箕輪初心:生方▲草津100-66「水野仙子T7」:T8年32歳、草津で死亡

湯畑の「草津に歩みし100人」の標柱には「水野仙子 大正7年
(1918)来草」とある。「水野仙子」って「せんこ」って読むのかな?
こんな人、知らん。とはいえ、田山花袋を調べていくうちに、水野
仙子が弟子だと分かった。水野仙子は自然主義の文学が頂点
にあった田山花袋の門下となった。そして、水野仙子は大正8年
(1819)32歳で草津で生涯を終わるまで、多くの短篇を発表した。
水野仙子は最も強く自然主義の影響された?受け継いだ?女流
作家であった。
画像




◆水野仙子の生涯   
 (★ウィキペデア・小林徹氏のHP・福島の文学等より編集)

・明治21年(1888) 服部直太郎とセイとの2男3女の末子として、
 福島県岩瀬郡須賀川町(現須賀川市)で生まれた。
  長兄:服部躬治(歌人)
  次兄:?
  長姉:服部セツ(節子)
  次姉:服部ケサ(草津:救ライ運動の医師)
  三女:服部テイ(ペンネーム:服部貞子・水野仙子)
  服部家は「釜屋」という呉服・燃料(石油)・ランプなどを
  商う旧家だった。

・明治36年(1903) 15歳の時、須賀川尋常高等小学校(現須賀川
 市立第一小学校)を最優秀の成績で卒業した。
  
 須賀川裁縫専修学校に入った頃から、『少女界』
  誌に投稿した。
  長兄の歌人躬治(もとはる)が選者でいた。

  卒業後裁縫女塾へ通った。

・明治38年(1905)以降。河井酔茗の『女子文壇』誌に投稿し入選した。
  投稿仲間の愛称は『お貞さん』だった。

・明治39年 (1906)頃
 服部貞子・服部すいせん子・服部すゐせん子・服部水仙子の名前で
 投稿している。



・明治41年(1908) 20歳の時『女子文壇』に、全投書の掲載を約束
 された。

・明治42年(1909) 21歳の時、『文章世界』誌に発表した
  『徒労』が編集主任の田山花袋に激賞されて上京し、田山家に
  寄寓して内弟子となった。

『ひと夜』・『貸した家』を発表した。

『蒲団』という小説は、大雑把にいえば、
「中年作家が若い女性の弟子に恋をするが、結局その恋はかなわず、
 弟子が使っていた蒲団の匂いを嗅いで涙する」という内容である。
 エロ中年か変態? ギャルが聞いたら、「キモい」の一言で片付け
 られてしまうようなストーリーであるが、当時の文壇にセンセーショ
 ナルな衝撃を与えた。
もしかして、『蒲団』の芳子のモデルは水野仙子じゃないの?と
 勝手に想像したが、
旧館林城内にある『田山花袋記念文学館』
 市政60周年企画展の冊子では「内弟子:岡田美知代」であると
 している。

 ※この頃、「水野仙子」を名乗り始めた。


・明治43年(1910) 『お波』(中央公論2月号)、『娘』(同11月号)
  を発表した。
  投稿少女から一人立ちの作家となった。
                                      
新進女流作家として活躍する一方、読売新聞社の婦人記者として
 も活躍した。

・明治44年(1911) 6年越しの文学仲間、川波道三と結婚した。
  田山花袋からは離れた。

  平塚らいてふ等が起こした『青鞜』が創刊された。
  水野仙子は「青鞜」の同人となって作を載せた。
『青鞜』の表紙は長沼智恵子(高村智恵子)が書いた。

  しかし、水野仙子は青鞜社の『新しい女たち』とは馴染
  まなかった。

・明治45年(1912)~夫:川波道三は肋膜(結核菌から)を患い、
 入退院を繰り返した。
 水野仙子は一生懸命介護した。

・天正4年(1915) 9月、前田晁に勧められて読売新聞記者となり
 、身上相談を受け持った。誠実さで人気を博した。
 
 水野仙子は結核を発病している夫:川波道三を介護した。
 水野仙子は川波道三がせきやくしゃみによる飛沫(しぶき)
 に含まれる結核菌を吸い込むことにより、結核菌は空気感染
 していった。

