箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№106▲第42話「長篠に立てる柵」&『設楽が原』

①起…万千代が留守を預かることになった。
②承…徳川家康は織田信長の作戦の考えに唖然とする。
③転…長篠の戦で織田軍・徳川軍に武田軍が大敗した。
④結…万千代が小姓に上がるになった。
◆ゆかりの地:長篠
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◆◆ 箕輪初心◎長篠の戦い前編 ◆◆
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◆◆ 箕輪初心●愛知【長篠城】 ◆◆
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◆◆ 箕輪初心★【奥平一族は群馬出身】 ◆◆
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箕輪初心◎長篠の戦い後編:設楽原の激闘&上野国関係者
http://53922401.at.webry.info/201211/article_27.html




【1】おんな城主直虎42話「長篠に立てる柵」あらすじ

●復習
「それがしにも是非、材木の・・・」

◆ナレーター
「戦に材木が必要になったことを知った万千代は出世の足がかりと
 して、・・・直虎の手紙により、浜松に残ることになった。」
万千代が徳川家康に提案した丸太を集める作戦は、直虎の手紙で
近藤康用が負う形になった。
万千代は初陣に立てなかった直虎を憎んだ。

◆回想…
「日の本一の留守居、頼んだぞ。」
と家康は出陣していった。

◆ナレーター
「・・・長篠へと・・・」
「お留守を預かるのも大事な役目・・・」



~~~ミュージック~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

●龍たん寺
南渓「・・・初陣じゃったに・・・」
と酒を飲む。

直虎は井戸で拝む。
「これしきのことですねるようでは先が知れております。・・・」

「しかし、戦に出る日はそう遠くはないぞ。」

●浜松城
留守をする万千代たちは、暇であった。
武将たちが出払っているので草履番といってもすることがないのだ。
万千代は草履を準備している。
上役は「することもないしな。城下に酒でも飲みに行くか?
  少しなら、奢ってやってもよいぞ。」
ノブ「誠に・・・」
万福は「最後の方がくるまでは・・・。」
ノブ「今日はお2人で・・」
へへと言って、ついていってしまった。
万千代はまだすねている。
「若、井伊のですか?」
「作り直すのじゃ?」
・・・
「俺は丸太の分を留守居で・・・」
棚を新しくすることで草履を置く数を増やそうと考えた。


●地図 設楽が原
「天正3年(1572)、徳川と織田の連合軍は長篠城に到着した。」

◆ナレーター
布陣を準備している。
丸太は、柵を作るために必要だった。
★馬防柵であった。
織田信長
「これまで、徳川が武田に勝てなかったのは、武田と同じことをする
からだ。」
と言う。
信長の眼光鋭い目に誰もなにも答えられない。
信長は、「相手の土俵ではなく自分の土俵で戦う。」
織田軍は、徳川軍の3倍の兵の数がいる。
連合軍とはいえ、信長の兵が中心であった。


徳川の武将:大久保忠世は、「織田は無礼ではないか?」
織田が中心となって柵をつくり空堀をほったりすること
の我慢ならなかった。
「織田は我らの援軍、それを仕切るなど、・・・」

石川数正が家康の陣に到着した。
大久保「石川殿、岡崎は何をやっているのだ。」
と怒る。
石川「すぐに武田は落ちる。と織田殿が・・・」
榊原「どのような見通しなのじゃ。」
「我らも教えて貰えぬのです。」
家康は唖然としている。
「織田殿は参っておるのか?」
「只今、若君がお相手をされておられます。」
「そうか?」

●信長の陣
徳川家康の嫡男:信康17歳は織田信長に呼ばれた。
信長は酒を飲んでいる。
