谷沿いにとおく
草津の温泉まで。二人とも丈夫な足を持っていたので全行程の大半
を歩いた。
 いずれも樹々の若葉や新緑が雲のように湧き上がり、いたる処で
精力的に小鳥の歌う、華々しくも男らしい六月山間の旅だった。高
村さんは例によって和服にブルーズを着て駒下駄ばき、私は着古した
登山服に鋲靴。二人共によく歩いた。その旅じゅう多くは日が照り、
きわめて稀に雨が煙った。思い出をうるおしてアクサンをつける雨、
緑を濡らす真珠母いろの雨が。
戦争で当時の日記やノートの類を焼いてしまったので、今は懐かし
い此の歌にその折々のもう二度とは書けないような落想の美をちりば
めたり、正確な資料の価値を添えたりする事のできないのがいかにも
心残りだが、蘇って来る幾つかの旋律を取り上げて、小さな一楽章を
形作ってみよう。

     *
 水上みなかみが終点になっていた上越線を後閑で下りて、結束して歩
き出した爽やかな朝の三国街道。…………高村さんと初めてする山の
旅らしい旅が嬉しかった。それに此の上越の国境付近は私にとって未
知の土地だし、初夏の空は浅黄色に晴れて到るところ山躑躅が咲き、
小梨が咲き、藤が咲き、川ぞいの山村には一と月遅れの端午の節句の
真鯉緋鯉が賑やかに浮かんで、古く伝わる民俗の美のゆかしさを、こ
んな辺鄙なればこそいよいよしみじみと感じさせた。
しかし私は、口にこそ出さないが、法師まで六里の道を歩くには重
過ぎるルックサックを背負っていた。初めの内は意地と張りとで我慢
もできたが、その道のりのほぼ半分を歩いて相俣あいまたの部落に近
く、万太郎や仙ノ倉の残雪の嶺線を高々と仰ぐちょっとした乗越で、
私はとうとう高村さんに白状した。「実は僕此のルックサックの中に
ビールを六本持っているんです。そんな山奥だからきっと高村さんの
小父さんの好きなビールだって有りはしないでしょうと言って、実子
のやつが持たしてよこしたんです。僕もあなたを驚かすのを楽しみに
背負っては来たんですが、こんな登りでさえこたえるようになって…
…」と。高村さんは私に驚き、私の妻の心根をいじらしく思う顔つき
だった。妻は彼の親友の長女であり、彼はまた私達の結婚の証人だっ
た。「そりゃあ君重かったろう? ありがとう、ありがとう。僕も持
つよ」と高村さんは言って、ナイフを出して強いくご繩をぶっぶつと
切り放ち、四本の壜をつかんで自分のルックサックヘ押しこんだ。
 旅でこそわけても結ばれる心の機縁。その一つのものが此処にあっ
た。私の救われた体力と蘇った精神。がっと開いた赤谷あかやの谷の
空高く、おりからの雲にかげっていよいよ青い小出俣おいずまたの尖
峰の、なんと鏘々しょうしょうと鳴るばかりだったことだろう!

     *
 途中をゆっくり楽しんで日の暮と一緒に着いた法師の湯。今でこそ
温泉好きや山好きに広く知られている名ではあるが、高村さんが四十
六、私が三十七だった二十数年前の法師温泉なるものは、上州も特に
辺鄙な北西の山の奥、三国山脈直下の深い谷あいにひっそりと細い湯
けむりを上げている、名声からも時代からも遠く取り残された存在だ
った。
 その法師の湯すなわち長寿館の、明治二十年代の様式を想わせるフ
ランス風の窓を持った古い森閑とした浴室で、私は高村さんの裸体を
見なければならなかった。どういうものか他人の全裸を直視すること
を憚る私は、これには困った。「尾崎君は裸を見ると中々いい体をし
ているね。筋肉が一本一本浮き出している」と言われて嬉しい気はし
たものの、「僕はどう? 中々いいでしょう? 此の頃少し痩せはし
たけれど」という言葉に、仕方なく凝視の風をよそおいながら、実は
一糸も纒わずに正面切って立ったその色白の見事な肉体を、ただ両眼
の網膜に漠然と露光させているに過ぎなかった。曾て高村さんに「人
間は越えさせてはならない垣を持たなければいけない」と言われて、
それを即座に納得のできた私だった。その私にとって此処にもまた一
重の垣はあるべきだったが、「おれは女を裸にして、隅から隅までむ
ざんに見る。この世の美からは逃げられない。首をかけても、この世
の美からはどかれない」と書くことのできた高村さんは、此処でもやっ
ぱり彫刻家だった。
「この家うちにもビールは有るそうだけどね、やっぱり実ちゃんの好
意をありがたく頂いて、残りはあした三国峠で雲や山を見ながらやる
事にしようよ、君」とコップを挙げた高村さん。葉書へ桂かつらの葉
を墨で押して絵はがきにして、智恵子さんに便りを書いた高村さん。
その寝顔を私に見せ、おまけに大きな寝言まで聞かせた高村さん。
――旅にくつろいだ高村さんを語ることは楽しく、消えた俤をしのぶ
ことは懐かしいが、私に与えられた紙の数は思わざるに此処で尽きた。
                     (1956年4月)