・天正5年(1916) 3月頃 28歳の時に肋膜炎(結核菌)を病んで
 退社した。
 4月、駿河台杏雲堂病院に入院した。
 6月、退院した。
7月、郷里須賀川の長姉:セツの許で病気療養した。
 
 9月 肝臓病、腹膜炎を併発し、高玉温泉(磐梯熱海)で療養した。
    猪苗代湖畔でも療養した。
   水野仙子は生と死を見つめる作品を書いた。

●大正5年(1916) 水野仙子の実の姉。服部フサは光塩会の宿沢薫
  に呼ばれ、草津のバルナバ医院の医師として、勤めた。

●大正6年(1917)三上千代は光塩会の宿沢薫に呼ばれた。
服部フサと三上千代は、草津にライ病患者の部落があるにもかかわ
らず、医師も看護婦もいない事実を知り、コンウォール・リー女史
の事業を手伝った。
★2人は湯の沢(鈴蘭村)のライ病患者施設に通った。
 そして、バルナバ医院の医師・看護師として伝道師として活躍した。

・大正7年(1918) 30歳の時、水野仙子の病気が再発した。
 病床で有島武郎の作品の批評を書いて、武郎との文通が始まった。
晩年は文通により有島武郎から思想的影響を受けたが、一度も会う
 事はなかった。

大正7年(1918) 9月から、実姉:服部ケサが勤める草津温泉の聖
 バルナバ医院へ入院した。
  聖バルナバ医院での治療は次姉:服部けさは当たった。
 実姉:服部ケサはリー女史が招聘した聖バルナバ医院の医師であ
 った。ハンセン病者たちが暮らす下町の湯之沢集落で治療に当たっ
 た。服部ケサは聖バルナバミッションの遂行のために、上町の住民
 や学校医としても活躍していた。
(★「リーかあさま記念館」の「服部フサ」の資料)
三上千代も手当でに協力したのであろう。


水野仙子はバルナバ病院のベッドの上で「酔ひたる商人」を
  書いた。これが絶筆となった。

大正8年(1919) 5月31日、午後4時30分 
  水野仙子が唯一の力と頼みにした女医で次姉服部ケサの看護も
 空しく、脳膜炎を併発し、草津温泉の聖バルナバ病院の一室でつ
 いには遠く還らぬ人となった。
 小野仙子は草津の聖バルナバ医院で亡くなった。
  32歳の若さで生涯を閉じた。(享年30)。

 ★あまりにも若すぎる死であった。
 6月2日、水野仙子の遺骨は草津で荼毘に付された。
 6月3日 水野仙子の遺骨は夫:川浪道三に抱えられて東京に
      運ばれた。
 6月5日、雑司ヶ谷の墓地に葬られた。
  
 
・大正9年(1920) 9月、『水野仙子集』夫:川浪道三編集(叢文閣)
  が刊行された。
  題字尾上柴舟、序文田山花袋、跋文有島武郎、装丁岸田劉生である。
  水野仙子の作品の約3分の1の22篇を納められている。


●大正12年(1923)2人は「鈴蘭病院」の設立した。
実の姉:服部フサが心臓麻痺でなくなった。
まさか、水野仙子(服部テイ)の姉:服部フサも水野仙子
   の4年後に死ぬなんて、・・・。




◆参考作品*************************
1)「叢書「青踏」の女たち 第10巻 水野仙子集」不二出版
『女』
『女つてもの位、なんだね、僕等に取つて依體の知れないものは
ないね、利口なんだか馬鹿なんだか、時々正體をつかむに苦しむ
ことがあるよ。さうなるとまるで謎だね……法廷なぞでもなんだ
よ君、あゝあゝかうと、ちやんと言ひ切つてしまふのは女の證人
だよ。男なら、さあはつきり覺がありませんとか、よく分りませ
んでしたとかいふところを、女は事々明瞭に申したてる、そりや
頗る明快なものさ、概してそれは證人の弊だがね、女は殊にさう
なんだ。勿論、證言の眞實は保證の限にあらずさ。』
主人の辯護士は、次のやうな話を語り終つてから、かう結論のや
うにつけ加へた。
それはこんな話であつた。――
 嘗てその辯護士の住んでゐた港の都市から少し離れたところに、
戸數一萬ばかりの某の町があつて、そこには聯隊があつた。その聯
隊附の中尉――某中尉といふのゝ細君が、ふとしたことから一つの
問題を惹き起したのである。
 夫の中尉はちようど當番で勤務中であつた。その夕餉を細君はひ
とり寂しくちやぶだいの前に坐つた。卓の上には晝からの殘物か何
かゞ並べられてあつた。茶盆の上の急須に無心に湯をつぎながら、
さらさらと茶漬をしまつて、間もなく細君はひとりゐの淋しさに、
早くから戸じまりをして床に就いた。
 一寢入してふと眼覺めた時――一つの床の寂しさと、一人とい
ふ責任がおのづと眼を開けさせたかのやうに――護り疲れたやうな
電燈の光が、何かの注意を促すやうに寢起の瞼を刺した。闇といふ
無氣味なものにつゝまれるのが恐しさに、わざと捻り殘したその光
が、部屋の隅々まで渡つてゐるのに安心した細君の胸に、この時ふ
とどきりと蟠つたものがあつた。なんとなく胸さわぎを覺えながら、
細君は起き上つて隔の襖を開けた。電燈の紐をのばして茶の間のち
やぶだいの上を調べて見たが、そこには茶碗や小皿が先刻のまゝ置
かれてあるばかりであつた。今月の俸給全部――手に入つたばかり
の八十幾圓が、状袋入のまゝ姿が見えない。念のために箪笥や鏡臺
の引出、針箱から火鉢の引出から、脱ぎすての袂まで調べて見たが
無い。
 もとより戸締を破つて人が盜みに入つたとは細君も信じなかつた。
それにしては何の怪しいところもない。胸に手を置いて考へて見る
と、晝の時にちやぶだいの上に置いたまゝ御飯を喰べたことを覺え
てゐる。そしてそれから風呂に行つた――その時風呂に持つて行く
のは危險だと考へたことも思ひ出せる。だから確に風呂にも持つて
行かなかつた。それだけは斷定できるけれども、さてそれからの意
識がぼんやりしてゐる。そのまゝ置き忘れたやうな、またどこかに
一寸入れたやうな……と思ひ迷つた細君の胸に、ふと、
『奧さん、先刻炭屋がまゐりましてね……』と、その出先にはひつ
て來た差配のおやぢの汚い顏が浮んだ。と同時に、ちやぶだいの上
に置き忘れたといふ信念が、疑ふべくもなく細君の頭全部を占めた
のであつた。…(後略)
昭和61年(1986) 4月25日復刻版第1刷発行
(アマゾンで購入:0円+送料257円)

2)『神楽坂の半襟』 
 貧というものほど二人の心を荒くするものはなかった。貧というも
のほどまた二人の間を親密にするものはなかった──。神楽坂へ
買い物に出掛けた夫婦。半襟が気に入ったお里は、夫が買ってくれる
のではと期待するが…。
夫婦の心の行き違いを描いた作品である。自然主義文学なのだろ
 う。
(青空文庫より引用)

3)『散歩』 
 久し振りに銀座へ出掛けた夫婦だが、ちょっとした感情の行き違
いから、散歩を楽しむ気持ちがすっかり失せてしまう…。「男っても
のはどうしてあんな女を好くのだろう?」、「女ってものはどうして
ああ物質的なもんだろう」──。
 ★「男って~」「女って~」がユニークな作品で、田山花袋の影響
  色濃く出ている気がする作品である。

(青空文庫より引用)


4)『貧しき病人のうた』
水野仙子
「讀賣新聞 大正八年七月二十日(日曜日) 日曜附録」

 わが肌の心地せぬ朝人並みに
 笑顏つくるも悲しきならはし。
 又春が巡つて來た。貧しく病める身にも絶えて忘るゝ事なく幾度
か訪れる春が。けれども、
 わが春は枕にはべる葡萄酒の
 興奮剤のなつかしき色。
 それは健康の血の色をなせどもわが身うちに強き生を芽ぐむには
力足らず。さはれ世は春なれば、
 乾きたる唇を味よき水藥にうるほして
 飽かず小鳥に聞き入りしかな。
     〇
 赤い四角い剥げた塗膳に、
 夕べの御飯が運ばれた。
 いきのたつ味噌汁に、
 ころ/\とお膳をころげ廻る生玉子。
 それから色のよいお香のもの。
 「神樣この御飯を有難うございます。」