「徳川殿はあまりやりなさらん。そなたは嫌いでないと聞いておる。」
信康「「やろうと思ってな。」
と酒を飲む。

信康は酒を断る。
「いただくわけに行きません。・・・働きをしておりません。」
「褒美ではない。親子としてじゃ。」

「かような高価なものは手柄を立てたものにあげるのが・・・」
「徳川も行く末、安泰じゃのう。」

「徳川様がおこしになられますか?」
家康はへりくだって挨拶をする。
「織田と徳川は一心同体・・・武田は双方の宿敵、なんとしても
 食い止めねばなるまい。」
「これより、軍議を始める。」
佐久間盛信「・・・鉄砲を中心に攻める。・・」
今回の戦では鉄砲・・・。
しかし、家康たちは鉄砲で戦という経験がない。
徳川家臣は困惑する。


●家康の陣
徳川には軍議が始まれば言いなりになるしかない。
徳川の実力であった。
石川が大久保をなだめる。

●浜松城
万千代は大きな草履入れを作り、名札を張った。
「鈴木萬太郎」
ノブ「・・・よう作りましたな。」
万福「・・・我らがいなくなっても、使いやすうなりますし。・・・」
万千代が納得する。

上役の小姓:実は酒井家次・・・意地悪役の忠次の倅である。
 (★後、酒井家次も高崎城に入った。井伊直政の中仙道を、今の
   場所に造り直した。箕輪滝沢寺は酒井家の家紋である。)

●槍倉庫
「槍の修理できるかのう?」
「できぬ武士はいないでしょう。」
「何、井伊というのは戦をせず、逃げ回っているばかりであった
 と聞く。槍など使こううたことがないのではないいかと思うて・・」
と馬鹿にする。
「それはここ20年の話。井伊は八介(守介丞佐)の武門の家柄に
 ございます。」
「悪かった。悪かった。」
と謝ったふりをし・・・
「頼んでもよいか。」
「井伊の者は戦をしらぬとお思いじゃろうから
万千代は大きな目をして
「心得ました。」
と答えた。

「そうか?」
「では、任せたぞ。」

万千代は怒る。
「ようし、やろう。」
「殺~すは出ないのですか?」
「あんな雑魚ども殺す迄もない。」

「後でごぼう抜きして、あごでつかってやるわ。」

槍を2人で磨き始めた。
「さびが落ちておらぬ。」
万福「はいはい。」

小五郎は忙しいから万千代に槍や弓の手入れを押し付けたのだった。



●設楽が原

◆ナレーター
「設楽が原では戦のしつらえが着々と進んでいた。」
●馬防柵が着々と・・・・

六佐と直之もくい打ちに精を出している。

「・・・ここは良い場所だ。あのぬかるみは武田も迷うであろう。」

「木が足らぬと・・・」
「200程・・・」

直之「木を伐りに行きましょうか?」
武将「其方は何者じゃ。」
直之「井伊谷近藤配下、中野と申します。」
と片膝をついて・・・
「あの者は奥山六左衛門と申しまして、木の切り出しを得意と
 しております。」
顔を汚した六佐が近づき、頭を下げる。

「柵を建てるのは我らの仕事、・・・」

「人をお貸ししよう。」
「は。」

●家康の陣
石川は大久保を怒らせたことを家康に詫びる。
家康「あれだけの援助をえられたことは、・・・
   謝ることはない。岡崎には督姫もおる。誠
   ようやってくれているとおもうておる。」
石川数正、感動でうるうる。

信康が来た。
「此度戦・・・」
「まず、やるか?」
・家康は家康の嫡男・信康父子で碁を打っていた。

信康は、織田信長から「茶碗を」
やろうかと持ち掛けられたと言う。
断ったというのあった。
信康の妻、督姫は織田信長の娘であった。
「舅として仲良くなりたかったのではないか。」
と家康が聞く。
信康は「信長は常なる人ではありません。
  私は人の子にございます故。」
というのであった。

●設楽が原
馬防柵は完成した。

◆ナレーター
「柵はいよいよ完成した。それを受け、酒井忠次率いる別働隊が
 ・・・闇夜に紛れて、背後から奇襲した。」

●長篠城
山県「殿、これは罠にございます。」
武田勝頼が・・・

◆ナレーター
「武田勝頼は重臣の進言に耳をかすことなく、・・・
設楽が原に突撃したのじゃった。」
赤備えばっか?・・・・変?