・昭和37年(1962) 「尾崎詩文集9巻」が出された。
    (死後全10巻が刊行された。)

・昭和38年(1963) 「高村光太郎詩集 (世界の詩3)」を刊行した。
「 慰めの音楽デュアメル、 尾崎 喜八」 (1963年)を刊行した。

・昭和40年(1965)「ジャム詩集―新訳 世界の詩」 (1965年) を刊行した。

・昭和41年(1966) 12月、14年間住んでいた東京世田区上野毛
  の家が道路拡張により、転居を余儀なくされ、北鎌倉に移り
  住んだ。
  詩集「田舎のモ-ツアルト」(昭和四十一年)を刊行した。

詩集『田舎のモーツアルト』
「中学の音楽室でピアノが鳴っている。
生徒たちは、男も女も
両手を膝に、目をすえて、
きらめくような、流れるような、
音の造形に聴き入っている。
そとは秋晴れの安曇平、
青い常念と黄ばんだアカシア。
自然にも形成と傾聴のあるこの田舎で、
新任の若い女の先生が孜々として
モーツァルトのみごとなロンドを弾いている。 」
  

・昭和42年(1967) 散文集「私の衆賛歌」を刊行した。
「ヘッセ詩集 (世界の名詩集〈10〉」を刊行した。


・昭和43年(1968)「芸術新潮」に「音楽と求道」を連載した。
     (~昭和48年)

・昭和44年(1969) 散文集「夕べの旋律」を刊行した。
・昭和46年(1971) 詩集「その空の下で」を刊行した。
「素顔の鎌倉」(共著 1971年)を刊行した.

晩年の尾崎喜八は散歩がてら、アジサイで有名な明月院の裏の
谷戸から降りて、手紙をポストに投函しに来たものだった。
思索に耽り、音楽を愛し、詩を書きながら清貧の生活であった。

・昭和47年(1972) 散文集「晩き木の実」を刊行した

・昭和48年(1973) 散文集「音楽への愛と感謝」(1973年)、

「ヘルマン・ヘッセとワンデルグ」が絶筆となった。。

・昭和48年(1973) 8月 吐血し救急車で運ばれ、鎌倉額田病院
 に入院した。一時は奇跡的に回復した。

・昭和49年(1972) 2月4日 逝去された。
8年間の鎌倉の自然と詩と音楽を愛しながら生涯を終えた。
  享年82。
墓は明月院(臨済宗)
  神奈川県鎌倉市山ノ内189 


・昭和50年(1973) 「音楽と愛と感謝」が新潮社から発刊された。
 (★アマゾンで購入した。)

・昭和54年(1977) 明月院に墓碑が建立された。
石碑は有志の人々によって富士見から運ばれてきた。
碑文「いたるところに歌があった、いくたのやさしいまなざしが
あり、いくつの高貴な心があった。こうして富まされた晩年を
在りし日への愛と感謝と郷愁で 装うことのできる魂は幸いだ」

・昭和56年「魂、そのめぐり会いの幸福 (1979年)」が刊行された。

・昭和57年(1980)富士見に「富士見に生きて」記念碑が建立された。



『草津に歩みし100人』のブログ一覧**************

【1】草津温泉・・・・20回以上入湯?
◆◆ 箕輪初心▲草津白根山&蟷螂の湯 ◆◆
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 ★蟷螂の湯は無料

箕輪初心◆2014スキー№9【草津】& 『草津温泉:望雲』
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 ★望雲10回以上

箕輪初心▲群馬:日本百名山:草津白根山&草津温泉
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箕輪初心▲群馬百名山②№26~50草津白根山・皇海山など
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箕輪初心:生方▲群馬:吾妻2-2『八ッ場ダム→浅間酒造
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 ★2017年9月6日無料の公共の湯:3ヶ所めぐり

箕輪初心:生方▲2018スキー№7『草津コース動画&昼食:月乃井
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箕輪初心:生方▲2018スキー№17【渋峠・横手山】&草津「ランチ:飛龍」
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箕輪初心:生方▲2018今年3回目の草津『草津の歴史』
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【2】私の入った草津温泉で入った湯



●『草津に来たりし100人を動画で説明』




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箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』②「行基:開湯伝説」
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箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人ー№12『甘楽国峰城主:小幡信貞』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_11.html