 熱のない夕べは、
 ほんにものゝ味がする。
 舌苔とやらいふもの、
 この夕べは取れたさうな、
 乳房の哺みごゝちのやうな御飯の一口。
 ほんに久しぶりで味がする。
 「神樣この御飯を有難うございます。」

 ねえあなた、
 下宿の御飯もさぞ冷たかろと、
 朝夕に思へど、
 てもまあ、
 一杯の味噌汁と、
 四切れのおかうこと、
 若しくは一切れの鹽鮭に舌鼓を打たれる食慾はなんと幸ひでしよ。
 「神樣この御飯を有難うございます。」
     〇
 愚かしき事を言ひ、愚かなるものを發表する事を躊ふな。
そも亦「彼」の意志なればなり。
 三年前、殊によつたら死ぬのかも知れないと思つた時、私は
其自分の死に就いてどんなに無駄な心遣ひをした事だつたらう!
それはどんなに真劒なものであつたとしても、私の魂はやつぱり
空想の日和見をしてゐたのだつた。
 私は言つた。
「私が死んでも、あとで書いたものを集めるやうな事はしないで
下さいね。それよりもありつたけのものをみんな殘らず焼いてしま
つて下さい。私はあんなものを殘して死んで行くのが耻しい!」
けれども困つた事には、たとひ原稿や手許にある書籍やは焼き捨
てる事が出來ても、或は八百屋や乾物屋の袋に、又は焼芋の包み紙
などになつて、思はぬ人の目に觸れなければならない古雜誌の活字
はどうしようもなかつた。それが私をひどく殘念がらせた。私は自
分が何かしら書いた事のある人として、、一寸の間でも思ひ出され
るのが厭だつたばかりでなく、その遺稿のはしくれが、假令《たとひ》
無心にでも人目に觸れるのが厭だつた。私は泡の消えるが如く完全に
消えて行きたいと思つた。これまで書いたやうなものを殘して行く
のは如何にも耻しい限りであると思ひ續けた。
 けれども自然は、實際は、そんな空想の冗漫には毛筋ほどの寄り道
もしないで、さつさと進んで行つた。三年經つても私は死なず快くな
らずに猶生き續けてゐる。けれども私は、その荒涼たつ「彼」の無關
心の跡から、一つの大きな隕石を拾ひ取つた。それは「肯定」と呼ば
れるところの名を持つてゐる。  私は段々自分の運命に對してさう
註文をつけなくなつた。又さう虚勢も張らなくなつた。死に對する考
へも幾變遷の後、段々手垢が取れてすつきりして來て、來るならばそ
れは何時でも來てもいゝやうな氣がするやうになつた。死に對して無
暗に巖肅ぶつてゐるうちは、それはまだ死を拒んでゐるのである事が
漸くわかつて來た。それは拒んで恐れて、その威巖の影に慄へてゐる
のである。けれども其威巖は、人間の生の要求が作り出した、消ゆれ
ば跡方もない幻影に過ぎないのだ。
私は自分をも死と共に否定しようとしてゐたのだつた。しかもそれ
は、飽く迄も生き續けようとする熾んな意氣からでもなく、又内端な
氣の弱い内省から來たものでもなかつた。それは實に、自分をそれだ
けのものと思はれたくない傲りから、自分の期待してゐた未來が竟
《つひ》に開けないものならば、いつそ其過去も現在も完全に抹殺
して了はうと願つた事なのであつた。それは自分をあるがより以上に
思はうとした事であつた。とはいへ、私は決して自分の未來にかける
希み、又は自信を嗤つたり蔑むだりするやうな事はしまい。それ所か、
假令瞬間の未來にでも私は私の希望と期待とを私自身の上にかけて行
く事を心掛けよう。たゞ潔く私は其未來と共に不滿足な現在の自分を
も、厭はしい過去の自分をも、大きく自分の心に肯き入れたいと思ふ。
 私の死期は、如何に骨を折つても今の私に知られる限りではないも
のを、さうして又私は竟に偉大なる哲學者ならず、賢き小説家ならず、
美しき詩人ならず、たゞ一人の眞なるものゝ美を慕ふ女に過ぎないも
のを、賢き、愚かしき、新しき舊きなどの言葉に何で耳を傾ける必要
があらう。私が私の心に於て如何に値打ちの低いものであらうとも、
そして如何に其心から愚かな言葉が迸《ほとばし》り出ようともその
愚の眞實に於て自信のある事ならば、私は憚らずに唇を開かう。さう
して死に關しては、その死を送るものゝ自由に委せて、殘されたる私
の生を一歩/\と大膽に歩いて行かう!
 愚かしきことを言ひ、其愚かしさを發表する事を躊ふな。そも亦
「彼」の意志なればなり。
     〇
「じつと堪《こら》えて、じつと堪えて、さう、さう」
 と私の心は私に言ふ。
 其癖自分でも目にいつぱいの涙を溜めてさ、
 恰もいぢらしい我が子の姿を見るやうに。

