箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№131愛知県⑦『鳳来寺』の井伊虎松

平成29年(2017)11月2日、浜松市細江町気賀から三ヶ日町→
宇利峠越えて愛知県に入った。目的の一つに井伊虎松がいたとさ
れる「鳳来寺」もあった。長篠からは遠かった。井伊虎松は8歳~
14歳まで鳳来寺で過ごした。どこの坊か不明とのこと・・・・。
・永禄11年(1568) 徳川家康が遠江に侵攻した。井伊虎松は『鳳
来寺』に逃げ込んだ。TVでは、奥山朝忠が一緒だった設定だった。
・天正2年(1574)井伊虎松が父:直親の13回忌のために龍潭寺
に来た。祐椿尼:直虎:ひよ(井伊直政実母)・南渓が相談し、
徳川家康に仕えさせようとした。「ひよ」が徳川氏家臣の松下清景に
再嫁し、井伊虎松は松下の養子:松下虎松になった
・天正3年(1575) 2月井伊直虎に付き添われて井伊直政(15歳)
は浜松の徳川家康に出仕した。(★『井伊家伝記』)

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【1】平成29年(2017)11月1日***************

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№113『井伊谷遺産センター』
井伊谷の歴史
http://53922401.at.webry.info/201711/article_15.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№114『井伊谷妙雲寺』直虎と南渓
の位牌・南渓肖像画
http://53922401.at.webry.info/201711/article_16.html

箕輪初心:生方▲井伊谷『謂伊神社』&モロード様
=客人神のうんこ神様?
http://53922401.at.webry.info/201711/article_18.html

箕輪初心:生方▲『井伊谷宮』と宗良親王復刻版
http://53922401.at.webry.info/201711/article_19.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№117『龍潭寺』:昊天が彦根清涼寺開山
http://53922401.at.webry.info/201711/article_20.html



【2】平成29年(2017)11月2日***********
○06:00 気賀の町中に・・・
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№119気賀②展望台からの気賀と『堀川城』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_22.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№117気賀③「長楽寺」・『井伊直親の墓』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_23.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№120祝田【蜂前神社】と『徳政文書』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№121気賀⑤『刑部城』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_25.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№122気賀⑥『本陣・復元関所』と【近藤家】
http://53922401.at.webry.info/201711/article_26.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№123三ヶ日町『佐久城』
&【浜名氏と上野国長谷寺】
http://53922401.at.webry.info/201711/article_29.html

箕輪初心:生方▲浜松市三ヶ日町『千頭峯城遠望』&【井伊谷・三ヶ日の歴史】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_1.html


===宇利峠(静岡県⇒愛知県へ)==========
⑰比丘尼城
箕輪初心:生方▲愛知県①『比丘尼城』:【足利直冬→・熊谷重実→近藤満氏】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_3.html

⑱▲城№892宇利城(近藤康用の最初の城)
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№125愛知県②『宇利城』と【近藤康用・秀用】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_4.html

⑲▲城№893野田城(菅沼氏の城)
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№127愛知県③『野田城』:菅沼定盈
http://53922401.at.webry.info/201712/article_6.html

⑳▲長篠古戦場跡…馬防柵等の見物
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№130愛知県⑤『設楽ガ原』
と「山県昌景の墓」
http://53922401.at.webry.info/201712/article_9.html

21▲長篠城2回目…本の購入「山県昌景」
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№128愛知県⑥『長篠城2回目』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_7.html

22▲城№894医王寺と武田勝頼本陣
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№129愛知県⑥『武田勝頼の長篠の陣所』

http://53922401.at.webry.info/201712/article_8.html

23▲鳳来山東照宮&鳳来寺…
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時間がない。階段は止めよう。

○駐車場…???円
○店の前を通る。
○5分程歩くと、凄い崖の途中に鳳来寺が見えた。
 ★遠いなあ。

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バッテリーがない。スマホもデジカメも

○東照宮
○パンフレット
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○鳳来寺
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★やったあ。バッテリーが貯まった。
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「井伊虎松がいたとされる坊は不明?」とのこと
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 (★TVの画像より)

24▲城№895柿本城(鈴木重時の城)
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№ 126『柿本城』&【鈴木重時→鈴木重好】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_5.html

