箕輪初心●群馬旧尾島町6『大舘館』=新田一族

新田義重→新田義兼→新田(世良田)政義→長男:新田政氏・
新田政義の次男:大舘家氏・3男:堀口家貞・・・
大舘家氏が大舘郷に住み、地名の大舘を名乗ったのが大舘氏の
始まりである。元弘3年(1333)の新田義貞の鎌倉攻めに大舘
宗氏は弟:堀口貞満&子ども達とともに参加した。しかし、
極楽寺坂口で戦死した。(東勝寺合戦)。
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大館館・・・尾島町大館1456「御堀」(国史)
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 ■訪問日・・・平成22年(2010)5月30日(日) 
 ○大舘館は、県道298号線沿いの東楊寺から北に300m程
 入った所にある。城址の中央に諏訪神社が祭られている。
 探すにに一苦労だった。畑の真ん中に2m×2mの諏訪神社
 があるが大舘氏館の跡地である。
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【1】諏訪神社には城址標柱や案内板などがある。
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 ○御堀、御蔵、鍛冶屋、馬場などの地名も残っている。
  しかし、耕地整理によって畑になり遺構は消失した。
 「大舘」という地名が残っている。
 ○山崎一氏の「縄張り図」や「城郭体系」の図を見ると、
  120m×120m程の単郭の居館で、五角形をしている。
 
【2】祠脇には標柱・・・。
  新田荘の大舘氏の居館跡「大舘館跡」として城碑が立つ。
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◆◆ 箕輪初心●群馬旧尾島『9城一覧』 ◆◆ 
http://53922401.at.webry.info/201302/article_28.html

◆◆ 箕輪初心●群馬「新田館」=新田義重館 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201303/article_1.html

◆◆ 箕輪初心●群馬「徳川館」=徳川義季館 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201303/article_4.html

◆◆ 箕輪初心●群馬「長楽寺&世良田館」=世良田頼氏館 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201303/article_5.html

◆◆ 箕輪初心●群馬「満徳寺」=徳川義季の娘 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201303/article_6.html

◆◆ 箕輪初心●群馬「安養寺館=明王院」=新田義貞の館説 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201303/article_7.html



◆◆ 「大舘一族の歴史」 ◆◆
※新田義重→義兼→義房→新田(世良田)政義→政氏と続く。
政氏の弟が初代:大舘家氏である。子どもは4人いた。
新田政氏の子は長男:綿内為氏・次男:堀口次郎貞氏・3男:
貞寂・4男:大館宗氏であるという家系図もある。 

・仁安2年(1168)の新田義重置文に「大舘」とある。
  新田義重が、息子:得川義季&御前(母)に
  所領を譲ることを言い置いたものである。

・鎌倉時代中期・・・大舘は新田宗家が相続。
  新田義重4世:新田家氏が大舘氏を名乗った。
→大舘家氏の誕生である。
岩松政経の代官:堯海と田嶋郷の用水を巡り争論となり、
  控訴されて敗れた。
(★「新田一族の盛衰:久保田順一著)

・鎌倉末期・・・大舘氏は新田義貞に従って鎌倉を攻撃した。
 子どもには、大舘氏明・大舘幸氏・大舘宗兼・大舘氏兼
  ・右馬助(時氏説)・六郎(時氏説)がいる。

・元弘3年/正慶(1333)5月 新田義貞はじめ新田一族と共に挙兵。

鎌倉を3方向から攻めることになった。
  嫡男:大舘宗氏は新田義貞の鎌倉攻めに右軍大将として、
極楽寺方面から攻めることになった。
  大舘宗氏の子・・・氏明・幸氏・氏兼らが参加した。
大舘宗氏の弟:堀口貞満も大将であった。
5月18日、稲村ヶ崎突破を敢行。
 1度は北条軍を破って突破した。
  大仏貞直の配下:本間山城左衛門との戦闘となった。
しかし、大舘宗氏は極楽寺坂で戦死した。(東勝寺合戦)。
  (★『太平記』)
★鎌倉稲村ヶ崎に大舘宗氏主従11人塚が建立されている。
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※大舘宗氏の討死によって指揮系統が消失したため、新田義貞が
 極楽寺方面へ布陣して以降の指揮を取ることとなった。
◆◆ 箕輪初心★新田義貞1「誕生~新田宗家」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_40.html
  
◆◆ 箕輪初心★新田義貞2「鎌倉出陣」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_41.html



◆コメントニックネーム:ぼ輔さんの《内容》をコピーさした。★凄い。
太平記「稲村ヶ崎」伝説についてブログ「鎌を倉街道を探そう!」
を書いている「ぼ輔」です。下記ブログにて、稲村ガ埼で起きた
事を詳細に解説しています。
http://blog.goo.ne.jp/mementosmori/m/201007
常識的に言われている事と事実には大きな違いがあります。
★峰岸純夫先生の説と【ぼ輔】様のHpを比べると、楽しいのだ。
 こんな凄い方に、コメントいただいて最高です。




◆◆ 箕輪初心★新田義貞3「鎌倉攻撃」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_42.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞4「鎌倉散策」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201202/article_2.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞5「金ヶ崎城」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201104/article_21.html

 大舘氏明は南朝方(後醍醐天皇)として活動した。
 大舘氏明は後醍醐天皇によって伊予守に任じられていた。
 伊予国守護となったが、北朝方の細川頼春の攻勢のため世田城
 で自害した。
(★弟:脇屋義助が伊予守と愛媛県の国分寺地区に墓がある)
  
 新田義貞の福井での討ち死に。
◆◆ 箕輪初心★新田義貞6「金ヶ崎城」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201104/article_30.html


大舘一門 綿打氏・・・新田の大慶寺が館跡。播磨へ
 大舘一門 金谷経氏・・・新田荘金谷村。
      播磨守護となったが、播磨島津軍と抗争。
  南朝正平6年・北朝 観応2年(1351)
金谷経氏は江田行義と攻撃
   「男山攻略戦」で金谷経氏は戦死。


※室町時代の大舘氏
大舘氏明の子:義冬は佐々木道誉に見いだされ、足利義満に
 仕えた。北朝による治部少輔に任官した。

※大舘義冬の系統の大舘氏は室町幕府内では、足利氏と同族
 (源義家の子息:義国流)の新田氏支族と見なされた。
 新田岩松氏(父は足利義純で、母が岩松時兼の父)の系統
 だからである。大舘一族は要職を務めた。

中先代の乱・・以降、本貫の地の上野新田荘は足利氏の支配下
 にあり、父系が足利・母系が新田の岩松氏が直接支配した。

 しかし、それ以降もこの系統の大舘氏は16C初頭にまで、
 新田荘の大舘郷を所領としている(★大舘持房行状)。

大館氏は室町幕府の要職を務めた。

3代軍足利義満の親衛隊として組織された第五番衆
の番頭を代々務め、大舘一族の多くが奉公衆に所属した。

8代将軍:足利義政
 足利義政の乳母:今参局は大舘氏の出である。
 足利義政側室:大舘佐子も大舘氏の出である。

「上杉禅秀の乱」
鎌倉在住の岩松満純は上杉禅秀に味方した。
新田在住の新田一族(里見・鳥山・大島など)は反岩松で
2つに別れた。

15代将軍:足利義昭
室町幕府滅亡とともに大舘氏も没落した。

※江戸時代
関岡氏・・・大舘氏明の子孫に伊賀国に拠った大舘氏(関岡氏)
       義冬の兄伊賀守氏清の子孫と伝える。
北村氏・・・江戸幕府歌学方 北村季吟がその末裔(伝)。
大草氏・・・15代将軍:足利義昭に仕えた大舘晴忠(晴光の甥)
      は奉公衆の大草公重の娘を正室とした。
      大草公継・公信・高正は江戸幕府の旗本になった。
大舘氏・・・大舘氏明の子:成氏が阿波国の細川氏に仕えた。
大舘氏・・・尾島・新田で在地の名主、村役人階級として帰農。


江戸時代末期・・
①西軍についた「新田官軍=新田勤王党」
 岩松俊純が大将、副大将が大舘謙三郎である。
 大舘謙三郎は新田荘の医者の家柄である。
「新田官軍(新田勤王党)」は50人程で組織された。
 薩摩藩相良総三と仲よくなった。
 素行が悪く、江戸を追放になった。
 倉渕の小栗上野介の居場所を西軍に教えたらしい?
 埋蔵金があるとデマを飛ばし、ヤクザなどの荒くれを2000人
を倉渕に向かわせたという噂もある。

 戊辰戦争功績により、岩松氏が明治政府により新田の直系と
 みなされ新田姓に「復姓」し、男爵となった。
 井上馨の妻が岩松武子であったらしい。

◆◆ 箕輪初心★小栗上野介「倉渕で斬首」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_1.html 

②幕府側についた新田大舘氏の系譜で武蔵大舘氏。
 渋沢栄一の弟の誘いがあったのであろう?
 大舘昇一郎が彰義隊士として上野で活躍した。
 彰義隊頭取になったが、箱館戦争では戦死した。


現在・・・やまといもの産地
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★参考文献
1)「新田義貞」:峰岸純夫著
2)「新田一族の盛衰」:久保田順一著
3)「新田義貞」:山本隆志(ミネルヴァ書房)
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4)ウキペディアなど





★明日は、堀口館かな?

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  • 箕輪初心●群馬旧尾島町8『岩松館=青蓮寺』源義国~岩松代々の館

    Excerpt: 新田氏・足利氏の始祖:源義国が岩松館を創築し、子:新田義重、 孫:義兼の3代が居館していたされる。新田義兼の没後、譲状に より、未亡人の新田尼に所領が安堵され、新田尼は岩松館に居館し たと考えら.. Weblog: 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行 racked: 2013-03-10 07:40