 不遇とは何もの、
 それは儘にならぬこと!
 ではいつまゝになるの?」
 と私は私の心に言ふ。
 ひもじさに澁面作りながら、
 泣顏かくす千松ではないけれど

 私の心は答る言葉を知らない。

 ほんに氣の毒な!
 けれども私の私が氣の毒だといふのは、
 母子の忍耐を褒める溜息ではない。
 理智の母親なる私の心に從はされて、
 頑是なければ何を待つのかも知らずに、
 澁面作りながらお手々を膝について待つてゐる私が氣の毒で
いぢらしい!
     〇
 來い/\と呼べば、首をかしげて鈴を振りながら驅け寄る小猫、
ほんにお前の丸々と肥つた事、毎日/\喰べて寢て、そして水の
流を見て暮す。私と同じい身でありながら、お前は無心でそして
元氣だ。あの水の流れがお前のまゝにならぬとて、悲しまぬがよ
い。いやお前は決して悲しみはしない、悲しまないで毎日/\どう
にかならないものかと、首をかしげて眺めてゐる。
山の切崩しの土は柔かであつた。そして春の心に照る日は、藪か
げに消え殘つた雪を露と誘つて、萌えがての草の間に浸入り、浸み
隰[#「こざとへん」でなく「さんずい」]つた土は崖の鼻の草の
根にその雫を送つて、靜かに、した/\と日を夜を滴[*したた]
つてゐる。絶えざる其雫の努力は、柔かな斜面の土にその細くなだ
らかな道を開き、うね/\と曲りくねつて、其處にも此處にも血脈
のやうな流れの跡をつけてゐる。その流れは途中で粘土らしい白い
土を溶くために、鈍くのろい歩みになつて、しかも力強く、時には
小さい石塊などをころころ轉ばせる。小猫は誰も對手[*あいて]
になつてやるものがなくなると、いつもまだ崖下の雪に半ば埋れて
ゐる廃れた犬小屋の屋根に乗つて、さも感心したやうに其流れの運
動を眺めるのである。そして時々其興味に堪へられなくなつたやう
に丸い小さな白い手をのばして、その流れを止めようとしては、思
ひ掛けぬ氣持ちわるさに驚いて、ぷる/\と鈴を鳴らしては手を振
るふ。けれども亦暫くすると、我にもない力に押されて別の片手が
出る――毎日/\幾度かそれを繰返すのだけれど、いつかは我意に
滿ちて遊びとそれがなるかのやうに、小猫は飽かず流れに向つて首
をかゝげてゐる――あゝ忘却、それは何とよいことであらう!諦め
るといふ寂しい冷たい事をせずに、いつも變らぬ同じものに對しな
がら、新たなる希望と興味とを、それはかの小猫に與へてゐるのだ。
 小猫よ、お前の小さな欠伸《あくび》は私を故もなく寂しませる。
さらば又水の流れを見ておいで、そして今日も亦お前の思ふやうに
それがならなかつたなら、又その希望《のぞみ》を明日にかけて急
いで私の枕邊に歸つて來い。私は午後の牛乳の一口をお前の爲にと
コツプの底に殘して置かう。
     〇
 いつの頃からか私は、夜の眠りに就く前に「地の病み惱める人々」
の上に一夜の安らかな眠りを祈るならはしを得た。それは私の同情の
押賣りでは決してない。私は私自身を其中の一人として偏《ひと》へ
にそれを希ふのである。けれどもそれは、他の病人達と区別されて一
人特別であらうとは、決して思はない。私の爲には、更に誰か祈つて
くれる人が、少くも一人は必ずある事と思つて、心安くその祈りに私
の身と心とをお委せする。そして私は、私自身のために二重に神樣を
煩はす事をしないで、その私自身の爲に祈らうとする熱意を「地の病
み惱める人々」の上の祈りに傾けようと思ふ。
 あゝ眞珠の如く尊い「病める者達の一夜の安眠」よ!
 ★実姉:服部フサのいる草津バルナバ医院で書いた作品かも
  しれない。
(★ 讀賣新聞 大正8年7月20日 小林徹編 )