===??峠(静岡県⇒愛知県へ)==============
25▲奥山方広寺…★臨済宗方広寺派大本山。井伊氏分家の奥山氏が
 南北朝時代に建て奥山氏が庇護した。
井伊直虎の許婚::井伊直親の妻「ひな」の場所
※奥山館・奥山城・竜ヶ岩洞(2億5千万年前)には行けなかった。
○井伊谷の石原先生宅
26◆北岡大塚古墳
○井伊谷の石原先生宅
○GS…1900円…2日で190km走ったのか?
○トヨタレンタカー 約15000円
○ホテルセレクトイン浜松駅前素泊まり4200円
○夕食「藤田」…鰻&酒で3480円
○ホテルセレクトイン浜松駅
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【3】11月3日、
○07:00 駅前散策
○朝食…パン屋
○08:30 祐太郎君
28▲城№897二俣城
29▲城№898鳥羽山城
30▲城№899大平城(おいひら城)

箕輪初心:生方▲浜松市『大平(おいだいら)城遠望』
&【井伊道政・宗良親王】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_2.html

31▲城№900引間城(曳馬城)
32 椿姫観音
○昼食「うなぎの佳川」…2800円+α。
 祐太郎君のおごり。ありがとう。
13:40浜松駅…祐太郎君と別れた。
14:11発 15:40着 (89分)ひかり468号 東京行
16:11 東京→高崎
18:00 家


【2】井伊虎松→井伊万千代時代
・永禄4年(1561) 2月9日井伊直政(幼名虎松)が生まれる。
・永禄5年(1562) 井伊直親が今川氏真により呼び出され、
         遠州掛川にて朝比奈泰朝に誅殺。
供18人も抹殺。
理由・・井伊直親が松平元康(徳川家康)と仲良しだと疑われた・

・永禄5年(1562)12月14日 井伊直政の父:井伊直親は
 小野の讒言「井伊直親が松平元康(徳川家康)に内通している。」
  の申し開きのため、駿府に向かった。
  井伊直政の父:井伊直親ら19名は今川家臣:朝比奈泰朝に
  懸川(掛川)で殺された。
   井伊家分家:家老:新野左馬助親矩が虎松に命乞いをした。
  井伊家分家:新野左馬助親矩に保護され、養母:次郎法師に
  育てられた。
  ※井伊直政は2歳のため、次郎法師と名乗り井伊家を継いだ
  説もある。

・永禄6年(1563)▲ 天野左衛門尉:八城(社)山攻め
  井伊直平が途中の有玉旗屋で急死した。享年75。
  ★唯一生き残っていた井伊家の男だった。長老が無理した。
   20代:井伊直平が飯尾備前守に毒殺された説もある。
  家臣の大石が川名の渓雲寺に埋葬。

・永禄7年(1564))▲曳馬城攻め 
 重臣:新野左馬助親矩と井伊一族で井伊谷城城代:中野信濃守
 直由が討死した。
  新野左馬助の妹は井伊直盛の妻である。
  
「新野左馬助、中野信濃守討死之後、次郎法師、地頭職御勤、
 祐椿尼公(直盛公内室也)、実母、御揃、直政公御養育申
 候得共、皆々女中斗故、但馬諸事取斗我儘斗致、何卒井伊谷
 押領可仕旨相巧申候」
(★『井伊家伝記』)
★意味・・・「新野左親矩と中野信濃守直由の討死の後、次郎
法師が地頭をお勤めになられ、祐椿尼(井伊直盛の妻)、井伊
直政の実母の3人が揃って直政公を養育したが、皆んな女性
であったので、小野但馬守道好が取り仕切って我が儘のし放
題であり、何とかして井伊谷領を巧みに横領しようと企んでいた
と言われています。」
①井伊宗家:次郎法師(井伊直虎)
②井伊家縁戚:新野親矩(今川重臣)の妹(娘説)で次郎法師の母
③井伊家庶流:奥山朝利の妹:虎松の実母

井伊宗家・新野家・奥山家の3人の女性が井伊虎松(直政)を守った。
つまり、3者の強力な連携があったので井伊虎松は生き延びた。
★南渓禅師(龍潭寺2世)がこの年に次郎法師を名乗らせたたのかも
しれない。

・永禄8年(1565) 龍潭寺2世:南渓禅師は次郎法師は還俗させ
 て、「女地頭」に立て、虎松の後見人とした。
  (★『遠江井伊氏物語』武藤全裕著)
 ★この時、「井伊直虎」と名を変えた説もある。
 井伊直盛の娘:次郎法師祐圓尼が女性地頭になる。
  井伊家の男は5歳の虎松だけだった。


