箕輪初心:生方▲草津100ー54「長塚節(たかし)M30」&短命の中で偉業

●『明治30年 長塚節 歌人・作家「長塚節歌集」中の「浅間の雲」』
と草津温泉観光協会の本やHpにあった。 私の家に父が購入した「長
塚節歌集」長塚節著・斎藤茂吉(★草津に来ている)編集:岩波文庫が
あったはずであるが見つからなかった。長塚節の石下の生家も行った
気がする。水戸一高も見ている。常総市の疑似豊田城で長塚節の銅
像も見てきた。残念ながら、私の力では、長塚節と草津の関係は未解
決のままである。長塚節の数え30歳頃は調べられなかった。★絶対
草津で一発以上、歌と屁を咬ましているはずである。
「水打てば 青ほおずきの 袋にも 
  したたりぬらん たそがれにけり 」
(『長塚節歌集』:土屋文明記念文学館)
「 惜しまるる 花のこずゑも この雨の 
  晴れてののちや 若葉なるらむ 」
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箕輪初心◆茨城常総市【疑似豊田城】&長塚節の生涯
http://53922401.at.webry.info/201403/article_10.html

◆長塚節の短い生涯
・明治12年(1879)、石下町国生(現常総市国生)の豪農で
  父:長塚:源次郎、母たかの長男として生まれた。
 ★私は生家に行ったきがするが・・・石下城も行った。
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  (★パンフレットより)

 3歳のころに小倉百人一首をそらんじ、神童といわれた。

・明治20年(1887) 父:長塚源次郎は県会議員になった。
  (明治40年には第20代議長を務めた。)

・明治22年(1889)4月 茨城中学校(後茨城県立水戸中学校、
 現茨城県立水戸第一高等学校)に首席で入学した。
★水戸城内本丸・薬い門がある学校である。
 ★山口薫も水戸一高であった。
 ★トルコで一緒だったS田恭ちゃんもお母さんになったろう。
 
2年生の学年試験では、平均84点で102人中3番の成績であった。
  3年生の頃から、不眠症の徴候が出てきた。
 4年生に進級後が脳神経衰弱を発症した。
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・明治26年(1893) 学業継続困難となり
   回復しないため退学した。

 郷里:国生に帰り自然に親しみながら読書・作歌や旅をして
 療養・健康回復に努めた。
 さまざまな文学への関心を高めていった。

明治30年 長塚節が草津に来た。
 「長塚節歌集」中の「浅間の雲」
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 (★こんな身支度で・・・)
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・明治31年(1898) 2月~ 3月
  正岡子規が、新聞「日本」に掲載した『歌よみに与ふる書』・
 『百中十首』を家で熟読し、写生の歌を学び始め、正岡子規に
  傾倒した。、
 19歳の時、写生説に激しく共感した。
、子規の許を直接訪ね、入門、『アララギ』の創刊に携わることになる。

・明治33年(1900)
2月15日、 長塚節が新聞『日本』 に掲載された。
「野を行けば ただに楽しく 森行けば
        こととしもなく ものぞ偲ばゆ」
「すがの根の ながなかし日も 日も傾きて 
         上野の森の 影よこたはる」

  (★『相逢の人と文学』千葉貢著:コールサック者2016)


3月27日 22歳の時は、初めて正岡子規(33歳)
  の居宅「子規庵」を訪問した。
  が、先客があって気おくれし、話さなかった
 3月28日  再度訪問し面会した。
 3月31日  3回目の訪問時は
  正岡子規は、火をつけた線香を持ってこさせ、「それが燃え尽きる間
  にここの実景を歌に詠め。」と命じた。
  長塚節は
 『歌人の 竹の里人 おとなへば
   やまひの牀に 絵をかきてあり』
  に始まる10首を詠んだ。

 4月3日 節の誕生日に新聞「日本」に掲載された。
   長塚節は大変感激していていた。

 正岡子規入門後は愛弟子として伊藤左千夫、岡麓、香取秀真、
 高浜虚子、河東碧梧桐らと活躍するとともに、全国各地に旅する
 ようになった。

 正岡子規のところでは、「馬酔木(あしび)」の編集同人として活躍
 した

 伊藤左千夫とともに、「アララギ」を創刊し、頭角をあらわした。

 一方で、病気療養を兼ね、菅笠、草鞋という軽装で諸国を旅し、
 旧所、名跡を訪ねて歌を詠んだ。万葉集の歌風を取り入れた節の歌は、
 自然を限りなく深い眼差しでとらえている。

