箕輪初心★箕輪城128【築城年代7説】:私見は長野業尚1477年説

箕輪城の築城は一般的には、1500 年頃としている。しか
し、私は箕輪城の築城年代を文明9年(1477)かこれ以前と考
えている。「文明9年(1477)広馬場の戦い(榛東村)は箕輪城か
ら北北東3~4kmであった。山内上杉顕定+長野業尚 VS
長尾景春+古河公方であった。山内上杉顕定の平井城の拡
張工事や詰め城:平井金山城の築城とも年代が近い。この
戦いのため、箕輪館か箕輪城を築城したのではないかと考
えている。

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 (★椿山砦)
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 (★椿山から椿名沼&木俣曲輪方面の眺め)
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 (南からの椿山砦)
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 (西からの箕輪城全体の眺め)


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****井伊直政シリーズ*******************************
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◆◆ 箕輪初心●井の国千年物語前編 ◆◆
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◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の箕輪城時代の家臣団 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_15.html

◆◆ 箕輪初心●静岡:井伊直政の井伊谷城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_5.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の造った町:高崎&彦根 ◆◆
高崎高校 VS 近江高校
http://53922401.at.webry.info/201203/article_28.html

◆◆ 箕輪初心●中村達夫氏の「井伊軍志」 ◆◆
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◆◆ 箕輪初心●小和田哲夫氏の「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_13.html
***************************************************

箕輪初心●箕輪城シリーズ⑩「長野業盛」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_14.html

箕輪初心●箕輪城シリーズ55「長野一族の歴史」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201011/article_36.html

箕輪初心●箕輪城シリーズ44「砦群」②箕郷地区
http://53922401.at.webry.info/201011/article_11.html
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【1】1477年かそれ以前の説:箕輪初心・久保田順一先生
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箕輪初心★長尾景春:関東下克上で従兄弟:太田道灌
と交戦
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201311/article_31.html
***************************************************

・文明9年(1477)
1月 五十子の戦い 
  長尾景春 VS 上杉顕定
 長尾景春は2500騎を率いて五十子陣を急襲した。
 上杉顕定と上杉定正は大敗を喫して敗走。・・・
 顕定と定正は上野平井城に逃れた。
 18年間、上杉氏の対古河公方戦の最大の防御拠点だった
 「五十子陣」は長尾景春に落とされてしまったのである。
 
 長尾景春は、上杉氏と敵対する豊島泰経・豊島泰明
 ・千葉孝胤・那須明資・成田正等らとも同盟を結んだ。
 特に旧領を太田氏に奪われていた南武蔵の豊島氏は喜んだ。
 ★豊島氏はかつて、新田初代:新田義重の母になった
 一族で、鎌倉時代の名門であった。
 石神井城と練馬城(練馬区)に豊島泰経、平塚城(東京都北区)
 に弟の泰明が太田道灌の領地をとって返り咲いた
 豊島一族は江戸城と河越城・岩槻城との連絡線を断った。
 
 太田道灌は今川氏の内紛介入のために駿河に滞在していた。
 太田道灌は相模、房総地方の鎮圧にも奔走せざるえなくなった。
 太田道灌は長尾景春と戦うざるを得なくなったのだ。
 
※戦線は相模国から下総国に至る関東一円にと拡大していった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
扇谷上杉家の家宰:太田道灌が武蔵に攻め込んできた。

3月 太田道灌は溝呂木城と小磯城を落とした。
 さらに小沢城を攻撃・・
 長尾景春が援兵を送った。
 太田道灌は一旦兵を引いた。
 小机城の矢野兵庫が出陣して、太田道灌の河越城攻撃した。
 太田資忠(道灌の甥)と上田上野介が撃退した。

4月 江古田・沼袋原の戦い
太田道灌 VS 豊島一族
  太田道灌は上杉朝昌:三浦高救らの援軍を得た。
  平塚城城下を焼き払った。
  豊島泰経・泰明を待ち伏せて50騎で200騎の豊島勢を
  打ち破り、泰明を討ち取った。
  太田道灌は泰経を追って石神井城を囲んだ。
  豊島泰経の石神井城を攻め落とした。
★石神井城もそのうち掲載予定。

 鉢谷原の戦い
  長尾景春 VS 上杉顕定と上杉定正軍
 長尾景春は五十子を出陣して利根川を渡り、鉢谷原で攻めるが
 撃退された。

  5月13日  
 太田道灌は上杉顕定・上杉定正と合流した。
   五十子(埼玉県本庄市)を奪回。
 太田道灌は五十子に着陣した。
 長尾景春は鉢形城にひとまず退却した。
 
