箕輪初心:生方▲『松岡城&松源寺』松岡貞利・井伊直親:井伊直虎・井伊直政

松川ICで降りて南へ行くと高森町。高森町歴史民俗資料館:時
の駅の方や学芸員の方が「井伊直親・井伊直虎・井伊直政」に
ついて、冊子を作り始めているとのことであった。ここで、松岡
城のパンフレットをいただいた。松岡城の場所を教わった。「前
の道を上り、大きな十字路を左折する。200m程行くと、農園
手前に看板がある。松源寺を目印にするとよい。」とのことだっ
た。★井伊直虎&井伊直親についての詳細は1~2ヶ月後かな?
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【1】『松岡氏と松岡城』
●高森町歴史民俗資料館:時の駅
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〒399-3103 長野県下伊那郡高森町下市田2243
0265-35-7083
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★以前、箕輪城で高森町教育委員会の皆さんを
 案内した。


『松岡氏と松岡城』2000円

井伊直虎・井伊直親のことをまとめているので、
 送っていただくことにした。

松源寺〒399-3103 長野県下伊那郡高森町下市田4389
0265-35-3302
松源寺が松岡城の5の郭に当たるので、松岡城に行くには松源寺院を
目印にするとよい。
フルーツラインを進んでいくと途中に「松岡城跡」の案内表示が
出ている。それを左折し200m程進下れば、松源寺に到達する。
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●5の郭堀
 大きな堀が目に入ってくる。
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●松源寺駐車場


●縄張り図の看板
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 松岡城が南東に突き出した台地に堀切を入れた連郭式の城郭で
 ある。まるで団子の串刺しのように・・・
5の堀の前面にはかつて三日月堀があったという(伝)。
 つまり武田流の丸馬出しがあったという。

●松源寺山門


●松源寺
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 若奥様とすやすや眠る赤ちゃんが出てきた。
 「高崎市では、井伊直政の研究をしています。井伊直政は
  高崎の箕輪城に8年、高崎城に2年いました。・・・
 父:井伊直親公が12年、こちらにいたということで、
 尋ねてみました。・・・」
「当時の松源寺はもっと山の『寺』という地名の場所にいました。」
・縄張り図があった。
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北や南の側面部には横堀も掘られており、敵の側面からの攻撃
 にも備えている。

●奥様は本堂に通して下さった。
 そして、井伊直親公の位牌を見やすくセットして下さった。
 「どうぞ、ご覧ください。」
 私は位牌に頭をさげた。
 写真も許可して下さった。
「ありがとうございます。」
 「井伊谷での龍たん寺でも井伊直政公の位牌の写真を撮らせて
  いただきました。」
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 「・・・・」
 ここは5の郭=主郭になる。
 ★ありがとうございます。
  



●4の郭堀
堀がきれいによく残っている。

●4の郭
 柿が植えてあった。
郭が広く、松岡氏の威勢を感じさせる大規模な城である。


●3の郭堀
 4の郭と3の郭との間の堀である。
 堀は深さ3m、幅7m程・・・かつてはもっと深かったであろう。
  箱堀タイプであるが

 北には、4の郭から腰曲輪が張り出してきている。
 堀幅が3m程に狭められている。
 ★名胡桃城にも同じような構造があった。

●3の郭
 城の形状はよく残されており、きれいに整備されている。

●2の郭


●1の郭
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 展望は極めてよい。
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松岡氏&松岡城の歴史 ◆

・天喜4年(1056)~前九年の役
安倍貞任が源頼義に破れ、の次男仙千代が伊那に逃れてきて、
 郷民に押されて地頭となり松岡氏を名乗るようになったのに始まる
 という。これが松岡平六郎貞則である。
 松岡氏は、「松岡古城」に居館を構えていたといわれる。

・南北朝時代
・延安元年(1339)松岡貞景が松岡城を築いた。

※宗良親王(後醍醐天皇の皇子)は大河原(大鹿村)で
  信濃宮で約30年、南朝として戦った。

・元中年間(1384~1392)宗良親王(後醍醐天皇の皇子)が
  自浄院(龍潭寺)を中興したともいう。

・至徳3年(1387)松岡貞政が安養寺に経典を寄贈した。

・応永7年(1400) 大塔合戦
 信濃守護小笠原長秀が、村上氏・井上氏・高梨氏
  ・仁科氏ら有力国人領主及び中小国人領主の連合軍(大文字一揆)
 と善光寺平南部で争った。
 松岡次郎・吉田弾正忠・座光寺河内守も小笠原氏に従った。


・永享12年(1440)~ 結城合戦
  松岡新左衛門尉が参加している。
『結城陣番帳』23番 松岡殿・吉田殿・牛牧殿・・・

・戦国時代 
   松岡城は徐々に拡張されていったものと思われる。

・15C後半
松岡秀貞は諏訪上社花会頭取などを5回務める

・長享2年(1488) 『諏訪御符礼之古書』
松岡頼貞が家督を継いでいる。

・永正10年(1512) 松岡頼貞?(明甫正哲)が松源寺を開基した。
松岡頼貞弟:文叔が井伊谷の自浄院(龍潭寺)住職から、
 市田郷に戻り、松源寺を開山した。
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●文叔瑞郁(ぶんしゅくずいいく)・・・
・応仁元年(1567) 文叔が生まれた。
     岐阜金宝山瑞龍寺で修行→
・永正10年(1512) 松源寺を開山した。
松尾城主:菩提寺竜門寺を開山した。
  ・永正12年(1515) 妙心寺20世→
   井伊家20代:井伊直平が文叔禅師を自浄院に迎えた。
  ・天文元年(1532)松源寺の弟子:黙宗師が龍泰寺を
  建立した。(龍泰寺→龍潭寺)
  ・天文4年(1535)12月2日 文叔が死去。享年69。
  弟:正英も和尚をなった。
 (★今の場所ではない。当時は字「寺」だそうである。)
 
 牛牧地区の田中光長の子が養子となり、松岡貞長となった。

・享禄年間
松岡則晴が跡を継いだ。

・天正11年(1583)
松岡貞利は80騎の武将であった。
(★『高森町史』)

・天文13年(1544) 井伊直平の子:直満・直義が今川氏に誅殺。
 井伊直満の子:亀之丞は今村藤七郎に助けられ、信州伊那
  松源寺へ逃れる。・・・つまり、松源寺の和尚は2代に
渡って、井伊家菩提寺:龍泰寺(→龍潭寺)の和尚であった。
井伊直平の3男:南渓禅師(龍泰寺2世・・・井伊直虎の
祖父弟・井伊直政祖父の弟)の師匠の寺であった。
  亀の丞(井伊直親)を領主:松岡貞俊(貞利)が12年間、
  庇護した。
井伊直親は井伊直虎の許嫁であった。・・・・
★平成29年(2017)NHK大河ドラマは「おんな城主 直虎」に決定!
龍潭寺は主人公:井伊直虎をはじめ代々井伊家を祀るお寺である。

・天文23年(1554) 武田晴信の伊那に侵攻
  松岡氏は抵抗することなく武田晴信の軍門に降った。
  松岡貞利は自身の所領を維持することができた。
  山県昌景の配下で松岡貞利は50騎(200人)ほどの軍役を
  課されていた。
(★『甲陽軍鑑』)

・永禄3年(1560) 井伊直盛が戦死した。
  自浄院寺に葬られると、直盛の法号から龍潭寺と改められた。
井伊直盛の娘が井伊直虎である。

・元亀2年(1571) 秋山信友の大島城大改修工事
  武田信玄は大島城を東海地方攻略、ならびに京へ上がるための
  拠点とする為、伊那郡代秋山信友に命じて大島城の大修築を行
  った。
  この時、下伊那19の郷民と2衆を城普請の人足として強制的に
  動員した事を記す武田氏の朱印状が残っている。
 ★この2衆は片切衆・飯島衆の可能性が高い。

松岡貞行が人夫を調達した。

・天正10年(1582)
2月 織田信忠軍の伊那攻め
  松岡頼貞は他の伊那地域の多くの豪族と同様、織田軍に投降した。
再び所領は安堵された。
2月15日 松岡城近くの市田で戦闘があった。
 山県昌景 VS 森長可
武田方10騎は討ち死にした。

3月11日 武田氏滅亡。

6月2日 本能寺の変


・天正11年(1583)
2月 松岡貞利が家臣:今牧八郎右衛門に座光寺を与えた。

・天正12年(1584) 小牧長久手の戦い
伊那の豪族は、豊臣氏に付くか、徳川氏に付くか、難しい
 状況に置かれていた。

 松岡貞利は、徳川家康に誓紙を入れて臣従を誓った。


・天正13年(1585)
8月 第1次上田合戦
松岡貞利も出陣した。

徳川家康の催促状がある。

12月 松本城の小笠原貞慶は徳川方から豊臣方に寝返り、
   徳川家臣:保科正直いた高遠城を攻撃した。
    この時、松岡貞利は小笠原貞慶に加担しようとした。

 高遠城攻撃は失敗し、小笠原貞慶は松本城に引き上げていった。
 松岡貞利も居城に退却した。
 座光寺次郎右衛門為時は徳川氏に対する謀反の動きを徳川家康の
 伊那郡司として知久平城にいた菅沼定利に通告した。
 菅沼定利・座光寺次郎右衛門為時は松岡貞利を捕らえ、
 駿府の井伊屋敷に送った。
 井伊直孝の屋敷で詮議を受けた。

・天正16年(1588) 松岡貞利は改易となった。
(★『座光寺文書』)
しかし、井伊直政の父:井伊直親(井伊直孝の祖父)を
 12年間保護したこたことから、磔を免れた。
 
 600年続いた松岡氏は、ここで歴史の表舞台からは消えて
 いった。
  小笠原、武田、織田の時代の変遷を乗り切ってきた松岡氏で
 あったが、心の迷いから、改易となってしまったのである。  



【2】松岡貞利・井伊直親:井伊直虎・井伊直政

●▲■井伊直政シリーズ№18。
★平成27年(2015)9月、2回目の井伊谷訪問・・・箕郷歴史
 文化調査研究会の一員として参加した。
龍潭寺の武藤全裕様、執事武藤様、井伊谷歴女隊の皆様、
井の国会会長:石原正美様、冨永公文様、浜松教育委員会の
皆様には大変お世話になりました。

『松下加兵衛と豊臣秀吉―戦国・松下氏の系譜』冨永公文著

★井伊直親・井伊直虎については2ヶ月後くらいには詳細を
書けると思う。
井伊直虎(次郎法師)は井伊家22代当主:井伊直盛の娘で
 ある。井伊直盛は男子に恵まれなかった。後に23代当主
 となる亀の丞(井伊直親)を井伊直虎の許婚として井伊家
 を存続させるつもりであった。
・天文13年(1544) 井伊直平の子:直満・直義が今川氏に誅
 殺された。井伊直親の父:直満が今川義元によって自害さ
 せられ、幼少の亀の丞(井伊直親)自身の命も狙われたため
 に亀の丞(井伊直親)9歳は今村藤七郎に助けられ、信濃伊
 那の松源寺に落ち延びた。
 亀の丞(井伊直親)を領主:松岡貞俊(貞利)が12年間、
 庇護した。
   しかし、井伊直親が殺害されたと思った井伊直虎は井伊
 家21代祖父:井伊直宗の弟:南渓禅師(松源寺文叔の跡を継
  いだ龍潭寺2世)に相談し、出家した。次郎法師を名乗った。
 出家した井伊直虎は井伊直親と結ばれることが叶わなかった。
 既に井伊直親は奥山家の娘と結婚していた。
 井伊直親は奥山家の娘との間に後の徳川四天王、24代当主
 となる井伊直政が誕生していた。
その後、井伊直親は成人した後に井伊谷に戻り、井伊家23
 代を継いだ。
・永禄3年(1560) 桶狭間の戦いで井伊直盛が戦死した。
  次郎法師の父:井伊直盛は今川義元側。戦死。
  自浄院寺に葬られると、直盛の法号から龍潭寺と改められた。  
・永禄4年(1561)2月19日 今川氏の家臣:井伊直親の長男:
  井伊虎松(直政)が生まれた。
・永禄5年(1562)今川家家老:小野但馬守の「徳川方に内通した」
 と讒言した。井伊直親は申し開きに駿府に向かう途中、今川氏真
 の命で、掛川城主:朝比奈泰朝の軍に攻められ、19人が討死。
 抹殺された。
→虎松(井伊直政)は2歳であったため、直親の従兄妹:祐圓尼が
 井伊直虎と名乗り、直政の代理として井伊氏の当主になった。
 またまた、井伊家は存続の危機となった。
 井伊直虎が虎松(万千代→井伊直政)の後見人として女領主
 となり井伊谷を統治し井伊家を存続させた。
 →井伊氏重臣:新野左馬助親矩に保護され、養母:井伊直虎に
  育てられた。
・永禄7年(1564))曳馬城攻め
   井伊氏重臣:新野左馬助と中野越後守がで討死。
   井伊虎松は龍潭寺2世:南渓瑞聞瑞(祖父弟)により、
   奥山朝忠が鳳来寺に移住させた。
・永禄8年(1564) 次郎法師=井伊虎松は南渓和尚に徳政免除の黒印状
   を与える。政治手腕は優れていた。
・永禄11年(1568) 11月 
   井伊谷3人衆(近藤康用・鈴木重時・菅沼忠久)は
    徳川家康の遠州侵攻の道案内を承諾した。  
  松下清景 (?~1597年) 松下加兵衛の兄は
   龍潭寺に匿われた井伊直政の生母を娶った。

・永禄12年(1569) 徳川家康は「小野但馬守の讒言」を事実無根として、
   小野但馬守と息子2人を井伊谷蟹淵ではりつけ獄門に処した。
・元亀3年(1572)三方が原の合戦
  武田家臣:山県昌景が山吉田城を攻撃。
   井平城の井伊直成も仏坂の戦いで敗死。
  井伊谷3人衆は開城。→3人衆は浜松城へ移動。
・元亀4年(1573)4月に武田信玄が病に倒れたため、ようやく撤退し、
  井伊直虎は3度目の井伊谷城を奪還に成功した。

・天正2年(1574)高天神城の戦い①
・天正3年(1575) 長篠の戦い
  武田軍は織田・徳川連合軍の前に大敗。
・天正3年(1575)
 井伊直政(15歳)は浜松で徳川家康に出仕。
井伊万千代の名で、旧知行地の井伊谷を賜った。     
■井伊直政&徳川家康
①井伊直政の祖父の姉妹は今川義元の側室
  →義元義弟の関口親水の妻
 生まれた子は徳川家康の正室:築山殿である。
 長男:徳川信康と井伊直政は血縁関係。
②井伊直政の正室は、徳川家康の養女:花である。
③井伊直政の長女:政子は徳川家康の4男:忠吉の正室である。
(高崎市文化協会:西原巌氏)
・天正9年(1581) 高天神城の戦い② 
井伊直政は、高天神城の攻略の戦功
  家康の寝所に忍び込んで来た武田軍の忍者の討ち取った。(伝)
・天正10年(1582) 22歳で元服。直政と名乗る。
3月 新府城→
3月11天目山で武田勝頼が自害・・・武田氏が滅亡。
   井伊谷4万石に加増。
 徳川家康の養女で松平康親の娘である花(後の唐梅院)と結婚。
6月2日 本能寺の変・・・家康の伊賀越えに従い、堺から帰還。
   本能寺の変後、甲州平定において、北条との交渉
  
※天正壬午の変
若神子城:北条氏直
 VS
新府城:徳川家康
  甲州:若神子城・獅子吼城の戦い
●井伊直政は北条氏との交渉で徳川方の使者として政治的手腕を
   発揮した。
 →井伊直政が正使・木俣守勝が副使になった。
  木俣守勝は井伊直政をよく補佐し、北条家との交渉をうまく
  進めた。
 この後、井伊直政付きになり、筆頭家老となった。
 徳川家康が武田氏の旧領:信濃国・甲斐国を支配。
    →武田家の旧臣達を多数与力に抜擢。            
 
 ●井伊直政は武田氏の旧臣達約120人と
  家康の旗本の一部が配属された。
  新編高崎市史では山県昌景の家臣75名が家臣になった。
  
  兜や鎧など使用する全ての装備品を赤色で統一。
  →「井伊の赤備え」と呼ばれる部隊の大将となった。
     理由・・・山県昌景の意志を尊重し、朱色の軍装を復活
   赤は目立ちやすく、自分の部下達がどこにいるか分かる。 
・天正10年(1582)8月26日 井伊直虎が死去。
  墓は井伊家の菩提寺:龍潭寺に許嫁の井伊直親の隣にある。
  家督は井伊直政が継いだ。

 →直政の生母は今川氏の家臣:松下清景と再婚。
   ★箕輪城来ているので、もう一度書こう。
  
・天正12年(1584) 
  徳川家康は井伊谷3人衆(近藤康用・鈴木重時・菅沼忠久)
  に対し、井伊直政に仕えるよう命じた。

・天正13年(1585) 小牧・長久手の戦い・・・
●井伊直政が初陣。
井伊直直政は短気で家臣に非常に厳しかったと言われている。
徳川・織田連合軍の約10倍近くの兵の羽柴軍の総大将である
 羽柴秀吉(=豊臣秀吉)や配下の武将達も「井伊の赤備え」には大変
 手こずったという。
井伊の赤備えは、「戦国屈指の精鋭部隊」「徳川家臣団最強の部隊」と
見なされ、本人は「井伊の赤鬼」と称され、諸大名に恐れられるよう
 になった。
自ら先陣に立って戦うことを好んだため、筆頭家老:木俣守勝が内政
の役目を果たした。
 川出良則(井伊直政の姉婿)・母実家:奥山 
●井伊直政は井伊谷6万石の大名になった。


◆参考資料
『武田氏家臣団人名辞典』:平山優文責
『井伊谷物語』など井伊谷冊子多数。
『松岡氏と松岡城』2000円
『高森町史』 


*****井伊直政シリーズ*******************************
◆◆ 箕輪初心●箕輪城「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201010/article_40.html

http://53922401.at.webry.info/201011/article_25.html

◆◆ 箕輪初心●井の国千年物語前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の箕輪城時代の家臣団 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_15.html

◆◆ 箕輪初心●静岡:井伊直政の井伊谷城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_5.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の造った町:高崎&彦根 ◆◆
高崎高校 VS 近江高校
http://53922401.at.webry.info/201203/article_28.html

◆◆ 箕輪初心●中村達夫氏の「井伊軍志」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_14.html

◆◆ 箕輪初心●小和田哲夫氏の「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_13.html


箕輪初心●群馬の城「和田城→高崎城」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201012/article_16.html
  (★高崎城の畝堀:発掘調査)

箕輪初心★箕輪城140【秋本太郎先生の箕輪城→高崎城+城下町】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_9.html

箕輪初心▲箕輪城№153【長野氏の箕輪の寺社→井伊直政の
高崎移転の寺社】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_15.html

箕輪初心★箕輪城103川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201310/article_8.html

箕輪初心★西田美英【高崎素奈子】&川野辺寛【高崎志】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_14.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

箕輪初心:生方「箕輪城159&【中嶋宏氏主催の長野堰を語りつぐ会
の絵図展】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_4.html

箕輪初心:生方▲箕輪城174・井伊直政18『箕輪城→高崎城」復刻版
http://53922401.at.webry.info/201510/article_9.html

***************************************************
★井伊直政シリーズは18回目となった。
18回目は井伊直政の【2015高崎】の流れでの復刻版の記載である。
8月頃からは井伊谷の歴史・井伊直政・井伊直虎・松下嘉平・松下
景清・徳川家康などは、住んだ城・戦った場所などを紹介しながら、
井伊直政シリーズ詳細編を10回~20回程度紹介したいと思って
いる。詳細版を・・・・



★明日は、武田・真田の一覧かな?

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