箕輪初心:生方▲≪岡崎城≫&【加沢記】の『松』VS【第17話「松との再会】&史実:丸島説&平山説

岡崎城の写真掲載・・・、①『加沢記』≪信幸公御姉御様≫では、
「松」が桑名の渡し守が女房として大切に2年間隠した。②真田
丸【第17話「再会」】では、「松」出雲の阿国の踊り子になってい
た。
室賀正武の死の時は、『加沢記』を採用し、17話は『加沢記』
を無視している。そして、時代考証の・天正14年(1586)6月~
10月までの③『真田四代と信繁』丸島和洋著&④『真田三代』:
平山優著の史実や推測を時々変更している。
ホームドラマ
「真田丸」は凄いストーリーで、面白過ぎる。

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【0】 岡崎城・・・・旭(朝日)姫がいた。
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箕輪初心●愛知【岡崎城】=「徳川家康が生まれた城」
http://53922401.at.webry.info/201212/article_7.html



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【1】 「加沢記」:加沢平次左衛門著:脇田真一訳
1)『昌幸公滝川」殿へ出仕』
「滝川は国中の人質取り付けるが、真田より人質なかりける。
 是は信幸公の御姉御様を人質に尾州安土へ進上有りけるに
 よってなり」

2)『信長公御生害附安土へ進ぜられ候人質御娘御様の事』
「・・・昌幸公此の由(信長の死)を聞こし召して、御届けの
 ため、信幸公に500騎を相添えて・・・木曽路に・・・
 7~8千騎の・・・『・・・前田慶次にてあらん』・・・・・
  (前田慶次は)『・・・真田殿か・・信長は御生害、上方
 は暗になる。』・・・・
 信幸公大熊ゆきえを召して宣ふけるは、御姉君如何とに仰せ
 られて御安土へ御迎えに遣わされ、・・・」
 ・・・中略・・・・御娘御様の御行方なかりければ、昌幸公
 御母公御嘆き更に止む時なかりければ、・・・・涙のほか、
 なかりける。・・・如何なる御身に成り果て給ふらんと・・・
  尾江遠三甲駿6ヶ国在々所々草分け入って、手のおよぶ限り
 御尋ねありけるに秀吉公御世に移り・・・御行方更になし。
 ・・その翌年(天正12年)の春、桑名の渡し守が許に下郎ども
 ・・・休息しければ、20(歳)ばかりの女房走り出て『・・・
  ・今日の御上洛は如何なる大将は何国・・・』を申しければ、
 下郎共申すは『信州真田殿の上洛なり』と申す。その時、女房は
 さめざめと泣いて『信濃ときかば懐かしや。・・・・』
 (女房は「上田城下町の喜兵衛と言う者に手紙を渡してくれと頼
 んだ。・・・下郎が手紙を持って・・・・
  (山田文右衛門が手紙を見ると、)御姫様の御文なり。・・・・
  早々桑名に御人遣わされ、渡し守に御褒美を下され、
 『安土の乱に奪い取りければ、大切に存じ、深く隠密したりけり。』
  浅ましき御有様にて2年の憂き目の程思ひやられて、御いたわし
 く聞く人ことに哀れはなりまさりける。後に小山田殿の御内室になり
  給ひけるなり。」

・天正10年(1582)
 3月 真田昌幸が織田信に臣従した時に安土城へ人質として「松」
 が送られた。
 6月8日、本能寺の変後、「松」は行方不明になった。
・天正12年(1584)・・★
 「松」は桑名(三重県)で保護された。
沼田市川田に住んだ沼田藩右筆:加沢平次左衛門覚書

箕輪初心●群馬沼田【川田城】&『加沢平次左衛門』
http://53922401.at.webry.info/201204/article_18.html


①第6話【迷走】松が失踪
松は明智の追っ手に追われて琵琶湖に飛び込み、行方不明。
琵琶湖のほとりの漁師に助けられた。生きていのだ。・・・・
漁師の嫁はならなかった。

②第17話【再会】松が再登場
 真田信繁が豊臣秀吉の阿国の芸を見ていた時、何と「松」に
 そっくりの踊り子を見つけた。
「松」が記憶をなくしているらしく、・・・「松」ではないと拒否。
どういう経過で踊り子になったのだろうか?

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【2】真田丸第17話【再会】
◆ナレーター
「・・・・真田は最大の危機を迎えた。」



●上田城

内記「沼田城が攻められています。・・」
信幸「信繁がいれば、・・・」
昌幸「戦支度をせよ。・・」

出浦「慌てることはない。・・・」


信幸「源次郎からは、沙汰らし沙汰もない。・・・」



●大坂城・・・
信繁「・・お戻りになられた。」

「ところで。」
幸繁「恐れながら、真田を助けると、おっっしゃいながら
   家康様に出陣を許可されたのですか?・・・・・・」
秀吉「そうだよ。」・・★なんて現代風
信繁「しかし、それでは真田が滅んでしまいます。」
と声を荒立て、立ち上がる。
秀吉「そう、い切り立つな・・・。」
信繁「しかし、殿下、・・・
秀吉「うるさい。」
・・・・・・・
三成「源次郎、・・・すぐに、中止させる命令をだすことに
   なっている。」
信繁「殿下、それは誠ですか?・・・」

秀吉「これから、面白い物をみることになっている。
   源次郎、いっしょに参れ。」

・・・・・・・
幸繁「私は踊りに興味はありません。・・・」


●浜松城?駿河城?

・片桐「片桐且元でござる。殿下から、真田出陣の許可が出
    ましたぞ。」
・家康「待ちかねましたぞ。」
・且元は秀吉からの書状を読み上げた。
  「・・・・・・」 
・平八郎(忠勝)「賤ヶ岳の7本槍・・天下の豪傑ですなあ。」
★本当は井伊直政が言ったらしい。

・平八郎は且元が寝所に行くと、
「あれが賤ヶ岳の7本槍ですか?」
と馬鹿にした。

●『大坂城』
秀吉「出雲の阿国じゃ。」
三成「奥にどうぞ、・・・」

只今、稽古中・・・・
三成「・・・」

幸繁「片桐様は難儀しておられるでしょうね?」
秀吉「・・・真田はわしが守るつもりある。」
と自信満々・・・

そして、踊りが始まった。
秀吉の横で信繁が・・・・

◆鼓の音・・・タカタンタン・・
・・・「ポン、ポン。ポン。スッポンポン。

幸繁「すみません、殿下のお心もわからず。・・」

秀吉「うるさいよ。」

◆◆ ココンコンコン 鼓の音
秀吉「茶々チャのことだが、・・・
     わしの留守の間に会ったそうだな?」
信繁「はい。・・・」
秀吉 「そうおびえるな?
源次郎、茶々は源次郎は好みの顔だ。」
幸繁「はっ。」
秀吉 「お前は利口な男じゃ。変な虫がつかぬように見はって
   くれ。頼んだぞ。」
信繁「ははっ・・・???・・・

踊り子の中に・・・「まつ・・・・。」
待っていたぞ。まっちゃん。・・・

★現代風の4拍子系なので、記譜しだが、・・・
 酔っ払ってどっかに飛んでしまった。
 弦の響きが後半・・・★渋い。
「・・・」


● 浜松城?の片桐寝所
且元は寝ていた。
本多正信「・・・大坂より、手紙が・・・」


家康 「出陣する手はずが整っていた。」
平八郎「なのに、出陣が中止になった。・・・どういう
    ことじゃ。」
且元「私にもわかりません。」
とびびりまくり・・・・。

家康「待てといわれたら。、待つしかあるまい・」
正信 「してやられた。
    わが軍勢は上田に行けない。・・・。」



●上田城
昌幸「徳川が手を引いた。」
信幸「実をもうすぐ、来るかと思いました。
   ・・ほっとしていました。・・」

信幸「ところで、新しい策は何ですか?・・・」
昌幸「そんものはない。・・・」
信幸「ええ・・・。もう、上洛した方がよいのでは?」
昌幸「上洛はせん。」
昌幸「じらすだけ、じらして真田の値打ちをつり上げて
   行かないと。。・・・」
信幸「じえらすだけ、じらす?・・・」

●大坂城
侍女「この先は奥でございます。」
警護役の信繁・・・

茶々「・・ぞばに・・・」
秀吉「どうして家康はこないのじゃ?」
秀吉「どうして、家康は上洛しないのであろうか」
信繁「旭(朝日)様はどうしておられるのでしょう。」

三成「旭様でだめなら、それ以上の人質が必要です。・・・・」
秀吉「それしかないか?」

秀吉 「母上、お願いがあります。家康の所に行ってちょ・・・」
大政所:仲「藤吉郎が助かるのなら、行きましょう。」
秀吉「ほんの一時、物見遊山・・
  
寧々「ありがとうございまする。」
大政所「喜んで、行かせてもらうじゃ・・・」
秀吉は母に近づき、感謝する。
秀吉「それでこそ、母者じゃ。」
きり「なんだか、・・・」
茶々「・・・」 ★記憶なし

繁「「治部様・・」
??「かいてください。・・」

秀吉 「母上・・・」

●大坂城の別の部屋・・・
福島正則・加藤清正が怒ってやって来た・
正則「おばば様を家康の元にやるだと・・・
清正「わしらを育ててくれたおばば様を・・・
と怒鳴り込んだ。・・

正則「お前。冷て~んだよ・・ここが・」
と、胸をさすりながら、怒る。
三成「殿下が決められたことだ。」
清正「ばか、・・」

いなくなると
幸繁は心配する。
「大丈夫ですか?」
三成「あいつらに気にいられようとは思っておらん」


●浜松城?駿河城?
家康「大政所が旭姫の見舞いに来るそうじゃ。
   本物かどうか?・・・・・
   さるの母か知っており者はおらんか?」
正信「知っておられるお方が殿のお近くいらっしゃいます。」

●岡崎城
家康「姫、元気か?」
清水ミチコ:旭姫「・・・」
とブスっとしている。
家康「よい知らせを持ってきた。そなたの母上が来られる
   そうじゃ。・・」

◆ナレーター 
「旭姫 44歳・・・・」

●岡崎城
大政所が部屋にはいると、
「母上・・・」
と旭姫が母に抱きついた。
・・・病気を装っていただけだった。


◆ナレーター
「大政所と旭姫は対面をはたした。・・・」


●大坂城・・・・★この辺から記憶が曖昧であるが・・・
阿国は踊り芸の稽古をしている。・・

信繁ときりがきた。
信繁「私の知り合いらしき女子がいるのですが・・・」
阿国「そうですか? どの子ですか?     」
きり「     」
信繁「阿国様、奥にいる踊り子?・・
阿国「踊り子なの?」

信繁「藤の髪飾りをしている。・・・
阿国「お藤という名前ですが、・・・」

幸繁ときりは松かどうか確かめる・
幸繁「松という名前ではありませんか?」
松「どういうこと・・・」
きり「きりです。お松様。・・・」
松「悪いわけど・・人違いです。・・・・」
と幸繁の肩をポンポンと叩きながら、すれ違う。


●大坂城
幸繁は日記を書いている・・・
失敗した。

そこへ秀吉がこっそり来た。這いながら、・・・
幸繁「殿下。・・・」
秀吉「家康に会うのが気になり、ここに来た。・・」
信繁「何故ですか?」
秀吉「今夜、家康に会う。家康は苦手じゃ・・
   仲立ちしてちょ・・・」

信繁「お久しゅうございます。」
と家康に挨拶した。
家康「そなたの父には苦労したぞ。
   兵法の指南をして欲しいものじゃ・・・

秀吉「家康殿、お願いがあるます。・・・」
家康「どのようなことでございますか?・・・」

秀吉は家康に
関白は天下人としての器量であり、諸侯の前で威厳を
保つたため、・・・はっはと大笑いをする芝居をしたい。
という内容のことを依頼した。
家康「芝居をするのですな?・・・」
秀吉「さいじゃ。・・・」


秀吉「わしはすぐに上がってしまって、・・」

家康「わかりもうした。
秀吉「徳川殿、ありがとうございまする。」・・・
と握手をしながら、・・・★現代風に・・・

★徳川家康は猿芝居だ。と思った。

●詰め所
三成「源次郎、・・渡すものがある。」
幸繁「何でしょうか?」
三成「殿下に気に入られ、・・・
幸繁「・・・」

三成「源次郎、お主は一体何者なのだ!」
幸繁「真田安房守も息子:源次郎でございます。」


きり「    」  
茶々「    」

●上田城
信繁からの手紙が届いた。
昌幸「家康が上洛した。」
信繁「では、上洛を・・・」
と心配する。
昌幸「いや、分からんぞ。・・・」
信幸「われらはどうすれば、・・・・」



●大坂城
秀吉「天下に全身全霊もって、・・・・」
と諸侯に号令をかける。

◆ナレーター


◆ゆかりの地巡り
名古屋城
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◆◆ 箕輪初心●名古屋城4回目・5回目 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201205/article_28.html

◆◆ 箕輪初心●名古屋城6回目前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201205/article_29.html

箕輪初心●愛知【名古屋城6回目写真集後編】
http://53922401.at.webry.info/201205/article_30.html





【3】 『真田四代と信繁』丸島和洋著
・天正14年(1586)
1月 真田昌幸が佐久(徳川領)に侵攻した。
家臣に知行宛をした。
2月 豊臣秀吉は真田昌幸に信濃領土拡大を止めさせた。

4月 豊臣秀吉は妹:旭(朝日)姫を徳川家康に嫁がせた。
5月14日 旭(朝日)姫は浜松に着き、徳川家康と祝言を上げた。
5月 徳川家康は真田攻撃の準備を開始した。
   
   北条氏直(妻は家康の娘)も沼田城を包囲した。  
   しかし、矢沢頼綱が防ぎきった。
   さらに、真田昌幸従兄弟:河原綱家&
   羽根尾城将:湯本三郎右衛門尉に岩櫃城の
   守りを固めさせた。      

6月 上杉景勝の上洛。
       
7月12日 徳川家康は真田攻めのため、駿府城に入った。

8月3日付 豊臣秀吉→上杉景勝への書状 
『真田昌幸は「表裏比興の者(ひょうりひきょうのもの)」
  であるので、家康に命じて成敗することにした。
上杉景勝には、一切支援しないように (=真田家を
 助けるな。そして、徳川家康と戦うな。』
と書いた。
※丸島説・・・信用できない者の意味である
徳川・上杉間で戦が起きないようにする配慮である。

9月25日 徳川家康の真田攻めは沙汰済みとなった。
中止となった。

 ※丸島説・・・上杉景勝が影で動いた。
9月26日 徳川家康の上洛が決まった。
(★『家忠日記』)
※丸島説・・・
「上洛が遅れても構わない」=「真田討伐後、上洛せよ」
の意味である。家康に上洛させるための材料の一つで
あったのではないだろうか?と書いている。
しかし、真田昌幸が滅亡の危機に瀕したことは間違いない。

9月 豊臣秀吉の通達
    「真田昌幸が家康の与力大名へ」の通達

10月 徳川家康は妹:朝日姫を正室として岡崎城に下向させても
    一向に上洛の気配を見せない。
    徳川家康に業を煮やした豊臣秀吉が今度は母:大政所を
    旭(朝日)姫を見舞うという名目で、豊臣秀吉の生母:
    大政所を岡崎城に人質として送った。
    関白:豊臣秀吉のの母子が共に人質として送られてきた
    ことになった。
    徳川家康も流石に上洛に応じざるを得なくなった。
    豊臣秀吉に拝謁することは徳川家康が秀吉に臣従すること
    を意味した。
    徳川家康は重臣:本多重次に岡崎城での大政所と旭姫の
    滞在する館の櫓の周囲に柴を積み上げ、万一の場合には
    火を放つように手配・・・殺害を準備をした。
★大政所の相手は井伊直政が担当した。
10月24日 徳川家康は浜松城を発って上洛の途に就いた。
10月27日 徳川家康は大坂城で豊臣秀吉と対面し、臣従する
   ことになったのだった。
   徳川家康の豊臣秀吉への謁見は平穏裡に終わった・
   これにより、大政所は約1か月で大坂城に戻ることができた。
 

11月21日 豊臣秀吉は真田昌幸の赦免を通達した。
上杉景勝にも赦免を伝えるよう指示した。


・天正15年(1567)
3月 真田昌幸が上洛した。
   酒井忠次が同席した。
※丸島説・・・これが思わぬ副産物を生んだ。
   真田は豊臣の大名になったのである。
  真田は上杉と対等な立場になった。
徳川家康の与力大名になった。
   戦時、徳川家康の指揮下のに置かれることになった。

3月18日 酒井忠次の案内で真田昌幸・小笠原貞慶は
  駿府城に入城して、豊臣秀吉に臣従した。
  正式に大名として認められた。



【4】 『真田三代』:平山優著
・天正13年(1585)
11月29日~12月23日 天正の大地震
徳川家康は地震によって豊臣秀吉の攻撃から救われた。
★12月14日 徳川家康は本拠を浜松城から駿府城に移した。

⑦豊臣秀吉の徳川への懐柔策
・天正14年(1586)
2月 秀吉は尾張に出兵すると通達した。
   織田信雄はは家康の説得に出かけた。
   岡崎城で会見し和睦を承諾させた。
2月23日 豊臣秀吉は真田昌幸に矢留をした。
信濃の徳川領の侵攻を止めさせた。
4月 秀吉妹:旭姫を家康に嫁がせた。
臨戦態勢を解除した。  
6月14日 上杉景勝の上洛謁見。
秀吉は景勝に「所領安堵・官位を与えた」
真田昌幸・小笠原貞慶・木曾義昌を家康の
与力大名にすることを景勝に話した。
小笠原貞慶・木曾義昌は上洛し、認めた。
しかし、昌幸は上洛していなかった。

・・・・秀吉は真田に人質を出すように催促した。
また、真田昌幸は人質を出さなかった。
★ドラマと若干違うような・・・


8月3日付 豊臣秀吉→上杉景勝への書状 
『真田昌幸は「表裏比興の者(ひょうりひきょうのもの)」
  であるので、家康に命じて成敗することにした。
豊臣秀吉が真田家の庇護者:上杉景勝に、真田が徳川に攻めら
  れても助ける事は無用であるという通達を出したのだ。

「表裏比興の者」・・・態度や行動をころころと変える?替える?
 者とイメージが湧く。コウモリ的な・・・

●大辞林「卑怯(比興)」
①他の物にたとえて、おもしろく言うこと。
  →おもしろく興あること。
②不都合なこと。不合理なこと。
③いやしいこと。つまらないこと。
④臆病なこと。卑怯なこと。
 
●当時の「卑怯(比興)」
①「知略家」
②「策士」
③「老獪(ろうかい)」
といった意味で使われていた。
つまり、戦略知略が最大限に評価されていた当時の武将への
最大級の褒め言葉である。
かつて、豊臣秀吉は徳川家康にも「表裏比興の者」と呼んだ。

●真田昌幸のような小豪族は周囲を徳川・北条・上杉の3大勢力に囲
まれている=挟まれているので、状況の急激な変化に上手く対応し
なければならなかった。むしろ、「生き抜く術を知っている世渡
り上手な者。」と賞賛されるべき意味合いを含んでいる。
 (★平山優・黒田基樹対談等・・・・どの本を読んでも、このよう
なことが書かれている。
8月6日付 豊臣秀吉→徳川家康への書状
①真田昌幸を成敗してよい。
②上杉景勝の援軍のいる2~3城には攻めるな。
③小笠原領・木曾領にも手を出すな。
④景勝とも抗戦するな。
⑤上杉領・徳川領の境目は上使を派遣して決める。
⑥真田討伐のため、上洛が多少遅れても構わない。


さらに、小笠原貞慶・木曾義昌にも書状を出した。
徳川家康の上洛の折に、徳川家康に会わせる。と伝えた。
この頃、豊臣家臣:道栄が小笠原を訪ねた。

※平山説・・・
①真田は滅亡か赦免かの窮地に立たされた。
②豊臣秀吉は本気で家康に真田討伐を考えてはいない。
 真田問題を利用して、家康の歓心を買い、安心して
 上洛できるようにと考えていた。

8月7日付 豊臣秀吉→徳川家康への書状
真田問題を仲裁するので、家康の出馬を延期するように
求めた。
★早く上洛せよ・・と思っていた。

9月25日付 豊臣秀吉→上杉景勝への書状
 「真田は表裏者なので、成敗するつもりであったが、
  今回は取りやめた。」
  と伝えた。 

9月 真田昌幸は上洛を促す・・・徳川家康の与力大名へ 
★徳川家康の与力大名
真田昌幸・小笠原貞慶・木曾義昌であった。


9月?日 豊臣秀吉は家臣を岡崎に派遣した。
 「上洛要請&大政所の下向」
を伝えた。
 表向きは旭姫との謁見であるが、格上の大政所の人質
 懐柔策であった。・・・・

9月26日 徳川家康の正式な上洛が決まった。

・天正15年(1567)
1月4日 豊臣秀吉→上杉景勝への書状
「真田昌幸の赦免を正式に通達した。真田昌幸に上洛するよう
  指示させた。」

3月?日 真田昌幸・小笠原貞慶が上洛。
酒井忠次が同席した。
徳川家康の与力大名に真田昌幸・小笠原貞慶・木曾義昌
  に正式に命じられた。


3月18日 酒井忠次の案内で真田昌幸・小笠原貞慶は
  駿府城に入城して、豊臣秀吉に臣従した。
  正式に大名として認められた。

個人的にはこの時、真田信幸&稲=小松姫との結婚が決ま
ったと考えている。・・・



~~~2016年【真田丸シリーズ】~~~~~~~~~~~
●▲■真田の郷の城*********************
箕輪初心:生方▲真田丸41【米山城・戸石城・本城・枡形城】
真田幸隆乗取&真田兄弟対決
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箕輪初心:生方▲真田丸42真田の里【真田氏館&真田本城
&支城群一覧】
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箕輪初心:生方▲真田丸3【真田本城】新名所:堺&長沢の腰掛け椅子
http://53922401.at.webry.info/201601/article_5.html

箕輪初心:生方▲真田丸4【真田氏館&真田氏歴史館】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_6.html

箕輪初心:生方▲真田丸35【松尾古城】角間館の詰め城
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箕輪初心:生方▲真田丸37【真田天白城】真田昌幸長男
:真田信綱の築城?
http://53922401.at.webry.info/201602/article_10.html

箕輪初心:生方▲真田丸38【矢沢城】&真田昌幸の叔父:矢沢頼綱の生涯
http://53922401.at.webry.info/201602/article_11.html

箕輪初心:生方▲真田●75【真田横尾城=尾引城】
:横尾氏→真田信綱の居城?
http://53922401.at.webry.info/201603/article_26.html

箕輪初心:生方▲真田丸39【真田:洗馬(せば)城】:横尾氏の詰め城
→真田氏の城
http://53922401.at.webry.info/201602/article_12.html

箕輪初心:生方▲真田丸40【真田根小屋城】:真田氏の支城
http://53922401.at.webry.info/201602/article_14.html

箕輪初心:生方▲真田丸5【真田長谷寺】真田幸綱・正妻:河原隆正妹
・真田昌幸の墓
http://53922401.at.webry.info/201601/article_7.html



●▲■【第1話】天正10年(1582)1月~織田信長の信濃侵攻****
箕輪初心:生方▲箕輪城№183真田丸1【真田幸綱・昌幸・幸繁
と箕輪城との関わり】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_3.html

箕輪初心:生方▲山梨【新府城】:武田勝頼60日の城&出浦盛清
http://53922401.at.webry.info/201504/article_25.html
★出浦盛清(正相)は最後は真田昌幸の真田忍軍の棟梁になった。

箕輪初心:生方▲山梨韮崎【穴山氏館跡】&穴山信君・武田信吉の生涯
http://53922401.at.webry.info/201504/article_27.html

箕輪初心■長野【信州の桜の名所15城】=高遠城・須坂城他
http://53922401.at.webry.info/201204/article_8.html


●▲■【第2話】天正10年(1582)3月11日、武田氏滅亡*****
箕輪初心:生方▲真田丸15『真田丸第2話「決断」のあらすじ』
http://53922401.at.webry.info/201601/article_18.html

箕輪初心:生方▲真田丸16【真田の選択&武田勝頼の最後の真偽】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_19.html

箕輪初心●山梨【岩殿城】=武田勝頼を裏切った小山田氏の山城
http://53922401.at.webry.info/201202/article_5.html


●▲■【第3話】天正10年(1582)3月中旬、信長:法華寺にて**
箕輪初心:生方▲真田丸22『第3話:「策謀」のあらすじ』
&登場人物の解説
http://53922401.at.webry.info/201601/article_25.html

箕輪初心生方▲真田丸71【諏訪上社前宮~上社本宮&
「信長と光秀&真田信繁?因縁の法華寺」
http://53922401.at.webry.info/201603/article_17.html

箕輪初心★織田信長⑦安土城から天下取り開始
http://53922401.at.webry.info/201206/article_11.html

箕輪初心●滋賀「安土城&摠見寺&博物館」
http://53922401.at.webry.info/201101/article_12.html



●▲■【第4話】天正10年(1582)6月2日、本能寺の変******
箕輪初心:生方▲真田丸29【TV第4話「真田昌幸VS徳川初対決
~本能寺】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_1.html

箕輪初心:生方▲映画『信長協奏曲』面白過ぎのあらすじ
http://53922401.at.webry.info/201601/article_30.html


●▲■【第5話】天正10年(1582)6月中旬、昌幸と滝川一益***
箕輪初心:生方▲真田丸36:第5話【織田信長の死→窮地】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_9.html

箕輪初心●箕輪城シリーズ⑲「第11代:滝川一益」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_33.html


●▲■【第6話】天正10年(1582)6月9日、森長可の撤退******
箕輪初心:生方▲真田丸43:第6話【迷走】のあらすじ
&「森長可の撤退」
http://53922401.at.webry.info/201602/article_19.html



●▲■【第7話】天正10年(1582)6月20日、神流川の戦い~小諸城**
箕輪初心:生方▲真田丸50第7話『滝川一益の逃亡』
箕輪城→小諸城へ
http://53922401.at.webry.info/201602/article_26.html

箕輪初心▲埼玉上里【金窪城】&『神流川の戦い』詳細
http://53922401.at.webry.info/201409/article_21.html

箕輪初心◆高崎【第16回新町神流川合戦:滝川一益】
http://53922401.at.webry.info/201211/article_3.html

箕輪初心:生方▲真田丸30【真田昌幸と滝川一益との腐れ縁:友情】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_2.html

箕輪初心●群馬【松井田城】=安中忠政→大導寺政繁の城
http://53922401.at.webry.info/201112/article_2.html

箕輪初心:生方▲真田●65【小諸城】:ちょっと文学探訪&歴史
http://53922401.at.webry.info/201603/article_10.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201603/article_10.html

箕輪初心:生方▲箕輪城№175『第13回箕輪城祭り』写真集
3-①出陣式~出陣
http://53922401.at.webry.info/201510/article_26.html

箕輪初心:生方▲箕輪城№176『第13回箕輪城祭り』写真集
3-②出陣~着到
http://53922401.at.webry.info/201510/article_27.html

箕輪初心:生方▲箕輪城№177『第13回箕輪城祭り』写真集3-③
着到~攻防戦
http://53922401.at.webry.info/201510/article_28.html


●▲■【第8話】天正10年(1582)7月13日真田昌幸が北条氏直に謁見
箕輪初心:生方▲真田丸 57「第8話『調略』のあらすじ&川中島
http://53922401.at.webry.info/201602/article_32.html
★天正壬午の乱の開始

箕輪初心●長野:海津城=松代城:川中島の戦いでの信玄の拠点
http://53922401.at.webry.info/201309/article_14.html

箕輪初心◆長野の松代:松代藩真田家藩士の家巡り
http://53922401.at.webry.info/201309/article_13.html


●▲■【第9話】天正10年(1582)8月、天正壬午の乱、
箕輪初心:生方▲真田丸63TV第 9話【天正壬午の乱】のあらすじ
&平山優説の違い
http://53922401.at.webry.info/201603/article_8.html

箕輪初心:生方▲真田丸48【佐久:春日城】依田信蕃と真田昌幸
http://53922401.at.webry.info/201602/article_24.html
★依田信蕃が真田昌幸を徳川に引き入れた。


箕輪初心:生方▲山梨【若神子城】武田信玄の信濃攻略の拠点&
烽火集積地
http://53922401.at.webry.info/201504/article_29.html
★北条氏直の陣


箕輪初心:生方▲山梨【獅子吼城】:徳川家康VS北条氏政
http://53922401.at.webry.info/201505/article_1.html
★徳川家康は大導寺政繁のいる獅子吠城を服部半蔵を使って攻略。


箕輪初心:生方:▲山梨【谷戸城】甲斐源氏祖:逸見清光の居城
http://53922401.at.webry.info/201505/article_2.html
★徳川家康は旧武田遺臣を味方に付け、谷戸城を攻略。



●▲■【第10話】天正10年(1582)10月徳川&北条和睦*****
箕輪初心:生方:真田丸70◆ 10話『上田城築城』
&曳間城(浜松城の前身)
http://53922401.at.webry.info/201603/article_15.html

箕輪初心:生方▲真田丸31【真田幸隆の知恵:徳川家康を利用して
造った上田城】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html
★井伊直政は北条氏の大導寺政繁との交渉で徳川方の使者と
して政治的手腕を発揮。徳川&北条の和睦の立役者であった。
徳川家康が武田氏の旧領:信濃国・甲斐国を支配。
●井伊直政は武田氏の旧臣達約120人と家康の旗本の一部が配属された。
 →山県昌景の意志を尊重し、「井伊の赤備え」部隊の大将となった。
★関ヶ原の合戦後、井伊直政が真田信之に頼まれて、真田昌幸と
 真田信繁を命乞いを徳川家康にしたのに、井伊直政は真田丸に
 出てこない。後、真田幸繁の『真田丸』なんてなかったのに・・


●▲■【第11話】天正11年(1583)上田城完成祝いと室賀殺害***
箕輪初心:生方▲真田丸74【「加沢記」の室賀】
&TV 11話「祝言」のあらすじ
http://53922401.at.webry.info/201603/article_22.html

箕輪初心:生方▲真田丸84【室賀城=原畑城+笹洞(ささぼら)城】
&室賀氏・屋代氏の歴史&真田昌幸
http://53922401.at.webry.info/201604/article_11.html



●▲■【第12話】天正13年(1585)6月頃************
箕輪初心:生方▲真田丸77:第12話「真田幸繁の上杉への人質」
&平山・丸島諸説
http://53922401.at.webry.info/201603/article_29.html
6月頃 真田昌幸は上杉景勝に従属することを決めた。真田弁丸
 (信繁)の供奉衆に矢沢頼幸が同心として預けられ、一軍の指揮
  官に任じられた。・・・
7月15日は上杉景勝への9ヶ条の起請文
①上杉に忠節を尽くせ
②敵が攻めてきたら援軍をよこせ
③噂や密告を信じないで、密接な関係でいようね。
④信濃国の知行は海津城将:須田満親が行う。
⑤小県(上田)、吾妻(岩櫃)、利根(沼田)・坂木の庄を安堵した。
⑥佐久甲州のどこか、長野一跡(箕輪城)を与える。
⑦屋代秀正の一跡(荒砥城&屋代城)を与える。
⑧真田昌幸に禰津昌綱の処遇も一任した。
平山説・・・昌幸の配下にすること
◎天正11年に出浦昌相(一般論の出浦盛清は誤りか?)
が真田の家臣になったのと符号する。
真田昌幸に安堵した埴科郡に出浦の所領が入っているので
(★丸島説)・・・『真田丸』に合致している。


●▲■【第13話】天正13年(1585)閏8月2日、第一次上田合戦**
箕輪初心:生方▲真田丸80【第1次上田合戦】加沢記・平山説
&第13話「決戦」
http://53922401.at.webry.info/201604/article_6.html

箕輪初心:生方▲真田丸32【真田昌幸:空城の計&第一次上田合戦】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_4.html



●▲■【第14話】天正16年(1586)6月上杉景勝・真田幸繁上洛*

箕輪初心:生方▲真田丸86【昌幸の秀吉への臣従過程2説】
&第14話『上洛』
http://53922401.at.webry.info/201604/article_14.html

※倶利伽羅峠~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
箕輪初心★木曾義仲:上野国多胡庄2ヶ月→信濃依田城で蜂起
http://53922401.at.webry.info/201310/article_3.html

箕輪初心★木曾義仲④ゆかりの地:埼玉→信濃→上野→信濃→北陸へ
http://53922401.at.webry.info/201406/article_17.html

箕輪初心★松尾芭蕉33『奧の細道22』【金沢・小松】&My金沢城登城
http://53922401.at.webry.info/201208/article_17.html


●▲■【15話】天正16年(1586)6月上杉景勝・真田幸繁上洛*
箕輪初心:生方▲真田丸87【 15話『謁見』のあらすじ】&平山優
http://53922401.at.webry.info/201604/article_22.html



●▲■【16話】天正14年(1586)1月~6月
箕輪初心:生方▲真田丸90【真田幸繁の豊臣家臣へ】
の史実:丸島説・平山説&第16話『表裏』あらすじ
http://53922401.at.webry.info/201604/article_30.html




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