また、父の政治活動による浪費で傾いた家運の挽回をはかるため、
 炭焼きの研究や竹林栽培に情熱を傾けた。
 正岡子規の助言を守り岡田村青年会の初代青年会長となり堆肥の
 改良など農村振興に努めた。


・明治40年(1907) 11月 写生文「佐渡が島」を『ホトトギス』に
  発表した。
  高浜虚子に明治40年度の客観写生文の第一の傑作と賞された。
長塚節は歌人として名を成した。
 夏目漱石の意向・推挙で東京朝日新聞に長編小説「土」を連載するこ
 とになった。
 厳しい自然への洞察力とともに人間への深い愛情が発揮された。
農村を写実的に描写した長編「土」は農民文学のさきがけとなる
 重要な作品と評価され、長塚節の代表作となった。
作家としての名声も手に入れた

・明治44年(1911) 12月 喉頭結核の診断を下された。
  東京や福岡の病院で治療に努めながら、各地を旅した。

・大正3年(1914) 231首の短歌を詠んだ「鍼の如く」を発表した。

・大正4年(1915) 2月9日、福岡県の九州帝国大学医科大学
  (現九州大学医学部)付属病院でなくなった、36歳の若さだった。


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【2】長塚節
 長塚節は明治12年4月3日、茨城県岡田郡国生村(現結
城郡石下町国生)に父:源次郎・母:たかの長男として生まれた。
3才の時、いろはを確実に読み百人一首を暗誦するなど神
童振りを発揮した。
学令に満たない5才の時、国生小学校に入学、下妻高等小
学校を経て明治22年茨城尋常中学校(現、水戸一高)に
入学、常に首席を占めていた。
 しかし健康がすぐれないため4年のとき中学校を退学、以
来家郷に在って気の趣くままに旅を志し自然の美を探勝しな
がら療養につとめた。
明治33年の春かねて感銘敬慕していた正岡子規に入門、
もっぱら万葉集の歌風を学び36年には根岸短歌会の機関誌
「馬酔木」の編集同人として活躍した。
40年前後には家運の挽回をはかるべく炭焼きの研究、竹林
の栽培に情熱を傾けた。
 また岡田村青年会を創設し、初代青年会長となって青年の
指導と農村振興に努力した。
41年には伊藤左千夫たちと「アララギ」を創刊し、短歌
から写生文そして小説へとますます意慾のほどをみせ「芋堀」
「開業医」「旅日記の一節」「菜の花」「おふさ」「教師」「隣室
の客」「愛せられざる花」「太十と其犬」などを、ホトトギス
誌上などに発表した。
 更に43年には不朽の名作「土」を夏目漱石の推挙により
朝日新聞に6月13日から151回に亘って発表した。
44年黒田てる子との縁談が成立(われ33年にしてはじめ
て婦人の情味を解したり)と喜んだが、それも束の間、病魔の
冒すところとなり婚約を解消して療養生活に追込まれる。
 この間名作「鍼の如く」231首を詠んだ。
因みに「土」につづいて死刑囚をモデルにした大作を構想し
ていたが、未発表のまま大正4年2月8日旅先福岡医大の病室
に於いて37才の短い生涯を閉じたのである。
昭和45年大阪万国博覧会における毎日新聞社の企画により、
古来から現代に至る日本の文化百般に亘る最高の業績の物を
タイムカプセルに納めて5千年後の人々に紹介することにな
り、厳選の結果近代歌集については5点が選ばれたが、勿論
そのなかに「長塚節の歌集」が含まれたということは、とり
もなおさずその真価を物語るものである。

 (★説明板&パンフレットより)