赤は「元浅利信種の隊・山県昌景隊・小幡信貞隊しかいないのだ。

長篠の戦い
徳川・織田の連合軍と武田軍が長篠城でぶつかります。
武田軍がおそいかかる。
山県昌景が突撃する。
武田騎馬隊が馬防柵の前にさしかかったが、
先に進めないで引き返す。
鉄砲が火をふく。
弓矢が飛んでいく。
柵が外され、槍隊が突撃する。


無数の鉄砲により、武田軍は何もできないまま次々と倒れていく。
「山県の首、討ち取ったり~~~。」

◆ナレーター
「信長の作戦は・・・
 織田。徳川軍の大勝利に終わった。」

●近藤の陣
直之・六佐達が酒を飲んでいる。
織田の重臣は「奥山・・・中野直之なる者はおるか?」
2人が立つ。
「殿がお呼びじゃ。」
「殿とはどなたですか?」
「織田信長様がお呼びじゃ。」

「入れ」

「表をあげよ。」
ぶぶる2人・・・
信長は大きな目で見つめる。

●浜松城
万千代と万福は弓矢の手入れをしている。
万千代は偉くなった妄想をしている。
「草履番ども、早く武具をまとめよ。」
「何かあったのでございますか?」
「長篠で大勝利・・・武田の遠江の城・・・

浜松城の蔵で「兵糧と武具を届けるよう」命が出ました。

小姓頭:家次は「私はお届けしたい。」

万千代は「私も届けとうぞんじます。」
と上役にいった。
「私が万福と全て直しました。」
「多少、手伝ってくれました。潰れた家で早く小姓に
 なりたいと思う手おるようじゃが、嘘はいかん。」
万千代たちは手柄を小五郎家次に横取りされ、届けにいくことが
できない。

万千代は追いかけようとする。
ノブ:本多正信が「やめなされ。あれはは酒井一門なので言っても
 ムダです。」
と言う。
万千代は、悔しさを噛み殺し拳をギュッと握りしめた。
思わず、ノブを殴ってしまった。
謝った。


ノブ:正信は、「・・・今川の国衆で潰れた家柄というのを強みにしては
 いかがか。」
とアドバイスした。
「潰れた家の強み・・」
「では、裏切り者の強みを・・・」
・・・
「殿は申していたでは亡いですか?潰れた者は井伊を治めている
 ではないですか?」

「はみだし者を召し抱えたからには何か意味があるはず・・・。
 その時がきっとくるばす・・・しっかりと備えておくことが 
大事なのではないでしょうか。殿は信用してよいお方です。・・・。」

万千代は妙に納得したのであった。

●龍たん寺
高瀬が戦勝を伝える。
直虎は「守ってくださったのかのう。」
「母上、近藤様がお呼びです。」

●井伊谷城
「この茶碗は城一つにも値する茶碗・・・」
直虎が落とした。
直之が手を出してキャッチした。
直之は直虎をしかる。

「何故、寺にご寄進を・・・」
「織田様から、直接もらったとあっては・・・

●長篠
直虎と傑山は供養する。


●いつしか秋になった。

◆ナレーター
「家康は数ヶ月ぶりに城に帰ってきた。」
戦勝祝いが始まった。
みんな酔っ払った。

榊原康政「急いで家康の寝所に。」
万千代に言った。
「着物が「汚れすぎじゃ、を取り換えるよう。」


万千代は家康の部屋を訪れようとする。
衆道(男の子の寵愛)かと思い込む。
「織田と前田様、武田と春日様

「これこそ、酒井の一門を追い落とすチャンス・・・」
「新しい褌をもて・・」

家康の部屋に行くと、
家康は「入れ」
「ちこうよれ。話もできぬ。」
囲碁を1人で打っている。
「どうかしたのか・」
「それがしはかようなちぎりをむすんだことがない故」

「ははああ・・・故にかようにめかし込んで・・・」
家康が笑いこける。

万千代の誤解だと・・・ひとしきり笑った
「槍の手入れをしたのは万千代と万福か?」
と聞いた。
「いつもより、よく手入れされていた。・・・・
 新しく入った物だと思った。・・・
 新しく入った者ではないかと・・・
 そなたのことだ。
 日の本一のことを本気でやろうとしたのではないか?」
といった。
「草履棚も変わっていたのでな。」
と家康は、万千代に話した。
万千代「お気づきにならにのか。
万千代は、家康がしっかりと見ていてくれたことを喜んだ。

家康は万千代に対し、小姓になるように命じた。
「いっそのこと、そういうことにしてしまわぬか?」



●祝田村



【2】長篠・設楽が原の戦い詳細編

●5月12日~14日 武田勝頼は総攻撃を開始。
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■5月13日 織田信長が岐阜を出発。
織田信長は3度目の松平元康からの手紙には
 「もし、援軍を出してくれぬなら、武田に遠江を譲って
  和睦し、武田の先方となって尾張を攻める。」とある。
(★甲陽軍艦)
 ①織田信長は、棒1本と縄1本を持つように指示した 
②織田信長は、出陣しない武将から鉄砲&足軽鉄砲隊
  を出させた。

■5月14日 織田信長が岡崎に到着。
徳川家康と合流38000になった。
▲鳥居強右衛門勝商は、武田勢によって包囲された
 城を抜け出し、岡崎の徳川家康に援軍を頼みに行く
 ため川を潜水し、対岸に渡った。長篠城を脱出
▲5月15日 鳥居強右衛門が岡崎に到着。
  鳥居強右衛門が織田信長に謁見。
  ※鳥居強右衛門徳川家康に報告すると、制止を聞かず、
 長篠城に帰ることにした。
▲5月16日 しかし、鳥居強右衛門は武田の兵に捕まった。
●武田勝頼は「長篠城に向かって『援軍は来ない。』と
 告げれば、命を助けてやる。」という取引を持ちかけた。
▲しかし、鳥居強右衛門は大声で援軍の到来を城兵に告げた。
●武田勝頼は長篠城対岸で磔にしたのだった。
(★鳥居強右衛門勝商の磔の絵)
▲鳥居強右衛門の決死の働きで長篠城は士気が上がった。

(★鳥居強右衛門勝商の磔の絵)

▲■5月17日 織田・徳川は野田城に到着。野陣。

▲■5月18日 織田信長3万、徳川家康8千=3万8000
の援軍は長篠城の西方約4kmにある設楽原に到着した。
 ①織田信長は後方の極楽寺山に本陣を置いた。
 ② 副将:織田信忠は天神山である。
 ③徳川家康達は連吾川に沿って西側に陣を築いた。
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     ■
■佐久間 ■
・・・・・→信長 ■丹羽長秀
■織田信長 ■織田信忠 ■羽柴秀吉



   ▲石川数正
▲松平信康 ▲鳥居元忠
▲松平元康 ▲本多忠勝
  ▲榊原康政
▲平岩親吉 ▲内藤信成
▲本多忠勝 ▲大久保忠世・忠佐

5月18~20日 馬防柵を構築開始。

▲ついに、奥平貞昌は徳川家康と織田信長の連合軍
 3万8000の到着まで、長篠城を守り抜いた。

●5月19日 武田勝頼は軍議を開いた。
①武田氏老臣・・内藤昌豊・馬場信房・山県昌景など
   →長篠城&織田・徳川との戦いに反対。
 ②武田氏新興・・跡部勝資
→長篠城&織田・徳川との戦いを断行。

武田勝頼は
 「3日がかりで、陣を作る織田・徳川軍は弱い。
  びびってるな。・・・武田は織田・徳川戦で
  一度も負けたことがない。兵力差なんて
  なんのその・・・」と、思ったのだろう。


●5月20日 武田勝頼は長篠城攻略を一時休憩。
 武田軍は長篠城の包囲を解いて、設楽原へ進出した。
 武田軍と織田徳川連合軍は設楽原の地で対峙した。

▲馬場信房
▲真田信綱
▲土屋昌次
   ▲穴山信君
▲一条信龍
 ▲武田勝頼・・・3000 武田信光・望月信雄
▲小幡信貞
▲武田信廉
▲内藤昌豊
▲原昌胤
▲山県昌景
▲武田信実(長篠城押さえ:鳶が巣山)

▲5月21日 
 長篠役・設楽原決戦の始まりである…。

●設楽原決戦の本隊
武田勝頼
武田信廉、
武田信豊・望月信永(信濃望月城)兄弟、
一条信龍(信玄10男:武川衆)、武田信友・信光親子、穴山信君、
小山田信茂(岩殿城)
山県昌景・昌次親子 (★家臣が後、井伊直政の家老クラス5人排出)
内藤昌秀(当時、箕輪城代)
馬場信春
土屋昌続・昌恒兄弟、土屋貞綱
   (★土屋昌恒の家臣は井伊直政の家臣)
真田信綱・昌輝・武藤喜兵衛(後、真田昌幸)兄弟
原昌胤(★後、家臣の一部が井伊直政の家臣)
横田康景・原盛胤兄弟
跡部勝資
  (★長男:昌明は内藤昌豊の養子。昌明次男が後、井伊家家老)
長坂光堅
甘利信康
米倉重継(武川衆)
柳沢信俊(武川衆。後、子孫の所領は高崎市旧群馬町)
小幡昌盛(元小畠氏…小幡に改姓。)
初鹿野昌久(後、さいたま市に城を構えた。)
岡部正綱(元今川:高天神城代)
朝比奈信置(元今川:掛川城代)
小笠原信嶺(信濃国林城・松本城代)
室賀信俊(信濃国室賀城:千曲市)
屋代正長(信濃国屋代城・荒砥城など:千曲市)
大井貞清(元信濃内山城主:佐久市→上野国根小屋城代・・・)
専光寺快川(恵林寺「心頭滅却すれば火も亦た涼し」)
根津月直(信濃国根津下城主・叔父の妻が真田幸綱の妹)
鎌原重澄(上野国鎌原城主:真田信綱のはと従兄弟)
安中景繁(上野国安中城主:甘利信康の娘婿)
小幡憲重(討死したとされるが詳細不明)・信貞親子

●長篠城監視部隊:鳶ヶ巣山砦など守備隊(長篠城の南対岸)
鳶ヶ巣砦:河窪信実、小宮山信近
姥ヶ懐砦:三枝昌貞・守義・守光兄弟
君ヶ伏床砦:和田業繁
中山砦:五味高重、飯尾助友・祐国兄弟、名和無理之助
久間山砦和気善兵衛、倉賀野秀景、原胤成

●有海村駐留部隊(長篠城の西対岸)
高坂昌澄、小山田昌成、雨宮家次、山本勘蔵信供
 父:高坂弾正(春日虎綱)10000は海津城で上杉景勝を牽制。


【1】鳶ノ巣山での戦闘・・・酒井忠次の奇襲
夜、織田信長は徳川家康の重鎮:酒井忠次を呼び、徳川軍の中から
弓・鉄砲に優れた兵2000ほどを選び出して酒井に率いさせた。
酒井隊に織田の鉄砲隊500と金森長近ら検使を加えて約4000
の別働隊を組織し、奇襲を命じた。
  (★『信長公記』)。
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酒井忠次隊約4000
+奥平貞能+菅沼定□+金森長近鉄砲隊500
▲奥平貞能(先祖は上野国吉井奥平出身)
▲酒井忠次の子:家次(後高崎城、子孫は前橋城の城主)
▲小栗又一(徳川家康縁戚):小栗上野介(高崎市倉渕で斬首)の先祖
▲渡辺守綱・・・酒呑童子の話に出てくる渡辺綱子孫

5月20日、午後8時頃、織田・徳川軍の陣地を出発した
 後方奇襲部隊:酒井忠次約4000は、南から豊川を渡河し、
 舟着山を回って5つの砦の背後に回った。
 織田信長の作戦である。

21日の未明には、鳶ノ巣山に到達した。
夜明けを待って、鳶ノ巣砦を急襲し、火をかけた。
※『信長公記』
「五月廿一日辰刻(午前8時)取上り、旗首を推立て 凱声
を上げ、数百挺の鉄炮を□□とはなち懸け、責衆を追払ひ、
長篠の城へ入り、城中の者と一手になり、敵陣の小足々々
焼上げ、籠城の老忽運を開き、七首の攻衆案の外の事にて
候問、癈忘致し、鳳来寺さして敗北なり。」
●武田の鳶が巣砦など5つの砦の者達は
 「まさか、背後から敵がくるとは思っていなかった」
 武田軍によって長篠城を包囲する五砦の一つとして築かれ
 たこと中山砦には、飯尾助友・飯尾祐国・五味与惣兵衛
 ・名和田清継・名和無理之助が入城して守将を務めた。


▲酒井忠次の奇襲部隊は鳶ノ巣山周辺の君ヶ伏戸・中山砦
 などの拠点も落とし、鳶ノ巣山の5つの砦を全て落とした。
 長篠城の兵と合流した。

 長篠城の西の武田軍を攻めた。

▲▲武田軍の戦死者 ▲▲
 ●主将:武田(河窪)信実:武田信玄弟(勝頼の叔父)
 ●三枝守友(昌貞):石原家からの養子。
  石原主膳(山県昌景鉄砲隊長→北条氏政家臣→井伊直政旗奉行)
  が生き残った。
●飯尾助友・祐国:通説遠江出身 上野国高崎山名かも?
●五味貞成(高重)
上野国の戦死者~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ①和田業繁:上野国和田城
  戸田重元に討ち取られた。
 (後に井伊直政が和田城→高崎城を築城・酒井家次も入城した)
  ★和田信業(跡部勝資長男)は別働隊にいて、生き延びた。
 ②和田兵部は和田業繁の弟(信業の叔父)★和田(高崎)下之城。
③反町大膳(和田業繁同心:家老):高崎駅東400m反町館
④名和無理介=那波無理介(宗安):上野国伊勢崎那波城・毛呂城
 ⑤名和重行・・・上野国伊勢崎那波城・毛呂城
   小栗又一(後、藤岡芦田城)&渡辺守綱に討ち取られた。
 ⑥大戸民部:上野国現東吾妻町の大戸城
 ⑦倉賀野秀孝:(倉賀野景秀の子)上野国現高崎市の倉賀野城
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 武田の敗残兵は本隊への合流を図って。豊川を渡って退却した。
 しかし、酒井奇襲隊が追撃した。長篠城の西岸・有海村において
 春日虎綱の子息:香坂源五郎(「昌澄」ともされるが不明)が討ち
 取られている。
 ●高坂昌澄?・・・などが討ち死。

 酒井忠次隊の一方的な展開となった。
 徳川方の深溝松平伊忠(これただ)は、功績を急いだ退却する小山田
 昌成に反撃されて討死した。


▲■設楽原激闘開始●
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【2】山県昌景の赤備え隊突撃開始 5月21日
午前6時 小競り合い開始
「日出から」戦いが始まった。
 (★『信長公記』)

午前11時頃 設楽原で戦闘が本格化
 (★『信長公記』)
■織田信長は極楽寺山から家康のいた高松山に移動
  織田信長は鉄炮1000挺の部隊を結成。
 佐々蔵介=佐々成政・前田又左衛門・野々村三十郎
 ・福富平左衛門・塙九郎左衛門の5人の奉行を任命。
 千人ほどの鉄砲隊を編成した。

武田軍の波状攻撃(午前11時~午後2時)
『信長公記』や『甲陽軍鑑』

●一番南にいた左翼の山県隊3000から攻撃が始められた。
武田軍左翼の山県隊は、右翼の徳川隊に攻撃を仕掛けた。
山県昌景は馬で連吾川まで行き、指示した。家臣は馬を
降り、重い鎧で水かさの増えた川を渡る。川を越えると
鉄砲の餌食になった。
▲徳川軍の大久保忠世隊6500の内の鉄砲隊が撃退した。
 山県軍が引くと、大久保軍が柵を出て戦った。
 でも、鉄砲が柵を出た味方に当たってはいけないから
 鉄砲射撃はできない。だから直ぐ戻った。 


●左翼ではこの後に原昌胤、内藤昌豊が攻撃を繰り返
 した。

▲馬防柵に9回とあるそうだ。 
(★『甲陽軍鑑』)

▲▲ 大久保隊での武田軍の戦死者************
●①山県昌景
  (配下の広瀬景房・三科形秀・川手良則・孕石泰時・石原主膳
  らは8年後、井伊直政の家臣になり、やがて家老になっていく。)
●②原昌胤
  (配下:脇などが井伊家家老クラスになっていく。)
●③小山田信茂・・岩殿城(現山梨県大月町岩殿)




【3】織田・徳川連合軍の三段式鉄砲隊の活躍?
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 織田軍中央と織田軍左翼 VS 武田勝頼中央 
▲佐々成政らの五奉行・羽柴秀吉・丹羽長秀
 ●武田信廉の部隊は攻撃を繰り返した、織田軍が攻めれば、
  退き、退けば攻撃した。
 ■織田信長の命令通り、鉄砲で多数を撃たれた。

●小幡信貞隊も入れ替わり攻撃。
小幡信貞:上野国。国峰城・宮崎城(現群馬県富岡市)
  (→後に、奥平貞昌=信昌が入城。)
 
■織田軍は後方の「身がくし」=土塁に隠れ、鉄砲を構えて
 待ちうけた。
●小幡軍500騎は鉄砲で多数を失った。
 

●武田典厩信豊(勝頼の従兄弟)も入れ替え攻撃。

■織田方は鉄砲隊だけで戦ったのだ。
●武田軍は多数を撃たれて退却した。
堀、柵、土塁+土塁裏の鉄砲隊の前に
中央の武田軍は柵越えられず死者を増やしてしまった。



【5】設楽原の戦いの中盤
 織田軍左翼   VS   武田軍 
 佐久間信盛       ・馬場美濃守信春
 水野信元ら       ・真田信綱・真田昌輝
             ・土屋昌次(継)ら
●武田右翼部隊は三重柵の内の二つ破った。
武田方が多くが撃たれた。
(★『甲陽軍鑑』・・長篠合戦図屏風より)

●禰津(根津)月直が討ち死に
 禰津松鴎軒常安の嫡男・根津月直は原隼人正配下として奮戦した。
 馬防柵への繰り返しの突撃末、最後の柵を突破した後、胸を撃ち
 抜かれ討死した。
  一時、真田幸隆:第二家老:禰津逍遙軒常安であった。
  ★禰津元直3男(逍遙軒常安)は箕輪城城番後、
   上野国岩櫃城志摩郭に住んだ。
   禰津逍遙軒常安の正室:貞繁尼は真田信之の乳母であった
   子は禰津月直である。禰津月直と真田信之と乳兄弟である。

 現在、長篠古戦場には根津月直の墓石が、同族の真田信綱、昌輝一族
 などと共に並んでいる。父:逍遙軒の叔父は真田幸綱の妹である。

●土屋昌次が討ち死に
 長篠の戦いでは、敵の三重柵の二重まで突破し
  たところで一斉射撃を受け戦死した。
  かつて、三増峠の戦いで箕輪城代・浅利信種が戦死すると、
  浅利同心衆も相備えとして付けられる。
  甲斐名門の土屋家を継承。
 ★上野国の勤務になった。しかし、城は不明。
 内藤昌豊との上野国の支配のための一員として、
 上野に在城したと考えられる。取り次ぎの史料もある。
内藤昌豊の実質的支配の城:保渡田城
 (★群馬県高崎市:旧群馬町・かみつけの里
  土屋文明文学記念館北東200m)
 ★後、弟:土屋昌恒の子孫は上室田:保渡田に残った  
  (土屋昌恒は生き残った。家臣の一部は後に井伊直政の家臣に
    なった。)
 
●甘利信康の討ち死に
甘利昌忠&甘利春吉=康忠の家臣
甘利備前守虎泰以降
 「晴吉、藤蔵、利重」=「昌忠=信忠、信康、信恒」
 ・3人の名前が実は2人だという説
「藤蔵」「信康」が前後のどちらかと重複するのか
  定めがたい。
 ・私説・・・年齢と虎泰の後継者の意味から
 甘利信康=甘利晴吉=甘利昌忠 


●安中景繁(忠成)の安中一族壊滅。(安中城)
 甘利晴吉の娘婿
 (★安中城は後に井伊直政長男:井伊直勝入城。)

●安中景繁(忠成)の家老:松本重友
 松本丹後守吉久が戦死した(伝)。 
 ★上野国安中の天王山城


●横田綱松が討ち死に

●真田信綱・昌輝兄弟も討ち死。
※父:真田初代の真田幸綱=幸隆の長男・次男。
 3男は武藤喜兵衛=真田昌幸である。跡を継いだ。
★墓は長野県上田市の信綱寺

●●真田信綱第一家老:鎌原重澄も戦死。
  ★上野国吾妻郡嬬恋村の鎌原城
●真田信綱家臣:富澤□□も戦死。
  ★上野国東吾妻町岩下城 
●真田信綱家臣:湯本善太夫も戦死。
  (★草津温泉管理:長野原城)


◆◆ 説楽原での激闘 ◆◆
http://eikorekken.client.jp/collaborate/nagashino/07.htm
「鉄砲」とか「撃たれ」がよく出てくる。
しかし、実験結果から三段撃ちはありえないものの、
鉄砲を効果的に使ったのは事実だったようである。
※通説では、「当時最新兵器であった鉄砲を3000丁も用意
 さらに新戦法の三段撃ちを実行した。」と『信長公記』
 等にあるが、諸説ある。

【6】武田軍の総崩れ&戦線離脱&殿の馬場信房の死
●武田の損害は甚大。
午後1時頃~
中央の穴山信君・武田信豊・武田信廉などの
武田勝頼の親類衆が両翼が崩されのを見て
勝手に撤退開始。

■織田信長が総攻撃を開始

午後2時頃~
 耐えきれなくなった武田敗走兵が武田勝頼の
 本陣に集結。
●→武田勝頼は打って出ようとしたが、側近に制止され
 退却を決意した。退きはじめた。
●武田勝頼は、戦線離脱。
 寒狭(かんさ)川沿いに鳳来寺に逃げた。
 伊那谷に着いたときは、4名の家臣しかいなかった。


●殿(しんがり)は馬場信房・・・
長篠城西300mで戦死。

※おまけ・・中央構造帯の露出


●馬場の死を見届けた内藤昌豊も織田軍に飛び込み、戦死。
 内藤昌豊(当時は、上野国:高崎市の箕輪城代
  養子:内藤昌月(跡部勝資長男)が後を継いで箕輪城代
 になった。
 (※後に徳川四天王筆頭:井伊直政が入城。
  内藤昌月の次男が井伊家家老になった。)



【8】結果
●武田の大敗
武田軍の戦死者は、譜代家老の内藤昌豊、山県昌景、馬場信春、
原昌胤、原盛胤、真田信綱、真田昌輝、土屋昌続、土屋直規、
安中景繁、望月信永、米倉丹後守(武川衆)など
重臣や指揮官にも及び、被害は甚大であった。
(★ 『信長公記』)

長篠・設楽原の戦いで、武田氏は没落の一途を辿ること
になった。
■▲そして織田・徳川の勢力を強大にした日本史上
重大な意味を持つ戦いになった。


★明日は未定?

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