箕輪初心:生方:▲草津に歩みし100人:『戦国時代の草津温泉ブーム創作編』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_12.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣⑬丹羽長秀】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_13.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣⑭堀秀政】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_14.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣⑮多賀常則】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_15.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№16(近衛晴嗣→前嗣→前久→)近衛龍山
http://53922401.at.webry.info/201803/article_9.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№17朝日姫・№18豊臣秀次・
幻の豊臣秀吉&井伊直政』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_10.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人№19『依田(松平)康国』
:豊臣秀次の饗応役
http://53922401.at.webry.info/201803/article_11.html

箕輪初心:生方▲草津温泉100人№20『真田幸繁親戚:大谷吉継
とハンセン氏病療養』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_12.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№21:前田利家』死の予感?
http://53922401.at.webry.info/201803/article_13.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№22真田支配116年』&真田ブログ一覧
http://53922401.at.webry.info/201803/article_14.html

箕輪初心:生方▲草津100人№23『徳川将軍への「御汲湯」の歴史』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_15.html

箕輪初心:生方▲『草津100人№24林羅山』三名泉
http://53922401.at.webry.info/201803/article_18.html

箕輪初心:生方▲草津100ー25『小林一茶』と「草津:望雲」と「上州」
http://53922401.at.webry.info/201803/article_19.html

箕輪初心:生方▲草津100-№26『十返舎一九と草津温泉:望雲』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_23.html

箕輪初心:生方▲草津100--№27『清水浜臣』:高崎に移住した国学者
http://53922401.at.webry.info/201803/article_31.html

箕輪初心:生方▲草津100人-28『良寛』:
http://53922401.at.webry.info/201803/article_32.html

箕輪初心:生方▲草津100ー29『高野長英と上州の弟子たち』
http://53922401.at.webry.info/201804/article_1.html

箕輪初心:生方▲草津100ー30【田川鳳朗・一夏庵坂上竹烟&松尾芭蕉句碑】
http://53922401.at.webry.info/201804/article_2.html

箕輪初心:生方▲草津100人ー31『安積艮斎(ごんさい)』
&小栗上野介のブログ一覧
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箕輪初心:生方▲草津100人ー32『佐久間象山』:目的は火薬づくり?
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箕輪初心:生方▲草津100人ー33『藤田東湖』:『西郷どんに登場しなかった。』
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箕輪初心:生方▲草津100人ー34『堀秀成』:草津繁昌記著者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_11.html

箕輪初心:生方▲草津温泉の日帰り温泉の割引き券の話
http://53922401.at.webry.info/201804/article_15.html

箕輪初心:生方▲草津100人ー35『清河八郎』:将軍を守る浪士隊⇒尊皇攘夷論者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_17.html

箕輪初心:生方▲草津100-36『平沢旭山』:漢学者・国学者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_18.html

箕輪初心:生方▲草津100ー40番外編『鈴木牧之』:「北越雪譜」著者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_19.html


●明治時代****************************
箕輪初心:生方▲草津100ー41『尾崎行雄:咢堂(がくどう)』:憲政の神様
M5、S15

箕輪初心:生方▲草津100ー42番外編『デシャルム大尉』フランス軍人:M6
http://53922401.at.webry.info/201804/article_21.html

箕輪初心:生方▲草津100ー番外編『43マーシャル教授』
『44ディヴァバーズ教授』 M8
http://53922401.at.webry.info/201804/article_23.html

箕輪初心:生方▲草津100ー44番外編『テオドール・ホフマン』
:ドイツ人医師M8?
http://53922401.at.webry.info/201804/article_24.html

箕輪初心:生方▲草津100ー46:アーネストサトウ:イギリスM10,M15
http://53922401.at.webry.info/201804/article_26.html

箕輪初心:生方▲草津100ー47「大槻文彦」M12&『言海』の編集の困難さ
http://53922401.at.webry.info/201804/article_37.html

箕輪初心:生方▲草津100ー番外編45ウォルトン教授:米人医師M12
と「草津温泉図書館」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_25.html

箕輪初心:生方▲草津100ー46「小野湖山」M10:尊皇攘夷論者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_36.html

箕輪初心:生方▲草津100ー『37ベルツ博士と38ベルツ花』M12~度々
と群馬の温泉
http://53922401.at.webry.info/201804/article_16.html

箕輪初心:生方▲草津100ー37「ベルツ博士」復刻版「5ヶ所のベルツ」M12
http://53922401.at.webry.info/201804/article_27.html

箕輪初心:生方▲草津100ー41『スクリバ』:ベルツと共同研究:M24
http://53922401.at.webry.info/201804/article_20.html

箕輪初心:生方▲草津100-49ノルデンショルド:北極圏⇒横浜⇒草津M12
http://53922401.at.webry.info/201805/article_1.html

