箕輪初心●千葉:猪鼻城→千葉城

群馬前橋総社の千葉一族と千葉の千葉一族は同族である。
南北朝の騒乱、上杉禅秀の乱、永享の乱、結城合戦、享徳
の大乱などと戦乱が続く時代となり、亥鼻台に砦を築城し
た。永享の乱で千葉一族は分裂し、千葉氏系馬加(まくわ
り)氏が宗家:千葉介を名乗った。

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箕輪初心●群馬【蒼海(おうみ)城 】千葉氏→長尾氏→諏訪氏
http://53922401.at.webry.info/201212/article_22.html

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箕輪初心★千葉旅行17回一覧
http://53922401.at.webry.info/201404/article_8.html

箕輪初心●千葉【関宿城】=疑似天守の博物館
http://53922401.at.webry.info/201404/article_9.html

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【1】訪問日・・1991年9月30日   
  吹奏楽関東大会千葉大会に出場「アルルの女」

【2】訪問日・・2000年?       
  千葉市青葉区の弟宅訪問=新築祝いに父と宿泊

【3】訪問日・・2009年12月23日 
  千葉市青葉区の弟宅訪問→タイ:プーケット旅行のため。
12/23(水)
  9:30家・・・高崎・・・東京・・・千葉
  ①千葉寺 ②大厳寺館 ③生実(おゆみ)城  
  ④城の台遺跡 ⑤有吉城 ⑥千葉城・・・弟宅


■訪問記・・・平成21年(2009)12月23日
タイ:プーケット旅行のために泊まった千葉市青葉区の
弟宅からの見物であった。

●弟の車で生実城から中央区に入ってきた。
●大手口
 千葉大学医学部付属病院の東側に大手があった?
 七天王塚なども城域内の土塁なのだ。
 堀もあったらしい。
 ・・・城域としてはかなりの大城郭となる。
 七天王塚は千葉氏信仰の北斗七星を表している(伝)。
 
 
●二の丸=千葉市民文化会館隣の駐車場
  16:40であった。
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●天守閣
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実際には千葉城には天守閣はなかった。
 標高約20mほどの台地に建っている二の丸疑似天守閣
なのだ。博物館になっている。 
 
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千葉氏の本拠は亥鼻周辺の低地にあったらしい。
 亥鼻台を詰め城として使用したのではないだろうか?
 享徳の大乱で馬加氏らに攻められたときには、すでに
 亥鼻台に詰めの城だったのではないだろうか?

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●戦国時代の本丸土塁や石碑などは本丸天守閣が建っている
 西側の方にある。

●神明神社

●「猪ノ鼻城址」碑がある。
 物見櫓があったらしい。
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●搦め手口
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・・・本丸下の都川に出ることが出るようになっていた。

●車で移動
  千葉城の城域は天守台・千葉大医学部辺りまでも含む広い
  地域ので、弟が車で境目を一周してくれた。
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●天守へ登る麓

●「お茶の水」・・・井戸跡
 千葉氏が源頼朝へ差し上げた(伝)。

●千葉市青葉区
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●弟宅
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12/24(木) 千葉中央JR6:52で・・・
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 成田第一9:45発タイ航空・・・
 15:30プーケット・・16:00マリンクエスト号
12/25(金) スミラン:ダイビング5本
12/26(土) スミラン:ダイビング5本
12/27(金) リチュリーロック:ダイビング4本
12/28(土) タティアイ島:ダイビング2本・・・
     夕食パーティ・おかまバー・ビールバー  
12/29(金)・3:00まで・・・・。
  9:00朝食  渡邊さんと休憩 
  13:30昼食 スパ450B  
   21:30プーケット発・・・13:50バンコク
12/30(日) 7:30成田・・・家11:30

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箕輪初心◆タイ【バンコク】【アユタヤ】【スミランダイブ&プーケット】
http://53922401.at.webry.info/201111/article_14.html

箕輪初心▼海外79海外D43タイ:シミランクルーズ2回目前編
http://53922401.at.webry.info/201401/article_3.html

箕輪初心▼海外79海外D43タイ:シミランクルーズ後編&プーケット
http://53922401.at.webry.info/201401/article_4.html

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◆◆ 亥鼻城:千葉城の歴史 ◆◆
~~~~千葉一族330年の城~~~~~~~~~~~~~
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 (★博物館の資料より)


・平安時代  
桓武平氏の子孫・・・曾孫(4代)高望王の
    五男平(村岡)良文がこの地に住んだ。

・長元元年(1028) 平忠常の乱
  平良文の孫:平忠常は房総半島全域を支配した。
  平忠常の子:平常将が源頼信にかわいがられ、千葉介
    を名乗った。→千葉の姓。

・ 大治元年(1126)
千葉(介)常重は本拠を大椎(おおじい)城から亥鼻城に
移転した。
 ★本丸が台地の亥の方向に突き出ているので、亥鼻城
   と名付けられた。)
   千葉氏の館は亥鼻周辺の低地にあったと考えらて
    いる。亥鼻台を詰めの場所として使用
  ・・・・以後13代330年存続した城。
            
   千葉常重の子常胤の代には全盛期。・・・
   石橋山の合戦に敗れた源頼朝を補佐。
   源頼朝から厚い信頼を受け、全国に所領を得た。
    鎌倉方の有力御家人となった。
    本拠の地が千葉城。
   城下町を原型→現在の千葉市の起源。(伝) 
   北は都川を天然の水堀、西は急崖、南は谷津を空堀と
    した要害とした。
   丘陵の突き出した部分を数ヶ筋の堀切で区画し、各曲輪に
    土塁をめぐらした程度の砦だった。
   ※亥鼻公園の中に本丸土塁や出丸、堀切の一部が
   残存している。
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・室町時代中期  
   鎌倉公方・足利氏と関東管領・上杉氏との抗争が激化。
         
系図
 千葉貞胤→兄:氏胤→・満胤→長男:兼胤
↓ 次男:馬加康胤
      弟:原胤高→胤親→生実原胤房

・康正元年(1455)享徳の乱
   →千葉氏も分裂
鎌倉公方側・・・・千葉氏宗家:兼胤
関東管領上杉側・・千葉一族の馬加康胤や原胤房
  馬加(まくわり)康胤や原胤房が千葉兼胤襲撃
   →千葉城焼失。廃城。千葉氏嫡流の滅亡。
  千葉氏は馬加氏が引き継ぐ。

・延徳2年(1490) 
   馬加(まくわり)氏は本佐倉城へ本拠を移転。
原胤房・・・生実で勢力拡大。


・昭和42年(1967)4月 模造天守閣郷土館。
・現在・・・・・・本丸の一部が公園。
  





★明日は?

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