  井伊直虎は南渓和尚に徳政免除の黒印状を与えた。

・永禄11年(1568)
?月 井伊家筆頭家老:小野但馬が井伊領を横領した。
龍潭寺2世:南渓瑞聞は 井伊虎松(井伊直政)を
 鳳来寺に移住させた。

11月 井伊直虎は関口氏経と連署で徳政令を出した。
  ★今川氏真が介入してきたことを意味する。
「井伊直虎は今川氏家臣関口親永一族:関口氏経の息子
 (次郎法師の母方の従兄弟)を井伊次郎と名乗らせて
 当主とした説もある。
 『鉾前神社古文書』に唯一「井伊直虎の名がある。」
 井伊直盛嫡子「井伊直親養子」、妹に「女子」とあるだけである。
 (★『おんな城主井伊直虎と井伊家の歴史』井伊達夫著)
★関口親永の妻は今川義元の妹婿説・井伊直親の叔母説がある。
 
 関口親永の娘は徳川  家康の正室:築山殿の父である。
 関口氏一族は後、木俣守勝側近となった。

・永禄11年(1568)11月 徳川家康が遠江の平定に着手

  徳川家康に加担する菅沼一族の野田菅沼定盈
  から今川家の離反の誘いを受けると、承諾した。
  菅沼忠久が鈴木重時や近藤康用も誘った。


 野田菅沼3代目当主の定盈の計らいによって菅沼忠久や鈴木重時と
 共に家康に属し、所領を安堵された。
 遠州切り取りの第一歩、刑部城の攻略の先鋒は旧今川義元配下だっ
 た野田城の菅沼新八郎定盈(さだみつ)に井伊谷3人衆であった。

 近藤康用は子:近藤秀用を従軍させていた。
 老齢である上、長年の戦働きによる負傷で歩行困難となっていた
 からである。
 
▲刑部城攻め
 今川氏真から離反させて徳川方に流れた「井伊谷三人衆」:菅沼忠久
 ・鈴木重時・近藤康用に野田菅沼定盈と大将として、攻撃させた。
 

・永禄12年(1569)
▲武田信玄の第一次駿河侵攻
 武田信玄は駿河侵攻にあたって、徳川家康と今川領分割の密約を
 結び、大井川を境にして東部を武田氏が、西部を徳川氏がそれぞ
 れ攻め取ることにしたのである。

12月6日、武田信玄は1万2000の軍勢を率いて駿河侵攻を開始
 した。
 今川氏真は重臣の庵原忠胤に1万5000の軍勢を預けて迎撃させた。
 武田軍が進軍を開始すると、今川軍は退却し始めた。
 北条氏康は武田信玄との同盟破棄した。

今川氏真は井伊家に対して出兵の命令が出した。

 12月? 井伊家筆頭家老:小野但馬が井伊領を横領した。
龍潭寺2世:南渓瑞聞は 井伊虎松(井伊直政)を
 鳳来寺(松井家)に移住させた。

*************************    
○井伊虎松は鳳来寺へ逃れた。
8歳~14歳まで鳳来寺で過ごした。
 
***************************

  
12月11日 小野但馬守政次(道好)は今川軍の一員として武田信玄
 として出陣した。

12月12日 ▲薩埵峠の戦い
 今川氏真は武田軍を迎撃するため、興津の清見寺に出陣した。
 武田信玄は今川氏の有力家臣である瀬名信輝、朝比奈政貞、三浦義鏡、
 葛山氏元らを調略した。
 結果として21人の武将が武田信玄に内通して裏切ったのである。
 北条氏政は駿河に援軍に向かった。伊豆三島に対陣するに留まった。

12月13日 武田軍は駿府に入った。
 今川氏真は駿府城を捨てて遠江掛川城の朝比奈泰朝を頼って落ち延びた。
小野但馬守政次(道好)は井伊谷城に戻ってきた。

12月13日、徳川家康も三河から遠江に侵攻した。
菅沼忠久は徳川家康に加担する菅沼一族の野田菅沼定盈
 から今川家の離反の誘いを受けると、承諾した。
 菅沼忠久は鈴木重時や近藤康用(&秀用)も誘った。

12月15日  徳川家康の井伊谷侵攻。
 徳川家康に内通した井伊谷三人衆(菅沼忠久・鈴木重時・近藤康用)
の道案内で徳川軍が井伊谷に攻めた。
井伊谷3人衆(近藤・鈴木・菅沼)は井伊谷城を先導した。
 井伊谷城は井伊谷3人衆の攻撃にさらされた。
ところが、代官:小野但馬守政次(道好)は攻撃が始まる前に
井伊谷城を捨てて逃げた。

