箕輪初心●岩櫃城探検隊第8弾:真田家臣団一覧&【唐沢玄蕃の墓&割田重勝の墓】

平成25年(2013)11月10日、戦国真田の岩櫃城跡探検隊
第8弾のテーマが『真田の忍びたち、栄光と悲しみ』だった。
本当に今回も凄い企画をなさった。【唐沢の墓&割田の墓】
もコースに入っていた。山﨑会長をはじめ根津さん・富澤豊
前守様・本間さん・小田島さんなど、多くのスタッフの方々
に大変お世話になりました。凄くマニアックなコースで楽し
かったです。

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 (★唐沢玄蕃の墓)

                  


箕輪初心●真田3代④『真田信綱→真田昌幸の時代』
http://53922401.at.webry.info/201111/article_29.html




真田忍軍
【1】 総帥:出浦対馬守盛清
 ①村上源氏の・・・村上義清の4番目の弟・・・
   長野:上田出浦出身(青木村近く)かも・・・
   →坂城へ・・・
  ②村上義清家老:出浦城・・・孤楽城の西

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  ③武田信玄の素破=忍者隊長
④織田信長家臣:森長可の忍者隊長
  ⑤真田幸隆・昌幸の家臣:真田忍軍総帥
    更級郡(千曲市)の上平城主。
・天正18年(1590) 6月 北条方が守る「のぼうの城=忍城攻撃」
 でも活躍した。
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【2】副総帥:横谷一族
○横谷城=雁ヶ沢城
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【3】副総帥:鷲塚佐太夫(=猿飛佐助の父説が有力?)



【4】隊長格:唐沢玄蕃
①初代:唐沢杢之介=唐沢玄蕃
中之条沢渡出身。
吾妻岩櫃城を治めていた齋藤憲弘に仕えていた。
永禄6年(1563) 真田幸隆が岩櫃城の攻略のために周辺の支城を
次々と落としていた。真田昌幸は内山城(仙蔵の城)を攻撃した。
城代:富澤加賀守&初代唐沢玄蕃も真田に降伏した。
真田幸隆は調略を用いて岩櫃城内に海野を内応者とし、岩櫃城を
攻略した。齋藤氏は逃亡して、上杉謙信の助けをかりた。
唐沢氏は降伏の後、真田氏の部下として働いた。

永禄8年(1565) 嶽山城攻防戦
 初代玄蕃は討ち死にした。
 武田信玄は子供:唐沢玄蕃に感状を出している。

②二代目唐沢玄蕃
 初名は「於猿」と呼ばれている。
「忍び名人」「飛び六法」と言われ、跳躍術・火薬術にたけていた
 らしい。
 真田昌幸に仕えていた。
 妻は同じ忍びである割田重勝の娘である。

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  【加沢記釈文】:脇屋真一訳 

★読み下し文の「加沢記」
唐沢玄蕃中山尻高両城忍之事附金の馬鎧之事
「天正年間の初め中山、尻高は、白井(長尾氏)に随身の事なりけ
り。その上究竟(くっきょう)の要害なりければ、吾妻勢(真田勢)
度々利を失けり。さらば忍を入れて焼き落すべしとて唐沢玄蕃
に仰せつけられけり、この旨承り割田新兵衛尉を相語ひ尻高(しっ
たか)に忍入り放火したりけり。中山の城へ忍入りければ、中山平
形安芸守、鼓を打て酒宴して居たり。中山鼓はへたなり百のうちひ
とつもふたつもつつみの音せざりければ、世の人中山殿の鼓にて百
一つと申あへり。かくて夜更皆々寝(いぬ)り夜廻りの者も油断し
たりければ、玄蕃中山が納戸へ忍入みここかしこをさがすに金の馬
鎧あり。究竟の事と思ひ放火はせずして馬の鎧盗取て帰りけり。こ
の馬鎧は安芸守齋藤越前守代に管領へ出仕のみぎり拝領したるが
この度唐沢に取られたり。玄蕃気一つの若者にて陣と申せばこの馬
鎧を懸(かけ)て出ければ、壱年信玄公西上州出張の節玄蕃真田の
手に属し出ければ、信玄公の御目に付き信綱召て珍しの馬鎧、先年
信州(武州)松山合戦の時見たる馬鎧なりと仰せられしとなり。
そのころは世上乱の中ゆえ金の馬鎧などは無き物と聞へたり。その
時何者と御尋有ければ唐沢と仰せ上げられければ唐沢思わず高名を
ぞあげたりける。」