(★国立国会図書館デジタルコレクション-水野仙子集)


5)『酔ひたる商人』
 東北のある小さな一町民なる綿屋幸吉は、今朝起きぬけに例の郡
男爵から迎への手紙を受け取つたのであつた。それはいつものやう
に停車場近くの青巒亭といふ料理屋からの使であつた。…(後略)
 (青空文庫より引用)
草津で書いた最後の作品=絶筆。実の姉:服部フサに介護され
  ながら、故郷の福島県須賀川を思い出しながら、・・・・。




◆参考サイト「水野仙子」
http://carlschuricht.com/Senko/senko-bib.htm





◆『草津に歩みし100人』のブログ一覧**************

【1】草津温泉・・・・20回以上入湯?
◆◆ 箕輪初心▲草津白根山&蟷螂の湯 ◆◆
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 ★蟷螂の湯は無料

箕輪初心◆2014スキー№9【草津】& 『草津温泉:望雲』
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 ★望雲10回以上

箕輪初心▲群馬:日本百名山:草津白根山&草津温泉
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箕輪初心▲群馬百名山②№26~50草津白根山・皇海山など
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箕輪初心■群馬草津の松尾芭蕉句碑:ゴリラ50ccでGo
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箕輪初心:生方▲2018スキー№7『草津コース動画&昼食:月乃井
&温泉:山本館』
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箕輪初心:生方▲2018スキー№17【渋峠・横手山】&草津「ランチ:飛龍」
・「温泉:益成屋」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_28.html

箕輪初心:生方▲2018草津今年2回目①「湯畑付近の散策」
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箕輪初心:生方▲草津:今年2回目②「西の河原通り」2回の風景」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_30.html

箕輪初心:生方▲2018草津今年2回目③「西の河原公園散策」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_31.html

箕輪初心:生方▲2018草津今年2回目④「草津に来たりし100人情報:前半」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_32.html

箕輪初心:生方▲2018草津今年2回目⑤「草津に来たりし100人情報:後半」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_34.html

箕輪初心:生方▲2018GW今年3回目の草津『旧遠州屋(現平野屋)で昼食・風呂』
http://53922401.at.webry.info/201805/article_7.html

箕輪初心:生方▲2018GW今年3回目の草津『草津に歩みし100人の動画』
http://53922401.at.webry.info/201805/article_8.html

箕輪初心:生方▲2018今年3回目の草津『草津の歴史』
http://53922401.at.webry.info/201805/article_10.html




【2】私の入った草津温泉で入った湯
①公共の無料の湯…共同湯は19箇所全て無料
 6ヶ所20回以上であろうが、30年以上前からなので、不明
●千代乃湯1回 日新館隣
●鷲乃湯1回
●煮川乃湯3回 ホテル高松の駐車場前・五郎次宿泊
 長寿乃湯
 地蔵の湯
関乃湯   西の河原通り
凪乃湯 西の河原通り 無料まんじゅう配布奧
●翁乃湯10回以上 望雲の上側  Y先輩宅から30秒以内
●喜美乃湯5回位 セブンイレブン裏 Y先輩母が殆ど毎日
千歳の湯 スーパー大津の向かい Y先輩母時々
瑠璃乃湯 バスターミナル
白嶺の湯 すずらん通り M先輩近く
 巽の湯 セーブオン近く M先輩近く
睦乃湯 つつじ亭の交差点
恵乃湯 つつじ亭の交差点先
長栄乃湯
●蟷螂の湯1回 草津小・道の駅近く。
 碧乃湯
②公共の有料
 ・大滝の湯…2回
 ・西の河原の湯…1回
③「櫻井」…皮膚病の治しのため…5回以上
④望雲:万代の湯+露天風呂…5回以上いや10回以上かな。
  ★強酸性泉&弱酸性泉の両方ある。Y先輩宅近く
⑤大東館…1回
⑥遠州屋…1回
⑦中沢ビレッジ…2回
⑧宿泊は先輩宅・富士見館と言ったかな(翁乃湯近く)など5回程か?
⑨山本館…1回
⑩益成屋…1回