★★ 長塚節の生涯 ★★
・明治12年(1879)4月3日 茨城県結城郡岡田村国生
(現常総市石下町国生)の豪農の家に生まれる。

・明治15年(1882)3歳
  百人一首を暗誦できた(伝)。

・明治17年(1884) 5歳 
    国生小学校に入学。

・明治26年(1893) 茨城県立水戸尋常中学校に入学。
※現水戸一高である
首席で入学し、4年進級までした。

・明治29年(1896) 神経衰弱を発症して学業継続困難と
  なり・・・水戸中学校を4年で退学。
郷里の石下に戻った。
  自然や読書に親しむ生活を送りながら療養に努めた。
  ・・・→文学への関心を高めていった。
 (★パンフレットより)


・明治31年(1898) 19歳
  家で購読していた新聞「日本」に連載された正岡子規
  の『歌よみに与ふる書』などを読んだ。
  写生説に激しく共感し、正岡子規に傾倒した。
 6月 東京築地の山田病院に入院。
    神経衰弱の治療を受けた。 

・明治33年(1900)
 3月28日 根岸庵に正岡子規を訪問。・・・
       正岡子規の門下に入門した。
 
 3月30日 再訪。「根岸庵」の十首を作った。
   「日本」に掲載された。
4月1日 根岸庵歌会に出席し、伊藤左千夫らを知る。

  正岡子規の下では万葉の短歌の研究と作歌にはげんだ。

・明治35年(1902) 正岡子規逝去。
  上京する。

  長塚節は正岡子規の没後も写生主義を継承した作風を
  発展させた。
  正岡子規の門人の間では、
  「節こそが正岡子規の詠風の正統な後継者である」
  との評価が生まれた。

・明治36年(1903)根岸短歌会「馬酔木」を創刊。
伊藤左千夫らとともに編集に加わった。
  また、散文の執筆も手掛け、写生文を筆頭に数々の小説を
  『ホトトギス』に寄稿した。

炭焼き&竹林の研究をした。

・明治41年(1907)
  伊藤左千夫らとともに『アララギ』の創刊した。
短歌→写生文→小説へと文学の幅を広げた。

・明治43年(1910) 「土」の原稿を手がけた。
夏目漱石の推挙で、朝日新聞に151回連載した。

・明治44年(1911)
  黒田てる子と離婚。
 8月頃
  東京目白台の小布施新三郎家へ養子縁組した実弟:
  順次郎を頼って上京した。
  小布施邸に滞在しながら東京の名医といわれる医家を
   も廻って診察してもらった。
  「喉頭結核でこのままでは余命一年か一年半」
  と言われた。

 12月 東京の根岸養生院に入院し手術を受けた。


・明治45年、大正元年(1912)3月
九州帝国大学医学部耳鼻咽喉科学:久保猪之吉博士が
  いるとの評判を聞き、博士の治療を受けるために、治
  療を続けながら九州への長旅に出立する。

  途次、京都医科大学病院に入院し手術を受ける。
  その後9月まで九州を旅行・・・
  久保博士の診察治療を受け、病状はいったん治まる。

・明治45年(1915)
  長編「土」を『東京朝日新聞』に連載・・・
  当時の農村を写実的に描写した。
  ※農民文学のさきがけとなる重要な作品と評価され、
  彼の代表作となった。


※東京朝日新聞に連載した小説「土」は日本の農民文学を
 確立した作品といわれたそうだ。


【土】・・・明治45年発刊
 烈しい西風が目に見みえぬ大きな塊をごうつと打うち
つけては又ごうつと打うちつけて、皆痩せこけた落葉
木の林を一日苛め通とほした。木の枝は時々と悲痛の響
きを立てて泣いた。短い冬の日はもう落ちかけて黄色な
光を放射しつゝ目叩いた。さうして西風はどうかすると
ぱつたり止やんで終まつたかと思もふ程ほど靜かになつ
た。泥を拗切つて投げたやうな雲が不規則に林の上に凝
然とひつゝいて居て空はまだ騷さわがしいことを示めし
て居る。それで時々は思ひ出したやうに木の枝がざわざわ
と鳴る。世間が俄かに心ぼそくなつた。
お品は復た天秤てを卸ろした。お品は竹の短かい天秤
ての先へ木の枝で拵しらへた小さな鍵の手をぶらさげて
それで手桶の柄を引つ懸けて居た。お品は百姓の隙間
には村から豆腐を仕入れて出ては二三ヶ村を歩いて來る
のが例である。手桶で持ち出すだけのことだから資本も
要らない代はりには儲けも薄いのであるが、それでも百
姓ばかりして居るよりも日毎に目に見えた小遣錢が取
れるのでもう暫くさうして居た。手桶一提の豆腐ではい
つもの處をぐるりと廻れば屹度なくなつた。還りには
豆腐との壞れで幾らか白くなつた水を棄てゝ天秤は輕く
なるのである。お品は何時でも日のあるうちに夜なべに
繩に綯ふ藁へ水を掛けて置いたり、落葉を攫つて見たり
そこらこゝらと手を動かすことを止めなかつた。天性が
丈夫なのでお品は仕事を苦しいと思つたことはなかつた。
・・後略・・・。