★簡単にいうと
天正年間の始め頃、中山城と尻高城は白井の「長尾一井斎憲景」に
従っていた。両方の城とも守りの堅い落としにくい城であったので
武田家に臣従した真田勢は度々苦境にたたされた。
そこで「忍者を忍び込ませて城を焼き落とす。」と軍議が決まり、
「唐沢玄蕃」に命令が下された。唐沢玄蕃は<割田新兵衛尉重勝と
相談し、尻高城に忍び込み放火した。
次に中山城へ忍び込むと城内では酒宴が開かれていた。中山安芸守
が鼓をうっていたが、鼓を打つのがあまりに下手すぎて100回打
っても一度もポンと鼓の音を鳴らすことが出来ないので、世間では
「中山殿の鼓であるので百一つ(万が一にもそんな事はありえない)」
とことわざのように言われるほどであった。
こうして夜も更け酒宴も終わり皆眠り、夜回りの者も油断していた
ので、唐沢玄蕃は中山城の納戸に忍び込みと金の馬鎧を見つけた。
これは凄いことだと思って、放火はせずして馬の鎧を盗み取って帰
ってきた。この馬鎧は安芸守齋藤越前守代に関東管領へ出仕した折
拝領したものであった。今度、唐沢玄蕃に取られてしまった。玄蕃
は一本義の若者であったので、出陣の度ごとに、この馬鎧をかけて
出けれたので、壱年?? 信玄公が西上州出張の節に、玄蕃は真田
の手ノ者に属していたので、信玄公の御目に留まり、真田信綱は
「珍しの馬鎧、先年信州(★武州=埼玉県)松山合戦の時、見た馬
鎧でございます。」と仰せになられた。その頃は世の中は乱の最中
なので、金の馬鎧などは無い物と聞きおよんでいた。その時に、
武田信玄公は「何者か?」と御尋ねにられると、(真田信綱)は
「唐沢(玄蕃)であります。」といしゃったので、唐沢(玄蕃)は
思わないところで、偶然、高名をあげたのである。」
その後も、真田昌幸の部将の一人として数々の戦いに参加した。
長篠の戦いにも参戦した。
・天正18年(1590)小田原の陣
  松井田城攻撃に参加した。。
・慶応4年(1600) 関ヶ原の戦い
真田信之に従った。

その後、二代目玄蕃がどうなったのかは不明である。
ただ、中之条町長久保に供養塔が残されている。
●唐沢玄蕃の墓・・・中之条町長久保?高津?
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※私の吾妻出身の知人・先輩にも「唐沢」姓の苗字の人が何人
かいる。



【5】隊長格:割田下総守
中之条町横尾出身。
真田氏に仕えた忍びの者の一人である。吾妻七騎にも数えられて
いる。娘は二代目唐沢玄蕃に嫁いでいる。
真田昌幸の沼田攻めの頃には旗下になっていた。
岩井堂や嵩山城等の守備を命じられていたようである。


松田尾張守の馬と鞍が見事だったので、割田重勝は大豆売りの振りを
して馬番の若侍をだまし、馬を乗って自陣に帰ってきた
  (★「加沢記」)

・慶応4年(1600) 関ヶ原の戦い
   徳川方についた沼田城主:真田信之の配下であった。
・江戸時代・・・忍びは無用の長物になった
  割田重勝は真田家を離れ郷里吾妻に隠遁した。
 時々盗みを働き、真田信之の役人に追われてしまった。
・元和4年(1618)鹿野和泉に 盗人として討たれたらしい。
  真田信之は
  「割田の盗みは、わしがさせてしまったようなものだ」
  と嘆いたそうである。
●割田下総守の墓・・・中之条町長久保?高津?
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 ★墓は、唐沢玄蕃の墓から約500m程離れた場所である。
※私の吾妻出身の知人・先輩にも「割田」姓の苗字の人が何人
かいる。


【6】隊長格:剣持喜右衛
★おそらく、中之条町川戸出身。


【7】隊長格:田村左次左衛門
 中之条町の四万出身?・・・
 根津さんは説明して下さった。
 「現町長中沢氏の奧様の実家だ。」とか?
 
      

【8】隊長格:岡山源右衛門


【9】隊長格:広田岡右衛門



【10】禰津信政(ねつのぶまさ)のお抱え忍軍 
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  真田幸隆・昌幸に仕えた忍者集団の頭領。鷹匠家:禰津家は
  甲陽流忍術の家元として知られていた。後に女忍者集団
 「禰津流くの一」を輩出したといわれている。
 信濃は禰津=ねつ 」で、上野は「禰津=根津=ねず」である。
 ★鷹の扱いは、江戸時代でも有名だった。
  駿河城での徳川家康の鷹の銅象は「禰津逍遥軒」である。

 (★長野県東御市の禰津下城)