箕輪初心:生方▲草津100-50『E・ナウマン』地質学者M15
&「フォッサマグナ」
http://53922401.at.webry.info/201805/article_2.html

箕輪初心:生方▲草津100-51『松浦武四郎』M19
&「蝦夷地探検とロシアとの外交史」
http://53922401.at.webry.info/201805/article_3.html

箕輪初心:生方▲草津100ー52番外編「H・S・パーマーM19」英国人将校
&水道工事
http://53922401.at.webry.info/201805/article_4.html

箕輪初心:生方▲草津100-53【田山花袋:M26・M30・T7】
変態小説家?・紀行作家
http://53922401.at.webry.info/201805/article_13.html

箕輪初心:生方▲草津100ー54「長塚節(たかし)M30」&短命の中で?
http://53922401.at.webry.info/201805/article_9.html

箕輪初心:生方▲草津100-56『大町桂月M41』旅・山・温泉を愛す
酒仙文学者・番外編57『下屋学』
http://53922401.at.webry.info/201805/article_11.html

草津100ー番外編58『坪谷水哉(すいさい)M39』「草津入浴記」著
http://53922401.at.webry.info/201805/article_12.html

箕輪初心:生方▲草津100-59「シュタイニッツアーM44」ドイツ人
登山家・紀行作家
http://53922401.at.webry.info/201805/article_14.html

箕輪初心:生方▲草津100-60『前田青邨T3せがい出し梁』:「頼朝の洞窟」
と源頼朝ブログ
http://53922401.at.webry.info/201805/article_16.html

箕輪初心:生方▲草津100-61『横山大観T4』:日本画の巨匠
http://53922401.at.webry.info/201805/article_17.html

箕輪初心:生方▲草津100ー62「C、コリーT4~」:救ライ
(ハンセン氏病)の聖女
http://53922401.at.webry.info/201805/article_19.html

箕輪初心:生方▲草津100-63「川端龍子T5」:『霊泉由来』の謎
http://53922401.at.webry.info/201805/article_20.html

箕輪初心:生方▲草津100-64「犬養木堂(犬養毅)T6」「話せば分かる」
http://53922401.at.webry.info/201805/article_21.html

箕輪初心:生方▲草津100ー65『平井晩村T5と草津節T7』
http://53922401.at.webry.info/201805/article_22.html

箕輪初心:生方▲草津100-66「水野仙子T7」:T8年32歳、草津で死亡
http://53922401.at.webry.info/201805/article_23.html

箕輪初心:生方▲草津100ー67「嘉納治五郎T8」柔道家・教育者・国際人
http://53922401.at.webry.info/201805/article_24.html

箕輪初心:生方▲草津100ー68『富田常雄T8』:「姿三四郎」
&『私の好きな柔道漫画』
http://53922401.at.webry.info/201805/article_25.html

箕輪初心:生方▲草津100ー69「 河東碧梧桐」T10?・S4旅行好き
の俳人・書家
http://53922401.at.webry.info/201805/article_26.html

箕輪初心:生方▲草津100ー70【若山牧水T9・T11】「みなかみ紀行:草津編」
http://53922401.at.webry.info/201805/article_27.html

★おまけ
箕輪初心:生方▲草津100ー70【若山牧水T11】続編「湯宿温泉:金田屋」
http://53922401.at.webry.info/201805/article_29.html

箕輪初心:生方▲草津100ー70『若山牧水T11:群馬』と
「My若山牧水ブログ一覧」
http://53922401.at.webry.info/201805/article_30.html

箕輪初心:生方▲草津100ー71『志賀直哉M37・T11・S12?』②「矢島抑堂」
http://53922401.at.webry.info/201805/article_31.html

箕輪初心:生方▲草津100-72『徳富蘇峰T14』新島襄から洗礼
http://53922401.at.webry.info/201805/article_33.html

箕輪初心:生方▲草津温泉100-73「高村光太郎S2.S5,S8」と尾崎喜八
http://53922401.at.webry.info/201805/article_34.html

箕輪初心:生方▲草津100-74「賀川豊彦T15/S2 」ライ病救援者
http://53922401.at.webry.info/201805/article_35.html

箕輪初心:生方▲草津100ー77「中山晋平S3」:草津小唄作曲
http://53922401.at.webry.info/201806/article_1.html

箕輪初心:生方▲草津100ー75「相馬御風S3」と『草津小唄』
http://53922401.at.webry.info/201806/article_2.html

箕輪初心:生方▲草津100-76「野口雨情S3」と野口泰彦先生
の家は車で1分
http://53922401.at.webry.info/201806/article_3.html

箕輪初心:生方▲草津100ー79「竹久夢二S4日新館」と群馬
http://53922401.at.webry.info/201806/article_4.html




★明日も草津関係かな?

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