★夏目漱石が推薦の言葉を書いていた。
  やっぱ、凄い文学者だったんだと思った。
 でも、旧字体で挿絵もなかった。綺麗な情緒的な
 文章であったが、私はすぐに力尽きた。
 最初の文章だけコピーした。


・大正2年(1913) 12月、喉頭結核再発。
   東京神田の金沢医院に入院・・・手術を受けた。


・大正3年(1914)
3月 東京神田錦町の橋田医院に入院。
6月~9月 治療を受けながら宮崎県青島へ旅行に出た。


•大正4年(1915)
1月 「鍼の如く(五)」を「アララギ」 に発表。
    
   九州帝大病院隔離病棟に入院。
(★パンフレットでは福岡医大)

2月7日 昏睡状態に陥った。
2月8日 福岡医大の病室に於いて結核のために
   37歳で死去。永眠。
   ★37才の短い生涯を閉じたのである。
  福岡の崇福寺で荼毘にふされる。
  遺骨は東京に運ばれた。
  東京目白台の小布施邸で通夜が営まれた。

3月14日 葬儀は郷里にて執り行われ、
     故郷の共同墓地に埋葬された。

現在・・・常総市では節の文業を顕彰し、短編小説・短歌・
  俳句の三部門に長塚節文学賞を設けているそうだ。

・疑似豊田城前の銅像
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【5】気に入った短歌
①春
「水仙の 花にむしろも おほひあへず
    小さき庭を かせ時雨きぬ 」

②夏
「生れしはを のこなるらむ 菖蒲草 
   ふきし軒端に  幟たてたり 」

③秋
「萩こえし 垣をまがりて 右にをれて
   根岸すぐれば  むしぞなくなる 」

④冬
「 船にねて 船をいづれば 曉の
はつ雪しろし かけはしの上に 」


★参考図書等
・パンフレット
・「土」:長塚節著
・長塚節
・「長塚節歌集」長塚節著・斎藤茂吉編集:岩波文庫
・「相逢(そうふ)の人と文学」千葉貢著2016年

★参考サイト
・ウキペディア


『草津に歩みし100人』のブログ一覧**************



【1】草津温泉・・・・20回以上入湯?
◆◆ 箕輪初心▲草津白根山&蟷螂の湯 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_4.html
 ★蟷螂の湯は無料

箕輪初心◆2014スキー№9【草津】& 『草津温泉:望雲』
http://53922401.at.webry.info/201402/article_13.html
 ★望雲10回以上

箕輪初心▲群馬:日本百名山:草津白根山&草津温泉
http://53922401.at.webry.info/201107/article_4.html

箕輪初心▲群馬百名山②№26~50草津白根山・皇海山など
http://53922401.at.webry.info/201206/article_29.html

箕輪初心■群馬草津の松尾芭蕉句碑:ゴリラ50ccでGo
http://53922401.at.webry.info/201209/article_4.html

箕輪初心■プラドでGo【群馬の4湯巡り】 
http://53922401.at.webry.info/201206/article_26.html
★大滝の湯

箕輪初心:生方▲群馬:吾妻2-2『八ッ場ダム→浅間酒造
→草津温泉風呂巡り』
http://53922401.at.webry.info/201709/article_7.html
 ★2017年9月6日無料の公共の湯:3ヶ所めぐり

箕輪初心:生方▲2018スキー№7『草津コース動画&昼食:月乃井
&温泉:山本館』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_7.html

