箕輪初心:生方▲真田○45:【諏訪の上原城】&板垣信方と真田幸綱

・天文10年(1541) 5月、海野平の戦いで武田信虎と諏訪頼重・村上
義清氏とともに信濃佐久郡・小県郡へ侵攻した。6月14日、甲斐
で信虎は嫡男武田晴信により今川氏の駿河へ追放され、晴信が家
督を継承した。関東管領:上杉憲政が信濃佐久郡・小県郡へ侵攻
し、諏訪頼重は独断で山内上杉氏と和睦を結び、芦田郷を割譲し
た。天文11年(1542)諏訪頼重を盟約違反とした武田晴信は高遠
頼継と結び諏訪郡へ侵攻し、諏訪氏を滅ぼした。次いで決裂した
高遠頼継を打ち破り、上原城に家臣:板垣信方を城代として配置
し、諏訪郡代として諏訪・伊那を領国化した。
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 (★板垣平)

 ここだったと思うが?


【1】上原城
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【2】板垣信方の最後


・天文10年(1541) 武田信虎の嫡男:武田晴信(信玄)が父:信虎
の駿河国追放した。
 板垣信方は武田信虎の追放には、武田晴信の苦渋を理解し、
 中心的に活動した。

 武田晴信が家督を継ぐと、板垣信方と甘利虎泰は武田家最高職の
 「両職」に任じられた。
  (★『甲斐国志』)
軍政・民政の中枢を担った。

  武田晴信は信濃侵攻を開始し、諏訪郡・北佐久郡を攻略の
  準備に取りかかった。

・天文11年(1542) 諏訪攻撃
6月、武田晴信は諏訪氏庶流:高遠頼継と諏訪領への侵攻した。

7月 諏訪頼重を甲府へ連行して自害に追い込み、諏訪領を制圧し
  た。ついでに、諏訪頼重の娘も側室にした。
①小説では、新田次郎:湖衣姫・・など
②祢津元直の娘→諏訪頼重養女説
 諏訪頼重は板垣郷東光寺で自害させられた。

板垣信方は諏訪(小説では由布姫?湖衣姫)・武田勝頼の後ろ盾と
なった。諏訪の姫にとっては頼もしい武将であった。
 また、板垣信方は、家中の反対する中、山本勘助の才幹を見込み、
武田晴信に推挙した人物とされる。
※NHK大河ドラマ『風林火山』
 山本勘助は板垣信方を「武田一の合戦上手」だが。「苦戦になる
と弱い」と評していた。
 家中に心許せる者が少ない山本勘助には、頼もしい味方であった。
 そして、山本勘助も由布姫に味方した。

 
9月 諏訪家惣領職を望む高遠頼継が武田晴信に対して挙兵した。
高遠頼継は藤沢頼親と結んで諏訪郡へ侵攻して上原城を落した。
  武田晴信は直ちに板垣信方を先陣とする救援の軍を送った。
 ※安国寺の戦い
   武田晴信の家臣:板垣信方は高遠頼継を撃破して諏訪領を
  掌握した。

・天文12年(1543)
4月 板垣信方を「諏訪郡代(上原城代)」に任じた。
5月  板垣信方は上原城を整備した。 
  ・上原城城将:板垣信方とした。
  ・桑原城に城将を置いた。  
     (★『高白斎記』)
諏訪氏の上原城に入り、郡代として諏訪・伊那地方
  を統治した。

9月初旬 武田晴信は大井貞隆の家老?:家臣:芦田(依田)守信
  と芦田(依田)系相木昌朝を味方に引き入れた。
9月17日 長窪城(長和町)を攻囲した。
 大井貞隆は抗戦した。芦田信守と相木昌朝の内応にあい
 長窪城は開城した。
 大井貞隆は捕えられ甲府へ連行された。
 また、大井貞隆に加勢した佐久郡の望月氏も成敗された。
(★『高白斎記』)
岩村田大井氏は弟:大井貞清が継承し、内山城において抵抗した。
※天文15年(1546) 内山城は落城している。

★ちなみに相木昌朝は武田晴信に以後仕えた。
 帰参直後、騎馬80騎持ちで田口城代(佐久市)に任じられた。
(後、相木昌朝の長女は真田幸隆の次男:昌輝に嫁いだ。
 また、相木昌朝の次男:市兵衛は山県昌景の娘婿となった。)

●天文12年(1543)~天文17年(1548)
 真田幸綱(幸隆)は武田晴信に臣従した。
真田幸綱が家臣にしれくれと言ったのか?
武田晴信が誘ったのかは分からない。
個人的には武田晴信が旧領を餌に真田幸隆を誘った可能性の
方が高いと思っている。武田晴信も余裕がなかったのだろう。
村上義清より武田晴信だ。村上義清は大嫌いってとこか?


・天文13年(1544) 武田晴信は今川義元と和睦した。
①武田晴信は現千曲市&佐久市の侵攻を考えていたので、
南から甲斐に入られるのが不安だった。
②今川義元は駿東郡(富士市:富士川~沼津~三島黄瀬川)
  を北条氏康の支配下にあったので取り戻したいという思惑
あった。

・天文14年(1545)
4月 武田晴信は高遠城に侵攻して高遠頼継を滅ぼした。
6月 福与城主:藤沢頼親頼親は信濃守護小笠原長時と結んで
   抵抗した。
   板垣信方は藤沢氏・小笠原氏に与する龍ヶ崎城を攻め落とした。
   孤立した藤沢頼親は降伏した。追放した。

7月 第2次河東一乱
   ※河東・・・静岡県駿東郡(富士川~黄瀬川)
今川義元  VS 北条氏康 
7月下旬、今川義元は富士川を越え、善得寺に布陣。
     北条氏康も駿東郡に急行して応戦した。
③北条氏康は危機的状況になった。
 前門の虎・・今川・武田が駿河から・・
 後門の?・・山内上杉がせっかく盗った河越城に
 挟み撃ち状態になってしまった。

9月初旬 今川軍+武田軍が合流。
  北条軍は、吉原城を放棄し三島に退却。
  今川軍は北条幻庵・葛山氏元の長久保城(駿東郡長泉町)
  を包囲した。
  河越城を包囲された。
  北条氏康は窮地に陥った。

10月下旬 武田晴信が北条・今川の仲介役として、
   停戦が成立させた。
 武田晴信が仲裁したことで両家に大きな「貸し」を作った。

11月初旬、北条氏は長久保城(静岡裾野)を今川氏に明け渡した。
  (★『高白斎記』)。
  ③北条氏康は西方に安堵を得た河越城の救援に向かった
 

・天文15年(1546)
4月 河越夜戦
上杉憲政+上杉定正+古河公方 VS 北条氏康
  河越城を包囲していた関東管領:上杉憲政が北条氏康に惨敗
上野の平井城に逃げ帰った。
  上野国を中心とする上杉憲政の勢力はいまだ健在であった。

5月 武田晴信は再び佐久郡に侵攻。
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■内山城攻撃
5月3日 海ノ口に着陣。
5月6日 前山城に布陣した。
     ※伴野助十郎の居城である。宗家は拙宅から50m。
     内山城の大井貞清・貞重父子を攻めた。
大井貞清が立て籠もる内山城を包囲した。
5月10日 内山城の水の手を断った。
5月14日 主要な曲輪をほとんど陥とした。
  大井貞清は本城で抵抗した。武田軍は総攻めをしかけて
5月20日 大井貞清は内山城を開城した。
大井貞清は捕えられた。
真田幸隆の口利きで大井貞清は助命された。
      大井貞清は野沢城に蟄居した。
?月?日  大井貞清は内山城代を任された。
7月18日 上原伊賀守昌辰(小山田備中守昌辰・小山田虎満)
      が内山城代を任じられた。
長窪城(現長和町)の大井貞隆&内山城の弟:大井貞清の
  大井一族が壊滅状態になったことで佐久郡の大半が武田晴信
  に制圧された。
  真田幸隆は上原昌辰の庇護下にあった。