 5月14日未明、太田道灌は上杉軍を率いて鉢形城へ向けて
  移動を開始した。
  
 長尾景春は「五十子の陣」を奪還した上杉軍を迎え撃つべく
 出陣した。景春は上杉勢の進路を防ぐため、用土原:針ヶ谷
 に移動した。
 
 しかし、これは太田道灌の陽動作戦であった。 

 用土原(埼玉県寄居町)の戦い
  長尾景春 VS 太田道灌・上杉顕定・上杉定正・長尾忠景
  
 太田道灌軍・両上杉軍・長尾忠景軍は一気に長尾景春軍
 をめがけて突撃した。
 長尾景春軍は完全に意表をつかれた。
 ★長尾景春の戦いの中で「用土原の合戦」は最も激しい合戦
 であった。多数の死者を出して大敗した。
 長野為兼も戦死した。
 ★私見:長野家の「兼」のつく一族がいた。おそらくは
  厩橋=前橋系?と推測している。
 
 長尾景春は鉢形城に逃げ込んだ。

 太田道灌の参戦で長尾景春軍は各地で敗れた。
 次第に、長尾景春の勢威は衰退していった。 
 しかし、長尾景春は足利成氏の支援を受け、太田道灌と戦い
  続けた。


7月 荒巻の合戦
 長尾景春の要請により、古河公方:足利成氏が長尾景春へ
 の援軍として、那須・佐々木・柳田・一色の諸将を
 「群馬郡滝」に布陣させた。
★私見「群馬郡滝」=船尾滝(現榛東村~伊香保への途中)
※長尾景春の白井城&上杉軍がいる五十子の陣の間の説
  
古河公方は、「児玉の陣」と「白井城」との連絡を遮断する
作戦を計画たてた。
 
太田道灌は、上杉軍主力を白井城に向けた。
太田道灌は荒巻(★前橋市:群馬大学付近)に布陣した。
古河公方の行動を牽制した。 
長尾景春は同族の越後の長尾為景(上杉謙信の父)にも援軍を
要請した。

塩売原の合戦
長尾景春は、結城、那須、佐々木、横瀬らを率い、太田道灌の
荒巻の陣に進軍を開始した。 
太田道灌は決戦を避けるべく「塩売原」に陣を移動した。
※「塩売原」・・・現在では特定できていない。
★おそらくは前橋市惣社か吉岡町の一部であろう。
 
長尾景春も「塩売原」に布陣した。
 
広馬場(群馬県榛東村)の戦い
山内上杉顕定+長野業尚 VS 長尾景春+古河公方
(★関東古戦録:久保田順一訳)

★箕輪城から3~4km。・・・
つまり、藤岡の平井城&渋川の白井城はちょうど中間地点で
ある。・・・もしかして、箕輪城はこの年に、長野業尚の
よって、築城されていたのではないかとう勝手な説を
私は考えている。
  

1ヶ月間対陣するが、決着がつかなかった。
※足利成氏も古河から前橋の惣社付近まで、応援に駆けつけた。

11月 双方撤兵。

長尾景春は鉢形城に戻った。

「古河公方」が軍を引いた。
長尾景春は孤立してしまった。

太田道灌は「鉢形城」に総攻撃を加えた。
長尾景春は必死で抵抗した。
しかし、太田道灌軍の攻撃を支えきれず、
長尾景春は鉢形城を放棄して秩父へ落ち延びた。 

しかし、再び足利成氏が8000騎を率いて出陣したため、
  太田道灌は撤退した。
(★関東古戦録:久保田順一訳などを参考に編集)



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○→この時点では、箕輪城築城は不明であるが、長野一族
 は守りの必要に迫られた。長野業尚が箕輪城は小規模な
 城を造ったであろう。本丸・御前曲輪あたりだけの規模
 か、または南東部の蓑の右の椿山は砦であったのではな
 いか?と考えている。
 この頃、中世古城が造られた時代で、上杉顕定にもう仕えて
いるからである。
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★★ 箕輪初心私見・・・築城理由
長野郷浜川から見ると、盛り上がった地形である。
 井野川と榛名白川に囲まれた長野郷を遡ると、
  展望のよい地形にでる。そこは椿山である。
 椿山から玉置山(標高274m?284m?)で、
  あまり高くはない場所であるが、榛名白川と天神川
 ・井野川に挟まれて守り易い地形である。  
 当時、白川が城に接近していたのではないか?
・南は椿名沼(現在は箕輪小学校の庭)だし・・・。


鷹留城(榛名町宮沢・・・山中で攻めにくい城)と
    セットで築城したのではないだろうか?
平井城と金山城の関係みたいに上杉顕定を参考にしたの
 ではないろうか。
平井城は永享10年(1438)、鎌倉公
方:足利持氏と関東管領:上杉憲実の間に確執が生じ、
身の危険を感じて雉ヶ岡城・深谷城から上杉憲実は平
井城に逃れた。通説では上杉憲実が家臣:長尾忠房に築城
させたといわれている。この後、足利持氏VS上杉憲実+
幕府の連合軍の間で永享の乱が起きた。上杉憲実方が勝利
した。文正元年(1466)関東管領:上杉顕定は平井城を拡張
したという。続いて、応仁元年(1467)、上杉顕定詰め城の
平井金山城を築城した。
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 (★鷹留城の遠望)

東山道に近いので、緊急時に移動しやすい場所を選んだ
 のではないか?


板東⑯番長谷寺(旧榛名町)→板東⑮番水沢寺(吉岡町?)
    の中間地点でもある。


○平成26年(2014)3月26日
★久保田順一先生と話した。
「久保田先生は・・・長野郷の中心は坂東の寺:白岩~水沢
 に街道があり、箕輪が中心だったとおっしゃっていました
 が、私は箕輪城は広馬場の戦いがあった時には、箕輪城
の原形があったのではないかと考えています。例えば、
椿山が館で、詰め城がその近くにがあったと考えていま
す。ですから、私は箕輪城築城は1477年かその前と考
えていますが、いかがでしょうか
。」
と質問した。
久保田順一先生が私の質問に答えて。
「私もすでに館があったと考えています。
 ・・・・・何らかの館はあったでしょうね。」
 長野郷は上野で一番広かった。・・・
 鎌倉時代から、坂東の15番白岩~16番水沢を
繋ぐ交通の要所でありました。1477年頃に、箕輪に
長野氏の館があったと見るべきでしょうね。城はあったか
どうかは不明ですが、椿山に砦のようなものはあったで
しょうね。」

(★平成26年(2014)3月26日の久保田先生の答え)
★久保田順一先生は関東古戦録の訳した先生なのだ。
・・・などなど話した。
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(★この中に久保田先生と秋本先生がいる。)
 

【2】1477年~1497年説・・・秋本太郎先生の以前の説
 秋本太郎先生は2008年に明言(箕輪城の発掘9年) 
1497年 長野信業が現高崎市箕郷町原山に長純寺を
 建立。
「築城の資料がないので不明。業尚か憲業が1480~
 90年代には築城したのではないだろうか?」
箕輪城築城理由は地形的理由・長野氏は浜川にいて、
 守りやすい蓑形の地形を選択→箕輪。
 →箕輪城築城・鷹留城築城は1480年代か?
「長野時代の城は大手口は東側であるとする見方が多いが、
 惣社城長尾氏を見据えての考えか? 
 しかし、確実な根拠は、発掘していないので、断定でき
 ない。」(★秋本先生)
※城が先か菩提寺が先か?・・・城が先だと思う。
  確実に言えるのは、
「1497年前には築城?1477年~1497年
 長純寺の間だ。」
と資料から解る。(★秋本先生説に賛成)
しかし、現在、秋本先生は1500年頃と箕輪城の
新しいパンフレットに書いている。

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【3】延徳4年(1492)説・・・・近藤義雄先生説  
1992年に示唆した。「長年寺建立。」
 ★長年寺の長野氏の墓の説明書き
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【4】明応5年(1496)説・・・・石上寺記の説


【5】明応6年(1497)説・・・・??先生
     「菩提寺:長純寺建立。」


【6】1500年頃説・・福島武雄説1929・秋本説
 「長野業尚は椿山に築城→長野信業が大規模改修。」


【7】永正9年(1510)説・・・久保田順一先生の以前の説 
  箕輪城より鷹留城が先の可能性がある。

【8】永正17年(1520)説・・・山崎一先生説
  「惣社長尾氏が北条氏綱に通じたことが契機
   となった。」



★明日は長野憲業かな?

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