●忍者・・下級武士・浪人・百姓・山伏・またぎ・巫女・舞芸人など

●修験道場:不動寺・・・スパイ養成所
  岩櫃城&柳沢城の間の寺・・・★情報収集の場所。






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●●●真田昌幸家臣団(天正末期) ●●●
①譜代の城主:家老クラス
・矢沢頼綱(沼田城:真田昌幸叔父) 
・常田隆家(常田城:従兄弟) 
・丸子三右衛門(丸子城) 
・禰津元直(禰津城・滋野一族・根津志摩守:志摩曲輪) 
・恩田越前守(森下城)   
・鈴木主人(名胡桃城)  
・大戸真楽斎(大戸城) 
・鎌原幸重(鎌原城:海野一族・真田昌幸叔父) 
・海野輝幸×(沼田城代)を殺害・・天正10年(1582) 
・横谷幸重(雁ヶ沢要害:八ッ場ダム入り口右)

②譜代の重臣・・・・
・出浦対馬守(岩櫃城出浦・・・中城下)  
・富沢豊前守(岩下城)   
・望月主人(滋野一族遠親戚)  
・矢野孫右衛門 
・河原右京・・・・真田幸隆の正妻の甥 
・春原惣右衛門

③旗本・・・・・・・・・・・・・
・戸田半兵 
・神子典膳 
・中山勘解由(中山城)  
・太田善太夫  
・朝倉籐十郎  
・辻太郎作 
・斉藤久右衛門

④新参:旧武田家臣・・・
・小山田壱岐守・・・・元甲州  
・原監物 
・大熊五郎左衛門(元箕輪城勤務)  
・瀬下若狭守(元箕輪城勤務)

⑤新参・旧今川家臣・・・
・木村土佐守

⑥新参:上州衆・・・・・・・
・湯本三郎右衛門尉(草津支配)   
・羽田筑後守(元上野大柏木城主・長野業政の甥)  ・

⑦新参:沼田7騎・・・・★元沼田一族
・和田主殿   
・恩田伊賀守  
・下沼田豊前守   
・久屋籐五郎  
・発知三河守  
・岡野屋加賀守  
・金子美濃守

■真田軍4000騎の内訳
①先陣700余騎・・真田隠岐守信伊(弟)・海野 ・金子  他
②前備500余騎・・鎌原 ・和田  他
③旗本150余騎・・赤沢常陸介  ・佐藤豊後守  他  
④左脇備300騎+25騎使番・・海野・湯本・加茂大膳  他    
⑤右脇備200余騎+25騎使番・・富沢・横谷他
⑥馬廻衆500余騎・・丸山土佐守  大熊・富沢
⑦武者奉行・・・・・・出浦・佐藤備中守 他  
⑧足軽軍団100余騎・・・・・・・・・・
⑨後備500余騎・・・植栗・塩野・尻高  他
⑩殿軍700余騎・・・藤田能登守・我見修理・木内甚五左衛門 他
⑪小荷駄奉行100余騎・・山越左内・一場太郎左衛門 他 
  ・3300騎
⑫留守部隊500余騎?・・・・・・・・                               
合計 4000騎弱?


真田忍軍
① 総帥・・・・・・出浦対馬守
 (長野・坂城出身・武田信玄の素破隊長→森長可
     →真田幸隆の家臣:岩櫃城代など歴任)
②副総帥・・横谷・鷲塚佐太夫(=猿飛佐助の父説が有力?)
③隊長格・・割田下総・唐沢玄蕃・剣持喜右衛・田村左次左衛門
      ・岡山源右衛門・広田岡右衛門
●忍者・・下級武士・浪人・百姓・山伏・またぎ・巫女・舞芸人など
★岩櫃城&柳沢城の間の寺・・・修験道場=スパイ養成所


真田十勇士のお話
・猿飛佐助・霧隠才蔵・三好清海入道・三好・穴山小助
・由利鎌之助・筧十藏・海野六郎・根津甚八・望月六郎
    
             (★真田三代)


★▲★ 箕輪初心の岩櫃城 ★▲★
1)第1回

2)第2回http://53922401.at.webry.info/201011/article_5.html

3)第3回http://53922401.at.webry.info/201011/article_7.html

4)第4回
http://53922401.at.webry.info/201111/article_5.html
http://53922401.at.webry.info/201111/article_4.html

5)第5回http://53922401.at.webry.info/201206/article_9.html

6)第6回http://53922401.at.webry.info/201211/article_8.html

◆◆ 東吾妻町:あざみの会 ◆◆
http://www.agatuma-azami.net/diary/pg174.html
http://www.agatuma-azami.net/sengoku/godan_bosyuuyoukou.html


箕輪初心●群馬旧高山村の城:中山城1回目&並木城
http://53922401.at.webry.info/201201/article_23.html

7)7回目


8)8回目・・・★明日、掲載。





★明日は、岩櫃城?

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