●草津温泉に来た有名人シリーズ*****************
★説明がちがっているかもしれません。
 巴御前と静御前を勘違いしています。










●『草津に来たりし100人を動画で説明』




箕輪初心:生方▲『草津温泉に歩みし百人』①「日本武尊:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_23.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』②「行基:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_24.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』③「源頼朝:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_25.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』④木曾義仲・⑤巴御前
http://53922401.at.webry.info/201709/article_26.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』⑥蓮如と番外編「孫:顕如」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_27.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』「番外編:堯恵」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_28.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』⑦「長野業尚:榛名鷹留城主」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_30.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人⑧長尾為景:上杉謙信の父
http://53922401.at.webry.info/201710/article_1.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人⑨大光宗猷禅師=曇英恵応:林泉寺創建
http://53922401.at.webry.info/201710/article_2.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』番外編:万里集九『梅花無尽蔵』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_3.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』№10『横瀬成繁』太田金山城主
http://53922401.at.webry.info/201710/article_8.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人:連歌師『⑪宗祇』&番外編『宗長』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_9.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人『草津管理人:湯本善太夫』
と『真田ブログ一覧』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_10.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人ー№12『甘楽国峰城主:小幡信貞』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_11.html

箕輪初心:生方:▲草津に歩みし100人:『戦国時代の草津温泉ブーム創作編』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_12.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣⑬丹羽長秀】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_13.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣⑭堀秀政】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_14.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣⑮多賀常則】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_15.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№16(近衛晴嗣→前嗣→前久→)近衛龍山
http://53922401.at.webry.info/201803/article_9.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№17朝日姫・№18豊臣秀次・
幻の豊臣秀吉&井伊直政』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_10.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人№19『依田(松平)康国』
:豊臣秀次の饗応役
http://53922401.at.webry.info/201803/article_11.html

箕輪初心:生方▲草津温泉100人№20『真田幸繁親戚:大谷吉継
とハンセン氏病療養』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_12.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№21:前田利家』死の予感?
http://53922401.at.webry.info/201803/article_13.html

箕輪初心:生方▲草津100人『№22真田支配116年』&真田ブログ一覧
http://53922401.at.webry.info/201803/article_14.html

箕輪初心:生方▲草津100人№23『徳川将軍への「御汲湯」の歴史』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_15.html

箕輪初心:生方▲『草津100人№24林羅山』三名泉
http://53922401.at.webry.info/201803/article_18.html

箕輪初心:生方▲草津100ー25『小林一茶』と「草津:望雲」と「上州」
http://53922401.at.webry.info/201803/article_19.html

箕輪初心:生方▲草津100-№26『十返舎一九と草津温泉:望雲』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_23.html

箕輪初心:生方▲草津100--№27『清水浜臣』:高崎に移住した国学者
http://53922401.at.webry.info/201803/article_31.html

箕輪初心:生方▲草津100人-28『良寛』:
http://53922401.at.webry.info/201803/article_32.html

箕輪初心:生方▲草津100ー29『高野長英と上州の弟子たち』
http://53922401.at.webry.info/201804/article_1.html

箕輪初心:生方▲草津100ー30【田川鳳朗・一夏庵坂上竹烟&松尾芭蕉句碑】
http://53922401.at.webry.info/201804/article_2.html

箕輪初心:生方▲草津100人ー31『安積艮斎(ごんさい)』
&小栗上野介のブログ一覧
http://53922401.at.webry.info/201804/article_8.html

箕輪初心:生方▲草津100人ー32『佐久間象山』:目的は火薬づくり?
http://53922401.at.webry.info/201804/article_9.html

箕輪初心:生方▲草津100人ー33『藤田東湖』:『西郷どんに登場しなかった。』
http://53922401.at.webry.info/201804/article_10.html

箕輪初心:生方▲草津100人ー34『堀秀成』:草津繁昌記著者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_11.html

箕輪初心:生方▲草津温泉の日帰り温泉の割引き券の話
http://53922401.at.webry.info/201804/article_15.html

箕輪初心:生方▲草津100人ー35『清河八郎』:将軍を守る浪士隊⇒尊皇攘夷論者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_17.html

箕輪初心:生方▲草津100-36『平沢旭山』:漢学者・国学者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_18.html

箕輪初心:生方▲草津100ー40番外編『鈴木牧之』:「北越雪譜」著者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_19.html


●明治時代****************************
箕輪初心:生方▲草津100ー41『尾崎行雄:咢堂(がくどう)』:憲政の神様
M5、S15

箕輪初心:生方▲草津100ー42番外編『デシャルム大尉』フランス軍人:M6
http://53922401.at.webry.info/201804/article_21.html

箕輪初心:生方▲草津100ー番外編『43マーシャル教授』
『44ディヴァバーズ教授』 M8
http://53922401.at.webry.info/201804/article_23.html

箕輪初心:生方▲草津100ー44番外編『テオドール・ホフマン』
:ドイツ人医師M8?
http://53922401.at.webry.info/201804/article_24.html

箕輪初心:生方▲草津100ー46:アーネストサトウ:イギリスM10,M15
http://53922401.at.webry.info/201804/article_26.html

箕輪初心:生方▲草津100ー47「大槻文彦」M12&『言海』の編集の困難さ
http://53922401.at.webry.info/201804/article_37.html

箕輪初心:生方▲草津100ー番外編45ウォルトン教授:米人医師M12
と「草津温泉図書館」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_25.html

箕輪初心:生方▲草津100ー46「小野湖山」M10:尊皇攘夷論者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_36.html

箕輪初心:生方▲草津100ー『37ベルツ博士と38ベルツ花』M12~度々
と群馬の温泉
http://53922401.at.webry.info/201804/article_16.html

箕輪初心:生方▲草津100ー37「ベルツ博士」復刻版「5ヶ所のベルツ」M12
http://53922401.at.webry.info/201804/article_27.html

箕輪初心:生方▲草津100ー41『スクリバ』:ベルツと共同研究:M24
http://53922401.at.webry.info/201804/article_20.html

箕輪初心:生方▲草津100-49ノルデンショルド:北極圏⇒横浜⇒草津M12
http://53922401.at.webry.info/201805/article_1.html

箕輪初心:生方▲草津100-50『E・ナウマン』地質学者M15
&「フォッサマグナ」
http://53922401.at.webry.info/201805/article_2.html

箕輪初心:生方▲草津100-51『松浦武四郎』M19
&「蝦夷地探検とロシアとの外交史」
http://53922401.at.webry.info/201805/article_3.html

箕輪初心:生方▲草津100ー52番外編「H・S・パーマーM19」英国人将校
&水道工事
http://53922401.at.webry.info/201805/article_4.html

箕輪初心:生方▲草津100-53【田山花袋:M26・M30・T7】
変態小説家?・紀行作家
http://53922401.at.webry.info/201805/article_13.html

箕輪初心:生方▲草津100ー54「長塚節(たかし)M30」&短命の中で?
http://53922401.at.webry.info/201805/article_9.html

箕輪初心:生方▲草津100-56『大町桂月M41』旅・山・温泉を愛す
酒仙文学者・番外編57『下屋学』
http://53922401.at.webry.info/201805/article_11.html

草津100ー番外編58『坪谷水哉(すいさい)M39』「草津入浴記」著
http://53922401.at.webry.info/201805/article_12.html

箕輪初心:生方▲草津100-59「シュタイニッツアーM44」ドイツ人
登山家・紀行作家
http://53922401.at.webry.info/201805/article_14.html

箕輪初心:生方▲草津100-60『前田青邨T3せがい出し梁』:「頼朝の洞窟」
と源頼朝ブログ
http://53922401.at.webry.info/201805/article_16.html

箕輪初心:生方▲草津100-61『横山大観T4』:日本画の巨匠
http://53922401.at.webry.info/201805/article_17.html

箕輪初心:生方▲草津100ー62「C、コリーT4~」:救ライ
(ハンセン氏病)の聖女
http://53922401.at.webry.info/201805/article_19.html

箕輪初心:生方▲草津100-63「川端龍子T5」:『霊泉由来』の謎
http://53922401.at.webry.info/201805/article_20.html

箕輪初心:生方▲草津100-64「犬養木堂(犬養毅)T6」「話せば分かる」
http://53922401.at.webry.info/201805/article_21.html

箕輪初心:生方▲草津100ー65『平井晩村T5と草津節T7』
http://53922401.at.webry.info/201805/article_22.html


★明日も草津関係。

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