徳川家康は小野政次(道好)の専横に対し、
  近藤康用・鈴木重時・菅沼忠久の井伊谷三人衆を派遣し、井伊谷
  を奪還させた。
徳川家康は井伊谷城を攻略した。
井伊谷は3人衆の支配下に置かれた。
  井伊谷3人衆は小野但馬守の探索を徳川家康に願い出た。
  ①小野但馬守は菅沼忠久の兵に見つかって捕えられた。 
  ②近隣の淵の「龍ヶ淵」洞窟に潜伏していたが近藤秀用に
   捕えられた説もある。
 井伊谷から曳間(引間)城攻めに案内した。

井伊谷3人衆(近藤・鈴木・菅沼)は井伊谷から曳間(引間)城攻めに
案内した。

井伊谷城や白須賀城→曳間城(浜松城の前身)を落とした。

12月27日 徳川家康は掛川城を包囲した。


・永禄12年(1569)
2月 徳川家康は掛川城を落とした。
 
3月27日、再び堀川城を攻めた。
  中村正吉は船を出して、徳川家康を迎えた。
  堀川城は徳川勢によって一方的に殺戮された。
  1000人以上殺され、逃げた農民ら700人の首を刎
  ねられた。
 徳川家康は合計1700人、殺した。
約2000人説もあるようだ。

4月7日 小野政次(道好)は偽りの密告をした罪で処刑された。
  小野政次(道好)は獄門を言い渡され井伊谷で処刑された説もある。
 
5月17日 今川氏真は家臣の助命と引き換えに掛川城を開城した。
 
6月 小野政次(道好)の息子2人も斬罪となった。
 ※元亀元年(1570)説もある。
 井伊谷蟹渕・・・小野但馬守が処刑された。
小野政次の野望はこうして潰えたのである。


・永禄12年(1568)井伊直政実母は今川家臣:松下源太郎清景
 (浜松頭陀寺城)と再婚した。

 ★松下清景の姉は松平元康(徳川家康)家老:松下之綱であった。
  井伊家が今川氏から独立した松平元康との関係を模索した。
と考えられる。
 井伊直虎が徳川家康の将来性を見抜き、養子の虎松(井伊直政)を
 徳川家康に出仕させるために仕組んだ結婚であったかもしれない。


・近藤康用は度々の合戦で活躍して戦功を上げたが、戦傷が原因
 で歩行することが出来なくなったため、最後は井伊谷に閑居した。

・元亀3年(1573) 12月22日(1月25日)「三方ヶ原の戦い」
徳川家康は武田信玄に敗れ、刑部は武田領となった。

 武田信玄は「刑部砦」で越年した。
 武田信玄の軍は2万人以上の大軍であった。
 ★都田川(瀬戸谷川)左岸には武田軍がうじゃうじゃ宿陣していたの
 であろう。
 武田信玄は「刑部城の前」の屋敷で過ごしたのかもしれない。
 まだ、「大陣屋」という場所で過ごしたのかもしれない。


・天正元年(1573) 武田信玄は龍たん寺を焼き、三河国への進軍を再開
 した。
2月 武田軍によって三河国設楽郡の野田城を落とされた。
 城主・菅沼定盈が拘束された。
 武田信玄の発病によって長篠城まで退き、信玄の死去により撤兵した。

 徳川家康は井伊谷・気賀・刑部を武田から取り戻した。

天正2年(1574) 井伊虎松は「鳳来寺」から父:直親の13回忌
 のために龍潭寺に来た。
 祐椿尼:直虎:ひよ(井伊直政実母)・南渓が相談し、
 徳川家康に仕えさせようとした。


天正2年(1574)井伊直政実母は今川家臣:松下源太郎清景
 (浜松頭陀寺城)と再婚した。

井伊虎松を松下氏の養子にした。井伊虎松は松下虎松になった。
(★『井伊家伝記』)
松下清景の姉は松平元康(徳川家康)家老:松下之綱であった。
  井伊家が今川氏から独立した松平元康との関係を模索した。
  と考えられる。
 
井伊直虎が徳川家康の将来性を見抜き、養子の虎松(井伊直政)を
 徳川家康に出仕させるために仕組んだ結婚であったかもしれない。


・天正3年(1575) 2月井伊直虎に付き添われて井伊直政(15歳)は浜松
  の徳川家康に出仕した。
井伊万千代となった。

・天正3年(1575長篠の戦い

◆◆ 箕輪初心◎長篠の戦い前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_25.html

◆◆ 箕輪初心●愛知【長篠城】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_24.html

◆◆ 箕輪初心★【奥平一族は群馬出身】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_24.html

箕輪初心◎長篠の戦い後編:設楽原の激闘&上野国関係者
http://53922401.at.webry.info/201211/article_27.html

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★明日は「奥山方広寺」かな?

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