箕輪初心★箕輪城137【長野亀寿丸=鎮良】&『浦野家文書』

永禄9年(1566)長野業盛の子:亀寿丸は和田山の極楽院
(箕郷町西部病院南西1km)に家臣に連れられて避難
した。亀寿丸(永禄6年説2歳・永禄9年説では5歳)
は、後に鎮良と名乗り、極楽院2代目の院主となった。

★長野亀寿丸=鎮良(1562~1607)「浜川道場長野氏
の所有の長野氏系図」などにも名がある。「石井泰太郎
氏所有の長野氏系図」には曾平之進と記されている。
※亀寿・・・別系図では長野信業の長男で早世したに
なっている。 【浦野家文書】①浦野恒彦(のぶひこ)氏、
②浦野安孫(やすひこ)氏の寄贈文書は「亀寿丸が
武田信玄や北条氏邦・徳川家康から庇護を受けた」
という文書である。超一級品の文書でである。

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 (★極楽院の看板)



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箕輪初心◆箕輪城№101『落城悲劇:藤鶴姫の死』
http://53922401.at.webry.info/201302/article_17.html

***********最近の箕輪城シリーズ*************************
箕輪初心★箕輪城136【長野氏業=業盛】:永禄9年箕輪城落城。
http://53922401.at.webry.info/201405/article_10.html

箕輪初心★箕輪城135長野業政&長尾景虎の「関東幕注文」
http://53922401.at.webry.info/201405/article_9.html

箕輪初心★箕輪城134長野業政の直属家臣【長野信濃守在原
業政家臣録=着到帳】
http://53922401.at.webry.info/201405/article_8.html

箕輪初心★箕輪城133【長野業政の政略結婚&有力同心衆・家臣】
http://53922401.at.webry.info/201405/article_7.html

箕輪初心★箕輪城132『長野業政の系図&長野一族
http://53922401.at.webry.info/201405/article_4.html

箕輪初心★箕輪城131&芝桜公園&松之沢百観音&ツツジの郷
http://53922401.at.webry.info/201405/article_3.html

箕輪初心●箕輪城130「長野業正の生涯」=武田信玄を
悩ませた人物
http://53922401.at.webry.info/201405/article_2.html

箕輪初心★箕輪城129【2代目:長野憲業のリニューアル版】
http://53922401.at.webry.info/201405/article_1.html

箕輪初心★箕輪城128【築城年代7説】:私見は長野業尚1477年説
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箕輪初心●箕輪城127【富原道晴氏の縄張り図4種&
My鳥瞰図】
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箕輪初心★箕輪城126【奈佐勝皐「山吹日記」の中の箕輪城】
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箕輪初心★箕輪城125【最新パンフレット】&近くのお薦め
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箕輪初心●箕輪城124【桜満開の二の丸~大手丸戸張】
&『箕輪亭ランチ』
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箕輪初心★箕輪城№123【秋本太郎先生現地説明会】20140326
http://53922401.at.webry.info/201403/article_29.html

箕輪初心★箕輪城№121【金龍寺】=長野業政の鉄砲方:
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箕輪初心★箕輪城121【長純寺】=長野業政の木造&供養塔
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箕輪初心★箕輪城120『箕輪城稲荷曲輪堀』と箕郷梅公園
http://53922401.at.webry.info/201403/article_26.html

箕輪初心★箕輪城118【2014年3月の雪解けの箕輪城】
http://53922401.at.webry.info/201403/article_17.html

箕輪初心★箕輪城117【長野家侍大将:安藤九郎左衞門】
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箕輪初心●箕輪城116【12月新状況&2014年1月1日初登城】
&井伊直政手作り甲冑②
http://53922401.at.webry.info/201401/article_1.html

箕輪初心●箕輪城№115【赤備え】&北条三鱗会の井伊直政
手作り甲冑①」
http://53922401.at.webry.info/201311/article_29.html

箕輪初心●箕輪城№114『2013年第11回箕輪城祭り』写真集
http://53922401.at.webry.info/201310/article_28.html

箕輪初心★箕輪城113川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201310/article_8.html

箕輪初心●箕輪城110 :秋本太郎先生①
「本丸西虎口&郭馬出」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_22.html

箕輪初心●箕輪城107【郭馬出】=城門復元2018年度完成予定
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201306/article_9.html

箕輪初心●箕輪城№105久保田順一先生「箕輪城と長野氏」
http://53922401.at.webry.info/201305/article_26.html

箕輪初心:箕輪城102「2013箕郷狐の嫁入り&農大二高」
http://53922401.at.webry.info/201310/article_7.html

箕輪初心★箕輪城101「長野氏」の研究:近藤・山崎
・飯森・久保田
http://53922401.at.webry.info/201310/article_6.html

箕輪初心●箕輪城№94『岡田氏』『多胡氏』『久保田氏』『関口氏』
http://53922401.at.webry.info/201212/article_25.html


****井伊直政シリーズ*******************************
◆◆ 箕輪初心●箕輪城「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201010/article_40.html

http://53922401.at.webry.info/201011/article_25.html

◆◆ 箕輪初心●井の国千年物語前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の箕輪城時代の家臣団 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_15.html

◆◆ 箕輪初心●静岡:井伊直政の井伊谷城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_5.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の造った町:高崎&彦根 ◆◆
高崎高校 VS 近江高校
http://53922401.at.webry.info/201203/article_28.html

◆◆ 箕輪初心●中村達夫氏の「井伊軍志」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_14.html

◆◆ 箕輪初心●小和田哲夫氏の「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_13.html
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箕輪初心●箕輪城シリーズ⑩「長野業盛」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_14.html

箕輪初心●箕輪城シリーズ55「長野一族の歴史」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201011/article_36.html

箕輪初心●箕輪城シリーズ44「砦群」②箕郷地区
http://53922401.at.webry.info/201011/article_11.html
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★★ 長野亀寿丸=鎮良 (1562~1607) ★★
・永禄4年(1561)亀寿丸が生まれた。

・永禄6年(1563)2月26日、・・・実際は永禄9年(1566)
 箕輪城の落城時、家臣:藤井忠安・阿保清勝・矢島善兵衛
 友房らに連れられ箕輪城を脱出した。
 この時、2歳であった。実際は5歳である。


箕輪初心の推定経路

①御前曲輪持仏堂。
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 ★しかし、長野時代には御前曲輪そのもが
 なかったであろう。長野時代はおそらくは
 現御前曲輪は玉置山に接していて、現御
 前曲輪北堀はなかったと考える方がよいだ
 ろう。

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②箕輪城本丸
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③現大手虎蹈門付近(長野時代の搦め手?
 ~埋門~
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 ★井伊時代に作られたものであろうが、
 長野時代にも鷹留城への抜け道があったので
 あろう。藤鶴姫もこの辺りを通ったであろう。

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④榛名白川の左岸
★かつては榛名白川は河岸段丘下を
  流れていた。
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 (丸戸張り=搦め手口の北西100m地点)
 ~榛名白川
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 (★金敷平との境:城見橋からの箕輪城)

⑤中洲=今の箕郷ふれあい公園

⑥車川を渡河した。

⑦富岡砦(仮称)下~
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 (★長野憲業がいたとされる富岡
   車郷小学校&飯守神社方面)
⑧富岡の童子砦横

⑨富岡の稲荷砦横
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 (★富岡の稲荷砦・奧は童子砦・富岡砦?)
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(★現みさとおおはし・・・
 和田山入り口・榛名白川から見た箕輪城
  箕輪城から約1km地点)
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 (★現みさとおおはしから見た極楽院
   真ん中の杉林・・・500m先)

⑩和田山の熊野神社横
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 (★和田山熊野神社)
 ★おそらくは熊野神社の榛名白川よりを
  通ったのであろう。

⑪和田山
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 (★和田山の見山宅となり)


⑫和田砦
★着到帳には清水玄蕃がいた。
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 (★和田砦)
 
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 (★和田砦:福田宅)
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 (★和田砦:松本宅)
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 (★和田砦から見た極楽院の杉林) 


⑫●和田山の極楽院に匿われた。
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 (★10年程前?の極楽院)
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 平成26年(2014)5月10日
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【系図4】「和田山極楽院長野系図」
極楽院長野正夫氏所蔵文書{箕郷町誌}」
(★関係ないけど、父は長野正夫氏に高等科で2年教わった。)
乙業→尚業(鷹留城・長年寺)・→憲業
  →憲業の弟・信業→長男:亀寿(早世)
           次男:業氏(三河・伊予守)
              →業通→業康                                   
→吉蔵
              →吉三郎
              →業固
              →大森
              →女子2人 
  ~~~~~~~~~~~~~
   →信業3男?:業政→吉業(沼田腹、16歳で卒)
            →女10人
            →業盛(保渡田腹)→亀寿丸:(鎮良)
            →女2人
   →憲業4男:直業・・→勝業(方業の養子)
               →新七郎
               →新八郎
        ・・・・→女子   
   →憲業弟方業
     ・・・・・→業吉(高浜居住)・→氏業
              →女子  
     ・・・・・女2人
  


 ※石井系図は下仁田に逃げたのである。 



◆◆ 浦野家文書 ◆◆
①浦野恒彦(のぶひこ)氏・・・・・・・・115点の文書
②浦野安孫(やすひこ)氏=恒彦氏従兄弟:約4000点
③長野正夫氏=極楽院受給文書・・・高崎市箕郷町和田山
 写しがある・



浦野2家伝来の極楽院受給文書・・21点の一部より抜粋
群馬県立文書館の「秋山正典氏」の訳である。


浦野安孫(やすひこ)氏の極楽院受給文書の新発見=最重要
● 「足利義昭→聖護院」
・永禄10年(1567)(秋山説)5月19日の
 「足利義昭御内書」

任鴻信染帋毫候彼亀寿事(=長野業盛=氏業の子:鎮良)
信玄依為敵筋者被属御門弟儀
御斟酌尤存候併分國中彼徒
不恐申軍働依申一旦雖加誅罸
悪其罪不悪其人者智者金言
三尺験重信玄茂不便二存行之
  取立可遣之由相聞へ更後難
沙汰不可有之候条任頼申一二
吹聴候也謹言
  五月十九日   足利義昭花押
聖門(=聖護院)
待中 
 
 内容・・ 足利義昭が聖護院に依頼し、
      極楽院安堵と亀寿庇護を武田信玄に要請。
★飯森氏「初公開の資料で、大変重要である。」
 

良雲法印は武田信玄を恐れ、将軍:足利義輝を介して
 亀寿丸を聖護院道澄親王の弟子とした。と考えるのが
 よいだろう。
 



・極楽院開山良雲法印に師事した。
・名前を「豊前」と改めた。

 



●足利義昭→聖護院&武田信玄→
         武田信玄→極楽院

・永禄10年(1567)(秋山説)8月4日の「足利義昭御内書」
内容・・聖護院が極楽院を「上野年中行事職」に任命。
足利義昭が武田信玄にも通達した。


・永禄10年(1567)(秋山説)9月5日の
 「足利義昭への聖護院の返事」
 内容・・足利義昭御内書の返事=足利義昭家臣の
  曽我と朽木宛



● 武田信玄→極楽院
・永禄11年(1568)(秋山説)1月23日の
 「武田信玄の極楽院安堵書」
  極楽院受給文書写しである。
  ・・・高崎市箕郷町和田山
 武田信玄が寺領を寄進し、庇護した?
 (★箕郷町誌)
画像
 

小幡憲重?小幡信貞?の口添えがあったらしい。
  小幡重貞=信貞甥の子:亀寿丸を助けたかった
  のであろう。・・・小幡信貞の妻は長野業政の長女
  が有力説である。武田信玄から、妾を紹介された
  が、妻が自害するからと言って、妾を貰わなかった。
  武田信玄は晴信の諱「信」をあげた。
  小幡信貞はこの後、24将に任じられた。
  国峰城・・・実質4万石?になった。




●織田信長重臣:滝川一益→極楽院
・天正10年(1582) 3月28日の
    「上野年中行事職の安堵状」

●北条氏邦→極楽院
・天正10年(1582) 7月11日の
「上野年中行事職の安堵状」


●徳川家康→極楽院   
・天正20年(1592)1月23日 「徳川家康→極楽院」
北条家から徳川家康に支配が移った後の
徳川家康の安堵状。
※長野正夫氏の徳川家康の御朱印状と同じ。
徳川家康からも庇護された。
上野国年中行事職先達=「伝灯正大先達大律師法印鎮良」
(★浦野家文書:群馬県立図書館の双林:秋山正典氏)
(吾妻の大乗院にある徳川家康の黒印状 )

・???? 良雲法印没後、極楽院2代となった。


・慶長5年(1600)9月11日の「極楽院→徳川家康へ発給」
 「関ヶ原の戦いの戦勝祈願」の守札の持参したことに
  対し、御黒印を賜った。
 ※徳川家康の黒印状の写しが極楽院にある。
  関ヶ原合戦時に随行した。

・慶長5年(1600)
 箕輪城落城時に同行した家臣:阿保清勝の兄:正親の
 娘を娶った。
5人の子があったという。



・慶長12年(1607) 3月1日・・・・46歳没。


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※「石井泰太郎氏所有の長野氏系図」には曾平之進と記されて
いる。系図は藤井忠安・阿保野弥左衞門清勝・矢島善兵衛友
房らに匿われ、富岡の宇田村に逃げ、後に下仁田で医師にな
った。 (★箕郷町誌:近藤義雄著)


●長野見意・・・・★長野業政の末裔。
水戸天狗党の下仁田戦争
▲幕命を受けた高崎藩・小幡藩・七日市藩は宮崎で会議を持った。
会田孫之進は小幡藩・七日市藩に先峰を頼んだが、
「武器がないため、・・。」とことわられた。
高崎藩は藩兵3隊320人余りの追撃隊を下仁田に向かわせた。
◎その頃、桜井弥右衞門宅では、有賀・杉原・富永・長野・小林
らが集まって会議を持った。
「女子どもは山に避難させ、若い者は村の警護をする。」
「下仁田には泊まらないで欲しい。」と懇願することになり、
長野見意(★箕輪城主:長野業政の子孫)と小林多治見が水戸
水戸天狗党に会いに宮崎に向かった。宇芸神社で水戸天狗党と
であった。
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箕輪初心◆水戸天狗党3の2『下仁田戦争の詳細編』
http://53922401.at.webry.info/201303/article_26.html
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★明日は?

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