箕輪初心●埼玉【猪俣4城】&猪俣邦憲=北条氏滅亡へ?

★猪俣党=藤田は藤田郷(現寄居町・美里町)を支配していた。
猪俣邦憲は豊臣秀吉の小田原城攻撃のきっかけを作った人物
として有名である。猪俣邦憲は伊豆の富永一族の富永助盛で
ある。北条氏邦の奉公人であったという。天正11年(1583)
頃 猪俣氏に養嗣子として入って猪俣範直(のりなお)を名
乗った。天正15年(1587) 箕輪城在番城主・・箕輪城の第
11代城代になった。天正17年(1589)豊臣秀吉の命により
北条氏は沼田の3分の1の真田昌幸領(名胡桃城鈴木主水・
小川城など)利根川西(左岸)への侵入をしないことを約束し
た。しかし、猪俣邦憲は真田領の名胡桃城を攻略した。豊臣
秀吉を激怒→豊臣秀吉に後北条氏征伐の口実を与えてしまっ
た。猪俣邦憲は上州の歴史における重要な武将であった。

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 (★美里ゴルフ場よりの猪俣城)  
児玉郡美里町大字猪俣字城下2076




*******猪俣邦憲の関係********************************    
箕輪初心■箕輪城シリーズ21「第13代:猪俣邦憲」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_35.html

箕輪初心●群馬【名胡桃城②】=北条氏滅亡のきっかけの城
http://53922401.at.webry.info/201202/article_22.html

箕輪初心●岩櫃城探検隊第8弾【中山城2回目】
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201311/article_13.html

箕輪初心■箕輪城シリーズ⑳「第12代:北条氏邦」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201010/article_34.html

*******鉢形城の関係*****************************
箕輪初心●埼玉【第53回寄居北條まつり後編:攻防戦】&
『鉢形城の歴史詳細』
http://53922401.at.webry.info/201405/article_15.html

箕輪初心○埼玉【第53回寄居北條まつり前編①準備~パレード】
http://53922401.at.webry.info/201405/article_14.html

箕輪初心●埼玉:鉢形城4回目:外曲輪~三の曲輪~
二の曲輪~本曲輪
http://53922401.at.webry.info/201311/article_30.html

箕輪初心●埼玉『鉢形城』&北条氏邦の箕輪城の大改修
http://53922401.at.webry.info/201305/article_16.html

箕輪初心●『鉢形城の歴史詳細』&47回寄居北條まつり2008
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201305/article_15.html

箕輪初心◆埼玉『第52回寄居北條まつり2013鉢形城』
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201305/article_14.html

箕輪初心●箕輪城№115【赤備え】&北条三鱗会の井伊直政
手作り甲冑①」
http://53922401.at.webry.info/201311/article_29.html

******鉢形城の支城***********************************
箕輪初心○埼玉【花園城】=鉢形城の支城
http://53922401.at.webry.info/201405/article_17.html

箕輪初心●埼玉【天神山城】=鉢形城の支城
http://53922401.at.webry.info/201405/article_16.html

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【1】猪俣城遠望 
児玉郡美里町大字猪俣字城下2076  
■訪問記・・・平成20年(2008)5月30日
美里ロイヤルゴルフ場オーナーの話
 「発掘調査をした山はあれ。」
 10分も接待して下さった。
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~~~~猪俣城への4コース~~~~~~~~~~~
①鐘衝堂山からのコース・・・一般コース(安全コース)
  円良田湖の北東側に鐘衝堂山があるが、その北の
  尾根続きの山に猪俣城がある。
  下からの比高が130mほどの山である。  
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②西側から登るルート・・・
 県道349号線沿いの円良田湖の北端から200m
 ほどの所に「円良田特産センター」がある。
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 すぐ北側に、川を渡って東側の集落に入っていく
 道がある。すぐにゴルフ場との分岐点があるが、
 ゴルフ場の方には行かず、「この先行き止まり」
 の道を進む。
 すぐに舗装は終わるので、ここから登城。

③高台院コース・・・
やや古い城郭関連の書籍では高台院の裏から登れる
  ように記載されている、
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  美里ロイヤルゴルフ場にぶつかり、登城は出来ない
  とあるが・・・
    
④美里ロイヤルゴルフ場からの楽ちんコース
 ※種々HPには、現在ではゴルフ場が造成され、
  登ることができないので注意してくださいとある。

  ゴルフ場のオーナーに許可を得て、登城するのが、
  楽ちんコースであることがわかった。
  地図で見ると3分の1ほどがゴルフ場に見えるが、
  実際には城址部分は無傷である。とおっしゃって
  いた。

  オーナーも理解のある方で、遺跡として残すことに
  協力してきたのだ。
 
 ★でも、今日は雨が降っているのだ。登山中止。
  


【2】円良田城=虎ヶ岡城遠望 
■訪問記・・・平成20年(2008)5月30日
県道349号線をはさんで、猪俣城と円良田城は向かい
合うような位置関係にある。真ん中は円良田湖である。
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●円良田特産センターの方の話・・・
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 「ハイキングコース」は40分
 コースは2つあったが、雨天のため、訪問を断念。
 でも、円良田城=虎ヶ岡城の近くまでと思い、
 「円良田物産センター」の北の1kmほどの所から
 西に入っていく林道の入口を車で登った。
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 ★舗装された道の林道の途中から城址が望めた。


【3】用土城
■訪問日・・・平成20年(2008)5月30日
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・戦国時代  
武蔵七党の猪俣党の分流の藤田康邦が川越夜戦で
  大勝した小田原北条氏に所属した。  
  北条氏康の3男氏邦を娘:大福の養子に迎えて、
  隠居。用土に新城を築城。
   →用土新左衛門と称して、隠居所とした。

・天正18年(1590) 鉢形城開城。
   用土城も落城→廃城。

・大正5年((1916) 開墾事業で消失。
   
・現在・・・往時を偲ぶものは何も残っていない。
      石碑のみ残存。


【4】白石城           
■訪問記・・・平成20年(2008)5月30日
美里町白石の「光厳寺住職」の話
「前の山は白石城です。」と言われ、びっくり。
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◆◆ 猪俣城の歴史&猪俣邦憲 ◆◆
・平安時代   保元・平治の乱及び一ノ谷の戦い
         猪俣小平六範綱が活躍した。
        
1)猪俣小平太の墓
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 最悪の事態発生・・・車のタイヤが溝にはまった。
 大野宅からスコップを借りた。
 1時間の悪戦苦闘~~~~~~~~。
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  やっと危機を回避。・・・・大野氏に感謝。
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 (★大野家の長屋門)
  
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2)猪俣小平六館跡の碑・・・草ボウボウであった。

3)猪俣範綱の墓・・・苔むした墓が高台院に残る。
  ★源義経に属して平家と戦った勇将だ。
   でも、バッテリーがなくなった。



・戦国時代 
  藤田郷には猪俣氏の居城があった。
  
          
・天文15年(1546) 河越の夜戦
     上杉勢が大敗。
     ・・・上杉憲政は平井城に逃走。
   猪俣氏の分家の藤田重利は北条氏の傘下。
   北条氏康の3男新太郎(氏邦)が長女:大福御前の娘婿
   となった。
   北条氏邦に天神山城と花園城を譲渡。
   北条氏邦は、天神山城は居城に、花園城を支城に。
   北条氏邦は「藤田晋太郎」と名乗り、秩父衆を掌握した。


   藤田重利の本家:猪俣氏も北条氏の傘下になった。
   

・永禄7年(1564) 北条氏邦は天神山城より、鉢形城に移動。
   天神山城・花園は支城となった。
 ★猪俣城、円良田城も北条氏邦の鉢形城の支城になっ
   たんだろう。
 
  ※猪俣城・・・武蔵七党の一党猪俣党の末裔:猪俣範直
      (猪俣邦憲)による築城(伝)。
   
  ★猪俣城は山深い小さな山城なので、籠城の 
     ための詰め城ではないと思われる。
    後北条氏の拠点である鉢形城への連絡用の城と
    して利用されていたようだ。
  
猪俣範直(猪俣邦憲)の出自は富永氏である。
初名は富永助盛(すけもり)と名乗った。

   ★富永氏は西伊豆の土肥の豪族であると
    思われる。富永助盛は富永政家→政辰の身内だ
    と思われる。
富永一族は北条水軍の総裁であり、北条家の№3の
支配地を持っていた。推定8万石? 伊豆の土肥・
   武蔵も領国であった。
    栗橋城や江戸城・・・・。
 

   ★2014年の夏には富永一族を紹介したい。
     もう、文章は去年の秋に書いてある。
   

    富永助盛(すけもり)は奉公人として
    北条氏邦に仕えていた。


・天正6年(1578) 上杉謙信の急死。
   →御館の乱(おたてのらん)

  上杉謙信の養子:上杉景勝(実父長尾政景)
     VS
  上杉謙信の養子:上杉景虎(実父北条氏康)

  越後の御舘の乱では、富永助盛は北条氏邦に
  ついて越後:荒戸城・樺沢城を落城させた。


・天正8年(1580)頃まで 富永助盛を名乗っていた。

・天正10年(1582) 6月織田信長の死→
  「神流川の戦い」
    滝川一益に勝利。
  →箕輪城へ入城。
   北条氏は西上野を支配。
   富永助盛は北条氏邦の右腕として活躍した。

・天正11年(1583)頃 富永助盛は猪俣氏に養嗣子と
   となった。猪俣範直(のりなお)を名乗った。
猪俣城・円良田城・白石城(現美里町)
    用土城(寄居町)の城主になった。
  
    
    猪俣範直は戦功をあげ、北条氏邦より「邦」
    の字をもらった。 
    猪俣範直は猪俣邦憲と改名した。
    
   ★猪俣邦憲は北条氏康の3男北条氏邦の重臣
     となった。

           
・天正15年(1587) 箕輪城在番城主。
  箕輪在番猪俣邦憲(沼田城と兼任)は林に命令
  「真田との戦闘態勢を強化せよ。」
  
   (★唯一の文書:榛名神社?)

 ★沼田城の真田氏攻略後は真田幸隆の弟:
   矢沢頼綱に代わって、北条氏が支配した。
   沼田城主に猪俣邦憲が配置替えになった
   ことを意味する。
   北条氏邦の真田家対抗策であった。
 
  
   北信濃・上野吾妻に勢力を持っていた真田家の
   名胡桃城+岩櫃城に隣接しているので、絶えず、
   紛争状態が続いていた。

・天正17年(1589) 関白豊臣秀吉の裁定
  ・沼田城を含む沼田領の三分の二が北条氏の領土.。
  ・名胡桃城を含む三分の一が真田氏の領土。 

11月名胡桃城事件
  沼田城主:猪俣邦憲は南西の榛名峠城から名胡桃城を
   奪取。
 →結果的に豊臣秀吉の怒りを買い、豊臣家による北条家
 侵攻の口実を作ってしまった。

  ①猪俣範直(邦憲)自身の決断説猪=独断説=通説
 ②北条氏邦・氏政の命令説
 ③徳川家康の陰謀説・・・・真田太平記など
 ★実際は、猪俣邦憲自身の決断で行動を起こしたとは
  思えないが・・・・・。


・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原城攻撃
 ※約20万の豊臣勢は関東の北条方の諸城を揉み潰し、
 小田原を攻囲。北条氏は滅亡。
 北条氏滅亡とともに猪俣城も廃城。

  →戦国の世が終わり、天下が統一された。
  
 ※猪俣邦憲は幕臣として家名を存続した。





    
★明日は埼玉:??城

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