箕輪初心●宮城【船岡城】=「樅の木は残った」の舞台

昔、NHK大河ドラマ「樅の木は残った」を1回も欠かさずに見た。
平幹二郎がかっこよかった。船岡=柴田は原田甲斐の領土であった。
寛文11年(1671)の伊達騒動の首謀者の1人とされた原田甲斐は
伊達家家臣に惨殺され改易となった。でも、原田甲斐は主人公な
ので、江戸幕府から伊達家を守る正義の主人公として描かれてい
る。平成24年(2012)NHK大河ドラマの「平清盛」と同様である。
代わって柴田氏が領主となり、明治維新まで続いた。明治初年に
は廃城となり建物が壊された。現在は船岡城趾公園として整備さ
れた。山頂には船岡観音や原田甲斐の慰霊碑がある。
平成20年
(2008)の奧の細道紀行の一貫として訪れた。今回も復刻版である。
画像


(★宮城県柴田町) 



■訪問記・・・2008年7月19日
●二の丸前駐車場の案内板
西駐車場と二の丸前に駐車場がある。
画像

※柴田城は、標高136m(比高約110m)、南北200m、
 東西300m以上の規模だそうである。
●二の丸
●二の丸井戸を見学。

●本丸へ
画像

●使われなくなったモノレールの横の緩やかな道を登って
 いくと、土塁も見える。
画像

画像


●10分程で、本丸に着いた。
山頂には船岡観音や原田甲斐の慰霊碑がある。
・新しい船岡観音観音様。
画像

・本丸の最高地点:標高136mを中心として北に連郭式状山城
 となっていた。
画像

・原田甲斐の慰霊碑
画像

山本周五郎の『樅ノ木は残った』・・・NHK大河ドラマ
  ★伊達騒動・・・忘れた。
   平幹二郎がかっこよかった。


●遠望
画像

 
桜の名所であるが、今は実に寂れていた。
「夢破れて山河あり」の夢の跡になってしまった感がある。


●三の丸跡=船岡公園・・・桜の名所。
・枡形だった詰の門の坂
画像

・三の丸に残る土塁
・古井戸
・「樅の木は残った」のモチーフとなった樅の木もあった。


■▲● 船岡城の歴史 ●▲■
・平安時代         前九年の役
            源氏の陣所・・・芝田館
・正治年間(1199~1200)  柴田次郎の居城
・正治2年(1200) 芝田次郎が源頼家家臣宮城四郎家業に攻められたと
(★「吾妻鏡」)それ以前からあった?。
・正平年間(1351)      北畠顕信の陣所。
・天文年間(1532~1554)  四保定朝が居を構え、四保城。
             四保宗義の代に柴田氏と改姓。
             伊達氏の傘下。
中世には要害堅固な山城であった。
・文禄2年(1593)     柴田氏は志田郡桑折に移住。


・慶長年間(1596~1614) 屋代景頼が居館。
  ★屋代一族は現長野県千曲市出身。

・元和元年(1615)   原田宗資が桃生郡大瓜より移封。
   一国一城令で船岡城も廃城。
   本丸、二の丸は使用されず、三の丸に居館が移された。 
 
・寛文11年(1671) 寛文事件(伊達騒動)により所領没収。
    原田甲斐宗輔の時である。
   *船岡城=柴田城は、NHKで放映された「樅の木は残った」
    の舞台。・・・平幹二郎主演。
         
   →柴田宗意が登米郡米谷より所領替え。
     再び柴田城に5千石を領して入った。
       
→明治維新に至る。

・現在・・・・平場・土塁・空堀が残存。
    


【3】 松尾芭蕉「奧の細道」白石~柴田~仙台~
★松尾芭蕉は伊達領内(宮城県&岩手県)に入った。
松尾芭蕉の目的は①武隈の松、②笠島、③実方の墓
④閖上、⑤多賀城、⑥末の松山、⑦塩竃、⑧瑞巌寺、
⑨月浦・・・であった。
でも、旅のメインの一つはなんと言っても「多賀城の壺
の碑(つぼのいしぶみ)」であった。


◆◆ 箕輪初心★松尾芭蕉19奧の細道9【福島~飯坂~】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201208/article_3.html

◆◆ 箕輪初心★松尾芭蕉19奧の細道9【白石~仙台~多賀城】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201208/article_4.html


★松尾芭蕉の「奧の細道」
ルポライターとしての河野亮&エッセイストとしての
田辺聖子氏の書き方が何となく分かった。紀行文とし
ては、松尾芭蕉より優れているかもしれない。私も
もっと気楽に行った場所を書けば、もっと面白くなる
ことが分かった。でも、難しいのだ。