・天文16年(1547)・閏7月から8月 小田井原の戦い
(長野県佐久市)
閏7月、武田晴信は大井三河守貞清を先手として甲府を出陣した。
『高白斎記』をベースすると


7月24日 武田晴信は志賀城の包囲を開始した。
「卯の刻から午の刻まで志賀の城に取り詰められる」
7月25日 金堀衆が城の水の手を断った。
     志賀城は窮地に陥った。
「25日未の刻、水の手取りなさる」
 関東管領:上杉憲政は志賀城救援の軍勢の派遣を決めた。

 上杉憲政は重臣:長野業正の諫言を無視して、倉賀野党16騎
 を先陣に金井秀景を大将とする西上野衆の大軍を派遣した。
(★『関八州古戦録』→大河ドラマ「風林火山」)
長野業正
 「北条氏康のほか、武田晴信まで敵にすることはできない。」
と、出陣しなかった。
 (★大河ドラマ「風林火山」)
※エピソード
 金井秀景の先陣はくじ引きで決まった。

関東管領軍は東山道の入山峠(バス事故現場と軽井沢プリンスス
キー場山頂の間)を越えて信濃へ入った。
★一般的に碓氷峠とあるが、当時の碓氷峠は軽井沢に入る碓氷バ
イパスの道ではない。
碓氷峠の戦いや笛吹峠の戦いという言い方で書いてある本もある

武田晴信は志賀城を包囲中であったが、重臣:板垣信方、甘利虎泰
(ピンチの甘利経済復興大臣先祖)に別動隊を編成させて迎撃に向
かわせた。

 高田憲頼らの援軍もあって包囲は10日にもおよんだが志賀城は
 落城しなかった。

8月6日 小田井原で合戦
 甲斐守護武田晴信 VS  関東管領上杉憲政
「8月卯の刻、板垣駿河其の外働き、関東衆数多討ち取らる」
板垣、甘利率いる武田軍は関東管領軍を一方的に撃破して敵将
 14~5人、兵3000を討ち取る大勝利を収めた。


その夜・・・
武田晴信は、首級のうち、名のある武将の首は槍先にかざし、
その他の首は棚に並べて志賀城下にに晒したの。
担当者は山本勘助だった。
(★大河ドラマ「風林火山」

武田軍は討ち取った敵兵3000の首級を志賀城の目前に並べて晒
して威嚇した。

ところが、金井秀景を総大将とする上杉軍2万が小田井原で大敗する
と形勢は逆転した。

ところで、3000もの首を一度の戦で実際に討ち取ることができ
るのであろうか。関東管領上杉憲政軍が大軍勢だったとしても、本
当に可能なことなのだろうか?

※『妙法寺記』・・・小田井の戦いが前年であるが
・天文15年(1547)の7月、志賀城には笠原勢に加えて、常州勢
(上州勢)が立て籠もって武田に抵抗していた。さらに上州からの
後詰勢が浅間山を廻って進軍してきたので、武田勢は上州勢と合戦
に及んだ。武田勢は、板垣駿河守、甘利備前守、横田備中守、多田
野三八らが大将となって上州勢に向かった所、「上州人数切り劣り
候ひて、名だたる大将14~5人討ち取り、雑兵3000ばかり
討ち取り、此の首をシガ城を廻り悉く御掛け候。是を見て要害の
人数も力を失い候。」さらには「水につまって」志賀城は八月十一
日に落城せし・・。」。

8月7日
一夜明けて・・・太陽の光が降り注ぐ。
志賀城内の城兵が目の当たりにしたのは、見下ろす城下に、おびただ
しい数の生首が並ぶという悲惨な」光景であった。
首3000はオーバーかもしれないが、相当数の首を並べて見せたと
思われる。
援軍の到着を今か今かと待待ちわびていた志賀城兵・・
これで、一気に戦意を失なってしまった志賀城兵たち・・・ 

志賀城では救援の望みが全く立たれた城兵の戦闘意欲も削がれ、
大きく士気消沈した。

8月10日、武田軍は総攻めをしかけた。
 外曲輪、二の曲輪が焼き落とした。
  「10日午の刻、外曲輪を焼く。子牛の刻、二の曲輪焼く」

8月11日、武田軍は本曲輪を攻めた。
  城主笠原清繁と高田憲頼は討ち取られ落城した。
「11日、午の刻、志賀父子・高田父子打ち捕らる」
もはや命運は尽きたと覚悟を決めた笠原清繁以下300余名は、
  決死の突撃を決行し、壮絶な討死を遂げた。
   笠原清繁、笠原清仲父子は討死。
   援軍に駆けつけていた高田憲頼、高田繁頼(笠原繁頼)
   父子も討死した。
志賀城は落城。
★『高白斎記』では「城攻めが進行していく様子がよく理解でき
るように記録されている。

武田晴信の敵兵への処置は厳しかった。
捕虜となった城兵は奴隷労働者とされ、女子供は売り払われた。
戦国時代の合戦では捕虜は報酬として将兵に分け与えられた。
金銭で親族に身請けさせることが行われたが、捕虜の値段は非常
に高額で身請けができず、ほとんどが人買いに売買されたという。
武田信玄の部隊の後続には、奴隷商人が付いてきていたという。

※エピソード
①「シカ殿御上は小山田羽州(信有)給りて駒橋に御同心申し候。
 去る程に男女いけどり成され候ひて悉く甲州へ引越し申し候。
 去る程に2貫3貫5貫1貫にても身類ある人は承け申し候」
(★『妙法寺記』)


②笠原清繁の夫人は小山田信有に与えられ妾とされた。
悲運に涙に暮れた笠原清繁夫人の哀話が残されている。
(★『甲斐国志』)
 
③小山田信有(小山田信茂の父:岩殿城主)がお金で買った。
(★大河ドラマ「風林火山」)
まず、志賀殿(笠原)氏の奥方は、武田重臣の小山田信有に与え
 られ、信有は自分の領地である駒橋(大月市)に連れ戻った。


★「さらし首にした方がいい。」と進言したのは、真田ファンには
申し訳ないが、真田幸綱(幸隆)ではなかっただろうか?
武田家臣の中で、一番村上義清を恨んでいるのは、真田幸隆で
笠原清繁は村上方であったからである。あくまで想像であるが
・・・普通なら、村上義清の家臣になっていた方が、城持ちになれる
可能性が大きかったのに、武田信玄に臣従したくらいだから。



・天文17年(1548)
2月 武田晴信は村上義清を討つべく小県郡へ出陣した。

 2月14日 上田原の戦い
  真田幸綱も参加した。
板垣信方は先鋒をつとめ奮迅の末、討ち死にした。
  武田軍は敗北した。
  板垣信方・甘利虎泰・才間河内守・初鹿伝右衛門が討死した。
板垣信方の重臣:広瀬郷左衛門、曲淵小左衛門、三科肥後守ら
  も戦死してしまった。
 
※板垣神社
※板垣信方の墓

 板垣信方の死後、家督は嫡男:板垣信憲が継いだ。
 不行跡のために武田信玄によって武田家から追放され、誅殺された。
 
 板垣家の嫡流は一旦が断絶したが、同族の於曾氏出身の左京亮信安が
 板垣氏再興を武田信玄に願い出て承認され、嫡流を継いだ。

・天正10年(1582) 真田昌幸の家臣に板垣家の信方とという者が
 家臣になったようである。

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~~~2016年【真田丸シリーズ】~~~~~~~~~~~
箕輪初心:生方▲箕輪城№183真田丸1【真田幸綱・昌幸・幸繁
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箕輪初心:生方▲真田丸36:第5話【織田信長の死→窮地】
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:真田信綱の築城?
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http://53922401.at.webry.info/201602/article_14.html

箕輪初心:生方▲真田丸41【米山城・戸石城・本城・枡形城】
真田幸隆乗取&真田兄弟対決
http://53922401.at.webry.info/201602/article_15.html

箕輪初心:生方▲真田丸42真田の里【真田氏館&真田本城
&支城群一覧】
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箕輪初心:生方▲真田丸43:第6話【迷走】のあらすじ
&「森長可の撤退」
http://53922401.at.webry.info/201602/article_19.html

箕輪初心:生方▲真田●44【佐久内山城】真田幸隆&大井貞清
http://53922401.at.webry.info/201602/article_20.html

箕輪初心:生方▲真田○45:【諏訪の上原城】&板垣信方と真田幸綱
http://53922401.at.webry.info/201602/article_21.html

~~~★真田3代~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
箕輪初心●「滋野一族→海野一族の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201111/article_25.html

箕輪初心●真田3代①「実田→真田幸隆の出自
http://53922401.at.webry.info/201111/article_26.html

箕輪初心●真田3代②幸隆の箕輪城居候1541~旧領奪回1551
http://53922401.at.webry.info/201111/article_27.html

箕輪初心●真田3代③『川中島の戦い&真田の上野国進出』
http://53922401.at.webry.info/201111/article_28.html

箕輪初心●真田3代④『真田信綱→真田昌幸の時代』
http://53922401.at.webry.info/201111/article_29.html

箕輪初心●真田3代⑤『5回主家を変えた真田昌幸』
http://53922401.at.webry.info/201111/article_30.html

箕輪初心●真田3代⑥『小田原攻撃~第2次上田戦争
~大阪の陣』
http://53922401.at.webry.info/201112/article_1.html




~~~真田&信濃国(長野県)~~~~~~~~~~~~
箕輪初心■長野:第21回海野宿ふれあい祭&グルメ
http://53922401.at.webry.info/201111/article_24.html

箕輪初心;生方▲2015信濃【真田の里:上田巡り1回目】
http://53922401.at.webry.info/201511/article_18.html

箕輪初心:生方▲2015真田の里:上田巡り2回目
http://53922401.at.webry.info/201511/article_19.html

箕輪初心●長野:海津城=松代城:川中島の戦いでの信玄の拠点
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_14.html
 
箕輪初心◆長野:松代藩真田家藩士の家巡り ●● 
http://53922401.at.webry.info/201309/article_13.html

箕輪初心▲長野:松代▲大室城前→奇妙山砦&尼飾山城ハイキング
http://53922401.at.webry.info/201412/article_17.html



★明日は長窪城かな?

この記事へのコメント

棟治
2016年02月18日 01:07
お久しぶりです
この記事とは関係ない話ですみませんが、本日新しくわかった下田氏の件についてご報告です。

意外な集落その後・・・「前橋市文化協会富士見支部だより」より 。

富士見郷土史研究会の会長様が、執筆された随筆が載せてあった。それは箕輪長野家が、武田家に滅ぼされるところを箕輪軍記より引用されものである。そしてその最後の締めの文として次のようなものがあった。

随筆より引用・・・落城後に箕輪十九人衆の雄、下田大膳昌勝の子の一人が小沢新田に落ち延びた。現在二十三戸の下田家に継がっている。

これは富士見町小沢にある、例の石井家を囲む下田氏一族の話です。たまたま地元の郷土史研究会の会長さん宅でうかがった話です。 ではまた
棟治様へ
2016年02月18日 13:41
いい情報ですね。物語の参考になりますね。棟治様の考えたストーリーでよいと思います。箕輪軍記だって江戸時代中期~後期に書かれた書物です。箕輪軍記、あとで調べてみます。

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