箕輪初心▲源頼朝30【25臣の1人:宇佐美祐茂】&「宇佐美城」

伊東祐継の第3子?:宇佐美三郎左衛門尉祐茂の城である。
▼国道135号線が伊東から熱海方面に北上すると大きくカーブ
する辺りの小山が城址である。地元では「留田(とまだ)の城山」
と呼んでいる。比高は20m程である。主曲輪跡は東西約80m
×南北約60mある。土塁跡や袖曲輪跡が残存しているという。
「城宿」という地名や子孫の物とされる墓が残存している。宇佐
美城の東に宇佐美ダイビングで2004年からダイビングを5回
ほどした。ボートダイビングで海から見ると、見晴らしが抜群の
城であった。後に伊豆の東の北条水軍の基地になったのであ
ろう。
画像





▼▼ 宇佐美のダイイング ▼▼
箕輪初心▼伊豆:宇佐美ダイビング&宇佐美城
http://53922401.at.webry.info/201307/article_28.html
画像

画像





●宇佐美城
 国道から東の海岸線へ出る川沿いの道にある。
「宇佐美城山駐車場」
画像

画像

画像


 真南に伝・伊東館の物見ケ丘がみえる。
画像


【2】「宇佐美江戸城石丁場遺跡」の案内板
 宇佐美からも江戸城へ石が切り出されていた。


【3】阿佐美港からの宇佐美城
画像





◆◆ 宇佐美一族&宇佐美城の歴史 ◆◆
・平安時代末期  
・仁安2年(1167)②源頼朝の初恋&八重姫・・・
※『曽我物語』には次のような記載がある。
「仁安2年(1167)頃、21歳の頼朝は伊東祐親の下に在っ
た。ここでは後に家人となる土肥実平、天野遠景、大庭景義
などが集まり狩や相撲が催されている。伊東祐親が在京の間に
頼朝がその3女:八重姫と通じて子:千鶴丸を成すと、祐親
は激怒し平氏への聞こえを恐れて千鶴丸を伊東の轟ヶ淵に投
げ捨て、八重姫を江間小四郎(北条義時)に嫁がせる一方で
頼朝を討たんと企てた。祐親の次男:伊東祐清からそれを聞
いた頼朝は走湯権現に逃れて一命を取り留めた。頼朝29歳
頃の事件であった。」 

ところが、成長していく間に恋をした。
伊東祐親が大番役・・交代で京で朝廷や貴族の警備をする役
の遠征に出ている間に、
・・・伊東祐親の娘:八重姫(伊東祐清の兄妹)
との間に男子をもうけてしまった。
※二人が愛を語らった場所
 伊東市の「ひぐらしの森」「音無の森」である。

●源頼朝は伊東祐親が大番役で上洛している間に、
 伊東祐親の娘:八重姫が頼朝と通じ、子:千鶴丸を儲け
 てしまった。
 伊東祐親が2年の任期を終え、帰国した。
 伊東祐親はビックリした。
 伊東祐親は激怒した。


「平家から源頼朝の監視を頼まれたのに
 源頼朝のためにあらぬ疑いをかけられては困る。」
 と考えた。

そして、八重姫を江間小四郎=北条泰時に嫁がせた。
その後、八重姫は狩野川に入水自殺をしてしまった(伝)。

源頼朝は伊豆山神社に逃げ込んだ。
①伊東祐親の次男:祐清から
父:祐親の源頼朝の殺害計画&伊豆山神社への逃亡&
北条時政に頼ることのアドバイスを聞いた説

②狩野茂光や加藤景員に相談したら、狩野茂光から伊東
 祐親に
「北条時政の所で預かってもらおう。」
と言った説・・・
源頼朝&娘:八重姫の子:千鶴丸を松川の上流に沈めた。

③完全に千鶴丸は死んだことにし、生き延びさせようと
した説。・・・伊東祐親が知恵を働かせたのでは?
島津家の系譜は鎌倉幕府に提出された正式なものだった。


「川に子供を流す」というのは、生き残る可能性がある
ばかりでなく、証拠としては何も残らない方法である。
親としては、「千鶴丸が死んだ」という噂だけ流れれば
十分だった。
と、某Hpにあった。


・安元元年(1175)
9月 伊東祐親は平家の怒りを恐れ、千鶴丸を松川に沈めて殺害
した。
   さらに、伊東祐親は源頼朝の殺害を図った。
   伊東祐親が源頼朝を討とうとした所次男の祐清が頼朝に知らせて   
 源頼朝の乳母:比企尼の3女を妻としていた次男:工藤
 祐清が源頼朝に知らせた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
比企尼の3人娘達
①長女:安達盛長の妻・・函南の桑原・大竹地区・本領武蔵
比企尼の婿である安達盛長が側近として仕えた。
②次女:河越重頼の妻・・武蔵
③3女:伊東祐親の次男:祐清の妻
④比企尼の養子・・・比企能員
⑤伊東祐親の長男:祐泰は妻は狩野茂光の娘
⑥比企朝宗の娘:北条義時の妻
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 源頼朝は夜間、馬に乗って熱海の伊豆山神社に逃げ込んだ。
 北条時政の邸に逃がした。
 後に源頼朝は北条時政の長女:政子と結ばれ、北条氏が源頼朝の
 後見として源頼朝の挙兵に加わることになる。


・安元2年(1176) 工藤祐経の河津祐泰の殺害
10月 工藤祐経は郎党に命じ、伊豆奥野の狩り場から帰る
   道中の八幡野で伊東祐親の嫡男:河津祐泰を射殺した。

  河津祐泰の妻と子の一萬丸(曾我祐成)と箱王(曾我時致)
   の兄弟が残された。
  ※河津祐泰の妻は子を連れて曾我祐信に再嫁し、兄弟は後に
   曾我兄弟として世に知られることになる。



~~~~宇佐美一族の歴史~~~~~~~~~~~~~
【1】伊東祐隆
  工藤一族:工藤祐隆(工藤家次)は、伊豆国の大見
  ・宇佐見・伊東からなる久須見荘を所領としていた。
  工藤祐隆は出家して法名寂心久須美入道(久須見氏)と号した。

 ①嫡男:伊東祐家(すけいえ)が早世した。
 
 ②長男:伊東祐継・・・後妻の連れ子であった継娘が産んだ子を
     嫡子にした。伊東荘を与えて伊東祐継と名乗らせた。
 ③次男:伊東祐親・・・早世した伊東祐家の子である。
     河津荘で河津氏を名乗らせた。
父:伊東祐家→養父:工藤祐隆(祖父)
     母:?
工藤祐経を都へ追い払った伊東祐親は所領を独占した。
 押領されたことに気付いた工藤祐経は都で訴訟を繰り返した。
 しかし、伊東祐親の根回しにより失敗に終わっった。
 伊東祐親は娘:万劫を取り戻して。相模国の土肥遠平へ嫁がせた。
 所領も妻も奪われた工藤祐経は憤り、工藤祐親親子の殺害を計画した。
 ・安元2年(1176)10月 工藤祐経が送った刺客:大見小藤太・
  八幡三郎により 、伊豆の狩り場のからの帰り、赤沢で河津祐泰が
  射殺された。
  後の曾我兄弟の仇討ちの原因となった。

【2】伊東祐継
  伊東祐継を伊東祐親は「異姓他人の継娘の子」と呼んでいた。
  (★『曽我物語』)
  伊東祐継は寂心が継娘に産ませた子で、伊東祐親の叔父である。
(★真名本『曽我物語』)
伊東祐継は伊東荘を継いだ。
  

【3】宇佐美祐茂
①通説・・・伊東祐継(すけつぐ)3男:祐茂(すけもち)説
    工藤祐経の弟説
 (★尊卑分脈・宇佐美氏系図)

②別系図
狩野維次→工藤祐家(早死)→伊東祐親→河津祐長・河津祐通
       |
    土肥実平娘:満江
      |→曽我五郎祐成
      |→曽我十郎時致
      曽我祐信
 
●工藤祐家
|→ 伊東祐継
|→ 宇佐美祐茂
後妻(祐隆の娘)

③少数説
 「祐経、叔父狩野介茂光、宇佐美三郎祐茂に阿属して鎌倉に
  下る。」・・・・工藤祐経の叔父説
  (★日向記) 
 宇佐美祐茂が伊東荘から独立して宇佐美を受領した。
  





・治承4年(1180) 8月17日 源頼朝の挙兵
  伊東家は源頼朝方につくように迫られた。
  伊東祐親の生き残った息子:伊東祐清は源頼朝とは仲が
  良かったが、味方にはならなかった。


8月17日、源頼朝の挙兵時の山木兼隆の討伐に46
  名が加わった。

8月20日兼ねてから打ち合わせていた三浦義明の一族が台風で遅れ
ているため、源頼朝は伊豆と相模の御家人だけを率いて相模国土肥郷
に向った。
 従う者は北條四郎時政と三郎宗時と四郎義時、平六時定、籐九郎盛長、
工藤茂光と五郎親光、宇佐美助茂、土肥實平と遠平、土屋宗遠と義清と
忠光、岡崎義實と義忠(佐那田)、佐々木定綱と経高と盛綱と高綱、天
野遠景と政景と光家、宇佐美政光と實政、大庭景義(景親の兄)、豊田
景俊(景親の兄)、新田忠常、加藤景員と光員と景員。堀親宗(親家)
と助政、中村景平と孫:盛平(宗平長男重平の子)、鮫島宗家、七郎武
者宣親、大見家秀、近藤七国平、平佐古為重、那古谷頼時、澤宗家、
義勝房成尋、中惟重と惟平、新藤次俊長(鎌田正清の子)、小中太光家
これら頼りになる者たちが家を忘れ親を忘れて戦う、と。
   (★吾妻鏡)


8月23日 石橋山(神奈川県小田原市)で源頼朝は300騎で石橋山
の山上に本陣を構えた。そして、以仁王の令旨を御旗に高く掲げさせた。
源頼朝軍300騎 VS 平氏軍3000騎+伊東300騎
平氏・・・大庭景親・渋谷重国・熊谷直実・山内首藤経俊・・・背後
から伊東祐親(狩野茂光弟)300らが迫ってきた。

【1】源頼朝の郎党・・・
 ①安達盛長
 ②小中太光家
【2】伊豆の武士・・・・
 ①平氏系北条一族4
 ②藤原流工藤系狩野茂光父子・
 ③狩野茂光の外孫:田代信綱          
 ④藤原流天野遠景(狩野茂光娘婿説:遠戚説)&弟:天野光家
 ⑤藤原流宇佐美祐茂&「政光・実政(狩野茂光の甥説)」
 ⑥藤原流新田(仁田)忠常、
⑦藤原系加藤景員(狩野妹婿)・兄光員・弟:景廉父子
 ⑧堀親家&助政
⑨大見家秀
 ⑩近藤七国平
 ⑪奈古谷頼時
⑫沢宗家
 ⑬鎌田俊長(父:鎌田政家は源義朝の重臣)
【3】近江源氏・・佐々木一族4兄弟
【4】相模の武士・・
 ①中村景平・盛平(土肥同族)
 ②土肥実平一族5
③岡崎義実&佐那田義忠父子(三浦一族)
 ④平佐古為重(横須賀平作城:三浦一族か?)
【5】駿河の武士・・・鮫島宗家・宣親父子
【6】敵将の兄・・・大庭景親、豊田景俊、(大庭一族)
【7】武蔵の武士兼僧・・義勝房成尋(中条家長父)
【8】不明・・・文官?中惟重・惟平
★つまり、源頼朝の挙兵の従った相模の武士団のほとんどは
 父:源義朝時代から関係のあった者達であった。


 源頼朝は坂東を制圧し、平家方として敵対した伊東祐親は
  源頼朝の家臣:天野遠景に下田の小稲で捕らえられた。
  一端は娘婿:三浦義澄の奔走によって助命された。
  北条政子&源頼朝の第2子:頼家が生まれたからである。
  しかし、伊東祐親は自害した。
  
  伊東祐親は次男:伊東祐清はかつて、父は源頼朝&八重姫の
  間にできた千鶴丸を水死させ、源頼朝を討とうとした。しかし、
  伊東祐清は源頼朝に連絡して逃した。源頼朝から命の恩人とし
  て賞を与えられるが、これを拒んで平家方として西国へ下った。
  篠原の戦いで討ち死にした。

・治承5年(1181) 宇佐美祐茂が工藤祐経を源頼朝に推挙した。
  工藤祐経は頼朝に仕えて側近として重用された。
伊東祐親父子亡き後の伊東荘を安堵さた。
  工藤祐経は源頼朝の挙兵から13年後に河津祐泰の遺児・曾我兄
  弟によって父の仇として討たれた。

 宇佐美祐茂&子:宇佐美実政と大見政光とともに参陣した。
  共に戦功を立てた。

 ※宇佐美祐茂は源頼朝挙兵以来の重臣で25臣の一人にも
 数えられている
 ★(★『吾妻鏡』)

.
・文治5年(1189) 源頼朝の奧州遠征
宇佐美祐茂も宇佐美実政も加わった。
 
  宇佐美実政は奥州遠征の北陸道軍両大将となった。
  藤原泰衡の重臣・由利惟平を捕縛し武功を立てた。
  津軽国地頭となった。



・文治6年(1190) 「大河兼任の乱」
宇佐美実政は防戦し討死した。


・建久元年(1190) ?宇佐美三郎左衛門尉祐茂が宇佐美城を築城した。
源頼朝の上洛に加わった。

・建久4年(1194) 源範頼は源頼朝の勘気に触れ、伊豆に下向した。
  宇佐美祐茂は源範頼を修善寺に送った。
従兄弟:狩野宗成(狩野茂光の子)が預かった。
すぐに宇佐美祐茂は鎌倉に戻った。


・正治2年(1200) 源頼家の鶴ヶ岡八幡宮参内
10名・・・宇佐美祐茂・結城朝光・三浦義村など




※宇佐美祐茂の子ども
長男:祐成
次男:祐政・・・祐時・・祐康・・・(略)・・祐孝・・貞興
3男:祐員


・南北朝時代
  宇佐美城=留田(とまた)の城は標高38mであった。
・貞治4年(1391) ・・・石碑
・明徳5年(1394)・・・石碑
 

・戦国時代
・文明17年(1485)?
宇佐美貞興の長男:宇佐美孝忠は山内上杉顕定に従って
越後入りした。

宇佐美貞興の次男:宇佐美祐興は宇佐美城に残った。

・延徳3年(1491 )宇佐美貞興死亡説①
  伊勢新九郎長氏(北条早雲)に堀越御所が
     攻撃→足利氏の援軍。
    
・明応2年(1493) 宇佐美貞興死亡説②
   伊勢新九郎長氏(北条早雲)堀越御所の急襲
   宇佐美貞興(さだおき)は御所内で討死したと伝えられる。

・明応4年(1495)落ち延びた茶々丸はに再び早雲との戦いに敗北
して・・・落ち延びた。

・????年 宇佐美左衛門尉祐孝が息子宇佐美貞興の冥福を祈る
  ために東光寺を建立した(伝)(★「宇佐美村誌」)

・????年 次男:宇佐美祐興は宇佐美城に籠城した。
   宇佐美城も北条早雲の配下に取り囲まれて落城した。
 生き残った宇佐美氏は・・・・宇佐美氏も根絶?

 東伊豆最大の伊東氏が北条早雲への抵抗を止め、北条家の
 家臣になった。

・????年 後北条氏時代には城番も置かれたが詳細は不明。
  ★私見・・・北条の水軍の城であろう。
 

・昭和時代  発掘調査
  ①V字状の縦堀があり、厳しく防御された。
  ②中国で生産された青磁、火縄銃の発射済みの弾丸、製鉄遺跡が
   発見され、15世紀末頃の出土遺物が確認されたそうである。

・現在 「伊東市文化財管理センター」に出土物は展示されている。
行ったけど、外した。しまってた。


◆◆ 越後枇杷島城主:宇佐美定満 ◆◆
画像




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●お勧めの宿
※「鮨屋の宿 海ホテル」

●回転寿司屋

●スーパー
 宇佐美のスーパーで買ったイカで「アニサキス」で七転八倒
 した。ねたが良すぎたのだ。群馬ではあり得ない。



~~~河内源氏~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【1】源氏系図
箕輪初心★久保田順一先生20141129『河内源氏&上野国
:八幡荘』前編
http://53922401.at.webry.info/201412/article_11.html

箕輪初心★源義朝(源頼朝の父)の生涯
http://53922401.at.webry.info/201501/article_22.html

箕輪初心★平治の乱『源義朝&鎌田政清の最後』
=長田忠致の裏切り
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newscaredisplay.do


~~~源頼朝&伊豆シリーズ~~~~~~~~~~~~~
箕輪初心★源頼朝①伊豆「伊東→蛭ヶ小島へ」
http://53922401.at.webry.info/201412/article_19.html

箕輪初心★源頼朝②伊東祐親の娘:八重姫の悲話&
『伊東祐親の生涯』
http://53922401.at.webry.info/201412/article_20.html

箕輪初心★源頼朝③【蛭ヶ小島3年北条政子との結婚】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_24.html

箕輪初心★源頼朝④「治承4年(1180)8月17日の挙兵
~19日石橋山の合戦前」
http://53922401.at.webry.info/201412/article_25.html

神奈川▲源頼朝⑤【治承4年(1180)8月19日~22日土肥館】&
土肥実平の生涯
http://53922401.at.webry.info/201412/article_26.html

箕輪初心▲源頼朝⑥【治承4年(1180)8月23日石橋山の戦い
&佐那田神社】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_27.html

箕輪初心▲源頼朝⑦治承4年(1180) 8月24日逃亡~梶原景時
~土肥城~箱根神社
http://53922401.at.webry.info/201412/article_28.html

箕輪初心▲源頼朝⑧治承4年(1180)8月27日【荒井城】&
【詠い坂】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_29.html

箕輪初心▲源頼朝⑨【治承4年(1180)8月28日:岩からの源氏
再興の舟出】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_30.html

箕輪初心▲源頼朝10:埼玉【阿保氏館跡】&「阿保氏の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201501/article_6.html

箕輪初心★源義朝(源頼朝の父)の生涯
http://53922401.at.webry.info/201501/article_22.html

箕輪初心★平治の乱『源義朝&鎌田政清の最後』=長田忠致の
裏切り
http://53922401.at.webry.info/201501/article_23.html

箕輪初心◆源頼朝12:『治承4年(1180)8月29日房総
~関東平定』
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newscaredisplay.do

箕輪初心▲源頼朝13【挙兵~関東平定&坂東武者の思惑】
素案
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newscaredisplay.do

箕輪初心★源頼朝14【乳母:比企尼(ひきのあま)】
http://53922401.at.webry.info/201501/article_29.html

箕輪初心★源頼朝15【愛のキューピッド:安達盛長】
:鴻巣放光寺→伊豆→甘縄→高崎八幡
http://53922401.at.webry.info/201501/article_30.html

箕輪初心▲源頼朝16【仁田忠常】&伊豆函南【仁田館】
http://53922401.at.webry.info/201501/article_31.html

箕輪初心▲源頼朝17【肥田宗直】&伊豆函南「肥田館」
http://53922401.at.webry.info/201501/article_32.html

箕輪初心▲源頼朝18【治承3年の政変~以仁王&源頼政の
思惑~源頼朝の挙兵】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_1.html

箕輪初心★源頼朝19【北条時政の思惑①】&伊豆長岡【北条館】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_2.html

箕輪初心▲源頼朝20【北条時政の思惑②】&伊豆【願成就院】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_3.html

箕輪初心★源頼朝21【正妻:北条政子】結婚~恐妻~尼将軍
http://53922401.at.webry.info/201502/article_4.html

箕輪初心★源頼朝21【義弟:北条義時】:武家政権確立&
伊豆『北条寺』
http://53922401.at.webry.info/201502/article_5.html

箕輪初心★3代目執権【北条泰時】:御成敗式目の作成
http://53922401.at.webry.info/201502/article_6.html

箕輪初心★鎌倉幕府の執権:北条氏一覧
http://53922401.at.webry.info/201502/article_7.html

箕輪初心▲源頼朝21【狩野茂光】&伊豆【狩野日向館】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_9.html

箕輪初心★源頼朝25【武闘派:加藤景廉①】&伊豆の墓
http://53922401.at.webry.info/201502/article_10.html

箕輪初心★源頼朝25【武闘派:加藤景廉②】&伊豆の墓
http://53922401.at.webry.info/201502/article_11.html

箕輪初心▲源頼朝26【田代冠者信綱】&伊豆の田代砦
http://53922401.at.webry.info/201502/article_12.html

箕輪初心▲源頼朝27【武闘派:天野遠景】:狩野茂光の娘婿?
http://53922401.at.webry.info/201502/article_13.html

箕輪初心★源頼朝28【大見家政&家秀】&伊豆【大見城】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_14.html

箕輪初心★源頼朝29【側近:近藤七国平】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_15.html



◆参考文献・図書
・伊豆武将物語:小野眞一著


◆参考サイト
・ウィキペディア他



★明日は工藤祐経か曽我兄弟かな?

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック