箕輪初心●箕輪城130「長野業正の生涯」=武田信玄を悩ませた人物

長野業正の人物像は、非常に想像し難い。唯一残っている
文書は、天文3年(1534) に、長野業政が榛名神社の春祭り
に禁令を出したのが長野業正の唯一の古文書である。小説に
表れた長野業政は全て、虚構?あるいは、偶像であるにして
も、凄い人物である。武田信玄は長野業正を味方に引き入れ
ようとした。でも、味方しなかった。武田信玄は、「長野業
正一人が上野にいる限り、上野を攻め取ることはできぬ。」
と嘆いたと言われる程、長野業正は武田信玄をてこずらせた。
長野業正の死を知ると、武田信玄は大いに喜び、「これで上
野を手に入れたも同然だ。」と述べたという。軍をすぐに上
野に向けたという。武田信玄は3年後に箕輪城を攻略した。
攻略に9年もかかったのだ。長野業正は確実に上州の最大有
力武将であったことには間違いないのだ。
 
画像

 (★長野業正の木造)
 高崎市箕郷町原山の長純寺



***********最近の箕輪城シリーズ*************************
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・飯森・久保田
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箕輪初心●箕輪城№94『岡田氏』『多胡氏』『久保田氏』『関口氏』
http://53922401.at.webry.info/201212/article_25.html


****井伊直政シリーズ*******************************
◆◆ 箕輪初心●箕輪城「井伊直政」 ◆◆
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http://53922401.at.webry.info/201011/article_25.html

◆◆ 箕輪初心●井の国千年物語前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の箕輪城時代の家臣団 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_15.html

◆◆ 箕輪初心●静岡:井伊直政の井伊谷城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_5.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の造った町:高崎&彦根 ◆◆
高崎高校 VS 近江高校
http://53922401.at.webry.info/201203/article_28.html

◆◆ 箕輪初心●中村達夫氏の「井伊軍志」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_14.html

◆◆ 箕輪初心●小和田哲夫氏の「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_13.html
***************************************************

箕輪初心●箕輪城シリーズ⑩「長野業盛」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_14.html

箕輪初心●箕輪城シリーズ55「長野一族の歴史」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201011/article_36.html

箕輪初心●箕輪城シリーズ44「砦群」②箕郷地区
http://53922401.at.webry.info/201011/article_11.html


★★ 箕輪城第3代『長野業政』の生涯 ★★

・延徳2年(1490) 長野業政が誕生。(1510年説もあり?)

・延徳4年(1492) 長野業尚が榛名に長年寺を創建。

・明応6年(1497 ) 長野業尚か憲業は箕輪に長純寺が
   創建(★みさとの歴史)

・文亀3年(1503) 長野業尚が死亡。
 (みさとの歴史)            
  ●長野憲業が家督を継承。

・永正元年(1504) 上杉 VS 北条早雲  
  ・長野房兼が上杉に味方し、討ち死に
  (★近藤先生の群馬県史)

・永正3年(1506)~4年 古河公方内の相続争い

・(1510)  長野業政が誕生?(1490年説あり?)

・永正9年(1512) 長野憲業が、長年寺に壁書を提出。

・永正12年(1513) 上杉憲房(山内上杉家初代)が関東管領になる。

・永正10年(1513) 長野憲業が100疋を榛名神社に寄進。
      大戸城の攻略を祈願
        (みさとの歴史)
  (*海野棟綱の息子?娘婿?真田幸隆誕生・・・・説が4つ。)

※大永元年(1521)  武田信玄が誕生。

・大永4年(1524) 長尾顕景(惣社城:現前橋の総社神社付近)が
     北条氏綱(2代目)に内通した
*北条氏綱が江戸城の奪取

・大永4年(1524)長野方業(左衛門大夫)が箕輪城主と
  して文書を発給している。

・大永6年(1526)長野信業は長子:業氏に
   鷹留城を与えた。
(★群馬県史)

・大永5年(1525) 上杉憲房(山内上杉家2代)が関東管領になる。
    上杉朝興 VS 北条氏 
*長野業政の次男吉業が誕生?

・大永27年(1527)
11月27日・・
 箕輪の長野左衞門太夫方業、総社長尾顕景・白井長尾景誠
 の排除を徳雲軒と謀る。

 長野憲業は、弟の厩橋城主の左衛門大夫方業(方斎)とともに
  惣社長尾顕方が後北条方に通じたことを口実に、領土拡大を目論む。
 ①長野方業=方斎(厩橋城=前橋城)が惣社城長尾顕景を攻撃。
 箕輪城長野憲業+厩橋城長野宮内が、総社長尾氏が挟み撃ち。
 ②→惣社城長尾顕景+白井城長尾景誠が応戦。
 ③→越後の長尾為景(上杉謙信父)に援助要請。
 ④長野方業も長尾に仲裁請求。(群馬県史:近藤氏・峰岸氏)
 (唯一の長野氏関係の文書上の初・・・・秋本氏)
★仲裁には関東管領:上杉憲房か長年寺・長純寺和尚が立った
 のでは?

大永7年(1527)
12月16日・・ 
 箕輪の長野左衞門太夫方業、厩橋宮内大輔とともに総社城
 を攻めすすめる。  

@享禄元年(1528)白井長尾景誠が家臣に殺害された。
    →長尾景誠には男子がないために、跡継ぎ争い。
(※長尾景誠は長野業政の姉が景英に嫁いで生んだ子で業政の甥)
  長野憲業は白井長尾氏の家督相続に介入。
 →惣社長尾氏から長尾景房を迎え白井長尾氏を継がせた。
 白井城長尾景房は惣社城長尾氏とともに山内上杉氏に復帰。
長野憲業が両長尾氏の復帰は関東管領:上杉憲房を動かした
  のでは? 長野憲業は両長尾家に恩を売る形で上に立った
  のでは?
 長野一族は山内上杉氏家の最有力者に台頭したと思われる。
     
     

・享禄3年(1530) 吾妻の戦い
  長野憲業が戦死
   (★みさとの歴史 ★『長年寺本長野系図』) 
墓所は長年寺(群馬県高崎市旧榛名町室田)。
長野業政=業正(=長野方業)説あり・・
 飯森康広先生の説

 *→長野業政40歳?が家督相続 
 (※長尾景虎=上杉謙信が誕生)     
  
・天文3年(1534) ・・・秋本先生・みさとの歴史
長野業政が榛名神社の春祭りに禁令を出す
   (★業政の唯一の古文書・・・・秋本先生)
 
=長野業政が榛名神社に制札を掲げる。
内容①けんか禁止 ②逃亡した下人をとらえる行為の禁止
  ③押し売り行為の禁止(近藤義雄説)
内容①けんか禁止 ②家臣の人身売買為の禁止 
  ③押し買いディスカウントの禁止(久保田順一説)


・天文4年(1535)4月
飯森先生
 □(長野方業) 榛名神社に制札を出す。
(★榛名神社文書)
 飯森先生・・・長野左衞門太夫方業は箕輪城に在城した。


*天文10年(1541) 
真田幸隆が箕輪城に逗留3年間。
 (全小説・TV)
 私見「真田幸隆は羽尾城(吾妻町)から客人として
  来たのでは?運がよければ旗揚げし、滋野一族(海野
  ・禰津・望月・などの一族)の再興を考えたでは?
 そこで、海野幸全(伯父?)の娘をもらったのではない
  だろうか?」
 
 ①海野棟綱(幸隆の父説・幸隆妻の父説・幸隆の養父説)
  ・真田幸隆は
   村上義清・武田信虎に追われ海野棟綱・真田幸隆が羽尾城へ  
  (「真田三代」)
②TV「風林火山」長野業政が、山内(平井城)上杉憲政の家老。」
 私見「家老という言い方は変かも?
  近藤先生は「????」忘れた。
②TV「風林火山」真田幸隆が安中市後閑の長源寺で
  山本勘助を助けた。」     
★私見「山本勘助は56才くらいらしい?
    実際には来ていないだろう?」




*天文13年(1544) 真田幸隆が逃亡。
 ①真田幸隆は小幡信貞と仲良し。
   武田氏24将(渡辺明著「箕輪城興亡史」)
 ②長野業政は、逃亡した真田幸隆を下仁田まで
   追っていき、食料品と幸の品物を届けさせた。
   (まんが箕郷の歴史:近藤先生・田口一郎
      埋蔵文化財主査)
 ③真田幸隆は小幡信貞と長野業政批判で意気投合。
   山本勘助の誘いで金敷平→中善地→駒寄
  →榛名湖から逃亡。(野口泰彦著「小説箕輪城」) 


・天文15年(1546) 川越の合戦
古河公方・山内上杉憲政・扇谷上杉朝定  VS 北条氏康
長野吉業(業政長男)が負傷→死亡
  (★近藤先生の群馬県史他)
  山内上杉(すでに埼玉児玉の雉ヶ岡城→平井城へ)
  は上州一国のみ。


・天文16年(1547) 碓氷峠(笛吹峠)の合戦 
  (本によって年代がまちまち。)
  山内上杉  VS  武田晴信
 (この戦いは年代不明で幻の戦いと英知出版)
・10月4日 志賀城主笠原氏の要請で、
  上杉憲実(平井城)は援護。
 武田軍馬場・山本軍4500人 
    VS 
  山内上杉憲実2万人→結果:武田軍勝利
 ・和田城主和田業行が戦死。
 *長野業政は参加せず。
  →武田が長野業政を配下に勧誘
  →長野業政は断ったとか?(?  )
  
  ・武田晴信が佐久の志賀城:笠原清繁を攻撃。
     笠原軍には上杉憲政も参軍
      (★箕輪城興亡史・小説箕輪城では)
  笠原軍には上州甘楽菅谷城高田?も参軍
      (★志賀城現地案内板では)


・天文17年(1548) 小田井(長野県佐久市)の合戦
    山内上杉  VS  武田晴信
 大河ドラマ7/1・・信玄が小田井の戦いで
    上杉憲政軍に勝利。勘助悪役。 
  結果:武田軍の大勝→3,000人の敵兵を虐殺。
   女子供は人質・奴隷。
   信濃国の国人衆に晴信への不信感を植え付けた。


・天文20年(1551)北条氏康の上州平井城侵攻①3月~4月 
 ①北条綱成の嫡子:善九郎康成は、福島一郎・・
    ら2万余の兵を率いて・・・(中略)・・。
  太田美濃守・長野信濃守・曽我兵部頭・金井小源太
  ・安中越前守・小幡・白倉・沼田・厩橋・新田
  ・赤井(館林城)・佐野・足利(=長尾氏)・桐生
  ・渋川・大胡・山上・後閑・長野などの諸将が先陣と
   後陣に別れて、出陣した。
 3月10日の一戦では、上杉方が勝利したが、・・。  
  北条康成は18歳であるが13人を切り倒した。
  ・・深追いは禁物と引き上げた。
        (★関東古戦録 久保田順一訳)
 ②氏康20000 VS  関東管領上杉憲政4000
  *長野業政2000の軍勢で応援→落城せず。
 *上泉伊勢守1500で箕輪城の留守番。(★野口先生)
 
 10月 平井城落城 
    北条氏康の上州平井城侵攻

 ①北条氏康は再び、上州攻撃を決めた。
  上杉憲政は、お触れを出したが500騎しか集まらなかった。
  憲政は岩槻城(太田道灌の子)か箕輪城(長野)に籠もる
   か迷ったが、曽我・・・三田・・・本庄らが
  「越後の長尾景虎が若輩ながら、知勇に優れているという
   噂がある。父為景は上杉顕定公を討った逆臣ですが、
   元々は上杉の家臣。」
   春日山城の長尾は温かく迎えてくれた。
       (★関東古戦録 久保田順一訳)
 ②平井城の上杉憲政に長野業政が
   「長尾為景を頼れ。」箴言。
   上杉憲政は倉賀野氏に応援依頼。
  龍若丸を目方に依頼。・・・北条が平井城に進撃。
   長野は箕輪城に戻る。真田幸隆は昔の恩義で
  心配。山本勘助は北条に使者に
  「嫡男を北条に。(3国同盟へ)」上杉憲政が越後に逃亡。
  長尾影虎は丁寧に迎えた。
   目方は憲政の竜王丸を北条に差し出す。
    (★大河ドラマ9/18)
 ③長野業政は上杉憲政を箕輪城に呼ぼうとした。
      (★興亡史など3つの本は)
 →しかし、上杉憲政は越後の長尾景虎(上杉謙信)の元に逃亡。
 ④『天文21年(1年後の説)、
   北条氏康は御嶽山城(埼玉県神川村)を攻撃。
   那波城 (群馬県伊勢崎市)の那波宗俊や河西衆
    (利根川西の領主)北条方についた。
  (*河西衆には長野氏も含まれる。)     
    (★群馬県史:峰岸純夫氏)  
  新田・足利の長尾・佐野・桐生・大胡・厩橋は敵だった
   が、一戦もしていない。
  山内上杉氏は、長野氏などの馬回り衆に裏切られ、
   越後の長尾景虎(山内上杉の親戚の越後八海山の麓の
   上杉顕定・房能を殺害し、越後上越・中越を支配)を頼った。        
    (★「新編高崎市史資料編4中世Ⅱより)

・天文21年(1552) 
 1月 上杉憲政は平井城から逃避?(諸説あり。上に記載。)
  「2年間?は、水上か沼田付近で隠れて生活した。」
    (秋本先生「最近の有力説」)
  ★水上の建明寺に、「上杉憲政像」が残存。
  後年、上越高田に御舘建造→
  →結果:平井城が氏康の手中。
   城主は北条氏康の叔父北条長綱。

 4月 長尾景虎(後の上杉謙信)8000は平井城を奪還。 
   城主は長尾謙忠。 
    *北条20000は間に合わず。
   *上杉謙信が箕輪城の長野業政に直接一人で
    会見(★野口氏:小説箕輪城)
   *長野業政は上杉の協力者となる。      
     (★池波正太郎「剣の大地」)

・天文22年(1553)第一次川中島決戦

・天文23年(1554)甲相駿の3国同盟

・天文24年(1555)第二次川中島決戦 
    北条氏康の上州侵攻(18000人?)
   平井城・厩橋城・上泉城・大胡城・山上城は
    北条氏康の手中になった。

・弘治3年(1556) *上杉謙信が城を奪還。
    先鋒は上泉伊勢守(★池波正太郎)

・弘治4年(1557) 第三次川中島決戦
 4月 武田晴信(信玄)の初上州侵略
    ①:西上州侵攻開始・・・失敗。
    松井田城(安中氏)に侵攻 
    武田氏の上州攻略:瓶尻(かめじり)の戦い     
  13000の兵を以って上州に侵入した武田軍は瓶尻
   (かめじり)において長野業政率いる軍と 戦った。
  ★長野業政は全軍の総司令官だが、同心(近藤先生曰く)
  と呼ばれる同盟軍であった。
 67歳?の長野業政は巧みに武田軍の出鼻を挫き、
  全軍に総攻撃を命じた。
 しかし、西毛の諸武将の足並みがうまく揃わず突撃に失敗
  し、武田軍の反撃に会い、長野業政は箕輪城に退却した。
  武田軍は勢いづいて箕輪城を攻撃したが、長野業政の巧みな
  指揮で城を落とすことができず、甲州へ引き返えした。
 ★瓶尻の所在は不明。妙義から松井田にかけた人見城付近
  か磯部西地域か?
 *武田軍は、この戦いで鉄砲
  (天文12年1543年に鉄砲伝来)を使用。
 TV「風林火山」では、山本勘助が根来衆から鉄砲を購入?
 →長野業政は、箕輪城と倉賀野城などの支城網を駆使し撃退。
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・弘治3年(1557) 長野業政が菩提寺:長純寺(高崎市
   箕郷町原山)を再建。(★長純寺文書)
梁14丁、柱78本の寄付を家団にして貰った。   
  

・永禄元年(1558) 着到帳
①一般家臣・・・509人 
②準特別職・・・・83人
②家老・・・・・・・5人
③客分高家・・・・12人
合計・・・・・・609人
★騎馬は4人1組で1500人と推定されている。
●長野業政の親戚筋・・・
★後日紹介


・永禄2年(1559)長尾景虎の第一次関東出兵
 ・長尾景虎は前橋の厩橋城に関東出兵の本拠以降の13回
  ・武田信玄は上州に出兵②
  9月 信玄が板鼻に陣取った際に倉賀野氏従った?  
    →倉賀野氏の内部分裂があったと見られている。
  (★倉賀野の歴史より)
   若田原(高崎市八幡町)の戦い・・・・
    長野業政は武田軍を迎撃し撃退。

・永禄3年(1560) 桶狭間の戦い
※織田信長が今川義元15000を破る
  →今川家が衰退 
※武田信玄家臣真田幸隆の第一次岩櫃城攻め計画
・斎藤憲広 
    VS 
 真田幸隆+甘利昌忠+鎌原宮内少輔幸重(滋野一族支族)
 1)斎藤憲広は、鎌原が信玄方についたのを知り、上杉謙信に
    助けを依頼。
 2)過去に村上義清の塩田城を最後に葛尾城などを捨て、
    越後の上杉謙信に助けを依頼。
 ※長尾景虎の第一次関東出兵
 ★箕輪初心私見「庇護していた上杉憲政の権力の回復。
  +上杉姓のブランドが欲しかった。」
 →長尾景虎の関東への越山。
 (+白井城長尾+総社長尾+足利長尾+長野氏がすぐ参陣)
  景虎は「関東幕注文」を作成したが、箕輪衆、厩橋衆は
  22で、最大規模。
 箕輪衆(箕輪一族:親戚)・・・同じ旗印
  長野業政(箕郷) 長野新五郎  南与太郎(榛東村) 
  小熊源六郎(保渡田砦)
  長野左衛門  浜川左衛門尉(高崎) 羽田彦太郎 
  八木原与十郎(渋川市) 須賀谷筑後守(旧群馬町)

 家臣・同心衆
  長塩左衛門四郎(吉岡町) 
   大戸中務少輔(東吾妻町)
   下田大膳(高崎箕郷支所)
  漆原(吉岡町)  
   内山(?)   
   高田小次郎(妙義町)
  和田八郎(高崎市和田城)   
   倉賀野左衛門五郎(高崎市倉賀野城)  
  依田新八郎(安中市板鼻城)  
  羽尾修理亮(吾妻)
 
 厩橋衆・・・長野藤九郎・大胡・引田(旧富士見村)      
    (★群馬県史)
  
①宮野城(猿ヶ京)→②沼田城→③岩下城(岩島)→
  ④明間城(★東吾妻町の川戸城ではなかろうか?)
 →⑤厩橋城(=前橋城)→⑤那波城:那波氏(伊勢崎)
  →⑥国峯城(富岡):???
  (★千葉県里見一族正木家文書)
 
※武田は西上州の・高田城:高田氏(妙義町)
  ・松井田城:安中氏を攻撃。

・永禄4年(1561)  
2月 上杉謙信は小田原城攻めに失敗。
  鎌倉八幡宮で、関東管領の地位を獲得。
  上杉姓に改称。

 上杉謙信は帰路途中、松山城(東松山市)上田氏を攻略
 ・上杉憲勝が城主。

6月21日*長野業政が死去
  ①説:長野業盛(箕輪軍記・小説箕輪城興亡史)が継ぐ。
  ②説:長野氏業(群馬県史の近藤先生は業盛=氏業)が継ぐ。
★長野業盛=長野氏業
※死亡を隠していたが、武田信玄にばれてしまった。
 風雲=不運、急を告げる。
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 (★浜川来迎寺の業正の墓伝)


・永禄9年(1566)9月29日 箕輪城が落城
長野業盛は箕輪城御前郭持仏堂にて自刃。
 箕輪城への籠城策をちったが、すでに兵力が足りず防戦は
 困難なものだった。
箕輪城落城について甲陽軍鑑は、「二万の兵で攻め、長野信濃守
(業政)の女房、子供を悉く成敗した。」と記している。
 武田信玄は長野旧臣として上泉信綱、花形勝業、町田吉信、
 八木原家方、矢島貞勝らを登用した。
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(★長純寺供養塔)
 

【3】長野業政の政略結婚
●妻・・・①沼田顕定{沼田城}の娘の説
      (野口泰彦「小説箕輪城」・上州路)
     ②上杉憲政{平井城}の妹の説
       (池波正太郎「剣の大地」)
●側室6人?・・大胡城{前橋市}
    ・・上泉伊勢守信綱の妹(池波正太郎)
     (→上泉城の立て看板?)   
  ★私見「根拠不明・・・・養女もいたのではないか?」
 
●姉・・・白井城{渋川市}・・長尾景英の妻(県史・野口先生)
●妹・・・大柏木城(東吾妻町)
      元総理大臣羽田孜氏家系図
●娘12人+α
1)「長野氏興廃史」斎藤平治郎著+近藤先生「群馬県史」説 
 ①小幡城{富岡市}・・小幡重貞
   (★重定・信貞・信定・・・武田の「信」)
②宮崎城{富岡市}・・・小幡図書介:信貞従兄弟
 *丹生城・宇多城に小幡・・・(上毛古戦記P104)
 *小幡城に小幡
  (この時はないので、変?もしかしたら、あるお寺とか)
  「長野記?」 
③武州忍城{埼玉行田}・・・・・・・成田氏
    私見「武州に? 時代的に見て、夫は小田原北条征伐
    の時に城主成田氏長(甲斐姫父)の父か?」
  忍城の学芸員等に確認したが、資料はなかった。
   →場所的に遠いので、無理があるのでは?」 
④山名城{高崎市}・・・・・木部範虎   
⑤大戸城{吾妻郡}・・・・・大戸中務少輔
 *大戸氏は1560年の文献に出てくる 
⑥和田城{高崎市:高碕城}・・・・和田業繁?  
*和田業繁・・・・(上杉家文書に出てくる名前)
⑦倉賀野城{高崎市}・・・・・・・・・倉賀野氏
⑧鷹ノ巣城{安中市}・・・依田(あしだ)新八郎
 ★私見「依田氏はこの時、後閑城かも知れない?」
  (後閑城看板)
⑨羽根尾城{吾妻の羽尾}・・・・・羽尾氏
  「羽根尾城は羽尾幸全・幸光築城。
   (★羽尾城前の墓石の表記)
  私見「羽尾幸全の可能性が高い。弟:海野幸光は、
   岩櫃城の家老・・・・「真田三代」?
  1541年の真田幸隆の逃げ延び先で、妻は海野の
  幸全の娘
⑩浜川城{高崎市浜川町}・・浜川左衛門尉(近藤先生)
  浜川左衛門尉は、1560年の謙信の関東出陣メンバーである。
  *安中城{安中市}・・安中忠正
   (★長野氏興廃史斎藤平治郎著)  
⑪厩橋(まやばし)城{前橋県庁}・・長野方業:業政叔父
⑫鷹留城{高崎市旧榛名町宮沢}・・・・長野業通:業政の甥
●近藤先生の変更:2009年11月15日 かみつけ塾講演会
①長女・・・・松枝(松井田)城主:安中越前守忠政
②・・・・・安中城主:安中左近太夫忠成
③・・・・・家老田嶋時吉
④・・・・・木部宮内少輔定朝  
⑤・・・・・大戸城主:大戸左近兵衛 
 ⑥・・・・・和田城主:和田業繁 
          (上杉家文書に出てくる名前)
⑦・・・・・倉賀野城主:金井淡路守景秀
⑧・・・・羽根尾城{吾妻の羽尾}主:羽尾氏
⑨・・・・浜川殿{高崎市浜川町}:浜川長野氏(家老:藤井氏?)
⑩・・・・・厩橋(まやばし)城{前橋県庁}主:長野氏
⑪・・・・・鷹ノ巣城{安中市}・・・・・依田氏
⑫・・・・鷹留城{高崎市旧榛名町宮沢}:長野忠業

2)野口泰彦(野口雨情御子息)著「小説箕輪城」説
   =(文書館の●●説?)
  忍城・浜川城・大戸城・羽尾城がなく、
*松井田城{安中市松井田}・・・・・・・安中忠成
  私見「あってもおかしくないが、この時、50歳くらいかも?」
*安中城{安中市}・・・・・・・安中忠正
   私見「安中忠正は忠成の長男・・・変。年齢が?」
*鷹ノ巣城{安中市}・・・・・・・・・・依田光慶
   私見「この苗字は、甲陽軍艦にも出来るらしい?」
*沼田城{沼田市}・・・・・・・・・・・沼田景定
   私見「白井城長尾を超えて、1530年代は無理では?」
*厩橋城{前橋県庁}・・・・・・・・・長尾景面
  私見「長尾氏の城ではない。長野氏の城だから。」
*岡本城{富岡市の高瀬付近}:岡本時連
   (箕郷町柏木沢に岡本姓)
   ・・・・近藤先生の中世古地図より(県史付録)
 私見「武蔵行田の忍城より、説得力があるが不明。」 

3)上毛及び上毛人/上州路説
  長女=  小幡城主・小幡尾張守信貞妻
  次女=  国峰城主・小幡図書助景定妻
  三女=  武州忍城主・成田氏妻
  四女=  木部城主・木部宮内少輔定朝妻
  五女=  大戸城主・大戸左近兵衛妻
  六女=  和田城主・和田業繁妻
  七女=  倉賀野城主・金井淡路守景秀妻
      (★倉賀野16騎の一人。
        武田信玄に味方した。)
  八女=  羽尾城主・羽尾幸全妻
     (TV風林火山では、海野幸全は真田幸隆妻の弟)
  九女=  浜川城主・長野氏家老藤井氏妻
     (★長野氏筆頭家老は浜川砦と考えられる。
        200m×130m)
  十女=  厩橋城主・長野氏妻
  十一女= 板鼻鷹巣城主・依田氏妻
  十二女= 室田鷹留城主・長野忠業妻
  『長野記』や『蓑輪軍記』には小幡信貞(信定・重貞・重定)
    が国峰城主で、景定(景純)が小幡城主。
 ※小幡城は江戸時代に入ってからの築城。
   ×館で・・・家老:熊井戸=岡本半助の父が
    が守っていた。

【系図2「秋間の石井泰太郎氏の長野氏系図】
①長野業行→長男:業高
      ②次男:憲業=信業→③業政→女子12人 
              妹=安中忠政妻
妹=里見義堯妻
女=和田重能妻)
     女=倉賀野為広妻)        
藤井友忠

※長野憲業=長野信業家督は次男業政が継いだ。
  長野業政の子どもは①女=娘11人・・・
女:和田新兵衛朝常妻
女:長尾弾正正景妻
女:沼田万喜斎入道妻
女:岡本兵部少輔持村妻
女:小幡尾張守信定妻
女:小幡図書之助妻
女:木部弾正宮内少輔妻
女:倉賀野淡路守妻
女:安中越前守妻
  ②義樹・・・(養子・信房)石井讃岐守
③業盛→曽平之進
女:・・・舞鶴姫
④宗誉




【5】情報ネット
 ・極楽院の修験者
 ・相模の普化衆(ふけしゅう)の法嗣:湛光風車・風月
  を呼び、箕輪南部に慈上寺を創建した。

【6】用水路の建設  
①長野堰・・・・・
 ②本郷堰・・・S善地駒寄の群馬の松下→梅の木→
    十文字→・・(みさと梅公園脇)・G榛名町本郷 
 ③早瀨川・・12堰(高崎市楽間・南新波・浜川地区)
 ④祭戸用水の可能性もある。
   ★箕輪城の生活用水

【7】親戚・同心家臣団の城砦
*長野業政の勢力圏は、現高崎市・安中市・藤岡市・富岡市
 ・吾妻郡・甘楽郡などで城や砦の類は約300。
 ★山崎一先生の研究では、群馬の城砦約1000の城
 ・砦・館のうち、300砦ということである。
*長野業政直属の兵は約3000ほどではないかと言われ
  ている。(HRIMAYA氏のHP)
  ★根拠がないが城はある。 
 北条氏小田原落城時の記録では3万人の籠城のうち、
  兵は2~3割の7000人程度では?
 井伊家は1600年の関ヶ原の戦いに5000人の兵を出兵。
 長野氏は1500人程度ではないかと推測?
  (★秋本先生)
 この人数は箕輪軍記の数と同じである。


★明日も長野業正かな?

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