箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣⑬丹羽長秀】

刀傷・槍傷に効く『草津温泉入湯ブーム』がやってきた。織田信長
の家臣や豊臣秀吉の身内や家臣など多くの戦国武将が湯治に訪れた。
天正10年(1582)3月11日、織田信長は「天目山の戦い」で武田
勝頼を自刃に追い込んだ。織田信長は丹羽長秀・堀秀政・多賀新左
衛門常則が負傷したため、草津温泉に行くよう指示した。(★『信長
公記』)4月3日3人が草津温泉に来訪した。武田家の滅亡の慰労と
戦傷を癒すことが目的だったが、真田昌幸の奨めはあったとも真田
昌幸の偵察とも考えられる。北陸では柴田勝家を総大将とする織田
信長軍とと上杉景勝軍の戦いが始まっていた。海津城(長野市)に
入った森長可は北国街道から春日山城を目指そうとし、箕輪城→厩
橋(前橋城)に入った滝川一益は沼田城から三国街道(当時がそう
呼ばれていない。)から春日山城を目指そうとしていた。しかし、
6月2日、本能寺の変で織田信長が死んでしまった。
画像




★説明がちがっているかもしれません。
 巴御前と静御前を勘違いしています。













【13】丹羽長秀の生涯
織田信長の天下統一を支えた織田家随一の名将である。
・天文4年(1535) 9月20日、丹羽長政の次男として尾張国春日井郡
児玉(現名古屋市西区)で生まれた。

・天文19年(1550) 織田信長に仕えた。

・天文22年(1553) 梅津表の合戦
丹羽長秀19歳で初陣した。

・永禄3年(1560) 桶狭間の戦い
丹羽長秀も従軍はした。





・永禄5年(1562) 頃~ 織田信長は小牧山城を築城開始した。
箕輪初心●愛知【小牧山城】=織田信長⑤築城・家康陣城
http://53922401.at.webry.info/201206/article_5.html


・永禄6年(1563) ~永禄10年(1567) 斎藤龍興と戦い

・永禄10年(1567) 稲葉山城(岐阜城)攻略した。
  新しい本拠地にした。岐阜城の南に織田氏館が築かれた。


・永禄11年(1568) 観音寺城の戦い
織田信長は足利義昭を奉じて上洛を目指した。
 丹羽長秀は南近江の観音寺城主:六角氏との戦いで武功を挙げた。

箕輪初心●滋賀「観音寺城」=六角氏の城&100名城
http://53922401.at.webry.info/201101/article_13.html

・元亀元年(1570) 6月28日 姉川の戦い

・元亀2年(1571) 2月24日 佐和山城将の磯野員昌が開城勧告を
  受けて退城すると、丹羽長秀が佐和山城主となった。

・元亀3年(1572) 12月22日 三方ヶ原の戦い
箕輪初心:生方▲遠江:『三方ヶ原の戦い』徳川家康VS武田信玄  
http://53922401.at.webry.info/201610/article_8.html

・天正元年(1573)9月、丹羽長秀は織田信長より若狭一国を与え
 られた。織田家臣で最初の国持大名となった。
 丹羽長秀の家臣として溝口秀勝・長束正家・建部寿徳・山田吉蔵
 ・沼田吉延などがいた。

・天正3年(1575)長篠の戦い
丹羽長秀は参謀として活躍したらしい?
  ★具体的な史料は目にしていない。

  武田信玄も絡む越前一向一揆の転戦して功を挙げている。

・天正4年(1576) 織田信長43歳。
1月 織田信長は、安土城の築城を開始。
    天下統一の拠点として7重の大天守閣を持つ安土城の
    造築を開始した。
 ※丹羽長秀は軍事・政治面において優れた手腕を発揮し、
 安土城の普請奉行を務め、多大な功を挙げた。
 №1筆頭格の佐久間信盛・№2丹羽長秀であった



・天正5年(1577) 上杉謙信は能登七尾城(石川県七尾市)を包囲した。
 織田信長は柴田勝家を大将にして、越前の前田利家・佐々成政・
 滝川一益、丹羽長秀、羽柴秀吉らを北陸に派遣した。

・天正9年(1581)
▲越中での戦い
 富山城の戦いなど
箕輪初心:生方▲富山№18【白鳥城】&№19【大峪(おおがけ)城】
富山城の支城
http://53922401.at.webry.info/201705/article_30.html
 
▲第二次天正伊賀の乱
  伊賀の比自山城の戦い
  堀秀政等と一緒に忍者軍団等と戦った。

・天正10年 (1582)
3月11日 武田氏を滅亡。
3月下旬  滝川一益は信濃小県郡と上野国守護になった。
森長可は海津城(松代城代)となった。
4月    織田信長は新府城の焼け跡を検分した。
     織田信忠が武田信玄の館跡:躑躅ヶ崎館を整備して
     建設した仮御殿に宿泊した。
4月10日まで、織田信忠が滞在し戦後処理を進めた。
織田信長は丹羽長秀・堀秀政・多賀新左衛門常則が負傷し
たため、草津温泉に行くよう指示した。
(★『信長公記』)
●4月3日 3人が草津温泉に来訪した。
 武田家の滅亡の慰労と戦傷を癒すことが目的だった。
 ★のんびりとした時を過ごしたのか。真田昌幸の動向を探る目的も
  あったのかは不明である。

6月2日 本能寺の変、織田信長・信忠が死んだ。
  山崎の戦いの後に佐和山城を回復した。

 清洲会議
 丹羽長秀は池田恒興と共に羽柴秀吉が信長の嫡孫:三法師を支持
 した。
 結果…羽柴秀吉を認める形となった。

・天正11年(1583) 賤ヶ岳の戦い
丹羽長秀は羽柴秀吉を援護し、若狭に加え越前(敦賀郡・南条郡の一部
 ・大野郡の一部を除く)及び加賀二郡(うち一郡は溝口秀勝が領する)を
 与えられ、約123万石の有数の大名となった。

・天正13年(1585) 4月16日、積寸白(寄生虫病)のために死去した。
享年51。跡目は嫡男:丹羽長重が継いだ。豊臣秀吉から羽柴姓の
 名字を与えられた。
 丹羽長重は越前国・若狭国・加賀国2郡123万石を相続した。

 ところが、佐々成政の越中征伐に従軍した際、家臣に佐々成政に内応
 した者がいたとの疑いをかけられ、羽柴秀吉によって越前国・加賀国
 を召し上げられ、若狭1国15万石となった。さらに重臣の長束正家
 や溝口秀勝、村上頼勝らも召し上げられた。
 
・天正15年(1587) 九州遠征
  家臣の狼藉を理由に若狭国も取り上げられ、加賀松任4万石の小大名
  になった。
豊臣秀吉による丹羽氏の勢力削減政策であったと言われている。

・天正16年(1588)、豊臣姓を下賜された。

 その後、丹羽長重は関ヶ原の戦いで西軍に与して改易された。
 後に江戸崎藩主となり大名として復活を遂げた。
 丹羽家は棚倉藩、白河藩と転封された。
 丹羽長重の子・丹羽光重の代に陸奥二本松藩に転封となり、代々
 二本松藩主として明治を迎えた。
★墓が大燐寺にある。
箕輪初心●福島【二本松城】=戊辰戦争激戦地
http://53922401.at.webry.info/201305/article_8.html


~~~織田信長シリーズ~~~~~~~~~~~~~~~~
箕輪初心★【織田信長①尾張の大うつけ→尾張統一】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_1.html

箕輪初心★『織田信長②桶狭間前哨戦=家康の信長攻撃』
http://53922401.at.webry.info/201206/article_2.html

箕輪初心★【織田信長③桶狭間~清洲同盟】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_3.html

箕輪初心★【織田信長④小牧山城時代】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_4.html

箕輪初心●愛知【小牧山城】=織田信長⑤築城・家康陣城
http://53922401.at.webry.info/201206/article_5.html

箕輪初心●滋賀「観音寺城」=六角氏の城&100名城
http://53922401.at.webry.info/201101/article_13.html

箕輪初心★織田信長⑥岐阜城時代
http://53922401.at.webry.info/201206/article_10.html

箕輪初心★織田信長⑦安土城から天下取り開始
http://53922401.at.webry.info/201206/article_11.html

◆◆ 箕輪初心◎長篠の戦い前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_25.html

◆◆ 箕輪初心●愛知【長篠城】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_24.html

◆◆ 箕輪初心★【奥平一族は群馬出身】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_24.html

箕輪初心◎長篠の戦い後編:設楽原の激闘&上野国関係者
http://53922401.at.webry.info/201211/article_27.html 


箕輪初心★織田信長⑧武田氏滅亡→本能寺の変
http://53922401.at.webry.info/201206/article_12.html

箕輪初心:生方▲富山№18【白鳥城】&№19【大峪(おおがけ)城】
富山城の支城
http://53922401.at.webry.info/201705/article_30.html


箕輪初心:生方▲映画『信長協奏曲』面白過ぎのあらすじ
http://sp/53922401.at.webry.info/201601/article_30.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201601/article_30.html

箕輪初心:生方▲2017映画『本能寺ホテル』&「タイムスリップの
似合う京都」
http://53922401.at.webry.info/201702/article_12.html




・戦国時代**************************
戦国時代以降、草津温泉は、各地の武将が湯治に訪れた。
記録が残っている。
06●文明4年(1472)-蓮如(本願寺・吉崎御坊住職)
○○○文明18年(1486)-堯恵(二条家歌学を継ぐ天台宗常光院流の歌僧)
○○○長禄2年(1488) 万里集九は草津には来ていないようである。
  詩文集『梅花無尽蔵』の中で
 「本邦六十余州、毎州有霊湯、其最者下野之草津、津陽之有馬、
 飛州之湯島三処也」
 意味…我が国の六十余州毎に霊湯:名湯がある。其の内最もよい
 のは下野(上野国の誤り)の草津、摂津の有馬、飛騨の湯之島の
 三か所である。
 「日本三名泉」は、万里集九 → 林羅山によって言葉が生まれた。

07▲延徳2年 (1490) -長野業尚 (榛名鷹留城主)
   ★文亀3年(1503) 長野業尚が死亡なので草津の大永6年(1526)
  の年号は間違っている。     
08▲延徳2年(1490)-長尾為景 (越後国守護代)
   ★長尾為景が2歳?
09▲延徳2年(1490)-大光宗猷禅師(曇英恵応:越後林泉寺&榛名長年寺)
   ★大永6年(1526)まで生きていなかった。
10●明応4年(1495)-横瀬成繁(太田金山城主)
11●文亀4年(1502)-飯尾宗祇(連歌師)
★宗祇は越後の帰りに伊香保に行っちゃったので来ていない。
○○○文亀 2年 (1502) 3月 連歌師:宗長が越後より草津に来る。
○○○永正 6年 (1509) 9月 連歌師宗長、駿河より草津に来る。
※永正6年(1509)の「東路の津登」が有名である。
◆◆◆戦国時代     湯本善太夫は草津温泉を支配していた。
12●永禄 3年 (1560)-小幡重貞(→信貞→信実:国峰城主)
 ★「関東古戦録」がベースなので、信憑性は疑わしい。
13●天正10年(1582)-丹羽長秀(織田信長家臣)
14●天正10年(1582)-堀秀政(織田信長家臣)
15●天正10年(1582)-多賀新左衛門常則(織田信長家臣)
○○○天正15年(1587)-光佐・光寿・佐起(本願寺座主と2人の息子)
16●天正15年(1587)-朝日姫(豊臣秀吉の妹:徳川家康の正室)
  豊臣秀吉の妹である朝日姫は、徳川家康の正室であり病気療養
 のために草津を訪れたとされている。
17●天正16年(1588)-豊臣秀次(関白:豊臣秀吉の甥:養子)
   豊臣秀吉の異父兄弟:豊臣秀次も来ている。
18●天正16年(1588)-松平(依田)康国(小諸城主)
19●文禄3年(1594)-大谷吉継(豊臣秀吉家臣:石田三成親友)
20●慶長3年(1598)-前田利家(豊臣秀吉親友:加賀100万石)
  前田利家なども遠路はるばる草津の地を訪れて、温泉に入湯した
という記録が残っている。
△△△徳川家康は、草津を訪れたことはないものの、草津の湯を江戸城へ
 運ばせて入浴していた。

********************************

●草津温泉に来た有名人シリーズ*****************
箕輪初心:生方▲『草津温泉に歩みし百人』①「日本武尊:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_23.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』②「行基:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_24.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』③「源頼朝:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_25.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』④木曾義仲・⑤巴御前
http://53922401.at.webry.info/201709/article_26.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』⑥蓮如と番外編「孫:顕如」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_27.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』「番外編:堯恵」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_28.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』⑦「長野業尚:榛名鷹留城主」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_30.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人⑧長尾為景:上杉謙信の父
http://53922401.at.webry.info/201710/article_1.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人⑨大光宗猷禅師=曇英恵応:林泉寺創建
http://53922401.at.webry.info/201710/article_2.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』番外編:万里集九『梅花無尽蔵』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_3.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』№10『横瀬成繁』太田金山城主
http://53922401.at.webry.info/201710/article_8.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人:連歌師『⑪宗祇』&番外編『宗長』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_9.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人『草津管理人:湯本善太夫』
と『真田ブログ一覧』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_10.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人ー№12『甘楽国峰城主:小幡信貞』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_11.html

箕輪初心:生方:▲草津に歩みし100人:『戦国時代の草津温泉ブーム創作編』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_12.html


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