■5月3日=太陽暦6月19日
松尾芭蕉&曽良は飯坂温泉を出発し桑折宿を越えた。

 (★トランベール8月号資料より)
○伊達の大木戸・・・警戒の厳しい伊達領だ。
 ・文治5年(1189)藤原泰衡 VS 源頼朝

○藤田宿・・・

○国見宿・・・国見神社・義経腰掛け松
  
○越河:・・・

○斎川・・・・馬牛沼のジュンサイ

○白石宿・・・片倉小十郎の子孫の城下町(白石城)

●白石城・・・①2008年5月6日GW東北旅行       
 伊達政宗の右腕:片倉小十郎の妻は真田幸村の娘
 だった。

 1つの藩で、破城にならなかったのは
 親藩名古屋の犬山城と仙台藩の白石城位だ。
あれ、熊本の八代城もあったっけ?

★白石城の掲載はいつになることやら?

■5月4日=太陽暦6月20日
江戸を発って36日目。
○白石宿→

船はざま→

○槻木 

柴田宿

●船岡城・・・2008年7月19日
★船岡城の掲載はいつになることやら?

○岩沼宿・・・2008年7月19日

①竹駒神社
画像

画像
 
画像


②武隈(たけくま)の松・・・松の名木
5) 「桜より 松は二木を 三月越し」 
★意味・・私を待ってくれたのは桜より松(=待つ)
 であった。それは武隈の二股の双幹樹の松だった。
 しかも江戸をたってから3ヶ月越しでのご対面で
 あった。ヤッホー。

★竹駒神社の近くに目指す松の木があった。
画像

 「小さすぎ くっつきすぎと 憤り 
     ますます暑き 竹駒の松 」箕輪初心
   
 
植え替えてきた松なのだろうか?。
 小さな公園には高校生カップルが寄り添っていた。
 二本の松が一本のようになっていた。こいつら、
 この場所ので松の木のまねしてんのか?
 あっついデートだこと・・・。
 藤原実方の片思いの恋人は清少納言だったらしい。
 しかし、清少納言は藤原行成が好きだったらしい。
 Hね。清少納言のお姉様?二股掛けちゃって。
 藤原実方が京からいなくなったから当然か・・・
 頭が良くて、イケメンタイプ。
 藤原実方はさしづめ、 伊達者&歌舞伎者・・
 前田慶次郎か水戸光圀か・・・
 芸能人なら、スマップの稲垣吾郎かな?
 昨日、韓国から帰ってきたので、韓流スターも
 浮かぶ。

 
 「武隈の 二股で待つ 恋心
  はかなき夢の 夏の秘め事 」 箕輪初心
     
画像


○松尾芭蕉は藤原実方の墓や「かたみのすすき」がある名取
 郡を目指し、奥州街道を北へ急いだ。
 降り続く五月雨の中ようやく名取に辿り着いた。

○名取宿・・・

◆笠島道祖神(名取市)=松尾芭蕉が行けなかった場所
・天養元年(1144) 西行27歳。陸奥&出羽の旅。
・文治2年(1186) 西行69歳。陸奥の旅。
 西行は、藤原実方の墓に立ち寄り、
「朽もせぬ 其名ばかりを とどめをきて
        かれのの薄  かたみにぞみる」
と詠んだ。
「かたみのすすき」の由来となっている場所である。

★松尾芭蕉の大好きな西行が藤原実方の墓前で歌を詠ん
だ場所にどうしても行きたかったが、藤原実方の墓があると
いう村里へは大雨で道がぬかるみで歩くに歩けない。
藤原中将実方の墓=塚は街道を反れた一里ばかり先と
聞かされたのだった。①体力の限界、②日暮れ、
③悪路・・・行くのが困難と、ついに墓参を断念した
のだった。
『 笠島は いづこ五月の ぬかり道 』
★意味・・・笠島は一体どこなのだ。五月雨(さみだれ)
 の泥んこ道でどうにもならないのだ。残念無念。
 こんな気持ち、曾良でも分かるまい。・・
 ここまで、言ってないって。

○名取川
★私は東日本大震災の画像が頭から離れない。
「車がぷかんぷかんと浮かぶ場面、波が押し寄せている
 のに焦らない人・・・。」
「 突然に 襲う弥生の 大地震
    飲み込まれても 蘇れ大地 」 箕輪初心



○仙台宿・・・伊達62万石の城下町。

○国分町大崎庄左衛門の宿に逗留。
 本日は13里=52kmの歩行。 

★ 「芭蕉が訪れた時はどのような町だったのだろうか。
 そして、忍び=密偵をやっていたのであろうか?」





★明日は、仙台城=青葉城かな?

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック