箕輪初心:生方▲草津100-49【ノルデンショルド:M16】北極圏⇒横浜⇒草津

草津温泉観光協会の本・Hpでは「31.A.E.ノルデンショルド:スウ
ェーデンの探検家。“ヴェガ号”に乗り込み、未踏の地へ。ニルス
・アドルフ・エリク・ノルデンショルドは、フィンランド大公国(現フィン
ランド共和国)出身のスウェーデン系フィンランド人で鉱山学者・
地質学者及び探検家=冒険家である。北ヨーロッパと東アジアを結
ぶ北極海の探検及び最短の航路(北東航路)の開拓を成功させた。
その年:明治12(1878)、日本にまで達した。9月2日、横浜港に
入港した。世界的なセンセーションを巻き起した。10月1日、ノ
ルデンショルドが草津温泉にやって来た。「混浴にびっくり!」
・明治16年(1882)「ヴェガ号周航記」がNYで出版された。群馬県関
係は18章に出ているそうである。
小学生用で「ヴェガ号探検記」が出ていたので、読んだことがある。
参考書籍は「ノルデンショルド」文責:萩原進『青い目の旅人たち』
みやま文庫:昭和59 である。
画像



◆ニルス・アドルフ・エリク・ノルデンショルド
Nils Adolf Erik Nordenskiold
・17C  ノルデンショルドの曾祖父がスウェーデン王国から
  属領フィンランドへ移住した。

・1832年11月18日 ノルデンショルドは、フィンランドの首都ヘル
 シンキで鉱山学者:ニルス・グスタフ・ノルデンショルドの
 子として生まれた。
 少年時代から調査を共にし、鉱山研究をし続けた。
 父と共にウラル山脈へ鉱山調査へ赴いた。

・1849年 独学でヘルシンキ大学へ入学した。
  21歳で博士号を取得する。
  鉱物学で名声を高めた。
  ユーラシア大陸横断の計画を立てるなど学者探検家
  として嘱望されていた。

・1852年 ヘルシンキ大学で設立された地質・鉱物学教授の
  候補にまで上げられた。

・1853年 クリミア戦争が勃発した。
  ロシア帝国とオスマン帝国の間で始まった。
  ロシア総督府はフィンランド人の独立の機運を阻止するため、
  フィンランドへの統制を強めた。
  ノルデンショルドは、ロシアの動きに対し反発したため、大学
  の職を追われた。

   ノルデンショルドはスウェーデンに渡った。

1857年 スウェーデンの北極海遠征に加わった。
  一端はヘルシンキ大学へと戻った。
  ロシア総督府の監視下に置かれていた。

・1860年 ノルデンショルドはスウェーデンへ入った。
 スウェーデン王立科学アカデミーの教授となった
 ノルデンショルドはスウェーデンの科学者の間ですでに有名になって
 おり、国を挙げて大歓迎をされた。
 フィンランドでは貴族階級であったため、スウェーデン議会の貴族
 議員に選ばれている。

・1863年 フィンランド出身のアンナ・マンネルヘイムと結婚した。
  アンナはフィンランドの軍人・政治家カール・グスタフ・エミール
  ・マンネルヘイムの叔母である。
  ノルデンショルドはスウェーデンの国籍を取得し、帰化した。

・その後、スウェーデンの探険隊を率いてスピッツベルゲン島を調査し、
  動物学、植物学、地質学、気象学上の貴重な知識をもたらした。

・1869年にイギリスの王立地理学会から金メダルを受賞した。


*******************************
・1878年、ノルデンショルドは、未だ成功していない北極海での
 北東航路の開拓と、北極における研究と調査のため、航海計画を
  立てた。
  北極海での探索、遠征は国家の政策であり、この時代のヨーロッ
 パ諸国も先を争って遠征活動を行っていたのである。
欧州から東アジアへの最短航路である北東航路を通って航海できる
 ことは、何世紀にもわたって知られており、部分的には既に多くの
 人達が航海していた。

  ノルデンショルドの航海計画は、自然科学にとって多くの重要研究
  課題を含む綿密な科学計画を実行するものであった。
 計画はスウェーデン国王オスカル2世に
 よって承認され、国王や商人などの支援を得ていた。航海の費用は、
  大部分をイェーテボリの木材商人オスカル・ディクソンが負担し、
  一部は国王自身、またロシア商人アレクサンドル・シビ
  リャコフも負担した。
  捕鯨船「ヴェガ号」が遠征の旗艦として装備された。
ノルデンショルドは航海の責任者となった。
 船長はルイス・パランデルであった。
 乗組員は30名であった。
 ロシア語通訳として20歳のフィンランド人、オスカル・
 ノルドクイスト中尉であった。

 ノルデンショルドは、今までの北東航路による遠征は、海岸線より非常
 に離れて航行したために失敗したと考えていた。夏はシベリアの川から
 流れ出る水によって、海岸近くの水域も航行可能であると考えた。

 
7月4日 ストックホルムからイェーテボリを経由し出港した。
8月   ユーラシア大陸最北端のチェリュスキン岬を史上初めて船で回る
    ことに成功し、航海は順調であった。

9月28日 北東航路の走破寸前、ベーリング海峡から航海距離にして僅
 か2日分の120海里のピトレカイ沖で「ヴェガ号」は流氷に囲まれてし
 まった。
  もし、「ヴェガ号」が2~3時間早く通行するか、沿岸からもっと離
 れたところを航行していたならば、10月には北東航路航海を達成できた
 だろう。
アメリカ合衆国に伝わり、アメリカ海軍のデロング隊が救出のために
  ベーリング海へ向ったが、流氷に阻まれた。

  ベーリング海で流氷に囲まれるという不運に見舞われる。
  
1879年、7月18日 「ヴェガ号」まで氷の割れ目が達し、
 ノルデンショルドたちは流氷から解放された。
 学術的には実りの多かった越冬を終えて航海を続行できるように
 なった。
 ノルデンショルドの航海前の入念な準備によって、30人に
 重病患者はでなかった。
実に9か月ぶりであった。

 ノルデンショルド一人の死者も出さずに北東航路の通航に成功した。



●日本滞在************************
明治12年(1879)
7月~8月
「ヴェガ号」はベーリング海から太平洋を南下し、やがてカムチャ
 ツカ半島沖を通過した。
 日本政府は、既にドイツ大使から「ヴェガ号」の日本への寄港を通達
 されており、「ヴェガ号」の寄港を歓迎準備が始められた。

9月2日、スウェーデン国旗を掲げた300tの蒸気船「ヴェガ
 (Vega)号」が横浜港へ到着した。
 ノルデンショルド提督率いる30名の北極探険隊は、ストックホルム
 から北東航路(北極海)を通り横浜までの航海に初めて成功させた。

ノルデンショルドの偉業は、横浜からストックホルムへ打電された。
航海は世界中に知られており、日本でもセンセーションを巻き起こし
た。

9月15日 歓迎の祝典は工部大学校(旧東京帝国大学工学部の前身)
 で開催された。
  皇族:北白川親王・東伏見親王、アメリカ公使、イギリス公使、
  ロシアの大使など130人以上が祝典に参加した。
ノルデンショルドは祝典で東京地学協会の会長:北白川親王に
 「学会の派遣による日本の遠征隊を北西航路で東アジアからヨー
 ロッパへ、また北極探検隊などを送るように勧めた。
 日本の地学の発展と世界地理の発見に貢献するようスピーチを行った。
歓迎の宴が東京地学協会主催で開かれた。
東京地学協会は皇族・貴族・高官・政治家・学者・実業家など上
 層階級の人々を会員として発足したばかり、著名な外国の科学者
 を歓迎することによって、名を世に知られることにもなった。

9月17日、明治天皇とも謁見している。

 

●ノルデンショルドは伊香保の宿で、伊香保でスウェーデン製
 マッチ発見した。「ニセモノも多し。宿の召使いは本物を買え。」

9月30日
「人力車が使えず、籠(セダン・チェアー)で沢渡へ向かう。
 あぐらがかけないノルデンシェールド(挿絵あり)はまことに9月28日 浅間山を目指した。
「ヴェガ号航海誌」には次のように書き残されている。
「1879年9月28日浅間山行き、馬車でナカセンドーをタカサキへ
 向かう。タカサキでは 何処も泊めてくれず、・・・」
●高崎に着いた一行は宿をさがしたが、どこでも碧眼の西洋人を敬遠
 して泊めてくれなかった。

「高崎のガバナーのいる所で人口は凡そ2万。しかし、たいていの町
 と同じく、我々の通り過ぎた村と変わらなかった。・・・
 次から次へと宿屋の戸をノックしたが、入れてくれなかった。
 ある所では満員です。別の所では、修理中、三番目は主人不在と体よく
 断られた。やむなく、ポリスに頼み込んだ。パスポートを見せたところ
 宿屋を斡旋してくれた。やっと宿が見つかった。
  しかし、彼はかつてサムライとして身につける大小のの刀で切りきざん
 でしまいたいといった顔つきで我々を迎えた。
  我々が入っても、主人はポリスに向かって
「じゃあ、本当にこんな毛唐を泊めなければならないのか?」
と嘆いていた。
 我々が長靴を脱いで、部屋に入る前に、礼儀をつくし、盛んにお辞儀を
 をし、紳士的に振る舞った。
 すると、先刻は迷惑顔だった主人は喜んで迎えた。のみならず、次ぎに
泊まるべき宿への紹介状を書いてくれた。主人は
「是さえあれば、もうこんな心配はいらない。」
とも言った。
 高崎のポリスは・・・大部分士族出身である。洋装をし、長いステッキを
抱えている。・・・・(略)
警官の紹介でやっと一泊できた。

9月29日
「翌日、高崎を発つ。馬車がないので、人力車で5時間半かかって
 伊香保へついた。」
● ノルデンショルドは「失明している人が介護もなく往来している。」
  と驚いた。「マッサージ師であった。」
 ★実際は按摩さんである。座頭市:若山富三郎ではない。
●「ヨーロッパ人が日本を旅するときに一番困るのは食べ物である。
 日本の食事になじめない。・・・せんきちという西洋料理を作れる
 コックを連れた来ていた。せんきちはチキンスープ、オムレツ、
 ビフテキなどが作れた。」


 のりづらく、足を外に出してぶらぶらさせた。
  (座れないので足を投げ出す。)
 10時間後、23。6km離れた沢渡についた。」
「途中で、墓を見た。・・・しばしば、花が飾られている。」
「夕方、沢渡の村を徘徊していく大勢の人が集まっていた。
 見ると、褌を締めた2人の若者は砂の上で・・・
  職業的レスラーが(相撲)をしていた。」(挿絵あり)

10月1日
 草津に向けて旅だった。
「道は550m上がり、同じくらいの距離を下る。また上る。
 しばしば、防護柵のない深い淵を過ぎ、極めて危険な橋を
 渡って走る。」
●須川渓谷・・・
「日本の馬は鞍が高くて、外人には向かない。・・・」
「途中、栗の実が干してある。・・・どの小屋の先にも
 マット(むしろ)の上にごっそりと栗が干してある。
  小屋の近所には大きな挽き臼あり、これで粉にされる。
  山地村ではオランダから輸入されたような簡単な構造の小さな
  水車がある。」
「「路傍の風光は素晴らしい。・・・」

★旅館の前に碑がある。


10月2日
須川から草津へは籠や馬を乗り継いだ。
画像


『ヴェーガ号周航記』の中で
① 我々一行は10月2日 硫黄泉で名高い草津温泉を訪れた。
 ここは多くの浴客が諸疾患を癒そうと方々から集って来る.。

「たくさんの病人がいた。」
「親切な主人、たくさんの女中、・・・至極着心地がいい。」
「この近辺の岩石はみな溶岩で火山性凝灰岩で、町からちょっと
 離れた所に死火山(草津白根山?)。。噴火口に硫黄の層がある。
 ・・・温泉は長い木の樋で導かれ、町の湯屋に行く。
 あるのもは浄化地(湯畑)に注がれ、、ここから、・・・医薬として
 つかわれる。・・・」
「草津温泉は22の湯からなる。一番熱いところは華氏162℃、、、
 梅毒患者である。・・・100日を要するが70~80%は完治する。
 紫色になる病気も再発しない。(ハンセン氏病)
 ライ病患者もたくさんいる。」
「汀(町)はそれらの人々でにぎわっている.。」
「入浴法・・高温のため、大事なところには綿布を巻き付ける。
「汗を流すため、かけ声をかける。・・」
混浴に驚く。
「湯は開けっぱなしで、しかも男女混浴であることだ。
  しかも浴客は見物人の面前で、大抵は入浴者は路上で服を
 脱いだりするのである。・・・

その夜、浴客の宴会に悩まされた。
「翌朝帰る(治ったから)客をライス・ブランデー(日本酒)と三味線
 で祝っているのだった。」


10月3日 浅間山へ向かう。
  羽根尾⇒応桑⇒六里カ原
「・・・勤勉な人は牛を放牧して、・・・」
「平原を抜けると、完全な荒れ野に達する。・・・」
「で野宿・・・といっても、籠かきが泊まる小屋に仮眠した。
「・・・駕籠かきやコックに酒をやったところ、喜ばれた。」

10月4日  浅間山頂を目指す。
「100m毎に建てられた小石錘、・・・」
「火口は約2km、・・・時々硫化水素の匂いがする。火口は極めて
 深く、・・・・黄色い凝固物は硫黄だった。
「帰路は目もくらむような速さで下った。靴がボロボロになった。」
 (★おそらく、浅間山の黒斑山の間を下った。)
 
その後追分村に泊まった。
「・・・一番清潔な宿だった。」
高崎から馬車を頼んでおいた。料金は3円(12シリング)だった。

10月5日 追分から碓氷峠に向かった。
「馬車でタカサキへ帰路。」
「人力車の車夫の鋭い目と確かな足がたよりである。」
「何千という徒歩の人に、人夫に長い行列、重い荷物を背負う牛や
 馬にであった。
「人々の顔は快活で、ヨーロッパ人のような言葉や振る舞いがない。」
「坂本でぼろい馬車に乗った。」
「かどつけ芸人を見た。・・・2人の迷い人は・・・巡礼だった。」
 50セントあげると、芸をしてくれた。お面はあごが動く。恐ろしい
 歯をした生き物=怪物の頭をしていた。・・・周囲は大喜びで、見ていた。

 夕方、高崎に着いた。

10月11日、「ヴェガ号は横浜を出港し神戸に向かった。
10月13日 神戸に到着し、一行は京都と琵琶湖を訪れた。
10月21日 長崎に到着し、出島を訪れた。
10月27日 長崎を出港し、途中、香港、シンガポール、スリランカ、
 スエズ運河を通る南ルートで航行した。
 ナポリ、ローマ、リスボン、ロンドン、コペンハーゲンに停泊した。


4月24日 ストックホルムには到着した。

ヨーロッパへの途次、ノルデンショルドは自らの航海日誌の編集に
取りかかった。
日本では、鉱物や化石などの蒐集のほか、銅器、武器、武具などの工芸品
を多く購入した。また、日本の歴史に感嘆し、東京・横浜・京都の本屋から
約6000冊(1100部)とも7000冊ともいわれる古典籍を集めて持ち帰り、
王立図書館に寄付した。

1880~81
「Vegas fard kring Asien och Europe」という題名で 出版された。
英語版は「The Voyage of the Vega Round Asia and Europe」も出版された。