箕輪初心:生方▲2018スキー№17【渋峠・横手山】&草津「ランチ:飛龍」
・「温泉:益成屋」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_28.html

箕輪初心:生方▲2018草津今年2回目①「湯畑付近の散策」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_29.html

箕輪初心:生方▲草津:今年2回目②「西の河原通り」2回の風景」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_30.html

箕輪初心:生方▲2018草津今年2回目③「西の河原公園散策」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_31.html

箕輪初心:生方▲2018草津今年2回目④「草津に来たりし100人情報:前半」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_32.html

箕輪初心:生方▲2018草津今年2回目⑤「草津に来たりし100人情報:後半」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_34.html

箕輪初心:生方▲2018GW今年3回目の草津『旧遠州屋(現平野屋)で昼食・風呂』
http://53922401.at.webry.info/201805/article_7.html

箕輪初心:生方▲2018GW今年3回目の草津『草津に歩みし100人の動画』
http://53922401.at.webry.info/201805/article_8.html

【6】私の入った草津温泉で入った湯
①公共の無料の湯…共同湯は19箇所全て無料
 6ヶ所20回以上であろうが、30年以上前からなので、不明
●千代乃湯1回 日新館隣
●鷲乃湯1回
●煮川乃湯3回 ホテル高松の駐車場前・五郎次宿泊
 長寿乃湯
 地蔵の湯
関乃湯   西の河原通り
凪乃湯 西の河原通り 無料まんじゅう配布奧
●翁乃湯10回以上 望雲の上側  Y先輩宅から30秒以内
●喜美乃湯5回位 セブンイレブン裏 Y先輩母が殆ど毎日
千歳の湯 スーパー大津の向かい Y先輩母時々
瑠璃乃湯 バスターミナル
白嶺の湯 すずらん通り M先輩近く
 巽の湯 セーブオン近く M先輩近く
睦乃湯 つつじ亭の交差点
恵乃湯 つつじ亭の交差点先
長栄乃湯
●蟷螂の湯1回 草津小・道の駅近く。
 碧乃湯
②公共の有料
 ・大滝の湯…2回
 ・西の河原の湯…1回
③「櫻井」…皮膚病の治しのため…5回以上
④望雲:万代の湯+露天風呂…5回以上いや10回以上かな。
  ★強酸性泉&弱酸性泉の両方ある。Y先輩宅近く
⑤大東館…1回
⑥遠州屋…1回
⑦中沢ビレッジ…2回
⑧宿泊は先輩宅・富士見館と言ったかな(翁乃湯近く)など5回程か?
⑨山本館…1回
⑩益成屋…1回

●草津温泉に来た有名人シリーズ*****************
★説明がちがっているかもしれません。
 巴御前と静御前を勘違いしています。










●『草津に来たりし100人を動画で説明』




箕輪初心:生方▲『草津温泉に歩みし百人』①「日本武尊:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_23.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』②「行基:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_24.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』③「源頼朝:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_25.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』④木曾義仲・⑤巴御前
http://53922401.at.webry.info/201709/article_26.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』⑥蓮如と番外編「孫:顕如」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_27.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』「番外編:堯恵」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_28.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』⑦「長野業尚:榛名鷹留城主」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_30.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人⑧長尾為景:上杉謙信の父
http://53922401.at.webry.info/201710/article_1.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人⑨大光宗猷禅師=曇英恵応:林泉寺創建
http://53922401.at.webry.info/201710/article_2.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』番外編:万里集九『梅花無尽蔵』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_3.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』№10『横瀬成繁』太田金山城主
http://53922401.at.webry.info/201710/article_8.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人:連歌師『⑪宗祇』&番外編『宗長』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_9.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人『草津管理人:湯本善太夫』
と『真田ブログ一覧』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_10.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人ー№12『甘楽国峰城主:小幡信貞』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_11.html

箕輪初心:生方:▲草津に歩みし100人:『戦国時代の草津温泉ブーム創作編』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_12.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣⑬丹羽長秀】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_13.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣⑭堀秀政】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_14.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣⑮多賀常則】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_15.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№16(近衛晴嗣→前嗣→前久→)近衛龍山
http://53922401.at.webry.info/201803/article_9.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№17朝日姫・№18豊臣秀次・
幻の豊臣秀吉&井伊直政』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_10.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人№19『依田(松平)康国』
:豊臣秀次の饗応役
http://53922401.at.webry.info/201803/article_11.html

箕輪初心:生方▲草津温泉100人№20『真田幸繁親戚:大谷吉継
とハンセン氏病療養』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_12.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№21:前田利家』死の予感?
http://53922401.at.webry.info/201803/article_13.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№22真田支配116年』&真田ブログ一覧
http://53922401.at.webry.info/201803/article_14.html

箕輪初心:生方▲草津100人№23『徳川将軍への「御汲湯」の歴史』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_15.html

箕輪初心:生方▲『草津100人№24林羅山』三名泉
http://53922401.at.webry.info/201803/article_18.html

箕輪初心:生方▲草津100ー25『小林一茶』と「草津:望雲」と「上州」
http://53922401.at.webry.info/201803/article_19.html

箕輪初心:生方▲草津100-№26『十返舎一九と草津温泉:望雲』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_23.html

箕輪初心:生方▲草津100--№27『清水浜臣』:高崎に移住した国学者
http://53922401.at.webry.info/201803/article_31.html

箕輪初心:生方▲草津100人-28『良寛』:
http://53922401.at.webry.info/201803/article_32.html

箕輪初心:生方▲草津100ー29『高野長英と上州の弟子たち』
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箕輪初心:生方▲草津100ー30【田川鳳朗・一夏庵坂上竹烟&松尾芭蕉句碑】
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箕輪初心:生方▲草津100人ー31『安積艮斎(ごんさい)』
&小栗上野介のブログ一覧
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箕輪初心:生方▲草津100人ー32『佐久間象山』:目的は火薬づくり?
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箕輪初心:生方▲草津100人ー34『堀秀成』:草津繁昌記著者
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箕輪初心:生方▲草津温泉の日帰り温泉の割引き券の話
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箕輪初心:生方▲草津100人ー35『清河八郎』:将軍を守る浪士隊⇒尊皇攘夷論者
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箕輪初心:生方▲草津100-36『平沢旭山』:漢学者・国学者
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箕輪初心:生方▲草津100ー40番外編『鈴木牧之』:「北越雪譜」著者
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●明治時代****************************
箕輪初心:生方▲草津100ー41『尾崎行雄:咢堂(がくどう)』:憲政の神様
M5、S15

箕輪初心:生方▲草津100ー42番外編『デシャルム大尉』フランス軍人:M6
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箕輪初心:生方▲草津100ー番外編『43マーシャル教授』
『44ディヴァバーズ教授』 M8
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箕輪初心:生方▲草津100ー44番外編『テオドール・ホフマン』
:ドイツ人医師M8?
http://53922401.at.webry.info/201804/article_24.html

箕輪初心:生方▲草津100ー46:アーネストサトウ:イギリスM10,M15
http://53922401.at.webry.info/201804/article_26.html

箕輪初心:生方▲草津100ー47「大槻文彦」M12&『言海』の編集の困難さ
http://53922401.at.webry.info/201804/article_37.html

箕輪初心:生方▲草津100ー番外編45ウォルトン教授:米人医師M12
と「草津温泉図書館」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_25.html

箕輪初心:生方▲草津100ー46「小野湖山」M10:尊皇攘夷論者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_36.html

箕輪初心:生方▲草津100ー『37ベルツ博士と38ベルツ花』M12~度々
と群馬の温泉
http://53922401.at.webry.info/201804/article_16.html

箕輪初心:生方▲草津100ー37「ベルツ博士」復刻版「5ヶ所のベルツ」M12
http://53922401.at.webry.info/201804/article_27.html

箕輪初心:生方▲草津100ー41『スクリバ』:ベルツと共同研究:M24
http://53922401.at.webry.info/201804/article_20.html

箕輪初心:生方▲草津100-49ノルデンショルド:北極圏⇒横浜⇒草津M12
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箕輪初心:生方▲草津100-50『E・ナウマン』地質学者M15
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箕輪初心:生方▲草津100-51『松浦武四郎』M19
&「蝦夷地探検とロシアとの外交史」
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箕輪初心:生方▲草津100ー52番外編「H・S・パーマーM19」英国人将校
&水道工事
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