ノルデンショルドは生涯スウェーデン王立科学アカデミーの教授として
過ごした。

1901年8月12日 スウェーデンで亡くなった。

ノルデンショルド著小川たかし訳「ヴェガ号航海記(上・下)」
 フジ出版社1988年

「ノルデンショルド」『青い目の旅人たち』みやま文庫:昭和59年



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草津に歩みし100人』のブログ一覧**************

◆1)草津温泉・・・・20回以上?
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箕輪初心▲群馬百名山②№26~50草津白根山・皇海山など
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箕輪初心■群馬草津の松尾芭蕉句碑:ゴリラ50ccでGo
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箕輪初心■プラドでGo【群馬の4湯巡り】 
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★大滝の湯

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→草津温泉風呂巡り』
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 ★2017年9月6日無料の公共の湯:3ヶ所めぐり

箕輪初心:生方▲2018スキー№7『草津コース動画&昼食:月乃井
&温泉:山本館』
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箕輪初心:生方▲2018スキー№17【渋峠・横手山】&草津「ランチ:飛龍」
・「温泉:益成屋」
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箕輪初心:生方▲2018草津今年2回目①「湯畑付近の散策」
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箕輪初心:生方▲草津:今年2回目②「西の河原通り」2回の風景」
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箕輪初心:生方▲2018草津今年2回目③「西の河原公園散策」
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箕輪初心:生方▲2018草津今年2回目④「草津に来たりし100人情報:前半」
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箕輪初心:生方▲草津今年2回目⑤「草津に来たりし100人情報:後半」
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【6】私の入った草津温泉で入った湯
①公共の無料の湯…共同湯は19箇所全て無料
 6ヶ所20回以上であろうが、30年以上前からなので、不明
●千代乃湯1回 日新館隣
●鷲乃湯1回
●煮川乃湯3回 ホテル高松の駐車場前・五郎次宿泊
 長寿乃湯
 地蔵の湯
関乃湯   西の河原通り
凪乃湯 西の河原通り 無料まんじゅう配布奧
●翁乃湯10回以上 望雲の上側  Y先輩宅から30秒以内
●喜美乃湯5回位 セブンイレブン裏 Y先輩母が殆ど毎日
千歳の湯 スーパー大津の向かい Y先輩母時々
瑠璃乃湯 バスターミナル
白嶺の湯 すずらん通り M先輩近く
 巽の湯 セーブオン近く M先輩近く
睦乃湯 つつじ亭の交差点
恵乃湯 つつじ亭の交差点先
長栄乃湯
●蟷螂の湯1回 草津小・道の駅近く。
 碧乃湯
②公共の有料
 ・大滝の湯…2回
 ・西の河原の湯…1回
③「櫻井」…皮膚病の治しのため…5回以上
④望雲:万代の湯+露天風呂…5回以上いや10回以上かな。
  ★強酸性泉&弱酸性泉の両方ある。Y先輩宅近く
⑤大東館…1回
⑥遠州屋…1回
⑦中沢ビレッジ…2回
⑧宿泊は先輩宅・富士見館と言ったかな(翁乃湯近く)など5回程か?
⑨山本館…1回
⑩益成屋…1回

●草津温泉に来た有名人シリーズ*****************
★説明がちがっているかもしれません。
 巴御前と静御前を勘違いしています。










箕輪初心:生方▲『草津温泉に歩みし百人』①「日本武尊:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_23.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』②「行基:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_24.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』③「源頼朝:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_25.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』④木曾義仲・⑤巴御前
http://53922401.at.webry.info/201709/article_26.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』⑥蓮如と番外編「孫:顕如」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_27.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』「番外編:堯恵」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_28.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』⑦「長野業尚:榛名鷹留城主」
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箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人⑧長尾為景:上杉謙信の父
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箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人⑨大光宗猷禅師=曇英恵応:林泉寺創建
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と『真田ブログ一覧』
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箕輪初心:生方:▲草津に歩みし100人:『戦国時代の草津温泉ブーム創作編』
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幻の豊臣秀吉&井伊直政』
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とハンセン氏病療養』
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箕輪初心:生方▲草津100人『№21:前田利家』死の予感?
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箕輪初心:生方▲草津100人『№22真田支配116年』&真田ブログ一覧
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箕輪初心:生方▲草津100人№23『徳川将軍への「御汲湯」の歴史』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_15.html

箕輪初心:生方▲『草津100人№24林羅山』三名泉
http://53922401.at.webry.info/201803/article_18.html

箕輪初心:生方▲草津100ー25『小林一茶』と「草津:望雲」と「上州」
http://53922401.at.webry.info/201803/article_19.html

箕輪初心:生方▲草津100-№26『十返舎一九と草津温泉:望雲』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_23.html

箕輪初心:生方▲草津100--№27『清水浜臣』:高崎に移住した国学者
http://53922401.at.webry.info/201803/article_31.html

箕輪初心:生方▲草津100人-28『良寛』:
http://53922401.at.webry.info/201803/article_32.html

箕輪初心:生方▲草津100ー29『高野長英と上州の弟子たち』
http://53922401.at.webry.info/201804/article_1.html

箕輪初心:生方▲草津100ー30【田川鳳朗・一夏庵坂上竹烟&松尾芭蕉句碑】
http://53922401.at.webry.info/201804/article_2.html

箕輪初心:生方▲草津100人ー31『安積艮斎(ごんさい)』
&小栗上野介のブログ一覧
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箕輪初心:生方▲草津100人ー32『佐久間象山』:目的は火薬づくり?
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箕輪初心:生方▲草津100人ー33『藤田東湖』:『西郷どんに登場しなかった。』
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箕輪初心:生方▲草津100人ー34『堀秀成』:草津繁昌記著者
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箕輪初心:生方▲草津温泉の日帰り温泉の割引き券の話
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箕輪初心:生方▲草津100人ー35『清河八郎』:将軍を守る浪士隊⇒尊皇攘夷論者
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箕輪初心:生方▲草津100-36『平沢旭山』:漢学者・国学者
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箕輪初心:生方▲草津100ー40番外編『鈴木牧之』:「北越雪譜」著者
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●明治時代****************************
箕輪初心:生方▲草津100ー41『尾崎行雄:咢堂(がくどう)』:憲政の神様
M5、S15

箕輪初心:生方▲草津100ー42番外編『デシャルム大尉』フランス軍人:M6
http://53922401.at.webry.info/201804/article_21.html

箕輪初心:生方▲草津100ー番外編『43マーシャル教授』
『44ディヴァバーズ教授』 M8
http://53922401.at.webry.info/201804/article_23.html

箕輪初心:生方▲草津100ー44番外編『テオドール・ホフマン』
:ドイツ人医師M8?
http://53922401.at.webry.info/201804/article_24.html

箕輪初心:生方▲草津100ー46:アーネストサトウ:イギリスM10,M15
http://53922401.at.webry.info/201804/article_26.html

箕輪初心:生方▲草津100ー47「大槻文彦」M12&『言海』の編集の困難さ
http://53922401.at.webry.info/201804/article_37.html

箕輪初心:生方▲草津100ー番外編45ウォルトン教授:米人医師M12
と「草津温泉図書館」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_25.html

箕輪初心:生方▲草津100ー46「小野湖山」M10:尊皇攘夷論者
http://53922401.at.webry.info/201804/article_36.html

箕輪初心:生方▲草津100ー『37ベルツ博士と38ベルツ花』M12~度々
と群馬の温泉
http://53922401.at.webry.info/201804/article_16.html

箕輪初心:生方▲草津100ー37「ベルツ博士」復刻版「5ヶ所のベルツ」M12
http://53922401.at.webry.info/201804/article_27.html

箕輪初心:生方▲草津100ー41『スクリバ』:ベルツと共同研究:M24
http://53922401.at.webry.info/201804/article_20.html






★明日も「草津に来たりし100人」かな

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